-2005



1/27 ●ドラムソロ嫌い
 きょうは『冬ソナ』の影響もありオスカー・ピーターソンのバラードを聞きつつ書いていた。その中に一曲「Sushi」というのがあり(日本語のスシと思われる)それに私の大嫌いなドラムソロがこれでもかというぐらい入っていた。完成されたアルバムでありそれを削除するのも……と迷っていたが、長時間作業をしていると1枚のアルバムは繰り返され、その曲がまた巡ってくる。どんなに熱中していてもドラムソロになるとうんざりしてしまい筆が止まる。止めて次の曲にする。まあ40分に一回ぐらい不快になるのも時間の区切りとしてわるくないと言えようが。その他の曲がオスカーの作品でも異色な静かなバラードなので、8曲目のこの曲のそこがよけいに目立つ。いま流れている「Love Ballade」なんていわゆるジャズとは思えないほど崩してなく正調である。まるでリチャード・クレイダーマンみたいなんだけど(笑)でも確実に違っている。

 と思いつつも、やはり我慢ならずきょうの夕方削除した。何人かのジャズメンのアルバムからドラムソロのある気に入らない曲を削除したのはこれで10曲目ぐらいだろうか。ある意味、自分好みに磨かれてきているとも言えるのだが……。
 ドラム好きの人にとってはいちばんわくわくするのであろうその瞬間が、こちらにはノイズとなり、仕事の手を止めるものになってしまうだから人の好みはそれぞれである。
1/28
●目先を変えるだけで

 パソコンに向かっているときはいつも音楽が流れている。たまに無音で書きたいモノもあり、そのときは消す。そんな文もたまには必要だろう。深夜に無音になれる環境にいることはうれしい。
 私がここ数年愛用している音楽再生ソフトウェアは、KbMediaプレイヤというフリーソフトである。有料ソフト、シェアウェアとずいぶん使ってみたが(なにしろそういう使い分けが生き甲斐みたいなものなのだから)、ここのところこれに落ち着いている。エクスプローラー風で使いやすい。唯一の缺点(と言ったら失礼だけど)は、UNIXに対応していないのでタイ文字タイトルのタイCD等が再生できないことである。「UNIXに対応していないから」とは作者のホームページにおじゃまして質問したときの識者からの答である。

 そういう場所に出かけて質問するなんてことはいままでに合計して十回もしていない。失礼のないように使わせてもらっているお礼から礼儀正しく始めたりすると、我ながらどうにもネットにはふさわしくない長文になってしまうからだ。まあそうせねばならないような用事もめったに起きない。
 このソフトに関しては愛用させてもらっていたので、タイ語のCDが再生できないのはなぜなのでしょうかと質問してみた。MSのMedia Playerはできるので、なんとしてもこっちで聞きたかったのだ。私はどこかをひょいと切り替えるだけで簡単に再生可能になると思いこんでいた。

 作者のかたはそんなことが起きるとは予想外だったようで(タイのCDを自分の作ったソフトでかけようとする人がいる、という発想はなかったのだろう)、いったいどういう状態になるのですかと逆質問してきた。まあ一言で言うと文字化けであり、クリックしても反応がない。作者のかたは戸惑っていたが、すぐに常連のかたが、「KbMedia PlayerはUNIX対応ではないのでタイ語には対応しない」と教えてくれた。納得した。たま~にタイの歌を聞きたくなるときがあるのだが、それはMedia Playerが対応しているからそれでいいだろう。タイ語の歌が聴きたくなるなんてほんとにたま~であるし。いまの私はまず歌を聴かない。インストばかりだ。
 
 使いやすいこのソフトで再生すると、エクスプローラ風であるから、どうしても気に入ったアルバムをクリックして再生することになる。あれこれ幅広く聞いているようで、限られた好きなアルバムを繰り返しているだけだ。結果的にそうなっていることに気づいた。

 先日のmomoさんのiPod7000曲に刺激を受けて、ひさしぶりにいま自分のHDDに何曲入っているのか調べてみた。これに使うのはMedia Jukeboxというこれまたすばらしいフリーソフトである。これはたしか上位版に有料ソフトがあるのだったか。HDDに何曲入っているか調べるには、これで探させるのがいちばんい。すっかりご無沙汰していたのでひさしぶりに使ってみた。HDDから曲を集めてこいと命令するとすごい勢いで探し始める。そうし出た数字が6700だった。

 KbMedia Playerがエクスプローラのように選択して使うのに対し、こちらは読み込んだアルファベット曲名順に6700ずらりと並ぶ。そこから自分でピックアップして再生したりするのが本来の使いかたのようである。ずぼらな私はアルファベット順に並んだ6千余曲を適当に流してくれとそのままにする。するとアルファベット順に機械的に再生されるそれらの曲は、様々なものがジャンルに関係なく混じり合っているので、何年ぶりかで聞く懐かしい歌モノや、まったく聞いていなかったモノが流れてきてやたらに新鮮なのである。いまもなじみのない、でもいいサックスが流れてくるから曲名を確かめに行ったら「All need is you」という曲でDavid Sanbornだった。ふだんは聞かないがアルファベット順なのでAの曲名として流れてきたのである。

 エクスプローラ風のKbMedia PlayerからDavid Sanbornの名を探し出してかけることはまずない。考えてみると6千余曲ある中からほんの20枚程度のアルバム、合計200から300曲程度の中から、毎日とっかえひっかえ繰り返し聞いていたような気がする。6千余曲を自由自在に聴きまくっているようでいて、こぢんまりとまとまっていたのだ。もったいないことである。

 と書いていたらいきなりラップのダンスMusicが流れてきた。大嫌いである。急いで先送りする。こういうのはタイで買ってきた「2003 ベストヒットポップス」のようなものに入っている。1枚100バーツでその年のヒット曲(もちろん西洋です)が150曲ぐらい入っているから役に立つこともあるだろうと買っては来るが、まず聞かない。これはまあ消してもいい。すると今度はこれまたまったく覚えのない中国の昔風笛音楽が流れてきた。これは記憶にある。妻が私が二胡を好きなことを知っていてお土産に買ってきてくれたものだ。草笛のような楽器で中国の古典音楽、日本で言うと唱歌のようなものを演奏している。ひなびていてたまに聞くといい。いやはや趣向に飛んでいる(笑)。
 再生ソフトを替えるだけでこんなにも同じHDD内の音楽が違ってくる。気分転換は簡単なのだ。
1/29(土)
●Cafe de Marと出会う


 そうして私はきょう、Cafe de Mar なるものを知った。こんなのが自分のHDDに入っていることすら知らなかった。こりゃBGMとして最高である。ちょっとはまりそうだ。ネットで調べたらBGMファンには超有名定番であるらしい。いやでもほんと、私のBGMには最高だ。掘り出し物発見。超有名売れ筋を掘り出し物なんて言ったら笑われるか。下はネットで探してきたアルバム写真。

 

 こりゃいいなあと気に入って何度も聞いているのだがいまだにそれがなんなのかわからない(笑)。
 ネットで調べたら《「カフェ・デル・マー」とは夏場各国より世界的著名人をはじめ多くの人々がホリデーを過ごしに訪れるスペイン・イビザ島、サン・アントニオに位置する世界で最高との呼び声の高い人気カフェ/サンセット・バー。 ブルーノ・レプレトレはそのレジデントDJであり、同名の大ヒットコンピレーション・アルバムのコンパイルも務める。》とあった。

 推測するに、人気喫茶店がその名前を冠して出すシリーズ物寄せ集めCDであり、選曲はそこのマスターがやってる、ノヨウナコトであろう。ジャズ評論家が選ぶ「ジャズ名曲選──トワイライトピアノ」なんてのと同じだ。ジャズ評論家も喫茶店経営者は多い。
「cafe del marの××を聞きながら海辺をドライヴすると最高」のようなブログの文章も読んだ。××にはアルバムタイトルが入る。基本コンセプトは「心地いいBGM」で統一していても、それぞれヴォリューム毎に趣向を凝らしているのだろう。私がもっていたものにはcincoとあった。いくつだっけ。スペイン語で5かな。恥をかかないよう一応語学本を出して確認してみる。

 スペイン語の勉強もその気になってCD附き教科書を何冊も買いこんだ。私の場合、より興味を持ったのは風景と飯が気に入ったポルトガルだったが、燃えて学ぶこともなく投げてしまった。やはりポルトガルで夢中になる美女と知り合わなかったことが大きい。ことばを覚えるにはその地の女と住むのがいちばん、とは昔からの定説だが、私にはその前の、その地の女に興味を持つ、この女と親しくなりたいと思う、が重要だと感じられる。ポルトガルはそこまでゆけなかった。
 南米は知らない。「もしもブラジルで美女にはまっていたら」、と考える。どうなっていたろう。こう書くと女の話になりそうだが、続くのは「グレイシ柔術に対する感覚もかわっていたかもしれない」とそっち方面になる。私の場合(笑)。

 かの有名なバックパッカーの名言「金の北米、女の南米、歴史のアジア、耐えてアフリカ、なにもないのがヨーロッパ、問題外のオセアニア」で言うなら、「女の南米」を知らないまま死ぬのは最後に悔やむかもしれない。ブラジルのあのグラマラス最強美女に私の日本刀で挑んでみたかった(笑)。でもそんなところにはまったらコロンビアあたりで殺されてたかもしれないな。あの物騒な国は本当に美人の産地だ。

 餘談ながらこの有名な名言をオーストラリア観光局後援のオーストラリアの紀行文に引用したら、担当者がこの「問題外のオセアニア」に激怒したらしく(笑)、癇癪持ちの女(日本語ペラペラ。身長190の大女。美人)が編輯長にかみつくように抗議してきて閉口したと言われた。編輯長にはすみませんと謝ったが、「でもああいう切り口もありですよね」には、おおきく頷いてくれた。というのは、その編輯長も若いころシベリア鉄道でヨーロッパに渡り世界を放浪したバックパッカーの元祖みたいな人で、彼もまた「問題外」とオセアニアには興味がなくいまだに行ったことがない人だったからである。
 つまらないところだ。きらいな人間がみな大好きなので、よくできているものだと感心する。質の悪い女が留学するのもきまってここで、 さすがに友人の娘にも多かったりするから、大きな声では言わないようにしているが。とまた脱線してしまった。オセアニアではなくスペインの話。

 しかしよくできたコンピアルバムである。先日のオスカー・ピーターソンのアルバムのように、静かな曲に続くドラムソロのようなバラバラの選曲ではなく、心地よいBGMに徹している。(オスカーの場合はライヴ版であり、静もあれば動もあるのは至極当然の選曲になる。BGMにしようというこちらがまちがっているのだけれど。)

 さてこのアルバムはどこから来たのだろう。考えられるのはらいぶさんにチェンマイで買ってきてもらった23枚の寄せ集めジャズアルバムである。99%これと思われる。KennyGの隣あたりに入っていたのではないか。今から一枚一枚確かめてみるつもりだ。
 1%、M先輩からもらってきたCDにあり、私が自分で入れた可能性もある。う~む、どうなのだろう。M先輩からもらってきたものの中にこれがあった可能性は50%ぐらいあるのだが、せっかくもらってきながらいまだに封を切っていない物すらあり、私がジャケットのそういう惹句を読んでわざわざHDDに入れたとなると可能性は一気に10%まで下がり、そこまでしたならいくらなんでも記憶しているはずだから、憶えていないということは、で1%になってしまうのである。正解が楽しみだ。たどりつけるかどうかわからないが。

 もしもタイのそれに入っていたならタイに行く楽しみができる。そうだったなら、まずまちがいなくCafe de Marのアルバムばかり集めた違法CDがあるはずだから一気に全作そろえられる。残念ながらいまのところ私に訪タイの予定はないが、そのときはらいぶさんにお願いしよう。さて探してみるか。

【附記】──Jazz9
 らいぶさんに買ってきてもらったJazz9に入っていた。入れ間違い、見過ごしでもっとないかと探したがこれだけだった。残念だ。気に入ったのでもっと聞きたい。まあ先の楽しみにとっておこう。

●エンコード初体験
 momoさんのiPod、40GB7000曲に比して、どうも私は容量的に分が悪い。なぜなんだろうと考えていたら、CDから読み込んだ音源がそのままのWave Fileとしてあるからだと気づいた。

 タイで買ってきたクラシックやジャズのCDはもともとMP3で10分の1に圧縮してある。だから1枚のCDの中に700MBのCDを10枚も入れることができる。20枚も入っているのもあるからもっと圧縮してあるのか。そうなるとかなり音質も落ちるだろう。小さなスピーカーで聞いているので気にならないけれど。
 それらと同じぐらい私は自分のCDをHDDに入れていた。「CDマニピュレーター」を使ってリッピングしたそれらの容量はそのままである。1曲45MB、十数曲でCD1枚700MBそのままだった。CD10枚なら7GB、30枚で21GBを食っていたのである。このWave FileをMP3にエンコードすれば21GBが2GBになる。それでやっとmomoさんに肩を並べられるってもんである。

 ということで早速やってみることにした。WaveからMP3への変換ソフト=エンコードソフトはいくつかもっているが、いちばんふつうの「午後のコーダ」を使うことにした。これ前々から知っている有名ソフトなのだが、裝幀がロリコンマンガっぽくてついてゆけないところがある。かといって定番の外国製ソフトCDexを日本語化するのも面倒だったので(結局このあとそれをしたのだけれど)これを使ってみた。いやこういう言いかたはきちんとしないと。使わせてもらった。ありがとうございます。こんな高性能なものがフリーなのだからありがたい。文句なしの能力でした。

 結果、私の音楽を納めてあるHDDの容量は、70GBから56GBに減った。効果覿面である。14GBも縮められた。それでもmomoさんと比べるとまだ分が悪い。なんだろうね、これ。圧縮率の差かな。私は「標準」とされている11分の1にした。18分の1まで選べるようだから、そっちにしたらもっと小さくなる。
 いや、ソフトが違うのか。と考えていた夕方、タイミングよくmomoさんから電話。運転中だったので急いで路肩による。もう交通違反ほどもったいない金はない。ケイタイの罰金って6千円だっけ?
 momoさんが圧縮ソフトをCDで送ってくれるそうだ。ありがとう。それを使えばiPod並の圧縮ができるのか。楽しみである。

 もうひとつ思ったのは、エンコードでCPU使用率100%になって必死にがんばっているパソコンのこと。これこそパソコンの底力が最も如実に出る作業なのである。これにこそ能力を発揮するいとしいDualCpuパソコンなのに、いちどもこれをしないままだった。いま非力な自作四号が顔を真っ赤にしてがんばっているのを見ると、死んだ子の齢を数えたくなる。遅々として進まないエンコード作業の棒グラフ(?)を見ながら、馬鹿力のDualCpuバソコンを偲んだ。あいつだったらこんなこと、顔色ひとつ変えずに軽々とこなしたのにな、と。

【附記】
 明け方、音楽を入れているパーティションからWave Fileを見つけてはMP3にエンコードし続けたら、最終的に42GBになった。70から42だからおおきい。

 2/1 さらに見逃しファイルを探して変換した結果38GBまで縮まった。もう見逃しはないのでこれで仕上がりである。70GBが38GB。半分近くなった。大満足である。もっと早くやればよかった。
1/28
●ヨー・ヨーマー──新シルクロードのテーマ

 現在NHKで「新シルクロード」が作られているそうだ。前回はKitaroの音楽も話題になった。今回の音楽担当はチェリスト、ヨー・ヨーマーだという。その録音、演奏風景が入っていた。後藤さんの送ってくれた『冬ソナ』の末尾に。
 大好きな天才チェリストの演奏を映像で見るのは初めてだったので昂奮した。曲もいい。彼がチェロの弦をはじいたりして効果音的な演出をしているシーンではわくわくした。妻が「中国人なのになんでこんなに英語がうまいの」と尋いた。血は支那だが育ちはアメリカだ。

 KITAROのものもすばらしいのであろうが(タイで買ったCDで持っている)映像を見ていないので思いこみがない。好きな人はあの音楽が流れてきただけでシルクロードの風景を思い浮かべるのだろう。ということでいまBGMはそれにした。見ていなくても、これは砂漠の風をあらわしているんだろうなとかはわかる。「シルクロード」も「プロジェクトX」もよくできているのだろうが、かといってああいうNHKの番組を熱心に見たり、ましてヴィデオにとって保存、なんて感覚は私にはまったくない。もしも受信料が「見た分だけ払う」ものだったなら、私の場合はかなりやすい。ほんとに見ていない。それは人間として本質的に、「NHK的教養」と無縁だからだろう。

 私がNHKの「新シルクロード」を毎回楽しみに見ることはないだろうがヨー・ヨーマーの音楽は手にしそうである。

【附記】
 妻がKITAROの「シルクロード」を耳にして、いい音楽だと感想を言ってきた。cobaも好きだし、なかなかセンスがよろしい。リー・リトナーの「Alive in LA」でウェスの真似(ウェスよりうまいんだものなあ!)をした曲を聴いたときも即座にいいと反応した。テーマといえるしっかりしたメロディのあるものは受けつけるようである。テーマが短く、アドリブがメインのようなジャズはまだ騒音のようだ。なにより私がそうだったからこの気持ちはわかる。

【附記・2】
 後藤さんの作ってくれた『冬ソナ』DVDの末尾に入っていたニュースだから、もう「新シルクロード」ってとっくに放送が始まっているのかな。書いてから寝ぼけたこと書いちゃったかなと気づいた。もしかしたらまだかもしれないが。
 そのあとアップの際に調べて、今年の1月2日から始まったと知る。音楽目的で一回ぐらい見てみようか。
2/5
ハードロック音痴なのか……

 iTunesがいい音のストリングスを流している。パーシーフェイスか。調べると「Relax」に入っているそれだった。けっこう知っている。曲名はいいかげんでもメロディは口ずさめる。たまにはいいなあ、こういうのも。ただ基本的に海辺のさわやか音楽が多いから真冬には合わない。効果音の波の音を聞いていてたら寒くなってきた。

 イーグルスがヒットを連発しているころ、リッチー・ブラックモアが「あんな退屈な音楽がなんで流行るんだ」と憤慨していると読んだときは笑ってしまった。スビード命のリッキーには「Desperado」なんて理解できなかったのだろう。改造車スピードマニアの暴走族には馬車の魅力がわからないようなものだ。私が好きで知っているのはそのリッチーが「退屈」と言った音楽であり、知らないのはリッチーのような音楽だった。かろうじて友人のお蔭でDeep Purpleは何曲か知っているがRainbowになると一曲も知らない。ギターを燃やすまえに一瞬消え、露骨にボロなギターに持ち替えて燃やすとか(笑)そんなエピソードは映像で目にしている。そういえばそういうろくに知らない中で比較的Queenを覚えているのは曲風が獨自でありふれたロックではなかったからだろう。Santanaとか。

 日本物もクリエイションは「スピニングトーホールド」しか知らないし、これもプロレス関係で知っているだけだ。チャーはムスタングをもって歌謡番組で歌っていたこと(「気絶するほど悩ましい」)と、山崎ハコのバックで弾きまくったなんてエピソードしか知らない。

 と、自分の分析はできた。かといって勉強し直すというものでもないし、どうしましょう(笑)。

【附記】思い出の曲の染みこみ方
 いま思ったのは、やはり音楽は惚れ込んで聴いた時代のものが残るという明快な事実である。単純に言ってしまえばラジオだ。ラジオで聞いて、ああこの曲いいなあ、なんて言うんだろう、誰が歌ってるんだろう、と思ったものだけが残る。それは最近の私でもあるから、若い頃とは限らないようだ。
 思えば自分がハードロックの名曲を知らないという劣等感はむかしからあり、「その後に勉強」はしたのだ。たとえばツインギターのウイッシュボーンアッシュも当時話題だったレンタルレコード屋「友&愛」で借りてきてダビングした。90分テープで2本はあるだろう。FM東京で仕事を始め見本盤レコードが豊富に入るようになったM先輩からロックの名盤を借りてきてはカセットに落としたりもした。だがそういう勉強感覚で聞いたものは残らない。高校時代に覚えたはずの英単語をみんな忘れているのと同じだ。まったく知らない単語なのに辞書を開くと赤線が引いてあり、むかしは知っていたのだと確認して愕然とするように、その辺の段ボール箱に詰め込まれているカセットを探せば、かなりの知らないロック名曲が出てくるだろう。一所懸命聞いたはずだが心に染みこんではいない。
2/19
やっとベートーヴェン!?


 きのう借りてきた「読書の音楽」に「弦楽四重奏曲 皇帝 第2楽章」が入っていた。「皇帝」といえばベートーヴェンだが、これは弦楽四重奏だからハイドンだろう。たしか大好きな「ひばり」とペアで入っているCDを持っているはずだ。あれはどこにおいたか。
 聞いているうちに「皇帝」の連想から、無性にベートーヴェンが聞きたくなった。恥ずかしい話だが私はベートーヴェンをほとんど知らない。「運命」「田園」「喜びの歌」ぐらいだ。バッハとモーツァルトとショパンばかり聴いてきた。その他ラフマニノフやリストを聴いたりするけれど、巨匠ベートーヴェンに疎いことはコンプレックスのひとつでもあった。なぜか近寄りがたくあまりに人間くさい天才を敬遠していたのは事実である。好きな人はその苦悩と人間くささを愛するのだろうが。
 その点モーツァルトはいい。人類史上稀に見る天才である。しかも幼児から天才とあがめられたのでまともな人間ではない(笑)。スカトロが大好きだったりするのも好ましい。それが天才ってもんだ。それでいてあの神としか思えない美しいメロディを紡ぎ出す。私はこんなタイプの天才が好きだ。(つまり運動万能の武豊ではなくキャッチボールも出来ない運動音痴の福永洋一である)。モーツァルト好きのベートーヴェン嫌いは私の感性としてはごくまともだった。
 それがハイドンを聴いているうちに猛烈にベートーヴェンを聞きたくなってきた。これを逃す手はない。ベートーヴェンなら田舎の図書館にも結構そろっているだろう。早速出かけることにした。
2/22
 やっぱり無理かベートーヴェン!?

 過日決意したベートーヴェンを図書館から借りてきた。交響曲には歯が立たないのでまずは得意分野(?)であるヴァイオリンソナタから入ってみた。
 でもやっぱり違う。一聴してすぐに、これはなあ……と思ってしまった。苦悩なのである。深刻なのだ。日々鬱なのでお日様ぽかぽか春の野原でるんるんるんを聴きたいのに、人生ってなんだ、人間てなんだ、おぉおぉ懊悩よ苦悩よって、いやんなる。

 ベートーヴェンの音楽は大平洋の荒波なのである。それに頭からつっこんでゆくサーファーや砕け散る怒濤に「うおお、感動したあ!」「日本の夜明けじゃあ!」と叫ぶタイプにはこれぞ音楽なのであろうが、静かに打ち寄せる小波に砂浜の貝殻を拾い詩を語りたいタイプには頭からざんぶと波をかぶると「なんなのよ、これ」になってしまう。私は人間として男としてベートーヴェンの荒波に頭からつっこまねばならないとわかっているのだが、そこまでの気力体力もないまま、びしょ濡れになって「なんだかなあ」とつぶやいている。
 ベートーヴェン好きには私の好きな弦楽四重奏なんてのは腑抜けの音楽なのだろう。わかっている。私もそう思う。ぎとぎとのブルースばかり聞いているとき、カーペンターズやリチャード・クレイダーマンなんぞを聞いている連中を鼻くそだと思っていた。かといっていまそれらが好きになったわけではないのだけれど、いやいまも嫌いだけれど、ぎとぎとのブルースを聞かなくなったのも事実。
 ベートーヴェンという人はエネルギッシュだったのだろう。後輩の音楽家が彼の交響曲を聴いてあまりのその壮大な熱情にやる気をなくしてしまったという事実が理解できる。圧倒的だ。ベートーヴェンを真っ向から聞いて励みにする人は、それだけのやる気に満ちた社会的な成功者なのではないか。脱力腑抜けの私が合わないのはとうぜんだ。
 好きにならねば、真っ向勝負せねばと思うのだが、いまの私には無理のようである。「いつかベートーヴェン」とは思いたいが。
2/25
 Poncho Sanchez発見!

 iTunesでアトランダムに音楽を流していたら好みのいい音楽が流れてきた。いったいどこに入っているんだと調べたら「不明なアルバムの不明なアーティスト」に分類されている。まったくこのiTunesの勝手な分類は迷惑だ。ファイル名を書き換え並べ替えて、どこになにを挿れたかわからなくなってしまった。でももちろんそれはぼくが「iTunes流に分類しますか?」という項目のボタンを「よろしくお願いします」と押したことが原因である。責任はぼくにある。でもこれなんとかもとにもどしてくれないか。わけわからん。困っている。なにしろ7千曲のうちメインの5千曲はタイで買ってきた寄せ集めCDである。ミュージシャン名やアルバム名のスペルミスなどもありそれがみんな不明なアーティストにされてしまったのだろう。とにかく「不明なアーティスト」がやたら多く、その中にはこういうきちんとしたアルバムもあるから、いったいどういう経緯でそうなってしまったのだろうと不思議でならない。

 その不明なアルバムの不明なアーティストというファイルをたどって行き、それがPoncho Sanchez、ポンチョ・サンセというドン・キホーテの登場人物みたいなミュージシャンだと知る。まったく知らない。早速ネットにつないだ。アナログ回線なのでネットは一日10分と決めているのだがここまで惹かれる人のことを調べるのだからそんなこと言っていられない。
 そうしてこれが「グラミー賞を受賞した『Latin Soul』という作品」であり、彼はラテンジャズのコンガ奏者だと知る。

 しかしこのアルバムの発売が2003年6月となっている。どうしてぼくのHDDに入っているのだろう。らいぶさんに買ってきてもらったJazzCDの最新23あたりに入っていたのか。momoさんにもらった素材か。あるいはぼくがM先輩にもらったものの中から自分で入れたのか。そのうち出自ははっきりするだろうが、こういう発見はうれしい。ひなびた雪国の奥で凍える暮らしをしているようなぼくにも青い空と揺れる椰子の木、真夏の風が吹いてきた。ありがたい。

【附記】いったいどこから?
 らいぶさんからのCDを調べたが違う。momoさんにもらった素材にもないようだ。いったいどこからこれは来たのか。わからん。
2/27
 Poncho Sanchezのソース発見!

 午後八時に帰宅してメイルチェック。
 momoさんがPoncho Sanchezに関して「アメリカのアマゾンで見ると1999年の発売ですからおそらくタイのmp3の中でしょう」と指摘してくれた。なるほど、それなら可能性がある。
 しかしこの時点ではまだ半信半疑だった。タイで買ってきたmp3CDは一通りチェックしたのである。なのに見つからなかったし、入れるときは手動だから「おお彼のあの有名アルバムがある」「この人しらないなあ。どんなミュージシャンなんだろう」と思ったりする。機械的に入れているつもりはない。なのにまったく記憶にない。ほんとにあるんだろうか。

 本来だと疑問を抱いたままそれこそ半年経っても解決していなかったろう。ところが前記のようにHDDの音楽ファイルを消してしまったものだから、らいぶさんに買ってきてもらったJazz23枚と自分の持っている数十枚を入れ直さねばならなくなった。まずはらいぶさんに買ってきてもらった23枚である。いつもと違い目を皿のようにして収録内容をチェックした。ここで見つからないといったいどこから来たものかわからなくなる。真剣に見た。

 するとあったのである。Jazz12に「PONCHO SANCHEZ」と。アメリカで99年発売だそうだから時期的に合う。タイは日本よりも早い。2000年の「チェンマイ日記」に書いたが、アメリカで8月に発売になり日本では10月に発売予定の最新「ノートン」がすでにバンコクでは8月に違法コピーで出回っていた。もちろん英語版だがたった百バーツで試せるのだから楽しい。
 この寄せ集めJazzCDがどういう年度に出たのかはわからない。たしかなのは私がネットで見た「2003年6月発売」とは無関係ということだ。こんなに新しくはない。そのころもう17を買っていた。やはりこれはmomoさん情報の「1999年発売」が正しいのだ。鍵はそこだった。それがなければ発見もなかったろう。ともあれ一安心。momoさんありがとう。

 いつも思うことだが、いいなあと思うものはきちんと賞をもらっていたりする。今回もそうだった。
 同じような形でなにも知らず初めてNorah Jonesを聴いたとき、寒気がするほど感激した。なんなんだ、この女は、と思った。調べたら賞を総なめにした大傑作アルバムで、血筋もまたシタール奏者のラビ・シャンカールの娘と申し分ないのだった。よくできているものである。
 と書いていたらノラを聴きたくなった。ノラや。って内田百閒か(笑)。
3/3  テレサの偉大さ

 まずは過日の勘違いを訂正しておかねばならない。何年も前に昆明で買ったテレサ・テンのCDに『冬ソナ』の曲が入っていたと書いたのだが、それは名曲スタンダードナンバー「You light up my life」だった。『冬ソナ』の挿入歌ではあるが「愛はかげろう」ではない。勘違いした。惚けている。お恥ずかしい。(ただしその後、いくら調べても『冬ソナ』の音楽CD等にこの曲名が登場しないのである。どういうことなのだろう。現在調査中。)

 テレサの「You light up my life」(中国名・「我不再迷惘」)を聴きつつHDD内を調べてみると、本歌のDebby BooneとWhitney Houstonの歌唱が入っていた。さすが7千曲の威力。
 聞き比べる。

 三者三様にすばらしいが、あらためてまたこれらの白人黒人歌手の名歌唱とテレサが五分であることに(いや私の中じゃ圧勝ですけどね)しみじみと感激した。なんでこんなにすごいんだテレサ・テン。
 音楽通ならDebby Booneのこの有名曲と名歌唱を知っているだろうし、ホイットニーは誰もが認める実力抜群の歌姫だ。だけどテレサはどうだろう。彼女を「台湾からやってきた歌謡曲を歌っていた人」「愛人だとかつぐないだとかを歌っていていたまん丸い顔の歌手」としか認識していないと彼女の桁違いの能力は理解できない。いやかくいう私も旅に出なければ気づくことはなかった。これはアジアを旅してよかったことの筆頭にあげねばならない。
 西洋の歌姫たちと堂々と渡り合えるこれほどの歌手はアジアにいない。日本になどいるはずもない。旅行作家・下川祐治の名言「テレサ・テンを台湾の美空ひばりというのは失礼だ。アジア全域における彼女の知名度と愛され方を見よ。美空ひばりが日本のテレサ・テンにすぎない」を思い出す。まったくこのアジアの歌姫の秀でた実力には感服する。北京語で歌う「You light up my life」がホイットニーのそれと遜色ないのを聴いて惚れ直した。なんだか我が事のように誇らしい。たとえばグラミー賞の舞台。彼女が選ばれて呼ばれる。小柄なまん丸い顔のチャイニーズだ。ルックスは大柄な白人国人歌手の中で目立たない。だが歌い終ったとき会場は万雷の拍手に包まれるだろう。そんなシーンを想像する。

 晩年の彼女(私と同じ年なんですけど)は、もういちど日本で大ヒット曲を出したいと願っていたようだ。テープやCDがアジア中に出回り老いも若きも貧乏人も金持ちも、誰もが知っている知名度抜群の歌手であった彼女だが、それらはみな著作権や歌唱印税とは無縁の世界だったろうから、彼女のこだわるステイタスはそんなところにあったのだろう。もしかしたら彼女はここまでみんなに愛され認められている自分のすごさに気づいていなかったのではないか。無冠だが最強の王者とは彼女のような人を言うのだろう。コーナーポストに駆け上り、「Forever!」と叫びたい心境である。
 私はこれからもタイや中国で彼女のCDを見つけるたびに買い求めるだろう。それは単なる日常の一こま、というか習慣でしかないが、そういう中、たまに今回のようなことがあると、彼女が最強であることを確認して我が誇りとするのだ。しあわせである。彼女もファンも。

 カントリーロック──ルチンダ・ウイリアムス

 iTunesから流れてきた。HDDに入っていたようだ。初めて聴く。なかなかいいなと感じたので調べてみた。98年のアルバムのようだ。女シンガー。いわゆるカントリー系のロックである。ネットで調べたら「もうルチンダ・ウイリアムスが大大大好きなんです」なんてブログがあった。大ファンの多い人のようだ。その後も何枚もアルバムが出ているがこれがいちばんいいと言う人が多いからいいものを聴いたことになる。

 もうだいぶ前からラジオを聴かなくなり、偶然耳にしたものを「おっ、これいいな」と探す習慣がなくなった。理由は簡明でラジオを聴いていると「おっ、これいいな」よりも圧倒的に「あ、これヤダな」のほうが多く、そのたびにスイッチを切るわけには行かないからである。いや、そのたびにスイッチを切っていたのだ。そのことに疲れてしまい聴かなくなった。音楽よりまずあの巻き舌英語みたいなネーチャンのしゃべりがイヤでイヤでたまらなかった。玉石混淆の世の中だから玉をひとつ見つけるためには石ころをいっぱい手にしなければならないのだが、私の人生観は、玉なんかいらないから石ころに触りたくない、である。そうしてすっかり世に疎くなってしまったが、これなんかもラジオを聴いていたらまちがいなく一聴して気に入り入手していた音楽になる。七年遅れか。でもこんなもの何年遅れだろうと知れればそれでいい。遅すぎることはない。

 そう考えるとHDDに7千曲を入れてアトランダム再生をし、気に入った曲があったらこうして調べ「お気に入り」リストに入れ、気に入らないラップなんぞが流れてきたら急いで削除するという作業は、假想ラジオ局体験なのだなと思う。基本的に気に入ったものしか入れてないがタイで買ってきた年度毎のHit Pop集とかがあるからたまに絶対受け入れられないのが流れてきたりする。その削除作業もそれはそれで楽しい。それでもさすがにDance Nunber Hit集は入れなかった。おそらくぜんぶ削除対象だからだ。

 カントリー系の女ロックシンガーというと真っ先にリンダ・ロンシュタッドが思い浮かぶ。大好きだった。Eaglesとかあの辺はみなカントリーをバックに持っている。だが彼女がロックを卒業し、ストリングスをバックに「What's New」を歌い始めたとき、私はそれに着いて行けなかった。まだJazzがわからなかった時代だ。なんだか自分の好きな人が小難しい世界に走ってしまったようで置いてけぼりをくったさみしさを感じたものだった。
 いまはそれがわかる。だいぶ間が空いてしまったが、彼女がこういう冒険をしておいてくれたことがありがたい。全アルバムをもっているのでぼちぼち聴いてゆこう。いい加減なものでむしろ今はあの大好きだった「It's So Easy」とかを聴く気がない。変るものである。我ながら。

 ところでこのルチンダもいったいどこから来たのだろう。自分の素材なのは間違いない。でもなあロックオムニバスはもってないし。BluesとかR&Bの寄せ集めに迷い込んでいたのだろうか。ぜひとも出自を知りたいところである。先日CCRのCDを入れていたら全然彼らに関係のない人のアルバムも入っていた(笑)。ひどい話だ。さすがタイである。でもこんないい加減さもどこでどんな出会いがあるかわからないので楽しいとも言える。

 というところでリンダの「What's New」を聴くことにした。ついでに他のミュージシャンを調べる。たしかマイルスがあったと記憶している。
 iTunesに調べなさいと命令すると一覧が出た。Lindaのほかに、Frank Sinatra、Keiko Leeが歌として、J.J.Johnson、Miles Davis、George Bensonがインストとして入っていた。ありがたい時代だ。これを一々CDで聞き比べるとなったらたいへんな手間暇だ。私だったら6枚のCDをそろえた時点で萎える。いやきっと探している最中にもういいや、になる。また、だったらそういう趣向のものを集めてCDに焼いておくぞ、というのも面倒である。だいたいがいま一瞬の趣向として思ったのであり、同じ曲を6曲CDに焼いて毎日聴くものでもあるまい。思いつきとしてすぐ楽しめるからこそすごいのである。いやはやなんとも快適である。
3/10
 サントリーCM集「Chai」──妻の感覚
 momoさんからサントリーウーロン茶のCMソング集をもらった。これはそういう企画CDとしては大ヒットしたものである。話題になったのはもう一年以上前になるのか。私もここにある中国語の「鉄腕アトム」と「ライク・ア・ヴァージン」が大好きだったので買おうと思った。やがて買うほどでもないかと借りようと思った。すると田舎のレンタルヴィデオ屋では1枚しか置いてないからいつも貸し出し中なのだった。そうこうしているうちにどうでもよくなった。
 というのは単にいい加減なだけではなく、「CMソングなんてのはCMとしてチラっと聴くからいいのであって丸々CD1枚聴くものでもあるまい」と思えてきたのだ。たぶん買うにしろ借りるにしろ意外に期待はずれなのではないかと。これが穴から出られなくなった山椒魚の現状肯定であったのかどうかはしらない。でもそう思い、すっかり忘れた形で先日まで来たのだった。それがmomoさんが送ってくれたCDの中にあってすこしばかり時季外れで聴くことになったのである。

 果たしてどう感じるかとけっこう楽しみに聴いた。感想は、珍しく「予想した通り」というものだった。テレビで素朴な中国娘が陽射しの柔らかい野原で口ずさむような歌を映像とともに30秒ぐらい聴くと抜群によかったあれらも、立て続けに正面からフルコーラスで聴くとたいしたものではなかったのである。なるほどこれはたしかに「一瞬のイメイジを大切にするCMソング集なのだ」と思った。企画物としては記録的なヒット商品となったが、案外全国では私と同じように「すんげえ期待して買ったんだけど、その割りにはたいしたことなかったな」という人が多かったのではないか。私はmomoさんからのもらいものなのでおおきなことは言えないが。

 妻の反応がおもしろかった。まず妻はこのCDの歌を聴いてくすくす笑ったのである。「この人たち、歌がへただ」と。なんでこんな歌のへたな連中が北京語で歌を歌い日本でCDを出せるのか不思議でならなかったようだ。妻にとって歌手とは図抜けた歌唱力をもった人のことだった。
 あえて説明するのも無粋だが、歌のうまい中国娘はいくらでもいたことだろう。オーディションにおいて仕掛け人は、自然の陽光、そよ風、小川のせせらぎを感じさせるような素朴な歌声の持ち主を捜したのだ。歌っているのは声量もなければ音程もあやしいいかにも素人娘というタイプである。その素朴さが中国の田舎で農作業をしながら口ずさんでいるのを盗み撮り(録り)したような味わいを出したのだ。もちろんそれも仕掛けだけれど。
 その意図は妻にも伝わった。彼女は「なんてへたな人たちだ」と笑ったが、次いで「この娘たちは気持ちのいい娘だ」とも言ったのである。CMプロデューサの狙いはそこであるから見事に意図は云南の山奥娘にも通じたことになる。

 妻の帰国時に写真のプリントと一緒にCDをコピーしてあげたりした。このCDもきっと大好きに違いないとコピーして作ったのだが妻はいらないと断り置いていった。いくら「気持ちのやさしい歌い手」と認めても、素人の鼻歌のようなCDはわざわざ云南まで持ってゆくには値しないようだった。これまた私の旅立ちと同じように彼女も10グラム単位の荷造りをしていたから、その辺の判断はシビアである。実際彼女が家でCDをかけていると近所の友人やおばさんがよってきて聞き惚れたり歌手名を訪ねたりするらしいのだが、このCDはきっとみんなの苦笑の種になったろう。なんてへたな歌手だ。なんで日本ではこんなへたが歌手になれるのだ。これだったらあたしの方がうまいではないかと。みんな首をひねったはずだ。あくまでもこのCDの価値は映像と一緒になった日本という国のCMとして存在するのだ。
 非常にせこくてプレゼントしてくれたmomoさんに失礼な言いかたになるが、もらえてよかった。私はこれを3千円で買っていたらけっこう悔やんだ。だまされた、と思った。話題に踊らされたと。そのだまされて学んだものは充分に3千円の価値はあったにせよ。勉強になった1枚だった。

 ところで大嫌いな「結婚しようよ」も中国語だとそれほど反感もなく聞ける。でもこんなのは中国では発売されないから関係ないけれど、これを中国人が聞いたら相当奇妙に思うだろう。どういう歌なのか理解できまい。
「ぼくの髪が肩まで伸びて君と同じになったら約束通り町の教会で結婚しようよ」
 なぜ男の髪が女と同じく肩まで伸びたら結婚するのか。なぜこいつは男のくせにそんなに髪を伸ばすのか。なにか願掛けでもしているのか。宗教か。町の教会でということはこいつらはキリスト教徒か。約束とはなんだ。革命か。ほんとにまあみょうちくりんな歌である、と。でもなにも中国人に限らずいまの日本人が聞いてもそうとうヘンな歌ではある(笑)。
3/10
 Winton Kelly──Jazzと落語

 ただいまBGMはWinton Kellyの{Kelly Blue}。いいなあ。名盤だ。この人も三十五で死んじゃったんだな、たしか。いいピアノ弾きだ。Forever!
 この作品にはいいフルートが入る。これ吹いてるの誰だっけなあと解説本を探した。「名演シリーズ」の「名演 Jazz Piano」を手にする。ボビー・ジャスパーか。コルネットはナット・アダレイ。バップ時代のマイルスみたいな渋くて丸い音を出している。
 この本のアルバム解説文はじつによい。手写しするにはちと長い。スキャンすることにした。こういうことには熱心だ。やり始めたらけっこう面倒で誤字脱字直しでめげそうになる。でもなんとか完成。

《昔からジャズ・ファンの中には落語好きがけっこう集まっていて、ジャズ喫茶でも落語談議に夢中になってしまうことがある。と言ってもコルトレーンと円生の芸風の違いについてなどという高尚な話はまず出ない。ジャズと落語などというマイナーな趣味を持ってしまった悲惨な境遇をお互いに確認しあうという情ないことになってしまったりする。女の子とニ人きりになった時に持ち出す話題でジャズと落語というのは、最悪の組み合わせであると決まっている。断言するが、女の子に向かって、志ん生のレコードをかけ放しにしながらうつらうつらするのはこの世の極楽だ! なんて決して言ってはいけない。ウィントン・ケリーのレコードであっても然り。しかし、ウィントン・ケリーのピアノというものは、いかにも江戸前というような歯切れのいい調子で、粋という言葉を使いたくなるくらいだ。出過ぎず、やり過ぎず、それでいてメロディの歌わせ方は小気味のいいほどシャープだ。
 さて、『ケリー・ブルー』というアルバムについて言えば、ポール・チェンバース、ジミー・コブという当時のマイルス・グループのリズム隊で、そのシャキシャキとした歯切れの良さは、日本人好みのファンキーな味わいを出している。タイトル曲である「ケリー・ブルー」では、アダレイ、ジャスパー、ゴルソンが嫌味のないソフトなアンサンブルで、ナツメロを聞いている時のような、甘酸っぱい思いをかきたてる。(織戸優)》



 そういえば落語家にもジャズファンが多い。よくできているものだ。差詰めスタンダードナンバーが古典になる。
 ぼくはジャズではスタンダードナンバーばかり聴いている。ただしこれはその程度のレヴェルのファンであるということだ。朝から晩までジャズばかり聴いている音楽ファンだったなら新作にも興味を持つのだろうが未だにスタンダードナンバーを語るほどの知識も有していないのだからまだまだ聴かねばならい。
 落語は子供のころは新作落語が好きだったが(だから好きな落語家は圧倒的に芸術協会のほうだった。米丸とか柳昇とか)、このごろやっと古典を聞き比べたりしている。これはジャズと逆で子供のときは古典のおもしろさがわからなかったからだ。これからどうなるのだろう。ジャズも落語も古典好きのままという気がするが。
3/12  他人の評価に揺らぐ!?

 昨夜Bill Evansの「Bill Evans Trio──At Shelly's Mann Hole」を聴いていた。数日前図書館で見つけたものである。自分のもっていないBill Evansが田舎の図書館にあるとは思わなかったからほくほく顔で借りてきた。
 意外に良い。いやかなり良い。いやいやそれどころかこれ名盤じゃないか。ベースとの絡みが特にいい。思わずジャズ本を取り出して調べていた。持っていなかったというのはいわゆる「名盤」として絶賛されていなかったからであろう。恥ずかしい話だがそういうものを手本に収集してきたのは事実だ。手探りだったのだから道しるべを頼ったのはしかたない。かといって今がマスターなわけでもない。敢えて言うなら相変わらず闇夜の手探り状態だが転ぶことが怖くなくなった、とでもなるか。

 ところが、というかやはりというか、何冊かのジャズピアノに関する本の推薦アルバムにこれが入っていないのである。10冊以上探したがどこにもなかった。評論家は3枚ぐらいの紹介になるからスペイスの関係上そうなってしまうのだろうか。私が假りに3枚選ぶとしても、「ワルツ・フォー・デビー」と「ポートレイト・イン・ジャズ」はすぐに確定だが、あとはなんだろう。ギターを弾く者としてジム・ホールとの名演「アンダー・カレント」を入れたい気がする。「モントルージャズフェスティバル」「アローン」「シンプルマター」「エンパシー」「ニュー・ジャズ・コンセプション」etc……。意見の分かれるところだ。

 そう考えるとこのアルバムが最大公約数的なレヴュウに入っていなかったことは当然かもしれない。でもどこでも触れられていないと惚れ込んだ身としては居心地が悪い。こういうときはネットに頼る。繋いでみた。するとすぐに「エバンスのアルバムの中でも五指に入る傑作だと思う」のような素人評論に行き着き一安心したのだった。
 音楽なんて人がなんと言おうと自分が気に入ればいいのである。自分をつまらんヤツだなと思った出来事だった。
3/17  ドラム嫌い深刻

 Lee Konizの「Motion」なるアルバムをiTunesでHDDに入れた。スタンダードナンバーをほぼ原曲のメロディを残さずインプロばっかりで吹きまくる斬新な作りでありKonizのサックスにはうっとりさせられるのだがたびたび顔を出すドラムソロがうるさくてたまらない。延々とドラムソロのある何曲かを我慢できず削除してしまった。
 このうるさいでしゃばりドラマーは誰なのだろうとライナーノートを読もうと思ったがまとめて入れたCDだったのでもう片づけてしまい見つからない。ネットのほうが早いかと調べたらElvin Jonesとわかった。コルトレーンと組んで叩きまくっていた人である。ネットの素人評論には「大福と苺のように思わぬ組み合わせが功を奏す場合が、Jazzにはある」なんて形でほめあげているものがあった。なるほどな、たしかにこのふたりはいかにもお似合いという組合せではない。Konizが誰もが知っているスタンダードナンバーのメロディを原形を残さないほど崩すというこんな"斬新な形の試み"(=コルトレーンの十八番)をするときにはいい相棒だったのだろう。

 問題は私の方だ。このドラムソロ嫌いをなんとかしないと聴けるJazzを狭くしてしまう。でもダメだ。なんでこうなったのか。コンテナから出てきたCDには富樫雅彦のものがあった。これなんかは自分でもわかっているから最初から入れなかった。
 太鼓というのは最も原始的な勇気を鼓舞する楽器である。割合アフリカの土人のものなどは好きだ。日本の和太鼓乱れ打ちなども嫌ってはいない。でもどうにもあのJazzのこれみよがしの叩きまくりを好きになれない、いや受けつけないのである。以前も書いたけどコントの合間にやるハナ肇や加藤茶のものですら嫌いだった。石原裕次郎の映画もちっともかっこいいと思わなかった。いったいこれはどこから来ているのだろう。我が事ながら不思議でならない。
3/21  歌劇嫌い
 私は歌劇がだめである。たぶんこれはもう今後も受け入れられないと言い切れる。自慢にならないが。「世界三大テノール来日」なんて話題になったことがあったがああいうのも全部だめだ。最悪なのは女のソプラノで、あの張り上げる声が聞こえてくると寒気がする。ガラスを爪でこする音がタメな人がいる。私にとってあれがそれに当たる。
 このごろパソコンを再生機器として本を読んでいるときもBGMを流させている。するとたまにそれが流れてくる。ピクンと飛び上がって削除にかかる。Schubertだった。この人は歌劇が多いからかなりあるのだろう。全曲チェックしてそれらを削除した。また流れてきた。Wagnerである。これも納得。削る。しばらくしてまた来た。意外にもMozartだった。この人のそういうものを入れた憶えはないのだが……。
 ファイルリネイムと同じく嫌いな曲をすべて削除して自分好みの曲だけのリストが完成するのも先が長い。
3/23  クラプトンとタイ

 私はクラプトンの作品をけっこう持っている。対してロック三大ギタリストと呼ばれたジミー・ペイジとジェフ・ベックはほとんどもっていない。いや正確に書いておこう。私は彼らの作品を買ったことがない。友人からもらったテープやM先輩のレコードをカセットに落とさせてもらったものをいくらかもっているだけだ。
 元々クラプトンがいちばん好きだったから自然ではあるのだがここまで保有量に差がついたのはタイも関係している。だって彼のアルバムはレコードの「Slow Hand」から買っていない。まあ彼に限らず私はロックやポップスのCDを買ったことがない。CD時代になったときにはもうJazzファンになっていたので買ったCDはJazzばかりである。

 タイ人はクラプトンが大好きだ。パタヤビーチのミニバンド(スタンドバーのカウンターの中に三人組で入っていたりする)から高級ホテルのオープンバーのバンドまでじつによくクラプトンの曲を演奏している。とはいえそれはロックやブルースではなく「Wonderful Tonight」や「Tears in heaven」のようなムーディな曲である。タイ人はハードなものは好まない。タイでのクラブトンはそういう歌の作者、歌手としてあいされているようだ。
 街中のカセットやCDはもちろん違法コピーCDでもクラプトンが溢れている。自然に手にする機会が多い。カセットテープが60バーツから80バーツ(200円前後)で買えたから毎回行くたびにあれやこれやと買い揃えた。これは何回か聴いたらワカメになってしまう粗悪品が多いので毎回買わねばならなかったからでもある。

 一方ツェッペリンは好まれないしギター修行者のようなジェフ・ベックはもっと知られていない。探せばあるだろうがそこまで好きでもない。日本にいるときから三者の音楽の保有量には差があったがタイと関わって比較しようがないほど大きな差になった。クラプトンが歌手としても芸域を拡げたことが世界中で好まれるようになった要素であり、私は彼が大好きだからご同慶の至りなのだが、観もしないのに彼のコンサートのVCDをもっていたりするのは、やはりタイが関係している。まあこれはDVDプレイヤ附きのノートを初めて持っていったときにそれを試したくて買ったものだ。200バーツ。それで思ったのは音楽を聴くことと比して私は映像を観るのがそれほど好きではないということだった。安く買えるものだからサンタナのライヴ映像まで持っていたりする。たまに観るのはクリスティーナ(タイの美人ポップス歌手)ぐらいだ。

 クラプトンの音楽とタイの思い出のシーンは結びついている。今のところ妻と云南にまっすぐベクトルの矢が向いているので思い出すこともないのだが、それなりに心に残っているものはある。そのうち街角から流れてきたクラプトンの曲にあの日あのときを思い出して立ち止まる、なんてことがあるかもしれない。
4/20
時の流れ──ラリー・カールトン親子

 音楽雑誌「Jazz Life」5月号を立ち読み。見出しに「ラリー・カールトン親子対談」と会った。最近の音楽事情に疎いのでラリー・カールトンの息子がミュージシャンになっているとは知らなかった。そんな齢の息子がいることすら知らなかった。当然近年のアルバムで親子競演をしていることなど知るはずもない。

 そういえば品川の住まいの近くに竹中尚人(チャー)が住んでおり(戸越銀座の竹中医院)、若くして父になった彼が赤ん坊を抱いているのを見かけたことがあった。あの赤ん坊ががチャーの息子としてもうギタリストをやっていると知る。時の流れは早い。跡継ぎがいなくてあの医院はつぶれたのか。

 ならチャーより年上のカールトンの息子がミュージシャンになっていてもおかしくないわけだ。なのにそういう感覚が稀薄だったのは、クラプトンの息子がなっていないように(というか死んでしまったし、いまのは幼いし)、あまりこういう世界で「親子」を感じないからだろう。Jazzミュージシャンもそうだし。

 探してそのページを見つけたが最初理解できず、しばし考えた。というのはそこには私の探している金髪長髪のかっこいいラリー・カールトンはいず、モト冬樹をもっと禿げさせたようなおじさんがメガネを掛けていたからである。いや今にして思えばそのハゲメガネは充分に知的でかっこよかったのだけれど、こちらは「Room 335」の彼を捜しているから、どこどこ? って感じになる。隣には、沖縄出身のバンド、ビギンのヴォーカルをやっているあの目のギョロッとした太った青年に似ているのが野球帽を被り耳ピアスをして頬笑んでいる。
 それから表紙を見直し、まったく興味がないので無視した表紙の二人がお目当てのラリー・カールトン親子なのだとやっと気づいたのだった。

 とまあこれだけの話である。
 落語の圓歌が「田舎に行くと今でも歌奴って呼ばれてまいっちゃう。おれも困るけど今の歌奴もかわいそうだ」と語っていた。事実であり本音であろうが同時にそこには「授業中」による当時の歌奴人気がいかに強烈なものであったかの自負も感じられる。
 落語関係の本を読んでいたら今の歌奴が歌奴を襲名したのが75年となっていた。ちょうど三十年である。未だに顔を思い出せないからたいした落語家じゃないのだろう。私にとっても圓歌は未だ歌奴のままである。

 時はこんな風に止まっている。しかしそれは流行りものに疎くなった私の責任ではあるまい。ラリー・カールトンが、今の歌奴が、こちらに届くほどのものを作り上げれば、自然にカールトンの容貌を今のものとして、歌奴の名は今の彼として、覚えてゆくのだ。
 歌奴はともかく、カールトンは容姿は知らなくてもタイで買った「JazzMP詰め合わせ」で音の方はけっこう聴いていた。何十年ぶりかで見た禿頭におどろいたわけだが、彼がこの容姿で吹き込んだ音楽は聴いていたことになる。

 アフロヘア、パンチパーマ、茶髪等を、「毛があって出来るうちにやっておく」という発想があるようだが、これを見るとなるほどと思う。今の鶴瓶の頭を見るとむかしあの髪型をやっていてよかったなと思う。東京12チャンネル(笑)。
 今から渋いジャズ・ギタリストとしてカールトンを知った人は、クロスオーヴァーと呼ばれた当時のあのかっこいい彼は想像出来まい。ただし、彼は禿げてメガネを掛けたおっさんになっていたが、知的な大学教授のようないい風貌をしていた。いい齢のとりかたをしたことが一目で分かった。「ミスター335」はいい人生を歩んでいるようだ。そのうち機会があったら親子競演を聴いてみよう。いや私の持っているものにすでに息子の参加しているものがあるはずだ。パーソナルクレジットのない海賊版はこんなとき困る。でも曲名からネットで調べられるか。

 容姿の変化は他人事ではない。三十年前に別れた女と今会ったら向こうは同じ感慨を持つのか。私はラリーほど変っていないと思うが……。女だって変ってるもんな。お互い様だ。いやそれよりも大事なのはラリーに感じたような、「ハゲはしたがいい顔をしているな」とこの部分である。ほんとに人生ってのは顔に出る。
7/23


 アコースティックなベンチャーズ
 「ベンチャーズ アコースティック・ロック」を通聴しての感想。
 これ、結果的になかなかの掘り出し物であった。私はBGMとして聴くベンチャーズのインストが好きであるが、かといって彼らの売りであるアームやあのテケテケ(これ音楽用語でなんていうんだっけ、忘れてしまった)は好きでない。だから今までにもっているアルバムの中でも、iTunesのパーティシャッフルでたまに流れてきたとき、ああいいなあと聞き惚れるのは「夕陽は赤く」とか「ふたりの銀座」等をごくオーソドックスにシンプルに演っているものになる。
 このアルバムでは彼らの持ち曲を演奏するのではなく、これようにあらたに選んだ。それがいい。「アメリカンパイ」「悲しきサルタン」等。
 いま「リビィン・ラ・ヴィタ・ロカ」が流れてきた。リッキー・マーチンの、というか日本では郷ひろみのアチチアチチの方が有名だ。これ、どう書くんだ。Livin'  La Vida Locaか。ついでだから覚えておこう。ベンチャーズを聴いているうちに本家リッキーが聴きたくなったのでそっちも聴く。こんなことがすぐにできるからコンピュータは便利だ。郷ひろみは残念ながらない。スペイン語の「Vida  Loca」を日本語の「だろか」にしてしまった訳詞センスのいい加減さはかっこよかった。
 ベンチャーズがこれを取り上げたのも郷ひろみが日本でヒットさせた曲だからだろう。なにしろこのアルバムの9割方は日本で売れたはずだから。解説に「世界で一番有名なインストゥルメンタルグループ」とある。「日本で」だね。

 本家ベンチャーズの「パイプライン」を聴いていたらStevie Ray Vaughanのを聴きたくなった。HDDに1万曲入れているとすぐにこんなことが出来るから助かる。もしもCDを出し入れせねばならないなら私は探し出すその手間暇を惜しんで断念するだろう。いいなあ、スティーヴィ、いつ聴いても惚れ惚れする。なんとも荒々しい。
 ベンチャーズというとロックファンが「エレキ」というものに対する過去の誤解の象徴のように取り上げることが多い(かつて多かった)ものだが、こういう作品を聴くと、彼らがいなければスティーヴィのこれもなかったのだと先駆者の偉大さを確認する。
 一部の曲のギターの音色に不満はあるが、傑作といえる1枚だろう。

 ネットの感想文を探したら「ベンチャーズがこんなふうにがんばっていると自分もがんばろうと思う」というのがあった。そんな効果もある。

8/31  チェット・アトキンスの「アベ・マリア」 

 インターネットでいつも聞いているSmooth Jazzの局って、最高なんだけど、意外にワンパターンだなと思い始める。非難批判ではない。いい意味でのマンネリズム、ワンパターンと感じた。たとえばそれはJazzCDを千枚持っている人が個人でやっている放送局に似ている。かなりパターニックであり、毎日パソコンをつけたら必ず流しているから日々を重ねれば同じ曲も重なってくる。最初聴いたときは知らなくて、すぐに調べ、好きな曲リストに入れた曲も、三度四度と繰り返されれば、「ああ、あれね」とおなじみの曲になってくる。つまり、よくもわるくも、1万曲をアトランダムに演奏させているぼくのiTunesと同じ感じになってきた。といって不愉快なことはなにひとつない。ただ、際限なく深いかと思ったものが意外に浅いと判ってきたってことだ。

 そんなこともあってひさしぶりに自分の音楽ファイルを聴いた。ではなくからアルバムを選んで聴いた。
 大好きなチェット・アトキンスのソロギターで「アベ・マリア」を聴いていたら、洗礼名をもつクリスチャンであるサトシにこれをプレゼントしたくなってきた。先日、教会の結婚式でのスナップを一枚もらっている。ウェディングドレスの花嫁と満面の笑みのサトシが写っていた。隣にはポニーテールにしたカズヤ。カズヤはカズヤで名物マスターの道を歩んでいるんだなと感じた。

 添付ファイルとしてmp3のそれを送った。もしもmp3の再生ソフトをもっていなかったら相談して欲しいと附記したがこれはサトシに失礼な気遣いだったか。無事再生できたようだ。
 もっとも再生ソフトなんてものは敢えてインストールする必要はなく、mp3ファイルをクリックすれば自然にWindows Media Playerが立ち上がって再生するようになっているのかもしれない。なんでもカスタマイズしてしまうのでデフォルトのWindowsをよく知らない。
 先月Yahooに入会したとき、電話の向こうから「インターネットエクスプローラーをクリックして立ち上げてください」と言われて焦った。あんなものは一切使わないから「スタート」のプラグラムもタスクトレイのアイコンも消してしまっているのである。IEのエンジンそのものは愛用のタプブラウザでも使うから削除はしていない。「ちょ、ちょっと待ってください」と言ってエクスプローラを開き、Cディスクの中を探し回ったものだった。

 今朝、サトシからメイルが届いていた。急がしくて疲れている時間の中で、安らぐひとときを持てたと喜んでくれていた。こういうのっていわゆる形式的な御礼もあるわけだが、そうではなく、サトシが本当に喜んでくれたことがメイルから伝わってきて、ある種押しつけがましいことをしたわけだから、ほっとすると同時にうれしさがじんわりと湧いてきた。

 いまAmazonでアルバムジャケットを探したら、レヴュウに「1曲目の流れるようなギャロッピングギターから始まるこのアルバムは大満足の1枚でした。他にもソロギターに限りなく近い曲作りのものばかりなので、コアなフィンガーピッカーにもお勧めです。私はチェットが亡くなってからこのアルバムを聴いたのですが、最後の曲アベマリアは涙ものでした」とあった。若いギター好きのようだ。

 今までこんなことをしたことはなかったのだが、友人とこんな交流もありなんだなと思った出来事だった。
9/13
 「バラード」の前の「バラード」

 先週M先輩と渋谷であったとき、ジャズCDを20枚ほどもらった。先輩があまたある見本CDの中からぼくが欲しがるだろうと思うものを選んでくれただけあって逸品ぞろい。今日は夕方、図書館に本を返しに行ったがCDを借りる気はまったくなかった。聞かねばならないものが山とある。急いで帰ってきた。

 このCDはコルトレーンの名盤の誉れ高い「バラード」の前に吹き込まれていたテイクを集め、死後35周年ということで再構成したらしい。プレスティッジ時代の吹き込みである。「バラード」が1961~62年の吹き込みなのに対し、これはその前の1958~59年のものだ。共演者も違っている。当然ながらそれは今頃出てくることでも判るようにコルトレーンがアルバムコンセプトをもって演じたものではない。悪い言いかたをするなら、倉庫整理のとき見つけたものを、死後35周年にかこつけて寄せ集め、「Stardust」と題して発売したようなものである。

 だが、いい。抜群にいい。レッド・ガーランドのピアノもいい。ポール・チェンバースのベースもいい。名人達人揃いだ。「バラード」のマッコイ・タイナーのピアノやジミー・ギャリソンのベースよりもむしろ私には好みになる。なんとも上品な味わい深い作品集である。
 もうひとつの特典は「バラード」がコルトレーンのワンホーンなのに対してフレディ・ハバートのトランペットがあることだ。これが「バラード」の取りようによってはちょっと甘すぎる点を引き締めてくれている。やはり音質の違うホーンがあると世界が拡がる。

 コルトレーンの「バラード」に関しては以前書いた。日本でいちばん売れた、今も売れている彼の作品である。だが通と呼ばれる人からは評判が悪い。あんなものはコルトレーンではないと。上記一応「名盤の誉れ高い」と書いたが駄作と評するジャズマニアも多い。
 このマニアの評価の差と現実の売れ具合、というねじれ現象はおもしろい。いかにもジャズだ(笑)。

 コルトレーンはまさにジャズの求道者と呼ぶのにふさわしい人だった。自分を突き詰めるようにして限界に挑んでいった。とどまるところを知らず次から次へと新しいものに挑んで行き、その力を引きずり出してくれたドラッグにすべてを吸い出され、干からびて死んだ。形が違うしこんなことを言うと両者のファンから非難されそうだが、死に様は枝雀と似ている。両方とも私からすると「あそこまでいっちゃったら死ぬしかないよな」で共通している。
 求道者コルトレーンの後期の音楽は絵でいうとピカソのようである。そのピカソがさわやかな水彩画風景を描いたのが「バラード」だった。ピカソ自身もふつーの絵(?)を描いたらふつーにうまかったことは誰でも知っている。あたりまえだ。天才レヴェルの話である。
 コルトレーンがふつーにバラードを演奏したらふつーに最高であることはわかりきっていたことだった。そしてまたそれが一般に受け入れられ売れることも。でもそうなると求道者コルトレーンを支持する人たちはそれがおもしろくない(笑)。これもまたわかる心理だ。

 私は、コルトレーンの「バラード」から聞き始め、段階的にむずかしいコルトレーンに進んでいった人がいるとしたら、心からうらやましいと思う。私の場合は勉強の一環としていきなりポンと既成のジャズを破壊するかのように一心不乱に精進するコルトレーンに触れてしまった。私がいまもむかしも一番好きなのは50年代のBapである。マイルスとやっている頃のコルトレーンが好きだ。でも目覚めたばかりの勉強中であるその当時はそこまで言い切れない。とにかく何事も勉強だとこっちも一心不乱にコルトレーンの作品集を聞きまくった。

 既成のものを壊しあたらしいものを想像する姿勢はわかったが私には馴染まない。そのことから私は、コルトレーンが私なんぞの理解できない高見にいる人なのだと認めつつ(実際常にあたらしいモノを目指しての上昇志向は尊敬と崇拝に値する)、自分とは合わない人なのだとも決めつけていった。おおきな障害となったのはコルトレーン好きの存在である。どうもこの人たちとは肌が合わない。
 だからこそまた彼らの推薦する名盤よりも「バラード」が売れている現実にはほくそ笑んでしまう。それは東大卒の共産党員が貧しい無学な庶民に対し、「あなたたちのために」と理想社会を説いているのに、肝腎のその「あなたたち」は地元出身の自民党議員を選ぶ現実と似ている。

 と言えるのは今だからであって、当時の私は読みまくっていたジャズ書に影響されていたから、そこで否定されていた(意図的に無視されていて評価の対象にすらなっていなかった)「バラード」は聴かなかったのである。恥ずかしい。もしもあの当時、コルトレーンについて訊かれたら、そのまんまジャズ解説書のセリフを言ったろう。「バラード」を否定したはずである。假定するだけで赤面する。
 つい昨年だったか、iTunesから流れてきたオーソドックスな一曲を聴き、「いいなあ、うまいなあ、これ。誰なんだろう」とチェックして、それがコルトレーンの「バラード」の中の一曲と知ったのだった。むずかしいものの食わず嫌いになるならともかく、わかりやすい素直なモノを食わず嫌いしていたのだから、これは頭でっかちになりやすい人間にとっては肝に銘ずるべき反省になる。ずいぶん遠回りをしたものだ。この「スターダスト」を素直に楽しめたのは言うまでもない。

 まったくもってジャズと落語は似ている。
 極論すると「バラード」は三平や『笑点』になる。
 ネットで落語好きの文を読むと、まずは『笑点』の否定から始まっている。それはそれで正しいのだろうが、同時にまた明らかな間違いであるようにも思う。心寂しいとき、三平の明るさにいかに救われたことか。死にたくなるような惨めな時間、喜久ちゃんの毒のない笑いにいかに心和んだことか。
 『笑点』を毎週見ていても落語をわかったことにはならない。だがかといって『笑点』を鼻で嗤い、落語の通ぶる人にはもっと本質的な何かが闕けている。どんなに寄席に通い音源や映像を蒐集し、頭と心に落語を溜め込んでも、日曜五時半の『笑点』を楽しみに待つ田舎の年寄りの感覚を理解しない限り、落語をわかったことにはなるまい。コルトレーンの「バラード」を否定するジャズマニアと同じようっ。
 というのが今の私の落語とジャズに関するひとつの結論になる。
9/16
 胸に迫る歴史の重み──クルセイダーズ2003

 「チェイン・リアクション」が出たのが1975年だからまだ30年ほど。「歴史の重み」はちと大げさか。だったらポールが生で演奏する「イエスタデー」にもっと感激せねばならない。ポール崇拝者なのにむしろそんなものは聞きたくないから、やはりこれは「間があった」が大きいのだろう。ライナーノーツによると91年まで活動していたらしい。そして2002年の復活、となるのだが、91年以前にもう聴かなくなっていた。

 ちょうど海外旅行に凝る頃である。いつも荷物の半分になるぐらいのカセットテープをもっていって音楽三昧だったが、なぜか彼らのテープはなかった。「旋風に舞う」なんて大好きだったのに。
 なぜだろう。いつも風景とそれに似合う音楽を考えていた。振り返ってみると、ポルトガルの海岸やタイの田舎道に、それほど彼らが似合わなかったとも思えない。イーグルスなんか見事にとけ込んでいたのだから。有ってもおかしくなかった。なのになかった。それはきっと私の中のクロスオーバーやフュージョンに対する感覚(=こだわり)の問題なのだろう。リー・リトナーやラリー・カールトンも聴いていない。

 ブルーノート東京でのライヴ盤。ファーストアルバムからの聴き慣れたメロディが流れ出すとしみじみする。敢えてそれらの中から一番を選ぶと「Put it where you want it」か。最後に収められているし、彼らも復活ライブの場で、必ずこの曲はやったというから、誰にとってもきっとそうなのだ。たまらん気持ちになる。

 新卒というのは生涯一度しかない経験だから、行く気もなければ受かるはずもないところもいくつか受けてみた。ホリプロの試験問題の「次の語句を解説せよ」に、「クロスオーバー」があったことを覚えている。あと「四人組」。フュージョンなることばが生まれてくるのはこのあとだ。
 四人組と言われても江青しか浮かばず、それに代表されるようにバカ丸出して落ちたけれど、受かっていたら今頃ワダアキコのマネージャでもやっていたのか。

 クロスオーバー音楽を聴いて、たまらん気持ちになる日が来るとは思わなかった。だってそういう感情に最も遠い都会音楽だと思っていたから。
(M先輩にもらったCD。感謝。)
9/16
 秋になるからクラリネット──We will be allways together

 プッテ・ウイックマンを聴くのは初めてである。80歳を超えた大御所であるから名前は知っている。スウェーデンの白人ジャズミュージシャンである。もっとも日本ではほとんどアルバムは出ていない。かなりのマニアしか聴いていないだろう。
 私が今まで聴かなかったのはクラリネットの音色に食傷気味だったからだ。食傷気味という表現は問題ありか。だってそんなに聴いてないものな。ベニー・グッドマンしか。

 けっきょく、個性的な音色の楽器に秀でたひとりしかいないようなジャンルは、たいして聴いてなくてもそんな気分になってしまうということであろう。ベニー・グッドマンのクラリネット、ミルト・ジャクソンのヴァイブラホン、ケニーGのソプラノサックス(コルトレーンのそれも好きではなかった)あたりが代表になる。勉強時代にはすべて熱心に聴いたが次第に誰もがそうであるように、ピアノやサックスやトランペットに傾倒して行き、いつしかこれらの楽器は縁遠いモノになった。ヴァイブなんて甘い甘いお菓子みたいなものだから、たま~には食べたくなるが、とてもとても毎日食するものではない。ソプラノサックスもヒステリーの女みたいにキーキー言ってて、やはりテナーやアルトがいい。

 今回初めてこのプッテ・ウイックマンを聴いて、いかにも北欧的な上品なたたずまいと室内音楽的な雰囲気(?)を、なんともいいなと感じた。ジャズは黒人のモノであるが白人ジャズの汗くさくないサッパリした響きも獨特の味わいがある。これはもろにその典型だろう。演っているのはジャズであるが、早くも日の傾いた北欧の午後、音楽好きの四人が誰かの家に集まり、演奏を楽しんでいる室内管弦楽のような趣がある。上品でこざっぱりしていて、実にいい。

 もうひとつ思ったのは秋の風。これ、真夏だったらクラリネットの音色を暑苦しいと感じたと思う。初秋だったからその音色が自然に心にとけ込んできた。そうしてそれと同時に、夏の到来と共にあれほど聴き狂っていたボサノバは来年の夏まで引き出しの奥深く仕舞われることになる。四季があるってのはいいな。
(M先輩にもらったCD。感謝。)
12/4

 クリスマスソング嫌い──Depapepe──矢野沙織


   パソコンに向かうときいつも流しているインターネットラジオSmooth Jazzを、ここのところ切っている。11月末からひっきりなしにクリスマスソングを流すようになったからだ。
 
  現代音楽はキリスト教抜きには語れない。そんなことはわかっているしバッハやヴィバルディ、ビゼーの教会音楽は大好きだ。来年生誕250年で盛り上がっているモーツァルトは最も尊敬する人のひとりなのだが、それとこれとはまた別。


 キリスト教徒にとっては教祖様の誕生日を祝う一年でいちばんのお祭りなのだから浮かれるのは当然。そうじゃないのに浮かれている日本人は不自然だ。その心の広さといいかげんさが日本人の一大特質なのだけれど。

 インターネットラジオがダメだから、ひさしぶりにiTunesの出番となっている。
 ぼくはとにかくクリスマスソングが嫌いで、大好きなオスカー・ピーターソンのクリスマスソング集というアルバムも削除してしまったほどだ。受けつけないものはしょうがない。

 テレビでA・ギターデュオのDepapepeを見た。前にも見ていいなと思っていた。朝の情報番組だったか。
 
 いま聞いている。なかなかよいぞ。このジャンルはGontitiが大成功したように、うまくゆけばまだまだ宝の山が眠っている。(この宝の山はリスナーのぼくにとってではなく、プレイヤの彼らにとって大もうけできるジャンルって意味ね。)


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 夜BSで、矢野沙織を見た。19歳のアルトサックスプレイヤである。チャーリー・パーカー的な音色が心地よい。なにより若い娘がスカート姿でサックスを吹いている姿は新鮮である。ぼくは彼女のことをまったく知らなかったのだが、一聴して、「ああ、パーカーが好きなんだな」とわかったからたいしたものだ。(もちろん彼女がね。)キラキラしている音色は天性のものだろう。期待大である。
 これはただの情報番組であり、その中でゲストとして2曲やっただけだった。
 音楽に映像は興味ない方なのだが、もしも彼女の音楽を手に入れるなら、映像つきがいいなと思った。

12/10 パット・メセニーを聴く

 季節柄クリスマスソングばかりなので、すっかりインターネットラジオを聴かなくなった、というのは事実なのだが、かといって自分のiTunesばかりでもつまらない。1万曲入っていてもほとんどは聴いたことのある曲だ。時折ラップが紛れ込んでいて急いで削除したりする。

 まったくクリスマスも罪作りである。というのがヘンか。キリスト教の国にとっては一年でいちばんのお祭りなんだものね。そこからのラジオ放送なのだから当然だ。

 そんなことから、今日は数日ぶりにインターネットラジオSmooth Jazzを聴いた。するとかっこいいソロギターが流れてきた。曲はノラ・ジョーンズの「Don't Know Why」である。いやはやじつにかっこいい。それでいて超絶技巧というわけでもなく(そうかもしれないが今のぼくにはそれを見抜けない)、メロディを大事に歌い上げているのだ。いったい誰なのだろうと急いでSmooth Jazzのサイトに繋ぎ(といってもワンクリックで出来る)アーティストを調べる。パット・メセニーだった。意外である。ぼくとしては。

 先日M先輩から「いま日本で最も観客動員力のあるギタリスト」として彼の名を聞いていた。これも意外だった。ぼくの知っているフュージョン時代の彼はそんなに大衆受けするギタリストではなかったからだ。逆に当時ナンバーワンだったリー・リトナーなどは今、ちいさなライヴハウスでしか日本公演できないようである。これまた意外だった。まあぼくは出不精なのでこの辺は感覚は狂っている。

 今回のこれを聞いて理解した。これなら観客動員力ナンバーワンも納得できる。
 アルバムタイトルは「One quiet night」。早速入手することにしよう。
12/16  ロック五十年史

夜、BS2で「ロック五十年史」をやる。数日前に何気なく回したとき、予告編で知り、ずっと意識していた。だいたいにおいてこういうふうに意識はしていても、ふと気づくと終っていたとか、テレビを点けたときには半分以上過ぎていたなんてことが多いのだが、先日の談志演芸史と今回のこれは珍しくしっかり覚えていた。
 理由は単純で『作業日誌』を書いていないからである。これをやっていると、なにしろあらゆる思いつくことを全部詰め込む場だから、三時間ぐらいの熱中はざらで、一時間後に見るつもりだったテレビはとっくに終っていたりする。
 いまもこうして書いてはいるが、公開していないし、のんびりとやっているから餘裕がある。
 午後11時から0時半まで、たっぷり90分、楽しんだ。

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 12日は第一回目。1956年のエルビスから69年のウッドストックまで。エルビスはA・ギターでバックのベースもウッドだったんだなと思ったりする。そんなの当たり前でだからこそ当時の雰囲気を出した後々のストレイキャッツが好きだったりしたのだが。
 当時のモノクロ映像は貴重だ。でもギターをもっていてもアンプに繋がるコードのない、いわゆる「口パク」だから、あまり燃えない。このあとの日本でもそうだった。口パクはねえ……。

 ビートルズ、ストーンズと続く。アメリカからはモンキーズ。この辺は見飽きている。ボブ・ディランも登場。「フリーホイーリン」あたりから紹介して、ずいぶんとロック五十年史の巨人としてもちあげていた。
 なんといってもこの日の圧巻は69年のジャニス・ジョプリンとジミ・ヘンドリックス。

 構成も良い。萩原健太という人はNHK-FMでけっこう聴いている。NHKの作りだからシンプルだ。それにCMが入らない。これが民放だったら、人気タレントをずらりと並べて、スポンサから金を引き出すためにショーアップしようとする。しらけるコメントが続く。さらにその合間にはサラ金の「わすれないで お金よりもたいせつなものがある」なんてCMが入る。NHKでよかった。

 毎回ふたりぐらい日本のミュージシャンを出すらしい。1分程度。それぞれギターを弾いて(キーボーディストも出るのだろうか)短いコメントを口にする。今回はキヨシローと野村のヨッチャン。キヨシローはなにを弾いたのか、なんて言ったのか記憶にない。嫌いなものは自然に拒める。ヨッチャンは虎の目サンバーストのレスポールでジミヘンのリトルウイングを弾いて、「永遠に追いつけない年下」と言った。いかさま。(←これは池波正太郎的使いかたね。)

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 13日は2回目。ヤードバーズから始まり、クラプトン、ジェフベック、ジミーペイジを取り上げる。ジェフ・ベックのあんな演奏ヴィデオは初めて観た。
 ディープパーブルはけっこう笑えた。いやこれは「王様」で彼らの歌詞の中身を知ってしまったから一所懸命がアホっぽくて。王様も罪作りである。
 この辺はもちろん楽しめたが、そのあとの「プログレ」になると一気に興味を無くす。
 クイーンになると完成度で聞けるのだが、デビッド・ボウイあたりでまたどうでもよくなる。
 そのあと西海岸。ジャクソン・ブラウンが懐かしい。

 萩原健太個人の解釈なのかどうか、イーグルスの「ホテルカリフォルニア」を「内部告発の歌」として、それはすでにロック魂を失ったものだとしていた。
 そういう商業主義が来たとし、ロックの巨大商品化の例として、ピーター・フランプトンとボストンを流していた。ひさしぶりに見たなフランプトン。
 それを取りもどそうと立ち上がった男としてブルース・スプリングスティーンを高く評価。
 今日はこの辺りまで。

 漫然と見ていて思ったのは、イーグルスはもともとカントリーバンドだったし、オールマンブラザースのような、アメリカンロックの、いくらかカントリーの入った音がぼくは好きだということだった。対してヨーロッパのリクツっぽいロックは生理的に受けつけないようだ。
 アルビン・リーのギターはつまらなかった。
 他人事風にそんなことを思った。

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 日本人ミュージシャン1分勝負でチャーが登場。「ジェフズブギー」を弾いてジェフ・ベックを絶賛。うまいわ、この人。超テク。それだけだけど。ひとことコメントは「ロックはこれだ」とギターを突き出す。
 もうひとりは「王様」。「スモーク・イン・ザ・ウォーター」をやって、ひとことコメントは「ロックよ、長生きしてくれ」と英語で。

 せっかく構成がシンプルでよいと昨日褒めたのに、今日のは最悪。ローリー寺西だっけ? 彼と評論家の伊藤政則の対談仕立てにして、プログレが生まれた世相的な背景、なんて話。つまらないのでチャンネルを替えた。これをしつこく何度もやっていた。明日もやるらしい。いやだな。
 チャンネルをもどすとキッスが演奏していた。その辺で消す。まだ15分ぐらいあった。

 これって何回やるのだろう。3回目は80年代か。80年代はまだ興味があるが、90年代になるともうまったく知らない。知りたくもない。ジャズとクラシックになってしまった。2000年以降はなにひとつ知らない。
 調べてみると3回のようだ。とするとに明日は一気に80年代、90年代、そして今と駆け足でやるのか。まあ当然だな。とにかく見るけど。

 しかしストーンズ、ポール、クラプトン、ディラン、長い活躍期間だ。しみじみ巨人であると痛感する。

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 14日の3回目はセックスピストルズあたりをやっていた。パンクである。
 パンクの、いわばタテノリとでも言うべきヴィデオクリップを見ていたら、これはもう自分の興味のない世界だと見る気が失せた。1分間登場する日本人ミュージシャンは楽しみにしていたのだが、ギターをコードでかき鳴らすこれまた興味のない青年だった。(ウルフルズの誰とか。)

 もしもDVD録画していたなら太陽誘電のメディアがもったいないと思ったろう。
 三日とも録画しなかったのだが、再放送を見かけたら、一応HDDに録って、そのあと好きな部分だけを編集して残したい。

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 いなくてもよかったローリー寺西だが、彼の語っていたコトバは残った。
 彼がロックに興味を持ったのは小学生のときの友人の影響だという。その友人は小学校三年ですでにプログレを聴いていて(笑)、寺西に「最初はこれでも聴いてみたら」と1枚を貸してくれたという。それがピンクフロイドだったかELPだったか忘れたが、そうして寺西のロック体験は始まった。
 ぼくが興味を持った話はそのあとである。そのあまりに進んでいる友人の少年は、中学生になるともうロックを卒業してしまい、マイルスを聴いたりしてジャズに走ったという。三十過ぎてからやっとジャズがわかったぼくからすると天才的に早熟な人だ。中学生のときはグループサウンズに夢中だった(笑)。

 かといってそれをうらやましいとは思わないし、自分は遅れていたと恥じるとかそんな感覚もない。二十歳になったからタバコをやめるという青年もいようし、四十過ぎてからタバコを喫いだす談志のような人もいる。人それぞれだ。

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 三夜連続の番組を見て思ったのは、ロックの繰り返しだった。ちょうどいまくだらないヤツに関わっていて「無限ループ」なるものに興味があるのだが(笑)、ロック音楽のスタイルは、スカートの丈のように短くなったり長くなったりを繰り返しているだけだなと感じた。

 来年はモーツァルトの生誕250年なのでクラシックも盛り上がっている。この番組を見ていたらやたらとモーツァルトが聴きたくなって、そのあとしばし没頭した。

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