2007

1/1 YouTubeのお蔭

 毎年「M1グランプリ」を楽しみにしている。第1回からヴィデオを録っている。つもりでいたが違っていた。たしかM1のことを日記に書いたことがあったなと思い出し、探してみて解った。第1回はテレビでは見ていたが録画していず、レンタルDVDからタビングしたのだった。

 思い出したついでにUPすることにした。

「M1グランプリ──笑いの感覚」

 これを書いたのは父が亡くなる一ヶ月前である。この時期、狂ったように大量の『作業日誌』を書いている。毎日原稿用紙換算20枚以上だ。目前に迫ってきた父の死を意識してか、あるいは忘れようとしたのか、政治経済、音楽映像、あらゆることに関して日々書きまくっている。いま見ると空元気が悲愴である。プロバイダがzeroで会員の方のみに読んでもらっていた時期になる。鬼気迫る様子であったことだろう。父の死もカウントダウンの情況を詳細に書いた。

 それらはその後まったくUPされていない。父の死に関する文は当然としても読書や音楽など無難なテーマもである。この第1回M1のレンタルDVDで、私にとって最高におもしろかったおぎやはぎがあきれるほど低得点だったことは笑いの質として極めて印象的だったから、とっくのむかしにUPしてあると思っていた。勘違いだった。この辺は「さわらずの数ヶ月」として『作業日誌』の中に眠ったままのようだ。本人も未だに近寄らないのだからUPしてあるはずもなかった。この時期を冷静に振り返るのはまだ数年は無理だ。書いておいて良かったとしみじみ思う。思い出しながら書くのとリアルタイムでは迫力が違う。

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 雲南に行っていた昨年のM1はHDDレコーダへの留守録だった。帰国してから見た大量の録画の中でこれがいちばんおもしろかった。優勝したブラックマヨネーズは関東ではまったくの無名だった。審査員の渡辺が「正統派ですごいおもしろいコンビがいるとは聞いていたが」のようなことを言っていたがまさしくその通りだった。落差はあればあるほどおもしろい。初めての決勝進出で優勝という筋書きも楽しめた。

 今年、所用があって録画を忘れた。見られなかった。翌日のスポーツ紙で大好きなチュートリアルが満票で優勝と知り臍を噬む。DVD発売まで待つしかないと思った。
 ところがYouTubeで見られた。ありがたかった。チュートリアルの過去のネタまで見られた。感謝感激である。
 このことは何で知ったのだったか。探してはいない。なにしろ私はYouTubeを知り、なんと便利なのだろうと感心はしたが、その後は全然見ていなかった。べつに見たいものもなかったし。
 だいたい何でYouTubeを知ったのだったか? それすら忘れている。私は記憶力だけはよい。それがこの体たらくだ。いかにこの半年の生活が異様であったことか。
 自分のファイルを探してそれを知る。「亀田問題」だった。2ちゃんねるの「ニュース速報+」で、亀田父とやくみつるの論争(?)の映像があると知って行ったのだった。

「YouTube初体験」

 今回もそうだったと思い出す。同じく「ニュース速報+」に「M1グランプリ、チュートリアルが満票で優勝」とあり、そこから行って見られたのだった。映像が汚くてちいさく、決して満足したとは言えないが、DVD発売まで待たされることを考えたら最高のプレゼントである。

 その後、2ちゃんねるに「YouTube」板があると知る。行ってみると「お笑い番組をアップしよう」というスレがあり、たっぷりとリンクされていた。
 正月といえばお笑い番組である。子供のころからそうだった。フジテレビのあれなんて第1回から見ている。しかしこれには当たりはずれがある。5時間のお笑い番組で真におもしろいと思える部分が果たしてどれほどあることか。それと比すとYouTubeはエッセンスだけを集めたものだから強烈だ。過去のM1や若い頃のダウンタウンの映像で楽しませてもらった。中でも大阪ローカルのお笑い番組からのUPは以前から見たいと思っていたのでありがたかった。

 日本のこの種のテレビ番組のUPはこれからYouTubeで規制がかかるらしい。と聞いてしばらく経つが相変わらずである。ともあれそうなってしまうまで楽しませてもらおう。
 ところでこれってインターネットだから外国にいても見られるんだな。世界中のお笑い好きがYouTubeのお蔭で見られたことになる。私の場合、日本にいてこんなに感激してるんだから、雲南の山奥でこれを見られたらどれほどのことになるだろう。
 数年前のファイルを読むと、雲南の田舎町でインターネットカフェを見つけ、K1の結果をすぐに知ることが出来たと感激している。ボブ・サップがホーストを破った時期だ。

「インターネットの至福」

 これからは映像で見られるのか。なんともありがたい時代になった。


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 藝人の旬



 昨年優勝することによりブラックマヨネーズが東京にも進出してきた。そのことにより彼らの十八番パターンに接することも増えた。05年のM1グランプリで抱腹絶倒だったあの「吉田がちいさな悩みを持ち、その解決法に小杉がアドバイスして」というエスカレートパターンである。落ちの「いつも行ってる皮膚科の先生に」までの膨らんでゆく妄想ネタは圧巻だった。優勝ネタの「彼女を護るために挌闘技を覚えたい」での、「相撲」や「熊を飼え」は思い出すだけでもおかしい。これは彼らにとっても自信のネタであり、年末の決勝の場で使おうと春先から封印してきたものだという。
 でも彼らが東京でもメジャになり、いくつものお笑い番組で同じパターンのネタを連発するとあっという間に飽きてきた。これは極めて重要な問題である。彼らのフリートークは抜群におもしろいという。関西でのラジオ番組は評判らしい。それはあのネタのおもしろさからも想像できる。だが今までのところ、さんまやシンスケの番組でのトークに見るべきところはない。つまり今の私にとってブラックマヨネーズはM1優勝時のポテンシャルを超えていない。

 初めて笑い飯を見たとき、ボケとツッコミが一瞬にして切り替わってゆくあたらしいパターンが新鮮だった。驚愕したといってもいい。かつてあんなものはなかった。そのことが喧伝され話題になり、彼らは二年連続準優勝でもうメジャになっていた。04年の秋、関東の大学祭に呼ばれる藝人でも1番人気だった。そのドキュメンタリまで作られていた。上記、04年11月のファイルでも、私は今年は笑い飯が優勝するだろうと豫測している。それはおおかたの豫想だった。
 ところが彼らもまた毎年2着をやっているうちに、いつしか新鮮度が薄れ、あの斬新な漫才も毎度のパターンに見えてきた。私は最近笑い飯で笑ったことがない。

 チュートリアルの十八番は、福田の口にしたありふれた日常生活に、徳井が異様な関心をもつというパターンである。05年のバーベキューもおもしろかったが、06年優勝ネタの、冷蔵庫ネタは、バーベキューネタが一種シュールであるのに対し、より日常的だったから完成度はこちらの方が上だったろう。文句なしの優勝である。
 だがこれもYouTubeで同じ傾向の作品をいくつも見ていると飽きてくる。(チュートリアルにはコント仕立てのネタにも秀逸なものが多く思ったよりも懐が深いと知る。)

 言いたいのは、最高に乗っている時期に奪るものを奪らないと後がつらいのではないか、ということである。ブラックマヨネーズもチュートリアルもそれをやった。しかし笑い飯はどうなのか。彼らは03年か04年に奪らねばならなかった。あそこでの連続2着がすべてを決めたのではないか。
 これは競走馬にも言えることだ。たとえば天皇賞で連続2着した馬が(むかしは勝った馬はもう出られなかったから)、その馬のいない次は勝ったかというとそうでもないのである。次の世代から強い馬が出てくる。連続2着の実蹟から1番人気に支持されたが5着に終り、けっきょくは無冠のまま引退、というパターンが多い。勝つべき時に勝たないと次はないのである。

 優勝はしなかったが04年に決勝戦進出した南海キャンディーズはただ1回のチャンスを見事に生かした稀有な例だろう。たった1回のチャンスで強烈なキャラを発揮し、特にシズちゃんはあれだけで売れっ子になってしまった。翌年のネタはつまらなかったし、今後も彼らが優勝することはないだろう。というかここまでメジャになれば今更一回戦から参加する必要もない。M1という大舞台を見事に利用して一気に全国区になった見事な例だ。

 ブラックマヨネーズが優勝したとき、審査員の票は4対3だった。どう考えても7対0である。そうなると思ってみていたから接戦になったことに呆れた。なんで笑い飯に3票も入ったかといえば功労票であろう。この大会には前年の活躍者が翌年戴冠するという悪しき伝統があった。2年連続準優勝の笑い飯が無事優勝して卒業。初めての決勝進出の準優勝ブラックマヨネーズは翌年優勝というのが穏健な方法だったのだろう。今までがそうだった。オータケ、イシイ、洋七はそう解釈し笑い飯に投票した。だがシンスケやマツモトがブラックマヨネーズに入れて決まった。あらためてオータケやイシイはいらないと思ったものだ。審査はあの場でのネタの出来で決定するべきものであり、前年までの貢献度や情は不要である。ブラックマヨネーズの出来は会場の反応で解るようにダントツだった。なのに笑い飯に入れる人はよくもわるくも保守的である。もしもマツモトかシンスケのどちらかが情に流されていたらブラックマヨネーズの優勝はなかったことになる。あれほどおもしろさの度合いが異なっていたのに4対3になるのだからおそろしい。

 これから決勝戦常連の笑い飯や麒麟が優勝することはあるのだろうか。二組ともすでにメジャになっている。「はなまるマーケット」のゲストにも登場して写真を見ながらトークしている。なぜかテレ朝のM1とTBSのこれは連動しているようで、優勝したり活躍するとここに招かれるようだ。ますだおかだも出ていた。私はお笑いフリークなのでますだおかだは上手な漫才コンビとして前々から知っていたがM1優勝後の関東での露出度合いは桁違いだった。なんのかんの言おうとM1の優勝は価値があるのだと感じる。

 R1優勝から博多華丸も一気にメジャなった。彼も「はなまるマーケット」に出ていたっけ。って、よく見ているなあ、こんな番組。いつもは見ないけどゲストに彼らの名があるときだけ見るようにしている。
 私としては今後も笑い飯や麒麟が活躍する中を、ブラックマヨネーズのように馴染みのない藝人が鮮やかに優勝をさらってゆくパターンが望ましい。功労者的優勝はすべきではないだろう。次回が楽しみである。

1/24  速いファイルもあるんだ!?──マライア・キャリー

 私のトレントファイルDownloadはマイナなものばかりである。Downloadにはかなりの時間が掛かる。好んでしているのではない。好きなものに人気がなくseedが少ないのである。そんなに私の好きなものは世間では不人気なのかと悩むこともある。
 それでも時間がかかってもDownload完了できるものはまだいいほうで、途中からまったく動かなくなってしまうものも多い。いや最初から動かないものはもっと多い。そういう体験から私はトレントファイルのDownloadとはそんなものだと思っていた。
 
 今日の昼、NHK教育テレビで英会話の番組を見た。もちろん意識的にではなく偶然出会ってほんの10分ほど見たに過ぎない。私が大嫌いな英会話番組など見るはずもない。あのヘビメタ系ロックギタリスト、マーティが出ていたので目をとめた。親日家のマーティには好意的。以前はテレ東の「ヘビメタくん」も毎週見ていた。通勤するようになる前の話。模様替えした同種の番組があるようだからまた見よう。

 その英会話番組は英語の歌詞から英会話を学ぼうという趣旨らしく、そこにマライア・キャリーの映像が流れた。ほんのすこし。歌唱部分。彼女のアルバムはほとんど持っているが好んで聴いてもいない。でもひさしぶりに映像で見た彼女の姿は魅力的で、私は猛烈に彼女のコンサート映像が見たくなった。

 ということでトレントファイルを探した。今までこんなメジャな人をサーチしたことはなかった。するとなんと見つかったファイルの中にはseedの数が1000を超えているものもある。いつもの私の場合は2か3である。それをDownloadしてみた。もう速いのなんのって150kb/sで落ちてくる。1時間もかからず完了してしまった。

 トレントファイルのDownloadは遅いというのは、対象次第のようである。といって欲しいものがそうなのだからどうしようもない。
 いやいやこれもどんなに遅くても入手できるのだから贅沢は言えない。便利な世界に慣れると欲張りになるものである。反省。  
3/20 P2Pソフトの楽しみ

 P2Pの世話になっている。これのお蔭でどれほどmp3音楽ライブラリィが充実したことか。クラプトンやダイアナ・クラル、ノラ・ジョーンズなど音楽ばかりか映像まで手に入れることができた。足を向けて寝られないほど感謝している。

 ソフトウェアはを使っていた。先日これで偶然邦画を入手した。イギリスのサイト内を「Japan」で検索してみたら「Nobody Knows」という映画がヒットした。これはたぶん邦画の「誰も知らない」だろうと(見てはいないが内容と出演者は知っていた)Downloadしてみたら案の定そうだった。そしてこれがおもしろかったから以降やたら邦画が見たくなってしまった。となると国内向けのソフトが必要である。イギリスで見つけたこれはあくまでもたまたまに過ぎない。それでも外国のサイトにもJ-Popsとアニメは豊富にある。日本のアニメが世界的であることが解る。

 ということでまことに遅まきながら今頃になって日本製P2Pソフトの初使用となった。情報流出とウイルス感染が怖いので今まで一切近寄らなかった。こわごわである。さいわい四国のINさんが意外にもこっち方面の達人だったので色々と教えを請うた。
 それでもポート解放はこわく未だにおっかなびっくりである。

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 まださしたる成果は上がっていない。それでも昨夜Downloadが完了した映画『下妻物語』を見られて楽しかった。もう3年前の作品になるがやはり話題になるものにはそれなりの魅力があるのだと確認した。そんな中、本来の目的とはちがったささやかな楽しみを享受している。

 他人様のファイルを無料でもらうのだからこちらも同等のものを提供しなければならない。私には音楽ファイルしかないから当然それになる。
 長年かかって地道に買い集めたJazzやClassic、RockのCD、レンタルして入れたCD、タイで買ったmp3詰め合わせの違法CD、トレントファイルで集めたmp3と、70GB 13000曲ある。専用ハードディスクに入れてあるこれをすべて提供することにした。
 接続すると、そこにアクセスがありUploadが始まる。見知らぬ誰かが私の音楽ファイルの中に欲しい曲を見つけてDownloadしているのだ。

 自分のハードディスクにアクセスされてファイルを持って行かれると、即ウイルス感染や情報流出に繋がるような気がして怖かった。でも提供するそれをOSとは別の専用ハードディスクにしたし、クレジットカードの暗証のような流出して困るような情報もないからと割り切ってやってみることにした。
 最初、自分のファイルにアクセスがありUpload(あちらからはDownload)が始まったとき、とても不安だった。これは初めての人はみな同じ気持ちだろう。
 だけどその恐怖を乗り越えてしまうと、今度はこの自分のファイルがDownloadされる情況を見ているのがやたら楽しくなってきた。

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 Mriah CareyやMichael Jacksonのような人気どころがDownloadされるのは当然として、Miles Davisの50年代のファイルやLinda Ronstadtの初期のものが選ばれDownloadが始まると、いったいどこのどんな人がこのファイルをDownloadしているのだろうと思う。もしもその人がこの国内用のP2Pソフトで今までこういう古い音楽を探していてヒットしなかったのに、私が参入したことによって見つかり、よろこんでくれているとしたらうれしいなと感じた。それは不安ばかりの私には想定外の感情だった。

 もしかして同好の士がいるのかもと思って私もやってみた。でも私の欲しいそういう古いものは何一つヒットしない。その代わりいわゆる若者のJ-Popsは溢れている。やはりここはそういう日本人若者の集う場なのだろう。私は異邦人なのだ。
 でも中にはレトロ趣味、渋好みの人もいる。その人が無くて元々と検索したら私のファイルがヒットした。「えっ!? あるの?、ほんと?」と思ったかどうか知らないが、もしもそうだったらと推測するだけで楽しい。もしかしたら私と同じくまちがって関わっているおじさんなのかもと思うのも楽しい(笑)。いやおじさんはまずいないだろうから、レトロ好みの若者か。いやいやレトロなんて言ったら偉大な先人に失礼だ。本物のわかるセンスのいい若者、としよう。

 それが興味深いので、肝腎の欲しい映画はなかなか手に入らないのだが、仕事の合間、時折それを見ては楽しんでいる。

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 Downloadされているファイルを見ていると、自分のもっているものなのに記憶にないものもある。どんな曲なのだろうと再生してみる。だいたいこれらは「全米(全英)××年ベストヒット100」のような海外からDownloadしたファイルである。入手したが聞いていないパターンだ。確認することにより今まで知らなかった名曲を発見してP2Pのお蔭と感謝した。(まあ中にはこんなもの保っていても生涯聞かないと削除したものもあるが。)

 先ほど「Color Me Badd」というのがDownloadされていた。(私からするとUploadだがあちらからすると私のところからのDownloadになる。)私はこれがバンド名だとすら知らなかった。曲は「I about me amour」。ネットで検索してみる。

Color Me Badd

(からー・みー・ばっど) [カラー・ミー・バッド]
高校の同級生で結成された黒人/白人混合の4人組コーラス・グループ。91年のデビュー・シングル『I Wanna Sex You Up』がいきなり全米R&Bチャートを制するという、これ以上ないスタートを切る。そして同年、1stアルバム『C.M.B.』を発表。ソウルフルでありつつも、爽快感に満ちたヴォーカル/コーラスは非常に親しみやすい。アップからスロウまで柔らかな質感をたたえたサウンドともナチュラルに融合し、おしなべてソフトな耳あたりの楽曲に仕上げている。
以降も、"好青年"的な路線をキープした好作品をリリースしていくが、次第にセールス/人気とも下降線を辿り、98年の4th『Awakening』を最後に解散してしまった。

 ふうん、なるほどなあ、知らなかった。勉強しました。91年というとタイに夢中だった頃だ(笑)。てことは、チェンマイやバンコクの街角で耳にしていたのだろう。この種のヒット曲にタイは割合敏感だ。そういやタイで流行っていたDisco Musicを集めたCDもけっこう買ってきたがみんな捨ててしまった。この辺の好き嫌いが徹底していることは我ながら気に入っている。GoGoBarが大嫌いなのも音楽が合わないことが大きい。

「Voce Na Praia」という曲が誰かにDownloadされている。まったく覚えがない。Bossa Novaだろうか。と思って元ファイルを開くと宮本文昭のファイルだった。好きなのでよく聞くのだが漫然としているので曲名まで覚えていなかった。恥ずかしい。
 宮本さんはオーボエ奏者である。クラシックの有名演奏家なのだがイージーリスニング奏者としても成功した。私のこの元ファイルは茨城県水戸市の県立図書館で借りたCDだ。宮本さんのプロフィールを見ると日本での活動は2000年以降だからちょうどそのころ知ったことになる。

宮本 文昭
Fumiaki Miyamoto(oboe)

宮本文昭の魅力は、その音色の豊かさと多彩さにある。 18才でドイツに留学してから、エッセン市立交響楽団、フランクフルト放送交響楽団を経て、ケルン放送交響楽団首席オーボエ奏者を次々と歴任し日本人の オーボエ奏者として第一人者の地位を築いてきた。2000年より活動の本拠地を日本に移し、ますますその活動の場を広げている。ソリストとして、リサイタ ルやコンチェルトでも好評を博し、バレンボイム、ベルティーニ、インバル、ノイマンなど数多くの指揮者と共演し、卓抜な音楽性、超絶的技巧を持つ世界的な 名手と評され、世界一級のアーティストとして内外の注目を集めている。サイトウキネン・オーケストラ、水戸室内管弦楽団の首席オーボエ奏者、小澤征爾オペ ラ塾の主要メンバーとして活動している。また2001年よりJTホールのプランナーをつとめ、音楽プロデューサーとしての手腕もふるっている。現在、東京 音楽大学教授。

ソニー・クラシカルより4月5日にニューアルバムをリリースし話題となる。ドラマのテーマ曲も数多く担当し、2004年アテネで開催された第28回オリンピック競技大会日本代表選手団公式応援ソングに参加した。

2007年3月末をもってオーボエ奏者としての活動にピリオドを打つため、今年度はファイナルコンサートイヤーとなる。
http://multi.i-debut.org/Journal/UserContent.aspx?id=382


 いったいどういう人が宮本さんのファイルをDownloadしているのだろうと想像する。趣味のいい人である。
2007年3月末をもってオーボエ奏者としての活動にピリオドを打つ」とは知らなかった。今日がそうである。いいタイミングで書けたことになる。

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 そんなわけで、自分の音楽ファイルが誰かの楽しみに役立っているのかと思うと、ポート解放の恐怖もしばし忘れられる。

 しかしまあせめてもうすこし早く落ちないものか。BitCometによる外国サイトからのDownloadと比べると遅すぎる。常時接続ではなく就寝や外出の時は電源を落とす身としては、これではいつまで経ってもDownloadが完了しない。完了しないままネタ切れとなる。それだけが不満である。
5/30 fc2.comへの感謝

 ホームページの容量が90MBを超えてしまったので対策を講じねばならなくなった。このことを考慮して、05年の夏、ホームページ容量300MBのYahooBBに入ったのだったがどうにも気に入らないことが多すぎて06年11月にniftyに移った。

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 98年に初めて契約したOCNはホームページ容量が10MBだった。あれは失敗であると思う。私はなんの不満もないのにそのことだけで50MBのzeroに移った。OCNにとっては10MB以上のホームページを作る人などめったにいないと読んだのだろう。それはそれで当時の常識だったろう。そのころの私のホームページはまだ10メガなかったが、すぐに一杯になるなと読んだので早めにやめた。これは正解だった。

 長年続いたzero時代は快適だった。CGIも使えたし。ハンドルCNXと名乗る狂人にしつこく絡まれたことを除けばなにひとつ問題はなかった。
 私はこの狂人の個人情報を把握しているのでいつでも反撃に転じることが出来る。危うきに近寄らずで一切関わっていないが、これ以上暴挙が続くようだといきなりネット上で実名と住所を晒すことから攻撃に移るつもりでいる。この狂人はチェンマイに多くの足跡を残していた。その気になれば招待を探すのは簡単だ。それに協力してくれたのが有山パパだった。今も感謝でいっぱいである。

 zeroは一般公開のホームページ50MBと会員制パスワードのCGI10MBを併用していた。いま思えば二種類の使用料金を払っていたのだから快適というほどでもないのか。CGIはCNXという気狂いと無縁でいるためだけに使っていた。たったひとりでも変質者に絡まれるとたいへんである。会員制のサイトに入れないものだから狂人は自分の悪口が書かれているのではないかとますます猛り狂い、Yahooや2ちゃんねるで私を誹謗中傷した。実際は関わりたくないのでそんなヤツのことなど一言も書いていないのだが、自意識過剰の気狂いとはそんなものなのだろう。

 当時はzeroの廉価で50MBの容量は貴重だった。この時はダイヤルアップである。18MB程度ののWindows2000 Updateをするのに一晩中かかった。

 父が死に、東京にもどり、Yahooに移る。zeroの50MBはもう満杯だったし、別料金を払って100MBにするのもしっくりこなかった。やっと待望のADSLになる。ホームページ容量300MBという魅力からYahooを選択した。niftyやBiglobe等、興味のあるプロバイダのほとんどはホームページ容量が100MBであり、二三年以内にいっぱいになることは目に見えていた。あまりに評判の悪いことがちょっと気になったがYahooにした。Yahooをよく言う人はひとりもいなかった。ほんと評判が悪い(笑)。それでも300メガに惹かれてYahooに入った。しかし所詮YahooはYahooであり、やはりろくでもないところだった。一年半後、引っ越すことになる。
 niftyの光通信を撰んだ。いまのところなにも不満はない。しかしリミットが100MBなので早急に対策を迫られることになった。

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 このままniftyでやるにはホームページ容量で追加料金を払わねばならない。そこまでniftyに拘る気持はない。自分のサイトのテーマにもA級、B級がある。B級のテーマには広告入りの無料ホームページにいってもらおうと思っていた。zeroがいっぱいになってしまったとき、一時それをやっている。無料のinfoseekを借りてホームページの一部を分けた。たとえばこの「通信」という項目がそうだ。CNXと名乗る狂人にしつこく絡まれて困った、とか、そいつが2ちゃんねるに投稿したバカ文を記録するページを、まともな話と同じ場には置きたくない。だから分離は分離で価値があった。

 しかしこれはあまり気分の良いものではなかった。A級項目の中にもC級テーマはあり、B級項目の中にもA+話はあるのだった。そもそもそんな分け方が無理なのである。無料スペースの広告のあざとさにもうんざりした。やはり追加料金を支払って広告なしの一カ所にまとめるのが正当なのだろう。
 とは思いつつも背に腹は代えられない。当面の処理にと無料ホームページサービスを探してみた。Yahooとinfoseekしかなかった時代と違いだいぶ増えていた。

 広告入りのサイトでは、Yahooの無料サイトに「木に登った豚を狙撃する」というのをやっている。派手な広告が不快だ。それでもこれはこれで獨立したサイトなのでさほどの不満はなかった。TopPageのいちばん上にフラッシュで入るYahooの広告は好きになれなかったが……。



 これがTopPageのいちばん上に出る。どんなデザインもぶちこわす強烈さだ。さすがYahooである。
 でも戦略としては正しいのか(笑)。だってこの「広告が出ないホームページにしましょう」と、これでもかと連発されると、誰もがすこしばかりの金を払えばこの苦痛から解放されるのかと、払おうとするだろう。その点では効果的かもしれない。
 私も自分の大切なホームページにこれは我慢できない。逆に言うと、自分のホームページにこんなものを出されても平然とここでやっている人は、私とは感覚の異なる人ということになる。無料よりも優先すべきことがある。私はいくら無料でもこんな広告がまっ先に目に入るホームページはやりたくない。

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 無料ホームページを探していて「fc2.com」というところを知った。

http://web.fc2.com/


 なによりもすばらしいのは広告が控えめなところである。最下段に以下のような一行が入るのみ。ほとんど目立たない。あまりの遠慮ぶりに、かえってこちらが申し訳ないぐらいである。



 最上段に前記のような派手なのをいれるYahooといかに違うことか。
 しかも容量がなんと1GB=1000MBなのである。50MBの無料スペースであれだけ居丈高になるYahoo、1GBなのにこんなに控えめなfc2.com、どっちに好意を持つかは言うまでもない。

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 予定違いがひとつだけあった。
 私はもう分けるなどと言わず、ホームページの全部をここに引っ越そうかと決めた。1GBあれば画像も遠慮せずどんどん載せられる。分けるよりは一カ所がいい。ここ一カ所にして、niftyの100MBは仲間内の遊び場にでも解放しよう。

 私のホームページはそもそもがそんな友人三十人とのそういう場だった。今も基本はそれである。ロボット検索は拒否するようソースに書いているし、なるべく世に知られないようにひっそりとやっている。
 なのにある日、狂人がかってにやってきて、「俺のホームページにケチをつけた」とわけのわからんことを言って暴れ始める。2ちゃんねるに書き込むは、私の名でスレは立てるはやりたい放題である。検索でヒットする2ちゃんねるやYahoo掲示板にある私に関する誹謗中傷はみなこの狂人が書き込んだものだ。しかも知りもしない競馬関係のことまでガセネタを信じて事実のごとく書き込むのだから手に負えない。まことに狂人は恐い。無能なのに自意識過剰なのである。勘違いブスとよく似ている。なんの面識もないのに「以前は友好関係だった」と書いたりするから正気ではない。しかしもう我慢の限界だからこれ以上わめくようだと潰しに行く。

 元々がそういう友人との仲間内の場だから、サイトの中身をぜんぶfc2に移して、CGIが使えるniftyを非公開掲示板にして遊ぶのもいいかと思った。
 前段階の実験として、ホームページの中身をfc2にアップしてみた。ところが残り容量を見たらほんのすこししかないのである。niftyと同じ量しか残っていない。どうやら誰もに1GBくれるのではなく、まずは100MBで始まり、あちらが内容やその他を審査して、ふさわしいと判断した場合1GBになるらしい。

 それは正しい。無料だからと申し込み、1MBもないような作りかけのホームページをアップする。すぐに飽きてしまいほったらかし。そんな人を大勢見てきた。今もいるだろう。そんな人にいちいち1GBも与えていたらたいへんだ。様子見は正解である。
 でもなんとなくこの「審査」がいやになった。100MBで足りなくなったらなんか「申請」しなければならないのだろうか。アダルトサイトに利用してもOKと心の広いところを見せているから、まともなホームページだし、なんとか御願いすれば通るとは思うが……。

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 これは心配しすぎだった。一ヶ月が経過して、ある日また残り容量を調べたら、しっかり910MBと出ていたのである。これはうれしかった。1GB使ってもいいサイトとお墨付きを貰ったことになる。はああ、1GBか。使い勝手がある。ありがたいことだ。これでもうホームページの容量不足に悩むことはない。動画はないし今後もやる気はないから、どんなに文章とたまに写真をUpしても死ぬまでだいじょうぶだろう。これだけやってきて、書いてきて、写真を貼って100MB未満である。あと20年続けても500MBも行くまい。fc2.comが続いてくれないと困るが。

 とにかくfc2.comに感謝感謝である。

10/10 メールタイトルに関する小考


 メールの返信を常に「Re」で寄越す人がいる。届いたメールに自分でタイトルを考えず、そのまま返信するのだ。あれってどうなんだろう。まずはそれが正しいと思う形から考えてみる。

「A社見積もり案に関して」という仕事上のメール。これに対する返信のタイトルは「Re.A社見積もり案に関して」がよいだろう。業務として同様のものをいくつもやりとりしているから、へんに「了解しました」なんてタイトルにしてしまうと、どの件を了解したのかわからなくなってしまう。だからこういうのは「Re」がいいとして。

 だが「Bさん、お久しぶりです、Aです」というタイトルで、AさんがBさんに送った日常生活のメールに、そのままBさんが「Re.Bさん、お久しぶりです、Aです」というタイトルで返事を寄越すのはいかがなものか。こういう場合、「こちらこそご無沙汰です」とか、そんなタイトルにするのが常識だろう。私はそうするし、私の親しい友人もみなそうだ。だけどネットで知り合った人には、まるで返信は必ず相手のタイトルのまま送るものと思いこんでいるかのように「すべてRe」の人がけっこういる。最近やたら増えてきた。それで嫌われ者になるのを覚悟でこんなことを書いてみようと思った。

 そういう人からは質問のメールが多い。「ホームページにこんな文章があったが、もうすこし詳しく教えて欲しい」のようなものだ。最初は「質問です」のタイトルで来る。私はそれに「Re.質問です」では返信しない。「私見ですが」とか「お問い合わせの件について」のように、適当にタイトルをつけて送る。するとまたメールが来る。「Re.私見ですが」となっている。こういう場合、このタイトルが許されるのは、私の書いた『私見ですが』の内容に関して論じる場合のみだろう。しかし内容は「とてもよくわかりました。ありがとうございます」だったりする。ならタイトルを「ありがとうございました」でも「御礼」でも何か考えるべきであろう。素朴に疑問に思う。いくら本文で感謝してくれていても、タイトルが「Re.お問い合わせの件について」ではその心は伝わってこない。

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 電子メールは今風の手紙である。タイトルは重要だ。なにを書いても「Re」で寄越す人は無神経と言われてもしかたあるまい。
 私は極力「Re」では出さないようにしている。それでも毎回「Re」で帰ってくる人には、こちらも適切なタイトルを考えることがバカらしくなり、時々そのまま返信したりする。当然あちらに届くタイトルは「Re.Re」になる。そういうメールは中身も稀薄でどうでもいいものが多い。

 これでもしもいつも「Re」で寄越す人が、そのこと以外には気配りの出来る人だとなるとまた考えを改めねばならない。しかし残念ながらそういうことはない。こういうことに無神経な人はその他のことでも雑である。私から届くメールがすべて異なったタイトルになっている(=Reがない)ことに気づけば、自分もそうせねばと思うはずなのだ。最初に音楽のことを語り、次に映画のことを語り、それから旅行のことを語り、のようにテーマが毎回変っているのに、相手の寄越したメールをそのままReで返すのではつまらない。
 いまメールソフトを開き確認した。何人かの人のメールタイトルはすべて「Re」だった。私のつけたタイトルにReがついているだけだ。五六回連続してやりとりしている。私のほうは毎回タイトルが違っている。語る中身がちがうのだから当然だ。それを見るだけで内容を思い出せる。あちらはぜんぶ「Re」だ。やはり無神経だと思う。

 さて、これで「Re」の返信はいくらか減るだろうか。

註・ここでいっている「メール」は一行二行のケイタイメールのことではありません。原稿用紙何枚分かに匹敵する、それなりの文章量のあるE-Mailのことです。

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 以上、テーマ文章は終り。以下は餘談。
 メールをやりとりするのは同業者か気の置けない友人が多い。そんな中にひとりだけ、学生時代の後輩で商社に勤めるという、私からすると異色の友人がいる。イギリスやベルギーに行ったときは彼のところに居候させてもらった。つきあいは長いがたまに電話する程度でメールとは無縁だった。
 昨年、用事があって彼と何度かメール交換をした。すると文末に必ず「以上」とある。ふつうの文章なのである。近況を報告しあい、最後にそのうち新橋ででも飲みましょうなどと結んだあとに「以上」とあるのだ。なんとなくイヤだった。それを見ると上役から命令されているような気分になる。冷たく突き放される感じもする。親しい仲だから「おれへのメールに『以上』と書くのはやめてくれ」とよほど言おうかと思った。

 推測するに、彼にとってメールとはすべて業務関係なのだろう。そこにおいて大切なのは、正しく誤りなく用件を伝達することだ。「以上」とは、「伝えるべきことは以上であり、伝達文章はここで終りである」と明確に示すために必要なのであろう。

 友人との手紙には、「敬具」や「草々」で結んだあと、「追伸」があったりする。その「追伸」こそがいちばん重要だったりする。業務メールではそういう附記によるミスが起きないよう、用件を伝えたら必ず最後に「以上=これ以降に文章はない」とつけるように指導されるのではないか。きっとそうだ。今度会ったら尋いてみよう。


 開封確認について

 上記「メールタイトルに関する小考」にAさんがメールをくれた。
 その中に「開封確認」に関する意見があった。
 要約すると、私はメールを送った相手に「開封確認」を毎回要求するようにメールソフトを設定しているのだが、Aさんはそれに対して「開封確認はあえて送らない」とし、その理由を「中身のない開封確認だけを送り、返事を書くのが数日後になってしまったりするとかえって失礼だから」としている。「メールを受信し、読んでも、開封確認の求めには応じず、すこし遅れようとも、中身のある返事を書いて、それを開封確認の代わりにする」という姿勢のようである。これはこれで心遣いだろう。
 でも私はそれを好ましいとは思わない。
 以下、私の考えを書く。

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 例えば私がAさんに辛辣な内容のメールを書いたとする。それは私なりにAさんのことを思い、書くべきか書かざるべきか悩みつつ、思い切って筆を執ったものだ。「あんたにそこまで言われる覚えはない!」と激怒され絶交になることも覚悟している。

(私は以前チェンマイで知り合ったHさんという人の子育てに関して私なりの意見を書き、結果絶縁になるということを経験している。)

 幼児語のこと

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 これへの対応として。

①すぐに開封確認が届く。しかしそのご返事は来ない。

②開封確認は届かない。しかし数日後に「心配して頂いて心から感謝する」という長文の返事が届く。

③すぐに開封確認が届き、数日後「心配して頂いて心から感謝する」という長文の返事が届く。

 ③がいちばんいいに決まっている。次が②か。①よりはまだハッピーエンドの②のほうがましと思う人は多いだろう。でも私は返事が来なくても①の方がいい。

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 まず、私の書いたこのメールの目的である。それは「私がAさんに対し、思い切って厳しい意見を書いたこと。それがAさんに届くこと。Aさんがそれを読むこと」にある。その意見に対し、Aさんが納得してくれるか激怒して絶交になるかという「"結果"はどうでもいいこと」なのだ。だってそれはもうAさんに委ねられたのだから。私にとって重要なのは、私がした行為の「確認」である。それが出来ないと足場があやふやだ。前に進めない。

 そういう「思い切って書いたメールを送った」。なのに開封確認が届かない。これは困る。事故で届かなかったのかもしれない。届いたがAさんがまちがって迷惑メールとして削除してしまったのかもしれない。開封確認が届かないのでは次のステップに進めないのだ。
 たとえばその辛辣なメールとは「Aさんの生きかた」に関するものだったとする。絶交されることをも覚悟で友人の生きかたに意見を述べた。それに対して返事が来ない。Aさんとは映画や音楽に関してもメール交換をしている。いつものように書きたい。しかし生きかたという重いテーマに関して返事が来ないのにお気楽にそんな話題で次のメールを書くわけにも行かない。悶々とする。
 三日後、Aさんから返信が届き、絶交にいたることはなく、より友情を深めるめでたい結果になったとする。だけどどういう結果になろうと届いたか届かないかやきもきした時間は尾を引く。「開封確認」という相手を安心させる簡単で確実な方法が目の前にある。相手はそれを求めている。私はそれをすべき、と思う。(これ、「すべし」と書かないと高島さんに怒られるか。)

 Aさんの考え(=無内容の開封確認は送らない。翌日、あるいは数日後になろうとも、内容のある返信を書いた方がよい)は、一見相手に対する心遣いのようだ。だが、自分勝手で相手のことをまったく考えていない、とも言える。なぜなら、そのメールを読み、Aさんは感動したとする。「自分のことをここまで心配してくれるのか」と。「よし、今日と明日は忙しくて返事を書けないが、あさってには時間がとれる。そのとき感謝の気持ちを込めた長文の返事を書こう」と思ったとする。Aさんの中では「届いた」「読んだ」「理解した」「そのうち返事を書こう」と何段階も進捗している。だが、送ったほうは届いたかどうかすらわからず、やきもきしているのである。この差は大きい。なら、絶交であれ感謝であれ先々のことはともかく、とりあえず「読みました」と開封確認を送ることこそ真の相手に対する心遣いだろう。それはワンクリックで出来るのだ。私はそう思う。

 私が深夜や早朝に送ったメールを、Aさんは出勤前に確認することが多いらしい。だけど返事を書いている時間がない。夜帰宅してから返事を書こう、そのほうが礼儀であろうと、「開封確認を送りますか」という問いにあえて「しない」を選ぶのだそうだ。中身のない開封確認だけを送るのは失礼だと考えるらしい。私からすると返事など三日後でも一週間後でもいいから、開いたそのときに「読みました」と開封確認を送ってくれる方がずっとありがたい。

 じつはメールをやりとりしている親しい友人に、Aさんのような「出勤前に確認、返事は後」という人は多い。らいぶさんやM先輩もそうである。朝の八時前に開封されたと確認が届くと、みんなこれから出勤か、がんばっているんだなと思う。それを確認した私の朝の八時は、いまから寝るところだったりする。
 返事が届くのはその日の夜や翌日になるが、読まれていることを確認しているからまったく焦らない。それが私のメール生活の「普通」である。

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 この「開封確認」は仕事関係でも重宝している。だから私はOSを再インストールしたときなど、メールは必ずこれを求めるように設定する。
 たとえば、メールアドレスが変ったり、あたらしいアドレスを取得したとき、複数の仕事関係の人にそれを連絡する。それは「メールアドレスが変りました」と単純な内容だ。長年のつきあいではあるが、かといって個人的にさほど親しいわけでもない。こちらから「今度飲みましょう」と誘う文章を書くほどでもなければ、あちらも「体調はどうですか」と文章でこちらを気遣ってくれるほどの仲でもない。とはいえ今後のつきあいもあるから新しいメイルアドレスは確実に伝えたい。

 こんなとき「開封確認」は本当にありがたい。タイムスタンプの入った「誰それに送ったメールは何時何分に開封されました」が届くとほっとする。あちらもワンクリックでそれさえ送れば礼を尽くしたことになる。さほど親しい仲でもない私にあらためて文章を書く煩雑さも感じず気楽だろう。
「責任」なんて言葉は使いたくないが、一応これはその役目も果たす。万が一なにかトラブルが起き、あちらに「(以前のアドレスに)メールを送っても返って来たんですよ」と言われても、自分は何月何日にあなたにあたらしいアドレスを送っている、あなたはそれを開封している、と主張できる。まあそんな問題が起きたことはないけれど。とにかくこの安心感は絶大である。

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 というわけで、私とメール交換をしているかたの中には「開封確認」が嫌いな人もいるかもしれないが、やはり送っていただきたいと思う。私にとってはその後の返事や、その内容よりもずっと重要になる。返事などいくら遅れてもかまわない。来なくてもかまわない。来ないなら、それはメール内容に不満があったり、こちらとつきあいたくないという意志表示だと判断できる。まったく気にならない。しかし「届いた」「読んだ」という開封確認がないと、それすら判断のしようがないのである。

  旅日記の楽しみ

 相撲のことを書いていたら、2000年秋に琴光喜が13勝2敗で三賞獨占しているのに、その記憶がないことに気づいた。三賞獨占は稀有な記録だから見ていれば必ず覚えている。ということはその時期、海外に出ていたのだろう。「チェンマイ日記」を見たら、やはり云南、チェンマイ、バンコクに出かけ「2K秋」のタイトルで日記もUPしていた。しかもこのあと十二月にも出かけている。それはインターネットにはUPされてないが私的な「旅日記」はしっかり書かれていた。

 それを読み返した。このときの文章は原稿用紙330枚ほど。これはテキストエディターに原稿用紙換算枚数が表示されるのでわかる。
 バンコクから云南に飛び、バンコクに帰り、そこで財布とクレジットカードを失くし、チェンマイに四日ほど行き、有山パパに1万バーツほど借り、バンコクでしばらく過ごしてから帰国するまでが詳細に書いてある。読むのは七年ぶりになる。最初、へえ、こんなことがあったんだ、と他人事風に思い、それからじんわりと、「そうそう、そうだったんだ」と思い出してくる。このタイムラグがなんともたまらない。

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 前の席に白人がいた。すでに赤い顔をしている若者だ。ヤワラでは珍しい。それがオランダ人のマックスだった。最初彼は何をきっかけに私に話しかけてきたのだろう。茹でイカが来たとき、それはなんだと訊いてきたのが最初だったか。「おまえはなんで英語が話せるんだ」「おれは日本人だ。そういうおまえはどこから来た」「オランダだ」「おお、おれはオランダが大好きだ」と話は弾んでいった。南アフリカの話、日本とオランダの鎖国時代の通商、東京の物価の高さ、ヘーシンク、ルスカ、とあれこれと話した。英語が時折タイ語とごちゃまぜになってしまう。しかたない、ここはタイなのだから。

 で、別れ際に、私の名刺を出し、E-Mailアドレスを交換した。彼は明日帰るという。オランダだからKLMかと思ったらエアフランスでパリに行くという。なぜだと問うと安いからだそうだ。ふーん、KLMオランダ航空の方がエアフランスよりも高いのか。直接アムスに飛べるのにわざわざパリから陸路で行くというのだから、相当に差があったのだろう。手帳にマックスのメイルアドレスを書いてもらう。まあこれで彼と友達になれたら、それはそれで楽しみだ。27歳。パソコン関係の仕事をしていると言う。ケインズ経済学の話もしたな。そうそう、三ヶ月前に、三年付き合っていた彼女と別れたばかりなんてことも話していた。基本は顔だ。私は彼に知性的な普通の若者を感じたから話した。泊まっているのはバンブーゲストハウスと言っていた。
 せっかく部屋までもどって持参したパソコン雑誌(週刊アスキー)はマックスと話していたので読まずじまいだった。


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 2000年の11月、バンコクの中華街での話だ。完全に忘れていた。読んでいるうちに思い出す。中華街のあのざわめきと料理のにおいまでが漂ってきた。彼がヘーシンクやルスカを知っていたのがうれしかった。母国の英雄ではあるが若い人だから知らなくても不思議はない。インテリだったのだろう、どんな話題にもついてきた。ケインズの経済学の話までしている。といっても私は英語の経済専門用語を知らないから、単に学んだことがある、程度だったろう。
 その後マックスとなんどかメール交換をした。パソコンクラッシュでアドレスが消え、いつしか疎遠になってしまった。そういえばチェンマイに向かう列車のなかで仲良くなり、食堂車で痛飲したのもオランダ人だった。アムスはあぶない街だけどいやな思い出のない大好きな街である。いきたいなあ。

 こんな形の小ネタが山とある。そしてそのほとんどを忘れている。新鮮だ。『週刊アスキー』は伊勢丹の紀伊国屋で買ったのだった。あのころは航空便で送られてきた日本の雑誌を頻繁に買っていた。300円の雑誌が千円ぐらいだったか。
 きっかけをつかめば、そこに行くまでの前後のこと、乗ったタクシーの運転手とのやりとりまで浮かんでくる。しかしそれはこの日記がなかったら一生思い出すこともない記憶だった。自分で書いた日記なのにどんな読み物よりもおもしろい。日記ってのはつけておくべきなんだと思い知る。

 元々このホームページも自分に対するそういう記録として始めた。日記のようなものだ。私的日記に限らず、ここに掲載している文章でも忘れていることは多い。それでも一応人目にさらすものだから何度も読み返し誤字をチェックしたりする。そのことによってほぼ内容をつかんでいるから、さすがに上記のように酒を酌み交わした人のことを書きながらまったく忘れていたということはない。
 私的日記はその日にあったことを記録しているだけだ。誤字脱字が多くひどいものである。その日に使った金額が書いてあるので助かる。笑ったのはタイでの金額がみな300GのようにGになっていたことだ。バーツのBとまちがえたのだろう。Gってなんだ、ゴールドか(笑)。ドラクエだ。
 旅先にノートパソコンを携帯するようになってから習慣として書いていた。いまになって貴重な記録だと思う。それもこれもパソコンがあったから。

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 ヤワラーのごみごみしたところを歩き、さてどのバスに乗ればいいのだと迷っている内、時間が惜しくなりタクシーを捕まえていた。まあヤワラーは街中へのアクセスは悪い。これは仕方ないだろう。タクシー代49Bでカオサンへ。
 で、いつものインターネットの店に行く。最初に「この機械だ」と言ったのに「いや、こちらだ」と係のバカ女が言う。それでやると検索が文字化けして出来ない。それを言うとだったらこれだと次の機械にする。ダメだ。結局最初に私が言った機械が正解だった。先日も来ているのだからそれぐらい知っている。値段は87B。半分ぐらいは役立たずの機械での無駄な時間だった。シビアなバックパッカーだったら半分しか払わないと一暴れするところである。


 トゥクトゥクの料金交渉が嫌いだった。さいわいメータータクシーが出来たので、それからはいつも移動はタクシーだった。このときはカードを失くしキャッシングが出来ない。残り数万円の現金とパパから借りた1万バーツしかなかったので(その1万バーツはチェンマイの四日間で使い切っていた)私なりにバスで行って節約しようとしている。その辺が思い出されてなつかしい。
 
 カオサンのインターネット屋に行ったらしい。いや行ったのだ。思い出した。日本語に対応しているパソコンが一台しかなく、私がこれだと言うのに係の女がちがう機械に座らせ手間取ったのだった。この前後にはぶらっと入ったカオサンの日本食屋のことをボロクソに書いていてかなりおもしろいのだが略。あぶない。とにかくカオサンは嫌いだ。

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 不運は続くもので、やっと掲示板にアクセスしたのに××も△△もアルゼンチンの結果を書き込んでなかった。二十日ぶりに私が書き込んだのだから、すぐに返答してもらいたいものである。
 それでもなんとか日刊スポーツにアクセスし、「マチカネキンノホシにメジロロンザンで80倍」というのを知る。惜しかったなあ。マチカネを軸にして流しておけば、大ヒットの80倍だった。アドマイヤボスを軸にするようなミーハー路線は止めにしよう。


 このとき私はまだ正規のホームページを始めていない。それでも掲示板を開設し友人とのやりとりはやっていた。アルゼンチン共和国杯の結果を知りたくて、そのことを掲示板に書き込んだのに、競馬好きの友人がそれを教えてくれないと憤慨している。マチカネキンノホシ、メジロロンザン……記憶にありません。だいたいが外れ馬券のことをぜんぶ覚えていたら馬券なんてやってられない。数少ない当たった記憶のみ大事にするから出来るのだ。「アルゼンチンの結果」なんて、まともな日本語じゃない。ま、私的日記だからいいけど。

 四十日の旅行を終え十一月初旬に帰国した。ジャパンカップを観戦して、十二月半ばからまたチェンマイに行っている。一ヶ月の年越しだ。そんなことばかりしてたんだからそりゃあ仕事もなくなるわなあ。
 テイエムオペラオーが史上初の春秋グランドスラムを達成する有馬記念はチェンマイのインターネットカフェ「アイコム」の衛星放送で見た。時差が二時間あるから午後一時半スタートだった。
 と、きっかけさえあればあれこれと思い出してくる。

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 二人ともたいして空腹ではないのだが、八時になったし、出掛けようかと外食に出る。
 階下で香港の××さんに電話しようとした時、日本人らしきバックパッカーがいた。無視して妻とタイ語で会話しつつ香港に電話しようとしたら、「タイ人ですか」とタイ語で話しかけられ驚く。三十代半ばのタイからの旅行者だった。チェンマイからである。彼もこちらが中国籍泰族と日本人のカップルだと知って驚いたようだ。明日帰るというので、私も七日にチェンマイに帰ると伝え、今度またチェンマイで会いましょうと挨拶した。彼ぐらい礼儀正しいインテリなら、『サクラ』のことを伝えてもよかったのではないかと、別れてからちょっと悔いが残った。


 これは中国の昆明での話。茶花賓館。まったく覚えていない。こんなことがあったことも覚えていないし、この人といま会ってもわからない。でもバックパッカー嫌いの私が「礼儀正しいインテリ」と褒めているのだからすてきな人だったのはまちがいない。『サクラ』のことを伝え、そこで待ち合わせたらまた違った展開になっていた。残念である。

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 おもしろくてやめられない。後に読み返す日記がこんなに価値のあるものだとは知らなかった。十代のときはしかたないにせよ、二十代に書かなかったことが悔やまれる。三十代からは日記はつけてないが、取材の仕事をするようになり、克明なメモが手帳にあるので、ほぼだいたいのことはそこから思い出せる。もしも火事になったら二十冊ほどの手帳はまっ先に持ち出すものになる。逆にパソコンに日記を書くようになってからは手帳にメモしなくなってしまった。パソコンがクラッシュしたら消えてしまう。CD,DVDにこまめにコピーを取っているけど。
 日記はおもしろい。また機会があったら読んでみよう。

12/26 携帯電話音痴──哀れまれた日

 QRコードを携帯電話で読みとる方法を知らなかった。今も知らない。そもそもQRコードと携帯電話の関係がわからない。

 二年ほど前、最近やたらと携帯電話とQRコードなるものを見かけるが、あれはどうやるのだと若い友人に問うた。彼は私の質問にちょっと戸惑ったような顔をし、それから丁寧に教えてくれた。
 私にQRコードの接写方法を教えてくれたあと、彼はおずおずと言った。「あの……パソコンは持ってるんでしたっけ?」と。

「えっ? もちろん持ってるよ」と答えたあと、先ほどの「戸惑ったような視線」の意味を知る。どうやら私は彼に典型的なデジタル音痴のおじさんと思われたようだった。VTRの予約録画も出来ないような。彼は私がホームページをもっていることを知っている。なのにそう質問したということは、そうこんがらがるぐらい私のした質問は初心者だったということだろう。あらためてパソコンはもっているらしいと彼は確認したが、おそらく私は彼以下の使用者と思われた。彼の視線は高見にあった。

 彼が生まれる前からパソコンを使っており、彼が幼稚園児のころから携帯電話を利用している身としては、その視線は屈辱的だった。いや単に使用歴が古いだけでは意味がない、そうじゃなく、私はパソコンを自分で組み立てる、いじくりまわす。好きこそもののでハードに関してもソフトに関してもかなりマニアックな知識を持っている。すくなくともメーカ製のパソコンをそのまま使用していて、エクセルで馬券収支をつけ、気に入ったサイトを覗いているフツーの人である彼よりは電子機器に関して詳しい。たまたま(?)携帯電話に関してのみ疎いのである。
 初めて味わうその視線に傷ついて(笑)、私はますます携帯電話と疎遠になった。電話機は電話だけ出来ればいいのである。よけいな機能はいらない。QRコードなんて論外である。この時点ではQRコードが何者なのかわかっていないのだが。

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 今回ジャパンネット銀行の件で初めてその必要性があり携帯電話に於けるQRコードの意味を知った。URL一発接続である。携帯電話でネット接続なんて興味がない。知らないはずである。
 Wikipediaで調べたら、「日本で最初にQRコードに対応した携帯電話はJ-Phoneの××」とあり、その××が長年の愛機であったことに複雑な思いがした。

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 このことをK君に話していたら自分もそうなのだと言われて驚く。K君は三十代半ば、中学生のときからパソコンをいじっている二十年選手。自作プログラミングで解析ソフトを作って仕事をしている。いわゆるサイバー系ライターである。

 K君にQRコードの読みとり方法を質問したら彼も知らず、実はケイタイの使いかたを知らないと、人からばかにされるんですと彼は笑ったのだ。それも「おまえにだけは言われたくないよ」と思うような人から言われるのだとか(笑)。

 私は私のような携帯電話音痴はかなり特殊であり、K君のようなひとはそっち方面でも万能だと思っていた。どうやらそうではないらしい。K君ははっきりキイボードのない携帯電話でのメールなどやっていられないと言った。私と同じである。年下のパソコンプロであるK君が自分と同じと知って私は心強かった。どうやら年齢は関係ないらしい。
 パソコンのプロであるK君に携帯電話の使用法に関してうんちくを垂れる人は、K君より年上のおじさんであり、携帯電話以外はまったくの機械音痴なのだ。 

 このことからわかったのは、世の中には携帯電話の使用法にのみ習熟している人たちがいるということである。彼らはパソコン、というか電子機器全般に関する智識は薄い。携帯電話の使用法にのみ特化しているのだ。
 そういえば還暦おばさんのH子さんも、なかなかパソコンが覚えられず、先日も「データをCDに焼くのはどうしたらいいのだ」と訊いてきたぐらい進歩がないのだが、ケイタイメールは、それこそ絵文字やアニメを多用して今風である。それに興味のない私は、彼女からのメールがやたらアニメーションして煩わしくてしょうがない(笑)。

 ともあれ、パソコン好きのケイタイ音痴は私だけではないと知って安心した。
 まあおもちゃであるから、誰だって毎日いじっていれば習熟してゆく。パソコンという上位機器がなく、ケイタイだけが友人との仲を繋ぐツールなのだとしたら、家の中でも電車の中でも、それこそトイレの中でも四六時中いじっているのだから、そりゃ早打ちにもなるし、細かな使いかたも覚える。私もパソコンを買ってもらえない今時の中学生高校生だったら名人級だったろう。凝り性だし。片時もケイタイを離さない生活になっていた。

 数年前、「携帯電話に書いた数行を集めて小説にしたりして」と書いた。冗談のつもりだった。それがいま現実になっている。ベストセラーが生まれている。2ちゃんねる等のアクセスや書き込みもケイタイが主流のようだ。今後もこの流れは加速してゆくのだろう。

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 時代遅れも悪くない(1/8)

 携帯電話の使いかたに疎いことで、初めて私は世の中から遅れている感覚を味わった。
 遅れていると言うなら、私は話題のテレビドラマを一切見ないし、J-Popもまったく知らない。だからその種の話題に関してはすでに充分に遅れている。だがそれは餘裕で交わす。なんといえばいいのか、今流行りのJ-Popの連中が憧れた人、さらにはその人が憧れた人、そういう音楽の流れを知っているからであり、そして音楽というのは決して変っていないから、流れが見えていると餘裕でいられるのである。一例を挙げると、私がKinki Kidsの歌を好むことを「あたらしいですね」と言われたことがある。でも作っているのは吉田拓郎や山下達郎なのだ。ちっともあたらしくない(笑)。私が学生時代に憧れた音楽の焼き直しなのだ。

 ここで大事なのは「聞けばわかること」である。Kinkiの「硝子の少年」を聞いたとき、すぐに私は松本隆の歌詞であるとわかった。はっぴいえんどのころから知っている(笑)。ところでいま「風をあつめて」をテレビCMで女が歌っているが、あれば誰なのだろう。懐かしい曲だ。それはともかく、「キンキキッズ? しらねーよ、そんな最近の若い者の歌は。おれが好きだったのは吉田拓郎とかよ」ではダメである。まあでも世の中そんなものか。この分野に関しては私も特化しているので一般論は言えない。

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 携帯電話にそんな流れはない。上位機種のパソコンに詳しいと居直ることも出来ようが、それとはまったく違う「ケイタイ文化」とでも呼ぶべき流れが発生している。前記のQRコードであり、「ケイタイ小説」だ。私は完全にそれに乗り遅れている。といって乗ろうとして遅れたわけではない。これはこれで重要だ。興味がなくて乗らないのと乗りたいのに乗れないはだいぶ違う。

 それで思った。
「遅れるのもわるくない」と。

 私はVTRの予約さえ出来ない人をあわれんできた。父が七十を過ぎてからワープロを覚えた人であり、その子であるから、何事に関しても「遅すぎることはない」と思っている。やりたいと思ったときがやるときだ。それが出来ない人は、単にやる気がないだけだと軽んじていた。まして「ああ、できないよ、出来なくたって死にゃしないしね」と居直るなど言語道断である。

 私が携帯電話の使いかたに習熟しないのも明らかにやる気がないからなのだが、それまでの私は、その「やる気がなくて覚えないくせに居直っている人の気持ちがわからなかった」のである。
 今回の「携帯電話は電話が出来ればいい」は、機器を使いこなせない私の初めての居直りである。そういうタイプの頑固親父は世に多い。私にはまったくその感覚がなかった。経験して知った。

「ヴィデオの予約? そんなものできん!」と威張っている人は、けっこう「遅れている自分をマゾ的によろこんでいる」のである。

 果たしてこのまま行くのだろうか。それならそれでもいいし、なんだか凝り性の負けず嫌いだから、そのうち一転して習熟し、ケイタイ小説でも書き始めそうな気もする。


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