3/15 | アサ芸の石原慎太郎批判──斉藤貴男 3/13日発売の『週刊アサヒ芸能』に石原都知事をボロクソに批判する記事が載っていた。アサ芸のサヨク記事ってのは映画監督のイヅツのコラムに象徴されるように酔っぱらいの喚き事に近い。競馬コラムを持っているとき何度か出入りしたがツジモトを好きな編集者とかがいて合わないものを感じた(笑)。なんなんだろうね、徳間のあの切り口は。 この文を書いたのは斉藤貴男。嫌いな人間はカタカタで表記しているのだがこの場合は劇画家のさいとうたかを先生に近くなるのでしかたなく漢字で書く。 最近売り出し中のサヨクだ。「わしズム」で小林よしのりと対談していた。もちろん敵対しての対談である。最後はなかよくなっていたが(笑)。それによると早稲田時代はノンポリだったようなことを言っている。遅めのサヨクウイスルに罹ったビョーニンである。オトナになってからのおたふく風邪はたいへんだ。 思想家としてデビューする前に「梶原一騎伝」を書いている。これを持っていたが先日の引っ越しの際に捨てた。持ってるだけで気分が悪くなる。 --------------- 斎藤貴男出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』斎藤 貴男(さいとう たかお、1958年 - )はフリーのジャーナリスト。東京都生まれ。東京都立北園高等学校、早稲田大学商学部卒業後、英国・バーミンガム大学で国際学修士。『日本工業新聞』、『プレジデント』編集部、『週刊文春』の記者を経てフリーになる。主に時事、社会、経済、教育問題を取り上げる。格差社会や政府による情報統制などへの激しい批判で知られている。 2007年参院選に社会民主党から比例区候補として出馬予定していたが、07年2月にこれを取りやめた。理由は「東京選挙区から立候補する川田龍平と社民党が共闘できないのはおかしいから」としている。同党は弁護士の杉浦ひとみを同選挙区で擁立予定。ただし、社会民主党と川田龍平が東京選挙区で共闘することになったとしても斉藤貴男が再度立候補を決意するかは不明。ほうほう、社民党から出馬予定だったんだ(笑)。それでやめた理由が共産党のカワダリュウヘイと社民党が共闘できないから(笑)。たのしいなあ。いやはや。 --------------- さてアサ芸の石原批判だが。 批判はいいが資料がひどい。まちがいだらけ。石原が障碍者へ聞くに堪えない差別暴言をしたと語気荒く書いているのだが、そこで引用しているのが例のアサヒシンブンの悪意きわまる改竄与太記事なのである。 すでにこのホームページでも何度も書いたことなので掻い摘むが、「石原都知事が障碍者の施設を訪問した。そこで彼は寝たきりのまま長年介護されている彼らを見て、『この人達は生きていると解っているのかね』と発言した」のである。 その発言をアサヒシンブンが、まるで都知事が障碍者は生きる必要がないと言ったかのような差別発言に編集して報道した。長年の施設による介護も、「こんなことをしているのは日本だけだ」と誇りを持って発言したのに、税金の無駄遣いであるかのように。 他人の発言などそれを取り上げる人間の切り口でどうにでも出来る怖い例である。アサヒが喚き「都知事の障碍者差別発言」として話題になった。 ところがこの訪問をアサヒと同じく同行取材した東京新聞が、発言全体をすんなりそのまま報じていた。するとそこでは「この人たちは生きていることが解っているのかね」と文学的に考え彼らを見て感動した都知事の様子が書かれていた。「こんなことをしているのは日本だけだ」は福祉国家日本の誇らしい発言だった。 どんな場面も描きようでなんとでもなる一例である。障碍者を見て涙ぐんだ都知事は、アサヒよって彼らを生きる価値のない存在と言い切った非道の男として描かれた。 石原陣営がアサヒシンブンに抗議する。本来ならカンカンガクガクの論争の果て、藪の中になるはずだったが、東京新聞の存在により、アサヒの悪意が証明されあっけなく収束した。 言うまでもなく、もしも石原発言がアサヒの報道のようなものだったら、今に至るも論議され、ことあるごとに口に上り、都民の誰もが知っている話題になっていただろう。二選で300万票なんて得票もあるはずがなかった。だがアサヒの捏造悪意報道が東京新聞の記事との対比によって暴かれ、アサヒもさすがに都合が悪いものだからもうこの件に関しては触れないことにした。得意のほっかぶりゴマカシである。 よってこの件に興味のなかった人にはさして知られない事件になった。 というのが、このことに興味を持った人なら誰もが知っている結末だった。アサヒシンブンの恐ろしさが際だった悪意報道である。 ※ ところが世の中にはそういう経緯など関係なく、この与太記事をこれまた自分の意見に都合良く引用するサイトウのようなのがいたのである。 サイトウはそのアサヒの記事を全面的に引用し、いかに石原都知事が障碍者を差別するとんでもない人間か、そんなヤツを都知事にしておいてはダメだと論陣を張っている。 なんとも呆れ果てた男である。 所詮アサ芸の反体制はこんなものか。 あまりにくだらない内容なので力が入らない。かといってこんなのを苦笑混じりで見逃してはいけないのだろうととりあえずがんばって書いた。 報道はおそろしい。世の中にはこの『アサヒ芸能』の記事を読み、石原支持者なのに、「あの人ならそんなことを言ったかもしれない」と思う人がけっこういることだろう。そこが残念である。もともとこういうものを全面的に信用し、「そうだそうだ、おれもアサヒを読んでこれ知ってるよ」という人は最初から無視しているが。 どうしようもないな、日本の珍サヨクは。 |
3/24 | 1位は誰なんだ!──テレ朝 テレ朝の朝のワイドショーが昨夜の女子フィギュアスケートで浅田真央がまさかの5位と騒いでいる。 意外な結果だ。公開練習の時から絶好調だった。単勝1倍台の本命である。じゃあ1位は誰だったのか。 次いで、「ミキティがやってくれました!」と叫んでいる。安藤美姫がトップだったのか!? 「ミキティ、2位です!」って。だから1位は誰なんだ! わからずじまい。「さて、次のニュースです」とシンクロナイズドスイミングの話題に移ってしまった。なんなんだいったいこのニュースは。 ネットでスポーツ新聞のサイトを開き調べる。へえ、あの腰痛に悩んでいた韓国娘が最高点を出したらしい。あの娘も天才だからなあ。もしかしてあの腰痛もフェイクだったか? どうも秋山問題以来韓国人が信じられなくなっている。ん? 帰化してるから秋山は日本人か。 当然韓国では彼女が最高点を取ったと第一面で大騒ぎだろうからそれはそれでいいとして、でもなあ、5位と2位ばかり連呼して1位がわからない報道ってのは問題なんじゃないか。日本人は海外で大事故があっても真っ先に日本人乗客の数ばかり重視するが。 こういう偏った報道に接すると、崖っぷち犬だの迷い込んだクジラだのと大騒ぎしつつ今夜は焼き肉だねっていうのと同質の矛盾を感じる。 60年以上前、朝鮮や中国にわるいことをしました、小泉政権で近隣アジア諸国との関係がとか言う前に、朝鮮人が世界最高点を取って1位になったんだから最初にそれを報じろ。何で5位の日本人のことばかりしゃべっているんだ。おれは支那も朝鮮も嫌いだけど、世界最高点を取ったあの朝鮮人の娘はすばらしいと思う。すなおに賞賛するし、情報として知りたい。そのことを最初に報道しろ、テレ朝! --------------- 【附記】 いまいくつかのスポーツ紙サイトを見てきたら、どこもかしこも2位になった安藤の写真ばかり。まるでトップのよう。ひどい話である。もちろん朝鮮や中国はこういう場合、そういうことをするだろう。アメリカも同じか? だからこそ公正な日本は民主主義国家として(笑)、朝鮮娘トップを大々的に報じておとなであることを見せねばならない。 てなことは無理だとわかったが、朝鮮日報新聞系列のテレビ朝鮮日報だけは、こういう時こそ朝鮮人がダントツトップだと日本人など存在しないかのようにそればかりを報じるべきであろう。それでこそアサヒだ。 ============================================ ◎浅田の抜群の演技!(3/24夜) 昨日のSPはテレビを見ていない。今日のFPはしっかり見た。浅田真央の演技は感動的で背筋がゾクゾクした。いやはやなんとも言い難い。 その浅田を安藤が抜くというので(結果はテレビ中継の前に知っていた)あれ以上とはどれぐらい凄いのだろうと期待したが期待外れ。冒険をせず無難にまとめる演技だった。これはSP1位の朝鮮娘がミスをしたのだからきっちりと点数稼ぎをしてのメダル狙いという戦術。それは正しい。それはそれでいい。(コーチの指示だったと知る。あのコーチ、前々から思っているのだが太陽ケアに似ている。) とにかく浅田の演技がすばらしかった。私は女子フィギュアスケートをジャネット・リンの頃から見ているが難しいことは何も解らない。解る気もない。ただ漫然と見ているだけである。なのに浅田の演技は寝ころんで見ているこちらを思わず起きあがって居住まいを正させるほどのものだった。なんとすばらしいのであろう。この娘の前途は無限大だ。次元が違う。 ▼なぜか馬喩え 浅田はディープインパクトである。失礼ながら安藤とはモノが違うと思った。浅田のライバルはやはりあの朝鮮娘であろう。 不仲も多い世界(それが当然か)でオリンピックゴールドメダリストの荒川と安藤は姉妹のように仲が良い。荒川はテイエムオペラオーのようなタイプ。堅実に金メダルは手にしたが派手さはない。安藤は何に喩えるられるのか。って別に馬にする必要はないのだが(笑)。 |
8/4 | 週刊アサヒの悪意の表紙 例のNHKへの圧力問題を始め、首相になる以前から安倍首相とNHKは不仲である。裁判沙汰になっている。すべてアサヒの捏造なのでごまかしようがない。全面的敗戦だ。ますます感情的になる。安倍憎し、安倍政権憎し、自民党憎し、と今のアサヒの逆上は順序が逆だ。今回の選挙でも安倍政権へのあからさまな非難を繰り返し、民主党を礼賛し、とても公器とは思えないやりかたをしていた。 私は新聞を公器だとは思っていない。だから民主党機関誌のようだったそういう姿勢は、それはそれでいい。新聞が公平である必要はない。そもそもすべてに公平な視点などもちようがない。新聞は自社の感覚で、思いっきり好き放題をしていいのだ。メディアなんてそんなものである。 問題は、そういう偏った好き放題をしていながら、公平な視点のふりをするあざとさである。偏った視点はいい。だがそこには「これは当社の視点です」という姿勢が必要だ。淡々と世の流れを伝えるふりをしつつ、偏った方向への言論誘導は醜い。それに踊らされる一見知的な大バカが山といる。アサヒはその本家本元だ。あれほど極端な偏った自説を全面的に出しておきながら、あたかもそれが民衆の総意であるかのように演出している。 文章の悪意はさんざん読んできたが、こうして画像的なことまで目にすると、しみじみとなさけなくなる。2ちゃんねる的悪意となんらかわりない。恥ずかしくないのだろうか。自国の首相の顔に文字をかぶせて汚すという発想が信じがたい。バカ女がヒステリィでやっているのではない。リッパな大学を出たリッパなおとなが作っているのである。こんな表紙をデザインして、こんな表紙の週刊誌を発刊して、恥ずかしくないのだろうか。 --------------- 私はこれを土曜発行の『夕刊フジ』で知った。 識者が「表紙の有名人の顔に文字をかぶせて汚した例を知らない」と語っていた。週刊誌の表紙は、そのときの「旬の人」を載せる。男でも女でも「いちばんいい顔」を載せて、売り上げアップを図る。表紙イコールその週の週刊誌の顔である。美男美女、笑顔、温厚、年輪、さわやか、ユーモア、取り上げられる有名人にとっても、雑誌の表紙になることはそれなりに名誉であろう。こんな形で表紙にし、こんな形で汚した例を知らない。 同じく識者が「週刊誌のタイトルがなかったら、どこの赤新聞かと思いますよ」と語っていた。ごもっとも。週刊朝日の文字がなかったら、いったいどこのサヨクのポスターかと思う。いや、これ、サヨクのポスターか(笑)。 やったことはもちろんだが、これをかっこいいと思ってやる神経がお寒い。そしてこれを喜んで購入するひとがいるのかと思うと暗澹たる思いがする。 自民党を支持しないことと、こういう表紙のセンスを肯定することはまったく別物である。 |
11/1 | msnと産經? 産経新聞グループは27日、マイクロソフト(MS)と業務提携し、今年10月1日に共同ブランドの新たなニュースサイト「MSN産経ニュース」を立ち上げると発表した。新サイトは、産経新聞グループのデジタル戦略会社、産経デジタルが運営する産経新聞の公式ウェブサイト「Sankei WEB」(http://www.sankei.co.jp)を発展成長させる形でMSのポータルサイト「MSN」のニュースサービスと統合する。 現在のMSNのニュースサイト「MSN毎日インタラクティブ」は9月末でサービスを終了する。 提携は、両社のコンテンツや技術力、ノウハウを融合することで、質の高いニュースサービスを提供するのが狙い。産経デジタルが24時間体制で編集を担当し、広告営業は主にMSが行う。産経デジタルが運営する「iza(イザ!)」「SANSPO.COM」「ZAKZAK」などの各サイトは、10月以降もこれまでと同様、獨立したサービスを続ける。 MSは平成16年から、毎日新聞社と提携してニュースサイトを運営してきたが、9月で提携を解消する。 今回の提携に関し、米マイクロソフトのスティーブ・バーモス副社長は「(提携によって)最良のネット環境を提供し、ユーザーの期待に応える取り組みを一層強化できる」と述べた。また、産経新聞社の名雪雅夫常務は、「インターネットを報道機関にとって最も重要な媒体の一つとして位置づけ、社の体制などで大胆な改革を図る。目指すのはナンバーワンのニュースサイトになること」と、意欲を示した。(izaより) --------------- 検索したニュースをクリックしたらMSの外観でサンケイのニュースが現れたので目を疑う。MSのニュースといえばマイニチであり、私とは合わないので読まないようにしていた。OSを再インストールすると、かってにIEが立ちあがり、ここを表示したりする。標準のブラウザをIEではなくして、こういうサイトが出ないようにするのも、そういう際に私がまっ先にやることだった。 もともとMSは大嫌いである。それがマイニチシンブンと組んでいるのだから嫌いの自乗だ。読むはずがない。なのにそのいままでマイニチだったところにサンケイがいるのだからおどろいた。何事が起きたのか。 どういうことなのかと検索し、上記の理由を知る。MSがマイニチとの契約を切りサンケイに乗り換えたらしい。落ち目のマイニチを追い抜きたいサンケイも渡りに船だろう。といって、これから紙の新聞の部数が伸びるなんてことがあるのだろうか。 そういうことなら大歓迎である。MSには珍しいヒットだ。これなら自動起動のサイトにしておいても安心できる。 早速見てみると、私としては産經的に硬派になって欲しかったのだが、逆にマイニチ時代よりもエンタメ路線が強化されていた。かなりサンスポが入っている(笑)。 --------------- 「子宮筋腫の井上京子が男児を出産」というのがあった。井上京子と言えば女子プロレスの彼女のことか。結婚したことを知らない。それとも私の知らない同姓同名のタレントか。とクリックしてみる。するとやはり女子プロの井上京子だった。相手はまだ未入籍の一般人なので名は出さないとか。彼女も三十八だ。早いものである。一度離婚歴がある、とあった。知らなかった。それだけ女子プロが遠くなっている。ゴールデンタイムでやっていたのも遙かむかし。ゴールデンタイムはどうでもいいのだが(あれはオンナノコ向けだったから)日曜午後の特番が好きだった。ジャンボ宮本のころ。 井上が三十八ってことは豊田真奈美も三十七になるのか。早いものだ。父と一緒に田舎の体育館会場で初めて見たときは、まだ十七だった。身体能力がすばらしく、この娘はすごいレスラーになると思ったものだった。 と、msn-SANKEIを初めて見たのでもうすこし堅い話を書きたかったがなぜか女子プロになってしまった。それは好ましいことか。 --------------- 貴重な画像? 左側の旧サンケイのアドレスにアクセスすると上記の画が出る。そして5秒後にあたらしいmsnサンケイに移動する。この画をここに載せたかったがなにしろ5秒で移動してしまうので切り取るのに苦労した(笑)。左の画のサンケイによく行ったので、なくなってしまったのかと思うとそれはそれで思うものがある。 |
11/6 | アベスル・アサヒル・オザワル ・安倍前首相が突然辞任したことについて書かれた9月25日付朝日新聞のなかで、コラムニストの石原壮一郎さんが「『アタシ、もうアベしちゃおうかな』という言葉があちこちで聞こえる。仕事も責任も放り投げてしまいたい心情の吐露だ」などと紹介した。ところが、ネット上で、そのような言葉は流行っておらず、「捏造」ではないかといった指摘や批判の声が相次ぎ、石原さんのブログも「炎上」状態に追い込まれた。 川北隆雄論説委員が書いた東京新聞のコラム「一筆両談」は、この騒動を紹介した上で、「コラムニストが紹介する以前に公の場で使われていることは明らかなので、捏造ではない。 つまり、捏造疑惑の方こそ捏造の疑いが濃厚だ」と主張。「私は、これを今年の『流行語大賞』に推薦したい」「同賞を選定している自由国民社の審査委員会は、ぜひ、聞き届けて欲しいものだ」とまで述べている。 「2ちゃんねる」では、このコラムを批判する書き込みが相次いでいる。 「『俺らマスコミが流行らせたと思ったら、それが流行だろ?』と本気で思ってるから恐れ入る」 「捏造語大賞ならあげてもいいよ」「公の場ってどこだよw」 「コラムニストが紹介する以前に公の場で使われていることは明らか」というくだりの真偽を確かめたくて、川北論説委員への直接の取材を試みた。しかし、勘弁して欲しいとのことで、コメントをもらうことはできなかった。 「流行語大賞」元審査委員で新語アナリスト、亀井肇さんは「アベする」選出について「まず無理でしょうね」と悲観的だ。 「『アベする』は石原さんの周りでは多分あったんだと思うが、『捏造だ』という指摘が訴求力の高いネット上で広まってしまって、流行ってない宣伝になってしまった。2ちゃんねるで騒動になりましたから、選んでしまったら大変なことになるでしょう。私も『アベする』はおもしろい言葉だと思ったが、週刊誌にも流行ってないという風に書かれてしまった。東京新聞がいくら擁護しても難しいでしょうね。 私が審査委員なら『やめとこうよ。他にもっといい言葉がある』と言うと思います」J-castより --------------- 流行ってもいない「アベする」をアサヒシンブンにコラムニストがいかにも流行っているかのように書いた。ここまではまだいいと思う。それはコラムニストの責任だからだ。炎上したのも当然だろう。嘘なのだから。だけどそこに東京新聞の論説委員が関わってくるとなると尋常ではない。そしてまたこの論説委員、ヤバくなったら逃げてしまった。なにが「勘弁して欲しい」だ(笑)。 ネットのない時代はこういう嘘の押しつけに一般庶民は反論できなかった。今は出来る。明らかに流行っていないものを大流行と押しつけられたら、「そんなの嘘だ」と反発できる。それがどんな「権威」だったとしても。 いい時代になったものだ。その「誰もがもった力」を危ぶむ声もあるが、かといってまともに流行っているものを否定しようとしても出来ない。同じく「誰かから」反対の声が出てくる。平等だ。 かたよったブログが「炎上」するのは、それだけの理由がある。 コラムニストが書いたのはわかる。たぶん彼の周囲で「アベしちゃおうかな」と言ったひとがいたのは事実だろう。いなくても、彼が「アベする、ってどうよ!?」と思いついたなら、それをネタに書くのがコラムニストだ。流行っていなくても「流行っている」と書いてしまったのもまだ許される範囲であろう。それが彼の周囲の出来事でしかないこと、あるいは事実でないのに彼が思いついたことであることだとしても、「流行っている」と書いた筆禍は、彼の責任として処理できる。 だけど東京新聞論説委員はお粗末だ。看過できない。ここには「だまれだまれ素人どもめ、だったら特権階級の俺様がおまえらを『一筆両断』してやる!」というマスコミ人のおごりが見える。 むかしアサヒシンブンの百目鬼を筒井が批判したのもこの視点だった。百目鬼は周囲の一般人が嘆いているのを聞いて、「よしよし、だったらおれが書いてやるから」という手法を採った。その経緯をそのまま週刊誌に書いた。その醜さ、驕り。 今までならこの論説委員のこれみよがしに一般人は黙るしかなかった。せいぜい新聞の投書欄に投書する程度だ。そんなもの黙殺されたら終りである。あとはそいつを刺すとか、新聞社に放火するとか、そんな直接的な行為しかなかった。今はインターネットというメディアを使って正面からことばで反撃できる。マスコミ人の特権が瓦解した。この論説委員はその「特権」は今もそしてこれからも持続するものと思っていた。盤石だと慢心していた。まさか特権階級の自分が素人に追い込まれることになるとは夢にも思わなかったろう。「勘弁して欲しい」は本音だ(笑)。 --------------- ネットでは、「アベする」より、よほど「アサヒる」のほうが流行った。それを取り上げる紙メディアはないのか(笑)。 というところにオザワの辞意表明。そしてまた一転。 ・代表辞任の意向を表明していた民主党の小沢一郎代表(65)は6日夜、慰留を働きかけた同党の鳩山由紀夫幹事長らに対し「大変ご苦労をかけた。感謝している。本当に恥をさらすようだけど、皆さんの意向を受けてぜひもう一度がんばりたい」と述べ、党執行部の要請を受諾し、代表を続投する考えを表明した。鳩山氏が小沢氏との会談後、民主党本部で記者団に明らかにした。(izaより) さて今度は「オザワる」だ。これも大激震だからコラムニストは無視できないだろう。ぜひともアサヒシンブン御用達のコラムニストには「私の周囲ではオザワっちゃおうかなと言う人が多い」と書いて欲しい。同じネタなのだから、きっと彼の周囲にはそれを使う人がいるはずだ。いなきゃ不自然だ。もしもネットがそれを否定したら、「オザワるは流行っていた。流行語大賞に私は推したい」と、東京新聞論説委員に「一筆両断」して欲しい。それでこそまともだ。 ============================================ アベスルよりアサヒル(笑)──『現代用語の基礎知識』 「アサヒる」「初音ミク」「ローゼン麻生」、
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11/20 | オシム監督の極東島国時代!? TBSの午後のワイドショーが先日脳梗塞で倒れたオシム監督の経歴を紹介していた。生まれたときから現在までが年譜として大きなボードに書かれている。そこに現在の監督のいる場所として「極東島国時代」とあった。なぜこんなことをするのだろう。 それまでは「ユーゴスラビア(現ボスニアヘルツェゴビア)時代」「フランス時代」と国の名で来ている。だから現在も「日本時代」でなんら問題はない。というかそのほうが自然だ。なのになぜかそこだけ「極東島国時代」なのである(笑)。心の歪んでいる人たちというのは困ったものである。 極東=Far East、東の外れとは、言うまでもなく西洋から見た呼称である。ヨーロッパで、ヨーロッパ中心の地図を見ると、我が国は右の端になさけない感じで描かれている。それもユーラシア大陸から落ちないようしがみついているような形だ。あれは日本人として悔しくなる一瞬である。極東、はるか東の外れの島国と言われてもしかたないと思う、あの地図では。 一方でまたあの地図を見ていると、私がヨーロッパ人だったなら、いつの日かこの地図の外れの外れにある奇妙な島に行ってみたいと冒険心を刺激されたろうと思った。それぐらいひどい描かれかただ。 しかし日本が真ん中に描かれた世界地図では、我が国は堂々と世界の中心に位置している。上のユーラシア大陸を支え、下のオーストラリア、極東のアメリカ、左のアジア、極西のヨーロッパを従え、世界の中心に鎮座している。まさに日の本である。地図とはそういうものだ。どこの国の地図だって自国が中心である。その国の国民は、自国を世界の中心と考えて発想する。だから西洋人が日本を極東と言うのは自然である。だがそれを真似て日本人が自らそう言うのは極めて不自然であり、なんの意味もない。正気の発想とは言い難い。日本のテレビ番組で(軍事問題を論ずるときでもあるならまだしも、こんなバラエティ番組で)使う必要などまったくない。ましてそれ以前のオシム監督のいた地域の表記がユーゴスラビア時代、フランス時代なのだから、日本だけこんな言いかたをするのは明らかな自虐である。 以前「朝まで生テレビ」で朝鮮問題を論じたとき、パネラーの金美齢さんを意図的に何度も「キムさん」と呼び、金さんから「私はキムではありません、キンです」と言われていた朝鮮よりの発言者がいた。あれと同じ、意図的な悪意になる。こんなことをして満足する日本人がいるのだからなさけない。さすがTBSだ(笑)。 東南アジアも日本中心の地図なら西南アジアだが、そこまでは言わない。便宜上、極東も東南アジアも認めよう。しかしそれらを必要のない場で意図的に使用するとなると話は違ってくる。それが上記だ。「ユーゴスラビア時代」「フランス時代」と国の名前で来たなら「日本時代」が正しい。なぜそこだけ国名がなくなり、「極東島国時代」と西洋から見た地域を表す言葉になるのか。この大きなパネルを作った人間はなにを考えているのだろう。いやなにを考えているかは解る(笑)。それで快感を感じるかわいそうな人なのだ。 これでもしもオシムさんが韓国での監督経験があったら「極東半島時代」と書くか。書くまい。日本を「極東島国」と貶めることは大好きでも、韓国を「半島」と言ったりはしない。それがこのパネルを作った人の精神である。それどころかもしも韓国での監督時代があったなら、ごく素直に「韓国時代」と書き、いくらなんでもそのあとに日本だけ「極東島国時代」とは書けないから、「日本時代」と書いたろう。ということは、この人の精神を覗き見るために、韓国時代がなくてよかったことになる。 こういうことをかっこいいと思ってやっているTBSは、ほんとかっこわるいと思う。最低である。 |