2006
06/4/15  佐山と前田の再会

 『週刊文春』4月20日号が提供した最大の話題は「TBS大家族物語青木家のインチキ」だったらしい。いやはや週末はたいへんな盛り上がりだった。私がニュースをチェックする2ちゃんねるの「ニュース速報+」であそこまで異様な盛り上がりで次々とスレを消化していったのだから、テレビ番組板とか専門の場ではもっと過激だったのは容易に想像できる。『週刊文春』もさほど派手な扱いではなかったし、まさかあれほど盛り上がるとは思っていなかったろう。
 ご近所の人からのたれ込みは前々から2ちゃんねるにあったようだ。でもよくある誹謗中傷として見逃されていたらしい。活字メディアの信頼ということか? それはさておき。

 この号には、後半部の地味なモノクロ2ページではあるが格闘技ファンには見逃せない貴重な記事があった。
「佐山聡と前田日明、二十年目の握手」である。真ん中に真樹日佐夫氏。こわいので氏をつけておく(笑)。

 たまに文春に載る格闘技系の記事だ。真樹氏に近いライターが企劃して持ち込む。そこまでは知っているが、これが実現する裏には、私のような好事家には興味津々でも、相当に格闘技界に詳しくないとつまらないだろうと思われるマニアックな記事があの芸能娯楽軟派路線に走っている今の『週刊文春』に載るのだから、かなり格闘技好きのそれなりに力のある編集者がいると想像できる。

 今回の場合も、あのUWFのリング上で不可解な試合を行い、それ以来絶縁関係となっていた佐山と前田が、真樹日佐夫氏の仲介で二十年ぶりに誌上対談をした、ということなのだが、いったいこの二人の二十年ぶりの再会に、「おお、なんと!」と喜ぶ『週刊文春』読者がどれほどいるだろう。佐山も前田も真樹氏も、決して一般的な人ではない。初代タイガーマスクや第二次UWFがブームだったころならともかく。

 あのときの不可解な試合は、ワープロで精緻なルールを作り、月一回の試合を主張し実行しようとする理想家肌の佐山と、(まだまだタイガーマスク人気の高かった佐山はタイガージムを経営し充分に食っていけたが)、とても月一回の試合では食っていけないから、たとえ旧来のプロレスとそしりを受けようとも、もっと試合数を増やさねば、という切羽詰まった連中とのせめぎ合いだった。彼らの代表に前田がいた。月一回の真剣試合を誰よりもやりたいのは前田である。だがそれではみんなが干上がってしまう。妥協せねばならない。だが佐山は妥協しない。他者の饑餓に気づかない。
 それでもリングの上で、前田の異常を察した佐山が、当たってもいない金的を主張して試合を終らせたのは賢明だった。

 そうして仲違いしたまでは仕方ないとしても、見ていてつらかったのはその後のけなしあいだった。特に佐山は「UWFは真剣勝負ではない」と袂を分かったかつての盟友たちを完全否定し、当時出始めた格闘技雑誌でボロクソに言い続けた。
 しかし時代はUWFに味方した。まことに「時代」を感じる。
 たとえば当時佐山が格闘技雑誌で主張したことに、「関節技は一瞬で決まる。決まったらギブアップしかない。我慢したりロープに逃げたりはありえない」がある。今なら子供でも知っていることだが、当時は関節技が決まりそうになると懸命にロープエスケープを図り、その攻防に会場は沸いたのだった。
 佐山は格闘技雑誌に、「格闘技ではないUWFと一緒に載ることは出来ない=UWFを載せるなら取材拒否」と自分を掛けて主張したが、格闘技雑誌側の決断は、ブームになりつつあるUWFをとることだった。この辺も、佐山はいつでも早すぎた不遇の天才である。
 そうしてわずかな精鋭達で東京ドームを満員にするあの第二次UWFブームが起きる。Uを取材していたあのころが懐かしい。ちなみに私が何度か行った東京ドームはミック・ジャガー等の音楽であり格闘技はあの「U-コスモス」だけである。(恒例の新日なんてタダ券があっても行かん。初『NOAH』のときは人情で行くべきかとちょっと迷った。)

 今回、佐山と前田の雪解けがどれぐらいのものかわからない。真樹氏の手前、形だけの和解で、まだまだわだかまりがあるようにも思える。それでもどんな形であれ、二人がすこしでも近づいたことはうれしい。
 なんとも残念なのは、前田と船木というパンクラスとの訴訟問題からも絶対に仲直りはあり得ないと思われた二人が雪解けしたのに、前田と高田という兄弟のように親しかった二人の中が今も修復不可能なことである。
 これには前田側に、褌姿で太鼓を叩くPRIDE統括本部長であったり、かとおもえば紫色の軍服にサングラス姿のハッスル高田総統を演じる高田への反発があるのだろう。(安生問題等もっと卑近なことであるのを知っているが。)
 私はそれを、代理母で作った二人の子のためなら何でもやるとうちゃんのがんばりと好ましくとっている。

 それにしても、このマニアックなうれしいニュースを伝えてくれたのが、というかそもそもの場を設定してくれたのが、プロレスや格闘技とは無縁の『週刊文春』であることは、何度考えてもおもしろおかしい。


4/24

 祝・キョセン連載終了!

 将棋名人戦のアサヒ移行問題を2ちゃんねるで読んでいたら、中にひとり、珍しくアサヒシンブン贔屓がいた。アサヒを擁護し、讃え、名人戦はアサヒに移るべきだ、そうすればすべて万々歳だと言っている。大勢は将棋界発展に尽くしてきた毎日を裏切る連盟批判と、札束で奪おうとするアサヒ批判だから、ごく少数派になる。

 世の中いろいろだと思う。そいつが反アサヒシンブンの書き込みに向かって「『週刊現代』の今週のキョセンのコラムでも読め!」と書いていたので、外出の際に立ち読みしてきた。ひさしぶりである。読むたびに不愉快になるのでここのところ読んでなかった。

 それで思った。当然の事ながらそれは毎度うんざりするキョセンの社民党的妄言だったのだが、こういう「将棋」という趣味の話なのに、アサヒシンブンを擁護する人はやはりアサヒ的体質なのである。趣味の共通が政治思想的なものを超えることはあるまい。

 アサヒシンブンを取っている人の中には、「新聞なんてなんでもいいんだけど、つい習慣で」「景品に釣られて(笑)」と言う人がいる。テレビ番組欄しか読まない人を別にすれば、これは明らかな嘘である。中には気づいていない人もいるかもしれないが。
 反アサヒの感覚を持っていたなら、まともに記事を読めば、いらいらし、スッキリせず、不愉快になり、とても耐えられなくなってくるはずである。それは政治面における正面からの主張はもちろんだが、文芸欄でも、いやそれこそ殺人事件の記事を読んでいても、そこにはアサヒシンブンの思想が蔓延していて(たとえば在日朝鮮人が殺人事件を起こした場合、他紙はみな本名を載せても、アサヒだけは通名の日本名しか載せなかったりする)、ざらつくものを感じるはずなのだ。投稿欄がプロ市民によって創られている洗脳の場であるのは有名だ。
「アサヒシンブンを取っているが、政治経済面を読まないから思想は関係ない」は嘘である。
 新聞なんかなんでもいいからと習慣でアサヒを取っていたが、どうにも我慢ならず替えた、という友人を何人も知っている。アサヒシンブンを取っている人は、すなわちアサヒシンブン的体質であり、思想の人なのだ。
 思想は基本である。

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 小説からマンガまで、そういう思想的に対立しているふたりが、共通の趣味で友情を保っているような物語(=根元的な対立もその趣味の世界に没頭するときは吹き飛んでしまう)を数多く読んできた。
 今の私には信じられない世界である。現に「競馬」という趣味&仕事の世界で、思想的に合わない人と話すのがいやで飲み会になど行かなくなってしまった。どんな名馬の話も靖國問題での意見の相違を超えることはない。果たしてそれを超越している人は本当にいるのだろうか。理解できない世界である。

 そのことから言うと、米長会長はアサヒシンブンとは根元的に思想的対立をする人である。その人の立て膝的アサヒにじり寄りがこれまたわからない。将棋連盟という家族の家長として、家族を守るため思想信条を捨てたのか。それだったらそれはそれで美しいとも言える。まずは生きねばならない。
 そうではなく、もともと彼の主張は芸者のファッションでありどうでもいいことだったのか。どっちなのだろう。腹の中を聞いてみたいものである。
 
 米長はつらい立場なのかなにも考えていないのか。見当違いの大崎批判をしている文を読んだりすると後者のような気がするのだが。


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 キョセンの連載が終るという。めでたい。最終回を記念して思わず『週刊現代』のサイトからバナーをもらってきた。最初で最後(笑)。

 その経緯がまた傑作だった。
 加藤という新編集長になり、キョセンの連載を終了したいと連絡が来る。そこではもうしばらくこのまま連載を続け、やめる時期はキョセンに任せてもよいとのことだったとか。しかしキョセンは今回限りでキッチリやめることにした。と誌面でその理由を書く。
 それは加藤新編集長が無礼なヤツだったからである。12年間600回も続いた連載を終了させるのに自分は挨拶にすら来ず、部下の担当者に電話で連絡させた。ぼく(キョセン)はこんな非礼は許せないので今回限りできっぱりやめることにした、というものである。

 キョセンが怒る(笑)。
 自分はセミリタイアするために「クイズダービー」をやめたいと思ったとき、スポンサーのロート製薬の社長に直々に挨拶に出かけた。それが人間の礼儀だ。なのにこの新編集長はこういう仕打ちである。そもそも500回の時に自分のほうからやめると言った。しかし「いつも読者の人気投票でベストスリーに入る人気コラムなので」と慰留したのはそちらではないか。それが今頃になってなんだ。
 国会議員をやめるとき、支持してくれた皆さんにこれからも発言は続けてゆくと宣言した。あちこちで発言してきたがメインの場がここだった。だから来年7月の参院選までは続くものと思っていた。

 と愚痴を言ったあと、最終回だから、いつものキョセンの本質的意見を言う。
 11歳で敗戦を迎えた。それまでの軍人になって国のために死ぬという世界観が180度変った。あまりのショックにそれから1年間の記憶がないという。
 痛々しい。戦争の害である。それから変身し、護憲の鬼となる(笑)。民主主義万歳である。護憲と教育基本法改悪反対を訴える。戦争の被害者だ。
 オーエケンザブロー、イノウエヒサシ、アイカワキンヤ、オーハシキョセン等、みな同じである。

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 「尊敬する人」としてヤマグチヒトミの言葉が引用されていた。
 ヤマグチは、「ぼくは日本という国が滅びてもいいと思う。世界中にひとつぐらい戦うのがいやだと言って滅びた国があってもいい。後世に自慢できる」と言ったとか。キョセンはそれを熱烈に支持するわけである。
 知らんかった。ヒトミちゃん、こんなトンデモ発言をしていたのか。後世に自慢なんか出来ないぞ。国と家族、故郷を守るために戦うことすら出来なかった腰抜け国家と嗤いものになるだけだ。
 まるでこのヒトミちゃんの発言は、つい昨日フクシマミズホやツジモトキヨミが言ったとしても通用しそうである。

「朝まで生テレビ」での福島瑞穂の迷発言。
福島「警察官の拳銃使用は絶対反対。犯罪者と言えども 人権はある訳ですしぃ~、犯人には傷一つつけてはいけない。たとえ凶器を持った凶悪犯と言えども警察官は丸腰で逮捕に向かうべき」
田原「そんな事して、警察官が殺されたら?」
福島「それは警察官の職務ですしぃ~~」
(「ええっ~」と言う驚きの声が怒濤のようにスタジオ中に響き渡る)
その声にまずいと思ったか福島が続ける。
福島「それに犯人がそんなに抵抗するんだったら無理して逮捕する 必要は無いと思うんですよぉ~、逃がしても良い訳ですしぃ~」
田原「じゃっ、逃がした犯人が別の所でまた人を殺したら?」
福島「それはそれで別の問題ですしぃ~」


 私は将棋や競馬という趣味に対する意見の相違から、ヤマグチヒトミやオーハシキョセンが嫌いになっていったのだが、あらためて自分の感覚の正しさを確認した。

 ヤマグチというのは、キョセンの引用したような理想論?を言っている一方で、地方競馬場巡りにもお供を従え、理事長クラスにお出迎えさせる(=お出迎えしないと機嫌が悪くなる)権威主義者である。私はそれを「最初から最後まで印籠を見せまくりの黄門様」と批判した。
 それでいてひなびた地方競馬場にこそ本物の競馬があると言ったような大嘘を平然と書く。(これにだまされる競馬ファンがいるのがみっともない。ヤマグチヒトミの好き嫌いでその人の競馬観がどこまで本物か見抜ける。)
 暮れや正月にはお気に入りの芸人に招集を掛けて家の大掃除をさせたりする。その中には将棋指しや競馬騎手もいた。いわゆる「芸人をかわいがる旦那」を気取りたいのだ。「小型園遊会」である。そういう作家のステイタスを作っていたのが彼らが書く「アサヒシンブンの将棋名人戦観戦記」だった。

 作家先生に声を掛けてもらったと嬉々として出かける将棋指しもいた。やがて反旗を翻すものも出てくる。
 競馬騎手では小島太がそうだった。小島は「なんでおれが物書きの家の掃除をしなきゃならないんだ」とヤマグチヒトミの招待を二度目からは拒んでいる。騎手風情に目を掛けてやっているつもりの作家先生は不愉快だったことだろう。小島は男である。

 ヤマグチの性癖と上記したような理想論が矛盾しているのは言うまでもない。こういうのは戦争中は軍部に戦後はGHQにと、いつでも権力者にくっついて自分だけ楽をしようとするタイプである。こいつにとって民主主義などどうでもよい。ただそれが「体制」だからおもねっているだけだ。
(民主主義なんてのは本当にどうでもよく、民主だとか多数決なんてのは愚であると私は思っている。政治は賢人がすべきものだ。しかしそれはまた別論。)

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 キョセンと加藤新編集長のやりとりは、もちろんキョセンが正しい。その点に関しては同情する。この加藤というのは人間としての礼儀を知らない最低の男である。
 しかしこれまた私にはよい方に作用した。いかにも大嫌いな『週刊現代』の編集長らしくて良い(笑)。新編集長がしっかりした人で『週刊現代』を見直した、なんて書きたくない。
 キョセンの連載は終るわ編集長の礼儀知らずは表に出るわでいいことづくめだった。


 競馬File──キョセンの妄言


8/14
 オータケのお粗末さ

「TVタックル」を見ていたら終戦の話になり、それぞれ激昂して甲論乙駁のときに、オータケマコトが原爆投下について、「あれはさ、あれを落とさない限り日本が絶対に降伏しないからしかたなく落としたのであって」と万人衆知の既定事実のごとく自信満々に発言した。
 さすがにこの番組では猿回しの役に徹していて口数のすくないたけしも「いやあれは」と発言しかけたが、そこはテレ朝であるから、そこの発言は報道せずそのままCMへと繋がってカットされた。

 今もオータケのような考えをもっている成人男性(=団塊の世代)がいて、テレビで発言していることが信じられなかった。まさに「生きている化石」を見た思いだった。
 とにかくこの番組でいちばんジャマなのはオータケで、思想信条に関係なくあまりに不勉強な面が目立つ。よくいえば「無智な庶民が感覚だけで発言している」であり、そのことが問題提起になっているとなるが。
 しかしそれはそのあやまちを正してやっての話であり、こうして言いっぱなしでごまかされてはオータケの発言だけが残る。なんともたまらん気持ちだ。まさかあんな考えの奴が今もいようとは……。

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 広島と長崎への原子爆弾投下という無差別大量殺人が、それをしないと一億総玉砕だと最後まで日本人が戦い続けるので戦争が終らず、力の差を見せつけるために敢えて仕方なく落とさねばならなかったのだ、と覚えたのは小学生の時だった。私も小学生から二十歳ぐらいまでそう思って生きてきた。

 それが戦勝国アメリカの大義名分であり、日教組の流布したものであることは明白である。原爆投下は戦争後のソ連とのリーダーシップ争いに向けた示威行為であり、新爆弾の人体実験だった。終戦とは無関係な非人道的無差別殺人であったことはあらゆる事実から証明されている。そしてまたその実験の相手として選ばれたのが有色人種の日本人であり、同じ敵でも白人であるドイツ相手にやる気はなかったことも立証されている。客観的に見てもすでに国力の無くなっていた日本にあのような大量殺人兵器を投下する理由はない。アメリカの当事者達が証言しているのだからこれほど確実なことはない。

 私たちにそういう教育をした日教組の連中でさえ今では「ソ連への示威行為として投下」と理解しているのではないか。そう思う。だってこんなことを今時本気で言う人を見たことがない。
 ところがそれを信じたまま長じてしまったオータケのような人間がいる。オータケの的はずれな意見にはさんざんうんざりしてきたが、ここまで呆れたこともそうはない。確率的にオータケひとりということはあり得ないから、世の中には「戦争を終らせるために原爆投下はしかたなかった」と今も思い続けている日本人がそれなりの数いることになる。暗澹たる思いである。

 劇団さんじゅうまるのワタナベエリコなんてのも各地で憲法を守ろうという講演活動をしている。役者のこのへんのバカさ加減は共通しているのだろうか。
 河原こじき(こじきが変換されないので辞書登録。そうだよな、日本にこじきは存在しないことになっているのだからそんな字はないだろう)河原乞食は基本的に反体制であり、それはそれで世界的な傾向でありアイデンティティとしていいように思う。アイカワキンヤがオータヒカリに「藝人は反体制でいて欲しい」と強弁していたが、それもいいだろう。
 だがそのことと不勉強は無関係だ。元々「反体制を唱えることは楽」なのである。楽で一見かっこよく見えるからバカがみなそう走る。かくいう私もそのバカのひとりだったわけだが。
 だからこそ責任ある立場の人間は勉強せねばならない。オータケマコトが責任ある立場の人かどうかは微妙だが、「TVタックル」で発言できるのだから、そこそこの責任ある地位にいることは間違いあるまい。

 意見がどっちよりであるかに口を出す気はない。それこそ言論の自由である。
 ただこのような明らかに勉強不足とわかる意見だけはごめんこうむりたい。
 でも考えようによっては、こんな化石みたいな人が現存すると知っただけで、価値があったのかもと今になって思える。それにしてもオータケ、毎度毎度あまりにお粗末である。彼にみっともなさを忠告してあげる人はいないのか。うまい役者であるらしい。そっちに徹したほうがいいのに。

 餘談ながら私が初めて彼を見たのは「お笑いスター誕生」に「シティーボーイズ」として登場してきたときだった。25年ぐらい前か。

11/18
『夕刊フジ』を見直す

 日本初のタブロイド判夕刊紙『夕刊フジ』が発刊されたのはいつだったろう。学生時代の「オレンジ色のニクいやつ」というテレビCMはよく覚えている。
 調べてみると創刊は1969年。私がよく読んでいたのは72年から76年頃か。猪木アリ戦のころはよく覚えている。猪木とルスカ戦を観てきた友人とその夜、麻雀をやった。その彼がフジを手にしていた。こんな形で記憶というものはある。
 私の基本は『東スポ』だった。これはもう当時から毎日缺かさず読んでいた。『夕刊フジ』は語るほどの読者ではない。
 『日刊ゲンダイ』の創刊は1976年。タブロイド判夕刊を語るならむしろこっちのほうが詳しい。今では見るのもいやだが……。

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 それほどあいしていた『東スポ』と疎遠になって長い。なにがつまらなくなったのかというと、以前の『東スポ』は『東スポ』なりに本気だったのである。いわばストロングスタイルを標榜する新日のようなものだった。つまりインチキではあるが真剣だった。ところが時代の中でWWFになってしまった。WWEと言うべきか。むかしから「どうせ『東スポ』だから」という蔑視はあった。だがそれに対して私のような熱心な読者が「ふん、おまえらに『東スポ』の価値がわかってたまるか!」と反発していた。支持していた。世の評とは関係なく『東スポ』は熱い存在だった。なのに『東スポ』自身が、「へえへえ、どうせ『東スポ』ですから」路線を始め自ら道化になってしまった。これでは支持者が惨めである。ショースポーツですとカミングアウトした<WWEのような『東スポ』>が成功したのかどうかは知らない。でも一部の読者に熱烈に支持される日陰の存在から幅広い人々に笑いものにされる日向の存在にはなったのだろう。それは営業的には成功なのかもしれない。落ち目から復活したようではある……。
 とにかく私は<そういうふうになった『東スポ』>からは去った。思えば高校生時代、まだ5円の時代から読んできたスポーツ紙だった。

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 『東スポ』に代わって読むようになったのが『日刊ゲンダイ』だった。あのどうしようもないイチャモン新聞を読み続けていたのだから思想的にまだ固まっていなかったようだ。それでも「このまえと言ってることが違うぞ」とはたびたび思った。『日刊ゲンダイ』は反体制である。反体制というのが姿勢なのだ。それは体制がなんであってもかまわないことに通じる(笑)。だから自民党のオザワイチローをボロクソに言っておきながらオザワが下野すると熱烈に支持したりする。しかしオザワが体制になったら(もうなることはないと思うが)またアンチになる。常に反体制というポジションはしっかりしているようでいてじつはいい加減。流動的。浮ついている。腰が落ち着かない。続けて読んでいるこちらには、「このあいだまでボロクソに言っていた人をよくもまあ今度は持ち上げられるものだ(逆もあり)」と苦笑することが頻繁にあった。「じゃあいったいどうすればいいんだ!?」と訊きたくなる。永遠の「いちゃもん屋」である。なにがどうなろうとケチをつけ続けるのだ。酔っぱらいオヤジの酒場の政治談義である。節操がない。あきれる。でもそういう人ががんばって働いて世の中を支えているのだろう。と思ったりもする。「苦笑」としか言いようがない。やがて苦笑はうんざりになり、読む気が失せた。

 その政治的な切り口になんとも呆れ『日刊ゲンダイ』と縁を切る。だがこの新聞のその他の路線は今もおもしろかったと思う。競馬欄は秀逸だし芸能等にも見るべきものがあった。競馬欄に関しては多くのプロが今も一目置いている。競馬紙組合に加盟せず獨自の方法をとっているため、かなりいいかげんな面もあるが、刮目すべき点も多い。その分オッズなどはどうしようもなく10倍が万馬券になっていたり、その逆も多かったりする。

 『日刊ゲンダイ』がエラいのは、いまも本気だからである。なんでもかんでもイチャモン屋、酒場のオヤジの愚痴路線を、真面目な顔でやっているのだ。それが「冗談ですからね、わかっていてやってるんですからね」と苦笑路線に入った『東スポ』とのちがいだ。

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 以上が大まかな私の学生時代から今に至る夕刊紙購読歴になる。なんでもかんでも読んでいたから、ナイガイを買ったり、日曜夕方には競馬の速報番が出るデイリー夕刊を買ったりもした。
 そんな中、なぜか老舗の『夕刊フジ』がいちばん縁遠かった。『日刊ゲンダイ』に愛想を尽かしたとき乗り換えようかと思った。しかし後発の『日刊ゲンダイ』に完敗し凋落した『夕刊フジ』は見た目からして貧乏くさく、同じ120円なら絶対的にゲンダイのほうが見栄えがした。たまに電車の中で拾って覗いてみたりすると、広告欄は売春広告のオンパレードでその落ち目ぶりにも辟易した。とてもじゃないが読む気になれなかった。

 数年前、週刊誌スポーツ紙中毒から足を洗った。それまでの朝はサンスポ、ニッカン、昼になにか週刊誌、夕方は東スポ、ゲンダイという悪しき中毒をやめ、競馬や相撲で読むべき記事のある日のサンスポをたまに読むだけにした。我ながらよく足を洗えたと思う。こういう中毒もタバコと同じで抜け出すのはむずかしい。

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 今年の夏から友人の代理でデータ入力の仕事を手伝っている。それこそ新卒以来、何十年ぶりかの通勤を経験することになった。ちょうどバソコンが壊れあたらしいのを組んだこともあって仕事始めの8月からつい先日まで電車の中ではパソコン雑誌ばかり読んでいた。あとは時代小説やハウツーものでの勉強である。なんとしてもこの時間を無駄にしたくないと、電車の中は私にとって勝負の場だった。それこそ仕事時間以上に(笑)有効活用を意識していた。

 パソコンの組み立てが終るとまるで憑き物が落ちるかのようにパソコン雑誌に興味がなくなった。現金なものである。好きな女を落とすまでは夢中だが自分のものにしたら全然大事にしないのと似ている。いきなり興味を失った。この極端さには我ながら驚いた。
 小説はだいたい二日で一冊を読むからこの読破量もちょいと自慢できるぐらいになる。読まねばと思っていた何人かの作家を完全読破したから、こちらも意義のある電車書斎となった。

 そうして一息つくと、やはり恋しいのは週刊誌でありスポーツ紙である。どうでもいいものを読むどうでもいい時間はそれなりのいとしさに満ちている。田舎から上京するときにはさらに窓際にカンコーヒーがあった。これも足を洗って長い。最近ではまったく飲まなくなった。
 週刊誌には興味がない。文春と新潮だけは適当に立ち読みしている。スポーツ紙は週末と月曜のサンスポで充分である。
 帰宅の電車。『東スポ』も『日刊ゲンダイ』も愛想を尽かしていたのだから残っている『夕刊フジ』に手をのばすのは必然だった。でもすぐに落胆してまた読まなくなると思っていた。

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 ところが『夕刊フジ』は、貧相な見た目と全面的エロ広告は相変わらずだったが、肝腎の記事は思ったよりもずっと充実していた。政治記事の切り口は納得できるものだった。不慣れなので敬遠していた競馬記事も馬柱に慣れればいい線行っている。妙なところで青い鳥に出会ったものである。ここのところ帰宅時の『夕刊フジ』が楽しみになっている。

(細かいことだが今の手伝いをやめたら忘れてしまうだろうから書いておこう。会社近くの駅前で車いすのおばあさんが売店をやっている。どういう権利でそこに店を開いているのか知らないがお釣りのやりとりにも苦労するかなり体の不自由な人だ。ことばもままならない。顔は歪んでいるし、知らない人なら引いてしまうぐらい異常な風体である。私も初めてのときは何事かと思った。あっけにとられた。
 今はそのおばさんの引きつったような首をかしげる仕草、「うう、あうあ」という唸りが「いつもありがとう」なのだとわかったから、必ずそのおばさんの店で買っている。後々『夕刊フジ』を思い出すとき、このおばさんの思い出はセットで着いてくるだろう。と、メモのつもり。)

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 Wikipediaを引いてみたら、「政治スタンスは、親新聞の産経とは必ずしも合致せず、「サラリーマンの味方」の立場上与党を叩く姿勢は一貫している」とある。そうか? 私は評価すべき与党の実蹟を正当に論じる姿勢を好ましく感じているが。

影響が顕著な例として、プロ野球再編問題における記事のスタンスが挙げられる。露骨なまでにオーナー側に立ち、日本プロ野球選手会を徹底的に叩いた結果、不買運動が起きる事態となった。 この件に限らず渡邉恒雄に対してはいつも持ち上げる報道をするために、夕刊フジはフジサンケイグループではなく読売系列ではないかという冗談がまことしやかに語られている」。
 へえ、そうなの。興味ないのでしらない。ナベツネは嫌いだけど。


「夕刊フジは、インターネットの巨大匿名掲示板「2ちゃんねる」とは、もともと良好な関係にあった。とくに、夕刊フジのネット版であるzakzakが、「2ちゃんねる」からネタを拾って記事を書き、「2ちゃんねる」からのアクセスを集める代わりに、「2ちゃんねる」に対しては、ニュース速報+板などのニュースソースを提供するという、共存共栄の関係が成立していたためである。しかし、2006年9月22日つけの一面トップに掲載した、「2ちゃんねる管理人・ひろゆき失踪」の飛ばし記事を境に、夕刊フジの編集方針は微妙に変化した。これ以降、夕刊フジは「2ch取材班」なるものを組織し、「2ちゃんねる」、とくに管理人・西村博之へのバッシングをなぜか強めている」

 ああそういえば先日読んだときに「2チャンネルのひろゆきがどうのこうの」という記事があった。これまたどうでもいいや。

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 ともあれ毎日読む気はないけれど(そうなったら困る。それじゃ元の木阿弥だ)、読書に疲れたとき息抜きに読む夕刊紙が出来た。めでたい。

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 バンコク在住のSさんが、「なつかしいです。ぼくはゲンダイ派でした」とメイルをくれた。ありがたい。数少ないけれど読者がいることはうれしいものである。


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