2004──1~4
04/1/5


正月の週刊誌、新聞をあれこれと

 午後から父を医者に。
 年末から正月を休んでの今年初日の診療日。医は仁術のすばらしい先生なのでたいへんな混雑である。まだまだ無医村に苦しむ過疎の地域もあるようだが、この辺はむしろ供給過剰気味。総合病院、歯医者、獣医、腕が悪く医は算術のところは閑古鳥が鳴いている。一方父母がお世話になっているここのようなところは口コミでよい評判が広まり、拡げた駐車場がすぐに満車になるほどの盛況。ほんとにすばらしい先生であることを何度か接して実感しているからこの現実には納得する。
 三時間もの待ち時間になった。

 まずはコンビニに行く。『週刊ポスト』と『週刊現代』。ポストの「中曽根石原対談」がよかった。ポストのぶれがもどりつつあることが喜ばしい。『週刊現代』はもう読まない。キョセンのコラムを読んで腹立つこともヤメにした。先日読んだ『月刊 現代』もそうだった。講談社系はもう縁を切ろう。

 病院にもどる。まだぜんぜん順番が進んでなかった。いつもより遅い。
 パソコンを持ってこなかったのでクルマの中ばかりにもいられない。失敗した。かといって咳き込む病人で一杯の待合室もつらい。なんどか往復する。本来午前中に来る予定だったのにクルマの修理で午後からになった。愛車がご臨終寸前というショックが尾を引いている。でなければThinkPadをを忘れたりはしない。

 いつものように読売新聞、日経新聞、『Yomiuri Weekly』を読んでいるあいだは楽しかった。
 今週の『Yomiuri Weekly』のあの手紙のコーナー、あれはなんてタイトルだっけ、ど忘れしたのでいま検索をかける。過去に書いたことを覚えている。すでに《日々の雑記帳》に移動しているか。出てきた。「手紙の中の日本人」だ。映画「男はつらいよ」の中の寅さんのハガキがテーマ。あの金釘流のへたな字のハガキは印象深い。小道具係が左手で書いたとか。まあこの辺は知っていた話だがそれでも楽しめた。読売の社説も筋が通っている。思えばアサヒを愛読し、「ヨミウリなんてのは巨人ファンが読んでるだけだろ」なんて言っていた日々の愚かしさよ。

 しかしいつしかそれも読み終ってしまう。なのに父の番はまだ来ない。いつもなら来ている。正月明けで体調の悪い人が多いのだろうか。あとあるのは読みたくない『AERA』『週刊朝日』『週刊サンデー毎日』である。見事に人気がなく、誰も手にせず置いてある。たぶんアチラ側はそれは民度が低い地域だからと言うだろう。それは当たってもいる。民度の低い保守王国だ。でも政治的思想的土壌以前にこれらの週刊誌がおもしろくないのも事実。お医者様はアサヒが大好きらしいから必ず置いてあるが……。
 あれしかない。でも読みたくない。それでも手持ちぶさたには我慢できず手にしていた。

 後悔。不愉快でたまらなくなった。
 それでも『サンデー毎日』の特集連載「石原慎太郎研究」は笑えた。石原発言を捏造して報道した「TBS=毎日新聞」と石原陣営(および石原支持マスコミ)の全面対決は既定の事実だ。予測できた連載スタートだった。やってくれたほうがいい。反論する石原側にも力が入って好ましい。
 しかし今週の中身は「石原都知事の公費出費は友人知人との会食費が多い」という内容。会食の相手の徳田虎雄だとか福田和也だとかの名前や食費の数字まであげ、こんなに公費を濫用している知事はいないとの攻撃。う~ん、もうすこし骨のある攻撃をしてくれ。あまりにせこい。こういう脚の引っ張りは実を結ばないぞ。ともあれ来週からも読ましてもらいます。楽しみだ(笑)。

 夜。『正論』『諸君』2月号購入。
 以前も書いたが『週刊文春』の迷走ですっかり文藝春秋社不信になってしまったが、『諸君』がまともなので信頼を取りもどした。『週刊文春』はどうなるのだろう。新年号からリニューアルというので期待していたら、おなじみの連載がタイトルをすこしばかり替えただけだった。キマタを更迭しないと読者離れはとまらない。
04/1/11


新聞の切り口 アサヒの石波長官の写真

 昨日の夕方、父が医者に行きたいと言い出したので、すでに受付時間外になっていたがかかりつけの医者に連絡して出かけた。待ち時間のあいだ、アサヒシンブン1面を見かけた。目が穢れるので見ないようにしているのだが、大きな青い写真が1面にあるので目にとまり、見て、なるほどなと感心した。

 金曜日に「自衛隊派遣命令」が出ている。土曜の新聞はどこもそれを1面にもってきた。記事が新聞それぞれの思惑で切り口が違うのは当然だが、ぼくがおどろいたのはそのアサヒの写真だった。石波防衛庁長官が、青一色をバックに、ものすごく薄気味悪い表情でアップになっていたのである。まるで妖怪だ。「日本を戦争に引きずり込んでやる」と悪魔が微笑んでいるかのような写真だった。すでに読売、産經、日経を読んでいたので、そのアサヒの写真の気味悪さは格別だった。他の新聞のどれとも違っていた。

 まるで下衆な週刊誌がやるようなこんなことを大手新聞がするとは思っていなかった。
 石波長官のねっとりしたしゃべりかたはぼくも好きではない。また一重まぶたの彼は決してさわやか系の顔ではない。しかしこの写真の選びかたはあまりに意図的だ。多くの写真の中から、「自衛隊派遣命令」を薄気味悪く「軍靴の響き」と共鳴させるためにこれを選んだのが見え見えだった。故意である。

 『週刊新潮』の巻末に意地の悪いカラーページがある。化粧の浮き上がったしわしわの醜いばあさんが載っているので誰かと思ったら、栗原小巻だったり中村晃子だったりした。かつてのそういう一世を風靡した女が六十ぐらいになって容貌が衰えたのを、最も醜いショットで載せる意地の悪いコーナーである。ぼくは見ない。こんな意地悪な視点はぼくにはない。あれを見て楽しむ人はいるのだろうか。

 アサヒのろくでもなさはあきれて口もきけないほどだが、最近はこんなことまでやっているのかと開いた口がふさがらなかった。こんなものを読んでいるのが全国に800万人(800万家庭か)もいるのだから、日本が堕ちてゆくのも当然だ。(実売部数は500万部を切っているとも言われている。)
04/1/21
 今週の『週刊文春』──高田と向井のしあわせを願う!

 まとめそこなったままだが昨年一年の個人的事件として『週刊文春』との縁切りは、ぼくにとってマスコミ的な分野ではいちばんの出来事だった。なにしろ二十年以上愛読してきた週刊誌をどうにも読む気になれず縁を切ってしまったのだからけっこう重大である。それはキマタという父親がノナカヒロムの後援会長をやっている編集長の編集方針に納得できなかったからだ。その偏向は相変わらず続いている。ぼくにとってショックだったのは、編集長ひとりの編集方針でこんなにも雑誌は変ってしまうのか、というおどろきだった。

 今週も民主党のコガ議員の学歴詐称(出てもいない西海岸大学テニス選手権優勝との偽りも露見しているから経歴詐称と言うべきだろう)問題を、それを責めるのではなく「ヤマタク大喜び」「密告したのはヤマタクか」とそっち側から報じている。こういうのを立ち読みすると絶縁した自分に納得する。ひどい記事ばかりだ。

 モノクロページ。イラク先遣隊隊長の写真があり写真と文章は不肖・宮嶋。七年前からの知り合いだとか。オランダ軍に冷たくされたとき差し入れをしてくれたいい人だと書いてある。「自分は口先だけではない。後から必ず行きます」と宮嶋らしい宣言。よかったのはここと立ち読みの『お言葉ですが…』のみ。昨年あたり、2ちゃんねるにも「最近の『週刊文春』には絶望したのでもう買わない。『お言葉ですが…』だけを立ち読みする。むなしい」との書き込みがあったっけ。同じ感覚の人もいるようだ。

 高田と向井の子供に関して佐藤愛子の一文。『週刊文春』は彼女を起用して時々辛口のコメントを出す。ぼくは佐藤愛子の辛口の意見が好きだ。たとえば小学生が幼児を殺害した事件に関し、政治家が「あんなもん親は市中引き回しだ」と発言して物議を醸す。非常識と一斉に非難が殺到する。それに対して佐藤は「親にそれぐらいの責任があって当然だ。拍手をした日本人も多かったのではないか」と擁護に出る。波風立てるのを覚悟で大向こうを張るのだ。この姿勢は気分がよく、おおむね彼女の意見には賛成なのだが、今回のこれはなんだか『週刊文春』に踊らされたようでいやだった。
 代理母とそれによって生まれてきた子供に対する意見である。出生の秘密を知った子供が将来苦しむのではないか、子が出来ないなら、それはそれでべつの人生があったのではないかとの意見である。それはその通りなのだけれど。

 明日金曜にフジテレビがこの高田向井の代理母出産で2時間特番をやるらしい。大仰に騒ぎ立てることはくだらない。お涙ちょうだいはたまらんし、あれは生命賛歌ともちょっと違うように思う。
 佐藤愛子の言いたいことはこういうことを美談のように大騒ぎする世間(一般世間はクールだろうね、商売になるからと騒ぐマスコミに対してか)への警鐘だろう。
 実態としては、高田が言ったように「Maxうれしい」(なんちゅう言葉遣いじゃ)であり、「なにがあろうとこの子を守ってゆく」だけである。それが佐藤を起用してまで文春に責められる事態になったのは、ひとえにフジの特番による大騒ぎから来ている。佐藤の反感もこの辺にある。高田向井がたいしたことを成し遂げたようにマスコミに登場することが不快なのだろうが、それは違うと思う。二人は子供が出来て単純にうれしいだけだ。決して舞い上がってはいない。

 なのになぜこんなふうにねじれてしまったかというと、お金の問題なのである。大金というイメイジが先走るのを嫌って高田向井からは抑えた数字(総額で費用は一千万円程度)が示されているが実際は三千万以上かかったと言われている。かかっているだろう。あれだけ何度もチャレンジしたのだから。今の彼らにそんな金はない。テレビ局に私生活を売って金をもらい、見せ物パンダになろうとも向井は意地でも子供が欲しかったのだ。子供を授かったそれだけで高田も向井も満足しており、戸籍の形が養子でも認知でもなんでもかまわないは本音であろう。認知されるように闘うとかそんな意識はない。授かっただけで万々歳なのだ。金のために売ったネタであり、まだまだ金は必要だから、テレビ局にそれをやってくれと言われたらやるだろうが。

 昨年十二月には記憶に残る出産がふたつあった。ひとつはイラクで殺された井ノ上さんの子供である。今年一月出産予定だったが遺体確認に身重でイラクまで出かけたことが関係あったのかどうか十二月に生まれた。父が亡くなってから生まれた子である。なんとも痛ましかった。強く生きて欲しいと願う。
 もうひとつが高田の子だった。代理母出産である。発表は十二月だったが生まれたのは十一月だったか。(11月28日生まれと確認。)ともに忘れられない記憶となりそうだ。

 大晦日の『PRIDE』で司会進行狂言役を演じる高田は実に生き生きと輝いていた。幼い頃に家庭を喪失した彼は、いつも安住の地と安らぎの家をさがしていた。プロレスという義父にすら見捨てられ『泣き虫』になった彼は、やっとのこと『PRIDE』という家を得た。そして念願の父となった。家庭を持った。大晦日に、大根役者の彼が相変わらずへたな演技ではあるがためらうことなく与えられた役割を懸命に演じていたのは、家長となった誇りと父親としての責任だったろう。愛するわが子のためならどんな汚れ役でもこなす覚悟が見えていた。"最強"を標榜した元プロレスラとしては滑稽だったが、子を守ると決意した父としては美しかった。
 ぼくは、彼を取材したときがちょうど向井とつきあい始めたときであり、彼のソアラを向井が乗り回しているのを見たりしていたから、その後の順調な結婚は我が事のようにうれしかった。今まで続いたのもいい。中野や田村がいい女をつかまえた高田をねたんでいたものだった(笑)。田村は「高田延彦ファンクラブ」の会合に出席してもブスしか来ないと嘆いていた。あとでそのことを話したら高田が怒っていたっけ。あのころから田村は性格が悪かった。

 父として母として夫婦として、高田と向井にしあわせになって欲しい。高田が宣言したように、子供の将来をおおきな愛でつつんで欲しい。世の中には心ない人も多い。子供達は茨の道を歩む。『PRIDE』統轄本部長として生活が安定したら、子供の将来のためにも、代理母出産をテレビネタとしてもう提供しないで欲しい。それが願いだ。
 明日の特番は見ない。

【附記】
 現在発売中の『噂の真相』(廃刊まであと2号!)では、あのそっくりの似顔絵でセクススキャンダルを描く巻頭のページで、裸の高田と裸のオセロの中島を描き(酒場でディープキスをしていたと話題になった)、右上に心配そうな向井を描いていた。こういうことをされるのも「代理母出産」の影響だろう。芸能人として高田も向井もここに描かれるほどメジャではない。早く向井と子供はマスコミから身を引いて、安定した普通の家庭を築いて欲しいと願う。
2/3
今週の『Yomiuri Weekly』──「出世街道」
 大好きな「手紙の中の日本人」は、作詞家・星野哲郎と一ファンの物語。
 中小企業を経営していた小川さんは倒産となり自殺を決意したが山野を一昼夜彷徨したあと死にきれずまた家にもどってくる。机の上にあった三枚のレコード。そのとき聴いたのが星野作詞の「出世街道」。
「やるぞ 見ておれ 口には出さず 腹に収めた一途な夢を 曲げてなるかよ くじけちゃならぬ どうせこの世はいっぽんどっこ」
 これを聴いてやる気が出たという。
 翌日、社員の前で土下座し、会社を潰すことになってしまった、もうしわけないと詫びる。すると翌日、全社員が2万、5万、10万、50万、100万とみな借金して届けてくれた。取り立てていた銀行側も潰れる会社に社員が金を持ち寄ったなんて話は聞いたことがないとおどろいたという。それで会社は持ち直し今は優良企業。小川さんはそれらの顛末を綴った手紙を星野さんに出し、以後も毎年「命の恩人」と添え書きした年賀状を送ってくるが二人はまだ会ったことがないよし。
 いい話である。星野さん夫婦もこの手紙を読んで感激して泣いたという。今回本筋とはべつに心に残ったのは、星野さんの奥さんのこと。酒場で思いついた歌詞のアイディアをナプキンに走り書きしてくる。目覚めると奥さんが清書してくれている。それが何十年も続いている。いい夫婦である。こういう知的タッグはうらやましい。前々からそういうものにあこがれていたが残念ながらそれとは最も遠い結婚をしてしまった。

 畠山みどりの「出世街道」が発売されたのは昭和38年12月。東京オリンピックを翌年に控えた高度経済成長期のまっただ中である。歌詞の内容もそれに似合っている。ぼくは小学校4年生か5年生。あらためておどろいたのはべつに好きな歌でもなかったのに流行り歌のひとつとして今でも歌詞を覚えていたこと。上記の歌詞など週刊誌からメモしてこなくてもスラスラ書けた。子供時代に覚えた流行歌は忘れない。
 作詞家・星野さんの"出世街道"というと、水前寺清子の「365歩のマーチ」から千昌夫の「北国の春」への流れを思い浮かべるが、畠山みどりの一連のシリーズが最初のヒットになる。この「出世街道」の前が畠山のデビュ曲「恋は神代の昔から」で、これが最初のヒット曲のようだ。
「恋をしましょう 恋をして 浮いた浮いたで暮らしましょう 熱い涙を流しましょう 昔の人は言いました 恋は神代の昔から 恋は神代の昔から」とまたもスラスラ出てくる自分が怖い。当時おとなでこの歌を愛好した人やリアルタイムで知らなくてもマニアックに畠山を好んだ人(そんな人がいるかどうか知らないけど)を除けば、この歌をすらすら唄えるのはぼくの世代が最年少になるだろう。ぼくは当時からこんなクッサイ内容の歌が嫌いだった。どうにも「がんばって生きるぞ!」という熱血漢に欠けていた。こういう歌に涙を流す感覚だったなら人生もまた変っていたろう。と、すこししんみり。
 リバイバルブームで珍妙なモノまで復活しているのに、紋付き袴で歌い最高に歌舞いて一世を風靡した畠山みどりが話題にならないのは不思議な気もする。

 畠山みどりで思い出すもうひとつは八代英太のことだ。森繁久弥のつまらない物まねしか売りもののない、今だったらあっと言う間に消えていったろう二流ものまね藝人の八代は、畠山の舞台公演で司会をしていたとき奈落に落ちた。舞台中央の穴ぼこに足を踏み外して落ちたのだ。正しい意味のまさしく奈落である。下半身不随になった。畠山に弁償を求める訴訟を起こしたことを覚えている。
 そこから国会議員への転身を図る。おりよくそういう人権運動が盛り上がっていた時期だった。彼は身障者代表として車いすで国会へ歩む。当時は無所属だった。いつしか自民党に入り、これまたいつしか要職を歴任するようになる。奈落に落ちたが落ちる前より遙かに高いところにまで駆け上がった。あれは幸だったのか不幸だったのか。不自由な体になったのだから不幸であろうが、元気だったなら「あの人は今」的な忘れられた藝人になっていたのも間違いない。フジテレビプロデューサと結婚してしあわせな畠山みどりだが表舞台に出てこないのはこのことも関係あろう。

 この「手紙の中の日本人」という企画はすばらしい。単行本になったらぜひとも購入して座右の一冊としたい。ただし、まとめて読むと濃すぎるのかも知れない。グラビア週刊誌の一企画として好ましいのか。でも全週刊誌の企画の中でぼくのベストスリに入る。
2/8
 130円の中身──スポーツ紙の価値
 きょうのサンスポは中身が濃くて得した気分だと書こうと思ったのは先週の月曜日だった。2月2日である。まず1,2,3面とフジ主催の女子マラソンのニュースがトップを占める。大相撲も千秋楽の翌日なので大型星取り表と共に2面。格闘技は『PRIDE27』。競馬は「坊主頭の岡部、涙の復帰勝利」があり、社会面はコガ議員が賑わせていた。もう読みどころ満載で隅から隅まで丁寧に読んだ。
 なにしろスポーツ紙のメインであるプロ野球、ゴルフ、サッカーに興味がない。興味のあるのはプロレスと競馬という極めて『東スポ』的な嗜好になる。何十年も愛読していた『東スポ』が、信憑のない「まるで『東スポ』のような」という嘲笑を逆手に取った居直りお笑い路線に走ったときは、毎日欠かさず購読していたものとしてかなしかった。お蔭で縁が切れたが。
 関東で買える朝刊スポーツ紙でプロレスの結果を毎日報道しているのはデイリーだけで、それも簡単な結果だけだったが、昼の『東スポ』が待ちきれず、そのためだけに買っていた。いまプロレスに冷えてしまった自分を思うとなんともせつない気分になる。今はどの朝刊紙でもプロレスや格闘技の結果を知ることが出来る。かつてを知る身にはそれだけでありがたい。
 スポーツ紙を買っても読むところのほとんどない身には、この2月2日は一面から読める記憶に残る日だった。

 そのことを先週書こうと思い、見出しだけメモしたままきょうまで来てしまったのだが、きょうサンスポを読んでいてあらためてあの日は特別だったのだと思い直した。
 きょう買ったのは、午後の競馬の時間にやはり馬柱を見つつ競馬中継を見たいと思い昼にコンビニに走ったのだった。レースが前々から好きな「共同通信杯」だったこともある。(共同通信のねじれたサヨクぶりはアサヒ以上に嫌いだが。それはともかく。)
 ところがこれがなんともつまらないメンバ。この時期の若駒戦には3戦全勝とか、5戦3勝2着2回ぐらいの東西の俊英が複数出てきて欲しいものだが、そんなのもいない。ひどい成績だ。結果も平凡。これは競馬の常識が変ったからとも言える。暮れのラジオたんぱ杯が豪華メンバによるクラシック直結のレースになったように、早い時期に賞金を加算してクラシック出走権を確定してしまうか、寒い時期には無理をしないかの両極端になったのだろう。とまあ競馬の分析もさておき。

 目的のレースの馬柱もつまらなかったがその他のニュースもつまらないものばかりで、メインはストーヴリーグとむかしは言ったが今はどうなのかプロ野球のオフシーズンの話題。つまらん。月曜のサンスポが熱心に30分読んだとするならこれは5分も、いや3分もせずに読むところがなくなってしまった。こういう場合、これがペラペラの紙っきれで読むところがないのなら諦めもつくが28ページもあるヴォリュームたっぷりのもので大好きな活字はびっしりと並んでいるのだ。チェンマイあたりでひさしぶりに手にしたら興味のない分野まで日本語活字恋しさで読みあさったものだが(それでもやっぱり興味のないものはおもしろくはなかった)さすがに日本ではそこまでする気になれない。
 もったいない気がした。それは130円のスポーツ紙に対してではなく、世間の人が大好きであるらしいそれらのことに興味のない自分の人生に対してである。ぼくはぼくなりにいろいろなことに興味を持ち充分に人生を楽しんでいるつもりなのだが、スポーツ紙への興味のもちかたから判断したら、おそろしく無趣味のつまらない男になるのだろう。かといってスポーツ紙を100%楽しめる男にもなりたくないからこれはこれでいい。
2/19
 今週の『週刊文春』──ヘンじゃないよ!
 テレ朝の番組に自民党の連中が口を出したということでテレ朝の肩を持つ。そのことでつけた見出しが「小誌が久米さんの肩を持つのも変ですが」。ぜんぜんヘンじゃない(笑)。今の『週刊文春』はテレ朝や民社党のタイコ持ちだ。まともな人間はだれもがそう思っている。
 選挙前のとき、テレ朝はあきらかな偏向報道をした。まあいつものことだが、いやはやひどいものだった。民社党と社民党にたっぷり時間をやり、自民党は社民党と同じ扱いだった。そんなバカな話があるものか。腹が立つに決まっている。まるで民社党のマニフェスト解説と假想政権の人事紹介だった。局をあげての民社党応援なのである。それに自民党が抗議をし、開票速報の夜に、小泉首相と安倍幹事長がテレ朝にだけ出演しないという方法でしっぺ返しをした。
 その後も自民党側はテレ朝に抗議し続けていて、責任者の部長ひとりを更迭することで納めようとしたテレ朝側といまだにもめているという話だ。森前首相がテレ朝社長に直談判しているそうで、それを政治がマスコミに口を出していると正義の味方ぶって文春は批判しているのだが、まともに考えたらどうみてもテレ朝のほうが異常だった。あんなことが許されていいわけがない。自民党の抗議は極めて正当だろう。

 安倍幹事長が出演しなかった裏話が載っていた。なんでも前日タワラソウイチローが「30分時間をとってありますから」と、いかにも出るのが当然、出るに決まっている、便宜を図ってやっているぐらいの言いかたをしたので、カチンときた安倍さんは「開票とかいろいろ忙しいので」とことわったよし。いいねえ、出してやるとのぼせているテレビに冷や水をぶっかけたわけだ。現実問題として、大勢が決まった開票日の深夜に、在京テレビ局で唯一総理大臣と自民党の幹事長が出演せずテレ朝は赤っ恥をかいた。

 そこにも書いてあったが、先週の「報道2001」で、安倍幹事長はハッキリと「昨日のアサヒシンブンに小泉首相がタナカキンに命じたとありますが、あれは捏造造記事です。こういうことは許されることではありません」と言った。これは快哉を叫びたくなる出来事だった。睡眠不足でも早起きして見て良かったと思ったものだった。やはりこの辺はナマで見ているのと後にニュースで知るのでは趣が違う。
 同じくテレ朝は「TVタックル」の中で、藤井議員から抗議されていた。まったく関係ないところでのヤジを編集していかにもそうであるように使ったことの非を認めた。これは自民党総裁選時の番組だった。藤井議員のヤジに、たけしを始めスタジオは大爆笑となったのだが、それが編集によるヤラセであることを知っていた私は、ずいぶんひどいことをするなと思ったものだった。藤井議員は謝罪によって名誉が恢復されたことになるが、世の中にはあの番組だけを見て、その後は知らない人も多い。マスコミの怖さはやり逃げにある。

 これは前も書いたけど──これからも機会があれば何度でも書くけど──国会の中で喚きちらしつつ積み上げられた椅子をぶん投げるハマコーがいる。ヤクザの大立ち回りのようだ。当時、国会議員の愚行を代表する映像として何度も流されたものだった。アルバイト生活をしていた私の周囲の組合系サヨクも、とんでもない暴力議員だと口汚くののしっていた。しかしあれは、自分たちの反対する国会審議を進行させまいと、入れないように議会の入り口に椅子を積み上げたものを、こんなことをして何にやる、こどものようなことをするなと怒ったハマコーが入り口を開けようと放り投げていたのである。どう考えてもそりゃ学生のバリケードじゃあるまい椅子を積み上げる人の感覚が狂っている。ハマコーが正しい。積み上げたのはもちろん社会党だ。
 そうしてハマコーはマスコミにより、暴力議員だ、賄賂をもらう、ラスヴェガスで大ばくちを打つ、と極悪議員とされてゆく。それでも当選する(落ちたこともあったけど)。それはアクアラインのように地元に益を持ってくるからだ。それが今までの国会議員の代表的な形だった。同時にそういう地元利益誘導の立場で自分をアピールしないと当選できないように追い込んでいたのもマスコミである。

 テレ朝とアサヒシンブンの報道姿勢には寒気を覚える。しかしさすがにこれは分が悪いと見たか、アサヒは拉致被害者の家族に謝罪したり、またテレ朝も今回のことはごまかしきれないと見て、担当者複数の更迭と給与カットで謝罪の意思を表している。そこに出てきたのがこの『週刊文春』のテレ朝擁護記事だった。落ちるところまで落ちたというところか。春にはキマタ編集長が代わるらしい。ところがなんと『文藝春秋』本誌編集長への栄転だというから首をかしげる。本誌を読まなくなる日も近いか。

 それにして「小誌が……」の見出しは笑える。とんでもない尻軽女が「わたしってけっこう軽く見られるんですよね」なんておどけたつもりなのと同じだ。おどけなくても軽いって。自覚がないのか。あるいはバリバリの偏向サヨクが「う~ん、どっちかっていうとサヨクかなあ」なんていうのと同じ。クメと同じ感覚であれだけノナカヒロムを持ち上げてきて、いまさらなに言ってんだ。あるいはまた160センチ120キロの女が「あたしちょっと太め」っていうようなものか。
4/2  ワダベンの冤罪──『週刊新潮』
 新聞、スポーツ紙で和田勉がセクハラ裁判に負けたという記事を読んだ。「女子大で講演したワダベンが部屋に女子大生を連れ込み、マスコミに就職させてやるともちかけて裸にした」という話だ。肉体関係はなく、そこまでのセクハラ問題であるらしい。200万円の賠償金を命じられたとか。さもありなん、と思う。よくある話である。ただし魚心あれば水心であり女子大生にその気がなければ力づくで連れ込んだわけではないから、あとになって訴えた女ってのがイヤだなと思った。フェミニズム運動のバカ女が絡んでいるのか、と。

 『週刊新潮』がワダベンの反論を載せた。それによると「講演のあとの飲み会でもその女がつきまとい、もっと飲みに行こうを連発し帰らないので部屋に連れて行った。いつも泊まっているWホテルは恥ずかしいのであらたにSホテルに部屋を取った。部屋にはいると女は目の前でストリップショーを始めたが眠いので寝てしまった。肉体関係がなかったことは女自身も裁判で認めている。翌朝も、もう帰れと言ったのに帰らずしっかり一緒にホテルの朝食を食っていった。なんでそれが強要して裸にしたなんてことになるのか」。「こんなことわたし、よくするんです」と女は言い、しっかりと着替えの下着も用意していたそうな。尻軽女と有名人とのよくある話だ。ところがそこにフェミニズム運動が絡む。サヨク系女弁護士二人がこの話を聞くやいなや争議にし、このような大事件になったのだとか。くだらん話である。

 私は全面的にワダベンを信じる。すべて『週刊新潮』に書いてあったとおりだろう。彼は言う。「ワタシは負けた。あちらは勝った。なのにマスコミで報道されるのは負けたワタシばかりであり、勝ったあちらは顔も名前も出てこない」と。それでもワダベンはそれを主張できる有名人であり、こうしてそれを掲載してくれる『週刊新潮』というメディアがあった。恵まれている。たぶんまともな男はこの記事を読んでワダベンを信じたろう。そしてまたこれがなかったから誰もがワダベンが立場を利用してそれをしたと思ったことだろう。

 都会にいる最後の頃、あの「冤罪痴漢」が怖くてならなかった。電車の中で気の狂った女──というほど大げさじゃなくてもストレスのたまったバカ女──に、この人痴漢ですと騒がれたら男の人生は簡単に暗転する。それをやられたサラリーマンが何もかもなくし、それでも何年か戦い続け、やっと勝訴したという話ほど身につまされ今的な事件として怖いものはなかった。

 私はホラー映画とか、スプラッタ・ムーヴィとかをまったく見ない。あんなものを見なくても世の中は十分にホラーでありスプラッタである。ああいうものを好む人は、そのことに気づいていない鈍い人なのだろう。
4/2

 深夜の「ハルウララ」番組──踊る世間 
 午後11時半に階下に降りてゆくと茶の間が明るい。何かあったのか、体の具合が悪くなったのかと心配して覗く。いつも父母は10時過ぎに寝る。こんなことはない。
 すると母が嬉々としてテレビを見ていた。隣には父もいる。何事かと問うと父が母に勧められてどこかのテレビ局の「ハルウララ特番」を見ているのだと言った。
 以前も母から武豊がハルウララに乗るそうだなと声をかけられたことがあった。母は私が競馬関係の仕事をしていることを知っている。兄の名が豊であることもあって父母は武豊の競馬を超えた社会的人気にも興味を持っていた。そこまではまあフツーだろうが、まさかあのくだらん仕掛けであるハルウララ人気がこんな田舎のばあさまにまで届いているとは思わなかった。

 武豊が乗るそうだなと声をかけられたときも、その後の彼が乗ったがそれでも10着だったと残念そうに言っているときも、私は母になにも意見を言わなかった。しかし今回の九十と八十四が夜中の11時半にそんなものを見ているのにはあきれ、こんなくだらないものを見る必要はない、こんなのは一部の人間が金儲けのために仕掛けたくだらんものだ、疲れるから早く寝たほうがいいと口荒く言ってしまった。言われた父は母に無理矢理つきあわされていたらしく、そうかわかったもう寝ると応え、さっさと寝る準備をし始めた。競馬関係の仕事をしている私が同意してくれるものと思ったのに口荒く否定された母は意外な顔をしたが、それまで見ていて思ったよりもおもしろくなかったらしく(笑)、しばらくすると明かりが消えたから、おそらく最後まで見ずに消したのだろう。

 母を見ていると女は一生女であると感じる。たとえばああいう年でもバレンタイデーなんてものに興味を持つのだ。とにかくマスコミに踊らされやすい。みのもんたの言う健康法を丸ごと信じている。メモして実践している。もっともこれはオーハシキョセンだって信じたんだからしかたないか。石油ショックの年にも必死にトイレットペーパーを買いに走っていた。父はそんなものなくなったら新聞紙で拭けばいいと鷹揚に構えていた。あんなもの新聞紙がなくなっても手で洗って水で流せばいい。そのほうが清潔で健康にもいい。まったく女ってのは……。いや女にだって父と同じようにそんなものなんとでもなるとどっしり構えていた人もいたろうし、そういう女のような性格の男もいるだろうから女全体を否定するのはやめよう。私の母が踊らされやすい女の典型であるだけか。

 まったくくだらんことが話題になるものである。競馬で勝ち続けることはたいへんだが負け続けることは簡単だ。3連勝する馬はめったにいないが10連敗する馬はいくらでもいる。そんなの人間世界を考えればすぐにわかる。マラソン大会10回完走はたいへんだが100回途中棄権は申し込みさえ繰り返せば誰だってできる。そんなの記録じゃない。まったくもってくだらん。
 じゃあ今までなんでハルウララのように100連敗もする馬がいなかったのかと言えば(私の記憶でも3頭いるからもっといるだろう)、そこまで負け続ける前に競馬世界から消え、この世からも消えるからである。それが優勝劣敗、淘汰世界である競馬の基本ルールだ。かつて100連敗した馬がまったく話題にならなかったのに今回こういう騒動になったのは仕掛け人がいたからである。80連敗前後だったか。こりゃ商売になると目をつけた。もしもその仕掛けがなかったらこの愚かな騒動はなかったしハルウララはもうこの世にいなかったろう。ではハルウララという一頭の馬が生きているだけでもよかったかと思うかというと、そうもまた思わない。

 年に1万頭弱生産される日本のサラブレッドで天寿を全うできるのはどれぐらいだろう。100頭いるだろうか。よい成績を収めて種牡馬になれた牡や血統がよくて繁殖牝馬になれた牝を合わせれば千頭ぐらいいるだろうが天寿となるとまた話は違ってくる。
 種牡馬は仔が走らず種つけ申し込みがなくなったらお荷物になる。近年では皐月賞、菊花賞を勝ったセイウンスカイの父シェリフズスターが、皐月賞馬の父としてスポットライトを浴びたとき「行方不明」になっていたのが有名だ。家出したのか(笑)。行方不明という名の屠殺である。
 牝馬も不受胎が続いたり強い仔を産めない年寄りになったらじゃまなだけだ。殺す。サラブレッドは犬猫と違いほっておくわけには行かない。野良馬にはなれない。手がかかる。金がかかる。億の金を生み出してくれる馬もいるだけでじゃまな馬も同じケアをしなければならない。餌代だけでも年に何十万もかかる。よって用済みの馬はみな用途変更という名で殺されてゆく。残酷なようだがそれを残酷といっていたら競走馬の生産なんてできやしない。なにしろ近親配合は気違いと天才が出やすいので、気違いが出たら外れ、天才が出たら大もうけと、数少ない当たりを求めてそれを繰り返す世界なのだ。「3×3のインクロス、さらには母系からもクロスが」なんて言うと聞こえがいいが人間世界で考えたら気持ちの悪い近親相姦である。天寿(30歳前後)を全うできるのは図抜けた成績を収めた数えるほどの馬か、牧場に栄華をもたらした繁殖牝馬ぐらいであろう。

 あれは皐月賞馬ヤエノムテキの牧場だったか。放牧地に毛が抜け足腰も弱っている老齢の牝馬がいた。牧場でこんなよれよれの馬を見かけることは滅多にない。どういうことなのかとおどきろ質問した。息子夫婦に身上を譲りすでに引退している、でも家族牧場だから毎日馬の世話をしている先代が語った。いちばん苦しい時期、毎年その牝馬が子を産んでくれた。よい種をつけるお金もなかったからたいした馬は生まれなかったが、それでも毎年確実に生んでくれるその仔を売って生き抜いてきた。子供たちも育てられた。生産者用語で言う「かまど(=台所を支えてくれた)馬」である。やがて競馬ブームになり経済情況もよくなった。もう仔を産めなくなっていたその年寄りの牝馬は真っ先に処分される対象だった。家族四人で面倒を見られる馬の数は限られている。先代は、この馬だけは最後まで面倒をみさせてくれ、自分が責任を持って面倒を見るからと、身上を譲った息子に頭を下げて頼んだ。家族だけでやっている小さな牧場で、それはとんでもないわがままになる。自分が誰のお蔭で学校に行けたかを知っている息子はそのとんでもないわがままを許してくれた。放牧地にたたずむよれよれの牝馬とそれを見守る風雪を経た年寄りの姿はうつくしかった。

 そんな世界で、なんの取り柄もない最低の馬であるハルウララのような馬が天寿を全うできることが(仕掛け人によってそうなることが確定した)異常なのだ。ハルウララと同じ高知競馬に所属している馬で天寿を全うできる馬は一頭もいまい。最高の成績を収めた馬でやっと乗馬に転用できるかどうかだ。あとは殺される。もっともハルウララだって天寿が保証されているわけでもない。引退後数年は観光牧場で優遇されるだろうが、世間から忘れ去られて単なるお荷物老馬となったとき、どんな運命が待ち受けているか。
 勝つからこそ美しい世界が、「勝たなくても一生懸命走っている姿が」「がんばることから勇気をもらったようで」とすり替えられてゆくのは気味が悪い。まさに屈折した時代に咲いたあだ花である。これの根柢にあるのがあの薄気味悪い「徒競走で、最後はみんな一直線に並び手をつないでゴール」という思想であることは言うまでもない。

【附記】
 このことで救われるのはこれが競馬の外の話題であり競馬に詳しい人でこれを賞賛している人は誰もいないことだ。
 仕掛け人からのつてで騎乗を受けてしまった武豊もハッキリと「GⅠを獲った強い馬よりも負け続けている馬が話題になるのはおかしい」と自分のホームページで意見を述べている。またその受けるに至るつての件でも「今回で引退というので受けたのに……」と(これは受けてもらうための仕掛け人側の嘘)不満を表明している。
 競馬ライタは皆このことに触れねばならないと思いつつ書きたくないととまどっている。基本は武と同じく「どんな形であれ競馬が話題になるのはよいこと」である。だから同じ業界に生きる一員としてせっかくの話題に水を差したくない。まして「世間的な明るい話題」を否定したら嫌われ者になる。だが書かねば、とも思う。そうして書いたのは結局本音である否定になる。アサ芸で私の後任になった花岡貴子さんもきっちり否定していた。この辺にまだ救いを感じる。

 先日のサンスポではタカハシゲンイチローがこのことに触れていた。「自分の生産馬が何度も大差で負けていた。ある日いつものよう大差で負けている馬に対する罵声を聞いた。『そんな馬、走らせるな!』。それを聞いて思ったのは怒りでも悲しみでもなくひたすら恥ずかしさだった。そういう足の遅い馬を自分の生産馬だからと走らせたのは、ファンにもその馬に対しても失礼だった」と。まったくもって正論である。「たとえ勝てなくても一生懸命走る姿が」なんてかってなことを人間は言うが、ハルウララからすれば生き恥地獄になる。
 またハルウララの生産者もブームに浮かれたりすることなく、速い馬を作ることが仕事なのだからこんな形で取材にこられても迷惑だと正しい姿勢を出していて好ましい。ここで「牧場にいた頃からかわいい仔で」なんて調子に乗られたら目も当てられない。さすがに無関係な世間がどんなに浮かれようと地に足が着いている。

 競馬マスコミ関係でひとつだけ残念に思ったのは、つい先日知ったのだが、吉川良さんがハルウララ本を書いたらしいのだ。わけのわからんハルウララ人気便乗本が何冊も出ている。競馬人情派の吉川さんのところに話が行ったことはわかる。しかしなぜ受けたのだろう。もともと吉川さんはこういうタイプのテーマは好きな人だが、それは自分で見つけるから好きだったのだ。こんな大盛り上がりの軽薄ネタに便乗するのは納得できない。今度会ったら聞いてみよう。その前に読んでおかないと。
04/4/14  テレ朝に呆れる──昼のワイドショー、見ないけどホーステ
 昼、ついついテレ朝を見てしまった。いやはやひどかった。あの無礼な家族に対して批判があったという件に関してだ。
 ヤマモトシンヤが「日本人てのはいつからこんなに冷たい国民になったんでしょう、信じられない」と憤っている。「タカトーさんはイラク人のために人道支援をしたリッパな人ですよ。自衛隊の何倍も人道支援をしていますよ。その人を傷つけるようなことをなんで言えるのか。エラい人が冷たいと国民までこんなに冷たくなるんでしょうか、信じられません」
 おまえのアタマの中身のほうが信じられん。
 オーワダバクが続ける。
「ご家族のかたが謝罪したそうですが、そんなことをする必要はないと思います」
 こまった人たちだ。

 国会中継じゃカンが首相に「なぜ家族と会わないんだ」と詰め寄っている。小泉さんは相手にしなかったが、言えるものなら「会ってどうするんだ、会うことになにか意味があるのか」と言いたかったろう。会っても自衛隊を撤退しない方針は変わらない。会ってそれを伝えたなら、今度は「だったらなぜ会ったのか」と食いついてくるだろう。バカとサヨクは度し難い。

 フルタチはここぞとばかりサヨクっぽく力んでいるらしい。そういう人が見るチャンネルだからそういう人からの支持を得るには絶好の機会と張り切っているのだろう。彼がクメの後任と決まったときに「古館ニューステの憂鬱」と題だけ書き、何も書かないままきょうまで来てしまった。憂鬱は見事に現実になった。
 フルタチの価値はニュートラルな位置にいることによって発揮されていた。それは猪木が、田中角栄を尊敬する自民党系でありながら目立つためなら北朝鮮にも出かけ、結果として右翼に斬りつけられるというムチャクチャとも通じている。偏りがないからおもしろかった。偏りのないフルタチだから「おしゃれカンケイ」に安倍幹事長もゲストで出たし、それを見てうらやんだカンも出た。両方とつきあえるから価値があった。
 いま、ヒステリックに「おれ」を連発し、拘束された三人の味方面をするフルタチに魅力はない。それはまた今まで気づいた魅力を消し去る行為でもある。だから「憂鬱」と書いた。やっぱり憂鬱だった。

 日テレとフジがまともなことに救われる。讀賣と産經があるからなんとか安心できる。まだこの国もおわってはいないと。
 もっとも、TBSとテレ朝があの異常な家族の映像を流しまくることは、考えようによっては、日本中に彼らへの嫌悪感を広めることに役立っているのかもしれない。

 アサヒが得意げに報じた記事。
「父睦雄さん(71)は「犯人が『日本人なら誰でもいい』と思って連れて行ったのなら第2、第3の事件が起きる可能性がある。日本は米国におもねるようなことはすべきでない。自衛隊は撤退すべきだ」と話した後、よど号ハイジャック事件を例に「政治家に(人質の)交換になる人がでてきても良い」と語気を強めた。」
 これに対して「政治家にそう言う前に『自分が身代わりになりたい』と言えないものか。このおやじは」という意見があった。ごもっとも。
 七十一でもこんな身勝手な意見を本気でしゃべるオヤジもいるのか。見事なまでに自分たちには寛容で国に責任を押しつけるタイプである。さすがにこの親あってあの子である。
 今回のことで、ああいうことをするろくでもないヤツの家族は、見事に同じ家族なんだと確認できたことは大きい。責任の順序から言えば、ああいう親だから、ああいうコドモが出来たとなるか。
04/4/20 イラク人質事件──テレ朝、『週刊現代』、『週刊新潮』
 今週の『週刊現代』の巻頭は、この人質三人がいかに「謂われなき」誹謗中傷をされたかを特集し、家族と三人を擁護している。その根幹にも「恐怖に脅える映像」がある。あの映像を封鎖し、政府主導の言論誘導で家族を悪者にし、崇高な使命感でイラクに行った三人をおとしめたという論調だ。
 それは毎度の『週刊現代』のやりかただが、いくらなんでも狂っている。今の時代、政府がなにをやろうと世間の感覚は操作できない。世間一般が彼ら三人に反感を抱いたのは、テレビで見るタカトーの坊主頭妹に代表される家族の勘違い高飛車発言だった。今じゃすっかり腰が低くなってヘコヘコしているが。そのことにまったく触れず、最初から国民が家族や三人をいじめたことになっている。そうじゃないだろう、家族の態度から国民は態度を硬化させたのだ。

 きょう水曜日になってあれがヤラセだったと知れ渡って、いったい編輯部はどんな顔をしているのだろう。いくらかは反省したのか。いや、そんなことはないだろう。こんなことで反省していたら週刊誌なんてやっていられない。むしろ月曜日発売で、月、火で売り切るものだから、表沙汰になったのが水曜日でラッキーと思っている。もしもこれが日曜日に発覚して月曜日に本が並んだら笑いものだったろう。世の中には『週刊現代』的なアカピーもいるから、先週の売り切れ『週刊新潮』に対して、真っ向からの擁護記事を書いて支持者に売り切って満足していることだろう。いやほんと、ラッキーって乾杯しているかも。



 テレ朝、絶好調
 いま、テレ朝の朝のワイドショーをすこし見たら気分が悪くなったので消したところ。
 うつくしく気高い志をもってイラクに行ったタカトーさんがなぜ批判されなければならないのかと擁護の大合唱だ。いやはやすごい。
 それにしても、解放されたときは元気にあめ玉(チョコレートだっけ?)を頬張ってキョロキョロし、途中のドバイでは報道陣に手を振り、成田に帰国したときも元気に歩きながら頭を下げていたタカトーが、なぜ北海道に着いた映像から、ひとりでは歩けず家族に支えられてやっと歩を進める重病人になってしまうのか。一気に気がゆるんだとかそんなアホなことは信じない。自分たちの演ったことがとんでもない大問題になっているとやっと自覚したのだろう。ポイントはその「演ったこと」にある。
 タカトーの自伝「愛してるって、なんて言うの」は、今までの発行数は二千部。それが今回の事件で三万部の増刷だとか。出版社は「なんとなく事件に便乗したようで……」って、便乗したんだって(笑)。

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▼札幌市営地下鉄『週刊新潮』の中吊りに目張り
 これも消えてしまった三日間に書いた部分だけどすこしだけ復活させておこう。
 札幌市営地下鉄の『週刊新潮』の中吊り広告から、人質三人に関する見出しの部分に赤紙が貼られ見えないようにされたって話。イマイ、タカトーの二人が札幌出身なので気を遣ったそうな(笑)。なにやってんだ札幌市は。さすがサヨク新聞ドウシンの地元だ。
 これでまず思ったのは、代理店に広告費を払っている新潮社はかってに広告の一部をふさがれてしまってどう対応するのだろうということ。これは今週号でわかる。楽しみだ。
 それと、タカトーの「12歳で喫煙、15歳で大麻、凄まじい半生」は、上記の発刊した自伝に自ら書いていることであって、これが今はまともに生きている人のかつて少年院に入っていたなんて過去をほじくり出してきたなら多少の責任も生じようが、本人が世間に公表していることなのだからなんの問題もなかろう。さらには長じて「ガンジャマン」と称するマリファナ愛好者だったことも本人が書いている。それは、そういう過去を反省してなにか人の役に立ちたいとボランティアを始めた彼女の原点である。本人が書いたそれをかってに気配って伏せてしまう市営地下鉄のやっていることはおかしい。
 それにしてもこれが民営の、たとえば東急電鉄だったなら社長の鶴の一声ということで納得できるのだが、札幌市営地下鉄でこの判断を下したのは誰なのだろう。そうするまでに会議はあったのだろうか。『週刊新潮』の発売が待たれる。

 タナカマキコ長女の『週刊文春』出版差し止め事件の時は一致団結して「報道の自由の危機」と司法を責めたマスコミは、今回のこの札幌市営地下鉄による『週刊新潮』の広告自主規制をどう報じるのだろう。三人を擁護しているアサヒや『週刊現代』はどう報じるか楽しみだ。しらんふりか。アサヒはいつもそうだものな。

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 この事件以降、というかあの「NGOの大西ってデブ」以降だが、どうにもNGOってのがうさんくさく思えてならない。大西なんて4億2千万円も政府から引き出して一流ホテルに泊まって贅沢三昧で、気分はサヨクの政府批判だ。だいたいがガリガリに痩せこけた貧苦にあえぐ国の人々を支援するヤツがあんなにデブってんじゃねえよ! 
「あの人からNGOを判断されては困る」と主張していたNGO関係者もいたが……。まともなNGO関係者も大勢いるんだろうが、ピースなんとかとか、グリーンなんとかなんてNGO団体の名前を見るとみんな眉唾に思えてくる。

 テレ朝(週刊アサヒ、アエラ等も同じ)は懸命にいかにタカトーがリッパな活動をしていたかと報じるが、こういうのは結局自分探しの自己満足活動でしかない。千葉の麗澤大学(モラロジーで有名ですね)を出て、三十まで実家の経営するカラオケ店を手伝っていた獨身女が、このままじゃいけない、なにかしなくちゃと思いついて始めたのがボランティアであり、最も旬な場所がイラクだったってことだ。なんでイラクかというと世界的な話題になっていたからだ。こういう人の自分探しの旅は自分探しなのだが求める満足度が強い。そりゃ15でマリファナをやっていたぐらいだから生ぬるいところじゃ満足は出来ないだろう。戦争以前のイラクはフセインは教育に熱心でユニセフからも褒められていたぐらいだった。この女は戦争が起きなければイラクには行っていないし、戦争以前からイラクの恵まれない子供たちにとやっていたなら、かなりボランティアとしての視点がずれていることになる。(後日附記・インドから始まってカンボジア等を経由してのイラクだったようだ。)

 イマイという昨秋早稲田の一芸入試に落ちて落ち込んでいたというボーヤも、かつて生徒会長をやったこともあるとかで、我の強い出しゃばりタイプ。要は人と違ったことをやって目立ちたいだけだ。その対象にイラクが選ばれた。これからもNGO的な活動をしたり、外国の大学に留学したりして彼なりの目立ち根性に沿った生き方をする。ありゃろくなもんにならんで。ぜったいにまた問題を起こす。

 そうしてのうのうと日本の大学に行っている同世代の連中を否定する。狭い社会で学ぶことには意味がないと言ったりする。でもバルビツール酸を飲ませて睡眠誘導すれば、なんてことない「早稲田に落ちて悔しかった」だけだったりするんだよな。
 いちばんオロカと思うのがコオリヤマというフリーカメラマンで、マスコミで禄を食んでいるのだからもうすこしまともな人間(こちらの期待のみならず、アサヒ的な敵としても)かと思ったが、なんなんだあのエヘラエヘラは。子供二人を作った女房と別れてまでの決意とはとても思えん。ただのアホだ。同業カメラマンの批判に「戦場に行くカメラマンが未成年や女と組んだことは論外」ってのがあった。ガキと女は度し難いとするなら、それと組んだプロ気取りのこいつがいちばんバカだ。
 解放当時「人質三人のひとりがイラクに残りたいと言っているが」と報じられ、小泉首相がその感想を求められていたがそれはこいつだったようだ。「昼も夜もバイトをして資金を貯めてイラクまで来た。撮るのが仕事だ。まだ撮っていない。イラクに残りたい」だったとか。こういうのが子供二人の父親なのだからお先真っ暗である。
 
 こういう連中と、今もアフガニスタンで医療活動をしたり、地道な井戸掘りボランティアをしている人を同一視しないように気をつけよう。
 『Yomiuri Weekly』に安心する──ひさしぶりの週刊アサヒ 

 午後、父が腰が痛いというので医者に行く。いつものかかりつけの医者は心臓系なので系列の整形外科に行った。
 田舎に帰ってきてから、名所旧跡、護国神社等父とクルマで出かけられる範囲の様々な場所に出かけたが圧倒的に回数が多いのは医者になる。それを私は父への孝行ととらえていた。そうとばかりも言えないと気づく。きょう行った医院(クリニックと名乗っていた)は見事に建物がバリアフリーになっていて感激した。医者もまた待合室まで出てきて患者一人一人に話しかける等、今まで出会ったことのないタイプだった。今から書く『Yomiuri Weekly』も、おいてある医院に行かなければいまだに読んでいなかったように思う。たいして売れていないのだろうし、それなりに水準の高い内容だから、エロ雑誌とクルマ雑誌しかない田舎のコンビニでは見たことがない。東京に出た際に手にしただろうが、ここまでこまめに読むことはなかった。

 それらのことを考えると、父との医者行も、単なるこちらからの孝行ではなく、こちらにも勉強になっているのだと気づく。病院とは無縁なので雰囲気も有り様も何も知らない。それらしきことを書く場面が必要となったら出かけて調べねばならなかった。この十数年の父とのつきあいから、地方都市のおおきな病院、田舎町のよい医院、ろくでもない医院に関しては、すらすらと状況描写出来そうだ。何事も無駄になることはないのだなと感心する。

 毎週、手にする週刊誌は『週刊新潮』『週刊文春』『週刊ポスト』『週刊現代』がほとんどである。あとは贈られてくるアサ芸、内容によっては『週刊大衆』『週刊実話』の立ち読みか。『週刊現代』に腹を立て『週刊新潮』で溜飲を下げ、『週刊文春』の変節を嘆く、のが毎週の習慣になっている。マスな言いかたをするならそれは、左よりの現代に腹を立て右よりの新潮で納得する、という形になる。もちろん本人は自分を真ん中だと思っているから右よりなんて意識はない。

 きょう『Yomiuri Weekly』の「イラク人質解放」に関する記事を読み、しみじみいい週刊誌だなと思った。新潮は国民みんなが感じている不満をここぞとばかりに特集して売り切れた。週遅れの現代はそれに反発するサヨクに読んでもらおうと計算高い擁護記事を書いた。そこにはよくもわるくも商売気がある。お互い自分たちの読者層を意識しての大上段の構えだ。そういう綱引き的なものをフツーと考えている自分がいた。
 ところが『Yomiuri Weekly』の記事は、きわめてまともなことを淡々と書いている。そのあっさりとした王道ぶりに私は感激した。それは逆に言うと「だから売れない」になるのだろう。衒いを願う人から見たらあまりにまともである。だが衒いや歌舞伎にうんざりしている私には甘くもなく酸っぱくもなく、何杯でも飲める緑茶のような心地いい読後感だった。間違って手にしたような週刊誌だが、なんだかいちばん好きな週刊誌になりそうである。買おうかな。グラビア誌ってのもほどよい。でも商売的には失敗なのか。がんばってもらいたい。

 いいお医者さんで、父の話をよく聞き、レントゲンを撮って、体のあちこちを丁寧に調べてくれた。その前に医者はまず私のところに来て、これまでの病歴等を尋いた。私は、以前ここにも書いたが、左半身の痛みでステロイドを服用していること等を詳しく話した。父は齢九十にして目も耳も問題ないし頭も切れる。今でも私より漢字を知っているほどだ。それでもそういう老人だから打てば響くとはいかない。質問に的確に答えるには多少もたつく。間がある。そういう年寄りにいらだつことなく丁寧に接する医者と看護婦の偉さをあらためて感じた。帰りがけに医者がユーモアがあっておもしろいお父さんだと笑っていたから、ずいぶんとまともな年寄り患者であるとは身びいきでなく思う。

 診察室に父を送り出したあとは待ち時間だから、『Yomiuri Weekly』を何冊か読んだりしていた。ThinkPadを持ってきていたが、私への問診もあり半端な時間になってしまったので、クルマで仕事はせず待合室で待った。それでもう何年も触ったことすらないシュウカンアサヒを手にした。表紙に解放されたタカトーのおおきな写真がある見るからに内容も想像できるイヤな一冊だったが、『Yomiuri Weekly』に気持ちよく接したお蔭で、餘裕を持って読むことが出来たのである。
 記事はばからしくて読めなかった。知ったのは、林真理子が対談をやっていること。こういうのを知ると商売だなと思う。林真理子は『週刊文春』で本音を書いているようにアサヒではない。だからアサヒにエッセイを書くことはないが、対談なら連載できるし、アサヒも懐のうちに入れておくって事か。たいへんだな、生きるってことは。
 私がよくわからないことに新潮になかにし礼が連載エッセイをもっているってことがある。これはまた別に書こう。

 ウチダテマキコが連載エッセイをやっているとも知った。それに対する読者欄の投稿があった。それは「毎場所後にはウチダテさんの相撲評が載り楽しみにしています。朝青龍の、ついつい間違って左手を使ってしまうのならともかく、堂々と左手で懸賞を取るあの仕草は許せません」という内容だった。先週またウチダテが朝青龍を責めたらしい。相撲を知らない人のために念のために書いておくと、相撲の賞金は右手で、右・左・右と切って受け取るのが作法だ。それを左利きの朝青龍は左手でやっていて、それをウチダテがけしからんと主張しているのである。しかし今までにも逆鉾等何人かがいた。誰も責めなかった。朝青龍は横綱だから責められているのだが、これは朝青龍の反論にあるように、だったらなぜもっと早く言わなかったのか、今まで言わずにいきなり最近になって言うのはおかしい、が正論になる。
 これは相撲の項でまた別に書こうと思うが、外国人横綱の朝青龍を責めているのがアサヒなので笑ってしまった。もしも朝青龍が朝鮮人や中国人だったら、アサヒは全力を挙げて相撲の慣習を破り左手で賞金を受け取る朝青龍を擁護したろう。それを非難する日本人をかつて植民地時代にいかにひどいことをしたかなんてことまで言い出してボロクソに貶したろう。モンゴル人はアサヒに庇ってもらえないようだ。商売にならないものな(笑)。
4/23  イラク人質解放問題──日本人は変ったのか? 
 アサヒが、「ペルー人質解放の時には諸手をあげてその解放を喜んだ日本人が、同じ解放なのにイラクの場合は解放された三人を祝福するどころか誹謗中傷を浴びせた。こんなにも日本人は冷たい国民に変ってしまった。それもこれは政治が……」という論調を取っていた。

 日本人は変っていない。ペルーの時はいきなりのテロリストの襲撃だった。テロに屈しないペルー政府は強行突破をはかった。全員死亡の危険もあった。無事の解放をすなおに喜んだ。その中でも、タバコぷかぷかで非礼な会見をしたアオキ大使には非難が殺到した。
 今回の場合はまったく違う。そもそもアサヒやゲンダイは「最初に国民からの非難ありき」で押し通そうとしているが、いくら何でもそれは無理だ。最初に「度重なる退避勧告を無視して無理矢理渡航した三人ありき」であり、「政府の責任を追及してなじる勘違い家族」がいたのだ。その映像が朝から晩まで流れたのだ。それに対して国民は反応した。あの映像を見てそれでもあの三人を庇ったら、それこそ日本人は節度のない国民に落ちぶれたと言えるだろう。どこにも政府の作為などはない。むしろ家族よりで、国民の同情を引こうとより多くの家族の発言、映像を流したTBSやテレ朝が、ますます国民のあの三人と家族への反感を煽ったと言える。もしも「テレビで居丈高に発言する家族の映像」が一切なかったら、もともと義理人情に厚く、情に流されやすい日本国民の姿勢は、まったく変ったものになっていたろう。アサヒ系の愚かさは、あの家族の「人の命がかかってるんですよ!」「すぐに撤退してください!」とヒステリックに叫ぶタカトーの坊主頭妹の映像を流せば国民が同調すると思ったことだ。そこまで日本人は愚かではなかった。ひとりよがりがよくわかったことだろう。

 どんなにがんばって論陣を張ろうとも、イマイのあのイッチャッテル目線や、あめ玉なめてる間抜けなタカトー、ひげ面でヘラヘラしているコオリヤマの映像の感想にはあらがえないのである。それがあんた、人の心ってもんだ。人心を誘導しようとしているのは政府じゃなくてアサヒ系なのだけれど、それがうまくいかないからあんなにいらだっているのだろう。
 今回の事件は本当に意義があった。「自作自演」で言うなら、愚かなサヨクの世迷い事から目を覚まさせるために、政府があの三人と家族という無名の役者を雇って芝居をさせたのではないかと、そう思いたくなるほどあまりに愚かで薄っぺらなサヨク幻想の崩潰だった。
04/4/28
 「イラク人質事件」ウタダの意見──『週刊アスキー』より 
 前回『週刊アスキー』のウタダ某の意見を書いたのは昨年九月の総選挙のころだったか。その後も彼は折りに触れ政治的な話題をテーマに書いている。どんなパソコン的話題も政治と無関係ではないとも言えるが、客観的に見てこの人、こういう話題が好きなのだろう。今回は「イラク人質」のこと。まずはこの事件の流れに関して2ちゃんねるの役割は大きかったとパソコン雑誌に書くだけの関連があるかのように振って本題に入って行く。
 結局は、「彼ら三人はイラクを応援していた。なのにパウエル国務長官は彼らを褒め称える演説をした。えらい。たいしたもんだ」「その点、日本は冷たい」「ひさしぶりにアメリカに生まれたかったと思った」と思想的立場を明確にして行く。
 選挙のときもけっこうリクツを述べたあと、今回は民主党に入れることにした、と割合言っていることは反体制で一貫している。私が巧妙でちと問題があるなと思うのは、一見保守的なことを言って読者を引っ張ったあと、深謀遠慮の末にそっち(革新)に行くことにしたと結論をもって行く手法である。その辺が上手なのであまり深く考えていない人は、「そうかあ。だよなあ」と知らず知らずのうちに組み込まれてしまいそうだ。

 アサヒは今、天皇陛下の行為に一切敬語、丁寧語を使わない。記念植樹でも「した」と書くそうである。せめて「なされた」と書けないものかとの批判があった。アスキーも昭和天皇の崩御を「死去」と書いた会社である。そういうところの連載だからもって知るべしなのだが。

 どうにもサヨク側の「冷たい国、日本」という論調には納得できない。「撤退しない」と明言したのは国家の方針であるから論外として、ずいぶんと国を挙げてあの身勝手な三人のためにかけずり回ったではないか。それでこんなことを言われるのではたまったものではない。「冷たい国」は北朝鮮拉致問題に関して言われるべきで、あんな「甘えの構造」の三人に関しては論争以前である。それでいてアサヒ的サヨクは「北朝鮮拉致問題」に関しては国を冷たいと批判するどころか、なにもさせまいとしている。なんでこんな国になってしまったのだろう。あまりに身勝手で幼いマスコミである。まるで思春期の反抗期のようだ。
 今回の国の対応は、子供をしかることの出来ない親が、初めてしっかりと叱った例と言えるだろう。小泉首相の発言はその意味でも画期的だった。
04/4/30
 フルタチの憂鬱.2──やはり始まったプロレスの蔑視 

 ぼくにとって「フルタチの憂鬱」とは、秀でた才能をもったおしゃべり藝人フルタチイチローが、テレ朝の色を代表するつまらんサヨク司会者になってしまうことだった。現実に今、そうなっている。

 クメの後継者は誰もが局アナのワタナベだと思っていた。ワイドショーや「朝まで生テレビ」サブ司会として「そっち方面のアナ」としての実績も積んでいた。本人もそう思っていたろう。我の強いクメも後継者がワタナベなら間違っても自分を凌駕することはないし、より地味で小粒な番組になるだけだから、よろこんで禅譲した。最終回は握手で引き継いだかも知れない。報道番組ならそうなった。
 ところがニューステとは報道番組ではなく、視聴率競争でいいところのないテレ朝の唯一の看板番組だった。ワタナベでは地味すぎる。視聴率は最高でもクメ並みであり、まずまちがいなくクメ以下の小型クメでしかない。だったらクメ以上の可能性を追おう。よってフルタチで博奕を打つことになる。怒ったクメは引き継ぎを拒否した。なんとしてもクメを超えねばならないフルタチは空回りする。番組はものの見事に失敗した。

 果たして巻き返しはあるか。テレ朝で唯一見事と思うのは「TVタックル」だ。たけしの力が大きいのだろうが、サヨク全開から見事に時代に合わせ、ハマコーと三宅さんをレギュラとし、アサヒ嫌いの視聴者を引き寄せた。あのような形の方向転換がホーステは出来るか。もしもフルタチが居直り、今のサヨク文化人的くだらん姿勢を捨てたなら、出来る。でもまず出来ない。それはクメ時代からの視聴者が望んでいるものがテレ朝的体質のそれだからだ。コメンテータもアサヒ系でズラリと揃っている。がんじがらめである。かってな動きは出来まい。

 フルタチには安倍幹事長のような人脈もある。もしもフルタチの担当したこの番組が「TVタックル」のような週一のものであったなら、これでは視聴率は取れないと判断したフルタチプロジェクトが一斉に方向転換し、アサヒ色を一掃し、安倍幹事長をはじめとするゲストを呼び、高視聴率番組に変身することも可能だったろう。だがテレ朝の看板であるからしてそれは不可能だ。フルタチはひたすら「クメの後釜で失敗した男」としてじり貧の視聴率に耐えねばならない。クメは高笑い。フルタチはやせ細る。無惨である。

 「フルタチの憂鬱」としてもうひとつ心配していたのは、この番組での失敗がすなわち彼の過去の業績の否定につながるのではないかということだった。これまた見事に現実化している。彼のおそまつな司会進行とアカピーぶりに「おまえはおとなしくプロレスの司会でもしていろ!」のような書き込みをネットで多数見かける。あるいは「所詮プロレス実況の男」のようにだ。ここではフルタチをおとしめる材料として「プロレス実況アナ」が使われている。プロレスファンとしては悔しいが予想できたことでもあった。
 私にとって「フルタチの憂鬱」は深い。

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