2003-上半期
03/4/24 『地球の歩き方』の姿勢(03/4/24)

 先日、『地球の歩き方』中国版を立ち読みしていたら、「中国の人は痰を吐いたり手鼻をかんだりすると言われていますが、都市部の人はもうそんなことはしません。そんなことをして失礼のないようにしましょう」のようなことが書いてあったのでわらってしまった。

 わらった理由はふたつ。ひとつは言うまでもなく今でもみんなやってるということ。町中いたるところ、唾吐き、痰吐き、手鼻かみだらけだ。
 そもそもそういうことはよくないこと、若い女がやったりしたら恥ずかしいこと、なんて感覚が彼らにはない。それが日常なのである。日本人が自分たちの感覚で彼らを判断しようとすることが間違っている。すっぽんぽんで生きることが自然な人たちに、恥ずかしいから性器を隠しましょうと強要するようなもので、異文化なのだからかみ合うはずがない。


 日本のように、食卓で、魚の小骨をいれる壺、料理の灰汁をすくっていれる壺と、それぞれ凝った器を用意するのも文化なら、それらをぜんぶ足下に吐き出し、食後にまとめて捨てるのも文化である。彼らは言う。「なんでそんな面倒なことをするのか? どうせゴミなのだから後でまとめて捨てれば同じだろう」と。たしかに理屈は合っている。それに「いや、その、見た目が」と語ることはのれんに腕押し、というかまさに馬の耳に念佛だ。中国ほどおおざっぱもいやだが、かといってフランス料理のようにナイフとフォークでバナナを切って食うようなマナーもいやだ。

 わらったもうひとつの理由。ここにあるのは、「中国ではどこでもここでもみんな痰を吐いたり、手鼻をかんだりするそうだ。よおしおれも中国に行ったらそれをやろう」と、すぐに染まってしまう日本の若者に対する気遣い、心配り、転ばぬ先の杖、小さな親切大きなお世話、である。いわゆる「電車が来ますので白線の内側にお下がりください」「本日はたいへん傘の忘れ物が増えております」のたぐいだ。これほどかゆいところに手が届きすぎているガイドブックもないだろう。そして若者はそれをバイブルにして旅をする。まさに病んでいる日本の象徴である。





 外国旅行に興味のない私は、欧米に行くときごく自然に『地球の歩き方』を手にした。しばらくはなんの不満も感じることはなかった。『地球の歩き方』を買ったり、時にはJTBの「自由旅行」を買ったりしていた。当時その二冊は旅のガイドブックとして双璧だったが、今では雲泥の差と言えるほど発行部数に差がついてしまった。それがなぜなのかは興味がない。たぶんパックパッカー向けに『地球の歩き方』のほうが親切だったのだろう。私がこの本に疑問を持つようになったのはその「親切」の部分からだった。

「この本はおかしいぞ」と首をかしげるようになったのは東南アジアに通うようになり、アジア系の『地球の歩き方』を買うようになってからである。ガイド文の中に読者から寄せられた体験記や寄せ集め編集者が書くコラムが載っている。それらの姿勢がすべて、いわゆる「自虐史観」なのである。たとえば十数年前のタイ篇にはこんなのがあった。さすがに今は削除されたようだが。

 読者の若者がカンチャナブリに行く。泰緬鉄道のあった場所である。そこでいかに日本人が英国人捕虜にひどいことをしたかを歴史館で知らされる。オランダ人若者が「I hate Japanese!」と書き込む。それを読んでその青年は日本人であることを深く恥じ入ってしまうのだ。それをフォローして編集部原稿がいかに日本人が悪いことをしたか、今もその爪痕は癒えていないと続く。

 ため息が出た。ひとつはこの若者の無知に対するもの。泰緬鉄道における英国人捕虜の使役に関してはいまだに保証金がどうのと言っているのもいたりするが(それも日本の朝日新聞が煽ったからである)、当時の現状はかなり正確に報告されている。英国人捕虜は一日にぎり飯ひとつで苛酷な労働に従事させられたと訴えているが、一日にぎり飯ひとつは日本人兵士も同じだった。使役する側が捕虜と同じ食生活をしていたのだ。決してそれは虐待ではない。
 ましてそれをオランダ人などに言われてなるものか。彼らが東南アジアでどれほどひどいことをしたか。彼らからインドネシアを解放し、アジアの自由を勝ち取ったのは日本軍である。誇りを持つことはあっても恥じ入ることなどなにもないのだ。無知とはなんとかなしいのだろう。そしてそれに染まってしまっている編集者の誘導はこわい。ため息のひとつはそれ。

 もうひとつは、日教組教員に自虐史観を教えられたままの若者の私が旅をしていたなら、まったく同じ感想を持ったであろうということだ。私が外国旅行を嫌っていた根底には、かなりその「日本はわるいことをした。アジアの人々に謝らねばならない」という憂鬱があったのかもしれない。幸甚にもそれを脱却してから私は海外に行った。いや、脱却するまで行かずに待っていたのかもしれない。

 これらの姿勢は、『地球の歩き方』の発行元であるダイヤモンド社の根幹なのだろう。私がバックパッカーを嫌うのは、こういう『地球の歩き方』のような駄本をもって歩くそれが、安易な「自虐史観若者大量製造器」であるからだ。(03/5/14)

03/5/17
雑誌我慢──『週刊アスキー』『紙のプロレス』

 前記『週刊アスキー』の話がある。あれはひさしぶりに買ったパソコン誌だった。今すぐ中国に行くわけではないが、果たしてどういうものかと、ここのところ長年毎日のように買っていたスポーツ紙、週刊誌、雑誌を封印していた。月刊のオピニオン誌は買っている。これはあちらにいっても送ってもらうつもりなので我慢の必要はない。

 いまのところ感覚としてはなんとかなりそうである。でもこれは誤解だろう。なんていうんだ、間違った思いこみ、か。
 たとえばうまい日本酒が目の前にあり、期限を決めて禁酒しているのと、飲みたくてたまらないのにどこにも日本酒がないのでは飢餓感焦燥感がまったく違う。スポーツ紙であれ週刊誌であれあふれるようにあるのに接していながらあえて買わないのと、買いたくてもないのでは違ってくる。だから現在の行動は、実験のようでいて実はあまり意味はないのでは、とも思う。
 それでも我慢できているのはたしか。この我慢が我慢でなく自然のスタイルになったらそれなりに効果があったことになる。

 『紙のプロレス』を立ち読み。立ち読みってのが半端だ(笑)。近年プロレス誌は興味が引いているので買わなくてもかなり平気になっている。その中でも買い続けていたのが『週刊ファイト』と『紙のプロレス』になる。
 これの真ん中あたりに綴じ込み附録のようにある懐古談がおもしろく、それだけでも──私には──買う価値がある。私にはと断ったのは読者層の大半である若者にはたいしておもしろくないと思うからだ。数ヶ月前に登場した小畑千代の話を楽しめる人が世間にどれほどいるだろう。いや、確実にそれなりの数いるだろうが、その人たちは間違いなく『紙のプロレス』なんて買っていない(笑)。開局間もない東京12チャンネルで小畑千代が活躍していたのは昭和45年ぐらいだ。当時高校生だった私には彼女の懐古談はたまらなくおもしろい。だけどなあ……。なにしろインタビュアだって知りもしない話をおもしろがって聞いているだけである。いわば「戦争中にほんとにスイトンって食べていたんですか?」の世界。それを再現して作り、「わあ、意外においしい」なんてのと同じだ。

 この企画が続いているのは、私のようなのがそうそう読んでいるとも思えないから、知るはずのないむかしを知りたがる若者がいるということなのだろう。私も競馬に関して、自分の見られなかった名馬の話を聞くのが大好きだった。それと同じ感覚か。
 なにはともあれ私にはこれが毎月楽しみで、ここを読むだけで買う価値があった。今月もこれが読みたくて、ついつい禁断の立ち読みをしてしまった。ダイエット中に甘いものをつまみぐいするのはこんな感じだろうか。今月は先月の続き。現在スペイン在住の元日テレの倉持アナ。

 新日から全日がハンセンを引き抜いたとき、いつどこでどのように乱入するかを、馬場、フロディ立ち会いのもとホテルの一室で綿密にリハーサルしたのはもう馬場側から明らかにされている。このときテレビ放送では、倉持アナが「あ、あれは、誰ですか!? ハンセンでしょうか!」と叫んだ。裏事情を知らない当時でも、わざとらしいと感じた。そう思いつつも全日へのハンセン登場を心待ちにしていたから大昂奮したものだった。
 でも倉持さんはまったく知らされていなかったとのこと。プロデューサは知っていたが臨場感を出すため実況アナには伏せていたらしい。とはいえ当時、来月興行する大阪方面のポスターにはもう「ハンセン登場!」と刷っていたとか(笑)。倉持さんもわかってはいるがわからないように自分を思いこませていたわけだ。このへんが笑えておもしろい。先月号では、新日の古館は逆にかなり裏事情を知っていて、計算尽くで実況していたと語っていた。おもしいろねえ。この種の話は最高だ。倉持さんの素直な古館讃歌もきもちいい。

 吉田豪の川田本『俺だけの王道』書評もすごかった。ここも毎月たのしみにしているコーナーだ。
 言葉尻をきっちり捉え、遠慮なくここまで書ききるのはすぐれた才能である。たいしたものだ。ラリアートでたとえるなら相手の受け身を気遣わず腕を振り抜ける割り切りだ。本を出版した以上、かりにケガをしても、それは受け身をとれない川田の責任と腹をくくって書いている。
 いつの間にか吉田豪はコラムニストとして売れっ子になっていたが当然だ。腹のくくりかた、という才能がきらきらしている。
 この分析を見ると、これって川田がほんとに書いたのだろうか。わからん。テープおこしだと思うが。それでも人の性格はでるのか。

 私も今ちょっと呆れている人がひとりいるのだが、あまりにその人がお粗末なので関わるのは遠慮している。川田の著書と同じで、彼の書いたものを羅列するだけで、いかにその人がお粗末で自己矛盾しているか露呈するのだから、あえてこちらがなにかをする必要はない。論破するには気の毒なのでなにもしないままでいる。だがここで吉田豪の姿勢を見ると、振り抜くラリアートこそ必要なのだと思ったりする。どうなんだろう。事なかれ主義だからなあ。

 書いていて気づいたが(最近こればっかしだ)、要するに今のプロレスには(『NOAH』以外)私はたいして興味はないが、むかしのエピソード、裏話は大好きということらしい。そりゃそうだよな、物心ついてからずっとなんだもの。

 日本にいる間、無理して断ち切る必要もないだろう。今後も『紙のプロレス』は読むつもりでいる。

(『紙のプロレス』の写真はネットにはないようだ。スキャンして作るしかないか。)
03/6/27

雑誌断ちからコンビニ断ちへ(03/6/27)

 ここのところ毎日買っていたスポーツ紙や週刊誌類を買わないように心がけ、かなり確実に成果を上げていた。なんか耐えている自分を進歩したかのように思っていた。なにしろなんの自慢にもならないが、毎日朝刊スポーツ紙を二紙、夕刊紙を二紙、週刊誌、マンガ類を毎日買っていたのである。毎日必ず一冊は買っていた。月に100冊は雑誌を買うから一日に何冊も買うことも多い。それをほぼ全面的にストップしたのである。スポーツ紙のほうは、ここ数年の体験からネットで読めば飢えなくなっていた。もともと野球、サッカー、ゴルフのようなメインの記事になんの興味もなく、競馬と格闘技だけを読んでいたようなものだから(二ヶ月に一度大相撲が始まると読むページが増え、なんだか得した気分になった)競馬から遠ざかれば、我慢はそれほどつらくなかった。格闘技にはネットがある。そっちで十分だ。
 そうして雑誌類まで我慢できたから(いま購入するのは月100冊が月8冊ぐらいに減った)、これはとんでもない成果なのではないかと思い始めていた。この愛読書の8冊は云南まで送ってもらうつもりだから我慢しなくてもいい。

 そうして、我ながらたいしたもんだぐらいの気持ちでいたのだが、ふと、ぜんぜんそうじゃないことに気づいた。
 きっかけは数日前の『週刊現代』にある。思想的に合わずもう何年も読まなくなっていた『週刊現代』を立ち読みし、エッセイの連載を始めた大崎善生さんのことを10枚ほどのエッセイもどきとしてまとめた(「日々の雑記帳──将棋」に納める予定)。そのことで、週刊誌から離れていないことに気づいたのである。コンビニに行って好きなところだけの立ち読みですませているから、たしかに買わなくなり、月に数万円の節約を果たしたのだが、それは本来の目的ではない。どうでもいいことだ。肝腎要の「週刊誌断ち」がぜんぜん出来てないと今更ながら気づいたのである。

 もしも「週刊誌中毒」と言うのなら、『週刊文春』や『週刊新潮』を買って、すみずみまで読んでいた今までよりも、買わないことにした代わり、好きな文春や新潮はもとより、嫌いな現代やポスト、興味のない大衆や実話まで読み始めた今(昨日は女性週刊誌まで読んでしまった)のほうが重症なのである。
 そもそもこれをやろうと思ったのは云南での生活を考えてのことだった。スポーツ紙や週刊誌のどうでもいい記事を読みつつひとり晩酌をする長年の悪癖を撤廃しようと目指したのである。私にとっては大改革になる。まさに自分自身の構造改革(笑)。
 なのに買わなくても相変わらず中毒状態ではなんの意味もない。いや相変わらずどころか症状はひどくなっている。そう考えてみると、毎日のように買っていた漫画単行本(小学館のマイファーストビッグの成功により、各社が懐かしの漫画本を紙質を落とした300円程度で乱発している)を買わなくなったのも、東京から漫画本を大量に持ってきて──内容は忘れているから(笑)──買わずにすんでいるだけなのである。何も変っていないことに気づいてガクゼンとした。全快したと思っていたのに悪化していたと知ったのだからショックは大きい。

 そうしてたどりついた結論は、私のやるべきなのはスポーツ紙断ちや週刊誌断ちではなく「コンビニ断ち」なのだということだった。
 これはとんでもなくたいへんだとわかる。ディテールにこだわり、せっかちで我慢のきかない私に24時間営業の便利屋は欠かせない。もしかしたら、ここ十数年田舎暮らしが出来たのも、都会的に24時間営業のコンビニが何軒か出来、深夜だろうと明け方だろうと行きたいときに行き、買いたいものが買えたからではないか。田舎暮らしを支えた表の主役がクルマなら、裏の番長は間違いなくコンビニだった。徹夜で仕事をした後、明け方のコンビニで弁当とつまみを買ってきて、晩酌ならぬ朝酌をやってから眠りにつく生活で原稿料を稼ぎ、生きてきたのである。
 そうなのだ、すべてはコンビニのお蔭だった。スポーツ紙だって24時間買える。以前のように駅の売店に行っていたなら開いている時間は限られていた。よく売り切れになっていた。明け方の弁当だってコンビニがなかったら、前日にスーパーで買って用意したりはしない。前日買っておいたものを自分で電子レンジであたためるなんてまっぴらだ。コンビニこそが田舎暮らしを可能にしてくれた感謝すべき存在であり、同時に悪癖の根元でもあったのだと気づいた。悪癖を直すなら、そことの縁切りをせねばならない。

 これはつらいなあ。超難問だ。コンビニとの縁を断ち、深夜、夜明けにクルマで出かけることを厳禁とすれば、買い物に関しても、きちんとメモを持ってのまとめ買いになり、いろんな意味で生活にメリハリが出来るだろう。だが今までのんべんだらりんと生きてきてしまった。そうすることは生活の大改革になる。でも「云南で暮らしても不自由のない状況」を実験的に現出しようとしているなら、これこそが挑まねばならない問題のようだ。
 きょうからチャレンジしてみます。結果は後日報告。

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