2002
02/5/18

天声人語の価値
(02/5/18)

 最近の天声人語の質が落ちているのは確からしい。では天声人語とはそんなに昔は質の高い名文が並んでいたのだろうか。昔は最高だったが今は落ちたのだろうか。
『お言葉ですが…』の高島俊男さんも、子供の時に母親から毎日天声人語を読めと言われ、中学高校とそれを実行してきたという。新聞部の先輩に「朝日の社説を書く人こそ日本一の男」と思いこんでいる人がいたそうで(あの当時そう思っていたジャーナリスト志望の若者は多いだろう)、彼と一緒に田舎町に来た有名人を訪ねる章はおもしろかった。
 そういう高島さんも今ではアンチ朝日となり、天声人語の中国故事からの引用の間違いを指摘したりしている。それはそういうことをされるほど現在の天声人語筆者の質が落ちたのだろうか。そう言う人は多いだろう。頑迷な朝日信者は百歩譲ってもこの説を最後の砦にするかもしれない。でも私は違うと思う。

 あそこは一人の人が専属で十数年担当したりする。執筆時代はあまり表に出ないが、職を辞してからは実名でメディアに出たりするようになる。以前は、謎の聖人のような存在だった。今はこういう時代だから誰もが実名を知っている。わたしゃ興味がないので知らないけど。むかし読んでいた人は深代という名だったか。
 一人の人が、毎日大部数新聞の看板面である一面で、政治、経済、思想、法律、文学、生活、食、四季の移ろいなどに関して、全国の読者すべてを満足させるコラムを書き続けることは、どんなにそれに専念し日々の鍛錬を怠らなかったとしても、不可能であろう。人は万能のスーパーマンにはなれない。

 高島さんが中国故事の引用方法、解釈の間違いを指摘したことが端的な例になる。天声人語を読んで育った少年は国語学者となり、中国文学、漢字、故事来歴に関して、天声人語筆者の遙か上に行ってしまったのだ。だから苦笑しつつその初歩的間違いを正した。それは高島さんだから出来たことで無知な私などに出来ることではない。後で『お言葉ですが…』論考にこの項をアップするつもりだが、それはフツーの人が読んだら、中国故事からの引用も納得できる形であり、起承転結実に良くできた名コラムらしきものなのである。だが中国文学専門家の高島さんから見たら、こらこら最初から意味を取り違えているよというお粗末な文章でしかなかった。そこを指摘されると、それは大前提の地面をひっくり返されるようなものだから、今まで輝いていた名コラムが、急に自分に都合のいい結論に結びつけるために故事来歴をかってに歪めた醜い悪文になってしまう。この辺、無知とはおそろしいものだと思う。まあでもこれは無知以前の感覚の問題かもしれない。今の日本国憲法を、戦勝国が敗戦国に押しつけた憲法以前のお粗末なシロモノと思う私と、世界に誇る平和憲法と思う人が決して相容れないように。

 高島さんは中国文学や漢字に関して、同じ年頃であろう天声人語の筆者の遙か高見に行ってしまった。だから間違いや誤用が即座に解る。そして高島さんが、それを文章に出来る立場にいただけである。その他、今までにも天声人語筆者の間違いをそれぞれの専門分野で苦々しく感じている(感じてきた)人は無数にいるだろう。野に賢人ありである。高島さんが、言葉の発祥などを、いくら調べても解らず、文春誌上で、これっていったいどういうことなんでしょうね、と書いたら、早速全国の津々浦々から、詳解が寄せられるのである。これはまことに圧巻で、日本にはすばらしい知識を有した賢者が点在しているのだなあと、ため息が出るほどである。そういう世界でありそういう時代だ。
 天声人語も、法律や政治、経済等を常識的な上っ面を撫で、最初から用意された自分たちに都合のいい結論にもってゆく方法を採っていると信者に支持されて無難だが、趣味的な分野でちょいとしったかぶりをすると、全国のマニアックな粋人から一斉にその間違いと勘違いを指摘される。それは、昔からずっとあったことなのだと、私は思う。表に出なかっただけで。

 読者から間違いを指摘される。葉書や封書であろう。それにどう対応していたかは知らない。個人的には対応していたのかもしれない。ともあれそれが世の表面に出ることはなかった。非を認めないのは朝日の基本姿勢である。「北朝鮮は夢の国」「スターリンはやさしいおじさん」未だにしらんふりだ。天下の朝日、看板の天声人語の虚勢は保たれてきた。天声人語は聖域だった。
 今はそうではない。物知りな高校生が朝日の間違いを指摘する時代である。それだけ時代が多様化し、ひとりの五十代、六十代の知識人が、全読者を納得させるだけの、政治経済からIT用語までを論じられる時代ではなくなった。
 天声人語のレヴェルは、昔も今も変わらない。それを取り巻く環境が変ったのだというのが私の考えになる。

※後日註・天声人語には時代により、社会党を正当に批判しているような名文もあると知った。昔からダメとは言い過ぎのようである。
03/5/18 天声人語のネタ(02/5/18)

 朝日新聞研究のホームページに、天声人語のネタ分析があった。物故した人を取り上げているのが全体の三分の一もあるらしい。三日に一度は死人の話だ。毎日次々と有名人が死んでゆくからネタとしてはいちばん楽だろう。しかもそれを「必ず戦争に絡ませてゆく手法」なのだそうな。笑った。巧みな誘導だ。たしかに死んだ人なら、彼らの好みの色に染めて語っても文句は言わない。「××さんは終戦後満洲から引き上げて来て云々」と切り出し、その人の業績から、いつしかテーマはお得意の日本はアジア各国に悪いことをしました。もっともっと謝らねばなりません。あのようなことは二度としてはいけません。そのためには平和憲法を護ることですと繋いでゆくのだろう。しかしこの切り口はビョーキである。こういう新聞を毎日読んでいたら確実に洗脳される。そこから立ち直ることは難しい。私も苦労した。これの英訳が大学受験によく出題されるからと親に頼んで朝日を取るようにしたのだった。
 東ティモールの獨立に際して、早速朝日の記者が飛んでって、日本に戦争の損害賠償を求めますか、求めましょうよ、みなさんひどい目にあったんだから求めましょう、ね、ね、日本を許しちゃダメですよとやったそうな。まったくどこの国の新聞社なんだ。あちらから、日本はアジア各国の獨立に勇気を与えてくれた、戦争は遙か昔のことで損害賠償のことなど考えてもいないと言われて、朝日記者、がっくしと肩を落とし傷ついたそうな。なんだかなあ、こんなけったいな国は他にないぜよ。


平成十四年
5月17日 柳家小さん 二・二六事件でのことで……
5月13日 D・リースマン 戦後まもなくの米国で描かれ……
5月11日 萩原朔太郎 彼の死は60年前の……
5月6日 「当事者の会」武るり子さんの息子
5月3日 中江兆民 帝国憲法をめぐって……
5月2日 ジャーナリストの犠牲者 政府軍の攻撃を…… 軍の射撃手に頭を…… イスラエル軍の戦車…… 警官が銃撃を……
5月1日 ルー・テーズ 占領国だった豊かな国アメリカ……
4月27日 歌人の斎藤史さん 少将だった父も……
4月25日 事件や事故で亡くなった人
4月21日 ジョン・ナッシュ 暗号解読の才能を
4月18日 シノーポリ(二回目) 第二次大戦中の空爆を……
4月6日 自爆テロをしたパレスチナ人女性
3月26日 『伊勢物語』・河竹登志夫 戦争の時代、再び「散る桜」が……
3月11日 野上弥生子さん 62年後に、空想の光景が……
3月10日 伊藤整 東京大空襲で……
3月4日 ドストエフスキー 世界の終末までの……
3月3日 横山大観 戦後まで健筆を……
2月14日 服部剛丈君
2月11日 マーガレット王女 宮内庁担当の記者も……
2月8日 無残にも犠牲になった人々 21世紀最初の年に……
1月28日 カミュ アフガン復興会議での……
1月11日 ルソン島で戦死した竹内浩三 1945年、フィリピンの……

平成十三年
12月12日 江戸家猫八 広島で被爆し
12月8日 カラバッジョ 戦争を仕掛けた日から60年……
12月3日 ジョージ・ハリソン
11月9日 横山隆一 戦時の国民動員を図る……
11月8日 パブロ・ピカソ 空爆開始から……
10月26日 萩原延寿さん 話題は政治と……
10月17日 張学良・松本重治さん 黒幕に日本軍部が……
9月26日 魯迅 教室で戦争のスライドを……
9月25日 アイザック・スターン こんどの同時多発テロ……
9月24日 佛文学者の渡辺一夫 臆病であることが難しい時代……
8月27日 アレクサンドロス大王 ゲリラ側の武器回収に……
8月24日 フレッド・ホイル
8月17日 もう一人の特攻隊員 戦死した特攻隊員が……
8月16日 古川正崇さん 靖國神社を後にして……
8月12日 読者の戦死した兄と義兄 出征の日、靴のひもを……
8月11日 ある朝鮮人航空兵 特攻で亡くなった……
8月4日 横断中に車にひかれて亡くなった子ども
8月1日 熱中症で死んだ人 南方に展開した軍隊や……
7月14日 劉連仁 戦争中の44年に……
5月18日 團伊玖磨 ウミハヒロイナ オオキイナ……
4月22日 シノーポリ
4月19日 志賀直哉 沖縄での米兵による……
4月16日 三波春夫 シベリア抑留、その後の……
4月10日 並木路子 戦後の占領政策が……



 先日ある競馬記者と彼が朝日を購読していることで論議になり、気まずい思いをした。あんなことはもうまっぴらだが、それでもやはりなんの疑問もなく毎日朝日を読んでいるだけで、その人とは感覚が通じないと断じざるを得ない。まともな思考回路を持っていたら、あの新聞を読んでいたら腹立つはずと思ってしまう。もうそのこと抜きに友人関係はあり得ない。
 そういえば、近年の交友関係を見ると、いつの間にか社会党支持者だった人たちとは疎遠になっている。決してそういうことを酒席で論争したわけでもなければ、彼らがこのホームページを見たりしたわけでもないのだがこういうのは人生の必然なのだろう。実際ぼくとしても、しばらく会っていない彼らと久しぶりに酒席を共にし、有事立法はけしからんなどと同意を求められても返事に窮するし、以前のように苦笑でごまかす気もない。疎遠になったのは宿命だったのだと思うことにしよう。去る人もあれば来る人もいる。それが人生だ。


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