2016
4/3
●知らなかったことば──「ラノベ」

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【どうでもいい追記】──ラノベ初体験
 どなたかの文──もしかしたらTwitterだったか──に「ラノベ」とあった。ほんの数年前のことである。
「ラノベを読んでいたら」のような流れだったか。意味がわからない。人名なのか? 私はラノベというひとの作品を読んだことがない。
 調べた。すぐに「ライトノベル」を略したもの、と知る。これはわからないはずだ、だって「ライトノベル」なるものを読んだことがない、ライトノベルと今まで口にしたことがないのだもの(笑)。しかしへんなことばだな、ライトじゃないとヘビーノベル、ヘノベってのもあるの? ま、今後も読むことはないだろうからどうでもいいや。



 むかしから榎本健一郎をエノケン、伴淳三郎をバンジュン、嵐寛寿郎をアラカン、阪東妻三郎をバンツマ、と略して呼ぶような流れはあった。と書くと私が使っていたみたいだけど、私は使ったことはない。私よりももっと前の世代の話。
 ものすごくふるいことを言っているようだけど、今のマツジュン、コジルリ等も同じである。世の中変わっているようでいてあまり変っていない。今時の化粧と和田アキ子がデビューした頃の化粧が同じであるように。まあこれは周期の問題だからちょっとちがうか。

 私はコジルリに興味はないけど、さんまの番組で見たことはあるから、「小島瑠璃子を略してコジルリ」なのだろうと解る。でも「ライトノベル」ということばを使ったことがなく、知らなかったのだから、それの略称である「ラノベ」は解からない。これはしょうがない。元を知らないのだから。若者にエノケン、バンジュンと言っても通じないのと同じだ。元を知らなければ略称を知るはずがない。



 ただ、むかしだったら「ライノベ」だったのではないか。エノケンバンジュンコジルリ的に言えば。
 略しかたにあたらしい流れがあると知ったのは競走馬の遊びだった。

 サイレンススズカをススズ、ファインモーションをインモーがそうである。
 数年前、2ちゃんねるの相撲板でGEDとあったのでわからなかった。そのずっと前には旭天鵬の「ひとみさん」があった。
 GEDは豪栄道のこと、知る。この辺はダイゴの真似なのか(笑)。お、珍しいな、人名に圧倒的に強いGoogle日本語入力がDAIGOと出せない。
「ひとみさん」は北朝鮮の拉致から帰国した曽我ひとみさんと旭天鵬が似ていることから来ていた。たしかに似ている。

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 この文、あたまに「どうでもいい【追記】」とあるようになにかの【追記】だったらしい。でもその本文がなんだかわからなくなった。でも「ラノベ」を知らなかった記念に、数年前に書いたものだが収録しておこう。いまだ「ラノベ」を読んだことがない。

8/1
●西村賢太の「真逆」と「すべからく」

 西村賢太の随筆を読んでいたら何度か「真逆」と出てきた。「まぎゃく」である。私はこのことばを使わない。きらいだ。いつごろから普及したのかと調べたら「2004年に流行語大賞にノミネート」とあった。21世紀に入ってからの新語のようだ。いまでは一般的になっているが、それでも、ブログに書いたように、70代後半の棋士・内藤九段が随筆に使ったりするといまだに違和感を覚える。そう、世間が使うのはかまわないのだ。自分が使わないこと、そして自分の好きなひとに使ってほしくないことにのみこだわりがある。

 西村の場合は使わないひとと思っていたので意外だった。ただ「使ってほしくない好きなひと」かとなるとこれは微妙(笑)。彼が使おうが使うまいがどうでもいい。とにかく「意外だった」になる。
 笑ったのは、そのたびに──これはもう真逆(こんなことばはないが)なのである──のように毎回カッコ附きで「こんなんことばはない」と弁明がはいっていたことだ。古い文体で古色蒼然たる用語を駆使する西村にとって「真逆」は「まさか」であろう。それを今時の「正反対」の意味の「まぎゃく」という新語として使いつつ、そのたびに弁明しているのがなんかおかしかった。そこまでして使いたいのだろうか。それとも彼なりのあそびなのか。



「すべからく」はもうそこいら中に誤用があふれていていうんざりする。弘兼憲史さんも『島耕作』でたびたび誤用している。いつも思うのは、「なんでそんなにすべからくを使いたがるのだろう」だ。「すべからく……すべし」の強調だが、これを使わねばならない場面もそうはない。でも多い。私の関わっている競馬分野でも誤用乱発で使っているのがいる。なかなかの熱血レポートであっても、こういう不要な表現を使い、しかもそれが誤用であると一気にしらけてしまう。そのたびに思う。「どうしてそんなにこの表現を使いたがるのか!?」と。

 西村も「すべからく」を「すべて」の意味で誤用が続いていたが、先日最新の随筆集を読んだら、「真逆」と同じく、──すべからく(誤用だけど)よい品物なのである──のように「誤用だけど」が附いていた。だったら使わなければいいのにと思うのだが、誤用と認めてまで使うのが文士の意地なのだろう。かな?

 ●「すべからく」の意味


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