ことば-2013

8/1 ●「お愛想──おあいそ」について

 「おあいそ」というコトバが奇妙な使われかたをして、イヤだなあと思ったのはいつごろからだったろう。80年代後半だろうか。明確に覚えているのは、1991年にタイのチェンマイの日本食堂『サクラ』でそれを嘆いていたら、『サクラ』常連随一のインテリであるナベちゃんから「もうそうなってんだからしょうがないんじゃないの」と諭されたことだ。ナベちゃんはコトバというものは、世の中の流れとともにあるもので、本来はそうであっても、多くのひとがちがう使いかたをするようになったら、それはそれでもうしょうがないという考えのようだった。ナベちゃんの同意を得られるものと思っていた私は白けてだまった(笑)。たしかにまあ悪貨は良貨を駆逐するのであり、コトバなんてそれでいいのだけど、ナベちゃんは即座に同意して「まったく、困った傾向だ」と一緒に嘆いてくれると思っていたので落胆した。そのこともあって以降それを意見として口にしたことはないが、その後も今にいたるまで、私が飲食費を払うときに店に対して「おあいそ」と口にしたこともまた、ない。



あい そ[3]【愛想】
〔「あいそう(愛想)」の転〕
(1)人に対する応対の仕方。好感をもたれる言葉遣い・表情・態度など。「―がいい」「―のない人」
(2)人を喜ばせるための言葉や振る舞い。「―を言う」
(3)相手に抱いている好意。「―が尽きる」
(4)特別な心遣い・もてなし・心つけなど。「何の―もございませんで…」
(5)飲食店などの勘定・勘定書。〔(2) (4) (5) は「おあいそ」の形が多い〕

お あいそ[0]【御▽愛想】
〔「おあいそう」とも〕
(1)「愛想 (あいそ)(1) 」を丁寧に言う語。
(2)「愛想(2) 」を丁寧に言う語。「―に顔だけ出す」
(3)「愛想(4) 」を丁寧に言う語。「―なしで…」
(4)「愛想(5) 」を丁寧に言う語。「―お願いします」

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 「おあいそ」とは、客が店に対して「勘定はいくらだ」と問い、店側が「ほんのおあいそ(おこころざし、お気持ち)でけっこうでございます」と応じるときの言いかただ。客の方から店に対して、「おい、おれのオマエの店に対するこころざしはいくらだ」と問うのはおかしい。返事は「しりません」しかない。「いくらですか」「なんぼや」という直接的な表現のほうがよほど正しい。

 典型的な誤りの例。「深夜食堂」より。こういうアンチャン、ネーチャンが80年代から増加した。シャレた表現と勘違いしたのだろう。当時のアンチャンネーチャンはオッサンオバサンになったが、それらのジュニアにより悪しき誤用は続いている。




 そんな中、当時から正しい使いかたをしていてた作品もあるのだと知る。うれしかった。「将太の寿司」より。これが正しい。ずいぶんと寿司屋のカウンターに行ってないなあ(笑)。当然、これを耳にしたのも遙か彼方の記憶になる。




「憮然」とは肩を落とししょんぼりすることであり「ムッとすること」ではない。しかし今の世の中、新聞から高名なベストセラー小説まで「憤然」と同じ意味で「ぶぜん」が使われている。世の中がそうなっているのだからカマキリの斧を振り回すのは愚かなことである。でも「憮然」同様、私が客として店に「おあいそ」と言うことはない。


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