2011
1/1  「たち」が多すぎる──英語劣等感の歪み?

 「鳥たち」「虫たち」のように何にでも「たち」を附ける近年の悪習について、高島俊男先生は「単数形と複数形が区別されている英語へのコンプレックス」と書かれていた。あれは『お言葉ですが…』の何巻だったろう。読者からの投稿で先生も近年のその傾向に気づかれたのだった。



 調べてみると2002年だった。《『お言葉ですが…』論考──コンプレックスたち》として書いている。



 英語を習うと、単数と語尾にSを附ける複数の違いがあることを知る。ChildとChildrenのように単数複数では形のちがうものもある。ここから「単数複数があやふやな日本語はよくない。劣っている」という感覚が芽ばえる。可能な限り日本語でもそれを明確にしよう、それがよい日本語の表現法なのだという勘違いが始る。

 私が呆れたのは、数年前に初めて聞いた、スーパーで流れている「野菜たち」というヤツだった。「さあ、いま、夏の野菜たちが勢揃い!」とエンドレステープで繰返されている。なんでこんなところに「たち」をつけるのだと驚いた。

 こういうのは言語コンプレックスとは関係ない。広告屋の世界であるから、それを「かっこいい」と思ってやっている。「新鮮な感覚」として。
 かっこいいと思って連発されるそれがなんとも耳障りでこちらは不快になった。大袈裟じゃなく、私はそのテープを聞くのがいやでしばらくそのスーパーに近寄らなかったほどだ。行かざるを得ないときも急いで用事を済ませ逃げるように帰ってきた。

 それは当時の「ことば」の問題として書いた。その後も続いている。いつしかすっかり慣れた、というようなことはなく、相変らず耳にするたびに不快になる。




 去年の12月に一番好きなゲームソフト「ファイアーエンブレム」の「蒼炎の軌跡」を入手した。最初にファミコンで出た第一作は1990年だからもう20年になる。
 最新ソフトはリメイクのDS版になる。これは前からもっているが私は携帯ゲームがあわない。つまらない。好きなソフトでもダメなのだからよほど携帯ゲーム機は合わないのだろう。
 
 やりたかったのは一連のシリーズをぜんぶやっているのに唯一やっていないゲームキューブの「蒼炎の軌跡」とその続篇であるWiiの「暁の女神」だった。ゲームキューブ時代に私はPS2派になってしまったので(まあ私だけではなく、あのころはそれが世の流れだったが)ゲームキューブのハードを持っていない。それでもこのことだけはずっと気にしていた。これをやるためにだけハードを買おうかと思ったほどだ。それほど好きなゲームだった。
 それに没頭するまことに楽しい年末正月となった。

「蒼炎の軌跡」が出たのは2005年。5年越しの思いが叶った。すでに発売されていないこのソフトは中古で買うしかないのだが、5年前の中古でも新品とほとんど同じ値段という値崩れしない商品である。



 だが、ここでも不自然な「たち」が連発されていた。これはもうそういう教育を受けた日本人の病気である。

 女主人公が悪者に荒されている町を助ける。こどもが女主人公に礼を言う。
「ありがとう、おねえちゃんたち
 悪漢をやっつけたのは主人公と5人ほどの仲間だった。「ありがとう、おねえちゃん」では、その他の仲間の存在を無視することになってしまう。よって正確に「たち」をくっつけるということなのだろう。なんとも虚しい話である。日本語の深味をくだらん西洋語コンプレックスで壊してしまっている。



【後日記】
 上記の「おねえちゃんたち」は「蒼炎の軌跡-2005年発売」の続篇である「暁の女神-2007年発売」でのこと。
 後に「蒼炎の軌跡」でも同じような心遣い?がされていることを知る。

 主人公の父母の死について第三者が主人公に話す。1対1の会話だ。そのとき第三者は「あんたたちの母親は」と言う。主人公には妹がいる。だから「あんたたち」なのだろうが、そこに妹はいない。ふつうは「あんたの母親は」だろう。日本語としてその方が自然だ。これなんかも「あんたの母親は」と言ったら、イチャモンが趣味の連中から「主人公には妹もいるのだから、あそこは〝あんたたち〟のはず」とクレームが来ることを想定して避けたかのようだ。何だかこの辺、テレビ局の差別語に対する異様な心遣いと同じ物を感じる。

 ということでまたひとつ思いついた。こういうゲームは欧米でも販売される。日本版ではかっこいいと思われた脇役の名前が欧米版ではどういう配慮なのか変更されていたりして愉しい。この辺の気遣いはそれからきているのか!?
 セリフは英語になるから、その場合「あんた」ではなく「あんたたち」になるのだろう。これはyourとyoursだからわかりやすい。
 「おねえちゃんたち」はどうなるのだろう。彼らを救済したおねえちゃんはひとりだけだから「おねえちゃん」が複数になることはない。「おねえちゃんとおじさん」になるのか。
 どうでもいいけど、いずれにせよこの「おねえちゃんたち」がくだらないことには変りない。



 とはいえそれは私も引きずっており、「彼ら」でいいところを、女もいるのだから「彼彼女ら」と書くべきかと思ったりすることがいまだにある。このホームページの古い文章にも「彼彼女ら」がいくつかあるはずだ。本人はより情況を正確に伝えたつもりでいる。愚かだ。言うまでもなく「彼」は女も含んでいるからこんなことをする必要はない。高島先生によれば「彼女」という日本語がそもそも変であるらしい。いやそれ以前に、美しい日本語を使いたいなら「彼」なんてことばは使わない方がいい。

 自分もそういうくだらん病気に罹ったことがあり、まだ完治していないから、最初からそういう教育を受けて育った若い人を大所高所から批判する資格はない。だけどこの「おねえちゃんたち」は、いくらなんでも不自然だろう。すなおな会話の流れを断ちきっている。まあ不自然と言えば『ゴルゴ13』の台詞回しや情況設定に代表されるように、マンガやゲームに関してそんなことを言いだしたら切りがないのだが。



 ゲームソフトのシナリオは、スタッフの意見を聞きつつ、何百回何千回と書きなおされて仕上がって行く。いやもっとか。200人以上のスタッフだというから、完成するまでの数年のあいだ、いったい何度修正されたことだろう。
 シナリオライターは最初は「ありがとう、おねえちゃん」と書き、それから「いや、ここは複数だからおねえちゃんたち」のほうがいいか、と直したのだろう。あるいは「おねえちゃん」で提出したが、切れ者の若者スタッフ?から、「ここは活躍した人数が複数なのですからおねえちゃんたちとした方が適切ではないですか!?」なんて意見が出て直したのか。
 そういうふうにしてセリフはブラッシュアップされていく。だが、みんなの意見を聞いてどの方面にも粗相のないようにしてゆくことが必ずしもよいセリフになるとは限らない。たとえば「盲は黙ってろ!」というセリフを、「目の不自由なひとは閑かにしていてください!」と直すようなものだ。そういう類の気配りがあちこちに見える。

 流れとしては「ありがとう、おねえちゃん」でいい。もしもその少年が周囲に心遣いをするこどもだとしたら(笑)、「ありがとう、おねえちゃん。おじさんたちもありがとう」となる。しかしそれでは長いからまとめて「おねえちゃんたち」にしたのだろう。これに限らずそういう不自然なセリフ──あちらからすると練って仕上げたセリフ──がいくつもあり、引っ掛かる。



 なんともいやな気分になるのは、単数複数のハッキリしている西洋語コンプレックスから、これが「常識」「正しい表現法」として定着しつつある流れだ。そういう教育を受けたこどもたちが社会の中枢になりつつあるのだからしょうがない。このゲームを楽しんだ何十万人のゲーマーの中で、このことに引っ掛かりを感じたのは私ぐらいなのだろう。

 いま調べてみたら、「蒼炎の軌跡」が16万本、「暁の女神」が17万本の売りあげとか。熱心なFEファンの数字はこれぐらいのようだ。2ちゃんねるのゲーム板ではいまだに「聖戦の系譜」や「トラキア776」の話で盛りあがっている。90年代のスーパーファミコンソフトなのに、いまだにこんなに熱く語られているゲームはない。




 餘談ながら──いやこれは餘談ではなく重要な話かも知れない──このゲームはスーパーファミコンまでの青少年向けを完全に脱して、思いっ切り難しい漢語を連発している。それこそ知らない言葉なので辞書を引いて意味を調べるという以前に、中高生では読めない難しいとんでもない漢字熟語がこれでもかというぐらい溢れている。やりすぎと思うほどだ。この辺の割切りはまことにすさまじい。

 スーパーファミコンまでは、画数の多い漢字はドット数の関係で表示が無理だったし、こども向けに使用を抑えていた。たまにそういう単語が出て来ても「カナ交じり」だった。「蒼炎の軌跡」以降はゲームキューブ、Wiiの表現力を活かして、思いっ切り難しい漢字、単語、熟語を使っている。これらのセリフを読める、熟語を理解出来ることが対象ゲーマーなら、完全にこれは成人向けのゲームになる。ストーリィもテーマは「差別」であるからかなり重い。

 それでいてグラフィックはかわいい系のアニメキャラであり、歯の浮くようなおなじみの脱力セリフも満載されている。このあたりは中高生向けだ。そのギャップが大きい。
 その中にある基軸が「たち」になる。おじさんですら読めない難しい漢字熟語の連発と、中高生向けのアニメ系キャラという振幅の大きい中で、きっぱりと迷うことなく存在を主張しているのが「たち」に代表される言葉遣いだ。



 スーパーの「野菜たち」でうんざりするあたりまでは、これも世の流れかと覚悟していたが、まさか好きなゲームの「おねえちゃんたち」でとどめを刺されるとは思わなかった。


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【附記】 映画「めぐりあう時間たち」

 そういえばなんともくだらんと思った映画邦題に「めぐりあう時間たち」というのがあった。2002年制作。日本公開は2003年か。
 原題は「The Hours」。時間hourの複数形から「時間たち」を思いついたのだろう。このタイトルをつけた本人が気に入っているのであろう事は、キャッチコピーにも「たくさんの愛と驚きと時間たち、そして感動。人生はいつもミステリーに満ちている。」と使っていることからも判る。周囲の連中は「いいですねえ、〝時間たち〟と、時間にたちをつけたのが新鮮です!」なんて誉めたのか。なんともたまらん気持ちになる言語感覚だ。
 ちなみにATOKは「じかんたち」を変換すると「次官達」になる。まだまともだと安心する。



【附記.2】 松田聖子の「あなたに逢いたくて」の中の「思い出たち」2012/3/14


 私は松田聖子の「あなたに逢いたくて」をサビの部分のメロディしか知らない。何年のヒット曲かも知らない。たぶんその時期、私は日本にいなかった。
 YouTubeをうろついていたら何故かそれに出くわした。なんで松田聖子になったのか今以て判らないのだが、これはこれで縁だと思って聞いてみた。すると「思い出たち」という歌詞が出てきたので、あれこれ調べてみた。



 それで、この歌詞を書いたのが松田聖子であり、これが彼女の最大のヒット曲(CD売りあげ)であると初めて知った。アイドル絶頂期の曲のほうが売りあげが大きいと思っていたので私には意外だった。
 YouTubeにあったのはPVなのか、もろにマドンナへの憧れというかアメリカコンプレックスが出ている醜い映像だった。1996年だから彼女は34歳。離婚したのはいつだ? 翌年の97年。外人の男とのセックスに狂って話題になっていた時期か。アメリカ進出を企ててがんばっていたころ。まあ藝名も自動車のmazudaと時計のSEIKOから来ているのだからアメリカでは受けると自信満々だったのか。しかしまあ飽くなき上昇志向である。このひとのエナジーはどこから来ているのだろう。

  私は彼女のデビュー曲を一聴したときから、この娘は大スターになるとあちこちで吹聴したものだが、思った通り大スターになったけれど、それとはまたべつに、なんだかとんでもないひとになってしまった。マドンナって(笑)。

 1996年は1年の半分が外国巡りだった頃だから知らなくて当然だ。いや、サビの部分だけでも知っているということから、いかに大ヒット曲かがわかる。自慢じゃないが私は「えっ!? ほんとにこの曲知らないんですか!」と驚かれるぐらい日本のヒット曲を知らない。同じくテレビドラマも。

 アメリカコンプレックスが強い人だから、これまた英語からの流れで、自分のヒット曲「Sweet Memories」から、Memories、思い出たち、なんて思いついたのか。

 ともあれ100万枚を超す大ヒット曲であり、「めぐり逢う時間たち」より6年も早いのだから、異常な「たち」について語るなら、これは無視できない例題になる。
1/10  「美しく青きドナウ」の奇妙──口語文語のまぜこぜ

 私が文語口語まぜこぜについて意識したのは大学生の時だった。北杜夫を読んでいた。その関連で、「三島由紀夫が北杜夫に、あの小説はタイトルだけがいけないと言った」ということを知った。どなたかのエッセイで読んだのだろう。肝腎のそれが何かを忘れたがそのことだけは強く印象に残った。
 三島は親しい北杜夫の作品「白きたおやかな峰」をよい小説だと誉めた後で、「タイトルだけが良くない」と言ったのだとか。文語口語まぜこぜだ。口語で「白くたおやかな峰」でもいいし、文語で「白きたおやかなる峰」でもいい。でもまぜこぜよくないということだった。



 さて、シュトラウスの名曲。
 むかしは「美しき青きドナウ」と文語で統一されていたのに、ちかごろでは「美しく青きドナウ」らしい。まぜこぜだ。なんともなじめない。

 検索してみた。「あなたはどちらが好きですか」という問い掛けがあった。何人ものひとが応えているのだが、みな「わたしはこっちが好き」という好き嫌いだった。好き嫌いの問題じゃないと思うのだが(笑)。



 ずいぶん前から不満に思っていたこのことをいま取りあげるのは、先日「ブルードナウ」という牝馬を応援したからだ(笑)った。ディープインパクトの仔だ。本命になって負けた。損した。
 ドナウ川のドナウは英語もフランス語もDanubeだ。Blue Danubeは外国に行っても通用するいい名前か。



 「美しく青きドナウ」を擁護するひとの意見にこんなのがあった。「ドナウ川にはいつも青いという形容詞が着く。つまり美しくが形容しているのは〈青きドナウ〉という定型句なのだ」と。
 なるほど、〈青きドナウ〉という名詞がもう固定していて、それを形容するのだから、そこはふつうに口語の「美しく」でいいというのは一見説得力がある。「美しく汚きドブ」は変だが、〈汚きドブ〉というのはそのドブの固有の名詞なのだと言われれば納得せざるを得ない。



 しかしそれを言うなら、そもそも〈美しき青きドナウ〉そのものがヨハン・シュトラウスの作品としての固有名詞である。その定まっている固有名詞を分解して言い直すことの方が不自然だ。言い直すなら「美しく青いドナウ」にすればいい。なんで「美しく」だけ口語にして「青き」は残すのか(笑)。ほんとにへんなことをするものだ。



 文語のかっこよさは、そんな形で残って行くのだろう。
 その辺のどうでもいい文章でも多用されているのが「熱き」だ。スポーツマンを讃えるようなふつうの文章なのに、いきなりそこだけ「彼はこれからも熱き心で自分の道をウンヌン」と文語が登場するのが笑える。「熱い心で」ではしまらないということか。これも「熱き心」という熟語だと解釈すべきなのだろう。

 まあことばは世につられて行くものだから逆らってもしょうがない。
 でも私はこれからも「美しき青きドナウ」と言うけどね。

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 金美齢さんの「美しき」

 金美齢さんが『正論』に、先日逝去された池部良さんへの追悼文を書いていた。
 池辺さんの日本人としての美しい心を讃えている。
 池辺さんはほんとうにすばらしいかただった。私は池辺さんの俳優としての業績は知らないが、引退してからの活動はまことにすばらしかったと感嘆している。故・三波春夫さんも、歌手としてはあまりなじみがなかったのだけれど、第一線を退いてからの言論活動は見事だった。いま伊東四朗さんが警鐘を鳴らす発言をしてくれている。みな美しい日本人だ。

 金さんは文中で何度か「美しい日本人」と使いながら、タイトルと結びは「さらば、美しき日本人」としている。
 こういうのも文語の効果だろう。「さらば、美しい日本人」だと「美しい」が美人的な感じになる。「美しき」とすると精神の美しさになる。これからもこういう使い分けはせねばならないのだろう。
8/8
 DSソフト「漢検」感想──部首を知らない!


 携帯ゲームは合わないらしくほとんどやらない。まあ私のようなのがこんなのに夢中だったらその方が奇妙だ。
 それにこういうのの基本は出先での使用だろう。引き篭っているのだから活用するはずもない。そもそも購入した動機も中国の長距離バス内で使用するためだった。あれは1台目のDS-lightだったか。購入したときはけっこう期待していた。「ファイアーエンブレム」や、この「漢検」などいくつかのソフトを用意し、あの退屈としかいいようのないバスの中でも、これさえあれば大丈夫と期待していた。なのに、たいして使うことなく妻にあげてきてしまった。

 この「漢検」はソフトとしてつまらないから当然なのだが、大好きな「ファイアーエンブレム」も愉しめなかったことで、私は携帯ゲームが好きではないのだと知った。テレビ画面で遊ぶのが好きなのだ。掌の中のちいさな画面で遊ぶことに興味がない。好きなひとはそれが愉しいだろう。よって携帯電話のゲームも一切やらない。
 新しいモノ好きなので、スマートフォンには興味があった。発売と同時にiPhoneが欲しくなった。このDSの経験があったので我慢した。正解だった。たぶん私は購入しても使わず宝の持ち腐れとなった。



 本体といくつかのアクションゲームを妻にあげた。「漢検」は持ってきた。妻ももらっても活用のしようがない。
 せっかく買ったのにほとんど使わなかった。なんだかやっている内に虚しくなるのだ。
 10級から1級まである。3級までは簡単すぎる。つまらない。これはまあ誰でもわかると思う。
 3級以上はなかなかの難度になるのだが、これがまた別の意味でつまらない。
 とはいえそれは私の話。おもしろいと思う人もいるだろう。要は「漢字に対する考え方」の問題だ。



 テレ朝がしきりにクイズ番組をやっている。制作費が安く上がり、それなりに固定視聴率を取れるから便利なのだろう。ああいう番組が好きなひとはこのソフトを愉しめる。私も、自分の知人の中で、「あのひとなんか好きだろうな」と推測できる何人かがいる。

 私はダメだ。この種の「漢検」を基本にしたテレ朝のクイズ番組が、「難読漢字」なんてのを出題し、それようのタレントが見事に正解したり誤答したりしているのを見ると、バッカじゃねえのとチャンネルを替えてしまう。というか最初から見ていない。たまに目にしてうんざりするだけだ。いかにもテレ朝であり、こういう番組が好きなひととも合わない。それもまた現実に体験している。

 たとえば国立大学卒を鼻に掛け、常に智的であることを意識している友人の奥さんだ。この種の番組をかかさず見て、あの「京大卒芸人」あたりと勝敗を競っているはずだ(笑)。

 今ここを読んでいるひとにそんなひとはいないと思うが、いたらここで止めた方がいい。以下読むほどに不快になるだけだ。



 先日いま持っているDS-LLでひさしぶりにこの「漢検」をやってみた。
 理由は貧乏性だ。つまらないソフトだと結論している。携帯ゲームは好きではないとわかっている。それでもせっかく買ったソフトとハードをほっぽりだしているのはもったいないと手にする。そしてまた「つまらないなあ」と思うだけだ。バカとしか言いようがない。

 私は高島俊男先生の漢字論を信奉している。高島さんの考えは「漢字と日本人」に詳しい。高島さんに蒙を啓かれたのだが、ここのニュアンスはわたしなりにちょっとちがう。口はばったい言いかただが、私は本能的に高島さんと同じような感覚を持っていたのだ。だが無学なのでその辺の説明がつかない。それを高島さんが明解に教えてくださった、ということになる。転向ではなく理論づけをしてもらったのだ。と不遜ながらそう解釈している。「それが啓蒙なのだよ」と言われたら赤面して俯くしかないが。

 世の中には「漢字検定」が好きなひとが多い。一時大ブームだった。かくいう私も時代遅れ?になるのがイヤで、本屋で何度か手にしている。級毎にずらりと並んでいる様は壮観だった。儲かるよなあ。なにしろ創意も工夫もいらない。毎度お馴染みの漢字の教科書だ。でも信者が狂ったように買って行く。「漢検信者」というのは病人だ。
 購入にはいたらなかった。立ち読みしているだけでお腹いっぱいになり気分が悪くなった。




 漢検がブームになり、さらにはそれでボロ儲けした一族の脱税やらが話題になったころ、高島先生が決定文を書いてくれた。『文藝春秋』2009年4月号に掲載された「ああ、漢字検定のあほらしさ」である。それは後に単行本『お言葉ですが…別巻3』に収められた。

 実際に問題集を手にして、解いた高島先生の感想。
「あきれ返るほどのひどい愚問ぞろいで、問題を作った人の程度の低さがよくわかる。ついでに、こんな愚問ぞろいの検定試験を受けてできたのできなかったのと一喜一憂している人の程度の低さもわかる」

 痛快である(笑)。

 一例ぐらいは引いておかないと漢検好きのひとにわるいので引用。

「船頭さんは"蓑笠"をつけていた」
答えを音読みで記せという問題。
「みのかさ」なら常識的だがそれではバツで、「サリュウ」が正解。
船頭さんには船頭さんのふさわしい釣り合いのとれた言葉というものがあるのにあまりにあほらしい。
「弧舟蓑笠の翁」(この場合はさりふ)という言い方はあるが、これで「漢検で文章作成能力を育てよう!」「漢字・熟語の意味をきちんと理解し、正しく使いこなすことで、はじめて文章が成り立ちます」などとはあつかましい。




 「漢検」には「準二級」「準一級」がある。なぜあるかというと細分化すれば受験者が増え、より儲かるからだろう(笑)。「二級は受かったが一級が受からない。難しい」という信者連中のために「準一級」を作ってやるのだ。
 私も「準二級」あたりになると出来ない問題が多くなり誤答が連発する。その代表的な例が上に引用させてもらった高島さんの文章にあるようなものだ。

「船頭さんは"蓑笠"をつけていた」と出題されたら、私は「みのがさ」と答える。それは間違いで正解は「サリュウ」なのだとか。私はそういう読みを知らないから、それを覚えるとひとつ賢くなったことになる。しかし自分の無智を棚に上げての反論になるが、私には「船頭さんはサリュウをつけていた」という日本語があるとは思えないのだ。
 とはいえ、
「弧舟蓑笠の翁」と出題されたなら、私は「さりふ」とは読めないけれど、でもこの場合は漢語だから「みのがさ」ではないとはわかる。漢字とはそういうものだろう。識者の高島先生はそれを一刀両断してくれる。



 DS「漢検」を購入したとき、一応挑戦してみた。前記したように三級までは子ども用なのでさすがにすぐに解ける。私は4級から初めて準二級まではすぐに合格した。5問ワンステージになっている。それが4ステージあり、たしか「20問中16問正解で合格」だった。
 そこまで全問正解で合格してきたが、二級あたりから5問中できないのがひとつぐらい出て来る。一級になると5問中出来ないのがみっつぐらいあったりする。私はそのとき準二級までしか合格できなかった。その後挑んでいない。

 しかし私の解けないのはみなこの種の問題なのだ。つまり、自分が読めない書けない漢字が多々あるのはわかるけれど、かといって「こんな読みかた覚えてもしょうがない、覚えたくないや」のようなものばかりなのだ。この辺はもう「クイズのためのクイズ」になっている。いわば「落とすための試験」と同じだ。
 このいい例は、いや最悪の例は高島先生が挙げている。

「列車が"方に"出発するところだった」
"方に"振りかなをつける問題。
漢文などでは前後の文脈で「マサニ」と訓読する場合があるが、日本語の現代口語文ではひらがなでは記述しても、こんな漢字を使うことはない。
言葉も文字も使いどころがあるのに、これではむちゃくちゃで、問題の為だけに無茶な文章を作り上げただけでしかない。実際の文章を書く際に、こんな馬鹿な表現を正しいと思い込んで使ったとしたら、人に笑われるだけ。


 これを「マサニ」と読むことに何の意味があろう。読めたことが何の自慢になろう。くだらんとしか言いようがない。私が誤答になるのもこんなのが多く、その度に私は自分の無智を恥じるより、「なんだこれは?」と思った。思えば中国に向かう飛行機の中でこのDS「漢検」をやり、うんざりして抛り投げたのが2008年夏だった。漢検はくだらないと結論づけつつも自分の無智もまた恥じていた。この歳まで生きてきて読みかたを知らない漢字がたくさんあることは、「あの字をあんなふうに読むことに何の意味がある」と反駁しつつも……。
 翌春、高島先生のこの『文藝春秋』を読んだときは快哉を叫んだものだった。




12/9(金)

 略称の略称問題──2ちゃんねるの「パソ歴の長い人」より

 2ちゃんねるのPC板に「パソ歴長い人にありがちなこと」というスレがあった。おもしろそうなので覗いてみた。
 私のパソコン歴は28年ぐらい。これは「長い人」に入るのかどうか。それにこういうことは、のんべんだらりんとした長さよりも「深い」ことが大事だ。とりあえず薄っぺらいが時間的には長いと言っていいように思う。
 深さはどうだろう。自作歴も10年を超えているし、そこそこハードに関しては詳しいつもりではいる。といってベンチマークなんてのには興味がない。
 ソフトウェアが大好きで当時景気が良かったこともあり、金に飽かせて買いまくったから、これに関してもそこそこ意見は言える。高額なソフトもシェアウェアもほとんど使ったことがある。とはいえDreamweaverが使いこなせずホームページ・ビルダーに落ちついたように、とても威張れたレベルではない。
 コンピュータ言語を学んだわけでもないので浅い。マクロですら苦労するレベルだ。でもレジストリをいじるぐらいはできる。
 パソ通には意図的に関わらなかったから、そっち方面は弱い。インターネットに関してはパソコン歴2.3年のヤツのほうが詳しかったりする。ツイッターのまとめなどどうやってやるのか想像もつかない。まあ今もネットと距離を置いているのは事実。この辺は「関わりかた」の問題だろう。



 どれほどの猛者が集うスレかわからないが、べつに書き込んだりするわけではないから合わなかったら読まなければいい。自分と同世代のパソコン歴のお歴々が、そのことによる失敗談を楽しく語っているスレであってほしい。そのひとたちに「ありがちなこと」は私にも共通するのだろうか。「あるある」と苦笑しながらうなづくのか。けっこうわくわくしながら開いてみた。

 すると、肝腎のパソコン歴や昔話以前に、タイトルの「パソ歴長い人にありがちなこと」の「パソ歴」という表記に批判が集まり、それを論じる場と化していた(笑)。これはこれで楽しいスレだった。

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1 :ナイコンさん [] :2011/11/30(水) 19:12:14.11
前スレが落ちたので立てました

前スレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/i4004/1054945457/


2 :ナイコンさん [↓] :2011/12/01(木) 01:57:48.32
FDのにおいが好き


 この「FDのにおいが好き」には納得したし、そんな話が連続するのかと期待した。

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3+1 :ナイコンさん [] :2011/12/01(木) 23:30:04.37
ハードディスクドライブをハードって略す奴に殺意を覚える


 ここで略称に関する最初の書き込みがあり、次の書き込みがスレの方向性を決める。

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4 :ナイコンさん [↓] :2011/12/02(金) 09:24:44.98
HDDは固定ドライブと呼ばなきゃw

パソコンをさらにパソと省略する奴は真剣に頭が悪いと思うw


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 そうだよねえ、たしかに。パソコンはパーソナル・コンピュータの略だ。いかにも日本的なエノモトケンイチをエノケン、アラシカンジュウロウをアラカン、バンジュンザブロウをバンジュンと略するパターン。この三人を知らない人も、マツジュンとかホリケンとか同じ略称を使っている。伝統だ(笑)。

 ところで、たとえばブラッド・ピットは自分が日本では略して「ブラピ」と呼ばれていることを知ったらどう想うのだろう。よろこぶのか、不快になるのか。世界中で彼の名を「プラピ」と略すのは日本人だけだろう。と書いたら物知りから「××人もそう呼ぶ」と指摘されるのかな?

 それぞれのパソコンの使用歴を略しての「パソコン歴」。それを更に略しての「パソ歴」に批判が入った。「パソ」は「パーソナル」の略であり、そこに「コンピュータ」は介在しない。

5 :ナイコンさん [↓] :2011/12/02(金) 18:07:24.12
パーコン

 
これはありうる発想。パーソナル・コンピュータの略はエノケン的省略法では「パーコン」が正しい。なんで「パソ」になったのだろう。知性的で未来的であるはずのコンピュータに「パー」は似合わないからか。

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6+2 :ナイコンさん [↓] :2011/12/02(金) 23:39:09.01
このスレのpart1立てたやつは
キムタクをキムと略すのか?

 笑った。でも筋は通っている。キムラタクヤを略して「キムタク」は「パソコン歴」と同じ地点。それをさらにパソ歴と略すのは「キムタクをキムと略す」のに通じる。
 そういやキムタクは自分をキムタクと呼ぶひとを嫌っていると発言していた。そういう呼び方をするひとはみな自分に対して否定的だから、という理由らしい。とすると、ブラッド・ピットも「ブラピ」には不快感を示すかな。

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7 :ナイコンさん [] :2011/12/03(土) 19:42:28.30
>>6
ニフティサーブでパソ通歴なる言葉は聞いたことあるが、パソ歴は聞いたことないな。
って、このやり取り前も見たことあるぞw


 「パソコン通信の使用歴」を略して「パソ通歴」があるのなら、「パソコンの使用歴」を略して「パソ歴」もありうるのか。

8 :ナイコンさん [] :2011/12/03(土) 22:43:34.77
>>3
むしろなんでも「ディスク」と呼ぶ人の方が多いだろ


9 :ナイコンさん [↓] :2011/12/03(土) 22:46:31.77
日本酒のことを日本と略したり、消防車を車と略したり、マイルドセブンをマイルドと略したら、意味がわからなくなる。
「インターネットする」というヤツは、ドライブに行くことを「クルマする」と言ってみたり、野球することを「バットする」と言っているのと同レベルなんだけどな。

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10 :ナイコンさん [mail] :2011/12/03(土) 23:44:51.17
>>6
キム・タクと分けて、韓国人風にする。


 まあこれは当然出てくるよね(笑)。韓国人キム・タクの略だと「キタ」になる。4文字になるともう略さないか。

11 :ナイコンさん [mail] :2011/12/03(土) 23:54:32.70
でも、「パソオタ」はしっかり定着している。


 なるほど。たしかに。「パソコン・オタク」を略しての「パソオタ」はありうるのか。
 ここできちんと分析するひとが登場する。

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12 :ナイコンさん [↓] :2011/12/04(日) 00:53:38.25
用語の違和感レベルごとに3つにグループ分けしてみた。

グループ1:広く一般に普及しており、個人的にも違和感なし

ケータイ ← 携帯電話
(携帯灰皿はケータイじゃないのか、などというツッコミは野暮であろう
 すでに一般名詞として市民権を得ていると思う)
デジカメ ← デジタルカメラ
ハードディスク ← ハードディスクドライブ
ハード ← ハードウェア
ソフト ← ソフトウェア
PC ← パーソナルコンピュータ
スーファミ ← スーパーファミコン(← スーパーファミリーコンピュータ)
(スーパーファミコンが正式名称なので右端のほうが間違いである)

 
この「スーファミ」は興味深い。ファミリー・コンピュータを略して「ファミコン」。そこから生まれた新製品は「スーパーファミコン」であり、すでにもう略称が正式名称に入っている。これを略しての「スーファミ」の原名をたどるのにもう「ファミリー・コンピュータ」は必要ないことになる。

グループ2:一般化してるけど個人的に違和感あってイヤ

パソコン、パソ ← パーソナルコンピュータ
(パソコンと言うと安っぽいし、パソに至っては完全にバカっぽく一般化もしていない)
FAX ← ファクシミリ
(欧米人に勘違いされるからやめたほうがいいぞ)
ホームページ ← ウェブサイト
(まあ、どこかのサイトを見ようとした時にそのサイトのトップページ=ホームページ
 を開くのが普通なので、あながち間違いでもない)
DOS/V機 ← IBM PC/AT互換機
(ウチのマシンはPC/AT互換機ですが、DOS/VじゃなくてWindowsで動いております。
 てゆーか、最近のマシンは厳密にはATバスを含めて完全な互換性は失われてるけど
 まあいいか)


13 :ナイコンさん [] :2011/12/04(日) 00:54:29.34
グループ3:どうも耐えられない

ウィキ ← Wikipedia
ハード ← ハードディスクドライブ
USB ← USBメモリ
インターネット ← ウェブサイト
ワード ← ワードプロセッサ
エクセル ← 表計算ソフト


判ったのが
「耐えられない」グループのほぼすべてが、言い換えたことで意味が変わってしまい
通じなくなってしまったり、すでに別な意味の同じ言葉があって誤解を生じたりする
ものであるということ。
文脈で意味を推測することが困難なケースが多い。


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 この「耐えられないグループ」はどうだろう。いま「ウィキ」と言えばWikipediaのことでいいのではないか。同じくワードもエクセルもパソコン話をしているときはそれで問題ないように思う。この分析をしたかたは何歳ぐらいなのだろう。興味がある。学生ならみなWikipediaをウィキと呼んでいる。だからそれほど若いひとではない。もっとも、22歳の学生なら小学生のときからいじっていてもまだパソコン歴は10年だ。この「10年」というのは「パソコン歴の長いひと」に入るのだろうか。ひとによってはその10年で、ものすごく「深い」ひとはいる。でもこのスレの「長いひと」は、それとはまた別の話と解釈しているのだが……。



 ハードディスク・ドライブをハードと呼ぶひとにはまだあったことがない。例としてあがるとは、そんなにいるのだろうか。これはちょっと納得できかねる。たとえばタイの洪水被害によりHDDの値段があがってしまったけど、こういうひとは「タイの洪水でハードが高くなったよね。来年までハードは高値らしい」なんて話すのか。

 ハードはハードウェアの略だろうなあ。私もハードとソフトはそれの意味で用いる。でも文中に本来の意味のハードやソフトを使っている箇所がある場合は、混用しないようにハードウェア、ソフトウェアと書く。というか、あまり比喩としてハードやソフトなんてことばは用いないようにしている。それでも、「その仕事は私にはちょっとハードだった」というような場合、いくらでも他の日本語に置き換えられるけど、「ハード」という外来語とカタカナがいちばん似合う時もある。

 私はハードディスク・ドライブはHDDとすることが多い。といってエッチ・ディー・ディーと読んで欲しいわけではない。こういうアルファベット略称は嫌いなほうだ。でも、ハードとは略さないが、ハードディスクとはよく略しており、しかしそれでは正しくは意味不明だから、嫌いではあるが正しく最後のドライブまで表示しているHDDの多用となる。

 USBメモリはUSBメモリと言っている。USBポートもあるし、このメモリを省くのは強引すぎる。「ウィキ」という言いかたを肯定したけど、私自身は必ずウィキペディアと言っている。



 ことばを意味不明なまでに略したりするのは若者の粋がりであり、若いときは誰でもそうだが、年輩になるとやらなくなる。基本は「なにがかっこいいか」だ。若いときはやたら略することがかっこいいのだが、年を取るとそういうかっこつけがみっともなく見えてくる。つまりは、略しコトバを多用しなくなったら、それはそれでおとなになってきたということだ。で、いちばんのバカは、年輩者なのに若者ふうの略しコトバを使って、自分を若々しいと思い込んでいるひとだろう(笑)。

 2ちゃんねるで「糖質」という用語を見かけて考えた。やがて文章の流れからそれが「とうしつ→統合失調症の略」であることに気づく。ソフマップを略して「祖父」とするのとかだいぶ慣れた(笑)。最初「祖父で買った」と見たときは考えたが(笑)。
 この種の遊びは若者のものだ。やがて卒業する。これに年輩者がつき合うのは愚かなことだ。

 以前テレビを見ていて、女子校生の使うめちゃくちゃな日本語の意味を大のおとなが当てようというクイズをやっていたので呆れた。日本という国がおかしくなったのは、そういうふうに「おとなが若者に媚びるようになったから」だ。女子校生がそういう用語で自分達だけの世界を作ろうとするのはいつの時代でもある。それはそれでいい。しかしそれにおとなが媚びてはいけない。クイズでやるべきは、おとなの使う難しい日本語を女子校生がわかるかどうかだろう。

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14+1 :ナイコンさん [↓] :2011/12/04(日) 01:23:43.71
「ハード」は駄目なのに
「フロッピー」は良いの?
なんで?


15 :ナイコンさん [↓] :2011/12/04(日) 01:31:38.28
>>14
フロッピーで他の意味が無いので誤解が生じにくい
また、多数の人間が使用しており一般に普及している
ハードとは違う


 これはそうですね。いま使われる日本語のフロッピーはまずフロッピー・ディスクの略。フロッピー・ディスクそのものももう使われなくなっている。最初にFDDを省いたパソコンが出たのは何年前だろう。ノートパソコンからも消えた。FD育ちなのですこしショックだった。最初のOSであるMS-DosもFDだったし。とはいえもう私自身もFDは使わなくなっていたが。

 「フロッピー」のFD以外の使いかたは、<きっこさん>のようなひとが「フロッピー麻生」と麻生元首相を揶揄するとき以外見たことがない。
 でも私はこれも、フロッピーと使いそうになるとFD、ドライブが必要な場合はFDDと書き直している。フロッピーで意味は通じるのだが、どうにもその使用を潔しとしない。たとえば「保存のとき文章量はちいさいので、あのころはフロッピー1枚に連載作品の文章がみな入った」のようにすんなり書いたあとで、やはりこの「フロッピー」というのはよくないなと思い、かといってフロッピー・ディスクも堅苦しいしと、けっきょくFDにしている。FDと書くことは、読んでいるひとに「FD? ああフロッピー・ディスクのことか」と考えることを強要するのでよくないのだが、私には「フロッピー」と使うよりは罪悪感?がない。

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16 :ナイコンさん [mail] :2011/12/04(日) 08:57:06.00
パーニナルコンピューター


17+1 :ナイコンさん [↓] :2011/12/04(日) 16:23:58.31
「ワード」というワードプロセッサや
「エクセル」という表計算プログラムが
存在することを知らない人なんだろうか・・・

 
これは前記の「耐えられない略称」としてワードやエクセルがあがったことに対する反論。

18 :ナイコンさん [] :2011/12/04(日) 19:35:37.81
一太郎 ←ワードプロセッサ
ロータス123 ← 表計算


 ワードを使っているひとには強引なひとが多い。自分がそうだから他人もみなパソコンでの文章はワードで書いていると思い込んでいて、他人を慮ることなくしゃべり始める。これは野球ファンが自分が野球が好きだから他人もみなそうだとばかりに、昨夜巨人が大逆転負けをしたとすると、翌日いきなり「ゆうべのアレはないよな」と話しかけてくるのに通じる。
 という例は野球が最もメジャースポーツだった時代の思い出なので、かなり前のものになる。今ならサッカーファンにそういうのが多々いることだろう。ワールドカップとかのころ、私も知りあいからいきなり「ゆうべも徹夜ですよ」と話しかけられて戸惑った。

 前記、耐えられないものとしてワードやエクセルを挙げたひとは、それを指しているのではないか。当然ながらそういうひとはパソコンには詳しくない。なにしろワードを使えることを自負しているぐらいだから。それでいて自信家だ。最もタチの悪いパターンになる。<きっこさん>の語る競馬のよう(笑)。どうもそのへんの人間的な話の感じがする。

【後日記】──巨人の選手が小学校に行って話したのだとか。講演なのか慰問なのかは知らない。そこで小学生に問うたら巨人のことを知っていたのは半分もいず、彼のお話会も人気がなく、校庭でサッカーに興じているこどものほうが多かったと、そのショックを語っていた。う~む、そういう時代なのか。
 野球にもサッカーにも興味のない私にはどうでもいい話ではあるが、たしかにむかしの夏場のテレビは野球中継ばかりだった。ラジオなんて全局そうだった。しかも同じ巨人戦を流して聴取率を競っていた。呆れたものだ。落ち目なんだろうね、いま。
 だってそもそも日本という狭い国土に野球は合っていない。道具も面倒だ。野球こそが真の国技という時代のほうが間違いだった。1個のボールがあれば22人が遊べるサッカーのほうが隆盛になるのは当然だ。時間が限られているのもいい。

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19 :ナイコンさん [↓] :2011/12/05(月) 19:43:07.05
マイコン歴だったり

 
そうだねえ、私にはこの「パソ歴の長い人」はマイコンを知っているひとだという認識がある。自分が30年近くいじっていて、それは確実に長い時間であろうけど、自分をまちがってもヴェテランとしないのは、その辺のことがあるからだ。記録メディアはカセットテープだ。私はそれをシンセサイザーの打ちこみ記録メディアとしては使っている。あのキューガリガリってやつで、ラジカセで音楽テープとまちがって再生するとスピーカーが壊れてしまうアブナイものだった。だがパソコンのほうはフロッピーディスクになってからだ。しかもあの絶滅したペラペラ5インチではなく、すでに3.5インチが主流になりつつあるころだった。そのこともあって自分をパソコンのヴェテランだとはどうしても言えない。


20 :ナイコンさん [↓] :2011/12/05(月) 20:11:09.75
>>17
一太郎はワープロじゃないのか、という話じゃね?

21 :ナイコンさん [↓] :2011/12/05(月) 22:20:42.90
ワードとエクセルは固有名詞だろw

22 :ナイコンさん [↓] :2011/12/06(火) 01:32:08.32
バンドエイドとかサランラップみたいなものだろ。
代表的なものの固有商品名が総称にすり替わってしまう。

 
なんという映画だったか、劇中でティッシュペーパーのことを「クリネックス」と言っていて、アメリカ人もそんな使いかたをするのかと思ったものだった。

23 :ナイコンさん [↓] :2011/12/06(火) 09:20:28.38
ワードとエクセルというか、
マイクロソフトワードとマイクロソフトエクセルなんだけどなw


 そう、ワードもエクセルも苗字?を省いた略語である。

 そういえばIMEはInput Method Editorの略であり一般語なのだが、いま「IME」と言うと「MS-IME」を指すらしい。ATOKはATOKと言うからそれでいいのか。Windowsが無料でIMEを載せてくるまでは有料のIMEソフトがいっぱいあった。私はWGが好きだった。あのころはIMEではなくFEPと言っていた。
 Google日本語入力がGoogle-IMEと言わず「日本語入力」なんてわざと使っているのは「IME=MS」というイメージを嫌ってのものだろう。

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 というわけで、せっかく見つけた興味あるスレは、いわゆる「スレちがい」になったまま、本来のパソコン昔話にはならず、その後は書き込みも途絶えたままなのだった(笑)。でも私にはコトバの問題として、とても興味深いスレだった。


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