2010
12/20  送りカナへのこだわり──終るは終らない

 こまかなことにこだわったり怒ったりしても世の中の流れは止められないし、なんだかもうどうでもいいのだけれど、こういうのが主流になってゆくことにはわりきれない思いが残る。

 どう考えても「おわる」は「おわ・る」であり、「お・わる」ではないだろう。動詞としての活用を考えれば明白だ。「終る」であって「終わる」ではない。
 『広辞苑』でもそうなっている。



 しかし世の中はもうみな「終わる」の時代らしい。
 学校の試験では「終わる」と書かないと×になるのか!?

 この電子『広辞苑』も今ではもう古臭くなった第四版だ。くだらない新語を網羅していることが自慢の最新版ではちがうのかもしれない。

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 ATOKは変換に「本則」と「すべて」があり、私は「すべて」に設定しているので、「おわる」の変換は「終る」「終わる」の両方が出来る。
 文部省が決めて世に流通している「本則」はもうそちらのようだ。となると逆らっている私がマチガイなのか。
 ATOKも設定を「本則のみ」にしたら「おわる」は「終わる」としか変換できないようになるのだろう。

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 今夏話題となった浅田さんのこのタイトルにはしらけた。「ざる」なんて文語をつかっての「終わらざる」である。「終らざる」ならどれほど美しかったろう。浅田さんは手書きだ。いつも萬年筆で原稿用紙に「終わらざる」と書いているのだろうか。信じがたい。

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「終らない」で検索したら「終わらない」にされてしまい、こんな結果が出る。世の中みんな「終わらない」らしい。

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 このドラマは1995年に放映されたとか。そのころはまだ「終らない」がマスメディアでも流れていたのか。

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 小学生のとき、夏休みの宿題。ドリル。
 満点のはずが唯一ふりかなを間違いとされた。
「地面」を「ぢめん」にして×。「地」は「ち」だから「地面」は「ぢめん」と思うのだが「じめん」が正解。
 いまもこのATOKで「ぢめん」と打つとと指摘される。それでいて「ちぢこまる」は正しい。これでなくては困るが、「じめん」が正しいとするな「ちじこまる」になりそうだが。

 どう考えても「絆」は「きづな」だろう。糸偏であるように「つな」の一種だ。でも今は「きずな」が正しいことになっている。なんだよ「ずな」って。砂の濁りか。これは高島先生も指摘していて、「逆引き広辞苑」でも、「綱・つな」類にあるべきなのに「ずな」類にあるのだとか。

 それらを諒承しないと受験に合格できないからそうしてきたけど、いまだに納得はしていない。この辺の決め事は矛盾だらけだ。

 「終わる」にしないと生きて行けない時代なのだろうが、まだしばらくは「終る」でさからいたい。

 この話は、「送りカナへの不満」として、いくらでも例を引いて続けられるが、世の大勢がそうなってしまっているのだから、書けば書くほど引かれ者の小唄になってしまう。みじめだから書かない。
 よって「おわる」の一例だけにするけれど、なんともむなしい。

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 ATOKの送り假名設定

 ATOKの「送り假名設定」には「本則・省く・送る・すべて」の4種類がある。
 基本である「本則」だと「終る・終わる」の両方が出る。今のところ両方とも正しいようだ。学校の試験は知らないが。
「省く」にすると「終る」だけ、「送る」にすると「終わる」だけになる。
「省く」に設定したら、その他の漢字変換も自分好みになって気分がいい。

 なおATOKは「送り假名」としているので小見出しだけそうしたが、「假名」とは漢字が正式と解釈されていた時代(むかしの朝鮮もそうであり、ハングルは卑しい文字だった)に、日本が産みだした「かな」を卑下した表記であるので、自分の文では「かな」と表記した。


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