2012
3/6
 電気ケトル購入──不便で知る便利──節電の話


 電気ポットが壊れた。写真のようなタイプ。これは魔法瓶構造の最新型なので同様に扱うのはすこし気が引けるが、写真と同じ象印の製品で見た目はほぼ同じ。2万円以上した高級品?だった。保存温度もほぼ熱湯の95度から玉露用の65度まで3種類設定できる。安物はそれができない。とはいえ8年ぐらい前の品。

 ボタンを押すと自動でお湯が出る。電動給湯タイプというらしい。そういやこれの前のタイプはポンプ式で押しだすモノだった。
 それがいくら押してもカラカラと空回りの音がして出なくなった。湯沸かし機能と保温機能に問題はない。しかしお湯が出ない。

 私は緑茶をメインに、珈琲、紅茶、ポタージュ、味噌汁「しじみ70個分のちから」のようなもの、とやたらお湯で作るものを飲むから、ポットが壊れたことは即生活に支障をきたす。

 早速価格comで商品を調べた。修理に出すかとも一瞬考えたが、すなおに寿命による御臨終と諦めることにした。
 寿命とはべつに、前々から問題のある品らしいとは気づいていた。古い型なので異様に電気を食うのだ。もちろんそれは通年繋いだままにしている私の使いかたの問題だ。あれやこれや頻繁に温かい物を飲む私には必需品であり、通年通電して常にお湯をそばに置いているのは、数少ないささやかな贅沢だった。



 餘談ながら、シナ人の「お腹にいれるものは温かいもの→躰に冷たいものをいれてはいけない」という思想は徹底している。地方の食堂でビールを冷やしていないのは、そういう文化がないから、いや、冷やしたものを躰に入れたら躰に悪いという文化が浸透しているから、である。常温のものでも温めて腹に入れるのをよいこととしているのだから、常温のものを冷やして口に入れるという発想は庶民のあいだにはない。冷蔵庫も冷凍庫もある。思想である。よいことだと思う。

 一方、暑さから逃れるために冷たいものは快感、という感覚のタイ人は冷やす冷やす(笑)。飲物にはもう水からなんから常に氷入り。こちらはシナとは逆に、どんな田舎食堂でも冷えたビールが飲める。タイでキンキンに冷えたビールを飲んだ後、シナに行き、冷たいビールに餓えると、しみじみ彼我の差を感じる。タイだと田舎の掘建て小屋食堂でもビールが冷えているが、シナだと昆明のような百万都市の駅前食堂でも冷えたビールはない。もちろん冷蔵庫はある。ビールを冷やして飲むという習慣がないのだ。おまけに食器は缺けているし、ホコリだらけだし、洗うのが面倒だからとポリ袋を被せたどんぶりで出て来るし……。シナの悪口ならいくらでも言える。

 私はシナの食堂で、冷えたビールがないと落胆したことが何百回とある。サービスのよい店もあり、私からそれを聞くと、「わかった、じゃあ今すぐ作るから待ってろ」と、店主が冷凍庫で冷やし始めてくれたりした。言うまでもなくビンビールが5分10分で適度に冷えるはずもなく、気持ちはありがたいが、もういいからと言ってやめさせた。このことで印象的なのは、「冷やしたビール」というものにみな首を傾げたことだ。「こいつはなにを言っているんだ!?」という顔で私を見た。それだけ「冷やして冷たいものを飲む」という習慣がないことになる。昆明飯店のような一流ホテルではそんなことはあるまいが、私の行く地元のひとが利用する庶民的な店はみなそうだった。



 シナ語でビールはピージューだ。今は表記できるのかな。啤酒。おお出来た! 以前はこの字が出せず、「口偏に卑しいと書く」などと説明があったものだ。大のビール好きの旅行作家・宮脇俊三さんは、「口偏に卑しいとは、なんと適切な漢字だろう」と書いていた。

 私はタイ流、シナ流、両方取りいれていて、キンキンのビールも好むが、シナ人の健康法を見習って、真夏に熱い茶を飲んだりもする。真夏に汗びっしりょになって熱い茶を飲むのも楽しい。でも冷えてないビールはあまり飲みたくない(笑)。

 昆明の駅前食堂で、バスの出発を待つあいだ、その冷えてないビールを飲んだ。コップがないとかで缺けたどんぶりだった。あのまずさを思い出す。ビンビールのビンも日の当たる棚にずっと置かれっぱなしで、埃を被り薄汚れていた。それをドンと叩きつけるように「笑ったら損をする」とでも思っているのか、ふて腐れた顔の店員が置いて行く。よく冷えていて(いや冷えてなくてもいいから)、きれいに拭かれたびんと、油分のない透明なコップで、笑顔とともに運ばれてきたものなら、味は百倍もちがう。しかし彼らからすると、見知らぬ人間になんで笑顔を見せねばならないのだとなる。一銭にもならないのに。
 シナ人の「大陸的性格」とはつきあいきれないと「島国根性」の私は思ったものだった。

 そしてまた、雲南省の奥深い景洪(ジンフォン)等の少数民族タイ族自治区に行くと、しっかりと「冷たいものは快感」というタイ人の文化は生きていて、庶民食堂でも冷やしたビールにありつけるのである。民族の血とはおもしろいものだ。



 新製品の高級ポットは魔法瓶タイプで保温機能が強力らしい。家電量販店で見ると、「一年の電気代がたったの9800円」のような自慢が書いてある。ということは安く見積もっても、旧型の私のものは月に千円、年に12000円はかかっていたろう。もっとか。冬場の深夜など90度保温にして仕事をしていると頻繁に沸かし直している音が聞こえた。それはそれで一緒に生活している相棒の息吹きみたいで不快ではなかった。そうだな、不経済であることは当時から知っていた。ひとり暮らしの私は、この沸かし直しの音が決して不快ではなかったのだ。なくなった今、あらためてそれ気づく。



 大震災以降、節電を考えるようになった。今の私の電気代は月9千円強程度で落ちついている。1万円はゆかない。エアコンを使わないからこんなものか。前の住まいでエアコンを使っていたときは夏場は2万円ぐらいいったのか。
 先日、テレビで「節電上手の主婦が4人暮らしで月4千円」という特集を見て、もっと節電すべきと思った。亭主と女房、こどもふたりで4千円なんて可能なのか。だって基本料金だけで2千円ぐらいとられるはずだ。

 天皇陛下が率先して節電と質素な生活を心懸けておられるのだ。やらねばならない。
 その主婦の場合は涙ぐましい努力をしていて、とても私には真似できないレヴェルだった。節電が方法というよりも生活の目的のようになっていて、あそこまで努力したら生きていること自体がせつなくなる。あれをストレスなくやれるひとというのは、それはそれで体質的に特殊なのだ。それに付きあえる亭主も。

 検索してみたら、2ちゃんねるの生活方面に電気代に関するスレがあり、ひとり住まいが電気代を申告していた。「なにも使わないので月2千円」なんてひともいて、これまたそれは別次元の話だけれど、私と同じような生活環境で5千円程度のひとが多く、エアコンを使わない割には私はけっこう無駄な電気を使っているのかと思うようになった。その理由のひとつがこの電気ポットだった。

 結論から言うと、つい先日、このポットが壊れたあとの電気代請求が来たのだが、見事に千円安くなっていた。確実にそれだけ喰っていたのである。たった千円ではあるが現実の数字を見て、しばし「へえ~、ほんとにポットだったんだ」と感心してしまった(笑)。



 2ちゃんねるの「生活家電」という板の「IHクッキングヒーター」のスレを読んでいたら、「卓上型IHクッキングヒーターの待機電流を調べてたみたら、××(失念)あり、これは30Wの蛍光灯と同じ。コンセントから抜くことにした」とあった。

 勉強になった。IHクッキングヒーターの電源コードをコンセントに挿しておくだけで、常に30Wの蛍光灯を点けているのと同じぐらい電気を食っているのだ。見習って私も、IHクッキングヒーターと電子レンジのコードを抜くようにした。思えばずいぶんと無駄な電気を使っていたのだ。これは頻繁に使う電気ポットとはちがい、めったに使わないのだから本質的な無駄である。もっとも電気ポットだって、寝ているときにも通電していたのだからかなり無駄づかいしていた。その代わり、起きてすぐに待ち時間なく熱い茶が飲める。やっぱり贅沢だな。顔を洗っているあいだに沸かせばいいことだ。そういや私は真冬でも水で顔を洗う。お湯が欲しいとは思わない。そっち方面に関しては質素なのである。ただ起きてすぐに熱いお茶を飲みたいという、その辺の妥協が出来ない。

 2ちゃんねるの「生活スレの電気代」とか「生活家電」なんてとこに行ったのは初めての経験だった。そんなものがあるとすら知らなかった。大震災以降の節電を考えるようになったことが影響している。



 電気ポットを通年通電しているのは大いなる電気の無駄づかいとやっと悟ったのだが、長年その生活をしてきたのだから、これがなくなった不便は大きかった。今までは四六時中いつでもすぐにお湯が飲めた。待つということがなかった。
 ならさっさと節電タイプの新型か、いまは「電気ケトル」と呼ばれる保温機能のない少量のお湯を沸かすだけのものが流行っているようだから、それを買えばいいのだが、あれこれ迷って踏みだせずにいた。

 寿命だ、修理は諦めたといいつつ壊れた電気ポットを捨てず、新品購入に踏みきらなかったのには、それなりの理由がある。これは亡き母からもらったものなのだ。たしか母も旧友か誰かからの贈答品だった(思い出した、母が祝儀だけ出して出席しなかった結婚式の引出物だ)。

 緑茶好きの田舎の老人として父母も電気ポットは通年通電で常に座右に置いていたが、愛用のものがあり、これは新品未使用で餘っていた。晩年の父母と同居するようになったとき、それをもらって使いはじめた。それが8年前だった。

 父が死んだ後、私は田舎を引きあげて東京にもどる。生活用品から書籍までほとんどの品を処分したが、このポットはもってきた。いま身のまわりをながめても「母からもらった日用品」はもうこれぐらいしか目につかない。持病の腰痛を除けば病気知らずだし、そういう恵まれた躰をもらったとか、一緒に暮らしたたくさんの思い出が、とかの心情的な言いかたは出来るが、ごく単純に「生活小物」と限った場合、「母からもらったもの」は、これひとつなのである。8年間使ってきた愛着もある。よって捨てられなかった。今もある。かといってこんな旧製品を金を掛けて直す気にもならない。その辺は複雑だ。

 その間、電子レンジとIHクッキングヒーターで代用していた。インスタント味噌汁一杯分のお湯を電子レンジでチンするというのも、なんか大いなる無駄のような気がした。味噌汁といっても、私は米を炊いて食事をして、そのときに味噌汁を飲むというような正しい生活はしていない。私にとって味噌汁とはあくまでも大酒を飲んだ翌朝のボケた頭に効かす薬のようなものだ。飲むだけでスッキリしてやる気が出るから先人の知恵は偉大だ。愛用品は写真「しじみ70個分のちから」。



 というような経緯があって、ちいさな電気ケトルを買った。
 あれこれ真剣に調べたので、いまもPanasonicの魔法瓶タイプの電気ポットに興味津々だ。保温効果が高く、年間通電で電気代が7千円ほど、省エネ大賞とかなんか、そんな賞をもらったらしい。これが欲しいので、そのうちきっと買うだろうけど、とりあえずどんな安物でもいいから急場を凌がねばならなかった。

 電子レンジで日本酒を燗したり牛乳を温めることはやっているが、どうにも緑茶一杯分の水をそれで温めるというのには抵抗があった。節電を心懸け、全体暖房をせず質素に生きているのと反目するような気がした。ガスはカセットコンロしかない。これで茶碗一杯分の湯を沸かすのも面倒だった。いきおい飲物の量が減った。緑茶なんて、それこそ一日10杯も飲むような生活をしていたのに、三日に1杯ぐらいになった。
 その分、グレープフルーツジュースやトマトジュース等、紙パックの冷たい飲物を飲むことが増えた。それはそれでいいのだが、熱い飲物を気軽に飲めなくなったことは、それなりにストレスになっていた。と思う。

 この安物の湯わかし器が来たお蔭で、いま生活がきらきらしている(笑)。たったそれだけで。
 思いついたら何杯でも緑茶を飲める。茶葉は高級な川根茶から茎茶、「寿司屋の粉茶」「さらさら緑茶」「手軽に抹茶」、焙じ茶、玄米茶、その他諸々とり揃えてある。烏竜茶や夏用の麦茶(ティーバッグだが)をホットで飲んでみたりする。珍しく紅茶に焼酎用に買った生レモンを搾りレモンティをやったみたりする。私はミルクティ派なのでレモンティなんて飲んだのは何年ぶりか記憶にないほどだ。

 こんなささやかなことがこれほどありがたいのも「不便を経験したから」である。日記で調べたら、ポットが壊れたのは1月26日だった。一ヶ月半ほど「電気湯沸かし器のない生活」をしていたことになる。その不便さのお蔭で、気楽にお茶が飲めるというふつうの日常がありがたい。不便はしてみるものである。

 と、これを書きあげる間にも、やぶ北茶、「しじみ70個」、カフェラッテと3種類3杯も飲んでしまった。

 いつでも好きなときにお湯を沸かして好きなものが飲めて、とてもしあわせである。
 でもこの幸せ感は数日もすれば消えてしまうだろう。
 なぜなら、いつでもお湯を沸かせるという環境に慣れてしまうからだ。
 だからそれが消えない今のうちに書いておきたかった。

 後々読み返したとき、「安物ポットを買っただけで感激していたんだなあ……」と、思い出すことだろう。

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potageはフランス語のスープだから「ポタージュスープ」はスープスープになってへん。ポタージュだけでいい。朝鮮語の「チゲ」は鍋。「チゲ鍋」が「鍋鍋」になってへんなのと同じ。

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【追記】──その他の節電──デスクトップ機をノートにすれば……

 その他、確実に電気代を節約できる部分がある。パソコンのデスクトップ機だ。これとデュアルディスプレイをやめてノートパソコンにすれば電気料金は激減する。おそらくこれまたほとんど通年通電しているこれがいちばん喰っている。ノートのThinkPadは15.6inch画面だし十分に広い。性能的にも不満はない。そもそも私は物書きでありテキストエディターと辞書があればいい。PCゲームもやらないし、画像処理やエンコードとは無縁なのだから、フルタワーのデスクトップ機でデュアルディスプレイというのは、それこそあのエーチャン(永六輔じゃないほう)の「成りあがり」にあったように「角の煙草屋にキャデラックで行く」ような無駄なのだ。ノートで十分なことしかしていない。デスクトップ機をやめ、コンセントを抜き、ノートだけの生活にしたらどれぐらい電気代は減るのだろう。実験してみたい気はある。

 でも無理。これだけは許して欲しい。私はノートパソコンでは生きられない。その他の節電はこれからも心懸けるけど、これだけは唯一の生きがいと言えるような贅沢なので許して欲しい。って誰に許しを請うているのか。

 携帯電話から毎日ブログ日記をアップしている知人がいる。それなりの長文だ。それどころか商業文章もそれで書いているらしい。私には理解できない。想像するだけで憂鬱になる。しかしそのひとは、パソコンを使えない。電子通信の方法がそれしか出来ないのだから、それでいいのだろう。これといった不満もないようだ。私もそれしか知らなかったら、夢の機器として、携帯電話からあの方法で文字入力していたにちがいない。

 デスクトップ機&デュアルディスプレイの快適な環境に慣れている。15.6inchのノートですらせせこましくてやっていられない。携帯電話の入力方など1、2行のメールを書くだけでいやになる。そもそもあんなちっこいものを見たくない。だからこれだけはこだわりたい。旅先や図書館ではノートを使う。だけど自分の部屋では自作のデスクトップ機を使いたい。それが私にとっての譲れないパソコンライフになる。

2013
07/04

●7年ぶりの携帯電話機種交換

 数日前、携帯電話の機種を交換した。ガラケーからガラケー。じつに7年ぶりの機種交換になる。(商売柄、きしゅと打つと騎手が真っ先に出てきて変換に手間取る。)

 1990年代から2000年代初頭までは、新型機種が出るとすぐに替えていた。毎年のように。つまりその時期は私にとって携帯電話は最新のモバイルギアとして価値を持っていた。まだそんなに普及していなかったし、周囲の友人知人でも持っているひとはほとんどいなかった。

 やがて一気に普及し、電車の中でアンチャンネーチャンが携帯電話で声高にしゃべり社会問題になるようになる。あれはイヤだった。あのころから携帯電話を使わないようになって行く。アンチャンネーチャンと書いたら「おっさんおばさんも多かったぞ」と抗議が来るか。非礼なひとに世代は関係ない。
 電車の中での通話が消えたのは、マナーを護る日本人のえらさ、というよりメールの普及だった。一気にメールの時代になり通話は減った。ほっとした。電車の中の光景は、一気にメール打ちになったが、これみよがしにしゃべりまくるのを耳にするよりは遥かに気楽だった。



 以降私は気分としてアンチ携帯電話になり、所持は続けたが、凝らないようになった。
 先日、西東京で中央線に乗ったら、1車両の中で、全員が携帯電話を見詰めていたので気持ち悪くなり、降りてしまった。若者ばかりではない。老若男女そろってそれだったのだ。仕込でやっている撮影現場のような異様さだった。その後、都心の山手線に乗ったら、そんなひとばかりではないので安心した。文庫本を読んでいるひともいれば居眠りしているひともいた。やはり洗練されている地域はそれ一色にはならないようだ。

 もしもあなたに、そういうことを危ういと思う気持ちがあるなら、冷静に、客観的に周囲を見て欲しい。電車の中で誰もが手元の携帯電話(スマートフォンと言うべきか)を見ている光景というのは気味悪いものだ。そういう感覚を持てば、電車に乗った瞬間にスマートファンを開くことはやめるだろうし、仕事中にくだらんツイートをすることもなくなるだろう。

 昨日、自転車で走っていたら、スマートフォンを見ながら歩いているおばさん(たぶん40代)とぶつかりそうになった。そんなときに声を出すことなどほとんどないのだが、思わず「前を見て歩けよ」と口にしてしまった。おばさんに鬼のような顔で睨みつけられた。

 携帯電話を捨てるというのはなんだか申し訳ない気がして、嵩張るものでもないから、ずらりと並んでいる。デザインの変化がよくわかる。
 捨てられないのには、電話番号が漏れるのではないかという心配もある。なら破壊すればいいのだが、それが出来ない。まあパソコン用小物収納引きだしでさほど場所を取るわけでもない。もうすこし溜めてみよう。



 2006年末に今のにして、それからはもう完全に「電話をする道具」と割り切ったので機種交換もやめた。
 携帯電話もろくに使いこなせないオヤジと思われるとすこし悔しいので書いておくと、私はすでに90年代にモバイルパソコンに携帯電話を接続して自分のホームページ(当時はそう言っていた。ブログもまだない)に書きこんだりしている。 ただし正確に言うと、茨城から石川まで走り、その途中経過をアップしようとしたのだが、どこでも当時の携帯電話では電波が通じず、実際は当時出はじめたコネクションのあるグレー電話からのアップだった。

 しかしまた一面において、私が「携帯電話もろくに使いこなせないオヤジ」になってしまったのも事実で、その後出てきたQRコードは私とは無縁のモノだった。2008年ぐらいだったか、インターネットをやっていても、やたら「QRコードを読みこんでウンヌン」というのが増えてきた。それをする必要に迫られることはなかったが、ある日、若者にそのやりかたを問うた。そのときの彼のこちらをコバカにしたような表情はいまも覚えている。附属カメラを接写モードにしてという簡単なことなのだが、必要がなかったから私がそれを知らなかったのも事実。あのときの彼の表情を見て、自分は他者にあのような表情はしないようにしようと誓った。



【追記】──タブレット購入



 さてこれから、スマートフォンとガラケーの流れはどうなってゆくのだろう。私は画面を撫でるというのが好きではなく、DSを使いはじめて長いが、常にタッチペンを使ってきた。あたらしいもの好きなのにスマートフォンに手を出さないのは、ここに書いたようにもうケータイとは距離を置いているからだが、撫でるのか好きではないというのも大きい。

 が、この「7年ぶりの携帯電話機種交換」を書いたのが2013年の7月、そしてこの10月に私はタブレットを購入する。Asus MeMOPadである。これも最初は指で撫でるのがいやでタッチペンを購入してそれで触っていた。しかし感度がちがうので、次第に触るようになり、いつしか画面の指紋も気にならなくなり、いまじゃ撫でっぱなしである。それが消えたから、スマートフォンへの障碍はなくなったことになる。次ぎにここに書くときは「遅ればせながらスマートフォン購入!」となっているのか。しかし現状は、ガラケーもほとんど使っていない。タブレットはどこに行くにも持参している。ふたつを持って歩くなら、ひとつでこと足りるスマートフォンになる可能性はかなり高いのだが……。
 


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