2006
4/6


ケイタイ表示の不思議

 

 ケイタイのディスプレイには相手先の番号が表示される。
 たまに「非公開」も着信する。これは今時、誰も受けないだろう。購入したケイタイの初期設定がそうなっていたために、どこに掛けても誰も受けてくれず、かといってそれの変更方法を知らず、ショップに駆け込んだ友人を何人か知っている。かくいう私も、そうなっていると知らされ、だいぶ前に友人に直してもらった。思い出した。父の葬儀の時に後輩のO(といっても社会的には偉い人)にやってもらったのだから、一昨年の暮れになる。

 居場所不明のことが多いフリーランスの物書きだから、お得意様をなくさないようにとケイタイを使い始めたのはかなり早いほうになる。なにしろまだ茨城の田舎でも圏外になってしまい、留守電を聞くために、電波の通じる千葉県寄りまでクルマで走ったりした時代だ。北海道も札幌を離れるともうダメだった。
 使い始めは早いがケイタイ文化にはなじめなかった。未だに写真を撮ったことすらない。(天皇陛下が罹災地を訪れた際、両陛下の背後からケイタイで写真を撮る庶民の姿は不快だった。)

---------------

 今時のケイタイは、雲南の妻からの電話もきちんと表示する。掛かってきたら登録してある妻の名が出るからすぐにわかる。
 それでもときおり狂うらしい。おお、「狂う」と書いたのは久しぶりだ。マスコミではこの字はタブーである。どうしても使いたい場合は「くるう」と書くが、それでもなるべくこの表現は避けてくれと言われる。
 狂った場合、「発信番号不可」と出る。今までに何度かその表示があったがすべて妻からだった。これはわかる。桁数の多い国際電話であるし、それはそれで能力外だと許容する。

 ところがここのところ状況が悪化している。
 先日、知らない内に何本かの電話が着信していた。番号は080で始まっている。これってPSだっけ? いまはケイタイでも使うのだったか。いずれにせよ私の知り合いにこの番号の人はいない。見知らぬ人からの電話だ。しかも異なった番号で何本も着信している。礼儀として掛け直すべきなのだが、見知らぬ人だからためらう。
 仕事関係かも知れないとしばしの躊躇のあと掛け直した。通じない。不可解だ。
 夜、どうやらそれが妻かららしいとわかる。なんで080表示になったのか。なぜ掛けるたびに番号が異なっていたのか。

 今朝、さらにまたヘンなことが起きた。朝7時半の電話である。
 毎朝の妻からの電話なのは99%まちがいない。ところが表示された番号が052から始まっている。これはどこだろう。私の使用しているIP電話は050で始まるが、それとも違う。どこかの地方都市か。
 取るべきかどうか迷っている内に切れた。また掛かってくる。思い切って取ってみる。妻だった。こんな早朝から出かけているはずもないから、なぜ出ないのかと妻に訝られた。説明がむずかしい。

 正しい表示がいちばんだが、だめならだめで「発信番号表示不可」でいい。080や052はやめてもらいたい。よけいな気を遣う。なにがどうなるとそんなことが起きるだろう。
 両方共にここ数ヶ月で始まったことである。以前はなかった。vodafoneに問い合わせれば解決するのかどうか。
 こういうことに関する不満も、上手にネット検索すれば同じ悩みの人に出会えるのかもしれない。検索下手なので出来ないけれど。

4/24

 パソコン椅子、チェンジ!  


 ふと気づくと、デスクトップに向かいながら、椅子の上であぐらをかいている自分がいた。
 いかんいかんと叱って脚を下ろす。ふと気づくとまた組もうとしている。
 矯正用に使っているチューブで脚を縛る。
 もうだいじょうぶかと思ってほどくと、またあぐらをかこうとする。そんな日が続いた。
 椅子を交換することにした。

 掘り炬燵形式の居酒屋で、脚をしたに伸ばすよりあぐらをかこうとする自分に気づいたのはいつ頃だったろう。年を取ったのだ。股関節の問題である。
 十朱幸代が眠るとき脚を縛る健康法を語っていた。最初は苦しいが慣れるととても快適だ、健康の秘訣だと。
 それを『作業日誌』に書いた。するとその道の勉強をしているサトシが、それは磯谷式というのだと教えてくれた。そのあと何度かテレビで見かけた。私も開き気味になる脚を縛ってみたりした。
 高橋英樹が「老人を演じるのには足の外側で歩く」と実演していた。脚をO脚にして、ひょこひょこ歩くと、一気に年寄りじみる。なるほど。
 ふたりの役者が言っているのは同じ事だ。脚をまっすぐの状態に保つことが老けないことに大事なのである。
 高島俊男さんは喫茶店でもあぐらだと居直っていた。先生はもう長くはないとご自分で達観しているからいいとして、私はもうすこし矯正に努力することにした。

 ということで椅子の上であぐらをかこうとする自分を気づくたびに叱咤しつつ、チューブで縛ったり悪戦苦闘していた。どうにも面倒だ。そういえばあの椅子があったなと思い出す。あの椅子ならあぐらをかこうにもかけない。

 愛用のパソコンチェアをしまい、押入の奥につっこんだままになっていたバランスチェアを引っ張り出した。

 と書くと簡単だが、じつはバランスチェアという名称を忘れていて、ネットから写真をもらうのに苦労した。「パソコン チェア 腰痛」と検索文字を入れては、家具の通販店等を探し歩く。なかなか見つからない。簡単なこともポイントとなる言葉を忘れるととんでもなく苦労する。検索の途中で「バランスチェア」という言葉を思い出したらあっけなく解決した。
 検索上手になりたいものである。思い出したからいいようなものの、そうでなかったら未だに苦吟しつつこの写真を探していた。

 写真は北欧の有名メイカSTOKKEの製品で5万円する。この椅子はここが元祖なのか?
 私のは日本製で2万円ほどのものだが、今回ネット通販で調べたら同じ製品が5千円以下で売られていておどろいた。とにかくここ数年のこういう品の値崩れはたいへんなものだ。

 先日「小物話──視力矯正マスク」に以下のことを附記した。
 02年にこの「視力矯正アイマスク」のことを知り、5千円1万円でも買おうと思っていた私は、03年に偶然ホームセンターで800円の品を見つけ大はしゃぎで買った。それが今では100円ショップで売っている。ありがたいのだけど未だにその安さに戸惑っている。まあこれはただ穴を開けただけだから高いものではないと思っていた。
 先日穴あき包丁が100円ショップにあったので、本物?の穴あき包丁をもっているし、包丁はあまっているのだが反射的に買ってしまった。あれもアイディア商品なので出始めは5千円したのである。それが100円だとあまりの安さに驚嘆して要らないのについ買ってしまう。

 アイディア商品はアイディアの値段である。特許期間が切れたりしたら安いものだ。
 安いバランスチェアの使用者感想文読んだら、「腰痛に悩み、前々から興味はあったが高くて手が出なかった。それがこの値段なので」が多かった。5千円なら誰でも買ってみたくなる。

 上掲のSTOKKEは、そんな中で唯一高い値段を保っている。「北欧の白木」というブランド価値であろう。
 私の2万円の品も、愛用している3万円程度の普通型椅子と比して品質が落ちたし、近辺にある2万円程度の椅子と比べても図抜けて安っぽかった。だがなにしろ腰痛に抜群に良いというこのヘンテコな形をした椅子は「これしかない」のであるから買わざるを得ない。いや当時の私はなんて安いんだと迷うことなく買った。
 残念ながら私には合わず、普通の椅子の方がすわり心地がいいので、たいして使うこともなくお蔵入りになっていた。

 今回引っ張り出したのは腰痛のせいではない。椅子の上であぐらをかかないためだ。これだとかきようがない。今も使っているが、この点に関してはまことに効果的だ。
 べつに椅子の上であぐらをかこうがSOHOなのだから誰にも気兼ねは要らない。ただ、そうしようと思うたび、「あ、いかんいかん、あぐらをかいちゃいかん」と気づいて直すのは精神衛生上とてもよくない。そこで思考が中断してしまう。体が楽な態勢としてそう要求しているのだから、ふと気づけば自然にしようとしている。癖と同じである。禁じかたが難しい。これだと出来ない。しばらくはこれで行こう。

 しかしこの椅子、長時間の作業に向いているというのだがどうなんだろう。どうにもこれで5時間、10時間の作業が出来るかどうか不安なのだが。

---------------


 ネットでバランスチェアの写真を探していたらこれに出会った。「ああ、そうだった」と、なつかしくほろ苦く、思い出す。
 aeronの椅子である。13万円。20世紀末に知り、そのすわり心地を確かめ、いつの日か買おうと決めた。
 5年ぐらい前の『作業日誌』にも「今度いい仕事をしたら自分への褒美としてこの椅子を買ってやろう」と書いている。つまり私は二十世紀末から今に至るまで、たかが13万の椅子を自分に与えてやるほどの仕事もしていないことになる……。
 落ち込むのでもうやめよう。この次椅子のことを書くのは、これを買ったときだ。

============================================

 雲南でも
 昨年暮れから今年正月にかけて雲南にいたとき、妻の家の木の椅子が痛くてまいった。キャスターがないのもこたえた。思えば学生のころはあれで勉強していたのだ。贅沢になったものである。でも我慢できない。
 とはいえこれも、私が来るからと妻が用意してくれた机と椅子なのだ。以前は四、五日の滞在なので気にならなかったが、今回は丸々一ヶ月いたので、腰が痛くなりつらかった。

 雲南は田舎なので(雲南の田舎なので、かな)、町に出て家具屋を探してみたが、思うような椅子も机もなかった。派手な装飾、彫り物のあるベッドなどは揃っていたが。
 このことも考慮しておかないと。
5/3

 ひさしぶりにプラマン!
《手書き回帰へのいざない》


Tさんがメイルをくれた。常時接続のADSLを解約したという。インターネットとのつきあいは以前のようにメイルチェックををする程度のダイヤルアップ接続に限定するようだ。自分から望んでの縁切りになる。時代への反逆だ。ADSLにしたくても出来ない地域の人から見たら贅沢である。私も何度も申し込んではメタル回線がどうとかこうとかと言われ断られていた田舎時代だったら都会人のかっこつけと反感を覚えたかも知れない。
 しかし今、すっかり常時接続に慣れ、というか中毒状態になり、ここ一ヶ月ほどの接続状態の遅さから、運良くその中毒状態を冷静に見直す気分になっていた時節だったので、Tさんの意見をすんなりと受け容れられた。中でも文章を書くことに関しては前々から思っていたことでもある。

Tさんは絵描きである。とりあえずわかりやすくイラストレイタとでもして話を進める。
 絵描きはアナログの世界だ。Tさんは文系に加え理系の才能もあったからJavascriptまでマスタしてしまったが、本来の世界にもどったということだろう。よろこばしいことである。
 その回帰の過程をTさんは次のように書いている。

ここ一ヶ月あまり、スペインのマドリードに行ってました。そこでは、ゴッホやピカソ、作家ではヘミングウェイが愛用したと言われるmoleskine(ノートのブランド)に万年筆で小説を書いてました。

ぼくには誤解があったようです。ぼくのような素人でも原稿用紙数百枚の文章を書けるのは、ワープロのお陰なのだと。
しかし、ワープロで書くのと同じ分量の文章は、それに要するのと同じ時間で、手書きでも書けるものなのだと分かりました。いや、それどころか、手書きはワープロよりも校正という点で不利ですから、一発勝負の緊張感を持たざるをえず、それがかえって流麗な文を生む気がします。
もちろん、読者や辛辣な批評家の目を気にしなくてもよい状況に限定した、素人の自己満足でのはなしですが。



モレスキン(正しくはモールスキン)のノートは私も大好きなので、スペインに行ったときに喜び勇んで買い求めた。基本として文房具オタクだし。
 いまネットで調べて日本でも買えると知る。そうだねえ、こんな時代だもの世界中のすぐれた品々は日本で買えるだろう。モレスキンのような有名品はきっと何十年も前から買えたに違いない。
 もっともモレスキンの魅力は、そういう絵描き的な人々、あるいはオシャレな日記をつけたいと願う若者、凝り性のサラリーマンのビジネス手帳とか、そんな見地からだろう。ただの雑文書きの私からするとさほど魅力的なモノではない。あちらの品がすぐれているのはデザインであって品質は日本製がいい。すくなくとも私は。

 そんなわけでモレスキンのノートはイギリスやフランス、ドイツで買い求めたそれらと同じく、押入の奥にしまわれたままだ。収集癖のない私の数少ないそれらになる。心の片隅で、「おれは日記はモレスキンのノートにしか書きたくないんだ」なんて自分を夢見るのだが、残念ながらそこまでの洒落者でもない。



ここに収めたみっつのノートの絵は、そのモレスキンのサイトからもらってきた代表的な製品である。Tさんはスペインの街角で、これらのひとつに萬年筆で小説を書いたわけだ。よいことである。
 
 私の場合、金をもらう原稿書きは二十七歳の時に手書きで始めた。それしかなかった。当時あったのは和文タイプのみである。思えば当時は「和文タイプ検定」なんてのがあったのである。今は昔。
 やがてワープロが出る。先日東芝がワープロから撤退したが、最初の製品は東芝だった。600万円の机のような機械。おそろしく低能力。それから日進月歩の進化が始まる。私もまたいたちごっこのように、ワープロとコンピュータに金を注ぐ日々が始まる。

 その辺のことはこのホームページのあちこちに書いてあるので省くが、簡単にまとめると、
①私にとってワープロは長年待ち望んだ夢の機械であり、電気や自動車に匹敵する大発明であるということ。ワープロがあったから物書きをやってこられた。

②しかしその基本は、「へたな自分の字を見たくない」が原点であって、手書きで書けないわけではない。
このことの説明を始めると一代記になるので略。

③それどころか原稿用紙で手書きで書くことこそが基本、と今も強く思っている。

④よって、そのことへの回帰は常に心がけていた。今も思いつくたび、挑んでは挫折している。

 となる。
 だから今回Tさんが書いてきたことは、青天の霹靂とか発想の逆転とかおどろくようなことではなく、私も日常的に試みていることだった。私のホームページにおける文章(=ワープロは夢の機械。ワープロがなかったら私はなにもできなかった)を読んだTさんが、もしも私を手書き否定者と思っていたらそれは勘違いになる。今回のメイルでTさんが言っていることは基本であり原点であり、いつも私が思っていることなのだ。
 それを書いてゆくと文学論?になりそうなので、「小物話」に絞る。


私の場合、紙の方はあまり気にならない。かつてのFM東京、J-Waveの原稿用紙、その他FM横浜、一時M先輩が在籍したので書いていたFM愛媛等の専用原稿用紙が今もたっぷりとある。それで充分だ。それと自分で探して気に入ったコクヨのものもまだ使い終っていない。つまり手書きで書かねばと意識している割りにはほとんど書いていないということになる(泣)。一方ホームセンターで買ってくる「A4用紙500枚」のプリントアウト用紙はどれほど消費したかわからない。それはパソコンになってからか。ワープロ時代は感熱紙だった。

 昨年6月に田舎から引っ越すとき、自分のそういうワープロ以前に書いた手書き放送原稿の山をドラムカン焼却炉で燃やしたのだった。段ボール箱3箱ぐらいあった。と思い出して胸が痛む。
 財政的に見たらかなり無理をしてワープロは早い時期に買った方だが、それ以前の手書き時代もあるから、私はまず最初にワープロありき、ではない。憧れ続けた夢の機械だったワープロへの惚れ込み度合いは誰にも負けないぐらいもっているが。

こだわりは筆記具にある。といって高級萬年筆には凝らなかった。それはもう「萬年筆は不向き」と最初に結論が出ていたからだ。高名な作家ではない。ただの雑文書きだ。欄外にあれこれ書き足した専門編輯者しか読めないような原稿を書いているわけではない。まちがいを消し、読みやすい原稿を書くのにはエンピツがいちばんだった。それも指が痛くならない濃いヤツである。この時点ではエンピツと消しゴムに凝った。濃いエンピツの原稿はすれて汚れやすいが、すぐにスタッフ用、タレント用にコピーされるから問題にはならない。かえってクッキリでるので喜ばれる。

 署名入りのエッセイが書けるようになるころにはもうワープロ中毒だった。しかしだからこそ「原稿用紙に手書き」へのこだわりはあった。
 やっと萬年筆の出番だ。しかしこれも私の感覚では日本の縦書き原稿用紙とは合わなかった。当然インクのたっぷり出る太書き、極太で書くのだが、手摺れで汚れてしまう。いまもこのタイミングがわからない。推測するに、萬年筆を常用する作家は、しっかり一字一句かみしめてゆっくりと書くのだろう。私は最初がエンピツでまちがったら消しゴムで消す、つぎにワープロで修正自由で育っているから、萬年筆でも書くのは早い。まちがったら直せばいい、書き直せばいいと思っているからである。治すべきはこの習性だろう。


そんなわけで、原稿用紙に萬年筆で書くことは、今も思いつくたびにやっている。萬年筆に倦きると各種もっているゲルインクボールペンで書いたりする。しかしなさけないことに私は、Tさんのように、100枚とは言わずほんの30枚の短篇でもまだ萬年筆で書き上げたことがない。5枚ほども書き、のってくると、パソコンに向かって一気に進めてしまうのだ。

 歴史作家のかたが日々の執筆風景を書いておられた。毎日手書きで六枚ぐらいの原稿を書くのである。内容は二枚ずつが三編だ。連載していたり、書き下ろしだったりする作品三作に対し、毎日二枚ずつ、すこしずつすこしずつ書き進めて行くのである。調べ物が多い原稿なのでそれが限界だと書いていた。それが長篇として結実する。
 こういう創作姿勢が美しいと思う。なかなかそうは行かないのだが。もちろんこのかたはご自分専用の名入り原稿用紙に萬年筆であろう。

 今日、あれこれ突っ込んである筆立ての中に「プラマン」があるのに気づいた。おおきな筆立てをいくつも用意し、油性マジックや水性フェルトペン用、蛍光ペンを入れているもの、ボールペン用、のように分かれている。その中のゲルボールペンの隣にあったのだ。すっかり忘れていた。私はプラマンをもっていたのか……。
 相当前の品である。それでも問題なく書けるので、すこしばかりこれで文章を書いてみた。やわらかな、なんとも懐かしい書き味で、むかしを思い出し、しみじみとした。

 ぺんてるのホームページに行き、上の絵をもらってくる。いま500円らしい。私が新発売のこれを初めて買ったときは200円だった。30年くらい前か? ボールペンの堅い書き味とはまったく違った劃期的な製品だった。
 むかしを思い出しつつ、しばらくその感触を楽しんだ。最新の品はまた書き味が違うかも知れない。そのうち購入してみよう。

 Tさんは萬年筆のことには触れてなかったが、どんな品を使っているのだろう。藝術家だから萬年筆のブランドにも凝っているのだろうか。
 私もそろそろあたらしい萬年筆が欲しいのだが、国産品愛用者なので外国のブランドには興味がない。かといってあの「蒔絵」とかの高級萬年筆にも食指は動かない(笑)。かといって、あの神田の専門店に行くようなヒトではないと尻込みしてしまう。でもああいう好ましい職人藝の店がこれからもあり続けるために、思い切って客のひとりになってみようか、とも思ったりする。

 宮本輝の萬年筆
5/31
ジムボール大当たり!



 ジムボールを買った。バランスボール、エクササイズボールとも呼ばれている。私が始めて名を知ったのはバランスボールだった。その名で記憶してきた。それでも今回購入した商品がジムボールとなっているので以下ジムボールとする。

 大当たりである。近年買った小物で、ここまで満足した物はない。もうよくぞ買ったと自分を褒めてやりたいぐらい。自信を持って友人にも勧められる。
 こういう品は話題になり、テレビで通販CMをばんばん流している時期は高いが、一段落すると一気に低価格化する。今がその時期だ。私が偶然見かけ、ホームセンターで買ったのも中国製の安物だが、まったく使用に問題はない。だってもともとゴム風船だものね。生産技術が難しかったり高額なはずはない。性能は充分すぎるほど。いやあいいものを買いました。

 とひとりではしゃいでいても意味が伝わらないので以下私なりの説明。

---------------

 まずなんといってもこれ。私の場合もっと腰の辺りに入れて、いわゆるブリッジのような態勢にするが、とにかくこれがやりたかった。しかし日常生活の中でこれは出来そうで出来ない。相方がいれば「馬」になってもらって、それでブリッジできるのだが、ひとり暮らしではそうも行かない。平面からひとりでやるブリッジは寂しい(笑)。

 パソコン作業時は前屈みになる。背筋を伸ばすことは頻繁にするが、椅子の上での背筋伸ばしとこれでは爽快感が違う。
 もうこれだけしか出来ない道具だとしても満足である。

 次に感謝したのがこれ。
 体は鍛えておかねばならない。かといってジムに行く気はない。私はああいう習い事感覚は大嫌いである。何事も獨習が良い。獨習で学校に通った人を凌ぐのが快感だ。大枚を払ってタイ語学校に通い、まともに話せない人と出会うと、ほんとうにうれしくなる(笑)。ささやかな優越感。楽器もね。

 ひとりで出来る室内での体の鍛え方は、腕立て伏せ、腹筋、スクワットだろう。それはやるようにしている。
 しかしつまらない。腕立て伏せも単純にやるのではなく、体を捻ったりして負荷を掛けるのが効果的なのだが、それはそれで難しいし、なにより煩わしい。よほどストイックな人、あるいは鍛錬にマニアックな人でない限り、継続はむずかしい。
 負荷を掛けるため、ベッドに足をおいてやることがあるが、こういうのって一歩間違うと、「なにやってんだ、おれ」と落ち込んだりするから危険?である。

 ところがこれがあると簡単に出来る。しかもかんにんしてくれというぐらい強いのが出来る。写真の状態でボールを左右に転がすようにすると、捻れの腹筋運動が出来る。かなりきつい。ボールは不安定で自然に転がるから、意図せずとも自在に負荷を調節できる。同じ負荷がないというぐらい変化するから倦きない。

 ボールを前後に転がすと、これまた負荷の高い腕立て伏せになり、長年の不摂生で貧弱になっている私は、歯を食いしばる状態になる。時折うんがあと悲鳴をあげる。
 私の場合、毎日このふたつの効用だけで充分な状態である。

 これも効果的。
 私は体が柔らかいので、これでブリッジをやっている。昔取った杵柄である。写真のボールはたぶん55センチだと思う。私のは75センチである。それを固めに膨らましてあるので写真よりもずっと大きく厳しい状態になる。先日、己の体力を過信して思いっきりやったら、ジャーマンスープレックスで投げられた状態になり脳天を打った(笑)。痛かった。フローリングの床である。マットが欲しいと思った。ヨガ用のマットは買ってきてあるがそれでは弱い。体操用のマットだ。

 こういう問題も過去の栄光にすがるから起きる。私は身軽でバク転もバク宙も出来た。鉄棒では大車輪も出来た。とび職みたいなバイトが得意だった。そう、すべては「だった」と遙かに過去形だ。今はただのもっさりしたおっさんである。体力を維持するための努力もしていない。なのに未だに過去の自分のつもりでいるからこんなことが起きる。
 しかし毎日これで鍛えていたら、筋力はもとより、俊敏性と柔軟性はかなりもどってくるだろう。私の欲しいのはそれである。今も腹筋が張って痛い状態だ。


 これはおまけとして。
 こういうふうにすわって机に向かう絵があった。お勧めだというのでやってみた。不安定なので、かなり股に負担が掛かる。まさにパソコン作業しつつ体を鍛えるが成立する。これ専用に60センチをもうひとつ買ってこよう。


 旅先のホテルで腕立て伏せや腹筋をするのは常道である。シイナマコトさんも世界中どこに行っても毎日闕かさないと言っていた。しかしそれがつまらない単純運動であるのも事実。

 もうチェンマイでも売っているだろうから、今度ロングステイすることがあったら、これを買って部屋に置いておこう。遊びながら鍛えられる。
 初めてテレビで見たときは遊びっぽく感じたが、このハードさは甘っちょろくない。
 いやあいいものに出会えた。毎日トレーニングが楽しい。

 なおすべての写真は、以下の「ボールトレイニング.com」より借用しました。感謝。ジムボールの通販の会社ですね。次は買わせてもらいます。やはり私の安物が負荷リミット90キロであるのに対し、ここの高級品は300キロと数字が違う。生地が厚いのだろう。
http://www.ball-training.com/o/

 猫がいたら、あまりのおもしろさに闘いを挑み、引っ掻いて割ってしまうだろうなと思った。厚地のポリ塩化ビニールだから、猫そのものが壊すことはありえなくても、ちいさな傷をつけたら、体重を掛けたとき、そこからイってしまうだろう。もう猫はいないのに、そんなことを考えてしまった。
 床に尖った物をおいて割らないよう気をつけよう。これの味を知ってしまったので、とてももう素朴な腕立て伏せなどする気になれない。

【附記】
 部屋の中に直径75センチの銀色のボールがあるというのは、なかなかインテリア的にも新鮮である。
6/6
○プッシュアップバー正解!

 ジムボールを使ってこんな形の腕立て伏せをやっていると、体を捻ったときの手首の使いかたがむずかしい。むずかしいというか、自由度が低い。こういうときは、あのアレ、なんていうの、よく知らないけど、腕立て伏せをやるためにつかむアレがあったらいいのではないかと思う。

 そのアレが近所の、といっても自転車で10分も走るが、ケイヨーD2にあったなと思い出す。ホームセンター、ケイヨーD2って、へんな名前の店だと思っていたが、「創業60年」と自慢していた。いや自慢はしてないけど(笑)、そんな垂れ幕がかかっていた。まあ町の雑貨屋の時から通算してだろう。なんて書くと叱られるか。でも敗戦の昭和20年からだから可能性大。

 ということで買ってきた。この辺、我慢できないこどものまま。性格は直らない。
 プッシュアップバーというらしい。日本語はないのか? 直訳で腕立て伏せ棒。略してウデボー?

 私の買ってきたのは写真のものよりずっと豪華で、光センサーによるカウンターまでついている。そんなものが欲しかったわけじゃない。それしかなかった。通販で買うのを待ってられなかった。

---------------

 しかしまあこういう写真をもらうのに通販のサイトを調べると、ほんとうに安い。それはもう色々と経費のかかる店舗を構えず、その分を価格に反映しているのだから安くて当然だが、その差額にはちょっとおどろく。このウデボーも通販なら半額だった。

 町の商店を「郊外型大型店舗」が軒並み潰した。閑古鳥が鳴くシャッター通りにした。これからはその大型店舗が、ゲリラ展開の通販に苦しめられる時代だろう。でっかいお店で、あれだけの蛍光灯を点灯し、夏はクーラー、冬は暖房をしている。なんといっても人件費が大きい。それを倉庫と少人数の事務所、ネット広告の「通販」で責められたら苦戦する。とはいえもちろん通販だけになるわけもない。でもすばしっこいヤツは通販の時代だろう。カタログ通販じゃなくネット通販の。

 私の日常で言うと、日本製DVD-Rの50枚組、近くのビックカメラで5600円で売っているものが、通販最安値だと3900円で買える。二組100枚、四組200枚をまとめて買えば、その差額は大きい。
 まして「近くの」とは言っているが出かけるのはけっこう面倒だ。それが家にいるだけで届けてくれる。1万円以上買うと送料が無料になることもおおい。
 しかしそれの価値は認めても、まだまだ実物を見て、手にした商品を買う感覚が強い。特に3千円程度のものはネット通販で半額で買えるとわかっていても、すぐに欲しいからその場で買ってしまう。人の欲求の基本はそれだから、やはり店舗は店舗で安泰なのか。
「出かけるのは面倒」ではなく、「出かけるのが楽しい」人も多いだろう。私も本音を言えば秋葉原に遠くなったからだ。今も気軽に秋葉原を専門店を歩き回れるなら通販は利用していない。

---------------

 このちいさな道具が、こんなに効果のあるものだとは知らなかった。
 これを使い、ボールに足を載せて捻る腕立て伏せを100回やったら、翌日かつて経験したことのない部位がパンパンに張った。木のように堅くなっている。普通の腕立て伏せとこれを使うのでは、そんなに刺激を与える筋肉が違うのだろうか。なんとも新鮮だった。
 ジムボールも使いかた無限という感じで、たかがゴムボールの用途の広さに驚嘆している。
 というわけで、現在ひとりトレーニングに夢中。倦きない。
 
6/20


△割り箸好き△


 TopPageにの項目を作り、最初に収めたのがこの2ちゃんねるからコピーした割り箸の話だった。
 そのうち感想を書こうと思っていた。

---------------

1 名前:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★[off_go@yahoo.co.jp] 投稿日:2006/05/09(火) 13:11:48 ID:???0

・使い捨ての代表格として、国内で年間約250億膳が消費される割りばし。その9割を占める輸入先・中国が生産制限を決め、弁当や外食など関連業界に影響が出始めている。
 安さに飛びつき、国内生産地を切り捨ててきたツケとも言え、業界・消費者双方に農林業生産空洞化の問題を示す一例だ。

 “中国ショック”は2段階で到来した。最初は昨年11月、中国の輸出団体が「原木の高騰」などを理由に、日本割箸(わりばし)輸入協会(大阪市)に50%もの値上げを通告してきた。
 今年3月、今度は中国政府が「森林保護」を理由に生産を制限し、将来的には輸出も禁止すると決めた。

 では、日本国内の状況はどうか――。実は20年前まで、割りばし生産量の約半数は国産だった。ところが90年代以降の低価格競争の波の中、安い中国産が急激に増え、気がつけば9割を超えるまでになっていた。

 国内の2大産地は北海道と奈良。高級品主体の奈良は今も命脈を保っているが、中国産と競合した北海道は壊滅状況だ。85年当時、北海道には生産会社が約70社あり、約1900人の従業員がいたが、04年現在で8社約40人にまで激減した。

 外食や安売り店には、既に影響が出ている。全国で約760店の居酒屋などを展開するマルシェは年間約1500万膳を使ってきたが、2月からフランチャイズを含めた全店でプラスチック箸に切り替えた。さらに、直営の約250店では「MY箸」ポイントカードを作り、はしを持参した客には1回50円のポイントをつけ、10ポイントで500円分の飲食をサービスするほか、50円を自然保護団体に寄附する活動を始めた。

 輸出禁止は本当にあるのか、あるとすればいつか。今後は中国政府の動きにかかっているが、同協会広報山口室長は「弁当や外食なども、いずれ消費者がお金を払って割りばしを買う時代がくるのでは」と予測している。(一部略)
 

※元ニューススレ
・【経済】 "日本に割りばしショック" シェア9割・中国、割りばしの対日輸出「全面停止」へ★2



============================================

【メモ】──「壊滅」は「潰滅」が正しいが自分の文ではなく新聞記事の引用なのでママとする。


 環境問題、というと大げさだが、身の回りの細かなことに関して、私はほぼ優等生だと思う。コンビニやスーパーでも過剰包装をこちらから断っている。今の日本はなんでもかんでも包みすぎる。
 ゴミの分別もきちんとやっている。私の住んでいる集合住宅にいる人は家族ばかりだが、毎日のように分別が悪かったり、家電を不法投棄して、管理人から引き取るようにと晒されている物がある。主婦の中にもだらしない人がいるようだ。

 クルマから吸い殻を投げ捨てる連中を見ると一日が不愉快になる。街を歩いていても歩きタバコをするタバコ飲みのマナーの悪さにはうんざりする。
 コンビニに「自宅の生ゴミを捨てないでください」とあるのもちいさいけれど大きな問題だ。「自分さえよければいい」の典型になる。クルマから吸い殻を投げ捨てるヤツに限って自分の車の中はきれいだったりする。この感覚が許し難い。

 そういう私が罪の意識を感じることがふたつある。
 ひとつは田舎でたまにやった「物を燃やす行為」。今は田舎でも、自分の地所であろうとあまり物を燃やしてはならないようになっている。
 私は昨夏の引っ越しのときにだいぶ派手にやった。
 400冊ほどの本を売るのでもなく捨てるのでもなく焼きたかった。手書きの放送原稿に至っては消却が絶対である。寝具も燃やした。
 二度ともどることのない田舎への決別に、「燃やす」ことが必要だった。
 これは褒められることではないが、でももうこれからはしたくても出来ないから、過去の罪になる。

---------------


(高級割り箸、吉野杉、100膳900円)

 もうひとつの「現在進行形の罪」がこの割り箸になる。
 気分としては「マイ箸」を持って歩きたいぐらいなのだが、していない。割り箸が好きなのである。
 うどん屋やそば屋に入ったら、割り箸をパチンと割って食べる。それが楽しい。どんなに気に入った「マイ箸」であろうと、あの気分を越えることは出来ない。
「塗り箸が嫌い」でもある。一応常用している「マイ箸」はあるのだが、どんなお気に入りのそれも、割り箸を越えることはない。とにかく「割り箸が好き」なのだ。
 
 コンビニや下記引用にも出てくる「オリジン東秀」で弁当を買ったとき附いてくる割り箸は、とっておく。「マイ箸」で食べる。取っておいて麺類を作ったときに使う。
 この「麺類を食べるときは割り箸に限る」が私の場合の元兇のようだ。そして私は大の「麺食い」なのである。
 特に近年、冷凍のさぬきうどんにうまいものが出回るようになったので、ますます私の麺食い度合いが高まっている。カトキチの冷凍さぬきうどんを上手に味つけすれば、その辺のうどん屋よりはるかにうまいものが作れる。この場合、絶対的に割り箸である。これを塗り箸で食えと言われたら味まで落ちてしまう。

 上記引用文に「いずれ消費者がお金を払って割りばしを買う時代がくるのでは」とあるが、私はすでに買っている。何百膳入りかのものを袋で買ってもっている。それほど割り箸好きなのだ。
 環境保護のために、やめねばならないのだが……。

 割り箸のことを書こうと思いつつ書かない内に、2ちゃんねるで第二弾を発見した。


============================================


1 名前:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★[off_go@yahoo.co.jp] 投稿日:2006/06/19(月) 19:22:13 ID:???0
・飲食店やコンビニエンスストアで割りばしがいずれタダではなくなるかもしれない。最大の供給国、中国がこのところ急激な値上げに走っているからだ。

 林野庁の統計(04年)では、日本で1年間に消費される割りばしは248億膳)。うち中国からの輸入分は約241億膳と97%以上を占める。中国産品におされ、国産材を使って日本国内で生産する割りばしは約5億膳で、10年前の6分の1まで縮小した。
 その最大の供給国である中国で、昨年末に急激な価格引き上げが実施された。

 「日本割箸輸入協会」(大阪市)によると、中国側は(1)シラカバなど原木の値上がり
 (2)人民元切り上げ(3)附加価値税の還付停止(4)原油価格上昇に伴うコスト増―などを理由に、当初は昨年12月1日から30%、今年3月1日から20%の値上げを通知。12月の30%上げは実施されたものの、残り20%分は市場の混乱を避けるため、当面延期されている状態という。

 同協会の山口晴久・広報室長は「中国では3月の全国人民代表大会で環境保護の姿勢がより明確になったうえ、4月1日からは割りばしもぜいたく品として新たに5%の消費税が適用されることになった。今後いっそう供給が厳しくなることはあっても、逆の材料は見当たらない」と話す。

 大手コンビニチェーン「ファミリーマート」は、輸入価格上昇後の2月、チェーン各店への割りばし売り渡し価格を値上げした。「ローソン」「セブンイレブン」や持ち帰り弁当の 「オリジン東秀」などは、輸入元の再検討を進める。

 「松屋フーズ」ロジスティクス事業部の宮西雄一グループマネジャーは「価格転嫁はない。
 昔のように置きばしにするのも、お客様に受け入れられるかどうか。今のところはほかの経費削減で吸収するしかない」。
 「吉野家ディー・アンド・シー」企画室の木津治彦・広報IR担当は「すでに乾いたぞうきんを絞るようなコスト削減を進めてきた。もう鼻血も出ません」。

 輸入協会の山口氏は言う。「中国の現状をみて、ロシアも原木の値上げの動きを見せている。いずれ日本でも、割りばしの有料化を考える時期が来るのではないか」 (一部略)
 http://www.asahi.com/life/update/0619/005.html


---------------


(5000膳6千円、1本1.2円)

 これらの記事を読んだ人の中には、「また中国のいやがらせか、ゴネ得か!」と思う人もいるかも知れない。それは違う。
 雲南を歩いていると「森林世界的遺産」の警告文があらゆるところにある。山を切り開いて耕作地にしてしまうためによる水害も多発している。森林の減少は深刻な問題なのだ。日本に割り箸を輸出している餘裕などない。妻の家でも燃料はすべて薪である。誰もが山から木を切り出してきて薪にしている。最近それに制限がかかるようになった。これは当然である。木が育つより伐採の方が早い。しかも植林していない。先細りは目に見えている。すでにもう危機的状況にある。
 かといってじゃあどうするか。ガスにでもするかとなるが、中国は資源のない国である。これは世界を語るとき重要な問題だ。広さから勘違いしそうだが、あの国は資源のない国なのである。

 昨年暮れに行ったときは、やたら電磁調理器が喧伝され流行っていた。
 まだまだどうなるかわからないが、雲南での燃料問題は、ガスではなく、薪から電気に移りそうである。しかしこれ、停電がある。私は妻の家に火力のあるガスを導入したいのだが、運搬の問題があり、むずかしそうだ。
 あの国は、敷設のたいへんな有線電話を飛び越えて一気に無線電話が普及したように、山道の運搬事情から、電気になりそうな気がする。

---------------

 割り箸大好きな自分のことを棚に上げて正論を言うのも気が引けるが、「松屋」や「吉野家」は「置きばし」でいいだろう。でもうどん屋やそば屋には割り箸が欲しい。ラーメン屋も。これがプラスチック箸になったら白ける。
 しかし割り箸文化というのは問題である。西洋の代々使えるフォークやナイフのほうが理に適っている。
 コンビニ弁当を買い、割り箸が欲しければ5円、10円を上乗せする、という時代は目の前だ。しかたないだろう。今までが無駄に消費しすぎてきた。
 
 禁欲的なので自身の好みを禁じることは割合簡単に出来るのだが、「禁割り箸」はかなりきつい。自信がない。

---------------

【附記】
 これは他にも書いた有名な実話。
 某有名女優、「マイ箸」を持って料理屋に登場。割り箸による森林破壊と自然保護を延々と一席ぶつ。しかし彼女は高級毛皮を着ていたという。
7/1

◎ ディジタル温度計 ◎

 信じられない。これ100円なのである。100円ショップCan Doで買った。ボタン電池のLR44で動く。その電池まで着いてきた!
 100円ショップが普及する前なら3千円ぐらいしたろう。そしてこういうものが好きな私はためらうことなくその値段で買った。ありがたい時代である。

 たぶん電池に関して「お試し電池附き」と書いてあるから、この電池はすぐに切れるものと思う。よい品のLR44は本体より確実に高い(笑)。

 たしかにデフレはインフレのような活気は出ないのかも知れないが、私は生まれて初めて知るデフレの時代を楽しんでいる。給料もあがるが負けず劣らずモノの値段も上がって行くインフレの時代が、そんなによいものとは思えない。さんざん経験してきた。毎年毎年値上げのニュースってつまらないものである。資本主義社会においてインフレは、市場の活性化のために為政者や経営者には必須なのだろうが、ちびちび暮らす庶民にはデフレも悪いものではない。

 景気が恢復しインフレになったら100円ショップはなくなってしまうのだろうか。300円ショップ、500円ショップになってゆくのか。

 100円ショップが大旋風を巻き起こしている時代に、私はあまりそれとは縁のない田舎暮らしだったから、今になって物珍しくてたまらない。言うまでもないことだが、こういう店は薄利多売だから都市に集中する。人口の少ない田舎ではめったにないし、あっても小規模でつまらない。田舎時代も土浦までクルマで走りダイソーを体験したりしているが、私の真の100円ショップ体験は東京にもどってきてからになる。

---------------

 仕事机の横に、長年愛用している上半分が温度計、下半分が湿度計の円形の温湿度計がある。これがじつにアバウトだ。夏は30度を超すし、冬は15度ぐらいになるから、最低の仕事はこなしているのだが、もうひとつ物足りない。湿度のほうも蒸し暑くて溜まらないときは60%を超えているし、梅雨のさなかでも過ごしやすいなと思うと、見事に50 台前半だったりするから、これも一応のノルマはこなしている。
 でもなんとなくもっとハッキリ知りたい。一番蒸す寝室は何度なのか、そこよりは過ごしやすい仕事部屋は何度なのか。正確な温度計が欲しいと思っていた。

 くだらない考えだとは思う。雲南の妻の家には時計さえもない。みな体内時計で生きている。太陽が昇ったときが起きるときであり、日が沈むときが仕事を終えるときだ。
 温度計などあるはずもない。だいたいが温度計で「おお、きょうは32度もあるのか」と思ったとしても暑さが引くわけでもなし、数字の確認など無意味だ。でもそれが好きなのだからしょうがない(笑)。
 かといって切羽詰まっているわけでもない。いつの日か、東急ハンズにでも遊びに行ったときにでも、いいディジタルの品があり、納得できる値段だったら買ってこようと考えていた。その程度の興味だった。それがまさか100円ショップにあるとは……。

---------------



 100円ショップに出かけたのは必要な日用品を買いに行ったのであり温度計のことは頭になかった。私の欲しかったのは正確な温度の出るディジタル温度計であり、もしも100円ショップに温度計があったとしても、それはあのアルコールの赤い玉のある製品ではないかと思っていた。あれはアバウトである。あれならいらない。
 私の考えはきっと方向がずれている。今の時代、ディジタルだからこそ安いのだ。クオーツ時計が安く、ぜんまい式の時計は高いように。もちろんこれもMade in Chinaである。

 そしてこれを見つけた。手にしてしばらくいじっていたらどんな仕様かわかる。じんまりとうれしさがこみ上げてきた。100円ショップ様様である。パッケージを見ただけではどんな使い勝手なのかわからない。とはいえ100円だ。寝室用と仕事部屋用にふたつ買った。帰宅してすぐに電池をはめ込んでみる。

 結果は上々、買って大正解である。暑苦しい寝室が31.4度、仕事部屋は29.2度と、「おお、2.2度も差があるのか!」と、べつにそれを確認しても意味はないのだが(笑)、思った通りの数字を見られてとても気分がいい。

---------------

 今日の昼、クーラーをドライにしたまま、うとうとしてしまった。毎日午前2時起きなので、正午のころ猛烈に眠くなる。
 寒くて目が覚めた。やはりクーラーをかけたまま眠るのはよくない。鼻水が出た。
 ディジタル温度計は25度を指している。エアコンの設定も25度だから正しい。

 社内のエアコンの設定23度を25度にすると、いかに電力の節約になるか、そのことで電力供給のほうも大幅に助かる、ぜひエアコンの温度を25度に、という東電のキャンペーンがあった。
 今日の体験だと除湿さえ出来ればそれこそ28度設定でも大丈夫に思えてきた。とにかく暑さの不快感は湿度なのだ。

 なにかあるとこの温度計ばかり見ている。
 たった100円でこんなにしあわせにしてくれる小物もある。
 たった100円の小物でこんなにしあわせになれる私が特別なのか?


============================================


【附記】一般的な値段
 ついでだから「通販 デジタル温度計」で調べてみた。
 ところで私は、Digitalなのでディジタルと書くようにしたのだが、世間はみなデジタルのようである。なぜそう表記するかというと、いつも書いているようにデジタルとするとDegitalと誤記する可能性があるからである。ディジタルにしておけばDigitalだから、間違えることはない。

 とんでもなく高い特殊なモノを除けば、私のようなのが机の上に置くディジタル温度計は、想像通り3千円から5千円が主流のようである。

---------------


 珍しい誤字を見つけた。誰を冷蔵して雇用するのか(笑)。試してみる。おお、ATOKでもたしかにれいぞうこようは冷蔵雇用と出る(笑)。


 これが理想。これが欲しい。ディジタルの音質時計。いや温湿度計。やっぱり「温湿度計」なんてコトバはめったに使わないから辞書登録しないとない。というか、そんな日本語はあるのか?
 これぐらいの値段になるとかなり正確なのだろう。やはりディジタルは目分量じゃなくて数字で出してくれるからいい。
 そのうち買うにしても、いまは100円の小物で大満足。


11/22

◎ 加湿器を買う ◎




 加湿器なるものを初めて知ったのはいつだったろう。姉が父にプレゼントしたのが最初だった。二十年ぐらい前だろうか。いやもっと前か、もう三十年になるか。父母が寝室に石油ファンヒーターを入れたことに起因する。タイマーをセットしておけば朝方に石油ファンヒーターが自動で動き出し部屋を暖めてくれる。老人は深夜にトイレに起きることが多いし、この時期の脳溢血は怖いから午前4時ぐらいから自動で部屋を暖めてくれる当時の新製品・石油ファンヒーターはありがたかった。

 しかしそれに対して空気が乾いて困ると母が不満を言う。母は今もこのファンヒーター形式のものを受けつけない。それは感覚としてわかる。私もあまり好きではない。それを聞いた姉がそれならとプレゼントしたのが加湿器だった。
 出始めであるから何事も大仰だ。一流メーカー(笑)松下電器製である。大きくゴツく、なんだか未来志向の商品のようだった。当時のその方式をなんというのか知らない。いや覚えていたけど忘れた。なんだか知らんけどミクロの霧とかが出るのだった。
 じゃあまりにバカだからネットで調べてみた。

---------------

家庭用の加湿器──wikepediaより

一般家庭向けの加湿器、すなわち家電としての加湿器は主に以下のようなものがある。

スチームファン式
電熱により水を沸騰させ、そのスチームを送風機(ファン)によって放出・拡散させるもの。ファンを用いないもの(上記の電極式に多い)は単にスチーム式という。加湿能力が大きいが消費電力も大きい。放出されるのは蒸留水のため衛生的である。スチームが熱いものは使用に注意が必要である。
超音波式
超音波により水を微細な粒子にし、それを送風機にて放出するもの。消費電力も小さく、本体サイズも小さくできる。汚れた水でもすべてを放出するため、不衛生になりがちである。水に含まれるミネラルが析出し、使用している部屋に白粉が発生しやすい。加湿器病の原因になるとして注意が喚起された。
気化式(ヒーターレスファン式)
送風機により水を含んだ目の粗いスポンジ状のフィルターや不織布などに空気を通して加湿するもの。消費電力は小さいが加湿能力も小さい。そのため、製品としては本体が大きくなりやすい。ファンを用いない自然気化式もある。
ハイブリッド式
基本的には気化式であるが、湿度が低下した場合に他の方法に切り替えるもの。気化フィルターに含ませる水をお湯にするものや、電熱により送風する空気を温めてフィルターを通すものなどがある。装置が複雑になるため、他の方式に比べ高価である。

---------------

 そうそう「超音波」である。姉が父母に送ったのはあのころ先駆けだった「超音波式」だろう。「消費電力も小さく、本体サイズも小さくできる」とあるが、それはけっこう大きくて値段も高かった。たしか3万円している。初期のものだからであろう。見てくれを気にするのだ。ちいさく出来るのだが、そうするとせっかくの新製品で値段も高いのにありがたみが薄れる。あちこち不要なデコレーションで大きく立派に見せている。むかしの床の間に鎮座していたテレビと同じである。

 それで思うのはDVDプレイヤだ。あれは開けると呆れるぐらいスカスカである。いやほんと軽いから誰でも想像はつくだろうけど開けると呆れる。ヴィデオデッキが高級技術であり製作が難しく(假想敵国への輸出禁止品目だった)中身が複雑なのと対照的だ。製作が簡単で一気に値が下げられたことも中身を見ると納得する。中国の貧乏人に一気に普及したことも。

 この何年後かに私も加湿器を買う。そのころはもうホームセンターで一番安いのだと3980円とか、そんな値段で売っていた。そりゃ簡単だものねえ、構造が。安くなるはずだ。私が買ったのも8千円ぐらいでタワー型とでもいうのか、すんなりとした筒型だった。冬は乾燥しているからたっぷり使った方がいいのだろうと一晩中つけたまま寝たりした。

「汚れた水でもすべてを放出するため、不衛生になりがちである。水に含まれるミネラルが析出し、使用している部屋に白粉が発生しやすい。加湿器病の原因になるとして注意が喚起された」
 なるほどね、長時間使っているとたしかに白い粉がついとりました。そして最近これをまったく見なくなったと思ったらそのことによる「加湿器病」なんてものが出てたんですか。そりゃ売れなくなるはずだ。

 そんなことは知らないから私は今回も近くの(といっても自転車で10分以上かかる)ホームセンターに行って安いこのタイプを買おうと思った。
 冬になるまえ、今年の冬は加湿器がいるなあと漫然とビックカメラで見たことがある。そこでおどろいたのは4万円以上する高級機が多いことだった。逆に私の探している超音波型の安物はない。どういうことなのだろうと思っていた。加湿器病が流行って超音波型は廃れ、ハイブリッド型なんてのが生まれていたわけだ。

 ところであの加湿器はどうしたのだろう。姉が父母にプレゼントしたものは壊れて物置においてあったのを覚えている。東京で買った私のそれは引っ越しの際に田舎にもっていったはずである。いや引っ越しのとき捨てたのか。記憶が曖昧だ。壊れてはいなかったが安物だし未練はない。さらには今回学んだように加湿器病があるから超音波式はよくないようだ。ただこういうモノに最初と最後の想いを抱くのが好きだから最後の記憶がないのが気になる。中延商店街の電気屋で買った「最初」を明確に覚えているだけに……。

---------------

 最廉価で3980円からあった。高級品は4万3千円。8千円ほどのスチーム型を買った。これが今の主流らしい。そもそも冬場の乾燥といえば対抗策はストーブとヤカンである。ストーブの上でお湯がちんちんがいちばんだ。もっとむかしなら火鉢で鉄瓶がシューシューか。結局田舎の父母も石油ファンヒーターにはもう一歩なじめず、ヤカンを乗せられるタイプの丸形の石油ストーブを買い求めヤカンを乗せる昔風にもどっていった。一昨年まで、冬の朝は徹夜で仕事をしている私が二階から降りてゆき、午前五時ぐらいにストーブをつけ、ヤカンを乗せたものだった。そうするとストーブの上でやがてやかんがちんちんになり、父母が起き出す時間のころ、ちょうどやかんが空になって水をつぎ足すようになる。

 エアコンやファンヒーターから吹き出す温風はあまり居心地のいいものではない。それで育ってきた都会っ子はともかくとして。
 私の田舎の家で石油ファンヒーターが使われるのはお客様が見えたときの応接間だけになった。

 ヤカンでちんちんといえば、私が初めて都市ガスストーブを買った30年前、すでにヤカンは乗せられないデザインになっていた。事故を防ぐためだろう。ストーブの上にはヤカンを乗せて蒸気を出すものというバカの一つ覚えをしていたのでこれにはがっかりしたものだった。
 当時ストーブにヤカンを乗せてお湯を沸かすことによる事故がどの程度頻発していたのかは知らない。言えるのは、この時代あたりから「ストーブのヤカンが落ちて子供が火傷をした。ああいうデザインのストーブを売るメイカーが悪い」のような責任転嫁の風潮が起きてきたのだ。日本人の堕落である。そしてまた企業側も防衛のために危うきに近寄らずになった。問題が起きそうな商品は最初から作らないのだ。つまらない時代の走りである。小学校でナイフでエンピツを削らせなくなったように。
 ナイフで指を切って痛みを知る。血の赤さを学ぶ。お湯で火傷をして覚える。それらを最初から取っ払っても安全で平和な世界が来るわけではない。むしろ痛みを知らない異形の子供が育つ。現にそうなっている。

---------------

 私は昨年また東京にもどり、十数年ぶりに都市ガスストーブを買うことになった。こちらもファンヒーターが主流だったのでそれを買うことになった。あの赤々と燃える火は魅力的でありガスストーブの暖かさの象徴である。いまだ未練はあるがひとり暮らしのオヤジとしては酒飲みでもありこちらの方が安全だろう。あきらめた。

 今回秋口から買おうと思っていた加湿器を買ったのは喉をやられたからである。突然声が出ないというひどい状態になり急いで買いに走った。空気が乾く季節の前に転ばぬ先の杖として買おうと思いつつ結果として罹ってから買うという泥棒を捕えて縄をなうになった。
 パソコン関係を除けばひさしぶりに買った新型小物なので、乞食が馬を持った状態になり連続10時間稼働というタンクに常に水をためては一日中蒸気を吹き上げていた。この時点では上記の「加湿器病」を知らない。もしもそれが超音波式であっても迷わずやっていたろう。
 蒸気だから喉のためにいいと思った。観葉植物の隣でゆらゆらと白い蒸気が出ているのをベッドの中から「冬のサナトリウム気分」で見ているのも気分的によかった。
 以前の超音波式との決定的な違いはあちらが冷たい水の霧を吹き出すのに対し、こちらは温かい蒸気ということである。酔ったまま寝てしまい、明け方の寒さに目覚めると、冷たい部屋に冷たい霧が降っているのを経験した身としては、出るのが暖かい蒸気であるのは季節柄ありがたい。

 いいことずくめのスチーム式のはずだったがWikipedia調べてそうではないと知る。
放出されるのは蒸留水のため衛生的である」は当然として、「加湿能力が大きいが消費電力も大きい」にむむむとなる。そうか、常に電気でお湯を沸かしている状態なのだから電気を食う。急いでカタログを見たら400Wもあった。ここ一週間家にいたものだから朝から晩までスチームを出しっぱなしだった。う~む、電気を食うのか。せっかくパソコンのCPUが消費電力が小さくなってきたと思ったら、加湿器が炬燵並みの電気を食う。なかなか節約生活は難しい。それでもいちばん怖い空焚きの心配がないのだからありがたい。やはりストーブでヤカンをちんちんよりは安全だ。喉が治ったからといって安心せず、しばらくは加湿器を使い続けよう。

============================================

 「気化式」が主流!
 というわけでなんの考えもなく買った加湿器だったが買ってからこうして勉強し、いくらかの知識が身に付いたわけである。
 今日会社の帰りビックカメラに寄り家電売り場に行ってみた。以前は漠然と値段だけで見ただけの商品も知識をもって見るとまた感覚が違っておもしろい。

 セコい私がスチーム式の消費電力でおどろいたようにそれは重要なポイントであるようだ。
 売れ筋ベストスリーは19800円の「気化式」が獨占していた。そこには「消費電力20W」という数字が赤字太字で書かれ、「一ヶ月の電気代70円」が強調されていた。
 消費電力なんて気にしたことがなかったが今回は知識があるので目につく。するとスチーム式はみな280Wほどもあり、値段は1万円程度だが電気代を考えたら主婦はみな気化式を選ぶのではないかと思えた。隅の方にひっそりという立場だった。あきらかに主役ではない。というか、その辺の展開は知らないが、これは「スチーム式はたしかにいいが電気を食い過ぎる」から生まれた流れではないのか。店員も1万円以下のスチーム式を買おうとする客がいたら、「長い目で見ると電気代の点で」と気化式を勧めるのだろう。高い商品の方が利幅は大きい。なんだかそんな様子まで目に浮かんできた。売れ線なのがすなおに理解できる。

---------------

 でもまあ季節のモノだ。年がら年中使うものではない。私は「ストーブの上のヤカンがちんちん」に近いスチーム式に満足している。長時間使っていると部屋がほんのり暖かくなるのも晩秋の今、気分がいい。
 いやそれよりも今回思ったのは、あらためて日本の四季である。ついこの間まで私にとって最大の問題は湿気だった。夏の温度そのものよりも湿気に苦しんでいた。なのにいま「加湿」を考えているのだ。日本ほど四季の明確な国はないと言われるが……。

 季節の品々を梱包しては物置に片づけていた父を思い出す。石油ストーブは夏になるときちんと石油を抜き、芯の手入れをしてしまっていた。これはけっこう梅雨冷えの時などにも使うことがあり片づけるのが遅れる。夏間近だったりする。で、私のようなものぐさは、すこしほっておけばすぐに冬だとそのままにしてしまう。二階の私の部屋はそうだった。父は毎年必ず片づけていた。夏の葦、冬のストーブは田舎暮らしで忘れられない品々である。


inserted by FC2 system