2004

04/2/12 チェンマイのおみやげ-CDとヴィタミン剤



 音楽CDのこと 
 らいぶさんから昨年チェンマイで買ってきてもらったヴィタミン剤、今年の正月に買ってきてもらったJazzCDを受け取り、料金を払う。待ちかねた品物である。以前はアルバムジャケットがコピーで附属していたCD(バンコクだとカラーコピー、チェンマイだとモノクロ)が今回はなにもなし、すべて裸だった。写真のように味も素っ気もない。「らいぶさんのチェンマイ日記」にあるように、理想家肌タクシン首相の締めつけでこの種の違法コピーは追い込まれているようだ。これから裸のCDを聞きつつ、内容を確かめては1枚に10人ほどアーティストの名を書いてゆくことになる。それはそれで楽しい作業だ。苦にならない。
 何度か書いたことだが、ぼくはこの違法コピー製品が違法ではない高額な正規CDだったとしても買う。1枚100バーツの音楽CDが1枚に10枚分も詰め込まれて、それでいて100バーツのお買い得品を買ってきてもらったのだが、これが10枚分だから1000バーツであっても買うということである。廉価であること以上に「1枚の中に10枚がパッケージされている手軽さ」が魅力だからだ。それはすでに「究極のウォークマン」と題して書いているけれど、假想CD-RomソフトでそのCDを1枚コンピュータに入れておけば、それだけでアルバム10枚100曲、10枚入れればアルバム100枚1000曲をどこへでも持ち運びできるという魅力だ。旅先での音楽環境を考えたら、それが正規の高額だったとしてもまったく惜しくない。夢の機械になる。これはM-pegの圧縮の技術なのだろうが、ぼくが手持ちの1枚の音楽CDを假想CDにしても、この10枚入っているのとハードディスクの容量が同じなのである。携帯はハードディスク容量のちいさいノートであるから、このことも大きい。この「1枚に10枚を詰め込んだCD」がないと、ノートに1000曲も入れて持ち歩くのは不可能なのだ。ぼくには。
 しばらくは買ってきてもらったこれらのCDの内容整理に追われそうだ。「追われそうだ」は不適切か。のんびり思いつくたびにやってゆくことになる。たぶんぼくのことだから思いつくたびに書き込んでいって、上記の白いCDは細かいフェルトペンの文字で真っ黒になることだろう。
 詰め込みJazzCDを22枚買ってきてもらった。今のところこれでチェンマイでは世に出ているものの全てである。近いうちにタクシンに撲滅させられるのではないかと思ったので全部をお願いした。1枚のCDにアルバム10枚、1枚10曲と計算して100曲、それが22枚だから2200曲! のライブラリーになる。どんなアルバム、どんな曲が入っているか楽しみだ。ぼくが今までもっている同種のCDはJazzの1から4までだった。5から22は今回が初体験となる。

 もういちど言いわけさせてもらうが、たとえどんなアルバムが入っていようと、まず間違いなくそれはぼくがすでに日本で正規に購入して持っているアルバムである。背後のCD棚にあるもののはずだ。もしも持っていないものがあったとしても、それは聞くに値しないものと言い切れる。この種のものでいわゆるとんでもない掘り出し物が出てくることはない。聞きたくないと削るものはあっても。これらはJazzに詳しくないタイのコピー屋のあんちゃんが世に出ている売れ筋をただ寄せ集めただけである。よってまず確実にぼくの知っているものばかりになる。(ぼくが好きではなくもっていないものとしては、タイ人の大好きなケニーGがあることだろう。なんでタイ人は彼があんなに好きなのか?)
 だからぼくは、自分のもっているCDを1枚の中に10枚詰め込む作業を代わりにやってもらったという感覚で購入しており、持っていない欲しくてたまらないものを違法にこっそり安価で手に入れたという後ろめたさは感じていない。

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 ヴィタミン剤のこと

 らいぶさんから、昨夏チェンマイで買ってきてもらったヴィタミン剤が手に入った。100錠入りがふたつあるから半年持つことになる。その効能に対して今回は今までと違った興味を持っている。

 ぼくは薬が嫌いなのでまず飲まない。その代わり、たまに飲んだときすばらしく効くという利を得ている。結局ドラッグが嫌いなことも小難しいリクツ以前に体の中に異物を入れることが嫌いだからなのだろう。入れ墨だとかピアスだとか体をいじるのが嫌いなのも同じ線上にある。嫌いだからこそ、一度入れ墨を入れた人がエスカレートして行く感覚もわかる。クルマやパソコンの改造マニアと基本的には同じだろう。
 そんな薬嫌いのぼくがここ三年か五年(もしかして十年か)飲み続けてきたのが「マルチヴィタミン剤」だった。不摂生だとは自覚している。疲れが残るようになったとかそんな自覚があってたまたまチェンマイで飲み始め、それが気に入って続けたのだったか。いやその前に日本で「キューピーゴールド」とかを飲んでいたような……、ああ思い出した、そうだな四十になったぐらいから「コーワQPゴールド」とか「ポポンS」なんてのを思いつきで飲むようになったのだった。疲れると口内炎が出来やすく、それはヴィタミンBが不足しているから、とそのへんがきっかけだった。

 最初は日本から持参してチェンマイに通っていた。始まりは口内炎の薬とか正露丸と同じ常備薬の感覚だった。しかしそれらの万が一飲むものと違って毎日1錠でも飲んでいれば親しみが増してくる。いつしか最も身近なクスリ(?)となっていった。ところが日本の薬は高くて少量だ。一ヶ月滞在のつもりで30錠入り「ポポンS」をもって出かけたが、滞在を二ヶ月に延ばしたため切れてしまい(以前は帰りたくなくてよくこんなことをしていた)、ないとなるとなんとなく口寂しく、チェンマイの薬局でそれらしきものを代役として買うことになる。
 当初、なかなか話は通じなかった。発音的には──それは結果として知ったことだが──「マーチ、ウィッタミーン」になる。タイ語の発音にヴィタミンはない。ウィッタミーンである。通じなかったのはAかみBかと聞いてくるからだった。マルチが通じないから、ぼくはAかBかに対し「タンモット(ぜんぶ)」と言った。それでやっと通じた。通じなかったのはつまり、そんなものを飲む人が当時のチェンマイにはいなかったからだろう。商品はあるにはあったがみな埃を被っているような状態だった。いまはずいぶんと普及している。
 そうして写真のようなものが出てきた。それがタイ製だとあまり信じない(失礼)のだが、さいわいにもみなオーストラリア製やアメリカ製だった。迷わず購入することになる。しかも100錠入りで値段は日本の半額だった。3倍の量で半額だから6分の1になる。学理的なことはわからないが、ぼくはヴィタミンをあれこれ集めて錠剤にしたものがそんなに高額になるとは思えない。西洋の知名度のある会社の商品がチェンマイで安く買えるのだから日本製品は高額設定をして暴利なのだろう。実際含有量や成分を見ても変わりはない。薬学に詳しい人が「外国製品のヴィタミンは粗雑粗悪なもので、そのてん日本製は良質のヴィタミンを配し」と説明してくれれば納得もするが。いや、れいの毛生え薬のリアップだが、有効成分ミノキシジルが5%入ったアメリカ製だかドイツ製だかの本物がインターネット通販で安く売られている。1万円で3本ぐらいか。なのに日本では1%のリアップが1本6000円取っている。どう考えてもとりすぎだ。獨占契約しているリアップ(=大正製薬)がおかしい。やはり日本の値段設定は特別なのだ。

 そんなわけで、それまでは日本製の「30錠3000円」を、気が向いたときに購入して飲んでいた。日本でも外国でも切らしてしまうとしばらくは飲まず、あらためてまた外国に行くとき常備薬気分で買ってゆくような感じだった。いわば思いつきで、とぎれとぎれの摂取になる。それがチェンマイで、オーストラリア製「100錠1500円」を二箱買ってくるようになり(半年分)、三ヶ月に一度はチェンマイに通って買い足すから、以来それが切れることなく何年も続くようになった。あれば飲む。毎日1錠マルチヴィタミン剤を飲み続けることが、そういうコツコツ型が出来ないぼくには珍しく、切れることなくここ何年も続いていたのだった。こんなに続いたコツコツ習慣は他にない。
 果たしてそのことによる薬効があったのかどうかは定かでない。つまり、悪くなって飲んだなら、治ったから効いたとなるのだが、とくに悪いところもないのに飲んでいるから、実はそれが悪くならない効能があったとしても実感がないわけである。ただ、ふりかえってみると、たしかに口内炎等は出来なくなっていた。何年ぐらいか記憶にないのだが、どんなに短く見ても丸三年以上、千日以上欠かさず飲んだのだから、ここは素直にそれなりに健康に役立っていたと考えるべきか。

 昨年二月に北京から帰国して以来、外国に出ていない。昨夏、外国に半年行かない日々が続き、何年ぶりかでそのマルチヴィタミン剤が切れた。チェンマイに行くらいぶさんに買ってきて欲しいと頼んだ。らいぶさんは買ってきてくれたが東京で会う機会がない。
 らいぶさんに、頼んでおきながら受け取らないというまことに失礼な時間が続いた。すみません。
 飽きっぽいぼくには珍しく何年も続いてきた習慣だったし、ここで中断するのは心残りでもある。世は大のサプリメントブームであった。らいぶさんの買ってきてくれたものが手にはいるまで、つなぎにひさしぶりに日本製を買って飲むかとも思った。でも安価で見栄えもいい外国製品に慣れてしまった身には、あきらかに高い値段と思えて抵抗がある。正当な高さなら納得するのだがどう考えても暴利と思えるのだ。飲み慣れたものが明日にでもらいぶさんと会えば手にはいるのだからと買わなかった。
 結局そんな日が続き、いつしか飲まないなら飲まないで平気になってしまう。ぼくの三年か五年かわからないけれど、一日も休まず飲み続けてきたマルチヴィタミン剤を飲む習慣は昨夏から途切れてしまったのだった。

 そうして、これが書きたかったことなのだが、飲まなくなって一二ヶ月した後、ぼくは両膝の関節痛を経験したのだ。
 朝起きあがるとき両膝が痛いのである。歩くのに「いてて」となるぐらいだ。初めて知る痛みだったが、それが膝の関節痛であることは容易に理解できた。自分の体がそこまで年老いたのかとそれはそれでショックだった。
 折良くテレビではそんな薬のCMが始まっていた。四十ぐらいのタイトスカート姿の女が、普通に歩いていて膝の痛みを感じ、ウッと立ちすくんでしまうというものである。そこに「年齢と共に関節がすり減り痛みを感じるようになる。そんな人のためになんとかかんとか」とナレーションが入る。飲み薬のようだ。今までもあったのかも知れない。無縁なぼくが気づかなかっただけで。でもぼくはそのとき初めて、「年を取ると関節がすり減り、痛みを感じたりするようになる」と知った。そんな人がけっこういらるしい。自分もそのひとりなのだと。
 その後テレビでイソノキリコの発言を聞いた。いつものようヴェラエティ番組で二十歳前後のタレントに三十九歳のイソノが、「あんたなんかわからないでしょうけどね、あたしなんか朝起きたとき両膝の関節が痛むのよ、あんただって年取ればわかるわよ!」とおばさん発言して笑いを取っていたのだ。今までなら聞き過ごしたそれも、自分が体験していたから身近に感じた。そしてまたまだ三十九歳のイソノがすでに痛みを感じていることに驚いた。

 マルチヴィタミン剤を飲まなくなって半年が過ぎた。両膝の痛みは出始めてから四ヶ月ほど続いている。その間、可能な限り思いつくと膝の屈伸運動などをするようになった。日課の立ち読みの時も、立ち読みしつつつま先屈伸をやったりしている(笑)。これはこれでいいことだろう。まだ治まる気配はない。テレビCMからもわかるようにこれは病気というよりも年齢的な衰えなのだろうから気に病んではいないがなにしろ今までなかったのだから愉快ではない。
 きょうからまたマルチヴィタミン剤を飲み始める。もしも薬効というものがあるとしても一二ヶ月先だろうが、もしかしてこの膝の痛みを抑える効能があるのかもと、初めて期待している。今までは飲み続けていても予防薬のような気休めで目的がなかった。今回は明確に「膝関節の痛み」がある。テレビCMでやっているのも飲み薬であり、中身はそういうサプリメントであるから、同じようなもののはずである。このなんでもかんでもつっこんであるマルチヴィタミン剤と被るヴィタミンも多いだろう。
 ぼくの膝関節の痛みは、マルチヴィタミン剤摂取によって抑えられていたのだろうか。もしも飲まなかったら四十でもう経験していたのだろうか。今回、飲むのをやめたために出てきたのだろうか。飲み始めたらそのうち治まる効能があるだろうか。
 あるいは、マルチヴィタミン剤なんてなんの効き目もなく、今までもなにも抑えてはいず、五十になったから出てきただけなのだろうか。いくら飲んでもそんなもので治まるはずなどないのだろうか。
 ともあれ、これから毎日飲むこれに、どんな効き目があるのだと楽しみがもてる。
04/2/23


いろいろと切り替え時
──品切れ気味の文房具

 体のあちこちにガタが来始めたように様々な小間物がちょうど切れ時のようである。
 この小間物ってことばも使わなくなった。「小間物屋」って店があったしむかしはよく使っていた。とはいえぼくも思い出したから使っただけであってそれが日常であった世代ではない。小間物屋の大型化したものがいまのホームセンターであろう。小間物は広辞苑では《目貫(メヌキ)・小刀や化粧品などのこまごましい品物。「―屋」》となっている。

 ぼくは接着剤、クリップ類、蛍光ペン、ホッチキスと針、サンドペーパー、ガムテープ、結束紐のようなもの、考えればいくらでも思いつくだろうが、とにかくそんなものが大好きだから、あれこれと買いそろえ、切れることのないようこまめに補充してきた。
 きょう足りなくなったのは接着剤なのでそこに絞って書くと、瞬間接着剤、紙用、木工用、ゴム・ガラス用、エポキシ系といくつものタイプを買いそろえていた。それらは使い掛けでも保存しておけばしばらくは保つ。時間が経つとダメになる。だから木工用を使うときに使いかけの瞬間接着剤が固まって使い物にならなくなったなと確認したら捨て、翌日には補充し、同じく瞬間接着剤を使うときにゴム用ボンドがそろそろだと思うとあたらしいものを買い、といつも複数のものがスタンバイしていたのである。(いま「スタンバっていた」と書こうとしてやめた。タナカマキコの「パニクっておりまして」をうつくしいと思わないのだからこの種の言い回しは自粛せねばならない。)瞬間接着剤だけでもかなりの数を持っていた。あれはあれでゼリータイプとかハケで塗るタイプとかいくつか種類がある。

 田舎住まいであること、この住まいがぼくのものではなくいずれ出て行く場所であること、そのこともあって本棚を始め収納家具が不足していること、それらの理由でもう何年もぼくはそれら小物を消費する一方で補充をしなかった。それでもそれまでの蓄積はたいへんなもので、瞬間接着剤など、使いたいと思ったとき、一個がなくなっても、たしかあの引き出しでも見かけたと思って開ければ必ずあり、二つの机と数個の小物入れ、時には薬入れや外国に持って行くポーチとか、記憶にある場所を探せばどこからでも出てきて合計10個ぐらいはもっていた。その最後のひとつをきょう使い終った。いまぼくの部屋には瞬間接着剤がない。もしかしたらそれはあの画期的な製品が発売になってから何十年、初めてのことかもしれない。(初めての瞬間接着剤アロンアルファが発売になりさかんにテレビ宣伝をしていたのは三十年ほど前か。)
 餘談ながら瞬間接着剤は外国旅行の必需品である。指先に出来たささくれを治したり、ふいの切り傷でもバンドエイドよりも役だったりする。

 同じような形で増えてきたハサミやねじ回しセット、ラジオペンチ、カッター等の消耗しないものは減らないから今も存在し続けていて、六畳二間の部屋の中、ハサミなんて八カ所ぐらいに置いてある。手を伸ばせばどこにでもある。ハサミはそんなにあっても使わないようだけど、何かを切ろうとしたとき、いつでも手の届くところにハサミがあるのはけっこう便利だ(笑)。
 むかしから工作好きだった。いつも各種接着剤を用意していた。瞬間接着剤だけではなくその他のものも補充していないから様々な接着剤がいま品切れ状態にある。こんなことは初めてだ。

 こういう形の切り替え時ってのもあるんだなとちょっとした感慨を覚える。それだけここ何年かぼくは活動せず眠っていたことになる。
 七色揃っている蛍光ペンも色がかすれ気味のモノがある。競馬で毎回買うから赤ペンは異常に多い。補充しないため切れてしまったいくかつの文房具的モノのあいだで、この蛍光ペンと赤ペンはあたらしいものが揃い、むしろあまり気味である。それだけ補充の機会が多かったということだろう。その他の行為と比較しても、名刺整理はまったくやらなくなったし(以前はホルダーに入れてこまめにやっていた)文章を印刷しステップラーでとめるようなこともすべてパソコン保存になって激減している。ステップラーの針はまだ何箱かあるようだ。これなんかアサ芸の整理以来まったくつかっていない。そのてん競馬はいくら遠ざかっても何ヶ月に一度かは競馬場に行く。専門誌を塗り分ける蛍光ペンは必需品だから切れることがない。これはこれで生活の反映になっている。
 時間があったら「文房具再整理」をしよう。まずは明日、何種類かの接着剤を買ってこよう。

【附記】 ホチキスは商品名でありステップラーが正しいのだったと思いつき、最初そう書いたものを直した。その指示があるかと二つの電子辞書を引いた。ともにホッチキスが発明者の名であるとは説明してあるが正しくはステップラーだとは書いていない。和英辞典にやっとホチキスの英語名?としてステップラーが出てきた。どういうことなのだろう。
 とはいえこれらの辞書は古いので最新のものにはあるようにも思う。そういえばれいの『書き屋のためのATOK辞書』をハードディスクを換えたため入れていない。そのうちまたDownloadして試してみよう。

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