02/5/11
K-1MAX


 きょうはK-1ミドル級の日である。もっとも選手の多い体重層ということから「K1-MAX」と名つけられている。
 優勝するのはムエタイのガオランだろう。ヤツの強さはよく知っている。先日の公開練習でもヘビー級の連中がそのキックのしなり具合としなやかな伸びに度肝を抜かれていたと報じられていた。ちょっとムエタイのすごさは群を抜いている。あれを見ると日本の空手大会が武骨で直線的すぎて見られなくなるほどだ。中でもガオランは逸材だ。迎え撃つ日本のチャンプはマサト(どんな字だっけ)、フツーの日本人であるおれとしては雇比類巻き--おい、どうした、姓名に関しては不要なほど充実しているIMEなのにコヒルイマキが出ないぞ。かなしいなあ。てことはこひるいまきかおりは過去の人ってことか。

 午後三時から、午後七時からの中継を盛り上げるための宣伝番組を見る。武道館での試合開始は午後四時だ。前回、深夜の中継だったのに13%とか、プライムタイムに換算したら30%以上の数字を取ったことがこの積極的なばんせんにつながったのだろう。おや、番宣と出なかった。単語登録する。番組宣伝の略で業界語だが最近のIMEはやたらこんなものに強いから出ると思っていた。なんでもモーニング娘。の名前は全員フルネイムで違わずに出るそうだ。今これ書いたら、もーにんぐむすめで変換すると、ちゃんと〃。〃がついて出てくる。くだらねえなあ。

 と脱線してきたので脱線ついでに。
 先日久しぶりにクイズ番組を見た。自分の脳みそがどれぐらいなのだろうと興味のある若い頃(=どれぐらいかわからないので不安な時期)は、大のクイズ番組ファンだった。高解答率に自信を持ち、答えられない問題には劣等感を抱いた。当然そういうときは、自分よりも年齢が上で博学そうな人が答えられない問題に答えられたことに満足し、地味な主婦が知っていた問題を答えられなかったことに不快になったりしているわけだ。自分のランクを探っていることになる。自分はどの辺の人間なのだろうと。

 そのうち自分に自信を持つに従い、そんなことはどうでもよくなり、見なくなる。クイズ問題なんてのはそんなものである。クイズ王なんて人の顔を見れば解る。なにかにすがろうとして生きている顔だ。イチモツに真珠を入れる男と同じ顔をしている。その点じゃぼくの大嫌いなバックパッカーもクイズ王も同じ人種である。いうまでもないことだが、自分に自信を持つのは、自信を持つほど賢くなったとかそういう尊大な意味ではない。自分なりに、自分レヴェルで生きればいいとの割り切りが出来た、という意味だ。人生の開き直りか、〃立って半畳、寝て一畳〃の心境と言えよう。

 だいたい昔も今もぼくの苦手問題の傾向は決まっている。料理がダメだ。「なんとかをかんとかして作るイタリア料理は?」なんて問題を、その辺のネーチャンですら答えられているのに知らなかったりする。ものすごく恥ずかしい。悔しい。といってもそれは常識なのではない。最近若者の間で流行っているものなのだ。古い例だが、ティラミスとかナタデココなんて、〃そういう文化圏〃にいなければ知るはずもない。そしてもう最近の若者は知らない過去になっている。くだらん話である。

 先日、久しぶりになんとなく見ていたら、もう全問正解で我ながらすごいなあという辺りで、くだんの「モーニング娘。問題」が出てきた。たくさんの名前を並べ、メンバーでないのは誰だ?って、わしゃ誰がメンバーかもしれんなのに、そんなことしりまっかいな。もしもそこに出場していたら、それまでに稼いだたくさんの賞金をそれで全額パーにしたことになる。なんだかね、世の中そんなものだ。だからといってわたしは、もしもの時のために今から彼女らの名前を覚えるなんてことはしませんが。

 話もどってK-1。
 その番宣を見ていたら、ガオランの出身地の村がガオセン(意味は90万)で、それを10倍豊かにしようと彼はリングネイムをガオラン(900万)にしたとやっている。はあ? ガオランてタイ語の900万のことだったのか。だとすると、すこしでも現地語に近くカタカナで表記したら、カアオ・ラーンだろうな。90万もカアオセーンだ。これらは間延びするのでちょっと強そうにガオランと言うことにしたのか。これは沢村のキック時代からよくやっていたことだ。結局かわっていないんだね、こういうセンスは。どうでもいいことだけどガオランと発音しても、タイ人にはゼッタイに900万の意味には通じないやね。ぼくはコーカイをガと濁ることには反対なんだけど、そう発音する日本人は多い。有気音無気音の区別をそれにしてしまえば楽だからだろう。
 んなことはともかく。
 決勝はマサトと、え~と、単語登録するかな、魔王、に、裂ける、一斗缶と書いて、魔裂斗、とハイ出来ました。魔裂斗です。本名は小林雅人君ね。その魔裂斗とガオランだろうな。個人的にはコヒルイマキ、あ、これもつくらんと。小比類巻とガオランの準決勝が楽しみだ。

 この一時間の番宣はたしか前回もやっていた。見た覚えがある。それで高視聴率を取ったから今回もやったのだろう。と言ってしまえば簡単だが、やる側からするとテレビ局のこの姿勢はうれしいだろうなあ。局の姿勢を見ると、日テレ、TBS、フジのPride、K-1、みんなしっかりとやっていて、やはりいちばんだらしないのがテレ朝のプロレスだ。関西だとABCか。猪木が怒るのがわかる。秋から全日はフジが中継するらしい。テレ朝がこの世から消滅することを願っている身としてはどうでもいいが。

 本番まで仕事しよう。



 見終って。
 決勝はガオランとオランダのクラウス。それもあっけなくクラウスが1ラウンドノックアウト勝ち。ヘビー級のK-1にたとえるならパンチだけのベルナルドが優勝したようなものだ。新聞もテレビもピーター・アーツの直弟子愛弟子みたいなことを言っているが、それは事実と違うからやめたほうがいい。ほんとにいいかげんだ。パタヤでちょっとおしえてもらったってだけでしょ。だいたいアーツタイプのファイターじゃないから無理矢理そんなことをいって繋いでも意味がない。

 格闘技における究極の技は「顔にパンチ」である。なんでもありが盛んになればなるほどそれが鮮明になってきてつまらんなあと思っていたら、今回も結局はそれになってしまった。
 キックでいうなら沢村の真空飛び膝蹴り、数年前のアーツの右ハイ、今のミルコの左ハイ、プロレスの大技のあれこれ、関節技、といろいろあっても、闘いにおける究極の決め技は顔面へのパンチなのだ。プロレスファンとしてはそれをかいくぐっての関節技に夢を馳せたいところだが、そうではないことをこれだけ見せられ続けてくれば、わたしのようなバカでもいいかげん学ぶ。高田がキタオを(おお、北尾も出ない。忘れられた人だ、元横綱。かなしいぞ)右ハイ一発でしとめたとき、キック関係者が、あんなふうにきれいに決まるのは自分たちでも生涯に一度あるかないかと言っていたことを思い出す。そうなんだよな、現実はもっと地味なんだ。腹や足へのキックじゃ何十発もかかることも、顔へのパンチなら一発でかたがつく。
 日本人優勝ではなかったが、それでも決勝戦がノックアウト決着になったからよかったのか。

 中量級を盛り上げようとする連中が、ヘビー級よりも早いし見応えがあると言っていたが、それは違う。K-1の魅力は「大男たちの連続するノックアウトシーン」なのだ。それがなんでもかんでも小柄になってしまっている時代を引き寄せた。その点に関して、馬場やブロディの言っていたことはまことに正しい。うっちゃんなんちゃんの真ん中でつかまった宇宙人みたいになって会話しているライガーなど誰が見るものか。お笑い芸人よりちいさいプロレスラなんて笑えない。また芸能人てのが、本来顔デカ五頭身と決まっていたのに、とんねるずあたりからお笑い系までおおきいのが多くなってきた。お笑い芸人が180以上あったらいかんがね。

 格闘技は競技者の体型が小さければ小さいほど技術水準はあがるが、豪快さに欠けてゆく。それはK-1の魅力の根源であるノックアウトを減らすことになる。と案じていたら、やはりそうなった。選ばれた男たちの3ラウンドじゃKOシーンがほとんどない。格闘技の大会としてみた場合、前回の日本代表決定戦のほうが、大味で雑でいいかげんだったけど、派手な技やノックアウトシーンが連続して、ずっとおもしろかった。もちろん今回のほうが技術水準は高く、目の肥えた人には見応えがあったろう。だけどそれじゃ高視聴率を取れなくなったボクシングと同じになってしまう。自分よりも小さい、50キロもない痩せこけたのがデカパン履いて延々と殴り合いならぬ交わし合いをやる試合を誰が楽しむだろう。真剣勝負イコールおもしろいとはならない。男のチビでかっこいいのは騎手だけだ。

 K-1はやっぱりヘビー級であり、ノックアアウトシーンがあってこそのものと確認させられた大会だった。

 ガオランのことも書いておかねば。
 本場のムエタイを見ているとなんともつらくなる。絶対に倒れないからだ。観客にとってあれはスポーツではない。闘犬や闘鶏と同じ賭け事だ。一試合に関してではなく、一ラウンド毎に金をかけ、一発が決まるかどうかで大金が動くのだから会場は沸く。ひたすら倒れまいとする子供の時からそれ一筋にやってきた連中が、体中痣だらけになりながらフルラウンドを戦い抜く。あの体は美しい。ボディビルなどで作ったものとは違う。正に一分の脂肪もない鋼の体だ。ムエタイに派手なノックアウトシーンはめったにない。何十回か通っている内に、わたしはその我慢比べを見ているのがあまりにつらく、いつしか離れてしまった。観客も賭としてやっているからあれだけ熱狂しているのであって、もしも賭が禁じられたなら、タイ人がどこまでムエタイを愛しているかはちょっと疑問になる。そりゃ国技としての誇りはもっていようが。サッカー熱もたいへんなものなのだが、あれもまた賭として成立しているわけで。

 絶対に負けられないガオランのいつもの勝負形式は、3ラウンドまでを流し、そこから勝負をかけるものだった。3ラウンド制の今回それは出来ないが、スタミナなら無類である。一発が決まらず延々と続いていったならどこまでいっても負けなかったろう。だがキック用のガードをするキックボクサーは蹴りを意識するから上部のガードがあまくなる。シウバの構えが典型的だ。そこにボクサークラウスのパンチが決まった。我慢比べ形式の試合をするムエタイファイターが、懐の内側に飛び込むボクサーの一発に負けた試合だった。
 国民的英雄のガオランは屈辱に頬を染め、ムエタイなら負けない、タイに来いなんて言うかもしれない。これはこれで異種格闘技戦だったのだなと思い至る。その意味じゃクラウスはK-1専用ファイターであるアーツの見事に弟子であったことになる。
(02/5/12)
 朝サンスポを読んだらガオランが、やはり「ヒジのあるムエタイなら負けない。それでもういちどやりたい」と言ったらしい。悔しさは解るけどそれを言っちゃダメ。ヒジはソーク、だったな。復習。膝はカーオ。このカーオはカタカナで書くと同じ「カーオ」が九つあるんだ、たしか。

 そんなことを考えると、やはりミルコはえらい。すごい。異種の舞台に立って結果を出したもんな。こわかったろう、そりゃあのゴリラみたいな藤田と闘うときなんかは。でもまったくびびらないあの心の強さはすごい。数年前、K-1初登場のミルコを見て、知人が、こいつは何人か人を殺したことがあるはずと言った。現職警官として現場で犯人を射殺するようなことは経験済みなのかもしれない。それだけ肝っ玉が据わっている。ま、かっこいいわ。

 ガオランは幼い頃から苦労してのし上がってきた人だから、もっと顔に心の強さを求めたのだけど、意外に気弱そうな顔をしていた。もしかしたらアスリートとして天才肌なのであって、心の強さで勝ってきた人ではないのかもしれない。まあそんな言いかたをするなら、貧しいイサーンの十人兄弟のどうでもいい八番目なんてのが口減らしで始めるのがムエタイの基本だから、心の強さは誰もが持っているわけで、ガオランは天才肌の青年なのかもしれないな。
02/9/22

K-1ジャパングランプリ
02/9/22)

 夜、「K-1ジャパングランプリ」。毎年K-1の中でも最もおもしろくない大会だ。石井館長のすごさは、日本人スター選手がいなければ絶対に成功しないと言われる日本における格闘技の大会を、日本人スター選手なしに成功させてしまったことだ。前田から手法を盗んでいた頃は佐竹を育てたりしてそのことに腐心していたが、まるで雪だるまのように、良い方向に転がり始めたら、外人選手がスターとなって行き、むしろ泥臭い日本人選手のいないことがオシャレにさえ感じられてきた。運の強い人はなにをやってもうまく行く。先導していた前田は、山本や田村を中心にすえようとしたがうまく行かなかった。これは競技として地味だったからで、あの種の決め技大会でロシア人スターを作り出すのには無理があった。
 K-1のKは何のKかとよく言われるが、最も魅力的なKがノックアウトのKであるのは間違いない。ヘビー級のボクシングでしか見られなかった大男同士の壮絶なノックアウトシーンを連続させるのだから(しかもパンチのみならずキック附きだ)K-1が人気になったのは当然至極だった。

 今回見たかったのは特別試合の「ボブ・サップ対シリル・アビディ」。いつやるのかと録画しつつ見始めたら、なんと真っ先に放映した。いいねえ、この出し惜しみしない姿勢は。
 最初からアビディが背中を見せて頭を庇う試合放棄状態。アビディも191センチ、101キロある。大男だ。それだけサップの圧力はテクニックを越えているのだろう。何よりもまずパワーが原点なのだと思っているプロレスファンとしては納得も行く。そしてまたこれをあれほどのダメイジを受けながらギブアップさせたノゲイラのすごさよ。そのノゲイラを発掘してきた前田の無念を思う。
 そのノゲイラもサップとの試合はいやがっていたと信頼すべき筋から聞いた。PRIDE王者でありながら猪木との線から「Legend」に出たため、ペナルティとして逃げられない状態に追いつめられたとか。でも結果として受けたし、勝ったのだからたいしたものだ。ノゲイラしか出来ない。いやヒョードルならやれるか。
 元々がプロレスラのサップはプロレス転身(復帰か)を望んでいて、全日が獲得した、いや逆転して猪木が新日にもっていったなんて話が紙面を賑わしている。いつ廃人になるかわからない高額ファイトの単発ガチンコ勝負より、年間何週と契約して続けられる安定した職場であるプロレスのほうを望むのは人間の情だろう。プロレスに復帰したならサップの魅力は一気に消えて行く。ルールを守る野獣派プロレスラとして落ち着いてしまうだろう。たとえば全日に行ったなら、WWC時代のスターだった武藤に敬意を表して(武藤はサップは前座レスラだったと軽んじている)腕ひしぎでギブアップするようなことを受けるだろう。だからこそ今の輝きは貴重なのだ。しかしK-1側としても、このままでは「どんなK-1戦士も圧倒的パワーの前には歯が立たない」との評判が立ってしまってまずい。次の対戦相手にはホーストが予定されている。これまた195センチの大男だ。その次がマーク・ハントらしく、これまた楽しみだ。ホーストのローキックでサップが戦意喪失するなんてことがあるのだろうか。ハントとのどつきあいならあれだけ身長で勝るサップが上からねじり込んでしまうと思うのだが。そりゃサップでもハントのパンチがもろにあごに入れば倒れるだろうが、届くだろうか。たったひとり大好きなスター戦士がいるだけで、格闘技はこんなにも観戦の楽しみが増える。ノゲイラの次にサップを倒すのは誰なのだろう。K-1側の最終兵器はレバンナか。

 あとはもうへのような試合。テープがもったいないので消した。ジャパングランプリの前途は多難である。やはりなあ、日本人の大男ってのは外人のように素早く動けないのだろう。UWFの頃、誰もが「あの身長、あの体重であそこまで動ける人はいない」と前田を絶賛していたのを思い出す。
03/3/30
K-1さいたま大会「サップ対ミルコ」
(03/3/30)


K-1世界GP2003さいたま大会対戦カード
(3・30、さいたまスーパーアリーナ)
ボブ・サップ(28)
(米国)
vs ミルコ・クロコップ(28)
(クロアチア)
ピーター・アーツ(32)
(オランダ)
vs ステファン“ブリッツ”レコ(28)
(ドイツ)
レイ・セフォー(32)
(ニュージーランド)
vs ペレ・リード(30)
(英国)
レミ・ボヤンスキー(27)
(オランダ)
vs ビヨン・ブレギー(28)
(スイス)
ヤン“ザ・ジャイアント”ノルキヤ(27)
(南アフリカ)
vs エヴジェニー・オルロフ(24)
(ロシア)
アーネスト・ホースト(37)
(オランダ)
vs ジェファーソン“タンク”シウバ(25)
(ブラジル)
 たまらんなあ。

両者比較表
ボブ・サップ 名  前 ミルコ・クロコップ
1974・9・22
28歳
生年月日 1974・9・10
28歳
米国 出身国 クロアチア
チーム・ビースト 所  属 クロコップ・スクワッド
ビースト・フック 得意技 左ハイキック
K-1世界GP2002ベスト8 主なタイトル K-1世界GP99準優勝
2m、171kg 体  格 1m85、85kg

 二人は誕生日がほんの十日しか違ってない。色白ロシアとアメリカ黒人である。日曜の夜が今から楽しみだ。サンスポはずっとミルコの体重を85キロと間違って出したままだが早く訂正すべきだ。正しくは103キロぐらいか。それともう警官は辞めたのだから「クロコップ」というリングネームもやめたほうがいい。

 夜十時から待ちに待ったK-1中継。放映開始からフジがサップで引っ張る引っ張る。いかにも次がサップの試合のようにして引っ張り、さあ始まるかと思わせて別の試合。実際にサップが出てきたのは十一時半。テレビ局のこういう演出が入らない、会場にいるのと同じ試合順でごく淡々と観たいと痛切に感じた。いよいよ時代遅れの私も衛星だのケーブルを導入する時期か。

 サップの負けは芸能活動中心の練習不足とか言われているが、元々技術のない彼の試合はあんなものだ。誰もがその突進力に押されてしまいアビディやホーストのように追い込まれた。そうして勝ち続けてきた。ミルコもあの圧力には抗しがたく押しまくられていた。ミルコが今までサップに敗れたK-1ファイターと違っていたのは、総合で闘うことにより度胸のすわりかたが一枚上だったからだろう。

 「月刊プレイボーイ」にクロアチアでのミルコのインタビューが載っていた。地元の記者がロシア語でインタビューしたからか、通訳を通したものとは違った興味深い記事になっていた。今まで読んだミルコのインタビュー記事でいちばんよくできている。
 そこでミルコはあのゴリラのような体型の藤田と闘うことがいかに恐怖であり決断だったかを語っている。藤田のコミカミに見舞った膝蹴りが百分の一の確率で決まった、今も思い出す奇蹟的な会心のキックであったかを。もしもあれがなく、タックルで倒され藤田にのしかかられ敗れていたなら(当時のミルコは今のようにレスリング技術に長けていない)今のミルコはない。
 サップが泣きそうな顔で沈んで行くのが印象的だった。〃いい人〃である彼にはミルコのような鉄の意志がまだ備わっていなかった。ミルコは言っていた。「彼を倒すなら、技術のない今しかない」と。勝ったとはいえ、身体能力の高い大きな男の怖さをいちばん感じたのはミルコだろう。サップの価値は落ちていない。彼にやる気があるなら、これからが出発だ。

 この一戦への興味からさいたまドームは超満員となり、石井館長脱税逮捕を受けて取り仕切った角田が感動泣きしていたが、客観的にはずいぶんとひどい試合が多かった。まともだったのは早い動きを見せたステファン・レコぐらいで、ホーストもセフォーもひどかった。セフォーはパワーアップのために意識して111キロに増やしたのだろうか。腰の周りの肉がだぶついて見えた。その他はお粗末すぎて触れる気にもなれない。巨人二人の試合など口にする気にもない。結局K-1のおもしろさもベスト8クラスに限られている。メインの一戦がなければテレビを観てもあくびをしていたろう。

(3/31)
 ミルコが次はヒョードルとやりたいと明言。なんという果敢な精神だ。感服する。立て続けにレスラを破り、総合で闘うことに不安がなくなったのだろう。それにしても、こういう形でのし上がった人は、みな保守的になるのにミルコはすごい。K-1に専念するとか、地元の英雄として地元開催でもやっていれば安泰なのだ。なのにこの人にはそれがない。K-1どころかPRIDEのチャンピオンベルトが欲しいという。今二十八歳。なんとも苛烈な戦闘精神である。ファンであることが誇らしくなる。
 勝ち続けると共に言うことがでかくなり、ファイトマネーの要求額が大きくなったと関係者には不満が多いようだが、あれだけの実績を残せば当然だろう。勝者にはその資格がある。
 
 次々とプロレスラが倒される中、彼と引き分けたのが高田総裁である。となると総裁がサップと闘ったら同じくサップを秒殺か。まさに「最強」だ。いや総裁はサップが秒殺した田村にノックアウト負けしてるからなあ。この三段論法には無理がある。
 無理な冗談はともかく。ミルコは藤田を絶賛し高田をボロクソに言う。寝転がった高田にミルコが向かって行かず引き分けた当時、石井館長は「寝技に行かないミルコにも問題がある」とこれまたものすごいコメントを出した。すごいわ館長は。そういう発想だからあれだけの金を稼げたんだね。当時のミルコは「おれはストライカーだ」と言って寝技にはつきあわなかった。怖かったと正直に言っている。今のミルコなら高田が寝ころんだらそこにも攻め入って勝ってしまうだろう。総裁はいい時期に引き分けた。
 桜庭と闘うときでさえ私はミルコ贔屓だった。だがヒョードルとやったらヒョードルが勝つのではないか。彼の倒す技術は並ではない。立ち技であの左ハイが決まったらまたもミルコの秒殺だろうが、ヒョードルはうまくミルコを倒し、あの必殺パンチを振り下ろしてくる。いつ実現するのかわからないが(今年中の可能性もある)ミルコを倒せるとしたらヒョードルだろう。
03/5/4
入れ墨考


K-1ラスヴェガス大会を見ていたら、マーク・ハントが両腕に入れ墨を入れていた。でも自然に感じた。彼はサモア人である。その容貌と入れ墨が合っていた。ただし、今まで入れてなくて今回入れたということは、入れ墨の神通力に頼ろうとする感覚が芽生えたという気弱の証明であり、ファイターとしてはあまりよいことではないだろう。いや「あらたな門出の決意」ともとれるが。

 真っ黒で目立たなかったが〃PRIDEの番人〃元腕相撲世界一のゲーリー・グッドリッジも腕に「剛力」と入れている。これなんかはあちらの人の漢字に対するあこがれだ。わかりやすい。世界中のどこにでもいる。これぐらいはかわいいか。チェンマイでも外人から「自分の名前を漢字で入れたいのだが、どういう字になるか」と何度か尋かれた。でもこれってあぶないよな。たちの悪いのが関係ない字を教えたらどうなるのだ。

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 ぼくはマイク・タイソンが嫌いである。いくら強いボクサーでもあの白痴顔は受け入れがたい。彼の全盛期はオグリキャップと重なる。並べて語る人が多く、いやだったものだ。オグリキャップは三流血統の田舎馬で顔も大きくかっこよくはなかったけど、智性的な実にいい目をしていた。タイソンのあのバカ顔とは違う。そのタイソンが婦女暴行で刑務所に入り「毛沢東」と入れ墨をして出てきた。刑務所の中で本を読み尊敬したのだそうな。ほんまかいな。頭が痛くなった。ナガヤマノリオを思い出した。今度はとうとう顔にまで入れだした。それはまあ好きにやってください。興味はない。

 入れ墨に関して最近の白眉は(白眉ってこんなとこに使うことばじゃないけど)エンセン井上だろう。デビューしたころ背中に「大和魂」と入れていたときは、かつての藤猛を思い出して好意的だったのだが、時が過ぎると体中に字を書きまくってまさに「便所の落書き状態」。ひどいものである。なにを考えているのか。いったいどいう美的センスなのか。太股あたりの入れ墨を見ると、痛かったたろうなあとよけいな心配をする。いやあれは電気彫りだから痛くないのか。亭主のこんな乱行を妻はどう見ているのか。前夫と離婚してまでエンセンと一緒になった山本美憂も同じような人なんだろうな。わからない世界だ。しかしまあ汚い入れ墨である。

 入れ墨を入れようがどうしようが本人の自由なのだけれど、入れ墨好きにぼくの好きなファイターがいないのも事実だ。パンクラスの謙吾(この字でよかったか?)ってのも大嫌いで、その基本も顔。あれも智性のかけらもない顔だ。あいつがまた入れ墨好きでデビュー前から彫っていた。今回猪木が発掘してきたマチダリョートのデビュー戦につきあったが、見事に入れ墨が増えていた。思うにああいうのは、ぼくのパソコン改造バカと同じで、やっているうちにもっともっとと歯止めが利かなくなるのだろう。問題なのはそれを彫るキャンバスが自分の体というひとつしかないものであり、そして入れ墨というのがきれいに消すことは出来ないものであることだ。

 しわしわ年寄りの入れ墨ってのはみっともない。といって年を取ってからのことを考えて入れ墨を入れないなんてのもナンセンスだ。好きな人は好きなようにやればいい。ただ、他人様の前に出る商売をやっているのが入れるなら、もうすこし美的センスに凝ってもらいたいと思う。いくらなんでもエンセンのはひどいわ。



 ネットで探したが、マーク・ハントもエンセンも、あからさまな入れ墨写真は見つけられなかった。エンセンが自分のホームページをもっているとは知らなかった。まあ彼だって食ってゆかねばならない。豫想されたように、また格闘家としてカムバックするようだ。とにかくもう彼の体は、上揚写真のような状態ではないのである。とんでもないのだ。新日のテレビ中継の時もティーシャツを着ているときが多い。あれはやはり好ましくないとテレビ局側が考えてのことなのだろう。(あとで見つけたので掲載。↓)



 餘談ながら、ある右翼系のサイトで「大和魂とはなにか!?」のような話になり、年配者(といってもぼくと同じぐらいだろう)が、「若い人は知らないだろうが、かつてハワイの日系二世のプロボクサーで藤猛がいうのがいた。彼の口にしていた大和魂こそ本物のうんぬん」と書いていた。違うでしょ。藤猛もエンセン井上も大和魂がなにかぜんぜんわかってないと思うよ(笑)。こういうふうな年寄りぶった、しったかぶりの路線にだけは走りたくないと思う。(5/15)

03/7/5

K-1 Max03


 土曜の夕方、六時半、スーパーに晩酌の買い物に行く。出発するとき、なにかを忘れている気がした。なにか大切なもの、PRIDEとかK-1とかのテレビ中継があるような……。いや、明日だろうか。いずれにせよ三十分ぐらいでもどってくる。今夜あるとしてもあれは、夜十時ぐらいからの中継だ。みょうに気になったのだが、そう思って走り出した。帰ってきて、すぐに部屋に行けばよかった。それをせず、マグロを自分なりに調理して肴にする。その合間、産經新聞のテレビ欄を見た。午後七時から九時までK-1 Max03をやっていた。うわあ、と声をあげて二階に駆け上がる。母がなにごとかと呆れた顔で見ていた。もう八時近い。ここまできてしまったらしょうがないと腹をくくり、ヴィデオ録画にして階下に降りる。手間暇かけて肴を作った。九時になり終ってから、巻きもどし、酒を飲みつつ、ゆっくりと鑑賞した。二回戦からになってしまった。残念至極である。今度からネットで放映日を調べて暦に書き込んでおこう。インターネットをやっていればスポーツ紙で「いよいよ今夜、K-1 Max03ゴング!」と読み、覚えたろうが、まったくインターネットをやっていなかった。自分の文をアップしてすぐに切っていた。しまった。いまだに悔やまれる。K-1の魅力は一夜トーナメントだからだ。一回戦から見なければつまらない。

K-1 WORLD MAX 2003
7月5日(土) さいたまスーパーアリーナ
開場15時、試合開始16時 観衆=15600人=満員
第9試合 トーナメント決勝戦 3分3R
○魔裟斗 2R2分26秒
左フック
→KO
アルバート・クラウス●
第8試合 スーパーファイト 3分3R
●大野崇
(日本、inspirit)
判定
0-3
セルカン・イルマッツ○
(トルコ)
第7試合 トーナメント準決勝 3分3R
●ドゥエイン・ラドウィック 3R1分33秒
左フック
→KO
アルバート・クラウス○
第6試合 トーナメント準決勝 3分3R
○魔裟斗 2R2分55秒
右アッパー
→KO
サゲッダーオ・ギャットプートン●
第5試合 トーナメント1回戦 3分3R
○アルバート・クラウス
(オランダ、ブーリーズジム)
1R終了
TKO
アンディ・サワー●
(オランダ、リンホージム)
第4試合 トーナメント1回戦 3分3R
●武田幸三
(日本、治政館)
2R46秒
左フック
→KO
ドゥエイン・ラドウィック○
(米国、3Dマーシャルアーツ)
第3試合 トーナメント1回戦 3分3R
○サゲッダーオ・ギャットプートン
(タイ)
判定
3-0
マルシオ・カノレッティ●
(ブラジル、シッチマスターロニー)
第2試合 トーナメント1回戦 3分3R
○魔裟斗
(日本、シルバーウルフ)
判定
2-1
マイク・ザンビディス●
(ギリシャ、メガジム)
第1試合 リザーブファイト 3分3R
○安廣一哉
(日本、正道会館)
判定
3-0
ヴィアチェスラヴ・ネステロフ
(ロシア、極真会館)

03/10/11
K-1グランプリ03開幕戦


 ヴィデオ録画で見た。この種のものは視聴率をあげるために試合順を変える。それが不愉快だし、へんな引っ張りかたをするから、ヴィデオにするのがいい。今回はそれほどひどい試合順変更はしていなかったようだ。それでも「次はサップ、次はサップ」としつこいほどテロップが出ていた。それでもちろんその前の試合が入る。ああいう引っ張りかたが賢い方法とは思えない。サップのいない次はどうするんだ。
 ポタとサップという二枚看板がそろって反則負けになってしまい、12月の決勝戦ははなはだ盛り上がりに闕けることになった。それでも倒れた選手を殴りに行く姿勢は、初めて蹴りと遭遇して取り乱したボクシングチャンプや、雑な試合で追い込まれた末の必死のサップを表現していて、ガチンコ特有のよいものだったとも思う。両試合ともまともな決着を見たかったけれど。
 K-1が曲がり角であるのはたしかだろう。レイ・セフォーもピーター・アーツもノックアウト出来なかった。K-1のKにはケンカ、キックとかいろいろあるがノックアウトが最高の魅力とはよく言われることだ。それも大男に限る。私は中量級のK-1には魅力を感じない。

(後日註・二日後にヴィデオを見直した。今年の優勝はイグナショフだろう。ステファン・レコとイグナショフに勢いを感じる。打たれ強いイグナショフの初優勝と読む。ベルナルドは完全に終った。その意味では確かに世代交代だ。パンチだけの彼がここまでがんばれたことにK-1の秘密があった。K-1の象徴は、右のハイキックのピーター・アーツだったが、彼がパンチだけのボクサーに簡単にノックアウトされてしまうのもK-1の現実だった。キックボクサー贔屓のぼくとしては、イグナショフのようなタイプが台頭してくることはうれしい。今年のK-1チャンプと来年ぜひともミルコの対戦を組んで欲しいものだ。最大の興味はK-1優勝戦よりもミルコとヒョードル戦にある。)

 アナウンサが角田のことを「KAKUDAレフェリ」と濁って発音していたことが印象的だった。彼の姓は正しくは「かくだ」だという。だがアナもタレントもいいかげんだったし、通例から、すくなくとも関東では「KAKUTA」のほうが多かったように思う。今回もタレントはKAKUTAさんといつものように呼んでいた。それでよけいに「KAKUDAレフェリ」と発声するアナの声が耳に残った。
03/11/6


曙K-1へ



 午前三時から仕事。
 すずしいとパソコンを静かにして仕事が出来るのでうれしい。
 朝の六時。テレビのスポーツ紙を紹介するコーナーでニッカンスポーツの一面に載っていると紹介される。急いでネットに繋ぎ2ちゃんねるの格闘技板を開いたがまだスレッドは立っていなかった。ニッカンスポーツのサイトでも、表紙の写真は見えるが記事は載っていない。意図的なのか間に合わなかったのか解らない。今まで噂にもなっていなかったし、いきなりだから、本当ならニッカンのスクープになる。空振りの可能性もおおきい。朝のワイドショーも見てみるが、ニッカン系(=朝日系)のテレ朝がニッカンの記事を紹介したのみで未だ不確定状態。
 それから仕事して読書してすこしうとうと。

 昼。父母から午前中のワイドショーに曙本人がカメラの前で辞めると言ったと聞く。これでガセネタではないと確定した。
 母は外人嫌いだし、曙は日本語も下手だしと認めていなかったが、曙のここ数年の日本語の上達と解説がうまくなったことで父と意見が一致する。この辺がフツーの人と相撲ファンの差だ。曙はみるみる解説がうまくなっていた。貴乃花もそうだが、頂点を極めた人は言葉数とはべつに、その人獨自の視点をもっていて感心させられる解説が多い。秀逸である。角界は惜しい人材を手放した。

 辞めたのは親方株がないからだろう。横綱の特権として五年は角界に残れる。いまは二年半か。まだ半分あるが東関(高見山)はまだ定年まで六年ある。どう考えても今から親方株を取得して親方として残るのは無理だ。先立つものがない。五年の任期が切れたあと、どれかあまっている株(現役力士が所有している株)を借用して東関の引退まで待つという手もあるが……。
 奥さんと三人の子供との先々のことを考えたら、まだ体の動くうちに稼ぎ、ハワイに帰国しようと考えたのだろう。実績、人柄、すべてにおいて満点の人である。それを親方株の問題から追い出してしまうのは角界のシステムの缺陥になる。
 昼のワイドショーで、朝日夕刊に載った東関親方の「裏切られた」との怒りのコメントが紹介されていた。でも親方株がないのだから曙はそうせざるを得なかったろう。責められるとしたら、あれだけの力士に親方株を斡旋してやれなかった東関のほうだ。

 親方株の問題ではアイハラユウを思い出す。曙はあのオンナとつきあったばかりに人生をおかしくした。恋人気分で(実際恋人だったのだが)後援会のパーティに乗り込んできて、「イカ天」の司会気分ではしゃぎまくる傍若無人なアイハラに後援会の誰もが眉をひそめ、「あのオンナと別れないなら」と曙に迫る。曙はアイハラを捨てられなかった。よって後援者から愛想を尽かされ、後援会は解散。二億とも三億とも言われる親方株の購入は不可能になった。やがて曙も目が覚め、アイハラと別れ、現クリスティーヌ夫人と結婚してしあわせな家庭を築いた。そのころアイハラは本を出し当時のことを暴露的に書いている。読んだが同情の餘地はない。その後ニューヨークにわたり、ほとぼりを冷まし、今は本名のオバラショウコのショウコを藝名にして活動しているのだったか。

 落ち着いた曙は、後進の指導に当たり、高見盛を育て、テレビラジオでの解説もうまく好評で、バラエティ番組やCMにも進出していた。それでも「あと二年半で無役になる」との焦りはあったのだろう。あって当然だ。カンコーヒーのCM出演あたりが転機になったのか。
「前々からK-1に興味を持っていた」と発言しているがそれは違うだろう。彼はやさしい。それはミルコやヒョードルの視線と曙の視線を比べれば瞭然だ。やさしい気弱な目をしている。あの人が、人を倒すまでは出来ても、それにのしかかり、とどめを刺すパンチを顔面に振り落とせるだろうか。ファンとして、わくわくするのと同時に心配になる。

 猪木とアリの試合を見て高見山(現東関親方)は嗤ったという。「自分ならぶちかまし一発でアリなんてリングの外にふっとばした」と。
 プロレスファンの私は猪木の試合を嗤われて悔しくもあったが、それを納得させるだけの力が当時の高見山にはあった。相撲力士最強説は昨日きょう出てきたものではない。来日したプロレスラは大相撲を見たがる。あのボグっという頭蓋骨のぶつかる鈍い音のする150キロの肉体が頭から全力でぶつかる稽古を見ると誰もがその迫力に息をのんだ。全盛期の力士の突進の前には、どんなパンチもキックも通用しないだろう。相撲部屋を見学したスタン・ハンセンが、とてもじゃないが自分には出来ないと語っていた。

 餘談。ヨーロッパの名レスラ、オットー・ワンツは本気で力士に転身しようとした珍しい人だった。毎年ドイツで定期トーナメントを開催している名プロデューサーでもある。年齢的なものから断念したが彼の相撲好きは本物だった。日本人も何人か参加しているこのトーナメントで、ある年いい素材がいた。売れないアメリカン・フットボーラーからレスラに転身したばかりのレオン・ホワイトである。日本に来れば伸びるだろうなと思ったものだ。それからしばらくしてTPG──たけしプロレス軍団からビッグ・バン・ベイダーなるゴキブリマスクをかぶった大型レスラが登場した。変身したレオンだった。
 話もどって。

 梶原一騎原作の世界最強を決める格闘マンガには、ブラジルのカポエラ等と一緒に必ず大相撲の力士もエントリーされていた。当時、高見山のプロレスラ転身は色濃く噂されていた。彼はまだ帰化していない外人であったし日本語もあまりうまくない。一方でタレントとしてはマルハチ真綿のCMにでたりしてたいへんな人気を誇っていた。法外な契約金でいくつもの誘いがあった。高見山は行く気でいた。引き留めようとした相撲界から頼まれて直前でそれをストップしたのは、後援会長でありそれだけの力を持っていた笹川良一だった。そのご高見山は笹川良一の世話でよい嫁をもらい(最近不仲だそうだが)親方株も取得して現在の地位を築いた。その彼が育てた外人初の横綱が彼が当時興味を持っていた格闘技の世界に転身するというのは何とも不思議な因縁を感じる。

 貴乃花は引退の時、最大のライバルとして迷うことなく曙の名をあげた。曙はうれしそうな顔で光栄ですといい、貴乃花の最後の相撲を目を潤ませてみていた。闘ったものだけがわかる感情だろう。曙は角界のエリートである若貴兄弟に負けまいと精進し横綱の地位にまでのぼりつめた。曙が横綱になれたのは、なれるだけの力がありながら素行が悪くてなれなかった小錦がいたからだ。小錦を横綱にしないのは人種差別だとの批判があったからこそ曙はすんなりとなれた。北尾が優勝もせず横綱になった問題横綱なら小錦は最高の成績を残しながらさせてもらえなかった悲劇の大関になる。
 ちょうど小錦の本を読んだばかりなので数字が書ける。北尾は優勝経験なく通算三場所(これが昇進の対象になる)36勝で横綱になった。小錦は、13勝2敗で優勝、12勝、14勝1敗で優勝と、2回の優勝と39勝をあげながらなれなかった。あきらかな差別だった。また「相撲はファイトだ」と語ったことを、「相撲はケンカだと言った。品格に闕ける」と曲解されたり、外国人記者が小錦の弟弟子から「日本の相撲界には人種差別がある」と聴いたことが小錦の発言にされるなど不運が続いた。とはいえ、しきりの時、たまりで何度もジャンプしてみたり、旧来の相撲ファンをいらだたせるような行為をしていたのも事実で、この辺の判断はむずかしい。あきらなか人種差別はあったが、その種を小錦の言行が蒔いていたのも確かなのだ。いずれにせよ曙の外人初の横綱昇進は小錦問題があったから叶った。
 貴乃花が優勝を逃した一番はすべて曙との絡みになる。正に立ちはだかる最強のライバルであった。貴乃花は曙に当たり負けしないだけの体を作ろうと無理に体を大きくして肝臓を悪くした。曙の存在は貴乃花の力士人生にも大きく影響している。貴乃花に、唯一最強のライバルと認められ、二人は互いにその存在を感謝しあった。現役時は口をきくこともなかった二人は、ともに引退した身として、今では飲み歩けるだけの仲になった。そのことも角界に別れを告げてもいいと思えるだけの区切りの要因としてあったろう。

 格闘技ファンとしてすなおに曙のフリーファイトを見たいと思う気持ちがある。一方熱心な相撲ファンして、近年めっぽう解説がうまくなっていたし、相撲への愛情を感じていたから、曙に相撲界に残ってほしかった、あれだけの人格者を離してはなるまいとの角界に対する怒りの気持ちもある。これは小錦のときにはまったく思わなかったことだ。小錦は彼のためにも角界から離れて良かったと思っている。曙は、元々心優しい人が、出世するために心を鬼にして精進してきた。獨身でもあった。今は家庭がある。こどもも出来て益々やさしく涙もろくなっている。そんな彼に人を殴れるのだろうか。
 これはまた三代目若乃花の角界からの引退とは異なっている。彼は難なく二子山親方になることが出来た。貴乃花が藤島親方。入門したときから約束されていたことだ。なのに相撲界が好きでないこと、芸能界が大好きであることからの転身である。親方株がないというせっぱ詰まった曙とは原点からして違っている。
 しばらくはまたスポーツ紙、格闘技雑誌をあさることになる。久々の格闘界ビッグニュースだった。


 曙が午後、記者会見をやるという。「曙が午後」ってのは笑えるな(笑)。見ねばならない。何時なんだろう。それがわからないと家から出られない。「午後六時から」と午後のワイドショーで言ったので安心して夕方まで外出する。
 午後六時。日テレ、TBSが生中継。フジはすこし遅れて録画紹介。ん? K-1ならフジじゃないのか?

 深夜。ネットに繋いで調べる。朝はなかったのに2ちゃんねる格闘技板にもいくつものスレが乱立し熱気むんむんだった。一日で満杯の1000になってしまったスレッドがいくつもある。順に追ってゆき、思った。
 それは、K-1ファンと相撲ファンはシンクロしていないってことだ。まあそうだろうな。
 若者だから上記したような基礎的な相撲知識を持っていない。有名力士は引退後、誰もが親方になって食いっぱぐれがないと思っている。誰かが「なんで親方をやめたんだろう。それで安泰なのに」と書き込む。その理由をみんなで推測する。足の速い誰かが相撲関係のサイトを調べて、「横綱経験者は横綱名で五年だけ角界に残れる。親方株がないとそのあとはいられない」なんて規定を見つけてきて自慢げに書き込む。そこから「すると相撲界に残れないからか」という推理が成り立ってゆく。わいわいがやがや。知ったかぶりが半端知識で「AV女優とつきあって親方と不仲になった」なんて書き込む。すぐにまた誰かが調べてきて「AV女優じゃない、アイハラユウだ」と書き込む。すぐに「懐かしいな、イカ天」と反応がある。そうして1000の書き込みのあるスレッド後半は、前半の無知とはちがって、それなりに知識のあるもののやりとりになっている。なんだか赤ん坊が青年に成長してゆく課程を観察しているようで妙におもしろかった。

 その流れで、今年は大晦日に「日テレの猪木祭り」、「TBSでダイナマイト(K-1主催)」、「フジでPRIDE」があることを知る。なんだかすごいことになっている。なんでそんなにおもしろいものを一度にやるんだ。フジは未確定のようだが日テレとTBSは確定だ。K-1だとフジだがダイナマイトならTBSである。それで六時のニュースでもいちばん熱心に長い時間流していたのはTBSだったことに納得する。
 それにしても、TBSで二年連続、あれだけの実績を上げながら、平然と「猪木祭り」を日テレにもってゆく猪木はすごい。この人は金のためならなにごとにもこだわらない。義理も人情も超越している。北朝鮮でプロレスをやる人だ(笑)。私はTBS嫌いなので胸がすいた。TBSは今頃、顔も見たくないと怒っているだろう。この視聴率対決はどうなるのか。

 7日の明け方。やっと下の写真を探し出してくる。ぼくは前々からサップの身長2メートルに疑問を持っていた。他者との比較を見ていると、そこまでおおきくないはずなのだ。格闘界はみな大きく嘘を言う。サバを読むってやつだ。いちばんひどいのはプロレス界だ。185センチはだいたいの場合178センチである。173は165(笑)。その程度上乗せして表記する。その点相撲界は正確な数字を出す。曙は203センチだ。これは正しい数字。サップがほんとうに2メートルあるなら二人の差は3センチになる。そうでないことはこの写真を見ればすぐにわかる。
 テレビでこの並んだ姿を見て、写真を載せたいと思った。そこいら中、ネットはこのニュースでもちきりなのだが、どこを探してもこのポーズが出てこない。やっとYahooのスポーツナビというサイトで見つけた。ぼくはこのサイトを知らなかった。2ちゃんねるの書き込みの中にアドレスが書いてあり、きょう始めていった。その辺のスポーツ紙のサイトよりはるかに充実していておどろいた。こんな便利なところがあったのか。あいかわらずネット初心者である。しかしこれじゃますます新聞が売れなくなるな。

曙203センチ、サップ? 谷川サダハルンバも大きいんだな。180はある。

 7日の朝。ワイドショーで東関のインタヴュウを見る。記者に話しかけられ、立ち止まっての話。「もう辞めた人だから関係ない。辞めると言い出したのは4回目」と冷たい応対で立ち去る。
 その姿勢に怒りを覚えた。ぼくは断然曙を支持する。親方株のない彼がどんなに不安だったことか。発端となったアイハラユウ問題は彼の責任だが……。まあ東関のほうでもつなぎの親方株を探すとか努力はしたのかもしれないが。
「前々からK-1に興味を持っていた。力士の時はこどもたちが小さくなにも覚えていないので、父親の闘う姿を見せたい」と曙は言う。それは公的な意見だ。
 違うと思う。女房と子供三人とのこれからの人生の安定がほしかったのだ。そのための資金がいる。このままでは先細りだ。だからまだ体が動くうちにやらねばならなかった。「辞めると言い出したのはこれが4回目」なのは、それだけ焦っていたのだろう。あと何年かのファイトで何億かを稼ぎ、家族でハワイにもどってなにか事業をやろうと(ああ、数年前父を亡くしたから、母のそばにいてやりたいという希望も強かったろう)考えたのだろう。
 願いが叶うよう応援したい。相撲レスラの強さを見せてくれ。

 この話題にふりまわされた一日だった。
 相撲と格闘技のどっちか好きならこうまではならなかったろう。両方好きなので(笑)。考えてみると、K-1好きの若者に相撲好きはそうはいないだろうし、相撲ファンの年配者にK-1に詳しい人もすくないだろう。ちょうどおいしいところにいたようだ。相撲のおもしろさを知らない人は格闘技好きとは言えないね。相撲の凄味は格闘家が認めている。そういえばアベジョージのエッセイにも「相撲取りとだけはケンカするな」ってのがあった。パンチが通じないそうだ。筒井の小説「走る取的」はこわい話だった。
03/11/20

曙の人柄


 K-1Maxのゲストに曙が出演していた。力士名曙は、最初にこのの四股名で始まり、横綱になってから「テンかを取った」と「テンありの曙(者の部分の右肩に点をふる)」になった。由緒ある名ではなく、帰化名も「曙 太郎」なので、点のない曙をリングネームにするのも許可されたようだ。小錦の場合は相撲界の由緒ある名だったのでKONISHIKIにせねばならなかった。
 毎日のように曙に関するニュースが流れるが、試合のことを訊かれるたび、彼が「サップさん」と言っているのが好ましい。どうかこのまま、れいの「ぶっ殺してやる」なんて安っぽいプロレス流にならず、横綱としての品位を保った言葉遣いでいってほしい。相変わらず新日が、天山と中邑だったか、「殺すといったのだから殺される覚悟で」とかやっている。むなしい。「サップさん」の中にこそ本物がある。
07/10/3

魔裂斗、決勝戦で棄権!

 K-1に興味を失くして長い。もう何年も書いていない。上の前回書いた日付はなんと2003年である。
 でも毎回必ず見てはいる。以前はミドル級もヘビー級も録画していたが、毎回「録画するほどのものでもなかったな」とすぐに消すことから、最近ではそれすらしなくなっていた。

 きょうはK-1MAX。
 目玉は準々決勝、というか一回戦、冒頭放送の「ブアカーオ対魔裂斗」である。事実上の決勝戦だ。見たいのはこれだけだった。
 私は大のブアカーオファンである。昨年の12月、栃木で日本人男性とラオス人女性の結婚式があった。タイ人の若者が大勢やってきていた。ブアカーオの話でもりあがったことがなつかしい。

 魔裂斗のほうから相手にブアカーオを指名した。指名されてブアカーオがおどろいていた。その様子を見ている。これは話題作りとして最高だった。誰だって最強のブアカーオとの対戦を避けたい。勝ち上がって決勝戦で当たるのがいい。それなら負けても準優勝だ。だが魔裂斗は「一番辛い道を行くのが一番の近道」と自分からそれを望んだ。その意気やよし! である。ただ私は魔裂斗はブアカーオには勝てないと思っていた。二時間番組だが、ブアカーオが勝つであろう最初のそれだけを見ようとチャンネルを合わせた。

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 1ラウンドで顔にポコンと当たるようなパンチでブアカーオからダウンを奪った。一応転んだがダメージはまったくない。どんな形であれダウンはダウンだ。これはおおきなアドバンテージを握った。アナも観客も大昂奮だ。誰もが思っている。「ここを勝てば優勝できる」と。
 それからのブアカーオがすごかった。右のローキックが魔裂斗の左脚に食い込む。すさまじい音も聞こえてくる。魔裂斗が腰砕けになる場面もあった。見ているだけで痛くなるようなローキックの連打に私は思った。
「もしかしたら魔裂斗がこのまま判定で逃げ切るかもしれない。でもローキックのダメージで2回戦は棄権になるのではないか」と。
 ポイントは1ラウンド魔裂斗、2ラウンドブアカーオだったろう。3ラウンドも魔裂斗は五分に戦いきった。判定で勝つ。左脚へのローのダメージもないようだ。それがないなら優勝間違いなしだ。

 あまりにこの試合がすばらしかったので、そのあとの佐藤の試合など見ていても燃えず、チャンネルを替えたりした。
 おそらくこのとき、魔裂斗控え室からのレポートが入っていたのではないか。ダメージはどう伝えられたのだろう。

 ブアカーオファンの私には敗戦は残念だった。その理由を推測すると、ブアカーオには慢心があったのではないか。極限までの練習を積んできたようだから慢心は失礼か。だったら対魔裂斗戦に対する自信過剰である。しかしこれは楽々と翻弄した前回から考えるとしかたないか。あのころのブアカーオはキックが主だった。それはムエタイだから当然である。ロー、ミドル、ハイ、そして前蹴りと芸術的なまでのキックを披露した。K-1MAXではそこで一度行き詰まる。パンチ主体のヨーロッパの連中に判定負けが続いた。それで彼は豪腕のパンチャーに変身した。そして昨年二度目の優勝をした。
 今回の魔裂斗との対決はパンチの対決となった。前回の対決から魔裂斗は前蹴り対策は出来ていると思っていた。だがブアカーオ以外にあんな前蹴りを使うファイターはいない。開始早々序盤で以前と同じように簡単に転ばされていた。魔裂斗が今回想定していたのは今のブアカーオ、ハードパンチャーに変身したブアカーオだった。ブアカーオもその形で対応した。それで勝てると思っていたのだろう。慢心というならそれが慢心だ。もしもブアカーオが魔裂斗との対決に限り、元のキックボクサーで対応していたなら、結果はまた違っていたろう。もっともファイトスタイルをパンチ型にかえたのだし、いきなり昔のスタイルにはもどれないだろうし、なによりそのスタイルで楽勝完勝の優勝を昨年成し遂げているのだからする必要もない。魔裂斗を破ってきている連中を、パンチで倒して優勝しているのだ。対魔裂斗戦のためにスタイルをかえるなんてことは思ってもいなかったろう。

 来年のグランプリまでに、またこの「ブアカーオ対魔裂斗」を見たい。ブアカーオもワンマッチとなれば、戦法を変えてくるだろう。きょうの魔裂斗は本当に立派だった。きょう勝ったことでブアカーオに追いついたと言える。でも私はまだブアカーオの方が強いと思っている。今日もムエタイのように5回戦まであったならローのダメージで魔裂斗は立っていられなかったろう。ムエタイの消耗戦はすさまじい。あくまでもK-1MAXルール内での勝利である。

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 魔裂斗は準決勝(2回戦)を2ラウンドKOで勝つ。優勝戦に進む。相手はアンディ・サワー。ゴングが鳴る。魔裂斗のスピードはまったく衰えていない。手数も多い。勝てると思った。ブアカーオの、あのローのダメージが残っていないなら負ける要素はない。
 私が案じていたそれに対し、「魔裂斗は左頬をアイシングしていました。それ以外はアイシングはしていません」とレポートが入る。あのすさまじいローをくってダメージが残っていないとは考えられないのだが、思ったよりもうまく防御していたのかもしれない。なら勝てるだろう。
 と思ったときだった。1ラウンドの最後、サワーのへなへなローをくった魔裂斗がいきなり立てなくなった。ゴングが鳴る。コーナーへ帰るのさえ出来ない。やはり効いていたのだ。アイシングせずは精一杯の虚勢だったのだろう。あんなものすごい蹴りを何発もくって無事のはずがない。我慢に我慢を重ね平静を装っていたが、サワーのへなちょこキックで最後の薄皮を破られて崩落したのだった。魔裂斗の脚を壊していたのはブアカーオである。
 2ラウンドは棄権でサワーの優勝。

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 ブアカーオ対魔裂斗がすべての今年のK-1MAXだった。
 だからここでまた「もしも」を思う。関係者が対戦表を組んだなら、ブアカーオと魔裂斗の対戦は決勝戦になるようにしたろう。日本人チャンプが欲しい関係者は、出来るなら誰かがブアカーオを潰してくれて、魔裂斗がそれに勝って優勝、が望ましかったはずだ。魔裂斗の対戦希望がなければ必ずそうなっていた。きょうの魔裂斗の出来なら彼は決勝戦に進んできたと思う。そしてまた誰もブアカーオはとめられない。決勝戦は魔裂斗とブアカーオだった。それならどうなったろう。
 準々決勝、準決勝を魔裂斗が楽な相手を組んでもらって楽勝してきたなら、決勝戦でのブアカーオも、きょうの準々決勝のように、うまくポイントを稼いで二度目のチャンプになった可能性はあった。主催者はそれを望んでいた。

 魔裂斗はそれをよしとはしなかった。以前前蹴りで圧倒され恥をかいたブアカーオ戦に全力を投じてみたかったのだろう。男である。私はきょう初めて魔裂斗をかっこいいと思った。
 あのときの決勝戦、なんとしても魔裂斗に優勝させたい主催者は、3ラウンドが終り、あきらかにブアカーオが勝っているのに、あえてドローとして延長戦にもちこんだ。タイから拾ってきた無名のどうでもいい選手に優勝されたのではたまらない。延長戦にもちこめば魔裂斗の奇蹟の逆転勝ちがあるかもしれないと願った。格闘技戦史上、あそこまで醜くみっともない例を知らない。八百長というものは表には出てこない。裏でささやかれるものだ。なのにそれを丸出しで演じていた。

 あえて並べるなら、極真でのウイリー・ウイリアムスのかなしい反則負けの試合か。でもあれは日本人以外を優勝させるわけには行かないという大山館長の鶴の一声で因果を含められた一戦だった。ウイリアムスは不満足ながらもしかたなく納得してわけのわからない反則負けを演じた。
 あのときの魔裂斗はそれを知らない。純粋に闘っていただけだ。後々まで語りぐさになる歪んだ判定は、なんとしても日本人に優勝させ無名のタイ人に優勝させたくない主催者(=の意向を汲んだ審判)がやったことである。あきらかに勝っているのになかなか勝ったことにしてもらえないブアカーオも気の毒だったが、いちばんの被害者は魔裂斗だった。屈辱だったろう。後に魔裂斗はブアカーオに失礼なことをしたと、彼自身にはなんの責任もないのに、コメントを出している。主催者赤っ恥である。審判など恥ずかしくて街を歩けない。

 魔裂斗はブアカーオ戦に全力を注いだ。3回闘わねばならないグランプリだが、彼にとって、きょうはブアカーオとのワンマッチだった。それに勝った。それは多くの人を感動させた。
 私もまさかまたここにK-1MAXのことを書くことがあるとは思わなかった。
 優勝できなかったけれど、魔裂斗は男をあげた。

 ブアカーオは反省するように。

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 10/9深夜にこの一戦の特集をしていた。偶然観た。よかった。
 やはりもうブアカーオとの一戦で魔裂斗の脚は壊れていた。だが敗戦インタビュウを受ける魔裂斗はさわやかだった。魔裂斗には優勝よりもブアカーオに勝つことの方が大きかったのだろう。なにしろ「絶対王者」とまで呼ばれているチャンプを負かしたのだ。
 しかしあらためてブアカーオとの3ラウンドを見ると、判定は微差であり、あのあともラウンドがあったらあきらかに魔裂斗は負けていた。だから敗れたけれどブアカーオの強さは輝きを増している。今までK-1MAXでブアカーオが負けた試合も、5ラウンド制だったらぜんぶ勝っている試合である。
 いい闘いだった。

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