2010年春
5/11  初めて池井戸潤を読む

 山本周五郎賞を受賞した白石一文作品を読んでいるとき、直木賞に関することをまとめてあるサイト「直木賞のすべて」で、白石さんと同時に候補になった池井戸潤作品「鉄の骨」を知った。

内容紹介
談合。謎の日本的システムを問う感動大作!
建設現場から“花の談合課”へ。若きゼネコンマン富島平太は、会社倒産の危機に役立てるか。大物フィクサーとの出会いの真相は――この一番札だけは、譲れない。


 池井戸潤の名前は何年か前から知っていたけど興味がなかった。銀行員出身で「銀行小説」を書く人なのだ。銀行にはまったく興味がない。その内部でのあれやこれやを書いた銀行小説にも興味がない。
 銀行というのは私の学生時代にも花形企業だった。大手都市銀はもちろんだが、卒業して田舎に帰郷する連中も地元の信用金庫に就職したりした。慶應を出て茨城の信用金庫とか相互銀行に勤めるのだから将来の出世はまちがいない。すべては順風満帆と思われた。まさか今のような再編成になるとは想像も出来ない。日本がこんなことになるとは夢にも思わなかった。

 てなことは関係なく、私はむかしもいまも銀行というものにまったく興味がない。就職など毛ほども考えたことがなかった。金融機関なんて考えただけでうんざりする。当然銀行内部の構造など知るはずもない。今回池井戸作品をたっぷり読んで気持ち悪くなった。小説はおもしろかったけれど、銀行員のプライドとか出世競争とか派閥とか、吐き気がするほど気持ち悪かった。それが正直な感想になる。

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内容(「BOOK」データベースより)

通称“座敷牢”。関東シティ銀行・人事部付、黒部一石の現在の職場だ。五百億円もの巨額融資が焦げ付き、黒部はその責任を一身に負わされた格好で、エリートコースから外された。やがて黒部は、自分を罠に嵌めた一派の存在と、その陰謀に気付く。嘆いていても始まらない。身内の不正を暴くこと―それしか復権への道はない。メガバンクの巨悪にひとり立ち向かう、孤独な復讐劇が始まった。


 最初に読んだのがこれ。内容紹介にあるように順調に出世していた銀行員が策略に嵌められて左遷される。そこから一歩一歩罠の実態を暴き、陥れた連中に復讐してゆくという話。とはいえ銀行員として、銀行内での復讐だから、いわゆる復讐譚の血腥い話ではない。権力の座にいる敵を落とす、というような話。

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 次ぎに読んだのがこれ。「2008年山本周五郎賞(発表は2009年5月)候補。落選。受賞したのは白石一文「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」。
 その時の評にもあったが、このタイトルはどうなのだろう。センスがわるいと思う。中身は極めて真面目な銀行内の権力争いの話。でもこんなタイトルならユーモア小説を期待するのではないか。そういう指摘もされていた。「オレたち」とくれば「ひょうきん族」だし、「花のバブル」とくれば、当時を懐かしむハチャメチャな部分もあるかと思ってしまう。一切それはなく固くて真面目な金融小説である。中身はいい。わるいのはタイトル。

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池井戸 潤
1963年岐阜県生まれ。慶応義塾大学文学部、法学部卒業。三菱銀行勤務などを経て、98年『果つる底なき』で第44回江戸川乱歩賞を受賞。


 池井戸さんは文学少年として慶應の文学部を出て、それから多分学士入学で法学部に入りなおしたのだろう。三菱銀行に勤めて32歳で退職。金融コンサルティングをしつつ、専門書を書いている。35歳で江戸川乱歩賞を取って作家専業。

 この「オレたち」は、前記のストーリィ紹介にあるように、濡れ衣で責任を負わされた主人公が、それを晴らし、それを押しつけた上司に仕返しをするという話。そのとき協力したり励ましたりしてくれるのが別部署にいる「バブル時の入行組」である同期生。

 この作品の特徴は、濡れ衣を晴らし、すっきりした主人公が、しみじみと汚い世界だと銀行に愛想を尽かしたのだから辞めるかと思うと辞めないこと。それどころか相手の汚点を黙っていてやるからオレをもっといい部署に配置転換しろと迫り実現させる。

 多くの作品から読み取れるように、池井戸さん本人は銀行に愛想を尽かし、うんざりしているように思う。実際32歳で辞めてしまっている。それがあるから主人公には辞めさせず銀行に止まって出世街道を歩むようにしている。つまりは池井戸さんの「もうひとつの人生」を演じさせているのだ。しかしまあ銀行って厭な世界だなあ。それだけである。



内容(「BOOK」データベースより)

ある町の銀行の支店で起こった、現金紛失事件。女子行員に疑いがかかるが、別の男が失踪…!?“たたき上げ”の誇り、格差のある社内恋愛、家族への思い、上らない成績…事件の裏に透ける行員たちの人間的葛藤。銀行という組織を通して、普通に働き、普通に暮すことの幸福と困難さに迫った傑作群像劇。


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 短編の連作。最後に書きおろしを数編足している。とてもいい出来の一冊だ。しかしまあ銀行というところを知らない私には、体育会系の支店長なんてのが成績の悪い行員に鉄拳制裁なんて話は想像すらしたことがなかったので新鮮である。

 池井戸さんには珍しくいいタイトルだと思う。でも意味が解らずネットで問うているひともいた(笑)。

内容(「BOOK」データベースより)

都市銀行の中でも「負け組」といわれる東京第一銀行の副支店長・蓮沼鶏二は、締め付けを図る本部と、不況に苦しむ取引先や現場行員との板挟みに遭っていた。一方、かつての頭取はバブル期の放漫経営の責任をもとらず会長として院政を敷き、なおも私腹を肥やそうとしている。リストラされた行員が意趣返しに罠を仕掛けるが、蓮沼はその攻防から大がかりな不正の匂いをかぎつけ、ついに反旗を翻す。日本型金融システムの崩壊を背景に、サラリーマン社会の構造的欠陥を浮き彫りにする長編ミステリー。


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 初めて手にしたとき「最終退行」というタイトルがかっこいいと思った。知らないことばだったからだ。でも「退行」とは銀行から帰るときの「退社」と同じ意味であり、「最終退行」とは残業して銀行を最後に出る行員のことだとしって白けた(笑)。凡庸なことばなのである。むかしシタヤロープという馬がいた。素晴らしい成績で大井から中央へ上がってきた。私はその馬名をかっこいいと思った。なんとなくフランス語のような響きに思えた。しかしそれは台東区下谷のロープ屋がつけた名前だった。今回もそのときと同じぐらいがっかりした。まあそれは餘談。金融小説としておもしろい。池井戸作品を読むたびに「おれはぜったいに銀行員にはなれないな」と思う。なんともいやな世界である。

内容(「BOOK」データベースより)

トラブルを抱える支店を訪問し、指導し、解決する部署に異動になった花咲舞は、驚異の事務処理能力を持つ女子行員。特殊な習慣と歪曲したモラルに管理されたメガバンクに対し、歯に衣着せぬ発言力と、相手を張り飛ばす行動力で、彼女は組織に立ち向かう。新ヒロインが大活躍する、痛快銀行ミステリー誕生。


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 池井戸作品には珍しくほんのすこしユーモアタッチである。キャラを作ろうと思ったのだろう。池井戸さんなりの冒険だ。ヒロイン花咲舞が活躍する。好きな読者も多いのかも知れない。でもこれまでの作品を読んで、二十代半ばの女が大活躍できる世界ではないと知っているので内容には疑問。やはり三十代後半の男が五十代の上役と闘うパターンの方が楽しめる。

呪われたトラックBT21号の運転手四人が次々と殺され、史郎が精魂を注いだ新事業も立ち行かない。すべては闇の住人、成沢が仕掛けたことだった。愛する鏡子まで成沢の罠に陥り、史郎は苦悩の選択をするーー。一方の琢磨は、現代に残っていたBT21号を手に入れる。「物語」のすべてがつまった圧倒的大作。


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 金融モノではない作品。おもしろかった。

内容(「BOOK」データベースより)

大手銀行にバブル期に入行して、今は大阪西支店融資課長の半沢。支店長命令で無理に融資の承認を取り付けた会社が倒産した。すべての責任を押しつけようと暗躍する支店長。四面楚歌の半沢には債権回収しかない。夢多かりし新人時代は去り、気がつけば辛い中間管理職。そんな世代へエールを送る痛快企業小説。

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「オレたち花のバブル組」の前作。2004年発刊。4年後に続篇の「花のバブル組」が出て山本周五郎賞候補になっている。銀行内部の権力争い。同期の連中が力を合わせて上部の力に対抗して行く。銀行という世界の汚らしさがよく出ていて勉強になった。とてもこんなハードな世界は楽しめない。続篇を先に読んでしまったのだが同じような内容なので問題はなかった。そのことが問題か(笑)。

内容(「BOOK」データベースより)

失業中の元銀行員・大原次郎は、再就職活動中に金融絡みの難題について相談を受けた。これまでの経験と知識を生かし、怪事件を鮮やかに解決していく。出納記録だけの謎めいたノートの持ち主を推理するスリル満点の「誰のノート?」他全七篇。ミステリー連作集。

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 現在失業中の元銀行員が金融絡みの相談に乗る話。舞台が銀行ではないし、内容もいつもの銀行的テーマではない。ある意味「タイトルに偽りあり」だが、池井戸作品としては異色で新鮮とも言える。軽い内容。

内容(「BOOK」データベースより)
トレーラーの走行中に外れたタイヤは凶器と化し、通りがかりの母子を襲った。タイヤが飛んだ原因は「整備不良」なのか、それとも…。自動車会社、銀行、警察、週刊誌記者、被害者の家族…事故に関わった人それぞれの思惑と苦悩。そして「容疑者」と目された運送会社の社長が、家族・仲間とともにたったひとつの事故の真相に迫る、果てなき試練と格闘の数か月。


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 三菱のリコール隠しを題材にした作品。いま読んでいるところ。おもしろい。ぐいぐい引きこまれる。読了しないうちに感想を書き始めたのは、この作品は池井戸作品としては初の直木賞候補作となり、そして「該当作なし」となって落選したのだが、そのときの渡辺淳一の評を思い出したから。

 そこで渡辺は「どこといって悪いところはないが、はっきりいってつまらない。ちょうど、音符どおり正確に唄う歌がつまらないように、小説的なふくらみに欠ける」と評していた。こいつにこんなことを言える資格があるとも思えない。不愉快な話である。

 すでに書いていることだが、このころ毎日のように図書館に通って手書き文章を書いていた。気分転換に図書館 PCを借りる。しかしどこにも繋がらない。数少ない繋がったところが「直木賞のすべて」だった。それがなかったら池井戸作品を知ることもなかったし、えらそーな評を知ることもなかった。



 この作品もいつものよう、主人公の運送会社があるのが大井町線の等々力、被害者の家が東横線の菊名、事故現場が綱島と、私の知っているところばかりだった。池井戸作品を好む大きな要素である。



 直木賞候補作品であることを知っていて、運よく本棚にあったのに読むのが送れたのはタイトルである。「空飛ぶタイヤ」という題からおもしろい小説とは思えなかった。「オレたちバブル」もそうだが、池井戸さんはタイトルのつけ方に難があるように思う。みなおもしろい作品だったけれど、いまも良いタイトルとは思えない。

 この小説の魅力は単行本の帯にあるこのコピーがすべて表している。「小説好き諸君! たまには直球の企業小説、読んでみてくれ。」いいコピーだ。出版は実業之日本社。力が入っている。

 直木賞の評で、ハヤシマリコが「難のない達者な作品であるが、こう新しいタイプの小説が並んだ今回の選考会ではいかにも不利であった。」とエラそーに言っている。

 ワタナベジュンイチは「どこといって悪いところはないが、はっきりいってつまらない。ちょうど、音符どおり正確に唄う歌がつまらないように、小説的なふくらみに欠ける。」と高見からしゃべっている。悔しいだろうなあ、こいつらにこんなこと言われたら。ワタナベジュンイチの作品にこれ以上のものがひとつでもあるのか。おまえは音譜通り正確に歌うことすら出来ないじゃないか、と言いたくなる。

 同じく否定した北方謙三だが、「構成力がいいし、ストーリー展開に緊迫感がある。」「ただ、登場人物がみんな、ほんとうにこうだろうな、と思わせる描かれ方で、意外な存在感で読者を圧倒してくる脇役がいなかった。リアリティがあるところに留保をつけられるのは、作者にはいい迷惑だろうが」としていて、「リアリティがあるところに留保をつけられるのは、作者にはいい迷惑だろうが」の部分に、北方がこの作品を正しく読んでいるのがわかって救いがある。

 絶讃したのは井上ひさし。「いちばんいい点をつけて選考会に臨んだ。」「まことに古典的な物語設計だが、しかし細部が新鮮である。」「文学的香気に乏しい」という批判の火が燃え上がり、評者はこれに十分に反駁できなかった。今は評者の力不足を嘆くばかりである。」。
 この「文学的香気に乏しい」は、このあとの「鉄の骨」の時にも浅田次郎から指摘される。それはそっちで書こう。池井戸作品には外連がない。それが撰者には気に入らないらしい。だけど私が池井戸作品を最高だと思うのは、そのアッサリ風味なのだ。
 これは良い作品である。しかしこのタイトルだけは納得できない。
内容(「BOOK」データベースより)
「これは貸しだからな」。謎の言葉を残して、債権回収担当の銀行員・坂本が死んだ。死因はアレルギー性ショック。彼の妻・曜子は、かつて伊木の恋人だった…。坂本のため、曜子のため、そして何かを失いかけている自分のため、伊木はただ一人、銀行の暗闇に立ち向かう!第四四回江戸川乱歩賞受賞作


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 1998年に乱歩賞を受賞した池井戸さんのデビュウ作。63年生まれだから、このとき35歳。三菱銀行を32歳でやめてコンサルティングをしながら作家デビュウとなったわけである。
 私はやたら人殺しが出て来る小説が嫌いなので、その種の小説を読まない。「小説といえばミステリー」みたいな時期があり(今でもいちばん売れる分野なのだろうけど)、その頃は勉強と割り切ってがんばって読んだものだったが、齢を取って頑固になってくれば、嫌いなものを努力して読むことはなくなる。
 私は池井戸潤という作家を「銀行を舞台にした企業小説家」として知ったので、デビュウ作とは知りつつもこの作品を遠ざけていた。とりあえず世に出るために池井戸さんはこの賞に応募し、当選した。しかしその後はミステリーではなく企業小説を書いているのだから、ここに本質があるとは思わなかったからだ。今までに読んだ乱歩賞受賞作に、さしていい思い出がないこともある。たとえば史上初の乱歩賞と直木賞の同時授賞となった「テロリストのパラソル」なんてのは私には駄作でしかなく、あんなものを讃えるひとの感覚が信じられなかった。

 池井戸作品は最新作の「民王」を入れて全19作品。そのうち15を読み、そろそろ残りもすくなくなってきたのでこれに手を出してみた。直木賞候補になり、NHKでテレビドラマにもなって話題の「鉄の骨」や出たばかりの「民王」が入手出来ないこともある。
 そういうあまり積極的ではない理由で選んだ一冊だったが楽しく読めた。江戸川乱歩賞の定義は「広義の意味でのミステリー」なのだそうな。なるほど、そういう意味なら理解できる。この作品は池井戸さんの得意分野である銀行を舞台にしたもので、一応ミステリー仕立てにしてあるが、血腥い殺人事件が連続するわけではない。

 この作品で作家としてのスタート地点に立ち、それから銀行舞台の小説を連発していったのだなと思うと、ほとんどの作品を読んでからこれを読んだので、なかなか感慨深いものがあった。

 しかしこの「果つる底なき」というタイトルも「なんだかなあ」である。
7/10
内容(「BOOK」データベースより)
巨大スーパー・一風堂を襲った連続爆破事件。企業テロを示唆する犯行声明に株価は暴落、一風堂の巨額支援要請をめぐって、白水銀行審査部の板東は企画部の二戸と対立する。一方、警視庁の野猿刑事にかかったタレコミ電話で犯人と目された男の父は、一風堂の強引な出店で自殺に追いこまれていた。傑作金融エンタテイメント。


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 読み残していた数冊の内の一冊。手に入れて読了。一風堂のモデルはダイエー。主人公が勤めている銀行も池井戸さんの勤めていた三菱。ミステリーとしては爆破犯人の追及と逃亡する犯人の心理。もうひとつ瀕死の巨大企業に追加融資をするかどうかという銀行内の駆け引き、といういつもの池井戸作品の味わい。

 書きおろしなので、すこしヨレている。小説ってのは月刊誌に連載して、ちょっとした矛盾やヨレを読者や編輯者に指摘されて手直しし、単行本にするのがベストなのかと思ったりする。白川道さんなんかはぜったいにそうした方が良い。もっとも、ほとんどの場合、連載時のミスはそのままで直っていないから、読者の指摘など小説家は気にしないのだろう。
 で、毎度のことだが「編輯者はなにをやっているんだ!」になる。
 この作品でも、ちいさなことで言うと、たとえば「財前春」と出て来たので、「このひと、名前の字がちがっていたような」と思う。するとその1ページ後に「財前春」と出て来て、「ああそうそう、この字だ」と気づく。こういう初歩的なミスになぜ編輯者は気づかないのか。

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 池井戸作品が大好きな理由のひとつだが、この作品でも舞台がそれなりに知っている蒲田だったので楽しめた。
 
内容紹介

談合。謎の日本的システムを問う感動大作!
建設現場から“花の談合課”へ。若きゼネコンマン富島平太は、会社倒産の危機に役立てるか。大物フィクサーとの出会いの真相は――この一番札だけは、譲れない。


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 2009年下半期の直木賞候補作品。白石一文さんと佐々木譲さんが受賞し、池井戸さんは二度目の落選。でももうすぐだろう。吉川英治文学新人賞受賞。

 まだ未読。近日中に読む予定。
 思えば、2009年の『小説新潮』バックナンバーから山本周五郎賞受賞の白石一文さんを知り、白石さんの直木賞受賞評から候補作の池井戸潤さんを知ったのは、本好きとして大きな収穫だった。偶然に感謝したい。

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 NHKがドラマ化してやっているようだ。まあそれはあとでも見られる。原作前にドラマを見る気にもなれない。

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 池井戸作品を、北方謙三が「文学的香気に乏しい」と否定し、



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