2009
3/12  デヴィ夫人と山崎朋子の論争

 インターネットの記事に、「デヴィ夫人がブログで激怒」とあった。彼女が怒ろうが笑おうがどうでもいいのだが、今回の原因は自分のことを書いたノンフィクションライターの山崎朋子に対してだというので興味を持った。
 デヴィ夫人はインドネシアに行くまでの人生に口を出されると怒る。今回もたぶんそれだろう。そのスレにアドレスが書いてあったので、デヴィ夫人のブログに行ってみた。




「私をうんざりさせた田舎者の作家 山崎朋子さん

 というタイトルで長文が綴られていた。詳しくは下記URLで読んでいただくとして一部を引用。

http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-10221868896.html

あなたは某月刊誌において「アジア女性交流史・昭和期篇」の中で、私のことをとりあげていますが、私のことを書くのは自由ですが、私を誹謗したいがために、小倉みえさんと全編を通して比較することはないのではないでしょうか。
私は小倉みえさんのことを、つい最近知りました。とても素晴らしい方だと思います。


 これが書出しである。次いで、

私が仰天したのは、私を非難したいがためだけに、畏れ多くも皇后陛下まで引き合いに出して比較していることです。あなたは何を考えていらっしゃるのですか。不敬にも程があります。

私は美智子様が皇太子様とご婚約なさった時から、ずぅーっと今日まで心より敬い続けて参りました。美智子皇后陛下のような、ある意味では超人的な方はいらっしゃらないと思っております。

私はあなたに自分のことを何と書かれようと、誤解されようと、痛くも痒くもありません。しかしながら畏れ多くも皇后様と比較なんて、とんでもないことです。

 とある。どうやら山崎朋子という女は、そういう書きかたをしているらしい。
 皇后陛下の御名前まで出て来たとなると、その「雑誌」とやらも読んでみたい。
 調べて、それが岩波書店の月刊誌『世界』だと知る。きょう図書館に行って読んできた。図書館にはアサヒシンブンやイワナミの本は必ずある。図書館員には左ききが多いからだ。偏りが不快だがこんなときは苦労しなくて助かる。


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 この本を手にしてしばし考えた。この表紙のおばちゃんは誰だろう。まったく知らない。このひとはいま話題の有名人なのだろうか。雑誌の表紙になっているのだからそうにちがいない。自分なりにアンテナを張って生きているつもりだが、イワナミ的知的世界(笑)とは無縁の私が知らなかっただけで……。まずは表紙の写真が誰なのかに注目した。

 するとこのひとは北関東の工場で働く57歳のただのおばちゃんだった。給料は手取り12万円。これから仕事がますます減りそうで、3、4年前まではたっぷりあった残業もなくなり、亭主の商売もうまく行ってないし、どうしようかと悩む毎日、とのことだった。フツーのひとである。

 バックナンバーを見て、「世界」というのはそういう市井の人を表紙にしていると知る。同じようなくたびれた顔のおばちゃんが連続して表紙になっていた。庶民の生活を反映したすばらしい企劃である、さすがは岩波だ、と思うはずもない。くだらねえ。せめて表紙ぐらいほっとするものを見せてくれ。人生に疲れたおばちゃんを見せられても落ちこむだけだ。こんな雑誌、読まないし買わないから関係ないけど。しみじみくだらねえと思った。

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 「世界」での山崎朋子の連載は不定期のようだ。取材の都合や高齢のこともあるのだろう、休みの月が多い。デヴィ夫人の項は3回に分けて書かれていた。最初が2008年8月号

●アジア女性交流史・昭和期篇 (15)
インドネシアの〈シンデレラ〉と〈地の塩の女性〉―― デヴィ=スカルノと小倉みゑ (上) 山崎朋子 (作家)


 それから半年間が空いて、2009年3月号が2回目。どうやらこの間にインドネシアまで取材に出かけたようである。

●アジア女性交流史・昭和期篇 (16)
インドネシアの〈シンデレラ〉と〈地の塩の女性〉――デヴィ=スカルノと小倉みゑ (中) 山崎朋子 (作家)


 そして最新号の2009年4月号である。デヴィ夫人は1回目から読んでいたようだが、完結するこの3回目を読んで反論を書いたようだ。

●アジア女性交流史・昭和期篇 (17)
インドネシアの〈シンデレラ〉と〈地の塩の女性〉――デヴィ=スカルノと小倉みゑ (下) 山崎朋子 (作家)


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 さて、感想。
 山崎朋子は、「アジア女性交流史」と題した一連の連載の一環、インドネシア篇として、デヴィ夫人を「シンデレラ」、小倉みゑ(という一般的には無名の人)を「地の塩の女性」として比較対照する形で筆を進めていた。「地の塩」は聖書のマタイ伝。

ち‐の‐しお【地の塩】‥シホ
(マタイ伝第五章による) 塩がすぐれた特性をもつところから、転じて広く社会の腐敗を防ぐのに役立つ者をたとえていう語。広辞苑より。


 一読すれば、いや読む前から判ることだが、「シンデレラ」は批判され、「地の塩の女性」が持ちあげられている。それどころか、「シンデレラ」を叩くために「地の塩の女性」を見つけてきた、とすら言える構成になっている。これじゃデヴィ夫人は立腹する。
 読了して、私はデヴィ夫人の肩を持ちたい、と思った。



 山崎は、小倉みゑさん(1921年生まれ)という戦時中インドネシアに関わり、戦後帰国して酒場を営みながら、インドネシアに恩返し出来ないかと考えた末、満期になった生命保険1200万円と老後の資金300万円をインドネシアの教育に役立てようとした(それに賛同した姪夫婦も同時に1000万円を寄贈する)ひとを讃えている。その資金で小倉さんがインドネシアに作った学校、奨学金によって学ぶことの出来たこどもたちが、今どれほど感謝していることか、それは日本の酒場の経営者のやったちいさなことでしかないが、インドネシアと日本にとって、いかに価値のあったことかと説いている。

 私は小倉さんのことを知らなかったから、いい話だと思った。
 小倉さんから資金を託され実際に運用したのは、戦中は日本軍として戦い、戦後は現地に留まってインドネシア獨立のためにオランダ軍と戦った元日本兵である。当時(1970年代)はインドネシア人女性と家庭を作りインドネシアのために働いていた。

 オランダからの獨立戦争の際、義勇軍として闘ってくれた元日本兵の存在から、インドネシアには日本に対して好意的なひとが多い。圧政オランダからの獨立を助けてくれた日本兵に対する感謝だ。アジアの人びとはみな日本を嫌っていると、アジアイコール中国朝鮮だけで語るサヨクと接すると、いつもこのことを思い出す。

 その小倉さんと比しながら、「なのに一方ではこんな女もいる」とデヴィ夫人は晒し者にされる。
 山崎は、日本人女性には小倉さんのような立派なひともいる一方、酒場のホステスから建国大統領の第三夫人となり、贅沢な生活を送り、大統領が死んだあとはその財産を持ちだしてヨーロッパに渡り、社交界で浮き名を流し、あまつさえイスラム教徒の国の元大統領夫人なのにヌードまで曝しインドネシア国民を憤怒絶望させた日本女もいるとデヴィ夫人を紹介する。そのことがインドネシアにおける対日感情として、いかにマイナスに作用したことか、と。




 この辺、雑誌の山崎文を流し読みしただけで書いた私の文章には勘違いの部分がある。この文だと「デヴィ夫人と小倉さんを対比しながら書いている」ようだが実際はそうではない。正しくは、ひたすらデヴィ夫人を非難した後、とってつけたように皇后陛下や小倉さんが登場する構成である。このときはそこまで読みきっていない。

 詳しくはこの文章の後にある補稿を読んでいただきたい。そちらに詳しく書いた。ここはまちがいを直さずにおくのでサッと読んでください。大筋における誤りはありません。





 デヴィ夫人はブログで、自分はまだ三十の身空で未亡人になったこと、政変で国を追われ命辛々亡命したこと等の経緯を書き、山崎の書く、ひらひらとお気楽に生きてきたかのような批判に反論している。文末には、「自分に財産と呼べるものがあるとしたら、それは私が働いて得たものです」と書く。山崎の文章から、いかにもインドネシア国民の財産を持ちだして贅沢をしている──あのフィリピンのイメルダのように──かのように思われることに反撥したのであろう。
 客観的に見て、山崎の文章はデヴィ夫人に対する悪意に満ちている。

 デヴィ夫人が最も不快に思い反撥しているのは対照による語り口だ。
自分のことは何を言われても我慢するが、皇后陛下と比べるのは不敬だ
小倉さんというかたは知らなかった。すばらしいひとだと思う。でもなぜ自分と比べるのか」と。
 まことにもっともな反論だと思う。



 デヴィ夫人の言行を批判したいのなら、彼女の項を設けて彼女だけを書けばいいのである。彼女は母子家庭の貧しい家の出身だ。中学を出て働き始め夜間高校に通っていた。よりよい収入を求めて美貌を活かし高級クラブのホステスになる。
 来日していたスカルノ大統領に見初められた。19歳の時である。22歳の元美人ホステスが新興国の大統領の妻になるとき、女性週刊誌は貧しい家の娘が大統領夫人になるというシンデレラ物語として扱った。

 一方、新興国の利権を手にするための日本からの人身御供だとも噂されていた。私には後者の印象が強い。新興国の色黒おっさんの(日本的常識では考えられない)第三夫人である。白馬に乗った美男王子様のお妃になるのではない。シンデレラじゃないだろう。どう考えても日本的にはひひジジイ金持ちの妾である。しかも利権絡みでの人身御供だ。これらの話でデヴィ夫人が即座に反応するのはこの「利権によるいけにえ」のような書きかたをされたときである。彼女は相思相愛の恋愛だったことを主張する。それはそれで女心だろうが……。

 その他、それら一連の出来事から最愛の弟が自殺する悲劇(この弟を大学に行かせ安定した生活をさせてやりたいと彼女はホステスになったのだった)。未亡人となってからの本郷功次郎、津川雅彦との浮き名。批判、非難、意見、中傷、あれこれある。だがそれらは彼女個人の話として語られるべきであり、皇后陛下や小倉みゑさんと比較されるべきことではない。

 そういう方法は、比較して貶められるデヴィ夫人に対してだけではなく、持ちあげられる方の皇后陛下や小倉さんにも失礼である。山崎朋子というノンフィクション作家の執った方法、文章は下品だ。このひとはそのことに気づかないのだろうか。
 それが「世界」を読んでの私の率直な感想になる。

 私はノンフィクションライターとして長く活躍しているという山崎朋子の作品を読んだことはないが(女性史が中心らしいからそれに興味のない私が読んでいないのは当然になる)、今回のこれを読んだだけで読むに価しない作家だと結論した。
 こういう形でしかものを語れない(=こういう手法を多用する)ひとは信用できない。

 山崎は、アジア女性史という連載の「この章」で何を語りたかったのだろう。
 デヴィ夫人はブログの文章で「テレビに出ているわたしも気に入らないようだ」と書いている。山崎の文章にそれはない。だが直接的な文章はなくても伝わってくる。山崎はデヴィ夫人が嫌いなのだ。それだけである。やることなすこと気に入らない。すべては「気に入らないデヴィ夫人を叩くため」だったのだろう。小倉さんはそのために見つけてきた素材のひとつでしかない。こういう話の展開ではそうなる。ふたりを比較することは無意味だ。

ここも勘違い。山崎は文中でテレビで活躍しているデヴィ夫人をハッキリ非難している。



 比較という手法が誤っていたのか。そうなると文章構成の問題になる。
 そうではあるまい。真理はもっと単純明快だ。「山崎朋子はデヴィ夫人が嫌いなのだ。気に入らない女を非難したかったのだ」。それだけのことであろう。

 それは成功したか? 本人はこれを書きあげたとき、すっきりしたのか。言いたかった憤懣をぜんぶぶちまけた。嫌いな人間に対し、女性史という体裁をとり、タイプの違う女ふたりをうまく比較し、嫌いな方を徹底的に叩いた。
 だが思ったような効果はあったか。私のようなデヴィ夫人の味方でも敵でもない者にさえ、「いくらなんでもこれはないよなあ」と思わせてしまった。「世界」の定期読者はどうだか知らないが、まともな人間が読んだら必ずそう思うはずである。そういう文章だ。
 淡々と書くべきテーマなのに、必要以上に個人的なデヴィ夫人嫌いの感情が表に出てしまった。客観的に見て誉められた文章ではない。いや、お粗末なひどい文だ。

 しかしこれ、デヴィ夫人がブログで書かなかったら、世の話題になることはなかったろう。もちろん私も読んでいない。だったらデヴィ夫人のお蔭で話題になって成功だったのか。といって、藝能的に話題になったからといって、わざわざ「世界」を購入したり、探しだして読む私のような閑人もそうはいまい。2ちゃんねるにスレが立ち、あれこれ書きこまれていたが、果たしてそのことから既刊の「世界」を読んだ人がどれほどいたことか。すぐに忘れ去られる芸能ニュースでしかなかったか。

 もしかして、こういう切り口に拍手喝采し、溜飲を下げるのが「世界」の読者なのかもしれない。「私もあのでしゃばり女のデヴィ夫人が大嫌いです。山崎先生、よくぞ書いてくれました」のような。
 縁遠い世界なので知らないが、そういう読者もいるのだろう。



 今回、こういうひょんな経緯で読んだ。私は普段「世界」を読まないから、インターネットで知らなければ生涯読むことのない文章だった。そして感じたことを、ここに書いた。
 言いたいことはひとつである。それを繰り返す。

 インターネットで知り、デヴィ夫人の反論ブログから読みはじめた今回のような経緯でなく、もしも何かの機会──たとえば偶然泊まった海外の旅社にこの「世界」が置いてあったとか、電車の中で拾ったとか、そういう形で読んだとしても、私はここに書いたのとまったく同じ感想を持ったろう。
 そのことは強調しておきたい。

 それは、私がこの文章から感じた不快は、デヴィ夫人も小倉さんも関係なく、「最初に結論ありき」で、強引に自分の都合のいいように話を展開させる、山崎朋子という作家の「品格」に対するものだからである。


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 基本は思想──最重要課題

 山崎朋子の思想的背景は知らない。思うに、サヨクであろう。それも社民党的な。むろん護憲派にちがいない。
 デヴィ夫人は保守論客である。改憲派だ。
 基本はそれと思われる。社民党が自民党に噛みついた。そういう構図だ。山崎朋子からツジモトキヨミ的な臭味を感じる。

 山崎朋子は美貌を武器に世渡りしてきたデヴィ夫人が嫌いで嫌いで堪らない。自分はそういう女ではないのだろう。容貌は知らないが。
 しかしそれだけならここまでの書きかたはしなかったように思う。デヴィ夫人の生きかたそのものが大嫌いなのに、声高にしゃべっている政治的主張もまた決して受けいれがたい保守派なのだと山崎は知る。その二重の不快が今回の「女性史という体裁を取った個人攻撃」に結実した(?)と思われる。機会があったらこの女の書いたものをもうすこし読んで評してみよう。(09/3/12)


 まさかこのときは、このあと山崎朋子の本を読みまくることになるとは思わなかった(笑)。読むのはなんてことないが、すごい量の感想文を書くことになるとは……。(09/6月記)


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 モデル出身の美女!?

 すこし調べてみた。1932年生まれだからもう70代後半のおばあさんなのだけれど、若い頃はモデルをしていた美女なのだとか。一番有名な作品は大宅壮一ノンフィクション賞の「サンダカン八番娼館」ですね。写真は自叙伝の表紙。モデル時代の自慢の写真、らしい。美女と思うかどうかはひとそれぞれ。
 ネットにはほとんど資料がなく調べられないのだが、確実なのは「底辺の女性」を書いてきたひとらしいから、そりゃデヴィ夫人は嫌いだろうね。

 この本の内容紹介に、

暴漢に顔を切り裂かれたモデル時代、在日民族運動家の青年との純愛と別離、アジア女性交流史研究会の私設と活動など、大ベストセラー『サンダカン八番娼館』の著者が満を持して描ききった驚愕の人生秘話。

 とある。モデル時代に襲われて顔をケガしたらしい。また在日朝鮮人青年との政治的活動と恋愛悲話があるという。やっぱりヒダリだろうなあ。この本、探して読んでみよう。


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 デヴィ夫人の信条

 デヴィ夫人の意見には賛同できるものがある。いちばん納得するのは、女のありかたについての意見だ。彼女は、愛人だった女が男と別れたあと、内情を暴露するような行為を否定する。全面的に同意である。

 山崎拓の愛人だった女が、ヤマタクの性的な変態ぶりを写真附きで『週刊文春』に告白した。これはノナカヒロムに心酔していたキマタという編集長(ノナカヒロム後援会長の息子)がノナカからの命を受け、小泉政権を堕とすため副総裁だったヤマタクに仕掛けたことだ。功を奏して次の選挙でヤマタクは落選した。

 この女は当時は正義漢ぶってしゃべっていたが、後に同時期に野村監督ともつきあっていた(当然男女の仲であり金銭契約である)ことも告白していた(笑)。野村さんは女の趣味が悪い。その後「ヤマタクの愛人が脱いだ」とか40間際で汚い裸もさらしていた。まあ、ただのバカ女である。
 デヴィ夫人はこの種の女を、女の風上に置けないと批判する。同感だ。れいの「蜂の一刺し」のエノモトミエコなんてバカ女も同種である。(と書いて思うが、ここを読んで「蜂の一刺しのエノモトミエコ」と読んですぐに理解してくれる人はどれぐらいいるのだろう。)



 もっとも、ヤマタクの気味悪さも特筆ものではあった。その愛人を何度も堕胎させ、その方が味が良くなると言ったとか、この愛人の母親を加えて3Pしたいと言ったとか、かなり狂っている。こういうことをヤラセ、作り事と思うかどうかだが、私はすんなり事実と信じる。ヤマタクはそういう男だろう。

 しかし伊藤博文が「現代だったら、ほとんど色気違いだった」と言われるほど女好きで手当たり次第だったように、名をなした政治家には精力絶倫で複数の愛人を持ち、常軌を逸した行動を取っていたのは数多い。それでいいのだ。政治家としての能力さえあれば。政治家はそれぐらいパワフルな方が良い。

 いまはそれが許されないつまらん時代だ。世界一の権力者であるアメリカの大統領になっても女は古女房だけである。クリントンの気持ちがよくわかる。彼の憧れていたケネディはモンローからヘプバーンまでやりたい放題だったのに。すべては時代のせいだ。民主主義という暴力は、選ばれた人間(=おれたちが選んでやったヤツ)がそれ以上の幸運に酔うことを許否する。

 むかしはよかった。いま総理大臣になっても妾すら持てず藝者遊びすらままならないのでは誰がなりたいと思うのか。野球選手かサッカー選手になるほうが稼げるし遊べるし誰もがそっちを志す。ひどい時代だ。でもそれはみな民主主義が悪いのである。

 問題は、ヤマタクがそれを許されるだけの度量の政治家であるかどうかだ。答は×だろう。だからさすがにこの件に関してヤマタクに同情する気にはなれなかった。ただそれとはべつに、元愛人がダンナの性癖やベッドでの写真を晒す(=それを高額で買い取って雑誌に載せるメディアがある)汚らしい厭な時代だとは思ったけれど。



 デヴィ夫人の、林葉直子批判も正当である。林葉は将棋の中原名人の愛人だった。これ、始まりは最強である中原さんに憧れて林葉から近寄っていったいわゆる逆ナンである。歌の「まちぶせ」そのものだ。そうしてふたりは愛人関係になった。それを別れた後、週刊誌にバラして騒動を起こす林葉は最悪である。公開番組でデヴィ夫人に罵倒されたのも当然だ。

 中原さんにも気遣いがない。林葉に頼まれても避妊せず二度も中絶させたりしている。それらのことから距離を置こうとした林葉の留守電にあられもないことを吹きこんだりした。林葉がそのテープを週刊誌に公開して将棋界の大陽と呼ばれた中原さんは地に落ちた。
 避妊しないこと。それはいい。だったら生ませるべきだ。だが堕胎させる。しかも二回も。それでいてこの騒動が起きると、自宅庭で会見を開いて藝能レポーターに律義に応じ、林葉に渡した金額まで明確にしている。

 これらを見ると、やはり一藝に秀でた分、世間的常識の缺落したひとなのだと思わざるを得ない。私は将棋ファンとして中原世代だったから、この事件ではひどく落胆した。感想としては「魔女に引っ掛かった中原さん」なのだが、中原さんがひどいことをしていたのも事実だ。

 林葉がテレビに出て盛んにそれらのことをしゃべっているとき、デヴィ夫人は窘めた。自分が好きで愛人になったのだから、いまさらこんな場所でそんなことをしゃべりなさんな、と。林葉に「うるさいよ、おばさん!」と言い返され、なんとも醜い修羅場になっていた。

 デヴィ夫人の意見はこの種の問題に関して一貫している。私は彼女の感覚を支持する。彼女が言うように、むかしの女は、それを覚悟してつきあい、別れたからといって世に曝すようなことはしなかった。それがいい女の心意気だろう。



 同意できないものもある。筆頭は北朝鮮問題だ。ブログにこんな文がある。

現在、私(金日成花金正日花委員会 名誉会長)は北朝鮮民主主義人民共和国から「第11回金日成祭典」の各行事に招かれており、スケジュールの調整をしているところです。

 拉致問題を彼女なりの感覚で解決したいと関わっているようだ。この肩書はたまらん。彼女の意見は「北朝鮮に金をやれ」である。金をやってあの国をまともな経済状態にしてやれば拉致被害者も帰ってくるだろうという意見だ。同意できない。
 北朝鮮に関する発言を耳にすると、このひとを支持できなくなる。

 まあ私がデヴィ夫人をどう思っているかはどうでもいいことだ。要は「山崎朋子が雑誌『世界』でとったデヴィ夫人批判の手法は正当かどうか」。話はそっちである。


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 北朝鮮ミサイル問題に関するデヴィ発言──09/4/3

 その後、あの人工衛星かミサイルかと問題になった件について彼女の発言を読んだ。呆れた。
 以下のアドレスでトンデモ発言をしている。
http://ameblo.jp/dewisukarno/day-20090403.html

 彼女は、北朝鮮のあれを、正規の手続を踏んだものでまったく問題ないとし、人工衛星は宇宙の軌道に乗るのだから日本に落ちてくるのではないかと騒ぐの失笑ものだとしている。
 さらにはテポドンとは北朝鮮の地名であり(これは事実)、それを怖ろしいミサイルのように思い込ませているのはアメリカの謀略なのだとしている。

 まず、言うまでもなく他国を跨いでミサイルの発射実験を行うなどという蛮行は世界中どこでも行われていない。どこも許していない。北朝鮮が唯一日本に対してやっているだけである。
 また御粗末なあれが人工衛星ではなく、だったとしても、衛星軌道に乗せるだけの開発力などなく大平洋のもくずとなったことはアメリカが発表しているとおりだ。彼女は「秋田に落ちてくると大騒動になったそうですが、人工衛星なのですから落ちてくるはずがありません。笑止です」としているが、北朝鮮製ミサイル擬きのポンコツが落ちてきて大惨劇になる可能性は大いにあり、日本が警戒したのは当然である。笑止なのはデヴィ夫人の方だ。
 このひとは、アメリカ嫌い、北朝鮮好きが昂じて正常な判断が出来なくなっている。狂犬の最後のあがきが見えていない。

 前記のように、男と女のありかたのような論客として認めていたひとだけに、この北朝鮮惚けは残念である。でも、男と女のありかたで正論を吐く人だから、この北朝鮮惚けもあるのだと言える。彼女のこれは「かつて自分をかわいがってくれた金日成に対する恩返し」なのだから。


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 「東大で語った愛と革命の半生  デヴィ夫人」

 『文藝春秋』5月号に「東大で語った愛と革命の半生  デヴィ夫人」という記事がある。東大の学園祭にデヴィ夫人が参加し、そこでアジア史を研究している教授連とのやりとりを収録したものだ。

 あの時代のインドネシアの政治史として極めて興味深い内容になっている。それはひとえに質問者が東大の専門家であり、質問内容が充実しているからだ。
 質問者がまともなことを問うと、藝能界で「ちょっとズレたおばさん」を演じているデヴィ夫人──いや演じているのではなくほんとにそういう存在なのだろう──が、なかなかに奥深い存在であることが判る。

 そこではアメリカの横暴や、その手先だった佐藤栄作首相が厳しく批判されている。デヴィ夫人が、兄の岸信介の人格を尊敬し、弟の佐藤栄作をボロクソに言っているのがおもしろい。インドネシアと日本のやりとりに関して、アメリカべったりだった佐藤には厭な目に遭っているようだ。「あんなひとがノーベル平和賞とは、おっほっほ」の世界である。

 亡命するときに、力を貸してくれたフランス大使館やイタリア大使館、関わったらたいへんだと手の平を返したように縁を切ってきた日本大使館のことなど、読みごたえ充分である。
 インタヴュアーの東大教授が言っているように、「東南アジア史の生き証人」としてデヴィ夫人は貴重な存在だ。

 アメリカが自分のことしか考えない我が儘で暴力的な國であることは言うまでもない。しかしそういう歴史、辛酸をなめてきた彼女のアメリカ嫌いを考慮しても、デヴィ夫人の北朝鮮贔屓は異常である。
 4/29  
 あらためて山崎朋子批判

 山崎朋子が三回に分けて「世界」に発表した文章に対しデヴィ夫人がブログに反論を書いたのが3月10日。私が翌日図書館に出かけてそれを読み、上記の「デヴィ夫人と山崎朋子の論争」を書いたのが3月12日だった。
 そのとき私は図書館で下記の「世界」バックナンバー三冊を探しだして読んだ。以下、茶色文字はそのときに書いた私の文章になる。




「世界」での山崎朋子の連載は不定期のようだ。デヴィ夫人の項は3回に分けて書かれていた。最初が2008年8月号。

●アジア女性交流史・昭和期篇 (15)
インドネシアの〈シンデレラ〉と〈地の塩の女性〉―― デヴィ=スカルノと小倉みゑ (上) 山崎朋子 (作家)

 それから半年間が空いて、2009年3月号が2回目。
●アジア女性交流史・昭和期篇 (16)
インドネシアの〈シンデレラ〉と〈地の塩の女性〉――デヴィ=スカルノと小倉みゑ (中) 山崎朋子 (作家)

 そして最新号の2009年4月号である。デヴィ夫人は、1回目から読んでいたようだが、完結するこの3回目を読んで反論を書いたようだ。

●アジア女性交流史・昭和期篇 (17)
インドネシアの〈シンデレラ〉と〈地の塩の女性〉――デヴィ=スカルノと小倉みゑ (下) 山崎朋子 (作家)



 これは「山崎朋子という見知らぬ女流ノンフィクションライターの切り口を確認するため」であり、ふたりの確執の核心を知りたいと、かけ足の流し読みだった。そして以下のような感想を書いた。
 
 山崎朋子は、「アジア女性交流史」と題した一連の連載の一環、インドネシア篇として、デヴィ夫人を「シンデレラ」、小倉みゑ(という無名の人)を「地の塩の女性」として比較対照する形で筆を進めていた。「地の塩」ってのはマタイ伝か。聖書からの引用で持ちあげている。

 一読すれば、いや読む前から判ることだが、「シンデレラ」は批判され、「地の塩の女性」が持ちあげられている。それどころか、「地の塩の女性」を持ちあげるために「シンデレラ」を用意した、とも言える。いやいや、「シンデレラ」を叩くために「地の塩の女性」を見つけてきた、とすら言える構成になっている。これじゃデヴィ夫人は立腹する。
 読了して、私はデヴィ夫人の肩を持ちたい、と思った。




 それから一ヵ月半経過。今回図書館に出かけたついでに、この三冊の「世界」をあらためて読みかえしてみた。前回は流し読みだが今回はしっかり読んだ。すると前回流し読みゆえ私が「推測」で書いていることが、そうではなくしっかりと明記されていることを知った。

 前記「3月12日の文」では、私は山崎のデヴィ夫人に対する悪意、敵意を、婉曲なものと解釈している。皇后陛下や小倉みゑさんと比較しての非難であり、明らかに悪意敵意があるのだが、それは表には出てはいない隠れた意図であるかのように。
 これは流し読みによる私の勘違いだったので訂正する。山崎は、そこはかとではなく、明確にデヴィ夫人が嫌いだ、大嫌いだと文章の中で明示している。つまり「そこはかとなく批判」ではなく、「敵意憎悪剥きだしの攻撃」だったのである。

 私の山崎の文章に対する反感は、「他者と比較してデヴィ夫人を貶めるのではなく、デヴィ夫人だけを批判すべきである」だった。いわば「やんわりと意地悪く貶めているが、どうせやるなら正面からやれよ」だった。
 それは私の勘違いで、山崎は正面から敵意剥きだしでデヴィ夫人非難(批判ではなく)をやっていた。そのうえにさらにまた「比較」で貶めていたのである。

 前記の文で私は比較という手法に対する批判しかしていない。そうではなく、正面からの非難であり、その手法がまたあまりに御粗末なものだったので補稿する次第である。「デヴィ夫人の肩を持つ」という結論は変らない。

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 上中下の三回に分けて書かれた文章は、上から中の後半までデヴィ夫人の自伝から材を取った執拗なデヴィ夫人批判、いや非難である。
 中の後半で、どうしようもなくいやな女である元インドネシア大統領夫人のこのひとを観ていると、対照的な存在としてこのひとを思い出す、と唐突に皇后陛下が登場する。流れ的にはまったく無関係。山崎としては「シンデレラストーリィとして共通」のつもりかも知れないが、まさに唐突に「大統領夫人」を非難するために「天皇夫人」として皇后陛下が登場するのだ。

 ここにおいて皇后陛下はデヴィ夫人を誹謗するための起用であるから持ちあげられる。皇后陛下はこんな活動をしてきた、こんな苦労をしてきた、それと比してデヴィ夫人はこんことばかりしてきた、なんと下品でいやらしい女であろう、という展開だ。

 しかし皇后陛下に対する敬愛は伝わってこない。デヴィ夫人を誹謗中傷する道具として登場させているだけなのが見え見えだ。「元大統領夫人」を非難する道具として突如思いついたので書いているだけである。なんの脈絡もない。デヴィ夫人が「尊敬している皇后陛下とわたしをなぜ比較するのか」と怒るのは至極もっともである。

 ましてサヨクであるから皇后陛下という敬称を使わない。使わないことに対する文章的なことわりもない。「天皇夫人-正田美智子」と書くのが極めて不愉快である。これは平民からの出身と言うことを明示するために一度は必要と妥協しても、そのあと何度も書く「天皇夫人」が不快だ。「皇后陛下」という尊称を避けている。「陛下」ということばを使いたくないのだろう。「天皇陛下」すらない。「天皇」だ。「天皇夫人」とはこれまたいかにもバカサヨクらしい言葉づかいだ。まことに気分が悪い。こんな女に皇后陛下に触れて欲しくない。陛下がけがれる。



 下(ゲ)においてやっと小倉さんが登場する。これまたデヴィ夫人を非難するための道具だからあっさりとしたもの。
 要するにしっかりと読みなおしてみると、これは当初私が思った以上に「上中下全編デヴィ夫人を非難するための文章」だったのである。皇后陛下も小倉さんも刺身のつまだ。文章量の内、90%がデヴィ夫人に関するもの、7%が小倉さん、3%が皇后陛下、そしてそれら全体の100%が丸々執拗な「デヴィ夫人非難」である。

 それはそれで山崎の切り口だからいいが、ただ《アジア女性交流史・昭和期篇 (17)──インドネシアの〈シンデレラ〉と〈地の塩の女性〉――デヴィ=スカルノと小倉みゑ》というタイトルからだと「デヴィ夫人半分、小倉さん半分」のように思える。その点では看板に偽りありだ。最初から「私の大嫌いなデヴィ夫人批判」とでもしたほうがよろしい。

 そしてデヴィ夫人非難の手法がこれまたなんとも御粗末なひどいものだったのである。あらためて書きたいのはそれになる。


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 デヴィ夫人の自伝をもとに批判を始める山崎は、「当時シンデレラストーリィとして話題になった」とし、すぐに「といっても、インドネシア大統領の第4夫人か第3夫人かだったが」と書く。見よ、この悪意(笑)。

 いやしくも大宅賞を受賞した(笑)ノンフィクションライターであり、調べ物をして書いているのだから、「第4夫人か第3夫人かだったが」なんていいかげんな書きかたをしてはならない。正しく明解に「第3夫人」と書けばいいのである。書かねばならない。それを「正規の大統領夫人ではないんですよ、妾ですよメカケ、それもあんた、2番目ですらないんですよ、第4か第3とかですよ」とイヤミを言いたいがためにこんなことをしているのだ。まるで「底意地の悪い井戸端会議のおばさん」「嫌いなヤツの上履きを隠してしまう田舎の中学生レヴェル」の当てつけである。しみじみなさけなくなる。読んでいるこちらが惨めになる文章だ。



 坊主憎けりゃ袈裟まで憎しで、スカルノの業績にもケチをつける。たいした大統領ではなかった、スハルトに大統領の座から追い落とされ幽閉されて惨めに死んだ、と。この辺も山崎のデヴィ夫人に対する敵意憎悪剥きだしである。

 この文章を書くために山崎はインドネシアまで取材に出かけた。街頭でインドネシア人にデヴィ夫人のことを尋く。
三十代、四十代のひとにデヴィ夫人を知っているかと尋いた。誰も知らない。デヴィ? それは通りの名か? と言うひともいた

 ざまあみろと言っているわけだ。インドネシアの元大統領夫人だとかなんとか言ってテレビに出て気どっているが、おまえのことなんかインドネシア人は誰も知らないよ、ストリートの名前かだってさ、なにがデヴィ夫人だ、なにが大統領夫人だよ! と。

 最後の「それは通りの名か? と言うひともいた」がまた笑える。これまた底意地の悪い中学生レヴェルの悪意だ(笑)。現にそう言ったひとがいたとしても書く必要はない。なのに書く。貶めるために。いかに知られていないかと強調するために。

 こういうのも感情を抑えたまともなノンフィクションライターなら、「三十代のタクシー運転手、四十代の食堂従業員等街中で出会った×人にデヴィ夫人を知っているかと問うたが(と質問した相手の職業や人数を書き)、知っていたのは×人だけだった」のように正確にシンプルに書くだろう。だがデヴィ夫人憎しの感情で突っ走る山崎はそういう基本的なことすら出来ていない。

 山崎朋子の文章を読んでいるとしみじみ「女ってのは……」と思えてくる。ツジモトキヨミやフクシマミズホ、タジマヨーコから感じるうんざりと見事なまでに共通している。あ、山崎サンの方が年上だ。じゃあこっちが元祖か。



 だが、ここまではまだいい。デヴィ夫人を大嫌いなノンフィクションライター山崎朋子が、スカルノの業績を貶したこと、いまのインドネシア人は45年も前にスカルノの第三夫人だったデヴィ夫人なんて誰も知らないと言いきったこと、ともに山崎の見解だからこれはこれでいい。否定的な意見があったとしても、山崎朋子の考えかたとして成立する。問題はこのあとである。

 山崎はデヴィ夫人がヌードになったことを批判する。するとそれまでの論調が一転するのだ。これは笑える。憎さのあまり逸走を始める。

インドネシアはイスラム文化の國である。インドネシアの人びとは建国の父と誇る初代大統領の未亡人のヘアヌードをどのように受けとったか」

デヴィ夫人はインドネシア国民の生活感情とプライドを踏みにじった──と言わざるを得ぬであろう」


 ついさっき、前ページでは「夫人と言っても第4か第3とかだが」「スカルノなんてたいしたことはやってない。革命で追いおとされ惨めに死んだ」「デヴィ夫人なんてもう誰も知りゃしない」と書いているのに、いきなり今度は「建国の父と誇る初代大統領の未亡人」とスカルノと、その未亡人デヴィ夫人を持ちあげるのである。次ぎに叩きおとすために。なるべく高く上げて落差をつけたほうが相手に与えるダメージは大きい。

 国民全てが父と誇る建国大統領の未亡人が裸を晒して「インドネシア国民の生活感情とプライドを踏みにじった」と書くのである。なにが「と言わざるを得ぬであろう」だよ(笑)。わらかしてくれるおばちゃんだ。書いてて恥ずかしくならないのだろうか。

 よくもここまで逆のことを書けるものである。矛盾に気づかないのだろうか。これが何十年もノンフィクションライターをやってきた者の手法か。「文藝春秋が直木賞、芥川賞と並んで設置している大宅賞を受賞した」と自ら書き誇っている77歳の作家がやることか。デヴィ夫人嫌いが昂じて盲いている。これじゃ単なるペンの暴力である。錯乱した暴走文章だ。いやはやなんともお粗末としか言いようがない。





 デヴィ夫人なんてインドネシア人は誰も知らないと山崎は自分で調べて書いている。事実だろう。スカルノ失脚が1967年。もう42年も前のことだ。ごく単純にその年に生まれた42歳以下のひとは知らない。50歳もそのとき8歳だからまず知らない。政治的なことにいくらか興味があるのを18歳とするなら、デヴィ夫人がそれなりの話題になっていた1965年頃を知っているのは60歳以上となる。

 それを考えると、そもそも30代40代のインドネシア人にデヴィ夫人を知っているかと問うことすらただのイヤミに思えてくる(笑)。生まれる前のひとのことなど知っとるかい。まして教科書に載るような歴史的要人ならともかく美貌だけで異国から娶られた第三夫人である。

 日本でもそうだろう。私は9歳上の姉(デヴィ夫人シンデレラストーリィに興味のある当時適齢期)が女性週刊誌を買っていたから、そこそここの話題を知っているが、たぶん私と同い年の日本人男性は、当時のデヴィ夫人の話題など知らないだろう。私も姉がいず女性週刊誌を読んでいなかったら、まったく知らない話になる。(時代的なことを精確に書くと、私の知っているこれらは、デヴィ夫人が嫁ぐと話題になったときではなく、政変で逃げかえってきていた30歳のころのことになる。)

 上の『文藝春秋』の記事「東大で語った愛と革命の半生  デヴィ夫人」に収録されているが、当時のデヴィ夫人はかなり政治的活動もしていたようだ。ライヴァルは第二夫人である。第二夫人がアメリカと結託して行動し、デヴィ夫人は共産党系に近寄った。両方とうまくやるのが第三世界の常識である。このときに金日成に可愛がられ、アメリカに疎まれたことが、今の北朝鮮贔屓、アメリカ嫌い(=アメリカと結託していた佐藤栄作嫌い)になっている。

 その北朝鮮だって金日成はとっくに死んでいるし息子の金正日でさえまもなくと言われている時代だ。デヴィ夫人が第三夫人として表に出ていたのは1965年前後の二三年だから、インドネシアの三十代四十代が「そんなひと、知らない」のは当然だ。まだ生まれていない。

 山崎の文に、六十代のタクシー運転手にデヴィ夫人を知っているかと問うと、「日本から来たひとだったか、きれいなひとがいたねえ」と唯一答が返ってくるという箇所がある。スカルノ政治を肯定し、当時を懐かしむ六十代後半以上のひとが、「スカルノ大統領の三番目の夫人で、日本から来たきれいなひとがいた」という形でかろうじて覚えているのがデヴィ夫人の現状なのだろう。



 しかしスカルノ政治そのものが遥か過去のことなのだから「デヴィ夫人のことなどインドネシア国民は誰も知らない」と言いきってかまわないだろう。むしろインドネシア国民にとってよくもわるくも「建国の父」は、スカルノのあと、1968年に大統領になり、インドネシアを経済的に発展させ、その代わり強烈な獨裁体制を30年も継続させたスハルトである。善悪両方を含んで国民に大統領として染み込んでいるのはスハルトだ。三十代四十代のひとにとって、生まれたときから最近まで、大統領はずっとスハルトだったのである。自分が生まれる前の大統領の第3夫人など知っているはずがない。

 スハルトの獨裁政権が30年続いたインドネシアは1998年にスハルトが失脚し民主化の時を迎える。その後、ハビビ、ワヒドと大統領は短期で変り(やっとまともな國になったと言える)、2001年にはスカルノの第一夫人長女のメガワティが女大統領になっている。父娘大統領だ。このへん世襲がどうのと言われるがアメリカも日本もインドもインドネシアもたいしてかわらない。

 インドネシア史では、スカルノが亡くなったあと、第一夫人、第二夫人を中心とした勢力争いがあった。このときスカルノ存命中はそこそこの政治活動をしていた第三夫人のデヴィ夫人は日本で出産したひとり娘と共に早々とパリに亡命しその後政争には一切関わっていない。彼女の強味は絶対権力を持つスカルノに寵愛されていたことであり、スカルノが力を失ったら闘いようがなかったのだろう。その点、インドネシア人であり年輩だった第一夫人や第二夫人は、スカルノの部下や軍部等、力と成り得る勢力と繋がっていた。



 パリに逃げたデヴィ夫人は、インドネシアから持ちだした財産でパリの社交界にデビュウする。これが本来彼女のやりたかったことだ。「東洋の真珠」と謳われた美貌で浮き名を流す。「東洋の真珠」は本人の主張なので真偽は不明だが、この当時の彼女はたしかにきれいである。整形疑惑も根強いが──いや確実に整形していると思う。より完璧な美を求めて──若いときの彼女が整形せずとも美人だったことも事実だ。それでのし上がったのだから。

 この「パリの社交界」に関しても、いわゆる王侯貴族の集う真の欧州社交界ではなく、もっとマイナーなサロン程度のものだったとの評もある。真偽はともかく、私も欧州の社交界で国がインドネシアでは、決して花形ではなかったろうと思っている。モナコのグレース・ケリーとはちがう。



 そういうインドネシア人から忘れられた存在、誰も知らないおばさんであるデヴィ夫人が、遙か彼方の日本の雑誌で裸になっても一般のインドネシア人には関係ない。だって誰も知らないひとだし、日本での出来事であり、インドネシアではヌードはご法度で発行されないのだから。生きることに必死な一般インドネシア人がそんなことを気にしているはずがない(笑)。

 1993年に日本で発売されたヌード写真集などインドネシアの一般人には無縁だったろう。スカルノ大統領の記憶が生きている未亡人になってまもない30歳のころならともかく、それから四半世紀過ぎた53歳の時のヌードである。「元大統領夫人がヌードになった」「イスラム世界では許されないこと」と、もしも騒いだひとがいたとしても、それは山崎のような特殊な意趣を持つ日本人だけだ。従軍慰安婦などというあり得ないものを作りあげたのがアサヒシンブンであるように。

 もしもごく一部のインドネシア人がデヴィ夫人のヌードに不快感を表明したとしても、それも「こんなものが出ましたよ」と御注進に及んだ日本人が作りあげたものだろう。すくなくとも裸はご法度のインドネシアで、一般庶民がデヴィ夫人のヌード写真を目にし不謹慎だと憤慨することはあり得ない。なによりもう遙か過去の人であり忘れ去られている。見たとしても見知らぬおばさんの裸でしかない。日々を生きるのに精一杯の一般庶民が30年前の大統領第三夫人が裸になった、許せないと怒る、なんてことがあるはずもない。山崎の言っていることがいかに根拠のない暴論であることか。



 だってデヴィ夫人のヌードなんて日本人の私ですら知らない。検索したら、「スコラ」(あったねえ、こういう名の雑誌)で脱いだらしい。53歳の裸を喜んだのはよほどの熟女好きぐらいだろう。
 なにより「インドネシア人は遥か過去の人であるデヴィ夫人なんて誰も知らない」と現地でインタヴュウして証明してきたのはノンフィクションライターの山崎サン御本人である。

 なのにいきなり「インドネシア国民の生活感情とプライドを踏みにじった」って。なんだよ「生活感情」って(笑)。デヴィ夫人がインドネシアでは誰も知らない忘れ去られたひとであり、「インドネシア国民の生活感情やプライド」と無関係であることを延々と書いてきたのはあなたじゃないですか。

 なんでこう豹変できるのだろう。言ってることがメチャクチャである。自分の嫌いものを引きずり落とすためならなんでもありだ。自分で調べて得意気に書いてきたことと正反対のことを自分でやっちゃいけません。何年か前に出した本と今度出した最新刊で意見がちがっているとかならまだしも、一冊の雑誌の中の短文で、前半と後半で言ってることがこんなに違っちゃ笑われる。と言わざるを得ぬであろう(笑)。

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 あまりにバカバカしいのでもうやめる。
 繰り返すが、デヴィ夫人はどうでもいいのである。私はデヴィ夫人を擁護しているのではない。あんな北朝鮮好きで、自分がむかし金日成に大事にしてもらったからと今も北朝鮮に通い、北朝鮮がパンフレットにしている捏造と確定している南京事件の写真(本来の写真とは無関係なものを都合良くトリミングして日本軍の残虐写真として流用している)を、北朝鮮側の発表通りに朝鮮における日本軍の残虐行為としてブログに掲載し、日本は朝鮮に謝罪しろと叫いてる政治音痴のおばさんのことなどどうでもいい。(この件に関して、彼女は二重の過ちを犯していることになる。)

 言いたいのは、山崎朋子というバカサヨクの手法だ。なんともうす汚い。自分の嫌いなものを貶めるためなら何でもありである。いやはや呆れた。こういう手法を取るライターの文など信じられるはずがない。

 あのTBS事件を思い出す。「関口宏のサンデーモーニング」だ。石原慎太郎を非難するために、否定している彼の発言映像を、語尾の部分の音声をうやむやに編集して、肯定しているかのように歪曲したのだ。いくら嫌いだからといってこういうことをしてはいけない。それではもう「報道」ではない。

 山崎も同じ。嫌いなデヴィ夫人を否定するのはいい。だけど否定のための否定で、「誰も知らない」とさんざん書いてきたひとを、一転して「インドネシア国民の生活感情とプライドを踏みにじった」なんて矛盾したことを書いたら笑われる。



 デヴィ夫人の自伝と自分で調べてきたことを基本にデヴィ夫人を批判してまとめればよかったのである。そうすれば「山崎朋子のデヴィ夫人批判」として成立していた。皇后陛下や小倉さんとの無意味な対比等その手法には納得できないが、とにかくそれはそれで「ノンフィクションライター山崎朋子がいかにデヴィ夫人を嫌いか」という文章として成立していたろう。その対比の手法がまともな人間から嗤われたにせよ。

 ところがデヴィ夫人を叩いて叩いて完膚無きまでにノックアウトした(あくまでも山崎側の感覚)あと、それでもまだ鼻息荒く昂奮冷めやらぬ山崎は、ピクリとも動かぬデヴィ夫人を見おろし、「なにかまだこいつを叩くネタはないか!?」と考えた。

 この辺、おんなの執念がよく出ている。女が好きな男を殺したとき、すでに三ヵ所ぐらい刺して絶命しているのに、さらにそのあと全身80ヵ所を刺していた、あまりに無惨な遺体で警察関係者も目を背けた、なんてことがよくある。暴走を始めた女は止まらないのだろう。かわいさ餘って憎さ百倍、絶命しているのに、さらにそれを刺して刺して刺しまくる。今回は好きな男ではなく元々大嫌いな同性だから攻撃の手はさらに執拗だ。

 ヌードの一件を思い出した。それを持ちだしてピクリとも動かぬデヴィ夫人をまたメッタ刺しにする。どんなもんだ、思い知ったかと勝利の快感に酔う。
 山崎はヌードに関する論理の矛盾でそれまで積みあげてきたものを自分で崩してしまったことに気づかない。頭に血の上ったおんなはバカだとしみじみ思う。



 でも自伝にあるような生きかたをしてきたのならこんな性格にもなるだろう。父の死、それ以降の母との関係、朝鮮人革命家との結婚、顔を切りきざまれた二十代……。
(この「補稿」は、山崎の自伝「サンダカンまで」を読んだあとに書いています。)

 山崎のデヴィ夫人嫌いは近親憎悪のように思える。美貌を武器に成り上がった女に対する、顔を切られて美貌を武器にしそこなった女の怨念である。
(山崎の自伝にある「顔を切られて入院しているとき、旧知のカメラマンが御見舞に来て、すこし離れたところで、『今度創刊される週刊誌の表紙に彼女を使おうと思っていたのにこれでもうお終いだね』と話していたことを立ち聞きしてしまった」なんてエピソードに、山崎の自身の美貌に対する自信とそれを失った無念さが窺える。)

 その意味じゃ底辺の女達を描くのがテーマの山崎サンだが、デヴィ夫人を書くのは必然だったのだろう。山崎の中ではデヴィ夫人がどんなにセレブ(笑)ぶろうと、それは「底辺女性史」なのだ。

 私の中ではふたりがひとつになってきた。表と裏、明と暗、ふたりはとてもよく似ている。エキセントリックなところも。
 そしてまた、「娘との微妙な距離」も共通している。山崎のひとり娘に対する記述が不自然であることは「サンダカンまで」の感想に書いたが、デヴィ夫人もまた「スカルノにそっくりで美人とはいいがたいひとり娘」(38歳。先日ヨーロッパでの結婚が伝えられた)との距離は微妙だ。日本で産んでいるのだが、とてもとても親愛溺愛とはいいがたい。
 このふたり、妙に似ている。

 パラレルワールドには、朝鮮の革命家青年と一緒になって成り上がった日本人、山崎朋子北朝鮮大統領第三夫人の放蕩三昧のスキャンダルを、ノンフィクションライター根本七保子(デヴィ夫人の本名)が暴くという逆の世界があるように思える。


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 デヴィ夫人に関する補記

 私はデヴィ夫人は巷間噂されるようにインドネシアからかなりの財産を持ちだしたと思っている。当たり前のことである。そうでなければフランスでお気楽な暮らしが出来るはずがない。
 彼女はそれらしきことを書いた山崎に対し、「今の私に財産と呼べるものがあるとしたら、それは私が自分で働いて得たものです」と反論している。貿易商のようなことをしたり、会社を経営したり、彼女なりに努力し失敗し苦労してきたようだ。日本での言いたい放題のタレント業は大成功になる。彼女はその理由を、「わたしは生活が安定しているからテレビに媚びる必要がない」としている。その通りだと思う。でもそれらの始まりであるヨーロッパでの暮らしは、スカルノからもらったインドネシアでの財産だろう。

 しかしまたそれを「インドネシア国民の財産を搾取して」などと非難する気も毛頭ない。
 時の権力者がやることは古今東西みな同じである。初代大統領になったスカルノは地位を利用して冨と名誉を築いた。デヴィ夫人はスカルノに若さと美貌を与えるかわり金銭的代償を得た。40歳年上のインドネシア大統領の第三夫人になったのは権力と栄誉栄華を得るためだ。寵愛されている時期にせっせと蓄財に励み、失脚するとわかったときにはすぐに海外への持ちだしを図ったろう。

 この項目において私は「デヴィ夫人の考えを支持し、山崎朋子の文章構成を批判している」わけだが、かといってデヴィ夫人の人生をきれいごとだと思っているわけではない。誤解なきよう一応念のために。



 それにしても、憲法問題、靖國問題、自衛隊等、私からすると納得できる意見の多いデヴィ夫人が、北朝鮮問題に関してはまるで社民党のようになってしまうのは残念だ。
 それは「当時、金日成と親しかった。大事にしてもらったから」である。この関係は、「芸者時代、かわいがってくれた旦那が落ちぶれたが、女将になった今、昔の恩義を感じ助けようとする」に通ずる。

 彼女の北朝鮮に関する解釈はめちゃくちゃくだが、ここには殺人鬼の男を「あたしにだけはやさしかった」と庇う女の心意気がある。彼女の一貫した姿勢だ。過去の男とのことをバラして金を得ようとした山崎拓の元愛人や将棋の林葉直子、蜂の一刺しの榎本などとは違った女の心意気が見える。
 その意味ではデヴィ夫人は〝いいおんな〟である。男からみたら恩義を忘れないかわいいおんなになる。あの世で金日成はそう思っていることだろう。
(09/4/29)


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 このあとに読んだ山崎朋子があちこちに書いた短文を集めたエッセイ集「わたしがわたしになるために」の一篇に、「顔を切られる前に親交のあったカメラマンが後々ヌード写真の巨匠となり、後年対談したとき、あのころの山崎サンはいい体をしていたと誉められる話」がある。その結びを彼女は、「もしかしたらわたしも脱いでいたかも知れません」としている。(このカメラマンは秋山正太郎かな?)

 交際のあった男に切りつけられ、顔を68ヵ所も縫うような悲惨な目に遭った山崎サンは以降そういうメディアとは無縁になる。「サンダカン八番娼館」で有名になってからも極力テレビは出ずラジオに限っている。その理由を山崎サンは顔が売れてしまっては底辺女性の取材が出来ないとしているが、本当は顔の傷がアップになることを怖れたからだろう。
 あの事件さえなく、あのまま写真モデルをしていたなら、そのヌードの大御所カメラマンに口説かれて裸になっていたかも知れないと御年七十で、ちょっとおどけたタッチで書いているのだ。
 
 それは当時の山崎サンがナイスバディ(笑)であったのと同時に、彼女のなかの「デヴィ夫人的要素」を証憑している。あの事件さえなかったら、彼女は秀でた容姿と豊満な肢体(推測)の写真モデルとして大活躍し、当時としては話題沸騰となる先魁的なヌードを発表していた可能性もある。時あたかもテレビ時代の到来だから、その活躍の可能性は無限大だったろう。モデルから本来いちばんなりたかった役者の道に進んだのは間違いなく、「底辺女性史研究家」なんて地味なものにはならなかったろう。もっと明るい日の当たる道を歩んだはずである。

 それもこれも女の命である顔を切りきざまれるという事件から暗転した。
 このちょっとおどけた「脱いでいたかもしれません」は、ユーモラスというより、美を奪われてしまった女の悲痛な叫びに聞こえた。
 山崎朋子の「デヴィ夫人ヌード批判」は、そういう機会すら奪われてしまった女の怨念から発している。だからこそあのように文脈を破壊してまで執拗に攻撃したのだろう。山崎サンも脱ぎたかったのだ。
 読めば読むほど山崎朋子サンは痛々しい。(09/6/20)

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 2ちゃんねるの記事でふたりの関係を知り、デヴィ夫人のブログを読み、図書館に出かけて「世界」の山崎の文を読み、感想文を書いた私は、そこから山崎の自伝、過去の著作と読んで行くことになる。

 それらの感想をあれやこれや書いたら「この春の一大イベント」になってしまった(笑)。まあたいへんだった。それでも山崎朋子の「トンデモ本」を読み、政治や思想、あるいは時代について考えられたのは、ひさしぶりにいい勉強になった。
 以下、「山崎朋子まとめ読み」に続きます。

 山崎朋子まとめ読み



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