2009
3/10
 『諸君!』廃刊──相継ぐオピニオン誌の廃刊


 文春発行の『諸君!』が廃刊になると知る。好きな雑誌だけに残念だ。
 以下は、それを伝えるアサヒシンブンの記事。

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 保守系の代表的なオピニオン誌である月刊「諸君!」の休刊を、発行元の文芸春秋が決めた。5月1日発売の6月号が最終号になる。

 同誌は69年5月の創刊。看板雑誌である月刊「文芸春秋」の兄弟誌的な位置づけで、右派論壇を支える存在だった。福田恒存、山本七平、江藤淳、林健太郎の各氏らが論陣を張り、巻頭の「紳士と淑女」、巻末に置かれた山本夏彦氏の「笑わぬでもなし」の両コラムも評判になった。

 日本雑誌協会によると、08年9月30日までの1年間の平均発行部数は約6万5千部。だが関係者の話では、実売は4万部を割る状況が続いていたという。

 同社全体の広告収入が減っており、新年度の好転も見込めないことから、「選択と集中を進める」(同社幹部)との意味合いと、創刊から40年という区切りもあって休刊を決めた。


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 保守系のオピニオン誌が廃刊になってアサヒはうれしいようだ。でも『諸君!』よりも前にアサヒの「論座」は2008年10月号で廃刊になっている。
 雑誌はなくなるとき一様に「休刊」とし、決して廃刊とはしない。万が一の可能性を思い休刊とする気持ちは解るが……。

 この種の雑誌は右の『諸君!』(文藝春秋)『正論』(産經)と、左の「世界」(イワナミ)、「論座」(アサヒ)の対立構造だった。そこから二誌が廃刊になった。残ったふたつも風前の灯火か。

 講談社の「月刊現代」も2009年1月号で廃刊になっている。
 小林よしのりの「わしズム」も今のが最終号か。

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 図書館に行って『諸君!』最新号を読んだ。田舎にいるころは『諸君!』も『正論』も買っていた。東京にもどってからは立ち読みや図書館でのまとめ読みになってしまっていた。なんとなくそのことに責任と罪の意識を感じたりしている。そんなものじゃないのだろうが、意外にそんなものかもしれない。支持者がみな、いつまでも続くものと思い応援を怠った気がする。

 不思議だったのは廃刊のニュースがかなり早めに流れたのに4月号ではまだ年間定期購読のお知らせを打っていたこと。もうすぐ廃刊なのにこれはないだろうと思った。
 出たばかりの5月号でチェックしたら、ここには来月号が最終号だと明記し、定期購読の解約の方法や払いもどしのことが載っていた。せつない。
 下は、5月号の内容。「休刊目前、『諸君!』より最後の叱咤」が泣ける。



 このことに触れたインターネットの文章は、『諸君!』の愛読者が廃刊を残念がるものが多かった。みないい文章である。以下はそのひとつ。
 旧かな遣いで書いている。私よりも一回り年下の國語の先生だ。このかたのプロフィールにあった「好きなひと」で、「高島俊男 筒井康隆」が共通していた。

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 実売、四万部を割るといふのははたして厳しい状況なのだらうか。650円×4万部=2500万円 儲からない数字なのかどうか私には不明であるが、そこまでして訴へるものがなくなつたといふことであらう。出版社はここのところ広告収入が減つて厳しいといふのは、あちこちで言はれてゐる。しかし、創刊当時の、広告収入だつてさう多くはあるまい。手元の創刊号を見ると、定価200円。総頁は272ページだから今とかはらない。字は小さいから原稿の量は今よりも多いから原稿料はもつとかかつてゐただらう。福田恆存の「利己心のすすめ」や小林秀雄と高尾亮一との対談「新宮殿と日本文化」や、清水幾太郎の「戦後史をどう見るか」が載つてゐる。読みたいものばかりだ。かういふところに、雑誌販売の停滞の原因があるのは明らかだ。そして、なにより敵が見えなくなつたから、オピニオン誌の特徴が薄れたといふことである。左翼がゐなくなり、保守派が親米と反米に分裂し、今必要な論とは何かが編集者にも読者にも分かりづらくなつたからだらう。いや『正論』や『WILL』は元気ではないかと言ふ人がゐるかもしれない。しかし、さうだらうか。論者はほとんど重なつてゐる。

 さうであれば、オピニオン誌そのものが今壁にぶつかつてゐるといふことである。私が今読みたい文筆家は、長谷川三千子、小谷野敦、西尾幹二、山形浩生、松本道介、山崎正和、新保祐司、富岡幸一郎、遠藤浩一、佐藤健志諸氏である。かういふオピニオン誌はどうだらうか。

http://logos.blogzine.jp/1/


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 たしかに『諸君!』『WILL』『正論』『SAPIO』と、筆者、対談の出席者が被っていて、内容にも似ていることが多かった。だから私はいつしかそれらの中の気に入ったものだけを立ち読みや図書館で読むようになってしまったのだが……。
 オピニオン誌の「壁」というか「曲がり角」ではあったように思う。でもそれ以上にこれは「雑誌」、延いては「紙メディア」の曲がり角なのだろう。そういう時代だ。

 オピニオン誌は、週刊誌2冊分、スポーツ紙5日分の値段と考えると、すばらしいコストパフォーマンスになる。ほとんど読むところがなくすぐに読みすてるそれらと比べると、たっぷりと読みごたえがあり、本棚に並べられ、何年か後にも資料として役だってくれる。私がそれをしみじみ感じるのは海外に携行したときだ。

 私の保っている雑誌で最もコストパフォーマンスに優れたものは将棋雑誌になる。これは十年前、二十年前のものでも色褪せず、それどころか現在のトップ棋士のデビュウ時の棋譜や戦記があったりしてむしろ輝きを増すほどだ。私はここ何度かの引っ越しで多くの本を処分してきたが将棋雑誌と戦法書だけは保持してきた。
 オピニオン誌はそれに匹敵するぐらい価値があるだろう。とはいえその引っ越しのとき、創刊号から保っていた『SAPIO』は捨ててしまったから、私の中では将棋雑誌よりは落ちることになる。今も悔いているが借家暮らしには本の処分は必須になる。

 結局廃刊の決断は「先細り」なのだろう。定期購読者はきちんと読んでくれる。だがあたらしい読者層の開拓がむずかしい。商売としては引き時と判断したのか。それにしてもいい雑誌だっただけに残念だ。

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 インターネットで見つけた『諸君!』廃刊に関する文章は、いいものが多かった。が、むろん中にはこんなのもある。

 2009年度ダントツで1番の明るいニュースをお伝えします。
文春発行の極右雑誌「諸君」が5月1日発売号で廃刊となります。大不況のもとで暗いニュースが多い中、こんな明るいニュースが他にあるでしょうか(^^)。

 部数の推移としては、05年8月で8万部(あくまで発行、実売ではない)、08年9月に6万5千部。しかし、現在の実売は4万を切って、3万部台だそうです。

 もともと諸君は、69年に日本文化会議の機関紙としてスタートしたものです。その当時は、文春の労組が「右翼雑誌を出すなんて」と団交を申しいれたぐらい。今の文春の社員では考えられませんね^^。

 ネットウヨのブログだらけの状況と、文春の広告収入の大幅落ち込みで、「めでたく」休刊となりました。

 明るい話題だなあ。めでたしめでたし。

http://ppoo99.nassy.jp/e9560.html


 まあ、いろんなひとがいる。
 私がこのひとのように「明るいニュース」とはしゃぐとしたら「週刊金曜日」が廃刊になったときか(笑)。このひとは落ちこむのだろう。あの畸型週刊誌、なかなかしぶとい。

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●廃刊は続く──「Yomiuri PC」「読賣Weekly」

 今日、最終号の「Yomiuri PC」を読んだ。これまた廃刊である。13年の歴史とあるから1996年創刊になる。Windows95が出て、一気にパソコンが普及した時期だ。OSを買うのに徹夜で並ぶなんてどういう感覚なのだろう。私はPCマニアだがそんなことはしたことがない。
 たいして特色のないPC雑誌だし廃刊もやむなしか。一時はPC雑誌を月刊誌、週刊誌あわせて月に7誌ぐらい買っていた。いまはまったく。

 でもPC雑誌はまだ立ち読みしているし、自作派のパソコンオタクではいまもあるから、また好きなだけ自作が出来る環境になったら復帰するだろう。
 プロレス雑誌は、一時は二ヵ月滞在するチェンマイに航空便で送ってもらうほど入れこんでいたのに、いまじゃ電車の中に落ちていても拾わないだろう。変れば変るものだ。プロレス紙誌が相次いで廃刊になったことが納得できる。これまた時代の流れだ。

 そういうPC雑誌を片っ端から買っているときでも「Yomiuri PC」や「日経PC」(これはまだ出ている)には興味が湧かなかった。対象としているひとが違うのだ。両誌が毎号のように特集するのは「Excelの秘密技」というやつで、これだけでもどんなひとが読むのかが見えてくる。PCそのものに関しては「XPやVistaを速くする」のようなのが多く、私には知っていることばかりだった。つまり、毎日ExcelやWordを使っている、機械には疎い、文系のサラリーマン、OLの読むPC雑誌だったのだろう。

 そういう興味のなかったPC雑誌をここで取りあげているのは、これらは図書館の常備雑誌だからである。そこには逆に私の好むPC雑誌は置いてなかった。図書館に行かなかったら廃刊になったことすら知らない世界だった。図書館の好みと私の好みは異なるので、それがとても新鮮である。



 読賣と言えば「読賣Weekly」が昨年廃刊になっている。2008年12月1日発売号が最後だ。むかしの「週刊読賣」である。あれこれ模様替えをして努力していた。伸びなかったのか。

読売ウイークリー休刊 創刊65年で幕

 読売新聞社は29日、週刊誌「読売ウイークリー」を12月1日発売の「12月14日号」で休刊すると発表した。総合雑誌として創刊以来65五年の歴史を持つが、最近は部数が減少していた。

 同誌は1943年に「月刊読売」として創刊。52年に週刊化され「週刊読売」に名称を変更。2000年に「Yomiuri Weekly」に、05年に「読売ウイークリー」と名を変えた。発行部数は2000年には約40万部だったが、今年は約10万部に減少していた。

 読売新聞東京本社広報部は「週刊誌市場の縮小傾向や、メディアの多様化が進む中で休刊を決めた」としている。


 引用から正しい情報を知ったので直さねばならない。
 前身は「週刊読賣」だ。それが大判のグラフィック誌になり、名前も「Yomiuri Weekly」となった。それは覚えている。そのころその変身に興味を持ち何度か買っている。
 しかしそのあとまた「読賣ウィークリー」という名になったのは知らなかった。推測するに、グラフィック誌のような体裁は元価が高いので売りあげ減少と共に見掛けをもとにもどすとき、アルファベットでもなし、かといって今さら元の「週刊読賣」でもあるまいと悩み、こんな半端な誌名になったのだろう。
 廃刊の記事を読んだとき、「読売」と漢字があったことは覚えていた。だから「Yomiuri Weekly」と「読売」から、上記「読売Weekly」という誤記をしてしまった。正しくは「読売ウィークリー」と漢字とカタカナだった。

「週刊朝日」「サンデー毎日」はまだある。「週刊Spa!」は「週刊サンケイ」の変身らしいから、新聞社系列週刊誌としてはいちばん早く撤退したことになる。
 むかしから新聞社系列の週刊誌というのは読んだことがない。嫌いだ。「サンデー毎日」のように、受験の弊害を説く路線を取りつつ合格発表速報で売っているようなものには係わりあいたくない。

「日刊の新聞→週刊の雑誌」は新聞社の基本と解釈しているので、この廃刊にはしみじみと感じるものがある。たいして売れなくても面子で出しつづけるのではないかと思っていた。

 この辺、読賣は身を処するのが迅速のようだ。今さらもう体面にこだわっている時代ではないのだろう。
 となると将棋棋戦として破格の高額を出してくれている竜王戦も、あまり安心は出来ないとなる。棋戦にそれだけの価値なしと判断したらサッと手を引くかも知れない。



 『諸君!』の廃刊は本当に残念だ。だけど私もかつての購入者から図書館で読むだけの読者になっていたからエラそうなことは言えない。
 田舎に住んでいる、こういう雑誌を定期購読しているひとは、毎月の楽しみがひとつ減って落胆したろうなあと、としんみりする。そういうひとは、風光明媚な田舎で老後を過ごすインテリ老人なのだが、足がないひとが多い。週に一度やってくる娘のクルマで買い出しに行くような暮らしだ。だからこの種の雑誌は年間定期購読をし、郵便で届くのを楽しみにしている。父母の世話で田舎暮らしをしていた時期、そういう田舎のインテリ老人たちと親しくしていたので、その感覚がわかる。時の流れではあるのだが……。



東大で語った愛と革命の半生  デヴィ夫人



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 『諸君!』廃刊にはしゃぐ雁屋哲(笑)

『諸君!』廃刊にサヨクの雁屋哲が大はしゃぎ(笑)。以下、御一読を。

2009年4月26日(日)@ 12:27 |

 文芸春秋社が発行している「諸君!」が、2009年の6月号で廃刊になるという。
 実に残念だ。
 私は、「諸君!」と、産経新聞社から発行されている「正論」を二十年以上前から定期購読している。
 シドニーに来てからも、OCSを利用して毎月取っているのである。


http://kariyatetsu.com/nikki/990.php

 この「残念だ」はもちろんイヤミである(笑)。

 おや、気がついてみたら、私は「諸君!」の大変な愛読者だったんだな。
 そういえば、「諸君!」には私を二度ほど取り上げていただいた。
 その一つ、「雁屋哲のうすっぺら」という題を今でも憶えているくらいだから、どんなことを書いていただいたか、お分かり頂けるでしょう。
 小学校の同級生が、「大変だ、こんなことを書かれているよ」といって、コピーを送ってきてくれたのも、良い思い出だ。


 とにかく行間からも廃刊がうれしてくたまらない気持ちが溢れてくる必読の迷文です(笑)。



 ビッグコミックスピリッツで第1回から缺かさず『美味しんぼ』を読んできた私だったが、彼の偏向した政治思想が前面に出て来るようになるととてもじゃないが読めなくなり、投げだしてもう十年になる。

『美味しんぼ』は『ゴルゴ13』と並んで海外の日本食レストランにもいちばん多く供えられているコミックだ。

 世の中には「雁屋哲の政治思想にはとてもじゃないが同意できないが、それとは関係なく『美味しんぼ』はおもしろい。読んでいる」というひとはいるのだろうか。きっといるのだろう。私には出来なかった。しかし私は出来なかった自分を当然と思っている。読めるひとは本当はなにも考えていないのだろうとすら思っている。彼の異常な中国や朝鮮への肩入れ、日本の否定の前には、どんな御馳走もゴミである。

8/5  靖國史観──小島毅


靖國史観―幕末維新という深淵 (ちくま新書) (新書)

内容(「BOOK」データベースより)

司馬遼太郎をはじめ、今や誰もが一八六七年の「革命」(=明治維新)を肯定的に語る。けれども、そうした歴史評価は価値中立的ではない。なぜか。内戦の勝者である薩長の立場から近代を捉えた歴史観にすぎないからだ。
「靖國史観」もそのひとつで、天皇中心の日本国家を前提にしている。本書は靖國神社創設の経緯をひもときながら、文明開化で儒教が果たした役割に光をあて、明治維新の獨善性を暴きだす。気鋭の歴史学者が「日本」の近代史観に一石を投じる檄文。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
小島 毅
1962年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。東京大学人文社会系研究科助教授。専攻は、儒教史、東アジアの王権理論。2005年に発足した文部科学省科学研究費補助金特定領域研究「東アジアの海域交流と日本伝統文化の形成」の領域代表を務める。多岐にわたる研究領域をかろやかに往還し、近代史をラディカルに問いなおす気鋭の歴史学者として脚光を浴びている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



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 月刊文藝春秋2009年6月号の特集は下掲のようなものだった。識者がそれぞれ思い込みのある歴史的な傑物を挙げて紹介し論じている。聖徳太子から手塚治虫、ハンニバル将軍からシュヴァイツアー、江夏豊の語る土方歳三まで多士済々である。

 その中で高島さんだけへんなことをしていた。タイトルは「テロリスト松陰」と他の方々と同じく歴史的な有名人・吉田松陰を取りあげているようだが文章の中身はぜんぜんちがう。編輯部から掲示されたテーマとはすこし違うがと前置きした上で一冊の本を紹介しているのだ。それが上掲の本、小島毅の「靖國史観」になる。

 「テロリスト松蔭」という見出しは、特集を「語った人と有名人」でくくったので、高島さんもそうしようとした編輯部の苦肉の策になる。他のかたがみなタイトル通りに名を挙げたひとのことを語っているのに高島さんだけ一冊の本を語っている。その本の中に吉田松陰がほんのすこし出て来るからこんな見出しにしたのであり、もしも高島さんが吉田松陰を語っていると思って手にしたらがっかりする。微塵もない。

 これって編輯者からしたらライターのルール違反であり一般的には書き直しを命ぜられてもおかしくないぐらいテーマとズれている。一般読者はどう思ったろう。高島先生に私淑している身としてはテーマ通り誰かをひとり語るよりも、ルール違反をしてまで推奨する本を知って興味深かった。でもそんなひとばかりでもないだろう。

 他のかたの姿勢と違い敢えてルール違反をした高島さんは、ただひたすら「靖國史観」を名著と讃え、勉強になる箇所が多く何度も読み返していると書いている。いや手放しで「名著」と讃えているわけではないのか。すこしニュアンスが違う。とにかく勉強になる、考えさせられるので何度も読み返している一冊であるらしい。それがよけいに興味をそそる。早速手に入れて読んでみた。

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 主だった内容は前記青文字の紹介にあるとおりだ。世界史にも例のない偉大な無血革命と評され、それに異を唱える意見は封殺されている明治維新は、ほんとうにそうなのか? あれってそんなにすばらしい話か? という切り口。

 この種の話題に興味のあるかたはぜひ読んでいただきたい。なるほど高島先生が何度も読み返しては考えているというだけあって、味わい深い一冊である。

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 ここからは無学な私の感情的感想文。識者からしたら噴飯ものだろうが私は私なりの感想をまとめておきたい。

 いったいどこでどうなったのか、なにがそうさせたのかわからないのだが、私は若いときから今にいたるまで明治維新に惹かれなかった。それは代代茨城という幕府側の血に育ったことも関係あろうし、第二次大戦の敗者日本に対する感覚も作用しているようだ。これはあとで知る。

 戦国時代、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、江戸時代、幕末から明治維新に関して、教科書で学習し、それに類する図書を読み、中学生、高校生とこどもなりにそこそこ知識を蓄えて行く。明治維新は世界にも自慢できるような革命だった、腐敗した徳川幕府は倒されて当然であった、それによって日本は西欧に追いつけ追いこせの近代国家へと脱皮したと学ぶほどに、智識では明治維新を認めつつも、どうにも燃えないのである。

 かといってこどもの智識で江戸時代が肯定できるはずもない。士農工商というひどい身分の差(この時点ではそのしたにエタ・ヒニンがあったとは知らない)があり、封建制度というとんでもない規律のもとで、斬り捨て御免などと言って町人や百姓は武士にいきなり殺されても文句も言えないなどと知れば好きになるはずもない。まったくひどい時代だった。いや江戸時代がではない。そういう情報が溢れていた昭和のその時期が、である。

 後に学んで知るように、そんな「斬り捨て御免」なんて無茶苦茶なことをする体制が260年も続くはずがない。支配階級の武士は農工商を支配していたが、同時に農工商に支えてもらわねばなんの生産性もない立場でもあった。威張ると同時に面倒も見た。武士が町人とケンカをしたら両成敗だったし、百姓町人を斬りすてるには自分も切腹覚悟だった。
 なのになんでこんな滑稽なことを本気で思い込んでいたかと言えば、当時の落語からテレビドラマまでみなそうだったからである。なぜそうだったかといえば、明治維新を肯定していたからだ。



 斬り捨て御免という文字通りの「切り口」で江戸時代を語るお粗末な内容の落語が、古典などと言ってもじつはみな明治後期から大正時代に、「明治肯定礼讃、江戸否定」の視点で作られたものだと知れば納得行く。が、当時は知らない。
 昔からそういう落語やテレビ時代劇に納得していたわけではない。こども心に無智ながらも疑問は感じていた。いくらなんでも大袈裟だろうと。むしろなんの疑問ももたずそれを受けいれているおとなが不思議だった。

 正当な智識を得てからも、それはそれとして割り切って楽しめるかというと、どうやら私はそれほど心が広くないらしい。どんなに志ん生が好きでも「たがや」あたりは聴く気がなくなってしまった。

「たがや」というのは、武士が気に入らない町人は無礼討ちと言って斬りすててもお咎めなしの時代に、そういうことをされそうになった町人が武士とケンカになり、次々に武士を斬りたおしては首を切りはらい、ふっとぶ首に「たがや」「かぎや」と花火の掛け声が飛ぶという話である。つまりそういう時代を否定し、虐げられた側からのカタルシスになるわけだ。
 もしも本当にそういう時代があったなら、これはひっそりと民衆のあいだで語られ続けてきた価値あるものになるが、そうではなく後に明治以降を礼讃するために作られたものだとするなら、極めて水準の低い駄作となる。いわばプロパガンダ用の作である。「南京大虐殺」なんて捏造にも通ずる。

 私はこども心にも、江戸時代がそれほどの圧政であり不自由な時代だったらあんな文化は花開くまいと思っていたから、事実を知ったときはうれしかった。同時に時流に乗っている片方を肯定するために否定したい片方を徹底的に大袈裟に誹謗して否定する方法は醜いと感じた。これは現在にも通じる私の基本姿勢である。



 明治大正ですらそうだったから、敗戦国は戦後やってきた「民主主義」とかに浮かれていて、江戸はますます否定すべき唾棄すべき時代のように扱われていた。時代劇は映画でもテレビでも人気だったが、そこで扱われる武士はいつも情のない権力を笠に来た同じ悪役だった。
 その辺の見直しが行われ、正当な智識が流布され、私のような無学な一般庶民が誤解を解いたのは近年である。いや近年と言っても20年、30年は経っているし、それ以前から心ある研究者はこの種の誤解を解こうと努力なさっていたにちがいない。しかし一般レヴェルでは江戸時代はずいぶんとひどい扱いを受けてきた。それもこれも「勝者明治維新」のせいである。

 視点を変えるなら、「絶対的な勝者明治維新」がいるのに、小説・映画・落語等のメディアでここまで愛されてきた江戸時代というのはいかに価値ある時間であることか。



 無学の輩がやたら戯れ事を並べていても切りがない。急いで書きたいことの要点をまとめ次稿に進もう。
 私は現行憲法を、勝者から押しつけられたもの、とこども時代から感じていた。誰に教わったのでもない。すなおに本能で、感覚でそう思った。日教組の教師は「平和憲法」と言っていたが、どう考えてもそれは「殴られても殴りかえしません」という異常なものであり、ケンカに勝ったヤツが負けたヤツに、「二度とおれに逆らうなよ」と力尽くで書かせた誓文としか思えなかった。その内容に価値があるか否かは別問題である。ただ経緯としてはこれが正しかろう。体力からして勝てるはずのないケンカだった。負けたのは仕方ない。しかしだからといってそれまでのすべてを悪にしてしまうのは「勝者の論理」だろうという反感を持っていた。

 同様に、明治維新というのは、江戸時代という老いた象が薩長という狼だか虎だかに倒される、西欧と吾する近代国家に生まれ変るためには、必然の革命であり、価値あるものだったと学び、そこそこ納得してきた。ただこれも本能的な感覚で、私には象を倒したものが狼や虎とは思えず、むしろ弱った象を好き勝手に噛み殺すハイエナのように思えた。
 だから私は薩長が嫌いだったし、幕末物という分野に、小説映画伝記、まったく接していない。明治維新は正しく偉大な革命であったという結論が出ている以上、嫌いなものはそれに近寄らないという手法で遠ざけるしかなかったのである。

 この本は、「明治維新てほんとに正しかったのか?」と問うている本である。俗に言うなら「あんなもん薩長の獨善で、内実はテロでっせ」と言っているのだ。『文藝春秋』に書いた高島先生の文章のタイトル「テロリスト松陰」とは、いまも高く評価され尊敬する人として名の上がることの多い吉田松陰だが、視点を変えればただのテロリストだと指摘したこの本から来ている。たしかに吉田松陰は、その後の時代が吉田松陰の望んだように展開したから尊敬される側になったが、そうでなかったら、時の政府の有力者にテロを敢行しようとし、事前にバレたので自首し処刑されたテロリストに過ぎない。こういう視点も必要だろう。

 江戸幕府を倒して出来たのは「明治幕府」であり、その後の大正、昭和、平成はみな「明治幕府」の中の区間でしかない。それは歴代の総理大臣を見ればわかる。いまも明治から続く時代なのだ。

 私のような薩長嫌いのひとには必読の書と勧められる。会津藩のひとにはぜひ読んでもらいたい。

9/14  
 「リベラルな俗物たち」──潮匡人


 『正論』に連載されていた潮匡人氏の「リベラルな俗物たち」は最高におもしろかった。今回が最終回。ちょうど一年続いたことになる。タイトルと人名を見ただけでよくぞ書いてくれたと拍手を送りたくなる傑作ぞろいだった。中身も素晴らしい。あらためて単行本になったら購入して感想を書きたい。

 と書いて戸惑う。買うだろうか? 大嫌いな彼らの発言を読んで不愉快になったとき、何度でも読み返してスッキリしたいとは思うが決して坐右に置きたい本ではない。いわば嫌いなヤツをいかにろくでもないかと懇切丁寧に例証して斬りすてた本であり、その痛快さに快哉を叫び拍手を送るけれど、かといって落ちこんでいる自分に元気をくれる中身ではない。そんなものを買って本棚に並べるか?

 ともかく発刊されたら図書館で借りてもういちど読んであらたに感想を書こう。クソみたいな連中をきちんと断罪してくれているすばらしい本だ。(このクソという下品な表現は下記の異様な朝鮮贔屓の井筒和幸が気に入らない者に対して連発する得意なセリフなので真似てみた。)
 全12回のクソ人物と潮さんがつけたタイトルは以下のようになる。

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第1回 姜尚中──自分しか信じないリベラル教徒

第2回 森永卓郎──破廉恥で利己的な強欲タレント

第3回 井上ひさし──反戦作家を自任するオカルト教祖

第4回 高橋哲哉──哲学を捨てた親北の反日活動家

第5回 半藤一利──軽薄な進歩主義を掲げた凡庸な歴史家

第6回 保阪正康──続・軽薄な進歩主義を掲げた凡庸な歴史家

第7回 井筒和幸──病んだ精神で憎悪と対決を煽る映画監督

第8回 中沢新一── 恥知らずな悪徳を擁護する宗教学者

第9回 渡邉恒雄──「第四の権力」を私物化するドン

第10回 上野千鶴子──私怨が轟く不潔卑猥なフェミニスト

第11回 宮台真司──悪徳扇動する卑狼で不潔なブルセラ学

最終回  立花隆──「知の巨人」と称される天下無双の俗物


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 タイトルを羅列している内、やはり潮さんには申し訳ないが私はこれが本になっても買わないだろうと思った。こんな連中のことを書いた本が本棚にあるというだけで厭になる。世の中には、わざとゴキブリが出やすいような汚い部屋にして、出て来ると踏み潰してよろこぶひともいようが、まともな感覚なら、ゴキブリが出ないような部屋にするだろう。踏み潰す快感よりいない快感を優先する。私は後者なので、こんな連中のことを書いた本を本棚に並べて置き、テレビや雑誌で見掛けたときすっきりするために読むより、なるべく彼らを見ないようにして生きたい。万が一の薬として必要かも知れないとは思うけれど。

 もっと連載を続けて欲しかったが潮さんの「疲れる」「たまらん」「うんざり」という溜め息が聞こえてきそうなのでこれ以上無理も言えまい。実際文章の中でも何度も連発している。
 この種の文章を書くことは疲れる。なにより楽しくない。だってトンデモないひとがいかにトンデモナイかを書くだけの作業なのだ。それでいて彼らには熱心な信者がいるから迂闊なことは書けない。資料の引用には気を遣う。細心の注意が必要だ。潮さんはその種の軋轢を避けるため極力彼らの書いた文章、発言からの引用による思想的政治的な批判に撤し、そこから推測できるもうひとつ言いたいことを抑えている。

 立花隆のタイトルに「天下無双の俗物」とあるが、そのことをもっともっと言いたくても抑えているのがよくわかる。立花の日常的な行為の俗物度合を思いきり嗤いたいのだが、それをするとあちら側からの反論の餘地が生まれる。そのことによって正当な批判が薄まってしまう。だからやりたいけど我慢しているのだ。そこのところは「立花隆秘書日記」の項目で私が書こう。



 連載「リベラルな俗物たち」が終了してしまったので物足りなく、潮匡人さんが以前に出した「憲法九条は諸悪の根源」を読んだ。それで「リベラル」はこの本の内容と被る部分が多いことを知る。取りあげられている連中も重なっている。まあそれだけ繰り返さねばならないほどの害虫なのだが。「リベラル」はこの本の、対象を絞った続篇と言えそうだ。

 この名著「憲法九条は諸悪の根源」の中には批判対象として何冊かの護憲派と言われる連中の本が登場する。

憲法九条を世界遺産に」という中沢新一と太田光の対談本は集英社新書のベストセラーなのだとか。そういや何年か前に平積みされているのを見掛けたような。
 ふたりの発言には同意しないが「世界遺産に」という発想は笑えていい。あんな珍妙なものは世界中のどこにも存在しないから「世界遺産」の価値はある。だが残念ながらそれは日本民族が世界に誇ろうとして作ったものではなく、戦勝国が敗戦国に「二度とおれには逆らうなよ!」と押しつけたものだ。その押しつけた戦勝国はその後おのれがあらたな敵と戦う都合上、自分達が禁じていながら軍隊を持て、憲法を改正しろと言ったりした。

 この件に関して、護憲派には「そうじゃない。それは勘違いだ。憲法は日本人が作ったんだ。草庵を作ったのは日本人だしetc」と言う無茶苦茶な牽強附会を押しつける人たちと、出自にはこだわらず「その通りだ。アメリカ人が作った。押しつけられた。だがそれがどうした。理念が崇高なら誰が作ったものでもいいではないか」という人たちが存在する。いくらなんでも前者はひどい。後者とはまだ論争できるが。



 日本ペンクラブ編の「それでも私は戦争に反対します」も取りあげられている。私は以前この本を手にして読了している。なんちゅうひどい本だと呆れ返ってしまった。自分なりに書評と批判を書こうと思い下書きまで進んだが、あまりの虚しさにほったらかしていた。今回、潮さんが正当に批判してくれていたことを知りほっとした。さすがプロはこんないいかげんなものを見逃さない。

 この本は、評論、随筆、手紙、小説等、それぞれが得意の方法で意見を書いている。総勢45人。この時期の日本ペンクラブ会長は井上ひさし。いかにも彼らしい一冊。447ページのなかなかの容量だ。ただしメンツには、このひとがペンクラブの会員なのかと首を傾げるようなバカサヨクも多く有象無象の集合体である。

 潮さんは取りあげていないが、私はこの本に小説形式で参加した浅田次郎の作品に激しく失望した。自衛隊出身の彼は、除隊せずそのまま残り、隊長になった自分がイラクに派遣される部下達に訓示する、という「もうひとつの人生」を設定して一篇を書いた。なんともひどい内容だった。あきれた。私は以後浅田次郎作品を読んでいない。自衛隊出身の珍しい経歴ということから、人気作家になったときは自衛隊でも講演したらしいが、この一篇を読んで納得する自衛隊員はいるのだろうか。あの防衛大学長のようなとんでもないひともいるから一概には言えないが。



 岩波ブックレットから出たという「憲法を変えて戦争に行こう という世の中にしないための18人の発言」も取りあげられていた。私は読んでいない。今後読む予定もない。ここにある紹介だけでもううんざりだ。いやはやあまりにひどい内容。正気とは思われないのもかなりいる。

 書いているのは以下の18人。名うてのサヨクである。もっともその前に「バカ」をつけるべきひとも多いが。


井筒和幸、井上ひさし、香山リカ、姜尚中、木村裕一、黒柳徹子、猿谷要、品川正治、辛酸なめ子、田島征三、中村哲、半藤一利、ピーコ、松本侑子、美輪明宏、森永卓郎、吉永小百合、渡辺えり子


 この本に対するAmazonのレヴュウから2篇を引用。もちろん絶讃している読者も多い。当然だ。そっち系の本なのだから。でも下記のようなまともなひともいたのですこし安心する。

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【引用レヴュウ.1】
127 人中、78人の方が、「このレヴュウが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 1.0 不毛かつ粗雑な神学論の典型, 2005/10/19
By nimoscomos

タイトルを見てまず疑問に思いました。戦争を始めたくて仕方ない人などこの世界にいるのでしょうか。戦争は悲惨な事ぐらい、誰でも知っています。問題はどうやって平和と安全を守るかです。戦後の日本は、ソ連や中国といった全体主義国家の脅威に対抗するため、日米同盟を結び、核兵器による「恐怖の均衡」のもとに平和が保たれてきました。

平和と民主主義を守るのであれば、最低限の軍事力は必要です。軍隊が無いに越したことはありませんが、国際社会に丸腰でいるのは不可能だからこそ、日本は自衛隊を有し、専守防衛に撤している訳です。現に韓国やドイツのように、徴兵制度と侵略禁止条項を両立させ、平和と民主主義を守り続けている国は少なくありません。

このように議論の前提自体が根本的に間違えているので、執筆者たちの論調は実にひどい。紛争地で生きてこられたのは憲法9条と軍隊拒否のおかげなどと話を飛躍させる中村哲氏、無差別テロや北朝鮮に対し、軍事力よりもコミュニケーションをなどと説教する姜尚中氏、「非武装中立」やコスタリカを礼賛し続ける井上ひさし氏、軍事費を出すならODA援助の増額をなどと現実無視の難題を吹っかける森永卓郎氏、老人と子供だけの社会を作るのかなどと悲鳴を上げる美輪明宏氏など、彼らの支離滅裂振りには呆れるばかり。

言うまでも無く彼らは安全保障の専門家ではないし、国際政治の基礎知識さえない文化人ばかりですが、平和を維持するには自分たちの神学論だけが正しく、それ以外は戦争の賛美や殺人の礼賛だと決めつける、極めて傲慢な本質を皮肉にも文中から読み取ることができます。

結局この本は政府や防衛庁関係者の方が現実的であることを再認識するものでしかない上、従来の護憲派の主張の焼き直しに過ぎないので、憲法9条に賛成の方であってもわざわざ購入する必要はないと思います。書店で軽く立ち読みしておけば十分です。



【引用レヴュウ.2】

5つ星のうち 1.0 国家の本質を見誤った人々の滑稽な精神論, 2005/11/21
By ボジョレー "アラカルト"

某新聞にも出ていたが、昭和16年、戦争が始まったばかりの時、ある人が防空壕を掘った。それを将校が見咎めて、日本に敵機など飛来するはずがない、と防空壕を潰してしまった。
数年後、敵機はわんさかやってきた。

「日本が負けるはずはない」という思い込みは、「日本が他国から攻められるはずがない」という思い込みと等価であり、どちらも精神論である。本書に登場する人々が、<他国>と同様の軍隊(それと戦時立法)を持つな、というのは、日本に、あるいは日本人の性質に<他国>とどこか違う異常な性向がある、とでも思いこんでいるがごとくである。そんなに日本、あるいは日本人は<他国>と比べて異常なのだろうか。私には彼らが酷い思い違いをしているとしか思えない。


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 この本には関わりたくないのでパス。岩波はこの本の広告を大新聞すべてに1ページ大で打ったのだとか。何千万円かかったのか。サヨクは金があると潮さんも感心していた。どこから出ているのだろう。

 気に入らないものをパスばかりでもまずいので、潮さんが「リベラルな俗物たち」の最終回、立花隆の項で引用している「立花隆秘書日記」を読んでみた。これまたトンデモ本だった。



 嫌いと言っても立花隆はまだこうして取りあげるぐらいだから「嫌いの内ではましなほう」と気づく。いくらなんでもイヅツカズユキ、ウエノチヅコとかモリナガタクロウのことは書く気になれない。
 9/20  
「俗物立花隆」と「立花隆秘書日記」

 潮さんの批判は、本人の文章や発言、相対する本からの引用、構成が適確なので毎回読みごたえ充分だ。
 つい先日発売になったばかりの最終回で取りあげた立花隆の巻では、左の元秘書が書いた本から「いかに俗物であるか」が多々引用されていた。これはぜひ読みたいと探して入手した。いま読んでいる。

 表紙写真は篠山紀信が撮ったとかで、右側にすわっている小柄なゴリラみたいなのが立花隆、左側のモンチッチみたいな短髪のおばさんが著者。猿顔繋がり(笑)。まるで「本というジャングルに棲息するゴリラと猿」である。この秘書、身長は170センチ以上あるとか。立花より高い。この写真当時(1993年ごろ)四十代半ばの獨身。

 立花隆秘書募集は読売新聞の求人欄に載った。500人の応募があり、そこから選ばれた20人が立花事務所で筆記試験、面接試験を受ける。最終選考に残った4人の中からこのひとが選ばれた。
 ところで1993年当時、立花隆の秘書給料はたったの20万円だったとか。安いので驚いた。大金を稼ぐ立花隆の片腕となって常に気を張って働かねばならない。好きでなければ出来ない仕事だ。この秘書もその金額には納得していなかったらしく暴露している。



 この本を読み始めてすぐ奇妙な箇所で目が止まった。立花隆、梅宮辰夫(役者)、徳大寺有恒(自動車評論家)は水戸高校の同級生で陸上部だったとか。立花隆は走り高跳びの選手だったという。今の体形からはとても信じられないと著者が古い写真を見ると、「そこには見事な背面跳びをする写真があった」という。それによってこの秘書は立花が走り高跳びの選手であったことを信じた、とか。

 水戸高校は正しくは水戸一高。水戸には水戸二高も水戸三高もある。水戸高校というものはない。茨城県の高校においてはこの「一高か二高か」が重要になる。一高は男子高(いまは共学)、二高は女子高だった。いまは共学になった二高も多い。
 もしも「水戸高校」というものがあるとしたら、茨城県ではそれは私立高校になる。お隣の福島県では状況が逆なのがおもしろい。つまり福島では福島高校のような名前が名門であり、福島一高なんのては程度の低い私立になるのだ。ところ変われば、である。と代代茨城の家系なので書いて見た。

 立花と徳大寺(本名・杉江)は水戸一高で同期だが梅宮の高校は違う。三人が同級生だったのは中学時代である。こんな細かいことをあげつらう気もないのだが、長年ノンフィクションライター立花隆の秘書をしていたひとが「水戸高校」なんて雑な書きかたをするのは誉められたものではない。「水戸の高校」「茨城の高校」なら地域の話だから見すごせるのだがここでは「水戸高校」と固有名詞として使われている。雑なひとだなと呆れた最初だった。単行本を読むときこういう箇所を見つけるとてきめんに読む意慾が削がれるものだ。
 これはともかく、しかし「背面跳び」は看過できない。



 一読して「この時期に背面跳びはなかったよな」と思った。私は彼らより一回り年下だが私の中学生、高校生の時にもまだ背面跳びは存在していなかった。立花隆の時代にあるはずがない。なにより背面跳びは、御存知の通り着地があれだから、競技場にぶ厚いマットが必要になる。当時の田舎の陸上大会にそんなものがあるはずもない。砂場でやっていた。あれがなかったら背面跳びは大怪我をする。頚椎を骨折して死んでもおかしくない。立花の高校生時代は、彼は1940年生まれだから1956年ごろ、昭和31年である。あるはずもない。

 調べてみた。背面跳びは最初フォスベリー・ジャンプと呼ばれていた。そうだそうだ、フォスベリー・ジャンプ。1968年のメキシコオリンピックで初めてアメリカのディック・フォスベリーがやったのだ。
 すると立花隆はフォスベリーよりも十年以上も前に高校生としてすでに背面跳びをやっていたらしい。なにしろ証拠の写真があるというのだから完璧だ。だったらあれはフォスベリー・ジャンプではなく「立花跳び」と言うべきなのか。

 というような意地悪な言いかたは止めよう。こちらまで根性が悪くなる。おそらく立花のやっていたのはベリーロールであり、それをこの佐々木という著者が無智なものだから背面跳びと書いたのだろう。この女は「走り高跳び=背面跳び」という智識しかなくベリーロールなんて知らないのだ。こういういいかげんなことを書く女が秘書を5年もやっていられたのだから雇い主の立花隆の程度も解るというものである。ひとつの証左になる。念のために繰り返すが、この女はこの秘書をやっていた当時50歳近い。走り高跳びと行ったら背面跳びしか知らない今時の若い娘なのではない。要するに感性が雑なのだ。感性は雑であってもかまわない。雑な方が楽に生きられることも多い。ただしそんなのが本を書いて、しかつめらしいことを言ってはならない。

 この本は、最初に声を掛けてくれたひとが出版社を辞めたり、移った会社が倒産したりして、書き始めてから本になるまで7年も掛かっている。なのに本人も原稿を目にした何人もの編輯者も誰一人そのことに気づいていない。信じがたい。ふつうひとりぐらい「立花さんの時代に背面跳びってあったか?」と思うだろうに。いやはやひどいものである。その他にも私ごときで気づく間違いがいくつもあるから、何人もの識者が意地悪な目で見たら、この本、間違いだらけのはずである。そしてその秘書のレヴェルの低さは、潮匡人さんの指摘する《「知の巨人」と称される天下無双の俗物=立花隆》に合致する。

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Amazonの紹介文

商品の説明
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新聞に掲載された、ほんの小さな求人広告。「立花隆のアシスタント募集」に応募してきた500名のなかから選ばれた「三代目秘書」が、日常の中で観察した立花隆像と、彼を取り巻く編集者などとの交流を描いたのが本書である。98年に刊行された『立花隆のすべて』だけでは分からない、立花隆の創作の秘密や日常生活がのぞける1冊だ。
著者が秘書の職にあったのは、93年5月から98年末にかけて。田中角栄の死や阪神大震災、地下鉄サリン事件など、日本社会の根本的な価値観が問われる出来事が立て続けに起きたなか、立花隆が最も精力的に活躍していた時期にあたる。ただでさえ原稿の締め切りに追われる多忙な毎日にも関わらず、さらに東大研究所の客員教授を引き受け、学生と身近に接する立花隆のパワーは驚異的でさえある。また、立花隆の魅力でもある、複雑に絡んだ糸を1本にほぐしていくような明快な論理が生み出される過程が、秘書でなければ描けない説得力をもって明らかにされている。

ただし、本書は、無批判にただひたすら立花隆を礼賛する書ではない。その周辺の人物や、著者自身の生活に関する日記的な描写も多いほか、立花隆の仕事ぶりも、ある一線を隔てて描写しているような客観性がある。そして、本書のラストには、立花隆に対する忠告めいたくだりも用意されている。分析に長けた「知の巨人」として社会に影響力を与えてきたからこそ、今度は自分自身の言葉で、自分自身の思いを明言して欲しい──。立花に宛てたこんな内容の手紙に、同じ思いを抱く立花ファンも多いはずだ。(朝倉真弓)




Amazonにあったレヴュウ

まあ、読んでみるのもいいかも。, 2003/8/5
By "さくら33"

文章のテンポがよく、読みやすいものでした。内容も、秘書ならではの『裏話』的なところが面白い。我々のとらえる『立花隆』とその人間としての実像のギャップもおもしろい。
しかし、後半になるにつれて自身の趣味や物事の感想が目立ち、ひとつひとつのテーマにつながりがなく、『え?それでなに?』という感じ。

『立花隆秘書日記』というより『秘書日記』から単なる『日記』を読んでいる感じがしてくる。
そして最後に突き落とされて終る。後味が最悪です。
いったいなんだったんだと読んだ自分にがっかりするがあくまで『日記』なのでつっこめない。
それでこのタイトルなのか。とりあえず言いたい事はわかりまし


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 いくつかのレヴュウに共通しているのは上記の文のように、「途中から自分のことを書き始める。でもそれは読者は興味のないこと」という指摘。それを言われたら著者は身も蓋もない。立花隆の秘書日記だから立花のことが主としても、すこしは自分のことを書きたいだろう。だがこの本を読む読者はみな立花隆の裏エピソードというか意外な素顔というか、そういうものを知りたいのであり、この男っぽい短髪おばさんの趣味や生活にはなんの興味もない。読者の感想は当然と思うが、すこしばかりモンチッチおばさんが気の毒になる。

 それと「後味の悪さ」。これも共通している。文末に、突然クビになった著者が立花隆に手紙を書くという形式にして、それを結びとしている。その内容が立花隆の創作姿勢の批判なので、立花隆ファンには後味が悪いのだろう。というか最後っ屁、立つ鳥跡を濁す、になっているから誰でもそう感じるのが普通か。立花隆が嫌いな私はどうでもよかったけれど。

 私の感想に、上記のような「文章のテンポがよく、読みやすい」はない。その他、「著者はとても文章が巧く」なんてのもあったが、それも感じない。ものすごくレヴェルの低いつまらない本だった。一読して、「こんなものを読んだのは時間の無駄だった」と思った。
 レヴュウを書いているようなひとは基本的に立花隆ファンなのである。だからレヴュウはみな「文章が巧い。テンポもよい。楽しく読めた。秘書でしか書けないことが満載。でもラストでちょっと後味が悪くなって残念」で共通している。だが立花隆を好きではない者が冷静にこれを読むと、立花隆の創作現場を覗き見る感覚以外には、なにもない本なのである。「立花隆は嫌いだが、彼を批判して辞めたこの秘書日記はすばらしいのかも」という期待を持って読んだ私は、しみじみがっかりした。



 潮匡人さんは、《「知の巨人」と称される天下無双の俗物》という批判のためにこの本から何個所か引用しているが、この本そのものにはいっさい触れていない。立花隆の俗物性を際立たせるために、たとえば東大教授になることになった立花が、そのうれしさを隠すために「(教授になると)インターネットが使い放題なんだよ」と照れ臭そうにこの秘書に言うのだが、そのころ立花が凝っていたインターネットサイトはエロサイトだったというような暴露話を引用しているだけである。

 それは潮匡人さんの目的は立花隆の俗物性の証明であり、この本は資料でしかないのだから当然なのだが、同時にこの本が潮さんから見ても評価に価しないものであったこともあろう。立花隆批判がぼやけてしまうから書いてないけれど、もっと紙幅があり、そこに触れたなら、潮さんの感想も「俗物立花隆の秘書だけあって、このひともずいぶんと俗物だ」になったと思われる。





 私が苦笑した例をひとつ。
 立花隆は珈琲はめったに飲まず紅茶党なのだそうな。中でも銘柄はアールグレーが好きなのだとか。と、ここまではいい話である。ところがそのあとにこの秘書は書く。
事務所には充分な給湯施設がないのでティーバッグで我慢していただいている」。

 笑ってしまった。ティーバッグは不味い。紅茶好きにティーバッグ愛用者などいない。あれが役立つのは旅先とか、ポットを用意できないような非常事態だ。私も紅茶が入手しにくい中国山奥に行くとき持って行くことがある。それですら紅茶好きで旅好きの友人には、「ティーバッグなら持って行かない方がいい」と否定されるほどだ。私はそこまで凝ってはいないが、すくなくとも日本でティーバッグを愛用することはない。『美味しんぼ』のカリヤテツ先生の意見を引くまでもなく、ティーバッグ獨特のあの臭気は紅茶のうまさを台なしにする。むずかしいことはなにもない。ふつうに急須に茶葉を淹れて飲めば、ティーバッグよりも遥かにおいしい紅茶が飲める。この場合、急須とカップをあらかじめ温めておくのが肝腎だ。それだけで一味も二味もちがう。

 なにより日本にいて美味しい紅茶を淹れることなど簡単ではないか。マニアックなひとたちのように完璧な味を創りだすのはともかく、ポットとカップがあり、それらをまず温めてから淹れる最低限の心構えさえあれば、ティーバッグとは比べようもないほど美味しい紅茶が簡単に飲める。なぜそれをしないのか。なぜ平然とティーバッグなのか。



 この短文にはふたつの笑いがある。ひとつは立花隆が「アールグレーが好き」と銘柄にこだわるぐらい紅茶好きのはずなのに、秘書の出すティーバッグで満足していること。つまり味音痴(笑)。

 もうひとつはこの秘書のだらしなさ。立花隆はたっぷりと儲けた金で自分のビルを持っている。地上三階地下二階のビルをぜんぶ自分の資料室にし、事務所として使っている。水道すらない貧乏ワンルームではないのだ。なのにあんた「給湯施設がない」って(笑)、美味い紅茶を淹れるためにはいったいどんな大型の給湯施設が必要なんだ。

 そりゃいたるところ本ばかりで広々とした風呂などはないようだが、おいしい紅茶を淹れるのにそんなものは必要ない。ポットとカップと電気湯沸かしと、あとは「心遣い」だ。この秘書にはそれがない。平然とティーバッグをボスに出している。そしてボスもそれに不満がない(笑)。ほんとうに似合いのがさつなボスと秘書だ。



 私はこの箇所を読んだとき腹立った。この秘書の無神経さにだ。立花に同情した。あらためて篠山紀信が撮ったという表紙写真の短髪のモンチッチみたいなこの秘書の写真を見直す。志茂田景樹に似ている。いかにも男性的で粗雑な感じがする。立花隆も500人も応募してきた中からなんでこんなのを選んだのだろう、と思った。背の低い立花は背の高い女が嫌いだそうだ。なのにこの女は170センチ以上あるとか。と、この秘書が書いている。チビの立花より高い。どういう選考基準だったのだろう。選んで選んで撰びぬいたのがこれなのだ。

 私が腹立ったのは、ボスにティーバッグの紅茶を出すという無神経さと、そのあとの「給湯施設がないから」という無意味な弁明である。無意味な弁明に何の疑問ももたず堂々と書いている無神経さがやりきれない。温めたポットとカップでおいしく淹れたアールグレーを出してやれば、いくら俗物田舎者味音痴の立花隆でも「きみの淹れてくれる紅茶はおいしいね」と気づくだろう。それぐらい言うだろう。ボスにそういう心遣いをするのが秘書の基本的な役目であろうと思ったからだった。

 と、なんてガサツで最低限の心遣いも出来ないひどい秘書だと客観的視点で憤ったのだが、読み終えてからはちがう感想を持った。
 立花隆は500人もの応募者を書類選考で20人に絞り、そこから綿密な銓衡をした。英語力から政治的な智識まで他方面にわたるペーパーテスト、スタッフ(出版社の担当編輯者等)によるシミュレーション(立花の文章への抗議の電話、強引な講演依頼等)への対応態度の観察である。この場合、それがスタッフによる擬似であり試験なのだと受験者は知らされていない。20名の候補は立花事務所にいて自然に電話を取ることが試験になっている。そして最後は立花本人の直接面談である。

 その20人の中にいかにすぐれた応募者がいたかは合格したこの秘書が書いている。同時通訳も出来るほどの語学堪能なひと、資料整理の達人、完璧な秘書歴、さすがと思うひとが揃っていた。そしてまたみなそれぞれ弱点をもっていた、と。たとえば「英語力は完璧だが大蔵大臣の名前が三人しか書けなかった」のような。

 彼女等の高い能力を知り、採用されるとは夢にも思っていなかったと本人が回顧している。本音だろう。とはいえそれは勝者の餘裕だが。
 けっきょく最終銓衡に残った四人の中から立花隆が選ぶことになる。それがこの女だった。決め手は「知識に偏りがなく綜合的によかったこと」と立花から合格理由を聞いた本人は書いている。

 私は「もっといい女もいたろうになんでこんなのを選んだのだろう」と「給湯施設がないから」とボスにティーバッグの紅茶を飲ませるこの女のがさつな部分を嫌った。繰りかえしになるがおいしい紅茶を飲ませるのと給湯施設は関係ない。ひととしての心遣いの問題なのだ。ひどい女である。選択ミスだと思った。

 しかし潮匡人さんの立花批判を読んだり、その他の立花に関する情報を得たりしているうちにはたと気づいた。立花隆が彼女を秘書に選んだ決め手はこの「がさつ」だったのではないかと。それこそが彼がいつも身近に置く女として選んだ必須の条件だったのではないかと。



 「美人を選ばない感覚」はわかる。日々事務所で時間を共有する秘書である。色っぽい容姿の美人では困る。仕事が手に着かない。女房もやきもちを焼く。

 秘書と出来てしまう作家は多い。古今東西多々いるだろうが私の知っている例だと西村寿行や安部譲二がいる。秘書を愛人にしてしまい家庭崩潰に繋がっている。
 この立花隆の元秘書が「立花隆は秘書というものをいちど持ってみたかったらしい」と書いているから、彼女は立花隆の最初の秘書だったようだ(もしかしたら最初で最後かも知れない)。

 初めて秘書を雇うに当たって立花は、妻の目もあったろうし、あるいは彼の賢さからも、自分が女として興味を持ってしまうようなタイプ、妻がやきもちを焼くようないい女は除外したのだろう。だから最初から美人で色っぽいのは選ばれるはずがなかった。応募者の中にはそういうのもかなりいたと思う。それこそ立花を心から尊敬し、「抱いて欲しい」とすら思っているようなのも。そういうのは最初に排除したはずだ。そういうのとは秘書にせずにつきあえばいい。

 そこから考えてゆくと、立花のような俗物でプライド高い田舎者は、「自分に教えてくれるタイプ」も除外したはずと気づく。端的に言うなら「美味しい紅茶の淹れかたを知っていて、それを立花に教えてくれるタイプ」である。それはイコール「ティーバッグで満足している味音痴の立花に恥を掻かせるタイプ」でもある。彼女がどんなに気を遣ったとしても、結果的に立花はティーバッグで満足していた自分を恥じることになる。それは屈辱だ。だからそんな感覚の秘書はいらない、となる。

 そういう自分にはないものを持っているタイプに惚れてしまう男も多い。成り上がりの田舎者はそうだ。たとえば矢沢永吉は売れないミュージシャン時代からの糟糠の妻を捨てて御嬢様に走った。それは成り上がった自分にふさわしい宝石に見えたのだろう。
 売れっ子になった安部譲二が、服役中もじっと待っていてくれた元不良少女の8番目の妻(と子)を捨て、慶應卒の上品な秘書に走ったときはしみじみがっかりしたものだった。なぜなら彼は彼女に感謝し、最後の妻とさんざん書いていたから。

 「知の(俗物)巨人」である立花にはそういう「育ちのよさ」は逆に作用する。我慢できない屈辱になる。立花は彼獨自の観察眼で、この元秘書のがさつな面を見抜き、だからこそ彼女を選んだのだろう。「給湯施設がないから」という理由にもならない理由でボスにティーバッグの紅茶を飲ませるがさつな秘書こそが、アールグレーという銘柄にこだわる紅茶好きを自称しつつティーバッグに不満のない立花にとって理想の秘書だったのだ。似合いのコンビである。その意味で立花の秘書撰びはまちがっていない。皮肉も込めて、さすがだと思う。



 嫌いなのは立花隆であってこのモンチッチ秘書に興味はないのだが、読んでいると何個所も呆れる文章がある。
 地下鉄サリン事件が起きたときの記述にこんなのがある。
 立花担当の編集者から電話があり秘書に言う。「オウム真理教ですよ!」と。ついに怖れていた大事件が勃発した。あの悪魔宗教が牙を剥いたのだ。なのにそれに対してこの秘書はこう書く。
どこかで聞いたことのある名前だけれど……。その時のオウム真理教に対する私の予備知識はそんなものだった」。

 信じがたい。立花隆の秘書なのにあの時点でオウム真理教のことをまったく知らないのである。麻原が衆議院議員選挙に出て落選したり(私は中野駅で麻原の縫いぐるみを被った連中を見掛けた気味悪さ、彼らが歌っていたショーコーショーコー・ショコショコショーコー・アサハラショーコーというあの歌を今でも覚えている)、「朝まで生テレビ」や「TVタックル」に出演したり、『週刊ポスト』でビートたけしと麻原が対談したり、弁護士一家を殺していたし(犯人とはまだ名指されていないが)、すでにオウム真理教は様々な問題を起こし注目を浴びていた。

 それを世事に疎い田舎のじいさんばあさんならともかく立花隆の秘書が「どこかで聞いたことのある名前だけれど」という認識しかないのは異常だ。このひとのアンテナはどうなっているのだろう。東京で、ふつうにテレビを見、ふつうに新聞雑誌を読んでいたら、いやでも知ってしまう常識なのである。なのにこのひとは知らないと言う。

 この鈍さを立花は気に入ったのだと思う。もしも「立花さん(立花は先生と呼ばれるのを嫌うのでこう呼んでいたらしい)、オウム真理教ってのは要注意ですね」と、立花が注目するよりも前に早々と提言するようなタイプだったら立花とはうまくいっていない。もしもそうだったらもっと早くケンカ別れしていたろうし、そもそも採用されていなかったように思う。

 最初「なんでもっと気の利く女を秘書にしなかったんだ」と思った私は、結論として、「そういう女だからこそ選んだのだ」と思うようになった。これはこれで立花隆の精神をよく顕している。



 味音痴のティーバッグ立花はワインに凝っているらしい。長期休暇に家族で出かけるフランスで高級ワインを買いまくり、地上三階地下二階の個人ビルにはワインセラーまであるそうだ。バブルの頃はワインセラー附きのフランスのシャトーまで購入したらしい。
 これに関しても元秘書が書いている。

《立花さんは自他ともに認めるワイン通である。しか、日常的にそれほど愛飲しているわけではなく、好みがうるさいわけでもない。ただやたら詳しい。どうも「飲みたい」よりも「知りたい」らしいのだ。》

 ここでも味音痴は露呈している。彼にとっておもしろいのはそういうワインの歴史や値段等の動きであり蒐集することであって味道楽ではない。そもそもティーバッグで満足する味音痴なのだから(笑)。まさに俗物である。こういうのを「自他ともに認めるワイン通」とは言わないよねえ。
 ワインに関して何時間でも喋れるほどの脅威的な知識を持ち、それでいて飲んでみると、高額のワインも安物のワインも判断のつかない「ワイン通」がいる。立花はその典型のようだ。



 ティーバッグやワインに匹敵する立花らしい話がもうひとつ紹介されている。オーディオだ。
 好奇心旺盛で金のある立花は、金に飽かしてすんごいオーディオセットを揃えたらしい。そこで親しい音楽家のCDを録音するほどに凝った。しかしその熱が冷めると近寄らない。自分の好きな音楽をちいさなラジカセで聞く程度(笑)。そのことをこの秘書はこう書いている。

《ちいさなラジカセで時々、バッハやジャズを聴いているが、それほど音楽が好きなようには見えない。つまり、やはり音楽を「聴きたい」よりも、オーディォを「知りたい」なのだろう。あるいは、究極を「極めたい」なのかもしれない。》

 「ティーバッグの紅茶=ラジカセ」である。ワイン、オーディオに関する逸話は立花隆という「知の巨人」の俗物実態をよく示している。
 といって私は味や音にこだわる通を讃えているのではない。こういう「凝りかた」をして、それでいて実態がこうであるひとは、まことに「俗物」ということばにふさわしいと言いたいのだ。むかしもきっとこういう形の「蔭では笑われている知ったかぶり成金」はいたことだろう。そう、これって典型的イモの成金根性である。

 それが現代では商売になり持ちあげられる立場にまでなる。「知の巨人」と言われたりする。そのことを笑いたいだけだ。笑う対象は立花隆ではない。彼のワインの智識やオーディオの智識を崇拝している読者である。「知の巨人・立花隆」は裸の王様であり笑える存在だが、もっと嗤えるのは彼を崇めて担いでいるひとたちだ。

 潮匡人さんもこの「秘書日記」からこういう点を取りあげたかったと思う。だがそれでは立花隆の私生活的人格的批判になってしまうから我慢したのだろう。



 この「秘書日記」は、秘書とボスがうまく行っていた時代に話があり書きすすめられ、仕上がるころには「クビ」になっているから、前半後半では味つけが違う。
 クビになる流れも笑える。本が売れなくなってきた立花が、『週刊文春』の阿川佐和子との対談で金がない金がないと嘆き、そこで「秘書にだって給料を払わねばならないし」と口にする。それにこの秘書はカチンと来る。それが怨みの根底にあるらしい(笑)。
 1993年に20万円だった月給が5年間でどれぐらいあがったのか知らないが、秘書が立花の発言に立腹しているように当初から最後まで決して高い給料ではあるまい。やがて立花からクビを言いわたされ彼女は事務所を去る。だから「秘書日記」の最後のあたりはかなりトゲトゲしい(笑)。

 結びは「前略立花隆様」という手紙形式になっていて、そこで元秘書は、ささやかな立花隆批判をしている。それが多くのレヴュウで「後味が悪い」と指摘される因になった。しかしそれはレヴュウを書いた多くが立花ファンだからで、立花嫌いからするとさして辛辣なものではない。極めて常識的なものだ。とはいえ立花寄りで書かれた「秘書日記」を期待した向きにはたしかに「裏切られた」となるのだろう。



 私のこの「立花隆秘書日記」の感想はそれらとはまたすこしちがう。今までもうさんざん書いてきたけれど、この秘書になんの魅力も感じない。がさつなつまらない女だと思う。当然そんな女が書いた本だからこの本もつまらない。
 その「がさつ」や「つまらない」が立花隆そのものだと思うのである。じつによく似合ったふたりだ。それがこの本の感想になる。

 これまで書いてきたように、立花隆があまたいる候補者からこのがさつな女を選んだのは正解だろう。だから五年間うまくつきあえたのだ。同時にそんな女だから、クビにしたらこんな最後っ屁をかましてくることも読めたろう。読めたのにそれをさせてしまったのは立花のミスである。この話が進んでいるのは知っていたのだから、秘書とうまくいっている蜜月時代にこの本を出版させ、それからクビにすればよかった。その辺、立花のミスと思うが、そんなことはどうでもいいほど立花もこの秘書に興味がなかったのだろう。



 潮匡人さんの「リベラルな俗物たち」を読んだ流れからついつい手にして読了したが結論は時間の無駄だった。嫌いなひとの嫌いな理由を確認し、「ああやっぱり嫌いなのは正しかった」なんて思ったって虚しいだけだ。そもそもせめて酒席で「いやじつは立花隆ってね」と話題にするぐらい興味があるならともかく、それすらもない。友人と立花隆の話をするぐらいなら優先する話題が山ほどある。一冊の本を読了しこういう感想を書くことは私にとって「努力」である。なんとも虚しいなんの見返りもない努力だった。せめて「立花隆は嫌いだけど、この秘書はセンスいいぞ」と思いたかった。

 潮匡人さんの仕事には虚しさが付きまとうのではないかと推測した。潮さんの文からは時折溜め息が聞こえてくる。でもそれは誰かがせねばならない貴重な仕事だ。潮さんの気持ちがいくらか理解できたことを成果とするか。

2010/
1/2
 「日本を惑わすリベラル教徒たち」発刊!



 上記、潮匡人さんの連載がまとめられ発刊になった。以下は産經新聞の文章から。ぜひとも読んで頂きたい名著である。

気鋭の政治評論家の潮 匡人(うしお・まさと)氏の新著『日本を惑わすリベラル教徒たち』が話題の輪を広げています。

 日本の言論界では意見を異にする相手でも、相手の実名をあげて、正面から批判するという慣習は意外と少なく、なあなあ、あるいは、まあまあ、というやりとりが多いようです。

 その点、潮氏は相手の実名をあげ、その意見を取り上げ、具体的にどこか矛盾し、どこが不正確かをばっちりと指摘しています。

 そのかわり潮氏はもちろん自分の実体を堂々と示し、自分の言論には徹底して責任をとるという姿勢をみせています。

 この点はブログの覆面誹謗家たちのメンタリティーとは正反対の武士道を貫くようなさわやかさです。


 俎上に載せられたのは以下の12人。いずれも現在のマスコミ界やアカデミズムの世界で活躍している人たちです。
 潮氏は、彼らが憲法9条と東京裁判を根拠とする戦後民主主義を絶対視し、まるで「リベラル教徒」のごとき言説を振りまいていると指摘。
 さらに、書いてもいないものを書き下ろしと称し、明らかな誤りや誤解を無反省に繰り返し、また恥知らずな悪徳を擁護し、私怨で不潔で卑猥な主張をしていると、12人の欺瞞性と俗物性を明らかにしています。

目次の記述を紹介しましょう。
● 姜  尚中 …… 自分しか信じないリベラル教徒
●森永 卓郎 …… 破廉恥で利己的な強欲タレント
●井上 ひさし …… 反戦作家を自任するオカルト教祖
●高橋 哲哉 …… 哲学を捨てた親北の反日活動家
●半藤 一利 …… 軽薄な進歩主義を掲げた凡庸な歴史家
●保阪 正康 …… 通俗的な歴史観を披瀝する杜撰な進歩派
●井筒 和幸 …… 病んだ精神で憎悪と対決を煽る映画監督
●中沢 新一 …… 恥知らずな悪徳を擁護する宗教学者
●渡邉 恒雄 …… 「第四の権力」を私物化するドン
●上野千鶴子 …… 私怨が蠢く不潔で卑猥なフェミニスト
●宮台 真司 …… 悪徳を煽動する卑猥で不潔なプルセラ学者
●立花  隆  …… 「知の巨人」と称される天下無双の俗物
                                       (一部略)
古森義久(産経新聞論説委員):http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/1396065/



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