2007
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 山本周五郎と藤沢周平論考



 その壱=「ひとごろし」の思い出

 私が山本周五郎という名前だけ知っている高名な作家の名を明確に意識したのはテレビドラマの原作者としてだった。東芝日曜劇場の「ひとごろし」である。毎週日曜日の午後9時から1時間放送され、「ドラマのTBS」と言われる基盤を作った番組だ。今は「捏造のTBS」で有名だが(笑)。

 主演は植木等。臆病な侍が仇討ちに出る。相手は強い。まともに闘っては勝てない。とった戦法?は遠くから「ひとごろし」と叫んで周囲を驚かせ、彼を孤立させる方法だった。それを毎日続け、途中からは町娘を味方につけて交代制の朝晩寝ずの攻撃を仕掛ける。それによって仇をノイローゼ状態に追い込んで勝つというストーリィだった。エンディングも精神的に参ってしまった相手からマゲを切って貰い受け、それで仇討ちが成就したようにし向けて故郷へ凱旋帰国、仇も死なずに済むというハッピーエンドだった。
 私は今、山本作品の信奉者とは言い難いが、当時はなんとおもしろい物語だろうと感激した。強烈な記憶になる。

 これはいつごろ放送されたのだろう、たしか昭和43年ぐらいと思う。いやもうすこし後か……。だいたいの記憶はあるのだが、そこはネット時代、検索してみると「山本周五郎作品館」なるものがあり、ドラマ化された作品の一覧が載っていた。なんともすばらしい。感謝。
 引用させていただく。

 山本周五郎作品館



 私が見た「ひとごろし」は昭和45年(1970)の3月8日であるらしい。便利だなあ、こんなことまでわかってしまう。強い敵役は御木本伸介がやっている。植木演じる六兵衛に協力する町娘は佐藤オリエだろう。
 またこの二年前には三木のり平主演でドラマ化されている。これも見たかった。さぞ見事な演技だったろう。

 9時からと記憶しているのだが9時半からになっている。不納得なのだがどうやら9時半が正しいらしい。勘違いをしていた。池内淳子主演の「女と味噌汁」なんてのをよく見た。とすると9時からは30分ドラマがあったのはこの日曜だったか。竹脇無我と栗原小巻の「二人の世界」、主題歌はあおい輝彦。あれはこの曜日か? いやあれは火曜だった。日曜の夜、9時から9時半までなにがあったのだったか。
 テレビ版の「男はつらいよ」を見ていたのもこのころだ。あれは昭和43年から44年か。
 まあ細かいことはおいおいわかるとして、とにかく私にとって山本周五郎体験はこの「ひとごろし」なのだった。同じ年に「樅の木は残った」がNHK大河ドラマとして話題になる。

「ひとごろし」の原作を読んだのはそれから十年も後だった。


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 その弐──「ふたりの違い」

 山本と藤沢はまったく違う。あらゆる面で異なっている。だが同じ時代物を書いたということから二人を同一線上で語ろうとする人がいる。愚としか言いようがない。
 二人の違いは「藤沢周平全集」全巻ですばらしい解説をしている向井敏が語り尽くしているので私ごときが口を出す必要はない。この全集は向井のこの解説を読むだけでも買う価値がある。私は図書館で借りて全巻読破したがまだもっていない(恥)。分野別に分けて組まれた全集よりも時代を映している単行本の方が好きだ。だが向井の解説が欲しいし全集というものを買ったことがないので(唯一筒井康隆全集を買い始めたが全部単行本で持っているのだからいいやと途中でやめてしまった)是非揃えたいと期している。

 藤沢ファンにとって資質の違う山本の影響を受けているとしたり顔で言われることほど不快なことはない。向井の分析と論は極めて明快でその憤懣を一瞬にして霧消してくれる。
 とにかく藤沢が山本の影響を受けているとか、藤沢の先達として山本を置こうとする人は二人の文学が見えていない人である。江戸時代を舞台にした作品を多く発表したという以外二人には共通点はないとすら言える。

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 戦前から活躍し、戦後も昭和42年の絶筆となる「おごそかな渇き」まで健筆をふるい、数多くの映画、舞台、テレビの原作者として名高い山本の死後四年を経て、昭和46年、時代劇作家藤沢が登場する。山本の影響を受けて育ったと解釈し、後継者と期待し、その視点から彼を語るのはある意味必然であり不可避であったろう。そこまではわかる。直木賞を受賞し流行作家となって活躍すればするほどその評はつきまとった。しかし発表される作品を読めば山本と異質の人であり、影響など受けていないことは見えるはずである。なのにそういう型にはめた解釈でしか語れない人がいる。そう決めつけることが楽であり理解しやすいから同調する読者が増える。愚である。

 そのことに最も戸惑ったのは言うまでもなく藤沢本人である。彼は外国の文学を好んだ。そこから受けた影響で自分の作品を書いてみたいと思う。その舞台に江戸時代を選んだ。それだけの話なのだ。山本の影響を受け、山本のような作品を書いてみたいと願い、時代劇に手を染めたわけではないのである。まったく別の地平から生まれた才能だった。だが評論家は偉大な山本の影響を受けたと解釈し主張する。一面的な解釈しか出来ない暗愚である。山本の後継者と決めつけて、賛美し、叱咤し、評論する。大衆もまたそれに染められ、いつしかそれを既成の事実として語られて行く。

 藤沢は「ふるさとへ廻る六部は」に収められたエッセイの中で遠慮がちにこのことに触れている。いま引っ越しの荷造りをしてしまい手元に本がないのでこのエッセイの期日を入れられないが、ただのいちどもそのことに触れずに長いあいだ沈黙していた藤沢が、晩年になって初めて触れた話のはずである。
 そこでは「山本先生を意識したことは全然ないが、多くの人にそんなことを言われるものだから、また影響を受けたと言われるのではないかと気にして、山本作品を読めなくなってしまった」と書かれている。偉大な先人に気を遣っているので直截的な文はないが、外国文学ばかり読んでいた藤沢が山本の熱心な読者でなかったことがすぐにわかる。影響など受けているはずがない。
 これを書いたのは藤沢が功成り名を遂げた晩年である。だから彼は「知らない内に影響を受けていたのかもしれない」のように上手に先人を立て、小型山本、第二の山本のような形でしか彼を理解できなかった暗愚の評論家を傷つけないようにも気を遣っている。見当違いの評論にいらついたり腹だったこともあったろうに、おとなである。それでもこれを書くまでの月日を思うと、この見当違いの評価にいかに彼が苦しんでいたかが如実にわかる。

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 たとえるなら、ロックを聴いて育った人が演歌歌手になったら、「美空ひばりの影響を受けている」と言われるようなものである。ロックで音楽に目覚め、日本語の歌を、自分の表現方法をと悩んだ末、演歌という形を選んだ。それだけである。だが演歌という分野に関わったら美空ひばりの影響を受けたというしがらみから逃げられない。聴いたこともないのに誰も彼もからそう言われる。
 ここで実際にこういう歌手がいたなら、この人は平然と「美空ひばりさんなんて聴いたことがありません」と言ってしまうだろう。だが限られた文壇の世界であり、藤沢はおとなだから、先人を立て、決してそれを言わなかった。
 とまあそんな感じなのである。

 くだらないたとえついでに言うなら、この演歌歌手の歌は演歌なのだが、なんかロックスピリッツを感じてどこか違う、そう思ってファンになる人もいることだろう。同じく藤沢の作品にもそれはある。よく言われることだが「麦野町昼下がり」なんて時代劇なのにもろにマカロニウェスタンである。時代劇というより西部劇の映画を見ているようだ。あの味わいが判る人ならまちがっても山本と藤沢を結びつけたりはしまい。

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 山本と藤沢の違いの基本は、「小説に何を込めたか」であろう。
 山本は小説にメッセージを込めた。それは小説でありながら小説ではなく、山本の思想を伝え、教え諭す作品だった。多くの企業家が座右の書として尊び、多くの舞台作品になったことがよくわかる。極めて演劇的である。しかし私のようなものからすると押しつけがましくてうんざりする。
 藤沢の作品にそれはない。小説として恬淡と完結している。
 どちらを好むかだ。
 私は断然藤沢である。

 そのことを確認するために昨年は山本作品を濫読した。読まずには語れない。
 あらためて思った。山本作品とは山本周五郎そのものである。時代物ばかりではなく多くの現代物も書いているように、彼にとって小説は山本周五郎の思想を伝えるための道具に過ぎない。
 いくつもの作品を読む内に、私は次第に「この作品では彼をなにを訴えたいのか」とまず考えるようになってしまった。これは本末転倒である。本来小説はその世界を心地よく楽しみ、読んだ後、なにかまたストーリィとは別の餘韻があったらもうけものだ。その程度でいい。

 とここでつまらないことを考えた。読書感想文である。小中学生のころ、これでよく賞品をもらったものだった。先生がかってに夏休みの宿題に書いた私の作文を旺文社とか学研のコンクールに応募してしまうのである。
 山本作品は当時読んでいないが、もしも対象作品に選んだなら感想文はごく容易だったように思う。とにかく文中の隅々から「これがおれがおまえ達に伝えたいことだ」と訴えてくるのでキャッチしやすい。そしてそれはみな孝行や人徳等に関することであるから、キャッチしたそれを書けば、先生も「よくできました」と褒めてくれたろう。読書感想文を書く作家として最適の人である。
 対して藤沢はむずかしい。「おもしろかった」「ハッピーエンドでよかった」「ハッピーエンドじゃなくて残念だった」ぐらいは書けるが後が続かない。「作者の言いたかったのはこれこれだと思います。ぼくもこれからがんばってそういうふうに生きて行きたいと思います」的な子供の読書感想文には成りがたい。

 山本は常に読者を意識し、読者へのメーセージを心がけていた。それは彼が編輯者に語ったという「私の作品は時代が経ってから本当に評価される」からもわかる。作品の中に自分の思うものをいっぱい詰め込んだ。その熱いメッセージは自分がこの世にいなくなってから益々評価を高めるだろうと言う自負だ。
 対して藤沢は自分のために書いていたのではないか。他人様にメッセージを送る、啓蒙するなどとはまちがっても考えず、ただ恬淡と自分が書きたい小説世界を構築することが楽しく、それで満足していたように思う。
 山本作品は豪華なハリウッド映画であり、藤沢作品は小粋なヨーロッパ映画、とも言える。
 と書き出すときりがないので今回はこの辺にしよう。
 二人の作品の資質は異なっている。関連づけて論じるのは徒労であろう。
2/9
 演劇用作品としての魅力

 日本文学史上、山本周五郎作品ほど映画化、演劇化、テレビドラマ化されたものはないだろう。ご本人はそういうことのために書いているのではないとあまり好んでいなかったようだ。とするとそれは意図していない効果だったの。いや彼はメーセージ性を作品に込めたのだから舞台用に好まれるのはごく自然な流れだったろう。山本作品を読んでいると舞台が見えてくる。それは戦前の講談倶楽部に発表された短篇から晩年の昭和40年代の作品まで一貫してそうである。役者にとって神様であることがよくわかる。
 作品を読んでいるといつの間にか空でキャスティングをしている。なんとも演劇的な作風である。
 例を挙げたら切りがないので「おたふく」と「雨あがる」の二作だけ前記「山本周五郎作品館」で調べさせてもらった。

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「おたふく」はかわいい話である。主人公のおしず、いや主人公は貞二郎だからおしずはヒロインと呼ぶべきか。卓二郎は彫金師。37でひとり身だ。おしずは36、長唄を始めとする稽古事を教えている行かず後家である。その妹がおたか。これは26で嫁いで子供がいる。周囲の勧めで貞二郎とおしずが結婚する。このおしずがすばらしい美人なのに常に自分をあたしはおたふくだからと言い、決して人の悪口は言わず、という神様みたいなかわいい女である。着物を脱いだ裸も最高であることもにおわせている。まさにおとぎ話だ。
 最初はあっさりしていた結婚生活だったがいつしか貞二郎はおしずに夢中になり、おしずの過去に嫉妬する。金持ちに囲われていたのではないかと。だがおしずはずっとむかしからひたすら貞二郎が好きで陰からずっと慕っていたとわかるハッピーエンド、おとなのメルヘン(笑)である。

 これを読んだ男なら誰もが自分好みのおしずの容姿を描くだろう。演出家は自分の気に入っている役者でこれを舞台にしたいと思うだろうし、腕と容姿に自身のある女優はわたしこそ、と思うに違いない。山本作品がいかに演劇に適したものであるかはこれ一冊を読むだけでも充分である。いやいくらでも作品名は挙げられる。そしてそれらは当然のごとくみな舞台化、ドラマ化されているのだった。なんとも偉大な人である。

「山本周五郎作品館」で調べさせてもらったところ、「おたふく」が最初にテレビドラマになったのは昭和37年(1962)のNHK。おしずは淡島千景。この人は婀娜な人だから適役だったろう。
 昭和42年(1967)にはTBSの日曜劇場で森光子がやっている。森光子はとてもかわいいし適役のようでありすこし違うような気もする。昭和47年(1972)にはNHKで池内淳子が主演している。この人は芸者役の似合う艶っぽい人なので似合っていた。森光子と池内淳子の「おたふく」は見ている。

 森と池内はその後、舞台でも演じている。気に入った役柄だったようだ。
 昭和51年(1976)に京塚昌子が舞台で演じているがこれはどうか(笑)。肝っ玉かあさんのあの太った京塚昌子である。これじゃそのままおたふくである。「おたふく」が男心をくすぐるメルヘンなのは、美人なのに自分を不美人だと思いこんでいて謙遜する点にある。ふたりが住み始めた長屋でもおしずがそれを連発するので、おかみさんたちはあんたがおたふくだったらあたしたちは、と鼻白んでしまう。とはいえそこはおしずの人徳でもめないことになっている。京塚のおしずには賛成できかねる。

 昭和52年(1977)には十朱幸代がおしずを演じて舞台にかけている。これはかわいいから適役だ。負けじと京塚も昭和55年にも演じているから京塚なりにこだわりがあったのだろう。私がここに書いたような京塚のおしずに対する批判は当然耳に入ったはずだ。
 昭和60年(1985)には三浦布美子がおしずを演っている。この人は芸者出身だったからさぞ似合ったことだろう。とはいえ私の描くおしずとはちがっているけれど。
 十朱はこれを当たり役にしたらしくその後もずっと演じている。でも平成3年(1991)のキャスティングには白ける。おたかを沢田雅美が演じているのだ。美人姉妹の設定である。沢田雅美はないだろう。
 その後、平成7年(1995)には京マチ子が、平成10年(1998)には朝丘雪路がおしずになっている。まあこの辺はおばあさん女優の芸能生活何十周年記念公演だ。そういうテーマにも似合う作品ということである。

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 山本作品を読んでいるといつしかキャスティングを考えている。それは他の作家の作品でもたまにあるけれどこれほど頻繁な人は他にいない。役者がみな山本先生と呼び神様であることがよくわかる。

 対して藤沢作品は映像化には向いていない。よって「たそがれ清兵衛」でも「隠し剣 鬼の爪」でも監督が原作をいじくりまわした無茶苦茶な作品になってしまう。


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 再・ふたりの違い

 私はふたりを語るとき、まったく異なるという視点が最重要であると思っている。すなわち同じ時代劇作家というくくりから同一視するのが最もくだらない山本論藤沢論になる。

 過日ネットで以下のような文を見かけた。六十代の男性。長年の藤沢ファンであり「全作品とは言えないが八割は読んでいる」とか。私もそれぐらいになる。とっつきにくくて読んでないものが確実にある。
 すこし引用させていただく。

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 藤沢周平に出会う前、山本周五郎にハマっていた時代があった。たぶん全作品の6割くらいは読んだと思うし、再読、3読した作品もたくさんあった。
 藤沢周平作品の江戸下町物が周五郎に似ているなと思ったこともありました。
 だんだん周五郎物が読みづらくなった時季があったが、最近また周五郎も読み直している。
 周五郎も藤沢周平も主人公に対する目線、立ち位置が同じ。
 「周平獨言」の中でも藤沢周平さんは、周五郎さんに似ていると言われることに抵抗感を感じていないし、むしろ近親感を抱いていたのではないかと思う。


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 両氏の作品を「目線、立ち位置が同じ」とするのはいかがなものか。私はそうは思わない。でもそれは私個人の感覚だから強硬には言わない。
 でも次の箇所には言いたい。「周五郎さんに似ていることは」の部分である。藤沢は「抵抗を感じていたし、親近感ももっていなかった」と私は思うし、それは私の感覚ではなく、藤沢のその文章から直截的に伝わってくることである。無心で読めばすぐにわかる。それがわからない人は、最初からふたりを好きだからふたりもそうにちがいないと決めつけているのだろう。

 藤沢は山本の影響を受けていない。まったく別の地平から生まれた人だ。だが時代劇というジャンルを選んだために、常に先達であり巨人である山本と関連づけられることになった。第二の山本、新山本と、常に山本と比較され、繋げられて語られた。それだけ山本が偉大だったことになるが、山本作品を意識したことなどなかった藤沢にとってそれは大きな苦痛だったことだろう。
 それまでとりたてて意識したことなどなかっのに、世間からそういうふうに語られると意識せざるを得ない。もともとたいして読んでいなかったろうが意識が窮屈で読めなくなってしまった。藤沢はそう書いている。




 いやしさについて──林真理子論






「メコンを舞台とする小説」
http://www.mekong.ne.jp/books/fiction/020701.htm



   

 《単行本》      「サンケイ新聞」夕刊昭和61年5月1日から62年7月16日

           文庫版は、文春文庫より上・下2巻で1990年11月(第1刷)発行

 

  

 1982年、エッセイ集「ルンルンを買っておうちに帰ろう」でベストセラー作家となった林真理子氏は、1986年、OLから造花クリエーターに転進した女性が出張先の札幌で7年前に別れた男と再会する「最終便に間に合えば」、フリーの女性編集者が古都を舞台に齢下の男との甘美な恋愛を描いた「京都まで」の短篇で、1986年直木賞を受賞する。

 (直木賞受賞2作品他を収録する短篇集「最終便に間に合えば」の単行本は1985年

  11月文藝春秋刊、文春文庫は1988年11月刊)

 

 同年(1986年)5月、「サンケイ新聞」夕刊に連載開始された長篇恋愛小説が本書で、新聞連載は翌1987年7月まで続き、1987年11月、文藝春秋から単行本が刊行された。本書では、「ベトナム」「ベトナム戦争」が、大きな意味を持つ形で登場してくるが、林真理子氏の他の多くの作品同様、都会に働く一人暮らしの女性の恋と仕事・生活が描かれている。

 

 この小説の主人公・日向奈々子は、代官山に一人で暮らし、南青山にある有名デザイナーの奥山裕子事務所に勤める企画室サブチーフと言う肩書きを持つマーチャンダイザー。20代後半であるが、20代前半にしか見られず、すんなりと足が長く、ミニスカートがよく似合うファッショナブルで肌の美しい明るく可愛い女性だ。

 

 主人公の奈々子は、シンガポールへの出張帰りの飛行機のエンジントラブルで、台北に一泊を余儀なくされた。そこで出会った男は、ベトナム戦争の取材経験を持つフリーのジャーナリストだった。梶原基治という名の40代半ばのその男は、アメリカ東部の大学を卒業し、その後新聞社に就職。新聞社に入ってすぐ、香港の支局に行き、それからベトナ

ム勤務になり、ベトナム戦争に戦争特派員として従軍するが、その後従軍後遺症に苦しみ、離婚もし新聞社も辞め、今は事務所を開きフリーで雑誌に固めの記事などを書いている。

 

 最先端のファッション業界で働き、遊び、恋愛に、セックスに、ファッションに、グルメに飽満していてほんものの恋をしてみたかった奈々子は、梶原に対しこれまでの奈々子の近くにいた男性とは違うものを感じ惹かれていくが、梶原はいつまでも奈々子と寝ようとはせず、こころゆくまで奈々子をじらしていく。この間にも奈々子は、6年以上も前からの妻帯者の恋人である俊や、知り合ったばかりの年下の三郎という男性とは易々とセックスを繰り返す。ほんものの恋を求め始めた女性の心の戸惑いや、奈々子と梶原との恋の展開など、十分味わえるかなりの長篇恋愛小説。

 

 文庫版の下巻に掲載されている文芸評論家の川西政明氏による見事な解説も見落とせない。この小説の美学についてということとともに、男にとっての「ベトナム」とは、それに対し奈々子にとっての「ベトナム」とはといったことについての評論解説がある。歴史の裏切りによって、「熱狂の時代」であったある時代とその時代の「私に」もどってゆけなくなった男とその魂の痛み。現実のベトナムには男が思う「ベトナム」などもはやない。それに対し奈々子は愛する男の中の「ベトナム」を求めて現実のベトナムまで出かけていくが、梶原との恋にのめりこみながらも、奈々子の心が更に求めていたものは一体何だったのか?

 

 他にも林真理子氏の多くの作品に共通すると思われる女性の本音と現実、遠慮のない観察眼は、女性であれば共感できるであろうし、男性であれば驚くと同時に大変参考になるのではないだろうか。また1980年代後半の青山、麻布、表参道、六本木などといった街の生態や、都心に住むカタカナ職業の一人暮らしの女性の生活の描写は、林真理子氏お得意のものだろう。

 

 ベトナム戦争時の戦争特派員だったという梶原の存在や、梶原と奈々子とのいろんな場面での会話以外に、本書の中で「ベトナム」が、どう登場するか、どうかかわってくるかについて最後に紹介しておきたい。奈々子は、ある日酩酊して話がくどくなった女友達と別れた後、六本木の本屋で、ベトナム戦争を撮った写真集を手にとる。「サイゴン」「解放戦線」「閉鎖」「兵士」などという単語に眼が止まり、いつも読むファッション雑誌等とは違った軽い昂奮を感じ、メコン・デルタにたたずむ農民の姿などの写真も丁寧に眺め、写真集を購入するくらいに、奈々子は、梶原と出会って「ベトナム」という言葉を意識し始める。

 

 そしてプレス用の展示会のためにパリへ出張した奈々子は、仕事で関係した長らく海外で暮らしているパリ在住の山崎圭太郎とともにパリのベトナム人街を訪ね、そこで山崎とベトナムやベトナム戦争についても色々語り考える事になる。今のように手軽にベトナムへの旅行ができなかった当時「ベトナムにいってみたい」と言う奈々子に、山崎は「ベトナムだろうとカンボジアだろうと、君が男とか洋服以外のことで興味をもつのは、とにかくいいことだ」「とにかく勉強してくれよ。あんたもせっかく、こうして海外に仕事で来れる身分なんだ。いろんなこと勉強してくれよ」と言葉をかける。(第7章「ベトナム人街」)

  

  「パリ協定っていうのはなに?」と尋ねた奈々子が、「君たちの世代っていうのは、

  ベトナム戦争のことなんか何にも知らないんだな」と山崎に言われ、奈々子は

  17歳の自分を思い出した。・・・・奈々子はテレビ欄しか見なかったが、確かあの頃、

  新聞の一面にはベトナム戦争という文字がでかでかと出ていたはずだ。同い齢の

  友人の中には、意識の違うものが何人かいて、学園祭の時に(奈々子は千葉の田

  舎の高校出身)、「ベトナム戦争ー高校生の私たちから見て」などという研究発表を

  やっていたものだ。あの時、自分はなにをしていたのだろう。爪に透明のマニキュア

  をし、校則をおかしてまで軽くパーマをかけていた。そして他校の男の子たちとつれ

  だって、笑いさざめきながら展示物の前を通り過ぎたはずだ。「ねえ、あっちの『パンチDEデート』コーナーの方に行ってみようよ」  私ばっかりじゃないわ、と奈々子は

  つぶやく。今だってそうだけれど、ベトナムに詳しかったり、のめり込んだりした人は、

  みんな変った人ばっかりじゃないの。大部分の人間が、ベトナム戦争なんて、遠

  い昔、遠いどこかで起こった戦争だって思っているのよ。けれど、今の自分は、その

  戦争が行われていた国に、たまらないほどの興味を持っているのは本当だ。・・・

                                 (本書第7章より)

 

 1986年の年末の休みには、奈々子は「ハノイ、ホー・チ・ミン8日間」の団体旅行ツアーに参加する。今のように自由にベトナムに旅行ができる時と違って、長らく外国からの一般旅行者を自由に受け入れておらず、普通の団体旅行ツアー客を受け入れだした初期の頃で、当時のまだ暗く硬く物も何もないベトナムの旅の様子が窺い知れ、通訳やその同僚のベトナム人青年たちとのいろんな会話も展開されている。(第9章「サイゴンまで」)

 

 そして終章の「サイゴン」では、ベトナム戦争時フリーのカメラマンとしてサイゴン陥落の日も含めベトナムに滞在していたドキュメンタリー専門のカメラマン・唐沢が、奈々子に当時の梶原について述べる場面があるが、そこでは当時の各新聞社の特派員たちの生活ぶりや意識、サイゴン陥落前後の様子などについても、唐沢の見方・意見が語られている。




5/1  ケイタイが殺したミステリー

 何かの縁(=絶賛している雑誌新聞の書評を偶然読んだ、のような)で購入し、読まないまま何年もが過ぎている一群の本がある。せっかく買ったものをまったく手にしないことはあり得ないから何度かは読もうとしているはずだ。そしてのそのとっつきにくさで放り投げる。かといって捨てもしない。そういう類である。

 ここ五年ほどのあいだに三回引っ越しをした。そのたびに本を捨てに捨てた。今はもうかつての十分の一も持っていない。読書好きな学生ほども本を持っていない。なさけない状況だが覚悟してやったことでもある。
 そんなときもこれらの本は捨てなかった。読んで愛想を尽かしたわけでもない。未読のままだから未練がある。もしかしたらすごい傑作かもしれない。そんな評判の高いものばかりを買ったのだ。引っ越し先に持ってくる。そしてまた読まないまま何年もが過ぎる。そういう一冊として長年持ち運び、今年の正月にやっと読んだのが逢坂剛の「百舌の叫ぶ夜」だった。いったい買ってから何年経っていたろう。昭和五十年代半ばの発刊だから二十数年か。いやはや。

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 これらの本を捨てられない因は船戸与一である。他所に書いているが、友人から彼の「猛き箱船」の文庫本をもらった。ヨーロッパへの旅行前。餞別だと言って。5冊組だった。十六年前。
 旅先でそれを読破し友人の絶賛する船戸を自分の読書範囲に加えようとした。どうしても読み進められない。とっつきにくい本だった。
 この小説は、船戸の作品にはよくあることだが、大幅に加筆されていて、いきなり主人公が山で射殺されるシーンから始まる。プロローグだ。これが長い長い。私はそこでもう頓挫してしまう。それがないともっと読みやすかった。週刊誌連載時にはこの部分がなかったから、すでに通読してあらすじを知っていた人には、この単行本で加筆されたプロローグ部分はたまらなかったと思う。プラスの作用。でも私にはマイナスに作用した。
 ちょいと腕っ節に自信のある若造が縁あって関わった男たちと戦場に出かけ、やがてニヒルな殺人マシンに成長する。裏切ったその男たちを殺し復讐を成し遂げる。それがメインの物語。
 加筆されたプロローグは復讐のさなかで隻腕となったその主人公が雪山で警察に射殺される壮絶なシーンだ。そこからプレイバックして本編が始まる。映画のようである。そういや「タイタニック」なんかもそうだった。しかし初めて読む私は、その長いプロローグに飽きてしまい、いつまでたっても本編に入れないのだった。

 その5冊組の文庫本は何度も日本と海外を往復した。毎回20冊ほどをもっていった。その中の5冊である。それ以外の15冊は毎回きれいに読破する。なのにこれだけが読めない。意地でも読もうと次回ももってゆく。読み終えたら現地の友人にあげてもいいし日本食堂に寄附してきてもいい。でも毎回読破できず日本に一緒にもどってきた。
 何度目かの持参、まったくもう読むものがなくなっていた。これしかなかった。しかたなく読み始める。そのときスイッチが入った。バンコクの台北旅社。その安宿で、やっとそのプロローグを突破し、あとは憑かれたように読みふけった。それから船戸作品に凝り(それは私が海外旅行ばかりしていた時期というのも関係があったろう)ほぼ全作品を読了する。
 いま思えば船戸の最高傑作とも言われる長篇が最初の出会いというのは重かった。短篇集からでも入ったなら違う展開もあったろう。だが苦労した分、思いいれは深い。いまも台北旅社で読みふけっていた時間、あのゴーンゴーンとうなる大型クーラーのうなりを思い出す。あまりにおもしろく飯を食いに外に出るのすら億劫になったほどだった。

 そういうことがあったからいつかまた同じような体験をする日が来るかもと、未読のこういう本が捨てられないのだった。絶賛する書評を見て買ったのは覚えている。傑作であることはまちがいないのだ。

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「百舌の叫ぶ夜」は、なかなか凝った設定の作品だった。書き上げるまでに何年もかかっているらしい。労作である。読み終えて「ほお、なるほど」と感心した。この仕掛けはたいへんだったろう。仕掛けを思いついてから構想を練り、何度も構築し直して作成したことがよくわかる作品だった。時空が前後するのでときどきこんがらがる。
 書き上げるまでのその何年かのあいだに同じような事件が実際に起きてしまい、決してそのことからヒントを得たのではないのだと弁明に苦労したとも書いてある。
 素直に優れた作品だと思う。凝っている。ただ私にとっていちばん肝腎な「憑かれたように一気に読みふける」というワクワクハラハラ感、スピード感はなかった。私にとってこの種の小説で最も重要なことだ。西村寿行に夢中になったのはそれだった。

 逢坂作品は、彼の大好きなスペインや彼もかなりの腕前らしいフラメンコギターにも興味があるのでだいぶ前からかなりの数を手にしてきたがどうしても夢中になれなかった。その原因がひさしぶりに読んだこの傑作でわかったような気がする。私は多少雑でもスピード感のあるものが好きだ。その点彼の作品は緻密に構成され知的だがその荒々しさには闕けるように思う。私のような粗雑な田舎者ではなくもっと上品で知的な人たちが好む作品なのだろう。
 一応「百舌シリーズ」を全作読んだのでその流れを追うけれど書こうとしているのは携帯電話に関する一般論。そっちがメイン。

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  過日、本屋で「よみがえる百舌」という文庫本を見かけた。平積みしてあったから出たばかりなのだろう。手にとって解説を読む。北方謙三だった。逢坂のことを「同じ大学同じ学部の先輩」と書いている。中央大学法学部か。北方はそこの学生運動家だったからそうなる。
 あの「百舌」の第二弾が出て、さらに何年かが過ぎて文庫本になったのかと思った。そうではなかった。私が第一作を読もうと思いつつ読まないでいるあいだに、百舌はシリーズとなって出ていたのだった。この「よみがえる」は第二弾ではなかった。

 第二弾が「幻の翼」

 第三弾が「くだかれた鍵」
 そしてこの「よみがえる百舌」が第四弾なのだった。

 北方はその前の「裏切りの日々」も入れると第五弾になると言う。この初期の短篇集である「裏切りの日々」に「百舌」シリーズの倉木警部の原型があるらしい。今回正規の百舌シリーズを読破したがこの「裏切りの日々」はまだ読んでいない。

 簡単な[感想]として、やはりシリーズ中最高傑作は第一弾の「百舌の叫ぶ夜」である。著者もこれに思い入れがあり、読者の反響、編輯者の勧めもあって続篇を書いたのだろう。主人公たち(主人公に「たち」はおかしいか?)が巻毎に死んで行く。

 「百舌の叫ぶ夜」では殺し屋の百舌が死んだ。それ以前に死んでいたはずの百舌の双子の兄がじつは生きていて北朝鮮に救われ仕込まれて弟の復讐をするというのが第二弾の「幻の鍵」。この兄がここで死ぬ。倉木と美希が恋仲になりおなかに子供がいるというのが結び。ここまでハッピーエンド風。

 第三弾の「くだかれた鍵」では主人公だった倉木が明星美希と結婚して子供を作るが、倉木とその子供、美希の母親が死ぬ。そういや倉木の最初の女房は第一弾「百舌の叫ぶ夜」で爆死したのだった。

 さて第四弾。いったいどうやってあの暗殺者「百舌」をよみがえらせるのだろうというのが注目の的、だったらしい。私は「百舌の叫ぶ夜」は傑作だったと思うが「幻の翼」「くだかれた鍵」とすこしテンションが落ちてきてそれほどの期待はしていなかった。
 なんだか「よみがえる百舌」は、「いかにして百舌をよみがえらせるか、よみがえった百舌の正体は?」にばかり注目がいってしまい、スリリングな部分が薄味になってしまったように感じた。
 この「よみがえる百舌」で、第一弾のころから関わっていた警察関係の連中が根こそぎ殺されてゆき、最後に司令塔の津城警視正も殺される。一貫して物語を引っ張ってきたチャーリーズ・エンジェルのチャーリーみたいな人(ぜんぜんちがうか)だから、この人を殺したらもう次の話はあるまい。
 美希と第一弾からの脇役である大杉が結ばれてハワイへゆくシーンでおしまい。
 馴染みのある連中を全部殺してしまったのでこの続きはないだろう。

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 私は今頃になって二十数年前に買った「百舌の叫ぶ夜」を読み、続篇をまとめ読みしたという特殊な立場だ。遅れてきたファンというわけでもない。
 リアルタイムでこのシリーズを追い、続篇を待ちかねリアルタイムで読んできた逢坂ファンにとっては思い出深い作品であることだろう。逢坂さんにとってもファンからの要望もあり、いかにして続篇を成立させるかと楽しく悩んだ愛着ある作品であるに違いない。

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◎携帯電話とミステリー
 毎度のことながらこの種の作品を読むと携帯電話があったら成立しない場面が連続しているなと思う。殺人事件がいままさに起きようとしている緊迫した空気、なんとかそれを阻止しようと汗みどろになっての力走、そんなものもすべてケイタイがあったら解決してしまう。しかしあの時代、それは夢にも描けない未来の機械だった。007ですらもっていない。それが今、小学生でも持っている。この通信機器の変えた環境は大きい。

 私ですら違和感を持ってしまうのだから、ケイタイがあるのが当然という育ちかたをした人はこの種の小説にどう対峙するのだろう。「パンがない? だったらケーキを食べればいいじゃない」と言ったマリー・アントワネットのように、劇中の苦労がまったく理解できないのではないか。
 といって私も、むかしのものがみなそうだと言っているのではない。たとえば宮沢賢治の作品を読んでそう思う人はいないだろう。この種のジャンルである。作り上げる危機的状況が「ケイタイがあったらこんなの簡単に解決できるな」と思ってしまう作品はどうしてもその感覚がつきまとう。

 この「百舌シリーズ」では最後の作品である「よみがえる百舌」に小道具としてケイタイが登場する。美希が正体不明の百舌に犯される。自分の部屋だ。四肢を縛られ目隠しされている。その間に4度居間の普通電話が鳴る。そのことで電話を掛けてきた男は自分を犯している男とは違うということになるのだが、それは操作音を消したケイタイで、百舌が犯しながら掛けていた、という話。たいしたことはないトリックだがシリーズ中ここまできてやっとケイタイが出てくるのは、二十数年間に4冊出たものを順序立てて一気に読んだ身にはみょうに新鮮だった。

 やはり時代劇は万能である。電話もクルマもない。空間限定の作品は自由度が高い。エヴァーグリーンを目指すならそっちだ。

 推理小説、探偵小説、ミステリー、ハードボイルド、呼び名はなんでもいいけど、私は殺人事件を扱った小説が嫌いである。人がまずポンと殺され、さてこの人を殺したのは誰でしょう? ということを楽しむ作品をどうしてもおもしろいとは思えない。やむにやまれず人殺しをしてしまう小説は読める。そうではなくてそれらは、犯人を見つけるために殺している。とはいえ赤川次郎でも西村京太郎でも人並みには読んでいる。それは若いとき、読まねばまずいのでは、と思ったからだった。最近はまったく読んでいない。彼らの古い小説をいま読むとどんな感じなのだろう。ケイタイが普及してからの彼らの作品はどうなっているのだろう。

 小学生でもケイタイをもっている時代に書かれたかつての西村寿行作品のような活劇話はいまどういう状況なのか。探して読んでみよう。なにがいいのだ。大沢の最新作でも読んでみるか。


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 最新作を読んでみた add5/5
 
 携帯電話のない時代に書かれた作品を読み「こんなトリック、ケイタイがあったら……」では片手落ち(=放送禁止用語)である。立て続けにケイタイの登場するらしき作品を何作か読んでみた。
 それで確認したのは、言うまでもないことだが、「ケイタイのある時代にはそれに対応したミステリィがある」ということである。あるならあるでいくらでも謎は作れるのだった。それは当然である。私もケイタイが普及したからミステリィが作れないと思ったのではない。過去の名作がケイタイのことを考えると死んでしまうと思っただけである。それは江戸時代を舞台にしたミステリィが電話や電灯があったら成立しないのと同じである。あとは指紋検証とか。
 
 携帯電話のない時代に書かれたミステリィは、携帯電話の存在を知らずに書かれている。あたりまえだ。だからケイタイのある時代に読み直すと、「こんなのケイタイがあったら」と思ってしまう。
 でもこれってブンガクを考えるときけっこう奥深い。古い時代を舞台に作品を書くとき、それは最新の文明の利器があることを知っていて書くからである。時代小説を書くということは、あまりに便利すぎる現代の利器を否定するようでいて、実のところその煩雑さから逃げているともとれる。
5/5
 透き通った少年の手紙

「優しい子よ」──大崎善生

 たどり着くまでの流れは、「女流将棋獨立問題」
 元将棋連盟職員、日本将棋連盟の機関誌『将棋世界』の元編集長だった大崎さんの妻である高橋和(やまと)は当然のごとく獨立派と思われていた。名人戦問題のとき、将棋連盟を批判した大崎への米長のひどい言い様を思えば誰しもそう思う。そう噂されていたし私も確信していた。そうあって欲しかった。

 ところが残留派の中に名前を見つけた。意外だった。そのことから和ちゃんのブログに出かけたりしてこの本を知った。Amazon等で大まかな内容を知る。読みたいと思った。
 山奥住まいなので大都市まで出かけないと入手できない。あるはずもないと思いつつネットで調べるとこの地域の図書館にあった。珍しい。しかも私の住まいのすぐ近くのちいさな分室にある。いい目が重なった。まずこの地域の貧相な図書館で欲しい本があったためしはない。電車に乗って出かける本館でもだ。それが近くの分室にある。すれ違いにならないよう急いで出かけた。あった。借りた。

 以上すべてネットからの流れである。インターネットがなかったら私はいまだにこの本を読んでいない。出版されていることも知らなかった。大崎さんの本はすべて読んでいるのでいずれ読んだとは思うが。
 ネットがいかに自分の生活の中に根ざしているか思い知る……。すこし複雑である。

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 ネットの紹介文を読んだとき、私はなにを勘違いしたのか、この「優しい子」とは和ちゃんのことと思ってしまった。

『将棋世界』編集長の大崎とアイドル的存在の女流棋士だった和ちゃんの結婚は将棋ファンのあいだで話題になった。年齢差は19歳である。27と46だったか。
 編集長当時、大崎は和ちゃんを売りにしてヨーロッパの将棋普及に出かけたりしている。『将棋世界』の企劃として。だからこの結婚は芸能事務所の社長が所属の売れっ娘に手を出したようなものだった。それでも私がこの結婚に好意的だったのは大崎が初婚だったからだ。何度も離婚してきたのがまたしても若いのに乗り換えた、わけではない。むしろ不細工な(失礼)大崎が和ちゃんをモノにしたことに拍手を送りたい心境だった。

 和ちゃんは4歳の時に大きな交通事故に遭い左足が不自由だった。父親が娘に将棋を教え女流棋士にしたのは、将来歩かなくてもいい職業を考慮してだという。彼女は女流棋士いちばんの美女としてアイドル的存在ではあったが(和ちゃんはかわいい。でも他にかわいい娘がいない世界でもある)、いわゆるグラビアアイドル的なものではなかった。健康美ではなく、か細い今にも倒れてしまいそうな娘さんだった。
 そこまでは将棋ファンとしておおまかに知っていた。だが今回この本で大崎が書いている直截な表現から、こちらの思っている以上に彼女の足は悪いのだと知った。

 大崎は赤裸々に彼女の足の悪さについて書いている。何度も手術を繰り返した和ちゃんの左足を、「つぎはぎだらけ」と表している。食が細く体は棒のよう、と。
 正常な右足が23.5センチであるのに対し、皮膚や腱の移植の手術を繰り返した左足は22センチしかなく、いつも靴は2足同時に買い、いらない方をその場で捨ててもらう話が紹介される。和ちゃんと逆に、右が22センチで左が23.5センチの人がいたら靴が無駄にならないのに、という話が切ない。
 彼女が靴を買うとき、このことを知った店員の中には、知らないうちにそっと自分の店員割引を用いて値引いてくれる人もいるとか。日本はまだ大丈夫だと安心する。身体的マイナスを背負うのはたいへんだけれど、そのことで見えるものもある。

 初めて書かれたふたりの結婚生活に関する部分には、十九も年下の棋界のアイドルを娶ったオヤジのはしゃぎぶりを期待したが、それどころかむしろ体の弱い妻をかばう日常のたいへんさのほうが目についた。

 それらは誰も書かなかったことだから衝撃的である。いや誰もそんなことは書けるはずがない。本人か亭主しか。この本は大崎が今まで決してふれなかったふたりの生活について書いたことでも興味深い。「ノンフィクションと小説のあいだ」のような作品である。

 将棋ファンとしてそういう流れをほぼ知っていたから、この本の中心人物が彼女ということもあり、「優しい子」とは獨自の感性を持った和ちゃんのことを語ったのだろうと早呑み込みしてしまったのだった。

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 ところがそうではなく「優しい子」とは、そんな和ちゃんにファンレターを寄越した、末期の白血病で苦しむ少年のことだった。自分が癌末期の痛みにのたうち回りながら、それでも「高橋先生の足が痛くなりませんように祈っています」と書いてくるこの子の手紙が胸を打つ。子供の書いた子供の文章の手紙なのだが、なぜかリリカルで不思議な透明感に満ちている。

 彼が読んで感動し将棋に興味を持つきっかけになる「聖の青春」の著者が和ちゃんの亭主だったという偶然も重なる。そういう形で将棋に興味を持ち、将棋雑誌を買ったら、そこにアイドル顔負けの和ちゃんの写真があった。十歳の少年は初めて恋をしたのだろう。ファンレターを書く。和ちゃんが色紙を送り、本を送り、励ます。手紙の交換。

 励ますために面会しようとする和ちゃんを少年の方が拒む。元気になってから会います、と。治療によって見る影もなくなっていたから(毛はなかったという)会いたくなかったのだ。それが恋である。

 交流はわずか三ヶ月で終る。少年の死。享年十歳。
 父親からの手紙。「息子は人生の最後に高橋先生に恋をしていたのだと思います」に納得する。

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 少年との出会いと別れをつづったのが一章。
 テレビマンユニオンを作った伝説の人物、萩元晴彦の人生を追ったのが二章と三章。デビュウしたばかりの新人作家大崎を気に入り、熱心に応援してくれる萩元との出会いは、これまたいい話である。

 四章の「誕生」は、和ちゃんが妊娠したこと。流産の危機を乗り切ると、「棒きれ」のような体だった彼女が食欲旺盛になり、ふっくらとし、日々か細い女の娘から強い母へと変身してゆく。そして出産。

 少年の死からあたらしい命の誕生まで、雑誌に発表された順に並べられただけのよっつの短篇が、うまく絡み合い、なんともいえない調和を醸し出す。
 いい本を読んだ。


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 K君の偶然

 なぜK君に和ちゃんの話をしたのかいまだに流れがわからない。
 立川でK君と飲んでいた。というかご馳走になっていた。有馬記念のときもオケラになってご馳走になり今回もまた同じく。ふた回り近く年下の青年に迷惑ばかりかけている。すまん。

 きっかけは骨折か。K君が友人とサッカーをやっているとき骨折し、ここ一ヶ月松葉杖生活だったと話していた。でもなぜそこから将棋界の和ちゃんなのかわからない。なにか引き寄せるものがあったのだろう。
 私は和ちゃんの足のサイズが違うこと、手術を繰り返した左足は「つぎはぎだらけ」のようであることをK君に話した。まるでこの世にふたつとない話であるかのように。
 するとK君が自分も同じだと言ったのだ。足のサイズは26センチと23センチだから和ちゃんよりも差が大きい、と。ぼくの左足もつぎはぎだらけですよ、と。
 しかも事故にあって左足が不自由になった年齢も四歳と同じだった。

 なんともいえない神妙な気持ちで私はたたずんだ。和ちゃんと同じ苦労をしている人がこんなに身近にいると思いもしなかった。
 K君はでもその足で長距離走までこなしてしまうというから日常生活でも不便を感じることがある和ちゃんとは違っている。靴は足幅があるから、二足買うこともせず、前後に詰め物をすることもなく、ふつうに一足を使ってきたという。でも彼が見せてくれた左足のくるぶしは健常な右とは違っていた。

 K君は不思議な魅力の青年である。人と違うオーラを出しているのだ。それは寂しげな人の夕暮れの消えそうな光のようであり、強さに秀でた人が放つ熱線のようでもある。私は彼と知り合ってからその光の正体を知りたいと願ってきた。だから彼と話すと私は質問ばかりしている。ピアノを習っていた当時のことや、ブラスバンド時代の話を聞くのが好きだ。だけど彼の放つ光の正体には近づけなかった。
 今回のそれがすべてとは思わないが、和ちゃんの話から一歩近づいた気がする。

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 翌日彼からもらったメールには、子供時代彼も将棋に凝り、千駄ケ谷の将棋会館にまで出かけていたことが書いてあった。いくつもの輪がつながって不思議な気分になった夜だった。

5/30  ささいな疵かもしれないが


 ひさしぶりに気持ちよく泣こうと浅田次郎の短篇集「見知らぬ妻へ」を借りてきた。初版でもっていたが短期間(私にとっては)に連続した引っ越しの際、本を捨てまくったので今は手元にない。所在なげな春の午後に泣かせてもらおうと図書館で借りてきた。
 ところがまったく泣けない。それどころか細かな瑕疵が気になって没頭できない。以前は泣けたはずなのだ。こういう感覚の変化はどこからくるのだろう。
 いや違う。思い出した。この作品集には初めてのときも同じ事を感じた。そう感じたから捨てたのだった。その他の作品、たとえば大好きな「プリズンホテルシリーズ」等はいまでも単行本も文庫本ももっている。この作品集は最初から缺陥に気づいたのだと思い出す……。

 赤坂のサパークラブを舞台にした作品がある。主人公は芸大出身のチェリスト。四十代。クラシック演奏者の道から挫折し今はピアノの弾き語りで食っている。華やかなエリートの集うかつて属していたクラシック界と今を生きる夜の世界の対比がテーマ。文中でも書かれているが我が子をクラシック演奏者に育てるには教育費や楽器代など医者にするより遙かに金がかかる。
 初めて来たときから酒場にあった旧いスタインウェイでジャズのスタンダードナンバーを毎夜弾き、時には渋い喉を聞かせる。無頼の生活ではあるがそこそこ生活は安定しているし格別の不満もない。がもちろん道を踏み外した救いがたい闇は抱えている。
 かつての芸大の同期生で今はオーケストラの指揮者となっている友人。彼の妹がむかしの恋人。今や世界的ヴァイオリニスト。
 そこに絡んでくる地回りのヤクザ、蝶々のように男と男のあいだを舞っている夜の女。
 またクラシックの世界にもどってこい、妹はまだ君のことを……という友人の誘いを悪ぶって断り、いつものよう夜の街へ……。
 というクラシック音楽の世界から挫折した男のほろ苦い物語なのだが……。

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 店にある古いスタインウェイ。これがあったから主人公はこの店で働く気になったという重要な小物。調律が狂いGの音がフラットしてF#になっているのだとか。だから彼は毎夜Gを飛ばして弾いているという。んなアホな。何度のGなのか出てこないが、あまり使わない低音であれ高音であれ毎夜毎夜ジャズのスタンダードナンバーの弾き語りをGを飛ばしては弾けまい。それにどうやら話から推測するにこのGはそんなに端っこではないようだ。それが一夜の苦労話ならまだわかる。翌日調律師を呼び寄せてすぐに直した、というのなら。でもそうではない。ずっとその状態らしいのだ。それがそのピアノの個性になっている。そういう外連に奔る気持ちはわかる。浅田さんはそれが大好きだ。ここでも物体を通り越して脇役の地位すら与えられているスタインウェイにそういう性格つけをしたのだろう。だけどそれはいくらなんでもちょっと……。
 発展途上国の学校や酒場ならGの音のでないピアノもあろうが、赤坂の降級サパークラブなのである。そこで毎晩ジャズのスタンダードナンバーを弾き、歌うのに、このピアノで可能とは思えない。

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 同じ店で働くギタリストの青年。外見は髪を赤く染めたロック風、軽薄そう。だが実はかなりの実力者。彼のピアノとアコースティックギター一本で五分に渡り合うという。ステージはピアノとギターが30分交代。店の呼び物らしい。
 そのギタリストの彼が出番前にギターを磨いている。宝物のように愛しげに。だがそのギター「フェンダー」なのだ。ここもわからない。彼はアコースティックギターで弾き語りをしている。フェンダーのアコギ? 実力者の彼はいま高名なジャズバンドに欠員が出来て誘われているという。夜の弾き語り生活から脱出だ。ならますます「宝物のようにして磨いているギター」がフェンダーではおかしい。彼のプロフィールと弾き語りから、常識的にはここはギブソンのフルアコだろう。それでも「アコースティックギターの弾き語り」とは矛盾するが。いったい彼が宝物のように磨いていたフェンダーのギターってなんなんだ。
 いやフェンダーでもいいのである。夜の酒場でストラトを使い、エフェクターを多用した弾き語りはある。洒落ている。ピアノとの音量差を考えたら、こういう店での演奏はエレキでやったほうが自然だ。だけどその前にアコースティックギターの弾き語り、と書いてしまっている。そして愛しげに磨いているフェンダー。どんな高級なフェンダーのアコースティックギターなのだろう。無知としか思えない。

 音楽音痴が書いたものならまだ許せる。だがカラオケ時代到来の前に浅田さんは弾き語りをしていたとエッセイに書いている。たいそう人気のある高収入の弾き語りだったと。もしも音楽知識があるのならこの文章と設定はあまりにお粗末である。ただ私は氏の文章から音楽のにおいを嗅いだことはない。そこから推測すると、この腕のいいギター弾き語りという獨白はカラオケ時代を否定し笑いをとるための前振りだったから(あんなものが登場したために売れっ子の弾き語りだった私は食いっぱぐれた、あんなものさえ出てこなければ……カラオケには恨み骨髄、というような)話をおもしろくするための作り話だったのかもしれない。
 何冊も出たエッセイ「勇気リンリン」シリーズにも音楽の話は出てこない。こういう趣味の薫りは出そうとして出すのではなく隠しても見えてしまうものである。浅田さんのギタリスト能力にはどうも眉に唾をつけたくなってきた。

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 こういう話でいつも思い出すのは「課長 島耕作」である。(他の項目でも書いているが)私はこれの「ニューヨーク篇」「フィリピン篇」を楽しんだ。弘兼さんもニューヨーク篇などは「いったいどれぐらい取材されたのですか」とニューヨークに詳しい人たちから問われ、「一週間です」と応え、「えっ、たった!」と驚かれるのが快感だったようだ。もちろん「たった一週間の取材で何年も住んでる日本人もおどろくようなあんな物語が描けたんですか!」という驚嘆であり、取材者としてそれにほくそ笑んでいるのである。私も後日譚としてそれを知ったときはすなおにすごいなあと感心した。

 ところが「タイ篇」になったらいきなり楽しめない。タイに関しては私も詳しかったからだ。弘兼さんが忙しい合間にこなしたであろう「一週間の取材旅行」が、どんな日程でどんな形で行われたかまですべて読めてしまう。バンコクでのトゥクトゥクの運転手、パタヤのオカマショー、私がガイドをやっているようにすべての行動形態が読めた。展開もエピソードもすこしも楽しめなかった。じゃあニューヨーク篇やフィリピン篇がタイ篇よりすぐれていたのか、タイ篇は劣っていたのかというとそういうわけでもあるまい。読み手の私の問題である。ニューヨークやフィリピンに詳しくないから感動した。タイは弘兼さんより詳しかったから感動しなかった。それだけの話である。

 それで思う。こういうのってみんなそうなのではないかと。
 私は浅田さんの書くヤクザの世界を感心しつつ読む。彼らの使う専門用語ひとつ知らないからいつ読んでも新鮮な世界である。しかしそれは私が「知らないから」なのではないか。
「プリズンホテル」に出てくる看護婦阿部マリアの医療知識、連発される薬の名と治療の手さばきに圧倒される。しかしそれはこちらにそういう知識がないからであって、専門家から見たら「ふんふん、よく調べたな」であり、中には「こんなのないよ」と苦笑を誘う間違いもあるのかもしれない。
 まあ調べて得た知識ってのはそんなものだ。

 こういう瑕疵に気づいたときいつも思うのは「編輯者」の存在である。浅田さんの担当者はこのことに気づかなかったのだろうか。浅田さんの手書き原稿をもらい最初に読むのが編輯者だ。彼がそこで意見を言えばいい。「Gの音のでないピアノを毎晩弾くって無理があるんじゃないでしょうか」と。
 もしも担当編輯者が音楽に詳しくなく気づかなかったとしても、小説雑紙に発表された後、編集部には読者から意見が寄せられたと思う。その中には私と同じ考えのものもあったろう。それを浅田さんに伝えていないのだろうか。伝えていれば単行本化の時に修整できた。

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 先日読んだ宮本輝の小説は、阪神淡路大震災による人生の激変をテーマにした作品だった。主人公の三十代女は、ひょんなことから離婚になり、顔見知りの老婆から軽井沢の地所と建物を遺産としてもらい、と人生の激変が続く。最初は遺産相続を固辞していたがやがて主人公はその家をもらい、地震で親兄弟を失った少女たちを引き取って育てることにする。そこにおけるそれぞれの個性と軋轢、旅立ちの物語だ。

 少女たちの中にひとり、女子プロレスラーくずれがいる。名前は「マフー」、自分で考えた「魔風」というリングネームであるらしい。女子プロレスに憧れ入団したが練習の厳しさに耐えきれず挫折した。
 それぞれの少女が特有の道を見つけて巣立ってゆく物語。体が大きく外見も性格も粗暴な彼女は意外にも陶芸に才能を見いだし、という落ちになっている。
 彼女は自分のことを「俺」と言う。少女たちとの会話に「腕十字を決めたるで」とマフーが言ったり、他のメンバーが「あの背骨折りをやられたら死んでまう」のようなものが登場する。主人公の三十代後半の女が「危ないからあの背骨折りは禁止よ」なんて言ったりする。生活の中にプロレスが根付いている。というウソ。一読してウソだなあ、と白けてしまう。

 宮本輝はこういう外連が好きである。七八人いる少女にキャラクターつけをしてゆくとき、「女子プロレス出身のゴツい娘」を想定したのであろう。ゴツくて自分を俺と呼ぶ一見粗雑な娘が意外や意外繊細な陶芸の世界に能力を発揮し巣立ってゆくという流れ、そこから始まったウソだ。こりゃおもしろいと設定に酔い知りもしないプロレスを調べもせず知っている言葉で語らせた。それが「腕十字固め」であり「背骨折り」だ。そのウソがプロレス好きには見えてしまう。とてもそれはプロレスに憧れ、挫折したとはいえ入門までしたプロレス好きのことばではない。
 さらにいえば宮本が「プロレスのことなどこの程度で(一般的には)充分だろう」と甘く見ていることまでが見えてくる。まあ実際それで充分であり、プロレスを知らない宮本ファンは「あの女子プロレス出身のマフーって登場人物、よかったよね」なんて話しているのだろう。つまりはこれも「島耕作」のタイと同じでそれに詳しいこっちの問題になる。

 小説家はもともと知らない世界のことを調べて知識を得、話を展開させる場として、あたかも専門家のように嘘をつくのが仕事である。専門家を唸らせる綿密な取材もあれば苦笑される手抜き取材もあろう。技倆の差はあれ、どんなに努力しても全ジャンル完璧にはなれない。多少の齟齬はしかたない。しかし根幹的な手抜きを見破られてはならないだろう。宮本のこれは設定に酔ってしまっての手抜きである。ほんのすこし女子プロレスに関する勉強をするだけで簡単にクリアできたことだ。私が不快なのは調べものとしての手抜きより、そこにあるプロレスに対する精神的な見下しについてである。絵画や陶芸の世界なら本格的に調べる。でもプロレスだから適当でいいだろという。もっともプロレスを知らない彼にとっては、腕十字も背骨折りも十分に勉強しての用語なのかもしれない。

 どう考えても矛盾だらけの将棋マンガ「月下の棋士」を、その缺陥に眉をひそめるのではなく、将棋がメジャな漫画雑誌のテーマになったと将棋関係者がこぞって喜んだように、こういうのも女子プロレス関係者はうれしいこととして受け止めるのだろうか。宮本のこの小説を読む女子プロレス関係者がいるとは思えないが。
 結局プロレスであれ将棋であれこういうことに腹を立てるのは私のような熱心なファンという第三者であり、内部関係者やその他大勢のファンは気にしないのだろう。

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 と書いて本業のことで思い出した。ヤマグチヒトミの「草競馬流浪記」である。私はこの本を「高名な作家が大出版社の編集者二人を引き連れて地方競馬場を訪問し、わかったようなことを書いた駄本」と切り捨てた。なにしろ現代の黄門様を気取るのはいいとしても、この黄門様、いきなり地方競馬場の貴賓席に乗り込むのだ。理事長以下のお迎えである。ドラマの黄門様のように庶民のふりをするならともかく、最初からも葵の御紋を出しっぱなしである。ウソでもいいからこっそり訪れ、地方競馬ファンとひとりの競馬ファンとして接した、ぐらいはやって欲しかった。まったくしない。しかし平然とそれらしきことを書く。本人のやりたいのは「あんな高名な作家なのに鄙びた地方競馬なんてものが好き」と好意的に受けとめられることだ。全身から「ぼくって田舎の地方競馬なんてものが好きだったりするんだ」と発散している。この人を持ちあげる役目の地方競馬が気の毒だった。なんとも醜悪な姿勢だった。しかし現実には競馬会は彼を貴重な広告塔として尊重していたし(そのことから発生した勘違いなのであろうが)、地方競馬側もヤマグチセンセイに御来場いただいて小説雑誌に紀行文が載るならこんな光栄なことはないと歓待した。(へたをして悪口を書かれたらたいへんという気持ちもあったろう。)
 ファンの中には「全国の地方競馬場を訪問したこの本はわたしのバイブルです」なんて得意げに話すのもいた。その辺の感覚の差はいかんともしがたい。

 私にとってこれはいい踏み絵になった。競馬ライターでもこの本を褒めるのはいたが、それはみな競馬など知らず原稿料を稼ぐために参入してきた連中だった。競馬場を這いずり回ったファンはみなこの本の臭みに辟易した。それはもう見事に分別できたものだった。

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 浅田、宮本、ヤマグチの三者のそれは共通のようでまったく違う。ひどい順で言うとヤマグチ>宮本>浅田となろうか。
 浅田のは小説的なちょっとした勇み足であろう。どんな分野にでも踏み込んでゆくジローちゃんのちょっとしたミステイクだ。白けてしまったという意外なんの問題もない。しかし毎度思うのだが編輯者はこういうことに気づかないのだろうか。音楽好きの編輯者が、「浅田さん、半音狂ったスタインウェイを毎晩弾くってのはちょっと無理があるんじゃないですか」と言えばすむことだ。作家は編輯者が育てるものだ。この辺どうなっているのだろう。

 宮本のもまた単純な勇み足、というか手抜きの缺陥なのだろうが、なんとなくそこに彼の価値観が見え隠れしてすこしイヤミである。これは編輯者は知らない。むしろ「先生は女子プロレスにまで詳しいんですか。いやあさすがですね。おどきろました」ぐらいの世界だろう。

 ヤマグチの場合は彼の存在そのものである。この競馬に対する姿勢が彼の人生観だ。芸能人、棋士、騎手等、暮れに自分が目を掛けている(と本人は思っている)連中を呼び寄せて家の大掃除をさせ、一緒に正月を迎える。文豪と取り巻きの藝人連中という形の旦那を気取りたかった彼の感覚は滑稽である。呼ばれたので行ったが、「なんでおれがモノカキの家の掃除をしなきゃならないんだ」とケツをまくって二度と行かなかった小島太は男である。

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 評論家じゃないんだから作品の穴ぼこを指摘してもつまらない。ただ最近読んだ本として気になったのでメモのつもりで書いた。浅田さんの短篇集「見知らぬ妻へ」が同様の「鉄道員」「月のしずく」よりも遙かに落ちるのは事実だろう。こういう短篇集の出来不出来ってのはなにが影響するのだろう。不思議である。

7/2 「渚にて」──久世光彦


商品の説明
出版社/著者からの内容紹介
中高生を乗せたクルージング・スクールの船が暴風雨に巻き込まれ、座礁。混乱の中、無人島に漂着した少年5人、少女2人。混沌の中で始まる彼らの生活、待ちうける困難。新境地の青春冒険小説。


内容(「BOOK」データベースより)
北極星が見えない!クルージング・スクールの船が暴風雨に巻き込まれ、孤島に漂着した宗近、黒木、カスミ、冬馬、フライデー、小林、未知。混沌の中で始まるのは、彼らの冒険なのか、それとも―。

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× なにをどう愉しめというのか

「青春と読書」に2001年から2003年まで連載され2003年9月に本になっている。メディアからは少年少女向けに発表されたのだろう。しかし内容は少年少女向けというより、「おじさんの幻想」色が強い。

 好意的に解釈するなら、著者はこの種の「漂流もの」における最大の問題である「食」を始め、衣食住等の問題がすべて満たされているとした上で、少年少女の精神的な不安と悩みを主題にした、となるのだろう。だから「漂流もの」ではないのだ。それに形を借りた、「閉ざされた社会における青春の揺れ動く心を扱った作品」とでも割り切らねばならない。割り切らないとバカらしくて読んでいられない。

 フライデーという渾名の中二の少年がコックになる。この辺はロビンソン・クルーソーの流れがある。
 調理は焚き火、鍋釜はヘルメット。タロイモ、果実のような山の幸、魚、エビ、貝などの海の幸、鴨を捕まえてのタンパク質、海水から作った塩をはじめとする調味料、と食はまるで都会にいるように豊か。「漂流もの」における最大の問題をまっ先にクリアしてしまう。まるで飽食の時代のよう。
 ツチブタを見つけるが殺したりはせず、二十匹をペットにして買うという餘裕。残飯をあげていたが足りなくなり、フライデーがツチブタのために料理を作り始めたりするアホらしさ。
 書くべきはツチブタを殺して食物にする過程だろう。殺される際の悲鳴。今までのスーパーで買っていた肉との違い。
 タンパク質は鴨で十分に得ている設定だが、鴨の首切り、逆さにしての血抜き、茹ででの毛羽取り、それらも半端なものではない。それらには一切触れずおとぎ話が続く。

 いくらそんなものがあっても本来なら飢えて痩せこける。山から掘ってきたタロイモをヘルメットの鍋で茹で、海水から作った塩で味つけをして喰ったところで、海から手づかみで捕まえてきた南洋の魚を、焚き火で焼き、塩をふりかけて喰ったところで、今の日本でハンバーガーを食って育った少年少女が満足できるはずがない。肝腎の米も小麦もない。パンもパスタもない。飢える。痩せる。汚くなる。不満がたまる。なのに黒木という少年など都会時代と同じく、遭難したその日から毎朝四キロのジョギングを缺かさない。毎日体を鍛えて筋骨隆々だ。黒木に倣ってみんなもジョギングを始める。どうなってんだ。
 さらにはわずかの道具で山から木を切り出し、七人それぞれの個室と全員が集まるリビングルームのあるログハウスを建設してしまうというスーパー少年少女。

 後半では男と女がくっついてこどもが生まれる。でも出産のたいへんさ、臍の緒のきりかたなど一切出てこない。卵を産むように簡単に子供が生まれすくすくと育つ。でもまあ私がこどもの頃、野良仕事に出ていた農家の妊婦が山で子供を産み、抱えて降りてきたなんて話はあったし、今も女子高生が駅のトイレで子供を産んでそのまま放置したなんて事件があるぐらいだから、安産型の人にとって出産はたいしたことではないと言えるかもしれない。原始時代、病院はなかったのだし。しかし難産で死ぬ人がいるのも現実。大人のいない世界で十代の少年少女だけの出産である。少女はもちろん初産だ。せめてお湯を沸かしたりもうすこしドタバタすべきではないのか。いくらなんでもあっさりしすぎている。

 そういえば排泄の問題もただのいちども出てこなかった。そういう話題は一切なく、やたら男女が全裸で滝に飛び込んで泳いだり、夜の海で抱き合ったり、きれいな話ばかり。ジャングルの中でもジェーンがきれいに化粧していて、やたら露出が多いかっこうなのに虫刺されひとつないるターザン映画を見ているよう(笑)。
 一度だけ出てきたトイレという言葉は、手作りログハウスに男女別トイレを作ったという噴飯もの。垂れ流しの無人島のトイレに男女別って……。人のした糞をツチブタが喰い、そのツチブタを殺して喰う、というのが自然な流れなのだが、ツチブタは予知能力のある賢い生き物として共存するともだちになる。はああ。

 洞窟の岩の上で寝ているのに、その苦しさもまったく出てこない。板の間で寝ることでさえたいへんだ。堅くて寝られたものじゃない。なんで今時の少年少女が岩の上で寝られるんだ。なんでそれで不満が出ないんだ。
 漂流ものとしてのおもしろさはまったくない。都会の中に人工的な無人島を造り、参加希望の視聴者を撰んで作った今風ドラマのよう。いやそういうものなんだな、これは。

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 失笑苦笑の連続であり、それを楽しむ作品なのだろうが、それでもどうしようもない疑問はいくつも出てくる。


救命ゴムボート──今はライムラフトと言うらしい。ラフト=Raftはイカダですな。言われてみるとボートよりはラフトか。

 七人の少年少女は最初は五人。それから小林と未知という少年少女ふたりが加わって七人になる。この小林と未知の出逢いは、船が難破して海に放り出された小林が周囲を見てもすでに救命ボート(ライフラフト)はみな満員の状態、乗せてもらえない。あちらのほうにひとつ、ひっくり返ったライフラフトが見える。そこまで泳いで行き、それをひっくり返して乗ろうとする。するとそこにしがみついていたのが未知だった、ということになっている。
 ここまではまとも。しかし七人が出逢ってから数日後にこの救命ゴムボートからギターが出てくるのである。暮らしの中に音楽が、と歓声が上がる。それは難破したとき未知が大切に持ち出したギターだった。となっている。

 だけど未知は前記のようにひっくり返ったライフラフトに必死でしがみついていたのだ。そのときギターはどうなっていたのだろう。そういう状態で海に投げ出され、小林にライフラフトに引っ張り上げてもらって漂流し、無人島に流れ着く。それでも無事だったギターとはどんなケースに入っていたのだろう。ボートがひっくり返るほど海水の中でもてあそばれたのだからまず完全防水のケースでなければならない。どんなケースだろう。強化プラスチックで出来た二重構造だろうか。寡聞にしてまだ目にしたことがないが、海外ツアーをするプロ用にあるのかもしれない。十五歳の未知は万が一の遭難のことも考えて高額なそれを用意していたのだろうか。ずいぶんと用意周到な十五歳だ。他の登場人物の持ち物として一冊だけの文庫本が塩水でぐちゃぐちゃになっていたりする。バッグの中に入っていたスポーツ紙を乾かして古い記事を読んだりする。そのへんはふつうに書いている。でもこのギターがなぜ無事だったのかには触れない。考えれば考えるほどに謎のギターである。

 しかもこのギター、すぐに音楽に飢えていたみんなの心の安らぎとなるのだが、活躍期間が異常に長い。無人島での七人の生活は二年、三年と続く。ギターは洞窟の中でも、海辺でも、一貫して毎日のように弾かれ、最終シーンまで活躍し続ける。となると本体と同時に替え弦のセットも百セットぐらいあったのだろう。しかしまあ洞窟暮らしがメインなのに、その中での湿気にも耐え、海辺で弾かれたりもするのに、潮風と南国の太陽の下でも壊れないおそろしく頑丈なギターである。

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 この少年少女がレトロ趣味でむかしの歌に長じているのもすごい。十五才の未知がギターを弾いて、十六才の黒木が「Yesterday」や「Yellow Submarine」等のビートルズメドレーを唄う。なんと芸域が広いことか。ビートルズ世代といわれる団塊の世代から無作為に七人を撰んできて遭難させても、そうそうビートルズメドレーを弾け、全員が英語で唄えるという可能性は低い。ビートルズ世代と言われる人たちなら誰もが知っているようでいて、音楽なんてそんなものである。なのにこの少年少女と来たら……。
 そこの表現は、こうなっている。「リヴァプールで生まれた音楽を、南の島で聴くのも、意外にいいものだ。《Yesterday》が潮風に吹かれ、《Yellow Submarine》が白い太陽にキラキラ輝く。」

 笑ったのは、「未知はいつもその日のみんなの気持ちに似合った歌を選んでくれる」というスーパーギタリスト&シンガーの未知が、夕食後にフォーシーズンズの「君の瞳に恋してる」を歌い出すのである。これだけでも腰を抜かすが、しかもそれにみんなで唱和するのだ(笑)。なんであんたらそんなに1960年代の音楽に詳しいの(笑)。自分たちの生まれる二十五年も前に流行った歌をなんでそんなに知ってるの。しかも英語で歌えるの。ずっと前に流行った音楽にこんなに詳しい少年少女たちがこの世にいるとは知らなかった。

「君の瞳に恋してる」を未知に歌わせる前に著者は「ちょっと古いが」と書いている。1967年のヒット曲を2001年に15才=1986年生まれの連中に歌わせるのにちょっと照れたか。まあリバイバルヒットもしているからつい最近覚えたのかもしれない。でもみんな唱和してる。それがすごい。未知は年相応に椎名林檎を好きだと言ったり、サザンの「Tsunami」が得意と言ったりする。一方でビートルズからフォーシーズンズまで英語で歌い、弾ける。未知の持ち歌の幅広さは、どんな大人向けのサパークラブ、ナイトクラブでも一流の弾き語りとして対応できるだろう。

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 難破して無人島に流れ着いてからも毎朝四キロのジョギングを缺かさない(笑)肉体派の黒川少年は、なんと「落語」という隠し芸も持っていた。これまたスーパー少年。十八番だという「志ん朝の野晒し」を披露する。みんなは笑い転げる。
 これもすごい。私は志ん朝の落語CDをぜんぶ持っているが「野晒し」は入っていない。志ん朝のオハコとして「野晒し」をあげる落語ファンはいまい。談志と混乱したのか。まずここからしてかなりズレている。
 京須さんがプロデュースした落語本、「志ん朝の落語 全六巻」には活字として「野晒し」が収録されているから演じたことはあるようだ。しかしそんなレアな作品をなぜ十六歳の黒川は知っているのだ。話せるのだ。なぜそれが十八番なのだ。映像がないのに身振り手振りはどうして覚えたのだろう。CDにはなっていないのだ。耳からは学べない。落語全集の活字からは覚えられない。よほどの落語マニアで物心つく頃から寄席に通い詰めていたのか。しかし黒川が物心つく頃に志ん朝の高座に通いつめるのは時代的に無理である。解決しようがない矛盾だ。

 しかもみんなが笑い転げたのは落語がおもしろかったからではなく、あまりにそれが志ん朝に似ていなかったからだという。「似てね~」と笑い転げるためには志ん朝を知っていなければならない。この少年少女たちが物心着いてからはテレビに出ていない(たまに出たことはあっても落語など話していない)落語家古今亭志ん朝をどうして全員が知っているのだろう。いやはや知識の幅が広いこと。

 これまた好意的に解釈するなら、著者は志ん朝の大ファンであり、名古屋の大須演芸場で演じられたレアな志ん朝の「野晒し」を観ていて、これこそ落語だと、落語ファンとして設定した黒川少年にそう言わせた、ととることもできる。でも実際は「沈んでいる少年少女に笑いをもたらす→落語」を思いつき、「落語家→志ん朝」「演目→たしか『野晒し』ってのがあったな」程度の思いつきから生まれたものであろう。全体がそういういいかげんな作りなのに、ここだけ趣味が先走ったとは考えにくい。

 そういえば一冊だけ無事だった文庫本が寺山修司の歌集ってのも笑える。おもしろい趣味の高校生だ。会ってみたい。一冊しかないそれは暗記されるほど読まれ、いくつかの場面において寺山の歌が読み上げられる。
 どうにもこの少年少女たちの趣味がわからない。いやわかる。私は大好きだ。彼らとなら酒を飲みつつ、人生や哲学、音楽文学、すべてを楽しく語れそうだ。まったく年の差を感じない(笑)。そこがわからない。

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 とまあこんなことを書くのは不粋である。ケチをつけるというならまず彼らがあまりに物知りだし、言葉遣いもすばらしいし、そこいら中が問題だらけである。それをいちいち取り上げたら切りがない。それらは物語進行上必要なのであろう。みんなが無知では物語が進まない。登場人物の役割はわかっているつもりである。ここに書いたのはこういう読み物にまじめにケチをつけることを不粋と割り切った私が、それでもいくらなんでもこれは、と思った箇所になる。

 これは執筆当時六十六歳の演出家が描いた夢物語なのだ。ジャンヌ・ダルクとされる美少女カスミの美しさ、奔放さ、性、そのカスミと恋仲になって子供を作り、遭難から三年後に救出されても、カスミと、ふたりのあいだに出来たこども静馬とともに無人島に残ることを選ぶ冬馬、その発想すべてが、久世さんの夢そのものなのである。
 十六歳の少年が、彼が恋する少女が、著者久世光彦が十代に若返って演じている彼の夢見る青春そのものだとするなら、前記したような、若者が唄う歌がビートルズやフォーシーズンズであることも、「志ん朝の野晒し」も、寺山の歌集も、みなすなおに納得できる。そりゃ私とも気が合うはずである。だってそれは少年少女に化けた久世さんなのだから。
 これはそう解釈して読む本である。まともな「少年少女漂流記」と思って接したらバカらしくて読めたものではない。だけど「青春と読書」に連載されたように、これはあらたな「少年少女漂流記」として世に出たものらしい。そうとらえて、本気で感想文を書いているのもいくつか見かけた。でもそれはちょっと……。

「時間ですよ」等の演出家としてしか知らない久世さんだが、物書きとしてもかなりの力量と聞いていた。読んだことがなかった。楽しみに借りてきたのだが大外れだった。だが結論はまだ早い。もう何冊か読んでみよう。でもしばらくはいい。すこし間をおく。失望はつらい。


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 まるで「ブルー・ラグーン」

 なんかこれと同じようなものすごくいいかげんな映画を過去に見たような気がして考えてみたらブルック・シールズの「ブルー・ラグーン」だった。邦題は「青い珊瑚礁」か。
 タイミング良くテレ東の午後の洋画劇場でやっていた。ばからしさはまったく同じである。こども二人であんなに家を造ったりたくましく生きてゆけるはずがない。いやそういうおとぎ話なのだろうが。
 ただ映像はこれでいいと思う。ひとつのファンタジーとしてああいうものがあってもいいだろう。映像のおとぎ話だ。だけど久世さんの小説の意味がわからない。これってジュブナイルなのか? 主人公たちと同じ年齢の少年少女はこの小説を読んでどう思うのだろう。

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×幼児語のこと

「ブルー・ラグーン」を見ていて、幼児同士で育った彼らの言語は、大人になっても幼児語のままなんだろうなあと思っていたら、ひとつのことを思いだした。

 知人の息子のことである。日本人男女のあいだに生まれた彼は、父親がタイ人女性と再婚したので、幼くしてタイにわたった。ただしくは生母と離婚した父と一緒にタイに渡り、そこで雇ったメイドと父が再婚したのだが。そのとき彼は生後数ヶ月だったという。乳飲み子を亭主に預けて離婚するこの母親もすごい。
 父親とは日本語で会話していたが周囲はタイ語会話である。学校もふつうのタイの小学校に通った。私が知人(=少年の父親)と親しくなったのはそのころだった。

 やがて父はタイ人妻とも離婚し、経済状態が悪くなったので帰国する。日本で働いて送金してくる。年になんどかやってくるだけになった。行き場のなくなった少年は、離婚したタイ人妻の祖父母に預けられ(これもめちゃくちゃな話であるが)父親が日本から祖父母宛に生活費を送金する形になった。

 それから何年もの月日が流れる。少年は中学生になり色気づいてくる。背も高くなった。知人と一緒に会って遊んだこともあれば、知人が来られないときに訪タイしたときは、私がひとりで祖父母の家まで出かけて、彼を食事に誘ったりした。日本人なのに国籍不明の生きかたをしている彼が、私はいとしかった。

 この少年の話す日本語は幼児語だった。そこで日本語の勉強が断たれてしまっているのだから当然そうなる。外見は大人びた十五歳が四歳児程度の幼児語をしゃべるのは異様だった。語彙も極端に少ない。かわいそうで見ていられなかった。知人(=父親)は日本でつらい肉体労働をしながら毎月きちんと送金する真面目な人だったが、ことこういう件に関しては鈍かった。自分の息子がタイ人でもなく日本人でもない異形に育ちつつあることに警鐘が鳴っているのにまったく無頓着だった。

 少年はタイでも劣等生で小学校ですでに二度も留年していた。ある日、知人の部屋でトランプ遊びをしているとき、一桁二桁の暗算がまったく出来ないので愕いた。足し算引き算はいくらかできるがわり算になるとまったく出来ない。足し算引き算も、7+3は出来るが、23-7-3になったらもう出来ない。これでは小学校で留年するはずである。小学校でもお荷物なのでこれ以上留年はさせられず、しかたなく中学に進ませたらしい。そのとき彼は学年は中一だったが本来なら中三の齢である。しかし算数の能力は小学校一年レベルだった。

 私はどうにも我慢が出来なくなって、帰国したある日、知人に長文のメールを書いた。今からでも帰国させて正規の日本の教育を受けさせるべきだと。帰国したら特殊学級に入るしかないだろう。どこか全寮制の学校を探さねばなるまい。中学を出るときには二十歳をすぎてしまうかもしれない。それでも日本人としての教育を受ければ彼には日本人として生きてゆく礎が出来る。それが人生の指針になるはずだ。だってチェンマイの片田舎でタイ人の学校に通う彼は純粋な日本人なのだから。親の都合でこんな不幸な少年を作ってはならない。彼はタイ人でも日本人でもない畸型だった。少年が日本の学校に入学するような手続きに関しては出来る限りの協力をする、だからぜひともそうして欲しいと私はメールを結んだ。

 そのとき私が案じたのは知人(父)と少年の未来だった。将来息子が日本人でもタイ人でもない自分の不幸は父の我が儘でタイに連れられてきたことからすべてが始まっていると(事実、その通りなのだが)父を憎む事態を避けたかった。知人は短慮で短気な人だったから通じないかもしれない。でも私はその提言をすることが彼との友情だと信じた。祈るような気持ちでメールを送った。

 返事は来なかった。人づてに「あんなことを言われる覚えはない」と激怒したと聞いた。それっきり私たちの縁は切れた。あの少年ももう二十歳になる。タイの中学を何歳で卒業したろう。高校へは行けなかったはずだ。どんな仕事をやろうと、あの計算能力ではやってゆけまい。今頃どうしているのやら。

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「ブルー・ラグーン」の少年少女は七歳と五歳で遭難する。それからは二人きりの生活だ。子供をつくれるだけ肉体はおとなになったが、彼らも会話は幼児語だったろう。そこで知的な成長は止まっている。なのになんであんなにスーパーマンなのか。いやあれはブルック・シールズの裸を楽しむ映画だからあれでいいのだけれど。

 あまりにおばかさん映画の「ブルー・ラグーン」を苦笑しつつ見ていたら、そこからかつての知人の息子のことを思い出し、すこしばかり胸が痛くなった。


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