2007--本
11/10
 横山秀夫を読む

「半落ち」が話題になったときに読んだ。それしか読んでなかった。世間の話題ほどおもしろいとは思わなかった。警察や刑事が嫌いだったからだろう、どうにもこの種の小説を好きになれない。読んでいて重苦しくなってくる。とにかく私は人殺しが嫌いなのだ。あの軽い赤川次郎作品ですらそうなのだから、この暗くて重い「本格的警察小説」が私に馴染むはずがない。

 ところがどういう風の吹き回しか今回まとめ読みした。風の吹き回しはふたつあった。ひとつは歩いて一分の近所の図書館にたくさん揃えられている本であったこと。いま人気のある人なのだろう。もうひとつは私が今読書中毒していることである。まともな人なら読書中毒はよいことになるのだろう。秋の夜長に充実の趣味だ。私の場合はヒッジョーによくない。それは暇を示している。読書をしている暇もない、が望ましい。だが残念ながらいま私は好き放題読書が出来る(泣)。同業者にレンタルビデオ中毒が何人かいる。月に100本見ているとか。これも良くない。事情は同じ。

 せっかく読んだのだから感想を書くことにした。といっても私の場合、自分分析が主なのでとてもまともな感想文ではない。それはまあ毎度のことだ。読書感想文を読もうと思って私のサイトに来る人もいまい。
 公開日記にメモしておいたものを引っ張ってきてまとめたのでばらつきのある文章であることをご了承願いたい。

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 短篇の名手である。着想から展開、落ちまで、見事としかいいようがない。警察小説というジャンルに興味がないので読んだことがなかったが、はまってしまい、ここのところ貪るように読んでいた。

 数ある警察小説名短篇の中でも推理作家協会賞を受賞し、ミステリィの年間ベストにも選ばれたという(私は「このミステリーがすごい」とかの選出にまったく興味がないので詳しくは知らないのだけれど)この「動機」がベストだろう。落ちが絶妙である。横山作品には珍しく読後感もいい。犯人がわかったあとの最後のひとひねりがたまらない。ミステリーが大好きで、満足できるミステリーに出会いたいと日々思っている読者は、この作品に出会えたときうれしかったことだろう。好きでもない私ですらそう 思ったのだから。文句なしの傑作である。

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内容(「BOOK」データベースより)
警察一家の要となる人事担当の二渡真治は、天下り先ポストに固執する大物OBの説得にあたる。にべもなく撥ねつけられた二渡が周囲を探るうち、ある未解決事件が浮かび上がってきた…。「まったく新しい警察小説の誕生!」と選考委員の激賞を浴びた第5回松本清張賞受賞作を表題作とするD県警シリーズ第1弾。


 私が遅ればせながら横山さんの作品を読み、ネットで見かけた大ファンの人たちの感想との違和を感じたのは、「読後感さわやか」の部分だった。それはほとんどの作品を読み終えた今でも変らない。横山作品の読後感は複雑な苦いものがあり、どう考えてもさわやかとはほど遠い。この松本清張賞を受賞した「陰の季節」も見事な短篇ばかりだが、私の読後感は暗い。

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 たとえば傑作と評判の高いこの「深追い」(という短篇作品集の中の「深追い」)は、かつて淡い恋をした仲の同級生(いまは人妻)に、警察官の主人公がなんとか力になってやれないかと近づいて行く。女のほうは自分の罪がバレて追いつめられているのだと思ってしまう。女は心臓が弱い亭主(なさぬ仲の娘を虐待するひどい男)に心臓発作を起こさせたいと、男の胸ポケットに入れたポケベルを定期的に鳴らしていた。男は交通事故で死ぬ。ポケベルとは関係ない。だが女は自分の鳴らしたポケベルが心臓発作の原因なったと思いこんでいる。それに気づいたかつての同級生警官が自分を追っていると。
 その勘違い圧迫に耐えられず女は自宅に火を放つ。彼女と幼い娘は瀕死の状態で助け出され、集中治療室に運び込まれる。予断を許さない状況。なんとか助かりそうだ、となり、主人公は快哉を叫ぶ。母子が元気になったら、事件のことで追いつめていたのではないのだ、恋心で力になりたいと思っていただけなのだと彼女に伝えよう、と。

 この落ちの読後感をどう思うかである。これを「さわやか」と言うのか? 一見ハッピーエンドのようであるが、自分で火を放った火事の中から助け出され集中治療室で瀕死だったのだからこの母子はかなり火傷を負っているのではないか。外見はどうなのだ。どう考えても明るい未来は見えてこない。私はそう感じる。

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出版社/著者からの内容紹介
犯人逮捕は事件の終りではない。そこから始まるもうひとつのドラマがある。──息子を殺された男が、犯人の自供によって知る息子の別の顔「真相」、選挙に出馬した男の、絶対に当選しなければならない理由「18番ホール」など、事件の奥に隠された個人対個人の物語を5編収録。人間の心理・心情を鋭く描いた傑作短篇集。


「真相」も、それこそ「知りたくもない真相を知ってしまったが、それでも明日からまた生きて行かねばならない」のような「明日」になっている。辛いものが残る。それが人生なのだと言えばその通りだ。だけどそれはあまりに苦い。この読後感を「さわやか」という人とはわかりあえない気がする。

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 しかしそれはそもそも私が警察小説というものになじめないヒトなのであろうと解釈すればわかりやすい。なにも長々と書かなくても答はそれだけなのかもしれない。実際警察内部の出世に関することや記者との関わりなど、読んでいるだけで気が滅入る。いやな世界である。

 そんな中、この「顔-FACE」という短篇集は比較的軽いタッチなので楽しめた。短篇集「陰の季節」の中で一篇の主役を演じた女警察官を主人公に据えた連作集である。熱心な読者の感想では不評だったようだ。重いものを求める人には軽さはマイナスなのだろう。私には「警察小説」の重さと暗さが、「似顔絵描きを得意とする若い女性警察官」のお蔭で軽減され楽しく読めた。

 犯人を見たという少年との共同作業で似顔絵担当の主人公が犯人の似顔絵を仕上げる。パーツで組み立てて行くことでおなじみのモンタージュ写真よりも、今は人が描く似顔絵のほうが有効なのだという現状は新鮮だった。その画をテレビで流したら情報が殺到してその男はすぐに見つかる。お手柄のはずだったが、それは離婚した行方不明の少年の父親であり、パパに会いたかった少年の嘘だった。主人公は大失態となる。のように小技のスパイスも効いていてなんとも展開がうまい。楽しめた。

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 この「看守眼」もよくできた物語だけど暗いなあ。こんな人がいてくれるお蔭で犯罪者が捕まるんだと一般庶民として感謝するのだけど……。

 私は刑事ドラマ、警察が舞台のドラマが嫌いなので見ない。自分がそういうものが嫌いなのだと気づいたのは学生時代に放映が始まった「刑事コロンボ」だった。当初から話題になった。同じアパートの学生など夢中になっていた。放映翌日も感激した昨夜の内容について熱く語り、私にも絶対に見るべきと勧めてきたほどだった。見た。話題作だったから。NHKが大々的に番宣をしていた。つまらなかった。私にはあわなかった。だけど自分が確立していなかったあのころ、世評の高いそれを私はつまらないと言い切れなかった。楽しめない私が問題なのだろうと好きなふりをしていた。若いってつらい(笑)。

 コロンボファンは多い。私はダメである。最初に事件があり、それを刑事があとからコツコツと突っついて罪を暴くパターンがすこしも楽しくない。それどころかコロンボを陰湿な性格のいやなやっちゃと思ってしまう。好きな人はそれがたまらないのだろう。わからない。

 当然それの猿真似である「古畑任三郎」なんて見るわけもない。一度も見たことはない。でもなぜか主人公の名前が「時任三郎」の名を「トキ・ニンザブロー」と誤読したことから来ているなんてどうでもいいことを知っている。三谷幸喜は好きだ。大横綱大鵬幸喜から親がつけた名前。亀田三兄弟は琴風豪毅からつけられた。関係ない。

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「第三の時効」も、幼なじみとの恋、女を庇う男の物語で読ませるが、仕掛ける刑事に対して「なんというイヤなヤツだろう」と思ってしまう。犯罪者の方がまともに思える。

 「太陽に吠えろ」も「西部警察」も見ていない。これはプロレス中継とぶつかっていたこともあるが、そうでなかったとしてもやはり見なかったろう。刑事というのが悪人を捕まえる正義の味方であることはわかるが、背中に国家権力があることにすなおに馴染めない。ジーパン刑事だとかスニーカー刑事だとか、あんなものにはしゃぐヤツはバカとしか思えない。「太陽に吠えろ」「金八先生」に詳しいプロレスファンを信じない。なんじゃこりゃあ。

 こういう能天気な刑事ドラマが「ハッスルプロレス」だとするなら、横山作品は「総合挌闘技」である。笑えず、後味が良くないのは当然か。

 さいわいにしてまだ経験はなく、今後も経験したくないが、もしも刑事というものが現れ、ふところからチラっと黒の手帳を見せて尋問を始めようとしたら、どこのどちらさんですかと問い、しっかり手帳の文字から姓名を確認させてもらおうと思っている。

 警察小説も読んでなく刑事ドラマも見ていないから、「陰の季節」で強調している《「まったく新しい警察小説の誕生!」と選考委員の激賞を浴びた》の「まったくあたらしい警察小説」の価値がわからない。これは悔しい。問題だ。だからいま「まったくあたらしくない旧態の警察小説」を読みたいと思っているのだが何を読めばいいのだろう。佐野洋とか生島次郎とかあの辺は若い頃一応読んでいる。あの辺に「警察小説」ってあったろうか。「新聞記者小説」も嫌いだ。そういう警察小説が嫌いな私を憑かれたように熱心に読ませたのだから、横山作品がすぐれた小説であることはまちがいない。

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 立て続けに読み、警察や警察官にうんざりしていたところだったので、この泥棒が主人公の異色作「影踏み」はおもしろかった。暗い読後感はいやなので「影」という字を見ただけで遠ざけていたのだが(笑)。
 焼死した双子の弟が中耳の中にいて語りかけてくる。藤原伊織の「蚊トンボ白鬚の冒険」を思い出した。どっちが先なの?

 これを読んで、私は警官より泥棒に親近感を持つのだと確認した。「刑事コロンボ」が嫌いなのもそれなのだろう。成立したかに見える完全犯罪を、コロンボがあの陰湿な性格で突っついて崩潰させてゆく。きっと私は犯人側に感情移入しているから、それが崩されてゆくことが不愉快なのだ。

 と考えてみると、「Getaway」「黄金の七人」のような映画が大好きなことに気づく。犯罪映画を見て「捕まるな、逃げ切れ」と犯人を応援している。資質でいうなら、私は刑事より犯罪者なのか?

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 この「ルパンの消息」は横山さんが新聞記者を辞め、作家として獨立するきっかけとなったサントリーミステリー大賞佳作受賞作。
 サントリーミステリー大賞というと高額な一等賞金一千万円が話題になったことをつい昨日のことのように覚えているのだが、とっくのむかしになくなっていたのだった。遅れてるなあ……。まあミステリーは読まないから。

 長年フロッピーディスクの中に眠っていたこの処女作が、横山さんが売れっ子になり、出版されることになった。十五年も眠っていたとか。ご本人も感激だったらしく文を寄せている。裏表紙に書かれていた言葉は横山作品を理解する上で役立った。

 そこで横山さんは「読む人に<G>を与える作品を書いてゆきたい」と言っている。それが作家になるときに誓ったことだと。なるほど、すると私が横山作品を読んでさわやかスッキリではなく、ため息とともに考え込むのは正に<G>であるから、私は横山作品を作者の狙ったとおりに正当に受け止めている良い読者ということになる。これはこれで救いになった。本なんてのは自分流に楽しめばいいのだが、「読後感さわやか」と書いている人の感想を読むと、重苦しいと感じる自分を異端なのかと思ってしまう。異端でもいい。むしろ異端指向なのだけれど、横山作品の読後感に関しては自分の感覚を主流と思っていたのでこれを読んで安心した部分はある。

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 マンガ大好きの私は、横山作品を読むほどに劇画に適しているなと思ったら、案の定だいぶコミック化されているらしい。きっとおもしろいことだろう。劇画なら主人公をかなり思ったように作れる。読んでみたい。今度<BOOK OFF>ででも探してみるか。

 同時に警察ドラマが好きなテレビ界でも重宝されているだろうと思ったら、これはもう「横山秀夫シリーズ」と銘打たれて有名なようだ。

 横山作品のコミックは読みたいがテレビドラマは見たくない。どう考えても横山作品にある陰鬱としか言いようのない警察署内の殺伐とした雰囲気や新聞記者の剣呑な雰囲気がテレビドラマで再現されているとは思えない。逆に言うと、小説にあるその陰鬱さがテレビにはないので気楽に見られそうな気もする。でも私はその陰鬱さを横山作品の<G>として受け止めているのだからたぶん楽しめないだろう。

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出版社 / 著者からの内容紹介
阪神大震災のさなか、700km離れたN県警本部の警務課長の不破義人が失踪した。県警の事情に精通し、人望も厚い不破がなぜ姿を消したのか? 本部長の椎野勝巳をはじめ、椎野と敵対するキャリア組の冬木警務部長、準キャリアの堀川警備部長、叩き上げの藤巻刑事部長など、県警幹部の利害と思惑が錯綜する。ホステス殺し、交通違反のもみ消し、四年前の選挙違反事件なども絡まり、解決の糸口がなかなか掴めない……。


 小説としてとても良くできているので横山作品を楽しんでいるが、小説の舞台にはどうにも馴染めない。それどころか読んでいて気分が悪くなる。それは、警察という組織にも、それにからみつく新聞記者という職業にも興味がないからだ。これもまた作者の仕掛けた<G>だから正当な読後感とも言える。

 横山さんは大学を出たあと上毛新聞に勤めていたとか。前記「ルパンの消息」が佳作入選し三十代後半にフリーになる。そして「まったくあたらしい警察小説」という分野を築き上げた。新聞記者時代は警察を回っていたのだろう。実にもう詳しく警察官の性格、発想、生態が書いてある。ものすごくいやな世界である。これは実際どうなのだろう。この通りなのか、それとも大仰に味つけしてあるのか。警察関係者は横山作品をどう受け止めているのだろう。やっと自分たちのことを正確に書いてくれる作家が現れたと感心しているのか、それとも内部事情を正確に描かれて嫌っているのか。

 警察は官僚の縦型社会であり、役職による力関係が明確な場である。
 それが大嫌いな私は、「同期の出世頭」とか、「同じ齢だが階級はあちらが二つ上」とかの上下関係や、それによる力関係、横柄、萎縮が出てくるたびにうんざりする。警官同士も手柄を争って同じ署内でも班によって不仲だったりする。もう読んでいるだけでいやだ。気分が悪くなる。横山作品に登場する警官は、みな性格のねじれたいやなヤツである。作品全体がモノトーンで灰色がかっている。この暗さはテレビでは出せまい。忠実に再現したらものすごく暗い嫌味なドラマになる。

 警察まわり新聞記者の生態もうんざりする。特ダネってなんだろう。殺人事件の容疑者、証拠品、それらを他社より早く記事にすることに必死になっている。一社だけが獨占する「抜かれた」とか、自分の社だけそれを知らず載せられなかった「特オチ」の大失態とか、それらのことで蒼ざめたり、上司に怒鳴りつけられたり、それを得るために取引をしたり、興味のないこちらからすると「バッカじゃねえの」の世界。「おれだったら、こいつぶん殴ってやめてるな」と何度思ったことだろう。それはそういう競争世界に私が関わってこなかったからであり、自社製品をひとつでも多く売り、ライバルを蹴落とそうとしてきたサラリーマンなら理解できるのだろうか。しりません。どうでもいいです。

 横山さんはどんな気持ちで書いているのだろう。かつて自分が所属していた社会に敬愛の気持ちをこめて書いているのか。私にはかつて関わった世界を、侮蔑と憎悪の念で書いているようにすら思える。

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 たばこのこと

「ルパンの消息」にある写真で、横山さんはたばこをくわえている。これ、なんか知らないけど、作家ってそれがかっこいいと思ってるの? 白川道もそうだったし、大沢在昌もそんな写真を載せていた。よく見かける。タバコ嫌いからするとものすごく下品な写真なんだけど。
 でもあれか、なにもないと気恥ずかしいし、手持ちぶさただし、運転免許写真のように正面を向いてすましてもヘンだし、「紫煙をくゆらすさりげない横顔」は定番なのかな。
 そういや私も雑誌に顔写真を提出してくれと言われて困ったことがある。一度、ギターを弾いて歌っているコンサートの写真を出したことがあった。私にとってのギターがタバコってことか。今度そんな要請があったら喫わないたばこをくゆらしてみよう。

 それはともかく、横山さんもタバコ飲みのようだし、警官署内の描写はいつも煙いのだが、私は横山作品に、大沢作品や白川作品のような煙すぎるという反感はもたなかった。まともな処理である。いま手元に白川道の「海は涸いていた」があるのだが、2ページに一度は必ず「タバコに火をつけた」が出てくる(笑)。ビョーキとしかいいようがない。それと比べると横山作品はノーマルだ。

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「半落ち」論争私見

 今更すでに決着がついた問題に時季外れの意見を言っても笑われるだけだが、せっかく関わったのだから私見を書いておこう。「『半落ち』直木賞落選問題」である。

 直木賞候補になった「半落ち」が落選したとき、その経緯が話題になった。重要な要素である部分に北方謙三が「関係者に聞いて調べたが現実にはあり得ないことと確認した」と銓衡会で発言し、そのあとハヤシマリコが記者会見をして、缺陥作品のような発言をしたのだった。横山はそれに対する意見をマイニチシンブンに寄稿し、やがて上毛新聞インタヴュウで、直木賞と縁を切る発言をした。だいたいはそんな流れ。

 詳しくは知らなかった。今回調べてみた。ネットにはありあまる情報が載っていた。便利だねえ。ネットがなかったら国会図書館に行ったり大宅文庫に行ったり大変だった。

 アルツハイマー氏病の妻に 殺してくれと懇願されて殺した元警官が自首する。性格からして本来なら自死すべき彼なのだがしない。その謎。それは五十一の誕生日までは骨髄ドナーの提供者になれるから、その日までは自殺せず生きる希望をもっているという落ちである。彼はかつて我が子を白血病でなくしている。ドナー提供者がいれば助かった息子だった。その後、ドナーを提供することでひとりの少年を助けている。その少年が今も元気に生きているということが、妻を殺し天涯孤獨になった彼の唯一の生き甲斐であり誇りだった。妻を殺してから自首するまで二日間謎の行動をする。その行く先が歌舞伎町だったため、女房を殺したあと風俗遊びでもしたのかと疑われる。この「謎の二日間」が物語を引っ張る。真実は骨髄ドナー提供で命を救った少年が青年となり、ラーメン屋で働いている姿を服役する前にせめてひと目だけでも見たい、と出かけたのだった。

 物語の肝腎の部分に関し、北方が関係者に問い合わせ「現実にはありえないこと」と確認して、銓衡会の席上で他の銓衡委員に語った。横山は落選する。銓衡会後、会見を開いたハヤシマリコが、北方からの受け売りで、致命的なミスだとヒステリックにわめいた。私は「ドナー提供者が提供した相手と会うことは不可能」なのかと思った。そうなると物語自体が成り立たない。致命的矛盾、ミスとはそのことなのかと。

 ところがところが、北方が確かめ問題にしたのは「犯罪を犯し、収監されている受刑者はドナー提供が出来ない」という点だったのである。つまり、「まだあと一年はドナー提供者になれる。その連絡が来るかもしれない。だからそれまでは自殺しない」という元警官の生への執着、「希望」は現実にはあり得ないと指摘したのだ。
 それがこの「事件」の要である。

 でもそれって問題なのか。それが事実だとしても、この小説の缺点とは言えまい。それは、妻を殺したこの元警官が「刑務所の中でひっそりと、かってにそう思いこんで生き甲斐にしているだけ」なのである。かってな思いこみだ。思いこみは自由だ。彼は「受刑者はドナー提供者になれないことを知らない」、それだけの話である。

 後の報道によると、北方は自分が獨自に調べたそのことを他の銓衡委員に披露はしたが、ノンフィクションではないから致命的缺陥ではないとの姿勢だったようだ。受け売りで傲慢発言をしたのがハヤシマリコ。記者会見で「事実誤認で物語が成立しない」「きちんと調べないミステリー業界も悪い」とまで言った。ひどい話である。
 この件に関して私は横山さんを支持する。

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 銓衡委員であったヤマグチヒトミが、気に入らない作家に対して「おれの目の黒いうちはぜったいに受賞させない」と言った話は有名だ。またなついてくるオチアイケイコのくだらない作品をもちあげて受賞させようとしたのもよく知られている。出来なかったが(笑)。
 JRAの馬事文化賞でも銓衡委員のヤマグチは強権を発動し、気に入らないTの受賞に反対してつぶした。他の銓衡委員が「君がいちばん有力だったんだけどヤマグチさんが……」とTのところに電話を掛けてきて知るところとなる。Tの悔しそうな顔を今も思い出す。いやな性格である。でもまあ賞なんてそんなものだ。

 ハヤシマリコの俗物根性と下品さがよくでた話だ。直木賞候補に何度もなっていたころ、ヤマグチがハヤシを「作品にいやしいところがある」と銓衡のとき嫌っていたのを覚えている。でもこれは話題になるスターが欲しい出版界に押し切られ、ヤマグチも承諾して受賞が決まった。
 時が流れ、ハヤシがヤマグチ以上の俗物根性で権力をふりまわしているのが笑える。ごくごく素朴に、昨夏、ハヤシマリコ作品をまとめ読みした私は、彼女に銓衡委員をするほどの能力があるとは思えない。
 彼女の作品は「るんるん」のころから読んでいる。おもしろくて好きだった。直木賞受賞後の小説は読んでいなかった。昨夏、「戦争特派員」「不機嫌な果実」等、あれこれ読んだが、おそろしく貧相な心貧しい小説だった。それで「いやしさについて──林真理子論」というのを書きかけたが、ばからしいのでほったらかしになっている。今回のことを知り、なんの役にも立たないものだが、せっかく書きかけたのだからきちんと書き上げておこうと思った。

 ところで、私は「半落ち」をそれほどの傑作とは思わない。読後の感動なら「動機」のほうがはるかに大きかった。

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 まだ何冊か未読の長篇がある。読んだら書き足そう。でも横山秀夫という作家が「切れ味鋭い短篇のひと」であることは確定事項のように思える。

12/6

「うたう警官」──佐々木譲の端正

 横山秀夫の「まったくあたらしい警察小説」を理解しようと、その他の「警察小説」を見つけては読んでいる。
 乱歩賞受賞作家が集まった「白黒赤青の謎」4冊を読んだがつまらなかった。もちろん本に責任はない。私にミステリィを楽しむ能力がないだけだ。
 人が殺されて、なぜ殺されたのか、その方法は、というような小説に興味がないことをあらためて確認した。興味がない自分はおかしいのではないか、最高のご馳走を食わず嫌いなのではないかと、長年無理して読んできたのだが、もうここまで来たら、そういうものは嫌いなのだと結論してもいいだろう。

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内容(「MARC」データベースより)
うたう=証言する、密告する。警官殺しの容疑をかけられた刑事に射殺命令が下された。有志たちによって、彼の潔白を証明するための極秘の捜査が始まるのだが…。追うも警官、逃れるも警官。北海道警察を舞台に描く警察小説。






内容(「BOOK」データベースより)
警察官人生二十五年。不祥事をめぐる玉突き人事のあおりで、強行犯係の捜査員から一転、単身赴任の駐在勤務となった巡査部長の川久保。「犯罪発生率、管内最低」の健全な町で、川久保が目撃した荒廃の兆し、些細な出来事。嗅ぎつけた“過去の腐臭”とは…。捜査の第一線に加われない駐在警官の刑事魂が、よそ者を嫌う町の犯罪を暴いていく、本物の警察小説。




 佐々木譲と言えば「エトロフ発緊急電」「ベルリン飛行指令」のような歴史に材を取ったスケールの大きな小説しか知らなかった。ここのところ出身地である北海道を舞台にした警察小説、警官小説を書いているのだと知る。読んでみた。

 結論から言うと私には最も好みの作品だった。もともと佐々木さんの文章は端正でむだがなく好きである。大沢在昌や白川道、北方健三等に関して抱いた「やたらタバコばかり喫っている」という不満も一切なかった(笑)。あまりに彼らのそれがひどいので、私はそういうことに苛立つ自分に缺陥があるのかとすら思い始めていたが、真保、横山、佐々木氏らの作品を読んで、彼らのそれが杜撰なのだと確認した。そりゃそうだよなあ、2ページに一度、タバコに火を点けてばかりいる小説の方がへんなのだ。
 佐々木さんの、これみよがしの比喩も過剰な形容もなく、ある種恬淡とした文章で緊迫感を盛り上げる手法はまことにすばらしい。

「警察小説」の分野でも、安心して読めて、ストーリィ的にも最高だった。「うたう警官」は限られた時間の中での緊張感も、仲間を救おうとする友情ものとしても満点である。
 感想はそれぞれのものであり同意の強要は出来ないが、「うたう警官」を「二時間テレビドラマの原作ものレヴェル」と評したネット書評を読むと反発を覚えずにはいられない。この傑作も二時間テレビドラマにしたら、見るに値しないひどいものになることには同意するが。

 横山秀夫の「警察小説」はとてもおもしろい。だけど私はそこに登場する警官、刑事、新聞記者に好意を持てなかった。もう読んでいるだけでこういう人たちとはお近づきになりたくないとうんざりした。それが「今までなかったまったくあたらしい警察小説」の一面なら、それはその通りである。この種の小説に詳しくないのでえらそうなことは言えないが、読んでいて、登場人物のあくのつよさにうんざりした経験はない。だいたいがこういうものは、主人公に同化して自分で捜査しているような感覚になるのが一般的だろう。その点、読むほどに主人公にうんざりするのだから、横山作品が新鮮斬新であることはまちがいない。

 佐々木譲の警察小説は極めてまともであり、そこにいる警官や刑事は、「ともだちになれる人たち」だった。現実は横山の描く連中が正しいのかもしれない。まあそれはどっちでもいい。横山の描く警官、刑事の人格性格には近寄りがたいものを感じるが、彼らも犯罪者の摘発に日夜がんばってくれているのだ。私がともだちになりたいと願う人ばかりでは世の中はうまく機能しないだろう。

 これからも「横山警察小説」は読んでゆきたい。でも読後に必ず苦いものがつきまとう。そのときは「佐々木警察小説」でうがいをしよう。




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