2007-大沢在昌
7/5  ハードボイルドによくある例の問題


 近年の話題作を読んだが、未だに解決されていないし今後も無理のようである。これはこれで割り切って楽しむべきなのだろう。
 ハードボイルドやミステリィ等に頻繁に登場するアレである。主人公がいきなり後ろから殴られ気を失うシーンだ。とにかくまあ頻繁に登場する。後頭部を殴られて気を失い、しばらくしてから目覚めるという安易さは、まるで「クルマに跳ねられて記憶喪失になり、もういちど跳ねられて記憶がもどるという韓国ドラマ的安易さ」である(笑)。

 この件に関してなるほどと思ったのは安部譲二の意見だった。週刊誌の対談で読んだ。もう十年になるか。彼もまたあの安易さには腹立っていたらしい。元ヤクザである。彼は言った。「あれはね、殴ったらほとんどの場合死んじゃうの」と言った。現実味があった。私もそう思う。拳銃の銃把で延髄や盆の窪という急所を思い切り殴るのである。手加減は出来ない。まともに入ったら死ぬだろう。ボクシングはもちろん総合格闘技でもここへの攻撃は禁じられている。ここへの攻撃が許されたのは、なにをしても許される猪木ぐらいだ。彼の場合、頭の上っ面をシューズがかすっただけでも相手は延髄斬りをされたと失神していた(笑)。ディック・マードックなんか当たっていないのに一回転してフォールを取られていた。
 まともに入ったら死ぬ。即死しなかったとしても人事不省のたいへんなことになるだろう。一方、急所に入らなかった場合は、後頭部の横にこぶが出来て、「いてえな、このやろー」と乱闘になる。いずれにせよ「うーん」とうなって気を失い、数十分後、数時間後に、頭をふりつつ覚醒する、なんてことはない。

 ところがもうこの手の小説はいたるところで、「そのときだった。後頭部を鈍い衝撃が襲ってきた。目の前が暗くなる。そのまま俺は意識を失った」が連発する。そして主人公は頭に鈍い痛みを残しつつ、しばらく後には目を覚ますのである。目覚めたそこは殴られた現場だったり、いきなり手錠をはめられ敵の事務所に監禁されていたりする。まあとにかくこの「いきなり後頭部を殴る。気絶」は場面転換の定番である。

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 大沢作品の「パンドラ・アイランド」では、切れ者の元刑事が空き家を捜査中にそれに遭遇する。壁に掛けられている絵を見ていて、なんか事件の解決にヒントがあるような気がする。そのとき例によって後頭部に鈍い衝撃を感じる。しばらく気を失い、やがてその場で目覚める。後にこれをしたのは、犯人の愛人の小柄な女とわかる。捜査のヒントになりそうな画を廃棄しようと空き家に忍び込んでいたら、そこに元刑事が来てしまった。逃げ出す機会を失っての犯行だった。

 でもなあ、そんなに都合良くピシッと決まるか? 犯罪に手を染めたことのない小柄な素人の女が、初めて手にした拳銃で本格的格闘技の鍛錬をしてきたゴツい元刑事を後ろから殴るのである。体格もまったく違う。まず現実には、ゴツンと後頭部に銃把が当たり、「いてえ!」と男が振り返る。愕いた女の顔。「小説と違うじゃないの!」。すぐに男が女を押さえ込む。それが現実だろう。なのに簡単に失神して、しばしの後、頭を振り振り覚醒する。この安易さにはうんざりだ。
 いくらかリアリティを出したいらしく、この場合は後頭部の皮膚が切れて、医者のところで手当を受けることになっていた。
 この種の作品では毎度必ず登場するシーンだが、ワンパターンと説得力のなさは作家も気にしているらしく、最近ではスタンガンを使って失神させ、ガムテープで縛る、というのが増えてきたようだ。こちらのほうが納得しやすい。しかしかといっていつもそんな用意をしている場合とは限らない。これからも手近にあった木材で殴るとか、このシーンが廃れることはないだろう。

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 この種の小説を好む人は、そのへんの安易さを最初から容認しているのだろう。そんなことに目くじら立てたら赤川次郎の作品なんて全作楽しめなくなってしまう。それはお約束として見逃し、エンタテイメントを楽しんでいるのだ。
 だから私のこのクレーム?にも、ファンはみな口を揃えて、「そんなことが気になるなら読むなよ」と言うだろう。元々そんなことを気にするやつが読むような作品ではないのだ、きっと。

 それはわかるんだけど、毎度毎度節するたびに、もうちょっとなんとかならんか、とは思う。

7/10 大沢在昌まとめ読み

 ここのところ立て続けに大沢作品を読んでいた。きっかけは逢坂剛の「百舌の叫ぶ夜」を読んで「ミステリィと携帯電話」について考えたからだった。近年のミステリィ(というかハードボイルド)ではどんな使われ方をしているのか知りたくなった。それでその種の本を立て続けに読んでいた。あまり褒められたことではない。勉強のための本を読むことから逃げて娯楽に走っていただけである。それなりに読んで、ケイタイが普及してからの小説での使い方もわかったから、このへんで一息つこう。

 せっかく多くの時間をかけて読んだのだから気になった点だけでもメモしておこう。老後の楽しみである。まったくもって二十年前に書いた映画感想文をいま読むと、そのストーリィに感動し昂奮し、「おお、こんなおもしろい映画があるのか、ぜひ観たい!」と思うのだから呆れる。
 しばらく後この辺の感想文を読むと、きっと同じように「おお、なんとおもしろそうな小説だ、ぜひ読みたい!」と思うのだろう。その日のためのメモである。

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◎パンドラ・アイランド

内容(「BOOK」データベースより)
南海の孤島で“保安官”として平穏に暮らすことを望んだ元刑事・高州。だが、一人の老人の死をきっかけに、キナ臭い秘密が浮かび上がる…。島の人間が守ろうとする“秘密”とは。

内容(「MARC」データベースより)
南海の孤島に「保安官」として赴任した元刑事。いつしか島の「秘密」に巻き込まれ…。『東京中日スポーツ』連載「海と拳銃」を改題し、大幅に加筆訂正して単行本化。


 きれいな装丁である。こんな色遣いのものもそうはない。ひさびさにそう思った。それもこの本を手にした一因になる。

 舞台は小笠原諸島より船で一時間半、より外海の青國島という架空の島。人口千人弱。細かいストーリィはネット上の感想文に溢れているので省き(ありがたいことである。そうでなかったら書かねばならない)私が気になったことのみ記す。

 その島に主人公の元警官(大沢ファンは彼の使用する用語から「やめ刑事」(=やめでか)と呼ぶらしい)が「保安官」として赴任して起きる事件。すべての元凶は「島の隠し財産」。それは島がアメリカから返還される前に栽培され、そこで不良外人が精製していたというコカイン。それを巡ってのお話。
 大沢作品らしくディテールもきちんとしていて楽しめる。ネットの感想文でも見かけたが殺人事件が起きるまでの前半がすこしかったるいか。
 私は一読してすぐに船戸の「龍神町十三番地」を思い出した。あれの舞台は長崎県の五島列島だった。ストーリィも設定もよく似ている。でもネットの感想文でそのことに触れたものには行き当たらなかった。両者の読者層は違うのだろうか。

 限定した狭い状況の中でよく練り上げた作品だが全体を俯瞰するとけっこう怪しげに揺れている部分も目立つ。東京中日スポーツに一年半連載したものを大幅に加筆修整したと書いてある。直す前はもっとひどかったのだろう。それを読んでみたいとふと思った。

 これの前に筒井の「恐怖」を読んでいる。その中で登場人物が「赤川次郎という作家は犯人を決めないまま小説を書き出し、いちばん犯人とは思われない人を犯人にするそうだ」と語る部分がある。まさか大沢がこの作品でそうしたとは思わないが、けっこう揺れたのではないかと思える。たとえば色っぽい脇役の「ちなみ」は前半から中盤にかけてずっと魅力的ないい女に描かれている。終盤で実は殺人の筋書きも考えたとんでもない性悪だとなるのだが、前半部分を読み返してみると、どうも最初からそこまで性悪とは設定していなかったように思えてならない。
 まあそのへんはどうでもいい。全体的に良くできたおもしろい小説だった。後半で少し連鎖的に人殺しをしすぎるような気もするが。

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 不満がひとつだけある。謎の根幹をなすコカインに関してだ。
 小笠原諸島がアメリカから返還されたのは1968年。舞台となる島はそれよりもさらに返還が遅れたことになっている。この島でコカの木が栽培されていた。それは返還前にすべて伐採された。だが当時不良米兵がそれを利用してコカインを作り、沖縄経由で売りさばいていたという。ベトナム戦争の時代であり、それほど取り締まりも厳しくなかった、となっている。そのコカ林が今もあるのではないかとドラッグ好きの怪しい連中が本土からやってきたりする。島は本来極貧のはずなのに観光事業にも力を入れず、むしろ他者を拒んでいる。それはなぜか。隠し財産があるのではないか。それはコカイン? というのが基本的な伏線。

 事実は、返還間際にその不良米兵と米軍に関わっていた日本人が最期の精製コカイン60キロを作って隠していた。不良米兵は水死する。これは他殺の疑いもある。彼の死後、ビーチにあった事務所の地下からそれが発見される。村はそれを村民の財産とする。日本人女性と結婚した米軍の医者が、その妻の医療費欲しさに売りさばく役目を請け負う。それは米本土からハワイ経由で売りさばかれ、当時の金で一億円になった。その後、村の中枢人物はそれをうまく日本本土で投資活用し、バブル期にうまく転がすことに成功する。現在は十億円ほどに膨れあがり金(ゴールド)にして保有している。それを巡って……となる。

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 どうにも腑に落ちないのはこの「コカインの精製に関して」である。村に大きなコカ林があり、不良米兵と日本人がそこからコカインを作っていた。隠し財産になるのはすぐに売りさばかれる60キロの精製されたコカインである。塩酸コカインであろう。
 とするならそれを造っていた「工場」がなければおかしい。かつてあったはずだ。今は朽ちているのか、それとも焼いてしまったか、とにかくそこに触れないと不自然である。だがそれがまったく出てこない。

 たとえば「飼うことが禁止されているニワトリを隠れて飼っていた」とする。そのことがバレそうになったので急いでニワトリをすべて消却廃棄処分にした。結果、ニワトリは影も形もなくなったが「60個の卵が形見として残った」なら辻褄が合っている。
 だけどそれがコカインではおかしいだろう。ところがこの小説では、「ニワトリと卵」の関係のように「コカの木と精製コカイン」が語られている。ただの樹木であるコカの木から精製コカインが造られる過程にまったく触れられていない。いくらなんでも、である。

「島にコカ林があった」「コカインを精製していた」「返還するので急いでコカ林を消滅させた」「最後に60キロの精製コカインが残った」には、「コカの木からコカインを製造する過程」がすべて省かれている。コカの木の汁を搾ればいきなり精製コカインになるわけではない。べつにそのディテールを細かく解説せよとは言わないが、あれだけの大部の本なのに「当時コカインを精製していた工場」に関してただのひとことも触れていないのは不自然である。まるでコカの木さえあればなにもしなくても誰でもすぐに精製コカインが造れるようだ。

 立ち入り禁止の鍾乳洞があったりする。隠し財産によって豊かなので住宅状況もかなりよく、殺人現場となる別荘なども多数存在する。廃屋もある。だったらどこかでコカの木からコカインを造る過程をすこし解説し、山奥の廃屋でも、ただの荒れ地でも、「そのころ、ここで造っていたらしい」と入れておくべきだ。
 どうにもそのことがひっかかった。


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◎北の狩人

内容(「BOOK」データベースより)
巨大暴力団の総長が死んだとき、ひとりの男が出現する。中国マフィアが動き、新宿署の刑事は不穏な空気を感じとる。男が追い詰める獲物は何なのか、男の正体は誰なのか―。アスファルトを駆け抜ける、新しいヒーローがここに誕生する。





 今回大沢作品をまとめ読みするきっかけは「作中における携帯電話」について知りたいと思ったからだった。96年のこの作品ではまだ「ポケベル」が主流である。刑事が署から呼び出されるのもそれだったりする。女子高生もそれをもっている。時代を感じて楽しい。

 私はポケベルはもたなかった。あれはサラリーマンのような組織に属する人や女子高生のように群れる人のものだった。フリーランスの物書きで忙しかったけれど、かといってポケベルで呼び出されるような仕事はしていなかった。当時のメインは留守番電話を暗証で外から聞くことだった。とはいえそれも田舎の家はアナログだったので出来ず、帰郷しているときは何キロか走ってプッシュホンの公衆電話まで出かけたものだった。

 それにすぐに携帯電話の時代になるだろうと読んだ。当時は都内しか通じなかったPHSも使ったことがない。私にとって携帯電話は田舎にいるときに東京からかかってくるものだった。でも購入した当時、首都圏百キロ以内の茨城なのに受信せずまったく役にたたなかった。
 北海道に取材に行っているときに役立つことを想定したのに、札幌を出るともうすぐに圏外でなんの役にも立たなかった。今は昔である。

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 主人公が朴訥な秋田の青年刑事であり、不良女子高生との恋愛話もあり、ポケベルなんかも出てくるので、ちょっとレトロなか感じがして愉しめた。


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◎砂の狩人
出版社/著者からの内容紹介
暴力団組長の息子ばかりを狙った猟奇殺人が発生。警察庁の上層部は内部犯行説を疑い、極秘に犯人を葬ろうとした。この不条理な捜査に駆り出されたのは、かつて未成年の容疑者を射殺して警察を追われた<狂犬>と恐れられる刑事だった。過激にヒートアップ、ノンストップ1200枚!




「北の狩人」の続編のようだが内容的には無関係。でも新宿署の「佐江」という刑事が共通登場人物。こちらには「北の狩人」のような甘い部分はなくかなりハードボイルド。

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 これはほんとにちいさな不満なのだが、大詰めのラストに九州のやくざが出てこないのは不自然である。
 説明が難しい。納得してもらうには長々とストーリィを書かねばならない。まあいいや、読んだ人にだけわかるように書いておこう。
 解説にあるようにヤクザの親分の息子娘だけが連続して殺される。しかもみな父親とは関わらず堅気で生きている連中である。親分は犯人を捜し回る。そのことに警視庁から依頼を受けて主人公の元刑事も関わる。

 日本人の狂った少年たちを殺人マシンに仕込んだマニラチームというのが登場する。暴力団に飼われている。普段はマニラにいる。これが呼び寄せられ、暴力団親分の子供を連続殺人しているのは中国人という決めつけから、新宿の中国人を殺しまくる。

 主人公は中国人代表から連続殺人鬼の教えてもらうことになる。その酒場に暴力団親分に丸腰で一緒に来てくれと頼む。二人の親分とそれぞれのボディガードが、それは危ない橋なのだが犯人がわかるならと了承する。主人公の目的は、中国人代表と暴力団親分が集う場には必ずマニラチームが殴り込んでくるだろうとの読み。そこで奴らを一網打尽にしたいと思っている。ヤクザの親分たちは自分たちがマニラチームをおびき寄せるための餌だとは知らない。あくまでも中国人代表と会い真犯人の名を聞く場だと思っている。知っていたらそんなとんでもない場に丸腰で行くはずがない。
 中国人代表と主人公、ヤクザの親分たちが会っているところに、目論見通りマニラチームが現れ銃撃戦となる。中国人代表もヤクザの親分二人も死ぬ。主人公と打ち合わせてあった警察がなだれ込んだときはマニラチームは引き上げた後だった。

 親分を殺され、生き残ったボディガードが主人公に食いつく。マニラチームをおびき寄せるために親分を餌にしたのかと。主人公は認める。ボディガードが言う。真犯人を殺した後、必ずおまえを殺すと。このボディガードはかなり魅力的な脇役として描かれている。小柄だが空手三段、ボクシングでも日本4位のランカーだったとか。素手のケンカの達人である。私はこれを映画化するならこの役は「山本キッド」だなと思った。

 さてやっと本題の「ささやかな不満」に辿り着いた。
 この酒場で暴力団の親分がふたり殺されるわけである。ひとりはその山本キッドに演じさせたい男の親分。主人公とも刑事とやくざの時代から一目置きあっている仲である。ショバは新宿。
 もうひとりの親分はやはり娘を殺されて逆上し九州から急遽軍団を引き連れて上京した男。日本一の武闘派。雲着くような大男。「日本で一番人を殺したヤクザ」とされている。
 この前日、主人公は拉致される。連れて行かれたのはこの九州ヤクザ一行が泊っているホテル。真犯人を知っているはずだから吐けと言われる。拒む。そこでいきなり右手親指、人差し指を切り落とされる。とにかくもう残虐なとんでもないヤクザなのである。
 そのヤクザの親分とボディガードというか長年一緒にやってきた一の子分、かなりの役職の男を、主人公はマニラチームを引っ張り出すために丸腰で誘い、結果としてふたりは惨殺されたのである。
 となったら、物語の進行上友情すら芽生えている山本キッドですら、自分が居ながら親分を殺された責任をとって自ら小指を詰め、真犯人を殺したら親分をだまして呼び寄せたおまえを必ず殺すと血の涙で叫んでいるのだから、この日本一残虐な九州のヤクザが、親分をだまし討ちのような形で殺させた主人公を全力で追い始めるのは論を待たない。
 しかしながら主人公が真犯人(香港からやってきた変態殺人鬼)を追いつめて行くぎりぎり終盤に、この九州ヤクザは影も形も登場しないのである。ここがちょっと不自然だ。

 もちろんわかっている。納得している。大詰めのシーンとなり、その香港殺人鬼を追いつめる場面なのだ。ここで主役はその変態殺人鬼になっている。もはや通り過ぎた脇役の九州ヤクザの出番はない。そこまで気を遣っている暇はない。それはわかるのだが、ほんの数行でいいから、血眼になって主人公を彼らが捜していると書いて欲しかった。
 それと、右手の親指と人差し指を切り落とされたのに、そのままこんなにタフに活躍できるのだろうか。もちろん麻酔もなにもなくいきなり切り落とされ、その後も医者になんかいってない。いや活躍できるからこそ真のタフガイでありハードボイルド小説なのだろうけど……。

 主人公は殺される。非常に救いのない暗い結末である。
「北の狩人」でも活躍した新宿署のデブ刑事「佐江」はまた生き残ったから、「狩人シリーズ第三弾」が出るときにはまた彼は登場するだろう。そういう構成もいい。楽しみに待ちたい。


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◎ザ・ジョーカー

内容(「BOOK」データベースより)
「殺しは仕事にしたことがない。殺しをしなかったとはいわないが」。あらゆるトラブルを請け負う男、ジョーカー。着手金は百万円、唯一の連絡場所は六本木のバー。噂を聞いた男と女が今宵も厄介事を持ち込んでくる。ジョーカーを動かすのはプライドだけ―。待望のハードボイルド新シリーズ第一弾の連作短篇。




 よろずなんでも引き受け屋のジョーカーを主人公にした連作短篇。続編で「亡命者──ザ・ジョーカー」というのがあるらしい。そのうち読もう。
 最後の初代ジョーカーとその娘との絡みがおもしろかった。短篇もあっさりしていていい。


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◎ニッポン泥棒

内容(「BOOK」データベースより)
あらゆる諜報機関から極秘データを盗み出して作られた、驚愕のコンピュータソフト。その争奪戦に巻き込まれた男の運命は?膨張するネット社会への恐怖と人の心の強さを問いかける、大沢在昌のサスペンス巨編。






「ヒミコ」と名つけられたコンピュータソフトを巡る闘い。
 産經新聞連載らしく、他のスポーツ紙連載のものよりも硬派な会話が多くて楽しめた。たとえば商社員だった団塊の世代が発展途上国の歪みなど無視して売って売って売りまくった行為の是非が問われる。そういう立場の六十代の主人公は日本という国を豊かにしたかったという目的を肯定する。単なる金儲けではなく貧しい日本を豊かにして、貧しい国を助けられる立場になりたいと願ったと。
 主人公も刑事ややめ刑事ではなく、ごくふつうの元商社員である。しかも六十代半ばだ。体を鍛えているわけでもなければ銃器の扱いに長けているわけでもない。その分、あらゆることをやりまくって日本の高度成長を支えてきたという精神的な意味ではタフガイである。そのへんの味つけが大沢作品としては新鮮だ。

 そういうテーマがあるので登場人物同士のの会話が長く、見ようによっては理屈っぽい。それらに興味がなく、いつものハードボイルドを期待した人には楽しめなかったかも。
 そう思いつつネットの書評を読んだら酷評している人が多かった(笑)。しかたないか。

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■ここでの携帯電話
 ほんの三四年前の作品なのでここに登場する携帯電話はいまとまったく同じ形で活躍する。
 それでも便利すぎる機械だから、栃木の山奥の隠れ家では圏外になったり、都内のビルの中での闘いでは、敵が床に獨自の仕掛けをして一切ケイタイが使えなくなるフロアがあったりする。そういう「規制」を設けないとやはりケイタイは便利すぎて障害になるのだろう。
 そのケイタイが通じないフロアにいるとき、登場人物の女はメールを書いておく。そして番人をうまくだまし、ケイタイが通じるフロアに連れて行かせ、その瞬間ポケットの中で送信スイッチを押し、助けを求めるメールを送る。
 のように使われていた。

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× 強い酒? ×
 敵に狙われる六十代半ばの主人公は隠れ家に窮し、十五年前まで愛人関係だった女将の料亭を頼る。仲間を連れてそこに潜む。
 あれやこれや心配事があって眠れない夜、彼は女将に寝酒として「強い酒」を頼む。とてもビールでは役に立たないと書いている。オールドパーが届けられる。そこまではいい。そのあと白けた。主人公はそのオールドパーを水割りにするのだ。水割りなんてアルコール度数はビールと変らない。自分から「強い酒」を頼んでおいて水割りはないだろう。さすがに「すこし濃いめの水割り」とされていたが(笑)。ここはストレートか、せめてロックにして欲しかった。

 でもアル中はこんな人がなる。「眠るための道具」として酒を利用しようとしている。酒は眠るための道具ではない。私なんか酒を飲んだらよけいに目が冴えてくる。
 酒を眠るための道具として利用しようとした人は、最初はビールでもいいがやがてそれでは効かなくなり、より強いもの、より多くの量へとエスカレートして行く。アル中誕生である。

 しかしなあ、「強い酒」を注文しておいて水割りはないだろう。


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△闇先案内人

出版社/著者からの内容紹介
追っ手の届かない闇先へ──。"逃がし屋"葛原に託された重要人物。国際政治の表と裏、あまりに哀しい愛憎、凄絶なる死闘の幕が上がった。






 八年かけて完成した労作というのだがまったく感動しなかった。なぜだろう。再読が必要か。
 ネットの書評を見たら評判がよい。どうもそういう人たちと感覚が違うようだ。


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◎らんぼう

内容(「BOOK」データベースより)
185センチ・柔道部出身の「ウラ」、小柄ながら空手有段者の「イケ」。凸凹刑事コンビの共通点はキレやすく凶暴なこと。検挙率は署内トップだが無傷で彼らに逮捕された被疑者はいない。ヤクザもゾクもシャブ中も、彼らの鉄拳の前ではただ怖れをなすばかり。情け無用、ケンカ上等、懲戒免職も何のその!「最凶最悪コンビ」が暴走する痛快無比の10篇。



 文字通り乱暴な刑事二人が主人公の短篇連作。明るくからっとしていて楽しい。

私が読んだのはこれ。表紙の画は西原である。
 ところがいまこの感想を書くためにAmazonで調べたら、この本四種類も出ているのだった。

 これの画は雰囲気は似ているけど西原じゃないよね? あとで本屋で確認してこよう。文庫本。

 これも文庫本。

 これは新書版。「らんぼう」続編は出ないのだろうか。長篇をじっくり読むのもいいが、こんな短篇集も楽しい。


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◎灰夜──新宿鮫Ⅶ

内容(「BOOK」データベースより)
冷たい闇の底、目覚めた檻の中で、鮫島の孤獨な戦いが始まった―。自殺した同僚・宮本の故郷での七回忌で、宮本の旧友・古山と会った新宿署の刑事・鮫島に、麻薬取締官・寺沢の接触が。ある特殊な覚せい剤密輸ルートの件で古山を捜査中だという。深夜、寺沢の連絡を待つ鮫島に突然の襲撃、拉致監禁。無気味な巨漢の脅迫の後、解放された鮫島。だが代わりに古山が監禁され、寺沢も行方不明に。理不尽な暴力で圧倒する凶悪な敵、警察すら頼れぬ見知らぬ街、底知れぬ力の影が交錯する最悪の状況下、鮫島の熱い怒りが弾ける。男の誇りと友情を濃密に鮮烈に描く超人気シリーズ第七弾。



おもしろかった。舞台は鹿児島。一度も鹿児島とは出てこないが読んでいれば誰でもそうだとわかる。北朝鮮産の麻薬、それに関わる在日の連中、ココモ違反、舞台が田舎なので話が淡々と進む感じがする。最終的には九人が死ぬが、そう言われてそんなに死んだかと思うほどアッサリ風味。
 新宿が出てこないのが新鮮で楽しめた。キャリアに関する話もおもしろい。

 尚、下記の「風化水脈」の方が発刊は早かったが、舞台設定がこちらのほうが先と言うことから、後出しのこちらをⅦにしたとか。私がこちらを先に読んだのは偶然だった。順序通り読めてよかったと書きたいが、完全に獨立した物語的には「外伝」に近いので、いつ読んでも問題はないようだ。


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◎新宿鮫風化水脈──新宿鮫Ⅷ

内容(「BOOK」データベースより)
新宿署の刑事・鮫島は新宿で真壁と出会った。かつて殺人傷害事件で鮫島に自首した藤野組組員。出所したての真壁は待っていた女・雪絵と暮していた。だが真壁が命がけで殺そうとした男・王は、藤野組と組む中国人組織のボスとなっていた。やくざの生き方にこだわる爆発寸前の真壁と、幸せを希う雪絵。一方、高級車窃盗団を追う鮫島は、張り込み先で老人・大江と知り合う。街の片隅で孤獨に生きる大江に秘密の匂いを嗅ぐ鮫島。捜査を続ける鮫島は、事件と藤野組の関わりを掴む。さらに潜入した古家で意外な発見を―。すべての糸はやがて一点で凝集する。過去に縛られた様々な思いが、街を流れる時の中で交錯する。心打つ、感動の第八作。



新宿に関する情報がたっぷりと出てくる。「新しい宿」としての成立過程、戦前から戦後、高度経済成長期から今の副都心になるまで。ざっと新宿史が学べる。ネット書評ではそれをわずらわしいと書いている人もいたが、私は楽しかった。勉強になった。

 大沢はもともと六本木が好きだった。六本木にこだわっていた。FM東京で流れたブラバスのCM原稿を書いていたころだ。当時の彼は新宿の猥雑さを嫌っていたろう。それがひょんなことから新宿を舞台にしてブレイクした。
 ある日、新宿を舞台にして書いているが、自分は新宿の生い立ちをまったく知らないと気づいたのだろう。それで調べた。大沢作品でこれほど巻末に参考資料が並べられたものはない。主人公鮫島も今回の作品で、今まで活躍してきた、そしてこれからも自分が生きてゆく場である新宿の生い立ちに関して一通りの知識を得られて安心したのではないか。
 このあとの「新宿鮫」をまだ読んでいないが(出ているのかすら知らない)、自分の活動する場である新宿に関して詳細な知識を得た鮫島は、今までとはちょっとちがうような気がする。文中での獨白が自信に満ちているはずだ。すなわちそれ、作者の自信である。

 個人的には、ラストシーンが感動的で泣けるというので期待したが、涙は出なかった。どうも最近渇水気味だ。

 ところで、こんなことを言ったら鮫島ファンに叱られるのかもしれないけど、今回つよく思ったことがある。それは、「鮫島ってすごいおしゃべりだよね」ということ。長台詞を延々としゃべってる。私はなにも考えず娯楽作として漫然と読んできたので気づかなかった。だって第一作から直木賞受賞作の第四作までを読んだのはもう十年以上前だし。
 鮫という名前やキャラから寡黙な印象を持っていた。今回やっと気づいた。鮫島って自分の考えや感覚をまるで燃えている演劇青年みたいにしゃべっている。あれがこうなってこうなったけど、おれはこう思っていて、こうすることも出来たが、あえてああした、こうした、と。けっこううるさいよ、こいつ(笑)。でももちろんしゃべってくれないと話が成り立たないんだけどね。それでも多くの有名主人公と比しても、この人、おしゃべりだと思う。


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◎秋に墓標を

内容(「BOOK」データベースより)
千葉・勝浦の別荘地で、松原龍は静かな生活にこだわり続けていた。ある日、浜辺で杏奈という女と出逢い、捨てていた恋愛感情を呼び起こされる。エージェン トから逃げ出してきた杏奈を匿おうとするが、彼女は失踪してしまう。龍は己の恋愛感情と杏奈とのあるべき距離を確かめるために彼女を追う―。殺し屋、 CIA、FBI、チャイニーズマフィア、警視庁、複雑に絡む巨大な悪の罠、龍が心の底から求めていたものは!?男と女の新しい関係を、いままでにない形で描くハードボイルドの新境地。






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 少し読んで、以前一度読んでいることに気づいた。そのときもさして感動しなかったが今回も途中で投げた。大沢ファンのあいだでは傑作の誉れが高いようなのでこんなことを書いたら叱られるか。
 今時の若者の生態に関して、興味をもち引きずり込まれるというより、私はうんざりして読む気力をなくしてしまう。電車でバカ面した少年少女に遭遇すると、バカがうつらないように車輛をかえるぐらい彼らが嫌いな私には、こういう作品を楽しく読むのは無理のようだ。


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出版社/著者からの内容紹介
やくざの組長の身代金を隠したまま死んだ中国人マフィア──その在処を探るため、恋人Kの身辺調査を依頼された木(もく)は、Kに近づくに従い彼女の魅力に惹かれていく。そして、同時に彼女の抱える苦しみも共有していくのだった…。







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内容(「BOOK」データベースより)
坂田勇吉、28歳。食品会社の宣伝課勤務。ちょっと気弱で人のいい、ごく平凡な会社員である彼の行くところ、常にトラブルが巻き起こる。前回の大阪出張で、なぜか極道と渡り合うことになった坂田の今回の敵は、ロシアマフィア!厳寒の北海道で、彼の運命や如何に。




大阪を舞台にした「走らなあかん、夜明けまで」の続篇。舞台を北海道にして、ロシアを絡ませたが、大阪のようには成功しなかった。


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内容(「BOOK」データベースより)
櫟涼子。職業・刑事、任務・潜入捜査。暴力にも恐怖にも彼女は負けない…愛と裏切りが彼女を引き裂いた!長篇ハードボイルド小説。






ベトナム語 翻訳 パソコン知らず


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◎「夢の島」


 主人公が若く、それにともなって文体も軽いので楽しく読めた。
 しかし肝腎の「シマ」に関する謎が明らかになって行くにしたがい「???」となる。
 テーマは「謎の島の宝探しモノ」である。そこをひとひねりして島にある「財宝」をマリファナにした。これは後に書かれる「パンドラ・アイランド」のコカインとまったく同じである。だが「パンドラ」のほうがまだよかった。「パンドラ」は島の存在は明白だ。貧しいはずのその島がなぜか潤っている。隠し財産のお蔭らしい。その財産とは何なのか、で展開した。

 本作では「シマ」の財産はそこで栽培されているマリファナだと比較的早い時期にわかる。わからないのは「島の場所」なのだ。この日本のどこかにかつて良質のマリファナが大量栽培されていた島がある。今もまだ野生になった大麻が大量に茂っているはずだ。それで大金が稼げる。だがその島がどこにあるのかわからない。その「場所」を巡って話は進行して行くのだが、いくらなんでもそれは、であろう。この狭い日本でそういう「島」が誰にもわからず隠し通せるとは思えない。

 1970年代末期に、その島に住んでいた三人の男女、いわゆるヒッピーが、資金稼ぎのためにそこで良質の大麻を栽培し、マリファナを全国に通販して生活費を稼いでいた。通販だって(笑)。きれいな天国の絵が描かれた(これを書いていたイラストレイタが主人公の父親になる)それは「アイランド・スティック」という名で評判の良い品だった。注文すると郵便で送られてくる。発送地の消印は東北になっていたり、九州になっていたりして、全国各地なので場所が特定できないのだという。ヒッピー三人が自分たちの場所を知られないようにそうしたらしい。じゃあ発送時はそのためにだけ各地に出かけていたんだ。でも商品名が「アイランド」となっているから生産地が「島」なのは明かしているのか(笑)。でも誰もその「島」がどこにあるか知らないのだった。

 そして舞台は1998年、野生化しただろうが今もそこに良質のマリファナが生い茂っている「島」の場所を巡って抗争が始まる。主人公(大麻栽培をしていたヒッピーの息子)には、それで一儲けを企む連中から「島」の場所を教えてくれたら一千万、いや一億と話が持ちかけられる。ヒッピーの父親が残した遺品の中に島の場所を暗示するものがあり、息子は島の場所を知っていると思われているのだ。そこから殺人事件まで起きる。

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 結局その「島」は日本海側にあり、当時の田舎の人々はのんびりしていたので、男二人、女ひとりの三人組ヒッピーがかってに無人島に住み着いて暮らしていても、ぜんぜん関与しなかった(=マリファナ栽培にも気づかなかった)ということになっているのだが、これには無理があるだろう。人の口には戸が立てられないということを忘れている。

 私は今も覚えている。小学生の時だ。家に自転車に乗った駐在がやってきた。何事かと思う。庭の隅に芥子の花が二本咲いていた。それを抜いて処分しろと母に言いに来たのだった。
 母は花好きなので何でも作りたがった。だから私は南国でしか栽培できないブーゲンビリアとかも子供時代から目にしていたし(もちろん温室栽培である)、夏の夜に一時間だけ咲く幻の月下美人なども見てきた。このことをいま口にすると花好きに驚かれるから、それだけ母は本格的な花好きだったのだろう。芥子の花もその一環だったと思う。
 しかしまあ誰が通報したのだろう。田舎の家の庭に咲いた芥子の花から阿片吸引をするはずもない。芥子の花栽培は違法という知識を持っていた誰かが、道ばたに近い庭に咲いていたそれを見て駐在に一報したのだろうか。なんとも呆れる話である。

 大沢はこの「島」について、日本海側としか示していない。推測するに、島根鳥取山口あたりの漁港から出かける場所、に設定したようだ。男二人おんなひとりの三人組ヒッピーは、漁師に金を渡してそこに渡らせてもらった。その後も何をして喰っているのか謎である。だが金はもっていて町まで買い物に来る。漁師に相場以上の金を払ってまた渡してもらう。こんな三人組が好奇の目に晒されないはずがない。元々男二人に女がひとりという変則的な組み合わせからも注目を浴びていたろう。彼らは百坪以上の土地にインド産の良質マリファナを栽培し、それを全国に販売して売って稼いでいた。そのことを隠し通せるはずがない。

 大沢はそれを「当時はのんびりしたものだった」と時代でごまかそうとしているが、現に当時私の音楽仲間も、マンションのヴェランダでマリファナを栽培していて捕まっている。売りさばいて儲けようと、北海道で野生の大麻を採取していて捕まったのもいる。村の駐在が芥子の花を抜けと言いに来たのはもっと前だ。田舎県の離れ小島で怪しいヒッピー三人組がマリファナを大量栽培していて、しかも日本全国に「アイランド・スティック」と称し、獨特の天使の絵が描かれたパッケージで販売して好評を博していたものが、謎のままということはあり得ない。田舎だからこそ、離れ小島に正体不明の三人組が住み着いたとなったら、すぐに役場の係と駐在が身元調べにやってくる。そんな場所で百坪もの大量大麻栽培なんて出来るはずがない。「離れ小島で大麻栽培をしていたヒッピー逮捕」とすぐに逮捕されてニュースになり、その島の名は全国にとどろくだろう。
 ましてそれだけの大麻を全国的に販売していながら、その島の名と場所が誰にもわからず、それを知ろうとして殺人事件まで発生は、筋書きに無理がある。ありすぎる(笑)。

 大沢は「財宝=金銀宝石」の定番を、「ただの草原→でも金にしたら何億にもなる麻薬」というひと味違う「財宝」にしてみたかったのだろう。すべてはそこから始まっている。この大麻は失敗だったのかどうか、それでもこの設定は気に入ったのだろう、後にもう一度今度はコカインで試みる(=「パンドラ・アイランド」)。まあ十数年前に栽培したままの大麻畑より、二十数年前に精製した60キロのコカインの方が説得力はある。もっともこれも精製にいたるコカイン工場のことがまったく描かれていず私はそこが缺陥だと思った。

 この「夢の島」という作品は98年発刊だが私は未読だった。当時世間の評判はどうだったのだろう。「パンドラ・アイランド」の方は賞をもらったようだから、あっちのほうが出来はよかったのか。
 「夢の島」というタイトルから文中に謎の言葉として「シマ」とカタカナで出てきたときから、それが「島」であることはわかったし、私は先に「パンドラ」の方を読んでいたから、すぐに「隠された財宝」が大麻だと想像がついてしまった。これは順序を逆にしたからである。こちらを先に読んでいたらどう思ったか。意外に大麻畑という「財宝」をあたらしい着眼と認めたろうか。いやいや、順序などどうであろうと上記したように、ヒッピー三人組が大麻畑を経営している無人島が、誰の目にもつかずに存在し続けるという大前提が、私にはとうてい納得できなかったろう。感想はそれに尽きる。


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◎魔女の笑窪



 大沢は島が好きなようだ。「夢の島」「パンドラ・アイランド」に続いてこれも「島」がテーマである。「秋に墓標を」でも最後の舞台は石垣島だった。でも作家は誰でもそういう限定された状況は好きだろうな、設定としておもしろい。
 この作品の舞台は東京だが主人公は売春島として名高いあの島からの脱出者という設定。ラストシーンはその島での活劇になる。実在するあの島は有名だ。ここでは舞台を長崎にしてある。大沢はあの島の存在を知り、「唯一そこから脱出に成功した女」という主人公を思いついたのだろう。

 連作短篇モノとしておもしろく読めた。ただ私は現存するあの島がここで描かれているような「地獄島」とは思っていない。そんな時代ではあるまい。売春館の理不尽なかなしさについては大沢よりも詳しいつもりなので、この設定を楽しむことは出来なかった。知らない大沢が、盛り上げるためにおどろおどろしくすればするほど、知っている私は、なんとなくもの悲しい気分になっていった。主人公のような「無理矢理何千人もの男の性行相手をさせられ地獄を見た女」と大沢が本当に親密に接したなら、こんな作品は書けなくなってしまうだろう。頭の中で描いた人物だからこそ架空の恨み辛みを吐き出せる。
 自分のよけいな体験知識がわずらわしい。私なりに、見なくてもいい世界をずいぶんと覗いてしまったのだなと知った。「見てきたような嘘を言い」がよくわかる作品である。

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×「帰ってきたアルバイト探偵」

内容(「BOOK」データベースより)
白骨死体で発見された武器商人・モーリス。その「恐怖の土産」を目当てに、危ないテロ集団が続々やってきた!高校生探偵・リュウと不良中年オヤジは、美女と東京を救えるか。


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7/20
 ハードボイルドとタバコと克己心

 そんなわけでひさびさにハードボイルド、アクションものと呼ばれる分野の本をあれこれまとめ読みした。
 うんざりしたのは、とにかく主人公から脇役に至るまでやたらタバコを喫うので、読んでいるだけで煙かったことだ。これってどういうことなんだろう。やたらタバコを喫い、目を覚ますために苦いコーヒーを飲むという定番は変えてはいけないのか。

 上記、大沢在昌の「砂の狩人」で言うと、映画化の際は山本キッドを配して欲しいと思った空手とボクシングをマスターしている捨てゴロ(素手のケンカ)の達人がいる。ヤクザだ。武器は使わない。己の肉体だけを誇りとする。この人もタバコばかり喫っているのだが、彼のような人はむしろ酒やタバコを嫌い、ストイックなまでの肉体鍛錬派のほうがよほどリアリティがある。酒とタバコを好む主人公の隣で、煙を嫌い、いつもミネラルウォーターしか口にしないとか、そんな設定の方が自然だ。それともヤクザの世界ではタバコを喫わないと軽視され、必ず喫わねばならないのだろうか。とにかく大沢作品の登場人物が喫煙率100%なのにうんざりする。主人公はもちろん、主人公に秘密指令を出す三十代の警視庁女キャリアまで、とにかくもう誰もがタバコを喫う。なんでこの人たちは全員がいつもタバコを喫い「歯を食いしばって」いるのかと苦笑する。

 私はハードボイルドの根幹は克己心だと思う。自制心。やせ我慢だ。だから主人公にとって、「これがないと生きてゆけない」というものはなるべくない方がいい。タバコはその筆頭だろう。一日16時間起きているとして、一日16本喫うひとで1時間に1本だ。32本喫うひとだと30分に1本になる。1日2箱40本を喫うひとが、いかにこまめにタバコを喫っていることか。ウルトラマンが3分しか行動できないように、20分に1回はタバコを喫わないといられない主人公なんてずいぶんとせせこましい。

 もちろんその分野で名作とされている古典にみな酒とタバコと女が登場し、健康のためにタバコは吸わないなんて小市民的な男がこの種の小説では不似合いとされているのは知っている。しかしそれらは「酒とタバコは男のたしなみ。それをやらないのは男じゃない」という感覚の時代に作られたものである。今の時代、むしろ当時のそのパターンを頑なに護っている方がよほど不自然だ。上記のように酒もタバコもやらずやたら体を鍛え上げることにだけ執心するやくざのほうが、よほど今的であろう。すくなくとも登場人物老若男女全員喫煙者よりはずっと現実的だ。

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「タバコを喫って当然の時代」の作品の歪みとして「『ゴルゴ13』の葉巻」がある。1960年代にああいう設定で始まった『ゴルゴ13』は、最高級の葉巻を喫う。それは「その当時、それがかっこよかったから」だ。時が過ぎ、ゴルゴの禁欲的(娼婦と寝ることとは無関係)で自己を厳しく律する性格と、人前でもいつも同じ銘柄の稀少品葉巻を喫うことには矛盾が生じている。でもいまさら変えようがない。自分の正体を知られることを嫌い、髪の毛一本の遺留品にまでこだわるゴルゴが、依頼人との面談、時には犯行現場でまで細巻きシガーを喫い、現場にポイと捨てて行くのはどう考えても不自然である。まあ『ゴルゴ13』の場合、そういう不自然さをほじくり返し始めたら切りがないし、そういうこだわりは不粋と言われるかもしれないが、すくなくとも物語全体は、「いかにも本当のような話」を意図しているのだから、ゴルゴのシガーも、極力出番を控えるべきだろう。狙撃地点でタバコを喫っていて、標的が現れるとそれをピンと指ではじいて捨てるゴルゴなんて見たくない。狙撃現場に遺留品を残さないでくれといいたくなる。

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 やたらタバコが出てくるのは、わるい言い方をするなら、「小道具としてのタバコに頼りすぎ」である。
 志村けんのコントは、デートに遅れてくる彼女を待つようなシーンでは、必ず男はいらいらとタバコを吸い、足下に喫い殻が何十本も散乱している。ワンパターンだ。汚らしい。その他の場合も、志村は「いらいらしながら待つ」をタバコでしか表現できない。

 それと同じで、大沢作品でも登場人物は、なにかあるとすぐに背広のポケットから、あるいはハンドバッグからタバコを取り出して吸おうとする。起き抜けの目を覚ます一本だったり、謎を推理する思考のための一本あたりはまだしも、海やプールのアクションの後でも一段落するとまずタバコを喫おうとする。濡れていて喫えなかったり、すでに空だったのでパッケージを握りつぶしたり、これじゃもう重度のニコチン中毒としか言い様がない。やたら登場するそれを目にしていると、「おまえはタバコがないと場面転換が出来ないのか」と言いたくなる。なにも登場人物すべてがニコチン中毒である必要はあるまい。タバコとコーヒー抜きじゃハードボイルドは書けないのか。

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 というところで真保裕一の「ホワイトアウト」を読んだ。テロリストにひとりで立ち向かう山男の主人公にもテロリスト集団にも一切タバコは出てこず、気持ちよく読めた。実際そうならねばウソなのである。なぜなら、難航な目的を遂行しようと努力する人(=ゴルゴも同じ)は、より生活の中での必需品をすくなくせねばならない。毎日タバコを二箱喫わないといられない、なんて薬物中毒者は難事を成し遂げようとするためにはもってのほかである。大きな目的遂行のためのテロリストの訓練があるとしたら、最初にやるのはまず酒やタバコに依存しない精神作りからだろう。真保の作品に出てくる健康な山男はもちろん、左翼テロリスト集団がタバコを喫わないのは私にとって極めてまともだった。

「ホワイトアウト」に出てくるタバコのシーンは一カ所、ダムが乗っ取られて警察に捜査本部がおかれる。テロリスト集団からの要求がまだない、やっとあった、とかでごたごたする場面、捜査本部がタバコの煙でもくもくしている、というシーンのみだった。これはきっとそうだろうし素直に納得できる。情報を待って苛々する警官や記者にはモク中が大勢いたろう。これぐらいが自然だ。

 かつてチェーンスモーカーだった私はタバコが切れることをなにより恐れた。当然である。だってあれはニコチンタール中毒という薬物中毒なのだから。コカインヘロインシンナー類の中毒となんら変らない。マリファナの中毒性などタバコと比べたら軽いものだ。極貧の私は一日三食を一食にしても、いや飯など抜いてもタバコだけは確保した。シャブ中となんら変わりない。そのことに気づいたからやめた。一日三箱からいきなりやめたときは禁断症状にのたうった。そのあまりの苦しさに、絶対にやめねばならないものだとよりふかく思った。
 周囲の人に与える悪影響もその他の薬物中毒と比べても同等かそれ以上である。なのになんで野放しにされているか。国の財政に関わるからだ。それだけである。本気で政治というものを考えるなら、タバコを街角のどこでも買えるようにしているこの国の行政にまず意見せねばならない。

 まあ国が容認しているのだし、そういう国に住んでいるのだから文句は言えない。こちらの迷惑にならない形で好き勝手にやってくれと思う。ただタバコなんてのはひと箱一万円だろう。あれだけの害のある(=中毒性と快感のある)薬物なのだから、それでも安すぎるか。いずれそうなると思う。タバコはシャブと一緒に地下に潜るべきものだ。

 ハードボイルドの主人公である刑事でも元刑事でも私立探偵でも、基本は目的のために自己を律することの出来る性格の人である。だからこそ主人公に選ばれた。シャブ中のだらしない性格の主人公はあまりいない。だけどニコチンタール中毒のそういう主人公は山といる。そこが不自然だ。ニコチンタール中毒の刑事、元刑事、私立探偵の主人公がいてもいい。だがだったらそれらしく表して欲しい。どう考えても一日三箱は喫っているようなモク中が、数日間監禁されたりしても平気なのはおかしい。自分がそうだったから自信を持って言える。タバコが吸いたくて気が狂いそうになるはずである。なのにクールだ。その間一切タバコのことは出てこない。なのに脱出したらすぐにまた一服してモク中、ヤニ中にもどる。薬物中毒とはそんな単純なものではない。

 もしかして登場人物がみなニコチンタール中毒の大沢は実はタバコなど喫わず、その辺の感覚がぜんぜんわからない人、という読みも出来る。自分がタバコを喫わないからこそあんな煙くて読めないようなことばかり書いているのではないか。
 と思って調べたら、彼のホームページの表紙に(こういう書き方をするとサイトの表紙をホームページというのだとまた執拗なキチガイ一名がしったかぶりで絡んできそうだ)銜え煙草で写っていた。ヘビースモーカーらしい。として推測すると、じゃあ自分がタバコ大好きなので作品の中のその辺の缺陥にまったく気づいていないとするべきか。
 いずれにせよ大沢は、作品の完成度を高めるために、もうすこし作品中の喫煙シーンを規制すべきである。


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