──2003


03/7/21 基本古語辞典──小西甚一(03/7/21)

 「NHK教育テレビ高校講座数学Ⅰ」を見て数学の勉強がしたくなり、物置に参考書を取りに行った。
 それらを持ってくるとき、同じコンテナにぶっこんである古語辞典が目についた。3冊(3巻?)あった。高校時代のものだ。三十数年前である。しかもそれ以来いちども開かれていない。
 ぼくは田舎の優等生だったので通知票は5と4しかとったことがない。高三の後期、生まれて初めて最初で最後の2というのをつけられた。それが先生が嫌いで白紙で答案を出した古典だった。教師はおおきいな。古典嫌いはこの影響がおおきい。

 3冊の辞書は小学館と三省堂のもの、そしてもう一冊がこれだった。大修館書店の基本古語辞典。小西甚一著である。詳しい中身にはまったく記憶はないが購入にいたる経緯は覚えている。
 ぼくは当時からこういう小物に凝る性格だった。なにひとつ今も変っていないことを確認する。にんげん、そういうものなのか。
 田舎であるからみなその辺の田舎本屋にあるごく普通の古語辞書を使っている。Z会に入ってみたり駿台予備校の夏期講習に行ってみたりと人と違ったことをするのが好きだったので(間違いなく当時のその田舎高校でそんなことをやっていたのはぼくだけだった)辞書類にも凝る。この小西先生の辞書は東京の受験生のあいだではちょいとした流行品となっていて、それでいて田舎高校生は知らないという、ぼくのようなのにはたまらないアイテムだったのである。果たして何度使用したかあやしいものだが、そういう購入動機とこの辞書の位置づけはよく覚えている。田舎にはない。東京で買った。
 昭和41年初版。値段は380円。ぼくが購入したのは昭和45年のようだ。すごいなあ、新品同様。まったく使っていない。買っただけか(笑)。こういうのが「カタカナ新語辞典」だったりすると時の流れの中で褪せてしまい用をなさないのだが古語辞典だからしてこれからもまだ価値があるだろう。大切に保存する。だけどこのうすらバカがこれからも古語辞典を引くことがあるのかどうか……。

 でも辞書はしあわせだね。なんのかんのいって最も捨てられない本だろう。当時崇拝していて今じゃ大嫌いな広辞苑も、CD版を使用しているからあの重いのを開くことはもうないのだけど、さすがに捨てる気にはなれずまた持ってきた。思えば田舎から持っていって、またもってもどってきたのだ。版を重ねる毎にサヨク的になってきた。最近のものには「従軍慰安婦」まで載っていて辞書の中でも朝鮮に謝るという過ちを犯している。暗愚としか言いようがない。とりあえずぼくには第四版でちょうどいい。





(7/23)

 昨夜、Windows2000 ServicePack4をダウンロードしているあいだ「大修館書店 基本古語辞典 小西甚一著」を検索してみた。それでわかったのは、この辞書はもう売っていないということである。しかしどうにも不思議なのは、それなりに通の間では評判がいいのだ。なぜそれが廃刊になったのだろう。
 下は昨夜見つけたサイトからのコピー。このサイトは「辞書オタクへの道」とかそんなものだった。いろんなサイトがあるんだねえ。そこでこの人は、以下の文を紹介している。これは素人であるこの人が書いたのではなく、なんか有名な評論家か学者のものらしい。「鬼気迫る辞書の名品10選」というタイトルの中の一冊として取り上げられているのだそうな。その部分のみコピー。

「鬼気迫る辞書の名品10選」
『学習基本古語辞典』(大修館書店)
学習用古語辞典としてはこれより親切丁寧なものがいくらでも出ているが、なにしろ「この辞典は、わたくし自身が書いたものであり、解釈も、用例も、他の辞典から借用したのは、ひとつも無い」とあの小西甚一が言い切った代物なので、『日本文藝史』の愛読者ならこれを引かざるをえないのではないか。
 ひとつ確認したのは、初版本であるぼくのもっているのは「基本古語辞典」の名なのだが、商品としてアピールするためか、後に「学習」の冠がついていることである。サイトで調べたらどこでもそうなっていた。ぼくのはかなりの珍品になる。
 そんな評判のいい労作がなぜこんなに早く廃刊になってしまったのか。大修館と小西先生側でなにかあったのか。なにしろこちらは「あの小西甚一」と言われてもわからないからねえ。「鬼気迫る」ほどの「名品」がなぜ廃刊になってしまったのか。小西先生が死んでしまって廃刊になったのか。でも著者が死んでも出ている辞書はいくらでもあるし。よくわからんが、せっかくだから私はこの辞書を大切にしてゆきます。と、それしか言えない。

 同じく検索からヒットしたところを開いたら、なんとなく見たことのあるような掲示板である。元をたどったら2ちゃんねるだった。いったいなんという場所なのだろうと思ったら「古文、漢文、漢字」だって。ふうむ、こんなのまであるのか。今度じっくり読んでみよう。
 高校生が「お奨めの古語辞典は?」とか尋いて誰かが応えたようだ。小西先生のこの辞書を推薦した後、「今も出ているのかな」とあった。この人はまだ三十代らしい。そんなに早くなくなったのか?
 さすがに同じ2ちゃんねるでも「危ない海外」とか「競馬」なんかと違ってまともなやりとりが多い。誰かが××がいいと推薦すると、すかさず誰かが、「あの辞書は大学生が大学院受験の時に使うもの。高校生にはむり」なんて応えている。


03/7/27

まれに見るバカ女との闘い──買わない理由

(03/7/27)


 近所の本屋で「まれに見るバカ女との闘い」(宝島社1200円)を立ち読み読破(笑)。思想的にも内容的にも同意しているし値段もお買い得だ。前回の「まれに見るバカ女」は買っている。今回なぜ立ち読みだったかの理由。
 前回買ったのは上野駅構内の本屋だった。上野から田舎にもどる一時間半の電車の中で一気に読んだ。おもしろかった。痛快だった。よくぞ書いてくれたとその企画に賛同もした。そのことをこの『作業記録』にも書いている。本はかなり読んでいるのだがここに書くことは滅多にない。それは──こういうことを書くことすら恥ずかしいが──自分をさらすのが恥ずかしいからだ。昨日はこれを読んだ、きょうはこれを読んだとここで友人に報告するほどぼくは露悪的でも自信過剰でもない。よって書名や作家名を書くことは稀になる。なのに書いたのだから、この出版がよほどうれしかったのだろう。自分と同じ感覚の人がこんなにもいたのだという喜びだ。そう思う人は多かったのか、出版社、著者連が思った以上の大ヒット作になったようだ。よかったなあと思う。どんなもんだって感じだ。我が事のようにうれしい。それは今回も変らない。なのになぜ買わなかったのか、なのだが。

 たとえば、前回の「まれに見るバカ女」で感動(?)した一章に社民党のナカガワトモコの著書について書かれたものがあった。あの不細工なおばちゃんが誰も望んでいないのに赤裸々に自分の性体験を書いた自伝を出したことは知っていた。その章ではその自伝に詳しく触れて分析し、このおばちゃんの異常な自己顕示欲と勘違いを羅列している。このおばちゃん、「中川さんといると心があったかくなると感激された」とか、そういういかに自分がみんなから好かれ、感動を与えてきたかというような勘違いを延々と綴っているらしいのである。それはたぶんそういう女であろうと推測していた当方を、まさかここまでひどいとはと電車の中でため息をつかせるほどのゆがんだ醜い自意識だった。価値のある一冊だったと今でも思う。

 しかし先日来の大掃除、部屋の模様替え、配置転換の合間、捨てはせずコンテナのその種の本の中に放り込んでおいたものの、ぼくはあの本を、汚いものでも見るように扱っていたことに気づいたのである。まあ、なんというか、それがすべてだ。嫌いなものを嫌いであることは間違いでなかったとあらためて確認させてくれた有効な一冊ではあったが、とてもとても愛読書や蔵書になるようなものではない。見出しを見ただけで不愉快になる名前が列記された、嫌いなものがてんこ盛りになっている本なのだから。
 そういう本、假にナカガワやツジモトの本を勉強(?)のために読んだとしてもすぐに捨てるから問題ないのだが、ではそれらを攻撃したこの本が180度対角線上にあるから、じゃあいとしいものになるかというと、やはりそうではないのである。むしろ内容が充実しているからこそこれ以上きたならしいうっとうしいものはないとなる。
 ぼくは、たとえばツジモトのことを熱心に非難することは、それなりにあの女に興味があることなのだと解釈している。ぼくはそれとは違っている。ほんとに嫌いで名前を書きたくもないし、あの顔を思い出すだけで不愉快になるぐらい心底から嫌いなのである。国会議員、社民党以前にああいう女が根っから嫌いなのだ。あれは結果として社民党になったのではない。生きてきた道筋、発想の根底、存在そのものが社民党なのである。


 ぼくは違う。社民党も秘書給与うんぬんも関係ない。あの女と学生時代に知り合っても、仕事上で知り合っても、親しくなることはなかった。生理的に合わないのである。あれが假にぼくと思想的に近い自民党のタカ派だったとしても(そんなことはあり得ないのだが)好意的になることはなかったろう。まあこんな假定をむきになって書いてもしょうがない。結論を急ごう。

 そういう大嫌いな女たちのことがびっしり書いてあるこの本を、ぼくは自分の部屋に置くことに耐えられなかったのである。それは部屋の中に汚物を置くのと同じだ。姿勢としては、この企画を応援する意味で、お金を払って購入し、すぐに捨ててしまうという応援の方法もあったが、そんなことを考えつつ立ち読みしていたら読破してしまった(笑)。今更応援のために1200円を捨てるのもちょっともったいない。
 そしてまた思う。ぼくは何でも屋の物書きだが、この種の企画の協力を求められたら、やはり書く気にはなれない。断る。嫌いなものを一所懸命調べものをして嫌いだと書くことは苦痛だ。好きなものを好きだと書くことばかりしてきたからでもあろう。方法論としては、嫌いなものを筋力をつけるために食べるというやり方もある。これはそれに匹敵するか。そうではあるまい。こんなことをやっても筋力がつく前に下痢してやせてしまう。となると、ここで熱心に書いている、たとえば大月リュウカンなどは、基本的にこういう女が好き(=ゲテモノを食って下痢すること)なのだろう。書く必要のある大切なことである。今後もがんばって欲しいとエールを送る。でもぼくには関われない。買えなかった。今後も、立ち読みかな。いやもうわかっていることだから、立ち読みさえしないか。ドイタカコなんて名前すら見たくない。



 ところで「近所の本屋」と言っても田舎ゆえ5キロは離れている(照笑)。あたらしく出来たので出かけてみた。田舎で乱発されているCD、レンタルヴィデオ、本が一緒になった統合的な店。苦手だ。その理由は音楽。レンタルCDをやっているから流行りの日本語歌をガンガン流している。ぼくはこれが嫌いなのである。うるさい。本屋とは似合わない。なんてったって本屋のBGMはClassicだ。
 今後もあまり行くことはないと思うが、最近の田舎ではめっきり見ることのなくなった『週プロ』『ゴング』が置いてあったので(売れてないんだろうなあ)、それの立ち読みには向いている。
03/9/2
ローリングストーンズ詩集03/9/2)


 手伝い作業がひといきつき、目を休めるために手にした本がこれ。本を読んじゃ目の休めにならないって(笑)。

 こんなもの、いつ買ったのだろう。ビートルズ詩集とボブ・ディラン詩集を買ったのは記憶にあるが。
 東京からの荷物に見つけたので、そのうち読もうと手元においておいた。
 1985年発行。シンコーミュージック。訳者は山本安見。つまらん内容だが、つまらんことを確認する意味で、こういうものを読む価値はある。
 いや、決してつまらなくはないのだけど、ゼッタイテキにつまらんとも思う。どっちだ(笑)って。両方ともほんと。
 つまり、高島俊男さんも言っていることだが、この種のものは原語で味わわないと(味わえないと)意味がないのである。英語を体にとけ込ませている者が、これを読むなら、ミックの詞がすなおに理解できるだろう。同意も出来る。反感も抱ける。感動も出来る。英語の韻も、言葉遊びもすんなりと理解できるだろう。すべてはそこから始まる。だがそうではない者が、日本語に訳されたこれを読んでも、それは「この歌の内容はおおよそこんなものであるらしい」と知るだけでしかないのである。私はラジオ番組での訳詞に役立てようとそれが目的で買ったのだから、それでいいのだけれど(笑)。

 高島さんはそれを明確に指摘している。「翻訳小説を読むことは、おおよそのあらすじを知ることでしかない。その作品の魅力を理解したことにはならない」と。高島さんの専門分野で言うなら漢詩である。漢語での発音を知り、漢語で味わわなければ絶妙な韻のおもしろさもわからない。「トモアリ、エンポウヨリキタル。マタタノシカラズヤ」と日本語で読んでも、それは「なにを言っているかを理解した」に過ぎず、漢詩を味わったことにはならないのである。英語の他の言語の詩や小説だって同じだ。
 私は若い頃からそう思っていた。ヘミングウェイの小説を、わかりづらいあの翻訳文とやらで読んでも(彼の多彩な比喩というものを学び、自分の文章に生かす基礎学習にはなるだろうけど)、こんなの英語で味わわなきゃ小説を楽しんだことにはならないよなと、いつも思っていた。かといってそこまで英語を勉強する気にもならなかったから、私にとって、時代に取り残されないようとりあえず読むいくつかの翻訳小説は、「こういうストーリィィのものである」と知るだけの意味しかなかった。シドニィ・シェルダンの本なんて読んだこともない。読む気もない。限られた時間をあんなもので失ってたまるか。
 そのことをかってに師匠と崇めている高島さんが平然と言い切っているのを読んだときは寒気がするほど感激したものである。なにしろ無学であるから自分の直感を信じてはいても、いつも後ろめたさと紙一重である。傲慢な臆病とでもいうのか。世の中には逆に「翻訳小説しか読まない」なんて人もいて、彼らが日本人の書いた日本語の小説を軽んじ、外国の文豪の翻訳物だけを愛好しているのを見ると、内心ばっかじゃないのと思いつつ、裏つけになる基礎教養がないから、その批判は「内心」で終りだった。高島さんのように漢語に通じている人は、漢詩漢文を基にして、英語もまた同様と言い切れる。知は力である。

 そんなわけで、ここにあるたとえば「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」

ハリケーンの中で生まれた俺
どしゃぶりの雨の中で産声を上げたのさ
そんなこと どうでもいいさ
全部 でたらめさ
どうでもいいぜ
俺はジャンピング・ジャック・フラッシュ
なにもかも 嘘っぱちさ

 なんて訳詞を読んでも、「ああ、そうですか」としか言いようがない。日本語で読むと間抜けな詞である。
 こういうのを読んで、「さすがストーンズだ、ロックしてるぜ!」なんて思う人はいるのかな。いるんだろうな。よくわからん。
 しかしそのことと「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」がかっこいい曲であるのはべつものだ。
 この辺の剥離感覚をどう納得させればいいのか未だにわからない。
 と書いたら聞きたくなったので、ここで音楽はジャンピング・ジャック・フラッシュ!
03/10/7

今週の『週刊現代』


 巻頭、ヌードの次にモノクログラビアの二世議員特集。批判。
 写真入りだ。それはいい。ぼくは二世議員肯定派なのだが、それはそれなりに勉強した今の感覚。むかしは反感を持っていた。議員が世襲なのはおかしいのではないかと週刊誌が特集することに文句はない。今週の政治記事の流れは、『週刊現代』『週刊文春』は安倍晋三叩き、『週刊新潮』はどちらかというと持ち上げ、で、それはそれでかまわないのだけれど。
 ところがこの『週刊現代』の特集、単なる自民党批判なのだ。(公明党や保守新党もひとりかふたりいたかもしれないけど気づかなかった)。
 最初のページが引退するナカガワとエトウ。引退はするが息子が立候補すると親子で写真対比だ。そのあとに石原三男のこと、オヤジと兄貴の写真。ついで小泉親子二代の写真(祖父も含めて三代なのだからどうせなら三代並べろ!)、名門の安倍三代(先代晋太郎、母の父・岸信介総理大臣、これまた祖父の安倍寛はなし)を並べて、いかに世襲している政治家が多くてろくでもないかとの特集だ。
 で、野党は一切ない(笑)。そこがへん。おかしいよねえ。いっぱいいるのに。

 今回の選挙で最も話題の二世議員は、与党側の石原三男さえしのぐ野党最大党首の息子「カンナオト二世」だろう。あれだけ二世議員と、それを生み出す風土を非難していたのに、平然と自分の息子を立候補させる矛盾。それこそ皮肉の大好きな週刊誌なら、カン親子の写真を載せ、「あれ? カン議員、世襲は否定だったのでは?」なんてからかうのがまともな姿勢だ。なのに野党側にも山といる二世議員は完全に無視。まるで二世議員という悪弊は自民党のみとでも言うがごとき偏向ぶり。合流した自由党の小沢も二世議員だ。いくらでもいるぞ。特集はいいが偏るなよ!
 立ち読みしてあきれて本を置いたあと(間違っても買わない)、念のためにもういちど手にした。「今週は自民党特集、来週は野党特集」とでも書いてあったら早とちりになるからだ。そんなお断りはなかった。講談社にとって、非難する二世議員とは自民党だけを指すらしい。野党の二世議員は批判対象にならないらしい。おそまつだ。

 ひどいなあ。ほんとにひどい。大きなマスコミがここまで偏向していいものだろうか。まあそれ以前にもっともっと影響力があって偏向しているテレビのクメやチクシがいるが。それとはまた違った影響力が活字にはある。
 こんなのを読んで染められる無知は多い。現に染められたままでそれに気づかない哀れな被害者を大勢知っている。反対のものががあるならまだいい。「二世議員は許せない」と『週刊現代』と同じく50万部出る週刊誌で、野党の二世議員ばかり特集して非難し、まるで与党には二世議員はいないかのように偏向報道する週刊誌があるなら、それはそれで釣り合いがとれていることになる。でもそうじゃない。

 ほんとにヘンな国だ。自分の国に誇りを持てないような教育を小学校から押しつけ、おとなになっても、いかに国を背負う政治家がくだらないかと嘘ばかり作って足を引っ張る報道ばかりしている。へんだへんだ、ほんとに狂ってる。
 人類史上、こんな奇妙な国家は存在していない。国の基本は自国を誇ることにある。誇るように指導し、それに反発する多少のアンチが出てきて釣り合いがとれる。ところがこの国は、誇れない誇らないことがインテリの証明のようなっている。ヘンだ。
 冷戦時代の、西側のアメリカ、イギリスでも、東側のロシア、東ドイツ、北朝鮮でも、そしてそれが終った今でも、国の基本は自国と人民の誇りにある。
 おかしいなあ。ほんとにヘンだ。それでいて奇妙な部分でバランスをとっている国だからよけいに気味が悪い。

 今週のキョセン
 安倍晋三批判。その手法が相変わらずなので苦笑する。彼の批評方法は、むかしから一貫している。欧米を基準に置き、日本の後進性、歪みを指摘するという、欧米コンプレクスの強い日本人を自分の色に誘導するものだった。「こんなことアメリカだったら許されませんよ。オーストラリアではね」なんて感じだ。それは中国人、朝鮮人を見たら日本人は悪いことをしましたすみませんでしたと土下座しなければならないと思いこんでいた無知な田舎高校生(わたしね)には、説得力に満ちた智性的な手法だった。

 時が過ぎれば、どんなバカでも自分なりの努力をして目が開く。自分の目で世界を見てくれば感覚は変る。
 相変わらず同じ手法で、今でもその洗脳方が通じると勘違いしているキョセンが哀れでならない。舛添が120万票取った選挙で、キョセンは、タジマヨーコやオーニタよりもすくない票しか取れなかった。そのことでふてくされる。100万票行かないことに不快を表明していた。ここにも自己評価の勘違いがある。私からすると今でもキョセンに票を投じた人が34万人もいたことのほうが不思議だ。
 安倍晋三が、クメチクシ的マスコミからのイメイジダウン仕向け質問「タカ派と言われているが」に応えた「拉致国家に対し、日本人ひとりの命を真剣に護ろうとすることをそう呼ぶ人がいるなら、タカ派と呼ばれてもかまわない」発言に、キョセンがイチャモンをつける。正面からは何も言えないから、「安倍晋三クンはタカ派の意味を知っているのだろうか。現に世界中で今でもタカ派、ハト派は使われている用語だ。アメリカの××が、イスラエルの××がなんと呼ばれているか知っているのか。政治家として勉強不足である」というもの。
 安倍の言った「あんたらがタカ派なんて呼称で自分を呼び、足を引っ張ろうともかまわない。私は、そういう呼称など気にせず、自分の思うような政治の道を歩むだけだ」という本筋を、「タカ派、ハト派という言葉の解釈」にズラして責めようとしている。なんともお粗末だ。小泉首相憎しから、宅間に対する「死刑は当然だと思う」発言に三権分立をわめきたてて誹謗したのと同じ手法になる。それしかイチャモンのつけようがない。もっとも真っ正面から、「あんたは拉致被害はでっちあげだって言ってたよね」と指摘されたら何も言えなくなる。残っているもんな、文章で。社民党のドイと同じ感覚だ。なぜ社民党に属さなかったのか。
 思えば、たった半年での議員辞任はうまい方法だった。あのままでいたら身動きできないところに追いつめられたろう。さすがに逃げ出すのは未だに機を見るに敏である。タレントとしての動物的本能なんだろうな。

 講談社はいつからこんなに狂ってしまったのだろう。たけしの「フライデー襲撃事件」からもう何年経つんだ?
03/10/8

週刊誌話──『Yomiuri Weekly』『週刊文春』『週刊新潮』


 最近、病院の待合室で『Yomiuri Weekly』を読むのが楽しみになっている。
 巻頭でヤマタクこと山崎拓自民党副総裁特集。恥ずかしながらヤマタクが小学校四年で失明して片目だと今まで知らなかった。防衛庁長官の頃から名を覚えたが小泉政権で幹事長をやるまで興味のない政治家だった。今も魅力は感じていない。
 地元で開かれた励ます会は三千人を超す盛況。瀬戸際だから必死だ。そこで「山崎さんは日本の政治になくてはならない大切な人。落選させてはならない」と熱弁をふるったのは東京から駆けつけて司会進行を担当した田原総一郎なんだと。この人、戦後民主主義のサヨクと毛嫌いしていたが、誰とでも寝るやすもんの電波芸者だったのかと認識をあらためる。過日の森前首相を中心にした講演会(「レイプする人はまだ元気があっていい」と発言した議員がいて問題になった会)での司会も田原だった。レイプ発言よりもそのことのほうが意外で印象的だった。テレ朝でのサヨク発言と普段日本全国でやって稼ぎまくっていることとの差がかなりある。日曜朝の「サンデープロジェクト」になんで自民党議員は出るんだろうと不思議だったが、これまた自民党と社会党がなれあいだったように(ケンカも出来レース)、裏じゃつながっていたのか。タレントに腹をたてちゃいかんなと自分をいましめる。

 ヤマタクは落選だろう。民主党から出る新人の古賀というテニスプレイヤに負ける。自民党は副総裁を比例区で拾うのか。落選の原因は『週刊文春』が延々とやり続けたあの愛人スキャンダルである。ショウベンを飲ませただの、中絶すればするほど味がよくなると何回も中絶させただの、母親とやらせろと迫っただのと気持ちの悪い性癖をこれでもかと報じられたなら女ならずとも敬遠したくなる。今回、女房と娘三人がヤマタクのために必死に選挙運動をしているとのこと。あんな報道をされていちばん辛かったのは奥さんだろう。娘も気の毒だ。
 閨房の中の出来事である。そこでどんな変態行為をしようとそれは当人達の問題だ。当人同士が納得していればそれは普通の行為になる。しゃべる女も狂っていれば大々的に報じるマスコミもあまりにゲスだ。そのゲスが『週刊文春』だったことが気分が悪い。

 先日、フランスのシラク大統領に日本人女との隠し子がいることが既定事実として伝えられた。この十数年に公務とは別に40回近く来日しているのだから、ただの親日家でないことは明らかだった。なのに今まで伏せられてきたのは、フランスには「政治家の性スキャンダルには触れないというマスコミの決まり事がある」からだとか。さすがにおとなの国である。
 そういう感覚はかつては日本にもあった。というか、そんなことは大事の前の小事でどうでもいいことだった。当然だ。清廉潔白であることが美しいわけではない。泥にまみれても突き進むブルドーザーが必要な時代もある。むしろそれが政治家の本道だろう。よく引き合いに出されるが、伊藤博文は、今で言うなら色魔、変態のたぐいだった。いい時代だったから業績を残せた。まっとうな政治面での能力を評価された。今だったらマスコミに抹殺されていたろう。
 気持ち悪いサヨクマスコミがのさばるまで、愛人のいない政治家のほうが珍しいぐらいだった。国を引っ張る気概を持つ男が女房の尻に敷かれていちゃ話になるん。カンのように。いやあいつも愛人はいたな。トノムラだっけ。いまカンをボロクソに言ってるらしいが。
 そんなどうでもいいことが政治生命を断ちかねない時代になった。いやな時代である。ヤマタクの性癖は男から見ても気持ち悪くなるものだが、だからといってそれで政治家の座を追われるってのも筋が違う。
 『週刊文春』を使ったヤマタクへのスキャンダル仕掛け人は小泉政権憎しのノナカヒロムだった。現在の『週刊文春』編集長・木俣は京都出身で、父の代からのノナカの子分になる。

 ノナカと言えば──ああ、時の経つのが速すぎる、先週号の記事について書こうと思っていたら書かない内にもう今週号が出ている──彼が被差別部落出身であることは有名だった。活字になったことはない。最大のタブーだった。ところが先週号の『週刊新潮』にそれが何度も活字で登場する。あれにはおどろいた。初めてヘアヌードとやらが解禁されメジャな週刊誌上で見たときと同質のおどろきだ。まさか週刊誌上で最大権力をもった政治家の出自として部落なんてことばを見るとは。
 トリックは簡単だ。ノナカ本人が発言したからである。それの再録という形を取っているから罪悪感のないまま掲載できる。ネタは二発。

 一発目はヤマタク攻撃。ヤマタクがれいの下半身事情で「自分を告発した愛人と名乗る女は部落出身であり、自分のスキャンダルを載せたらそのことが公になり困ったことになるぞ」と『週刊文春』編集部を脅したのだとか。それが問題ありとの指摘だ。この女はそうではないと確認されたというから、ヤマタクもどんな汚い手段を使おうと掲載をやめさせたかったのだろう。愚かだ。それは「部落」と呼ばれるバクダンがそれだけ効果があるということでもある。
 もう一発は麻生太郎攻撃。なんでも自派の会合で、ノナカが、「麻生太郎が、部落出身のノナカに政権は任せられないと何度も発言していることは差別発言であり許せない」と激昂したとか。場は凍り付いたらしい。そりゃそうだろう。麻生は、発言の事実はないと文書で返事したと書いてある。
 そういうやりとりの再録だから部落の文字も掲載が可能だった。現政権を揺さぶるために、自らのタブーとされる出自まで武器に使う、まさにノナカの最後っ屁攻撃、自爆テロである。毒まんじゅうを撒き散らしているのはノナカ本人だ。だがその効果はあるまい。せいぜいヤマタクの落選ぐらいだ。それも比例区で拾ってしまえばそれで終りである。
 ノナカヒロムという政治家の終焉は自民党の恫喝型政治が過去形になるということだ。めでたいことである。

 そのノナカ師匠から恫喝型政治を受け継いだムネオちゃんはどうするのか。マツヤマチハルと新党結成との噂。比例区で20万病(←すごい変換だ)取れるのか。"北海のヒグマ"中川一郎の怪死から二十年。跡目争いの確執はどろどろしたものだったが、中川昭一と鈴木宗男の今を見れば、勝負あったか。

 もどって『Yomiuri Weekly』の話。
手紙の中の日本人」という連載はすばらしい。今回は「山本周五郎から、東北の作家・大池唯雄への追伸」。いやあいい内容だった。今回で74回だったか。もう本になっているだろうな。買って読みたい。いい企画だ。こういう良質のものにふれるとうれしくなる。
『週刊文春』でかつての好企画「待ってました、定年」をやっていた加藤仁さんがここにいたのもうれしかった。この「待ってました定年」に出てくるタイの話は美しい。

 町田康のエッセイを何度も読もうと試みているのだが、20行ほど読んだだけでつらくなって毎回投げてしまう。芥川賞受賞作の「ぐっすん大黒」もそうだった。読み切っていない。
 受賞作が掲載された『文藝春秋』で、あたらしい感覚と絶賛する銓衡委員の中、宮本輝が「読んでいると気分が悪くなる」と最後まで大反対し、受賞作と同時に掲載された銓衡評でも信じられないほど激しい言葉でこの作品を否定していたのは記憶に新しい。前代未聞の銓衡評だった。直木賞銓衡評でヤマグチヒトミがわがままなことをよく言っていたものだが、ここまで激しくはなかった。私なんか、この宮本の激しい否定のことばで興味を持って読んだのだった。でなきゃ受賞したばかりの芥川賞受賞作を即行で読むことはない。
 どうやら彼は、熱愛するファンと、生理的に受けつけないタイプに分かれるかなり個性的な書き手のようだ。同じく連載中の室井佑月のものなど楽しく読めるのだから根は深い。ひとことで言えばリズムになる。私は彼の文章を読んでいるとズッコケテしまうのだ。ほんの20行のあいだに何度もつっかかって不快な目に遭えば読む気はなくなる。道路にたとえるなら、20メートルほど歩くあいだに何度もけつまずくような道は散歩する気になれない。彼のファンには私がズッコケル不愉快な部分が快感なのだろう。盆踊りに乗れないブラジル人とサンバについてゆけない日本人ノヨウナ差か。どうしようもない隔たりだ。今となっては否定していた宮本輝に救われる。私は宮本的なんだと自分を納得させられる。あれがなかったら町田康を楽しめない自分にすこしばかり落ち込んだかもしれない。

 今週の『週刊文春』。阿川佐和子の対談に登場するのは義家弘介。あの退学高校生を受け入れて再生させることで話題になった北海道余市の高校(私立北星学園)の出身者であり、現在そこで教師をしている人だ。阿川が対談中、三度も泣いたなんて目次に書いてあるからやばいなと思いつつ読んだが、立ち読みのコンビニで泣いてしまった。周囲を伺いつつ涙を拭く。日本も捨てたもんじゃないと思えるのは心の救いになる。
 ここと高島さんの『お言葉ですが…』を立ち読みしたら読むところがない。『週刊文春』はなんでこんなことになってしまったのか。おそろしい。かなしい。ある意味、誰が権力を握ろうとそれをボロクソに言うのだけを売り物にしている講談社系はどうでもいいのだが(もしも民主党が政権を取ったら今度はそれの悪口を売り物にするだろう。かつて権力者だった小沢一郎をあれだけボロクソに書いていて今はもちあげているのが笑える))、『週刊文春』のこの変節だけは容認しがたい。編集長ひとりの感覚で、ここまで変節するものだろうか。変節というより堕落か。下卑た女性週刊誌のようになってしまったことが「疑惑の銃弾」の頃から愛読してきた身にはなんともかなしい。
03/10/19

Jazzのうんちく本&と学会
 クリフォード・ブラウンのCDを買おうと思っていたからなのかどうか、いつもの郊外型大型本屋で寺島靖國さんの本を手にした。『Jazzはこの一曲から聴け!』。この手の本は山ほど持っているので興味は薄い。なのに思わず読み込んだのは今までの本と寺島さんが傾向を変えていたから。そりゃまあ毎度おなじみのテーマで何冊も書いているのだから変えざるを得まい(笑)。
 ここで取り上げているCDがあたらしいのである。ミュージシャンも曲もスタンダードではない。ぼくはJazzファンとしてほんの十数年さして熱心でもなく、とりとめもなく聴いているだけだから詳しくはない。最近のものを知らない。M先輩の事務所にももう何年もCDをもらいに行っていないし、毎月雑誌を読んでニュースを集めるわけでもない。Jazz Musicの昨今に疎い。それでもこの十年の間、M先輩からもらったCDで、いわゆる名盤ではなく、初めて名を聴くミュージシャンのものをけっこう聴いていた。それらから何曲かが取り上げられている。ふんふんとうなづきつつ読んだ。

 それで知ったのだが、上記クリフォード・ブラウンを賛美し、同じく今の天才トランペッター、ブラウニーを尊敬しているウイントンの名を出しているのだが、これ、Jazzマニアの間じゃタブーらしい。つまり、ブラウニーが天才肌の真にすばらしいトランペッターであるのに対し、マルサリスはテクニックはあるが心のこもっていない単なる優等生のような扱いらしいのだ。日本のJazzファンの間では。なんともいやんなる話だ。長年プロレスを愛好してきて最もいやだったのは新日ファンと全日ファンの罵り合いだった。もちろん圧倒的に新日ファンがたちが悪い。唯我獨尊の猪木崇拝教だ。Jazzもなあ、当然それはあるだろう。寺島さんは、ブラウニーが天才であることはもちろん認めるが日本でのマルサリスの不当な評価にいらだっているらしい。そういうつまらんやつらの世界には関わらないようにしよう。新日オタクと親しくしないのと同じように。

 もう一冊、隣に並んでいたのが『聴かずに死ねるか! Jazzこの一曲』。なんかこの種のものは相変わらずすごいタイトルだ(笑)。聴かずに死ねるけどな。恥ずかしくなる。ただこれは寺島さんじゃなくて編集者が一連のタイトルとしてつけているのだと思うけれど。
 この二冊だけかと思っていたが、いまネットで調べたら、なんと寺島さん、講談社α新書だけでも同種のものを五冊も出している。いや違うか、この二冊がそれで、あとの三冊は「講談社プラスアルファ文庫」だって。ずいぶんと紛らわしい。もちろんこの二冊は立ち読み。買いたかったけど講談社の本は買わないと決めたので貫く。本誌の月刊現代から週刊、日刊、その論調がすべて気に入らない。ぼくからすると唾棄すべき亡国の徒になる。気弱オヤジに出来るのはその出版社の本を買わないってことぐらいだ。それしか出来ないからこそ徹底する。


 代わりに買ったのが「と学会年鑑 Blue」。太田出版。とほほ本の話を集めた本。好きなんですわ、とほほ本も、それを笑うこの本も。
 このBlueってタイトルはすっとぼけてていいなあ。
 ここで芥川賞作家・畑山博さんが書いた『地上星座学への招待』なる本の存在を知る。これには学会の本を読んでいて思わず含み笑いしてしまった。日本の湖、たとえば富士五湖やその周辺のものを繋いで、その形が何々座だとやっているのだが、おかしいのは形を整えるためにダム湖まで入っていること。こりゃぜひ「まじめなとんでも本」だから読まねばと探したが、その本屋にはなかった。NHK生活人新書。NHKはおおいに問題ありだが、まともな部分も評価しているので講談社のように絶交(?)はしていない。
 ないので隣にあった「万葉に見る 男の裏切り・女の嫉妬」ってのを買ってきた。きっと読まないだろう。「勉強せねば」と思って買ってきては読まない本がこれまた山とある。これもきっとその一冊になりそうだ。だいたいがこの齢になって百人一首もろくに知らないってのは致命的にそういうものに興味がないのだろう。もう間に合わん。と思いつつもよくこんな本を買ってきている。
03/10/23


巨頭会談──ビートたけし


 『新潮45+』で、小泉首相とたけしの対談に関する感想をこの『作業記録』に書いたのはいつだったろう。《日々の雑記帳》にまとめるときは、そこの文もこの項と一緒にまとめることにしよう。
 それらが一冊の本になった。表紙は小泉さんとたけしの握手の写真。
 どの章もみなおもしろいが、さすがにたけしの得手不得手で些少の差は出る。
 たとえば金田正一とのものは、名球会と自身のチームで対戦したりしているし、彼が野球少年だったから、充実していてすばらしい。
 一方、将棋の羽生とのものは、彼は将棋マニアではないし、ぼくが詳しいこともあって物足りない出来になっている。
 相撲の北の湖理事長の場合はひどい。たけしは相撲がわかっていない。部屋別という相撲の組織のすばらしさがわからず、統一してひとつにしたらどうかと的はずれな提案をして言下に否定されたりしている。仕切の間合いの楽しさも知らず、「あんなに待たされてすぐに勝負が終っちゃうからつまらない」と相撲を理解できない自分を見せてしまっている。ただし頭はいいから、「好きな人にはそれがたまらないんだろうけど」と上手にフォローはしているが。新理事長誕生ということでタイムリーな企画として立てられたのだろうが、むしろ対談としてはまだ売れてないたけしが熱心にテレビを見ていた時代の大鵬とでもやったほうがよりよい内容になったろう。

 北の湖が「新しい国技館で連敗して引退した」と語っている。北の湖って両国で相撲取ったのか? 昭和61年に? あとで調べてみよう。あれ、このとき新国技館に行ったんじゃなかったか。父と一緒に。たいへんなボケ具合だ。いや、徹夜で並んで買った券を父にプレゼントしてぼくは行かなかったのかな。それで、会場入り口でNHKが入場してくる相撲ファンにインタヴュウして、それにいきなり父が出たのでおどろいたときか? たしかあれが両国のオープンだと思う。するとあれが北の湖引退だったのか。困ったね、このいいかげんさには。

 部落解放同盟委員長との対談はおもしろい。これはぼくのほうにまったく知識も体験もないから興味深い。たけしは「川向こう」といって差別されていた足立の育ちだからうまく話がかみ合っている。同和なる政治用語が、同胞一和、同情融和の略とか、豆知識もつまっている。
 最近のたけしの「語り下ろし」の本はつまらないので、ひさしぶりに楽しめた。

03/11/14
「奪還」──蓮池透


 遅ればせながら蓮池兄さんの「奪還」を読む。押さえ気味の文章の中に、北朝鮮への、そしてそれと同じぐらい自分の国の政治家への怒りが伝わってきて胸が痛くなった。
 ぼくが拉致被害者の会の方々を実際に見たのは、妻に関する書類そろえで苦労していた当時、外務省前での座り込みだった。それが事を荒立てまいと目立つような抗議行動をしなかった彼らが、このままではなにも始まらないと決意して実践した初めての示威行動だったのだとこの本で知る。三年ほど前だろうか。貴重な瞬間に立ち会ったことになる。
 ただし、日本中がこの問題で急速に動き始めたのは昨年九月の小泉訪朝からだった。このときのぼくはがんばってくださいと声をかけただけで北朝鮮の悪辣さを真に理解してはいなかった。多くの人が過ちを犯している。たとえばイトウセイコウは「拉致問題ね、あれ、デマなんですよ。よく出来た話でしょ」と週刊誌に書いてしまっている。だいぶ前だけれど、被害者の人たちはその悔しさを忘れていない。(そんなことはこの本では触れられていないけれどね。)
 今となってはあまりに愚かなことであるけれど、「北朝鮮が日本人を拉致する」というあまりに突拍子もないことの整合性が理解できず、それが一種の「とんでも話」のような形で存在していたのも確かなのである。

 小泉首相の訪朝とその結果を批判する人がいる。パフォーマンスであるとか、あれにサインしてしまったのは失敗だったとかいろいろある。だがあれがなければ動き始めなかった。たった五人ではあるが帰ってくることはなかった。日本中がこの問題を正しく認識することはなかった。「拉致問題などデマだ。あり得ない」と言っていたドイタカコの落選、被害者の会の側にいながら北朝鮮でそれこそ"毒まんじゅう"を食らってコロっと北朝鮮側に寝返った中山正輝の引退(息子が受かったが)、毎年欠かさずキムイルソン、キムジョンイルの誕生日に出席していたノナカヒロムの引退等は実現しなかった。かつてそれをした人はいなかったのである。小泉さんが首相として新しい水路を造れる人であるかどうかは未定だが、古い水路のドブ掃除をした功績は計り知れない。

 言葉を抑えているからこそ、ナカヤママサアキ(中山正輝)の裏切り、ノナカヒロムのサヨク性、タナカマキコの無神経、山本イチタの変節等に対する怒りがストレートに伝わってくる。ほめ言葉もまた抑えているが、安倍晋三、中山参与に対する信頼が伝わってくる。
 帰国してからもう一年以上たったが、肝腎の部分に関しては蓮池透さんが兄にすらまだ語っていないことが多いことを知る。二十四年の闇に包まれた傷は深い。つい先日テレビで、蓮池夫妻が拉致された時の情況を初めて語っていた。

 私はいつもこういうものを読むと考え込んでしまう。自分が被害者だったらどうなったか。被害者の家族だったら彼らと同じだけの行動が出来たかと。
 そんな感傷に浸っているときではない。この問題はまだ未解決なのだ。それは五家族の子供たちが帰国して終ることではない。百人以上いるであろう北朝鮮拉致被害のほんの一部でしかないのだから。

 附記・拉致被害者が四百人以上いると言われている韓国ももっと本気で取り組むべきと歯がゆい。昨今の韓国政治を見ると、あらためて金大中の罪の重さを知る。このサヨクバカの太陽政策なる人気取り(キムジョンイルと握手するシーンを演出するために多額の金を北朝鮮に払っている)で解決すべき問題が遠ざかってしまった。最近日本のニュース番組でもたびたび発言している金泳三元大統領(日本語が上手だ)の指摘が的を射ている。金大中とそれに続く盧武鉉(ノ・ムヒョン)の北へのへこへこ政策は韓国をおかしくした。韓国の人々も目覚めて欲しいものだ。

03/11/30

「教養が試される341語」(谷沢永一 幻冬社1400円)


 物書き業を始めた二十代後半のころはこういう本をずいぶんと読んだものだった。そんなことすっかり忘れていたのだが東京からもってきた本に異様に多いので、ああそうだったと思い出した。ミスを犯すことが怖かったのだろう。それはそれで正しい姿勢だ。今はぜんぜん読まなくなった。それは実力がついたのではなく(それも多少はあるだろうが)、ミスをしない智慧を身につけたからだ。言い換えてしまうのである。あやういことはしない。すこしでもそう感じたら調べる。あやういものをキャッチする感覚だけは鋭敏になっている。小ずるくなったのか。

 ひさしぶりに買った。立ち読みしていたらいくつか気になるものがあったからだ。そんなもののひとつ。「やおら」。「やおら立ち上がった」を「突如として激しい勢いで立ち上がった」の意に用いる誤用があるとか。わかる気がする。やおらは、正しくは、
やおら ヤヲラ
□副□そろそろ。おもむろに。しずかに。やわら。源空蝉「―起き出でて」。「―立ち上がる」
(『広辞苑』)
 のように、「静かに」なんだよね。この原因はなんだろう。「やたらに」の「やたら」とかの音の影響だろうか。母音がA.O.Aで元気のいいのも関係あるだろう。

 それで思い出したのが「なしくずし」。これは学生時代の思い出だ。誤用している友人がいた。「くずし」があるからか、ずるずると、だらしなく崩れてゆくように思われている。でも、
なし‐くずし【済し崩し】‥クヅシ
□借金を少しずつ返却すること。元禄大平記「―の借銭」
□物事を少しずつすましてゆくこと。「―に既成事実ができ上がる」
(『広辞苑』)
 きちんと、すこしずつ、であり、だらしないの意味はない。これはなんだっけ、何年か前のテレ東の古館の番組「クイズ赤っ恥青っ恥」だったかに出題されていたことがあった。

 著者の谷沢さんは「つくる会」の藤岡教授と犬猿の仲らしく、オピニオン誌で激しくやりあっている。どっちがどうなのかぼくはよくわかっていない。どっちも正しいように思えるし……。もうすこし勉強したら、どちら側かはっきりするだろう。
12/7
「七十の手習ひ」──阿川弘之
 ぼくは阿川さんの読者ではなかった。代表的ないくつかの戦記物を読んだだけだった。
 熱心に読むようになったのは近年である。オピニオン誌において真っ当な日本人としての意見を辛口で書いてくださっていることを尊敬したのが始まりだった。高島俊男さんが心酔していると知って益々熱心になった。勉強を初めて見ると、海軍出身の阿川さんの作品や戦争への切り口に対し、反発する陸軍出身者もいるのだと知った。あれこれ奥が深い。
 この随筆集はいくつかの文芸誌に書いたものを編んでいる。

 印象に残った作品は、まず吉行淳之介との四十年の交友をつづったもの。吉行さんの作品を読むようになったのも、知り合いの作家の吉川良さんが「ひとりだけ選ぶとしたら吉行」と言ったことが大きい。理由はどうであれ読書範囲が広がるのは楽しくていい。
 阿川さんは五十三歳の時に子供ができたとき。名前は「五十三(いそみ?)」にしろと吉行さんに言われていたが、淳之介の淳とご自分の弘之の之で「淳之」とつけられたとか。しばらくしてから、ようく考えるとそれは「淳之介」から「介」を取っただけと気づいたなんて書かれている(笑)。佐和子さんにはだいぶ齢の離れた弟がいるのか。知らなかった。(いま年表で調べてみたら佐和子さんとは二十歳違うようだ。長男が尚之、次男が知之と"之"の字を与えているらしい>)

 誰もに愛され好かれた吉行さんだがじつは親友の阿川さんにだけはとんでもなく口が悪く傷つけるようなひどいことを言っていたのだとか。「俺の前でばかり威張らず他のヤツにも言ってみろ」というと「怖くて言えない」と応えたとか。これは阿川さんにしか書けない吉行さんの一面だろう。毎日昼日中から二人で花札を引いていて、大きな出来事のあったことを思い出すと、「あのときも吉行と花を引いていた」と繋がると書いている。そういう記憶ってある。
 吉行さんはお通夜も葬式もやらなかったとか。肉親を覗くと最後に立ち会った友人は阿川さん一人である。いまも元気な吉行さんのご母堂・あぐりさんの割り切りがすごい。これはちょうど慎太郎さんの『弟』で、やはり裕次郎さんをなくすお母さんの割り切りを読んだばかりだったので重く感じた。おなかを痛めてうんだ母親は、「あ、このこはもういってしまうんだな」と悲しい決断をすると、割合あっさりするようである。かわいい盛りだったりしたら形は変ってくるだろうが。

 もうひとつ記憶に残ったのが車谷長吉さんのことを書いていた章。「戦後の教育を受けた者から、ここまで書ける人が現れたか」と大絶賛に近い。阿川さんは敗戦国の教育指針を否定している。あの教育の中からここまでそれ以前の作品と同じレヴェルものを書けるだけの人材が育ったかと感銘しているのだ。
 絶賛していた作品は「鹽壺の匙」。田舎の図書館にあるはずもない。別項で書いているがヤマダクニコの本は全冊揃っていたりする。二十年かかって編んだ一冊という。「私(わたくし)小説」のようだ。阿川さんは私小説の大家・志賀直哉の最後の弟子である。その立場からも納得できる作品なのだろう。車谷さんは直木賞作家だから、どうしてもそちらの色(=娯楽色)で見ていたが、どうやらそうではないらしい。そのうちぜひ読まねばと思った。

 車谷さんで思い出すのは、高島俊男さんの書かれていた「併し」だ。なんでも車谷さんの作品には頻繁に登場するらしく、その使用法、漢字を当てはめることを読者から尋ねられた高島さんが、「しかし」の本来の意を説明し、それがなぜ「併し」と書かれるようになったかを説き、結論として「あまり"併し"とは書かないほうがよろしい」となっていた。
 それを読んだとき手近にあった車谷さんの作品を読んだのだが、たしかにあまりに「併し」が乱発され──数行に一度で出てくる──私にはどうにも取っつきにくいのだった。

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