2002
3/13 「わが人生の時の人々」石原慎太郎(02/3/13)



 石原慎太郎さんの「人生の時の人々」に関し、『日刊ゲンダイ』の読書欄で、江波戸哲夫さんが「この本を読み、石原さんの人生を振り返ると、作家や政治家以前に、この人はスターだったのだと思う」と書いていた。まこと御意である。

 読みすすみながら、三島由紀夫から力道山に至るまで、石原さんという類い希な人の「スター交友録」に触れているような気がした。最も印象的だったのは、あの傲慢な石原さんが、「幸運にも若くして世に出ることが出来たので、本来なら会うことの出来ないような人たちとも会えたのは感謝してもしきれない」というようなことを何度も何度も語っていることだった。ともすればそれは若くして世に出た人の自己アピールになってしまう危険性もあり、石原さんのあの性格だから十分にその可能性もあったが、そうではなく、素直な真情の吐露であることがすんなりと理解できた。まあ石原さんを嫌いな人はそれでもそういう言いかたをして否定するだろうが。

 若くして世に出る努力をいっさいせず、むしろ筒井康隆さんの「三十代で作家になるのは早すぎた。四十代まで待てばよかった」を信奉してきた身としては、本来なら四十過ぎでなければお目通り叶わず、その年になったときはもう鬼籍の人になっていたはずの人と、学生時代に芥川賞作家となることにより、二十代前半で交友をもてた石原さんの人生に、ため息が出るだけだった。

 三島由紀夫のどんなに良くできた伝記よりも、現実に彼とつきあい、ボクシングに傾倒し、ボディビルという筋肉に魅せられることによって幻想をふくらましてゆく過程の描写は、淡々としているからこそ惹きこまれる。スパーリングデビューの日の話と息切れするその実態は、三島という天才作家と虚弱な体力の隙間が見えてものがなしい。どんなに富と名声を得ても小男という劣等感から逃れられなかった三島の虚勢は今も昔も変わらぬフツーの男の姿だ。
 江波戸さんとももう十年以上会っていない。最後に会ったのは野村進さんたちとの飲み会だった。みんな得意分野を持ち一国一城の主となっている。私もがんばろう。



 慎太郎さんのプロレス観(03/7/18)

わが人生の時の人々」を読み直した。
 その中で、慎太郎さんがその並はずれた体力ということで、プロレスラをすなおに畏敬しているのが気分がよかった。
 慎太郎さんはボクシングに深く関わった人である。文中にもボクシングへの熱い思いと──拳闘と古式に書いているが──どんな競技よりも苛酷なんだと、関係者としての誇りが横溢している。アマチュアをスカウトしてプロにしたりとか本格的に関わっていたらしい。まあ時代的にも復興途上の日本にとってボクシングとは希望の星だった。今とは熱さが違う。

 こういう人はえてしてアンチプロレスになりやすい。三島由紀夫のボクシングへの傾倒と彼のデビュー戦(練習試合?)の様子も事細かに書かれている。たぶん三島はアンチプロレスだったろう。後楽園の四回戦を好んだ寺山修司もそうである。ボクシングが真摯なものであればあるほどそれに傾倒した人は、プロレスを大男たちの猿芝居と軽蔑する傾向が強い。

 慎太郎さんもまともだったらそうなったはずである。
 ところがこの人は作家である以前にスターであるから各業界のいろんな人と親しくなってしまう。なんといってもうらやましいのは政財界の重鎮との交友だ。そこには国を思い、国を憂える本物の国士がいる。いい時代だったと思う。文中にあるが、むかしの経済人は、話していても必ず最後には「これからの我が国は」と出てきたという。それが最近の人は「我が社は」としか出てこないそうだ。小粒になっている。

 力道山とも親しくなる。唇から血を流しつつ力道山がコップを食ってみせるようなパフォーマンスににはうんざりするが、連れの女性をからかわれたとき、お付きで来ていた遠藤幸吉や若手がヤクザのキャデラックをあっという間にひっくり返してしまう場面を現実に見たりしているから、彼らの肉体にすなおに驚嘆しているのである。
 プロレスに対してやさしいのは、そういう時代を自分のものにして生きてきたことと、役者はもちろん映画監督もつとめてきた芝居好きの面からも来ているだろう。

 と書くと、三島も寺山も芝居好き、映画好きではないかとなる。
 違いは肉体にある。三島は貧弱な肉体だった。寺山も病弱であり東北出身の引け目を負っていた。二人の業績は肉体的コンプレックス抜きには語れないだろう。対して慎太郎さんは神戸生まれのヨットマンである。テニスもうまい。偉丈夫だ。貧弱な肉体の持ち主は、プロレスラ的な存在にあこがれるか、否定するかが極端になる。否定の奥底には憧憬もあろう。
 慎太郎さんは自分がスポーツマンであり身体的に恵まれていて、鍛え上げられたアスリートの強靱さを知っているから、やっていることが勧善懲悪の紙芝居的なものであれ(あるいはそれはプラスに作用したか)、それとは関係なくプロレスラを認められたのである。

 そういう分析以前に、慎太郎さんは単純明快に格闘技が好きなのだというのが正解かもしれない。
 新団体のキックボクシング・コミッショナーに就任し、既存の団体のエースである沢村忠をフェイクと言い切り(実際そうだったけど)、自分たちの団体が売り出そうとしている元ボクシング世界チャンピオン西城正三がキックチャンプの藤原敏男に惨敗する裏話も披露している。テレビ局は西城を沢村的なスターに仕上げようとしたが慎太郎さんがガチンコ路線を主張し、藤原以下の選手に感謝されたとか。事実であろうがこの辺がかっこよすぎると反感を持つ人もいるのだろう。

 この試合はテレビで見たが印象的な一戦だった。慎太郎さんの奨励に藤原は「ボクシングだけで勝って見せます」とキックを封印したのだ。そんなことは知らないからテレビで見ていたら藤原がキックを使わない。なんでなんだと疑問を持つ。3ラウンドだったか、いきなりローキックを出して数発当てたらら西城はいきなり戦意喪失、タオル投入となった。後の高田がバービックを試合放棄に追い込む試合と似ている。これも慎太郎さんがセコンドに行き、「キックを出せ、これはコミッショナー命令だ」と言ったら、藤原がニヤっと笑って実行したとか。だからかっこよすぎるんだって。
 そう思うと猪木に蹴られ、試合後血栓症で三ヶ月も入院するはめになりながら、なんのかんの言おうと15ラウンド戦い抜いたアリはたいしたもんである。なお文中では沢村はST、西城はSSと名は伏せられている。

 それと、こういうこともちいさいことだが重要だからきちんと書いておこう。テレビ局はインチキで西城をあたらしいキックのスターに仕上げようとしたが西城側はそれを拒み、これは正真正銘の両者納得した真剣試合だったということである。
 西城側はムエタイのすごみを知らなかったのであろう。知っていても「日本のキックボクシング」の認識しかなかったから、ボクシングの世界チャンピオンが負けるはずがないと思っていたのだろう。実際あのまま藤原がボクシングだけで勝負していったらどうなったかわからない。ボクサーがキックポクサーと闘うのは異種格闘技戦になる。意味のないことである。蹴られることを想定してそれから逃げたり防御したりの技術を最初から練習していないのだから試合にならない。この件に関して責められるものがあるとしたら、真のムエタイのすごみに関する認識不足であろうか。藤原という日本人初のムエタイ・チャンピオンもまた、極真最強という思いこみの強かった黒崎健時がムエタイに惨敗した悔しさから作り出した傑作だった。

 こういう形の本で、プロレスファンが不快にならず読めるものは珍しい。もう文庫になっているはずだからプロレス好きは読んでみてください。



附記1
 寺山の項で、慎太郎さんが東北弁が好きだというと寺山は都会人にバカにされたのかとむっとしてしまう。そうではなく本当に好きなのだと慎太郎さんが自分なりに東北弁をしゃべって真情を伝える。時間がかかったがそれが心底からの本音であると伝わると、寺山は一転してうれしそうに、本物の東北弁を話しだし、その魅力を語り合ったという。いい話だ。東北弁は美しい。ズーズー弁という形で笑いものにした初期のテレビをぼくは当時から嫌っていた。タモリが「東北弁とフランス語は似ている」なんてネタをやりだしたころから次第に時代は変っていった。いいことである。

附記2
 国鉄スワローズのエース、在日の英雄・金田正一との親しい交友も書かれていて、こういうのを読めば慎太郎さんの「三国人発言」が、三国人という呼称の発生うんぬんから来ていて(支那人と同じ。本来差別用語ではない)、いわゆる「鮮人」のような明らかな差別用語とは無関係であることがよくわかる。それはまあ常識的にはわかっていた。朝日が大騒ぎしただけだ。

 石原、江藤淳オーエケンザブロー開高健というほぼ同期の仲良し四人が、次第に思想的な背景から不仲になってゆく課程も興味深い。大江の壊れた心にあきれる。ほんとあいつのノーベル賞受賞講演(受賞演説)はひどかった。ヨーロッパまで出かけて日本の悪口を言っている。ああいうのを国賊という。

 慎太郎さんと自殺する直前までの江藤さんとの親交がいい。江藤さんは最愛の夫人に先立たれ後追い自殺するのだが、その直前「子供がいなくてほんとによかった。もしもいたならもっともっとたいへんだった(=妻のいなくなった悲しみが何倍にもなって)」のようなことを言っていたらしく、それに対して慎太郎さんは「子供がいたら死にたいなどと思うものか」と言っているがまことにその通りであろう。当然孫にも恵まれていたろうからそうしたら妻の後追い自殺の感覚は芽生えなかったと思う。言論人として尊敬していた人だけにあまりにあっけない幕切れだった。

 ニクソン大統領(慎太郎さんはニクスンと表記)との交流、岸、佐藤総理大臣との交流なども抜群のおもしろさである。しかし考えてみるとこの二人は兄弟で日本の総理大臣をやっているのだ。兄は安保その他で、弟は沖縄返還その他で、ともに大きな功績を残している。すごい兄弟である。この時期に現行の敗戦国憲法を破棄できていたら今の腐った日本はなかった。お二人とも天国で歯がみしていることだろう。

 この本に対する批判で、著者ばかりがええかっこしいというのがあることは知っている。某登場人物が「あそこではこう書かれているが事実はこうだ」と反論した意見も読んだ。しかしそれは当然であろう。だって著者が主人公なのだから自分に都合のいいように書く。世の中そんなものである(笑)。それを割り引いても、日本のいちばんいい時代を生きた人の実録ものとして楽しめる。敗戦国が復興する青年期に、自分も青年として一緒に生きられた人の充実感が充ち満ちている。「ほんとうにいい時代に生きられた。恵まれていた」とすっきりと言い切られると、戦後民主主義に毒された中でもがき苦しんできた当方はうらやましいとしか言いようがない。そしてまた、今の子供たちの不幸を思うと胸が痛い。ぼくは本を読み返すことなど滅多にないのだが、なぜか突如思いつきでやって(本棚の整理をしたからだろう)、とてもよかったと言える数少ない経験になった。
3/15
 勇気凛々ルリの色(02/3/15)

浅田次郎さんのエッセイ集「勇気凛々ルリの色」シリーズをまとめて買ってきた。次の旅行の時にでももって行こうと思っている。ほとんどは「週刊現代」に連載されていた当時に読んでいるが、パラっとめくったら、未読のものがあり、そのひとつを読んでいたら以前から思っていたなんとしても書きたくてならないことがまたむくむくと沸き上がってきた。書いておこう。

 それは「浅田さんの描く中国人は美しすぎる」ということである。「蒼穹の昴」や「珍妃の井戸」を出すまでもなく−−ああいう作品よりももっと端的なのは「ラブレター」のような短篇だ−−浅田さんは中国という国、中国人という人々を、すべての面において美しく描きすぎる。たぶんその原因は、小説家を志した幼年のころから中国文学に親しみ、心の中で理想的な中華世界というものを育ててきたからだろう。小説家としてはよいことである。だが一人の節度ある日本人としてはどうなのか。黒柳徹子が発展途上国の子供たちをすべてお目目キラキラの汚れなき存在にするように、アグネス・チャンが自分の訪れた国の人はみんないい人にしてしまうように、その程度の判断とかわりないレヴェルだ。

 もしも浅田さんが二十代の時に中国個人旅行をし、下川祐治的に中国の人々と直に触れていたらどうなっていただろう。下手をするとあの名作「蒼穹の昴」すら生まれなくなったのではないか。小説家となってからいかに訪中しようとも、高名な小説家先生であり、しかも親中国的なのはあちらも熟知しているからもてなしてくれるし、通訳を雇っての多忙な旅だから、真の中国は見えてこない。触れれば触れるほどに「やっぱり中国はすばらしい国だ」になってしまう。
「ラブレター」や「まだ見ぬ妻へ」に出てくる中国人女性の美しさは、概念としての憧れの理想像だ。あんな美しい心と容姿の中国人女性はいない。もしかして私などの接することの出来ない高貴な人の中にはいまだ数少なく生存しているのかもしれないが、日本に売春出稼ぎに来てヤクザと偽装結婚するような女性に、あんなおしとやかで美しい心根の持ち主はいない。ぜえったいにいない。あれは浅田さんが妄想で作り上げた自分好みの中国人女性の理想像である。

 たまたまチラっと読んだ未読のエッセイとは、香港返還に関するものであった。白人列強国のアジアに対する傍若無人なふるまいに関しては私は浅田さんと同じ視点でいる。香港返還に関してイギリス側の傲慢な物言いが失礼なものであったことは間違いない。なにしろアヘン戦争が関わっている。そのことに対する浅田さんの怒りは同意できるのだが、その後の中国人民礼賛になってくると、そうかなあ、と思ってしまう。中国庶民の感覚に関して、私は浅田さんの好意的なものより、馳星周のほうを支持する。この辺、また書き足して一篇にしよう。


 以上を書いたのは水曜日。その後、折りある度に適当に4冊の文庫本を適当に読み流していたのだが、なんとぜんぜんおもしろくないのである。これには驚いた。その理由を考えてみる。ぼくは浅田さんのこの連載エッセイを、毎週楽しみにしていた。「週刊現代」連載中は購入すると真っ先に読んでいたものだ。なのになぜだろう。ご本人も文庫本のあとがきで、いま読んでも最高におもしろい、傑作だとまで言い切っているのに。

 答は浅田さんのあとがきから見つけた。そこで浅田さんは「エッセイなんてものがなんで一ジャンルを形成しているのかわからなかった」と枕草子や徒然草などを例に出して書き、結論として、「そういうなんということもないものがいいのだろう」とし、自分はもっと明確なものに踏み込んでみた、と。
 おもしろくないことの原因はそのことなのだろう。毎回きちんとした命題にしっかり踏み込んでいるから、かえって色あせるのが早いのである。なるほどなあ、これは新鮮な発見だった。今の時代、長くおもしろく読めるエッセイを書くのは、かえって焦点をボカしたほうがいいようだ。
5/25
 「本の雑誌」-椎名誠さんの思い出(02/5/25)



 初めて「本の雑誌」を買ったのは二十七歳の時だった。赤坂の企画会社に勤めていた。まだ「本の雑誌」は季刊で、椎名さんや目黒孝治さんが契約している本屋に手作業で運び込んでいた頃だ。偶然会社近くの赤坂の本屋が契約していて、バックナンバーもそろっていた。そのとき初めて知った雑誌だったが、気まぐれで買った一冊がおもしろく、バックナンバーもぜんぶ買い集めて読んだ。本のおもしろさはもちろんだが、若いときからの知り合いがみんなで集まってそんなことをしている企画性に、うらやましさを感じたものだった。私や友人も、コピーで私的通信を出していた頃だ。学生時代から続けてきたコンサートは途絶えがちになっていた。

 間もなく椎名さんはデビュー作であるスーパーエッセイ「さらば国分寺書店のオババ」でブレイクする。目黒さんも、藤代三郎の名で「戒厳令下のチンチロリン」でデビューする。椎名さんに初めて挨拶したのは、その数年後、FM東京のロビーだった。私は駆け出しの放送ライターをやっていた。後に自分の作品を藤代さんに褒めてもらったり文庫本の解説を書いてもらったりするようになるとは知るよしもない。

 甥の結婚式で感じたことを、自分なりに「結婚式考」としてまとめようと思っていたのだが、いつの間にか妙に腰が引けていた。基本として、ブライダル産業の意のままに、ベルトコンベア式で没個性の結婚式を挙げるあのシステムを吐き気をもよおすほど嫌っていることに変わりはない。キリスト教徒でもないのにキリスト教の教会で結婚式を挙げるなんてのは気違い沙汰だと思っている。
 そう思うと同時に、それが今現在の日本であり大多数の日本人にとってフツーのことであるなら、そのことに異を唱えても"村外れの狂人"でしかないのだろうとも達観(?)していた。いや達観じゃなくて諦観だな。

 ひさしぶりに椎名さんのエッセイを読んだら、そんな軟弱なことなどひとことも言わず、堂々と真っ正面から、ああいうものは薄気味悪い、大嫌いだと断言している。なんだか自分の弱気が恥ずかしくなり、力強い味方を得たような気がした。元気をもらった。(この「元気をもらった」は高島さん達が大嫌いな表現として挙げていた一例である。でもこんなときに使うと、やっぱり便利だな。)

 そしてまた、その「結婚式考」で自分も書こうと思っていた北海道の結婚式を、椎名さんも最もいい形ともちあげていたのでうれしくなってしまった。
 北海道は日本のアメリカだと私は考えている。因習にとらわれない(=とらわれるべき因習がない)明るさがある。椎名さんも指摘していて、私も大好きな北海道の結婚式の形に、「公民館のようなところを借りて、どやどやと人が集まってきて、わいわいと騒ぎ、飲み食いして解散してゆく」というのがある。椎名さんは日本の結婚式として、これがいちばんいいのではないかと書いている。私が思い出に残る楽しい結婚式の例として、文中で挙げていたのも、この北海道の形式だった。ニセモノ教会もニセモノ牧師もいない。信じてもいない宗教も関係ない。素朴であり、筋が通っている。

 先日購入した「わしズム」でも長谷川三千子さん(埼玉大教授)が、同じくあの教会の結婚式には寒気がすると嫌っていた。けっこう同じ感覚の人はいるのであって、わけしりふうに引く必要はないのだなと、今頃になって思っている。

 自分でもこの缺点はわかっている。例えば競馬などでも、大好きな馬がいて、勝って欲しいと願っているのに、「勝てないだろうなあ」と世間的に強いとされている馬を中心視したりする。すると好きな馬が見事にそれを破って勝ったりするのである。私は馬券を持っていない。こんなときほど自分が惨めになる時はない。そういう己の缺点を浮き彫りにして見せてくれるのがバクチの知られざる効用なのだが。

 椎名さんのエッセイからもらったような元気は、テレビはくれないものな。ワイドショーを見て、日本はもうダメだと死にたくなることはあっても。

 これは日本の外務省がダメだとかそういうことではなくて、コメンテイターだかなんだかの連中の発言に関してだ。外務省がダメなことに関しては腹立ちであり怒りである。怒りはまだ救いがある。一方、日本はもうダメだと死にたくなるのは、久米とか筑紫とか大和田漠とか波頭なんとかなどについてだ。あんなのがでかい顔してテレビを牛耳っていては……、とうんざりしてしまうのである。怒る元気が湧いてこない。

 読書量が増えているのはいいことだ。このままテレビとは縁を切りたい。
11/18

 『新ゴーマニズム宣言12-誰がためにポチは鳴く』


『SAPIO』を欠かさず購読しているので毎回読んでいるのだが単行本も買い揃えている。ぼくも「親米保守」ではないので頷ける点が多い。あの国は、広島、長崎、東京空襲等に代表される大量無差別殺人(その他、ヴェトナム、アフガン等)を平気でやるが、やられたことには敏感でもやったことには無頓着だ。なにが「パールハーバー以来の衝撃」だ。あんなもの事前にわかっていて日本への憎悪を燃え上がらせるために中古戦艦だけ並べてわざと受けたんじゃないか。パールハーバーで死んだアメリカ人は生け贄として見殺しにされたそのことに腹立つべきなのだ。それでいて原爆ドームを世界遺産に申請すると「負の遺産」だと反対する。自分だけが正義の典型である。

 アメリカの唯我獨尊の感覚に日本は従わされてきた。米を食わず小麦粉を食うように導かれたのもそれなら、金髪に染めてる若者もそれだ。戦後五十年とは、日本が日本人の誇りを捨て、アメリカ的になることだった。米兵にぶらさがるパンパン路線をひたすら突き進んできた。その基本が「二度とおれに逆らうんじゃねえぞ」と身動きできないように押しつけたあの憲法もどきだ。日本のサヨクというのは米帝打倒と言いつつそれを守ろうとする。


 それでも憲法改正の国民アンケートはもう三分の二が賛成らしいからそのうちなんとかなるだろう。社民党あたりの最後の悪あがきが今から目に浮かぶ。「いつも泣くのは女と子供」論理で世界に誇る平和憲法をウンヌン、軍靴の響きがウンヌンとやるのだろう。憲法なんてのは人間の作ったただの決め事であり、改正改悪を何度でも繰り返してゆくものなのだ。人間の作ったものだから完全なものなどないし、時代に合わせて手直ししてゆけばいいのである。改正のつもりが改悪だったらまた直せばいい。それだけのことなのだ。本来憲法なんてそういうものだ。同じ敗戦国でもドイツなんて戦後もう三十回以上手直ししている。
 ところが日本では、憲法は神聖なもの、触れてはならないものになっている。しかもそれが戦勝国の押しつけた憲法以前のゆがんだものなのだからお笑いだ。それでいて自衛隊問題に代表されるように「憲法の解釈以内であり違法ではない」などと奇妙なことをたくさんやっている。一度改正(サヨクは改悪と言う)したらとんでもないことになる、二度と元にはもどれないとサヨクは主張する。それこそ人間を信じていない愚かな感覚であろう。もしも憲法を改正したことが裏目に、世の中がどうしようもなく悪くなったなら、人間はより正しくしようと試みる。そういう気運が盛り上がる。そしてそれを実現する。「一度でも改悪してしまったら元には二度ともどれない。大変なことになる」という恐怖の押しつけこそが民主主義の敵なのだ。人間を信じられない人間ほど愚かなものはない。まあどんな形に変えようと今のかたわな憲法より悪くなるはずがないが。

 ここにあるのも俗に「零戦の思想」と言われる日本人獨自の感覚だろう。白人は新しいものを作ろうとしたら、その能力実現を最優先してゆく。結果としてでかい器になったりする。ところが日本人は、最初に器の大きさを決め、なんとかその器内で能力を発揮できるようにしようと努力する。そのことによって優れた小型自動車やウォークマンのようなものを生み出してきた。それと同じ発想を憲法でもしている。現行憲法という押しつけられたもの(=器の大きさ)を変えずに、その範囲内で、と奇妙な努力をしている。よって未だに自衛隊は日本の軍隊ではなくママコ扱いである。なんかヘンだよねえ。

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