2009──山崎朋子まとめ読み・3.5
6/3  「あめゆきさんの歌──山田わかの数奇なる生涯」

  大正から昭和初期にかけて女性評論家として活躍した山田わかの、評論家以前の時代を探ったものである。本の内容に関しては以下のURLが順を追って説明しているので参照をお願いしたい。まったく同じものを書く気にはなれない。そのことに意味があるとも思えない。かといって全文コピーは失礼なので自粛した。

 あめゆきさんの歌・山田わか
http://shisly.cocolog-
nifty.com/blog/2008/02/post_510a.html


 写真は図書館で借りたオリジナル単行本をスキャンした。やはりオリジナルは雰囲気があっていい。

 上記アドレスのところに、「山田わかのことをテレビ番組として制作中なのだが、ここにある写真はどこで見つけたのですか」という関係者からの書きこみがある。その番組はもうすでに完成し放送されたのだろうが(というのは2008年の書きこみだから)、きっと私なんかがみたらうんざりする切り口なのだろう。見なくても判る。

 調べてみると、どうやらそれは「どん底生活から女性解放運動へ、山田わか」 という題で2009年2月にNHKで放送されたらしい。NHKか。やはりつまらないものだろうな。先日も台湾に関してひどいのを放送して問題になっていた。あの国営テレビ局に存在価値はあるのだろうか。

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 主な本のあらすじは上記のブログに書かれているので、ここではそこで触れられていない山崎朋子がこのテーマを書くに到る「発端」を書く。

サンダカン八番娼館」が大宅賞を受賞しベストセラーとなり、映画化もされ、それもまたヒットして話題になりと、一躍ときの人となった山崎サンは、アメリカ西海岸に在留邦人向けの講演会に出かける。文春主催である。大宅賞受賞が1973年、この講演が1975年である。その間に「サンダカン八番娼館」の続篇である「サンダカンの墓」を出している。

 サンフランシスコでの講演のあとの親睦会で白髯の日本人老人が山崎サンに話し掛けてくる。「あんたは山田わかを知っているか」と。大正から昭和前期(戦前)まで活躍した女性評論家の先魁であり、朝日新聞でも人生相談を担当していた山田わかを、女性史研究家の山崎サンはもちろん知っていると応える。すると白髯老人が言う。「山田わかさんはこのサンフランシスコで<アラビアお八重>という名で白人専門に客を取っていた売春婦だったのだ」と。

 山崎サンはおどろくが、そこで平塚らいてうの文を思い出す。
 平塚の文に「山田さんは貧農の両親の苦労を見かねて、親のために金が欲しいとアメリカに出稼ぎに行き、いつか、淫売窟で働くような羽目に追いこまれれてしまいました。山田嘉吉先生(註・後の亭主)がその境遇から救いだしたということです」とあり、さらにこの件に関して、根も葉もない噂と思われないよう、註記で「ご夫妻との親しいつきあいの中で直接ご本人から聞いた」とまで書いてあったのだ。



 平塚が嘘を書くはずがないと思いつつも、山崎サンはそれでも信じることが出来なかったという。

 その理由は、「現代ならばいざ知らず明治末期より大正期にかけてという女性蔑視のはげしい時代に、売春婦より評論家に転身した女性があったと言われて、誰が本気にできようか」なのだそうな。

 山崎サンは「宣伝がましく面映ゆいが、わたしは今までに『サンダカン八番娼館』『サンダカンの墓』という売春婦について二冊の書物を出している」とし、「この書物に登場するからゆきさんたちは、ひとり残らず終局的にこの世の敗者であってそれ以外のものではない」と書く。

 「サンダカン八番娼館」の主人公おサキさんの現実生活は貧窮の極、暗澹たる上にも暗澹たるものでしかあり得なかった」、「サンダカンの墓」の主要人物、平田ユキ、小川芙美は自殺と行方不明、「不幸の域を一歩も出ることは出来なかったのであった」と、自分の取材した三人の末路からそう結論する。



 その理由として、
決して彼女達の努力が足りなかったからではない。彼女達は渾身の力をふるってありとあらゆる手立てを尽くしたのだが、<良識>ならぬ<常識>の眼の光っている世間は苛酷で、現在どのような清潔な職業に就いていても、かつて売春婦であったということを知るや否や彼女達に<差別>という鉄の手枷足枷をはめ、その鉄の手枷足枷の重みが、彼女たちをふたたび柳暗花明の巷に舞いもどらせたり、みずからの命を断たしめたりすることとなったのだ」とする。

 それが彼女だけの結論ではない証左として、
わたしの出逢った幾人かのからゆきさんたちに限ったことではなく、およそ売春という職業ならざる職業に従事したあらゆる女性について言える」と、「森崎和江の記録『からゆきさん』のひとりが狂い死に、ひとりが自裁しているいう結末も、その有力な証明のひとつだと見なさなくてはならぬであろう」と書く。合計5人の末路からの推測と結論である。

 とまあ売春婦というのは足を洗ってからも世の中に受けいれられず悲惨な最後をとげると決まっているのに、
ところが、そんな中にあって山田わかというひとりの女性は、常識の矢の雨あられと降りそそぐ海外売春婦という境遇から、あろうことか、時代のリーダーとでも言うべき評論家に転身したのである」と持ちあげる。



 売春婦から世に出た例として、一芸に秀でていたことから悲惨な過去から脱出した歌手のビリー・ホリデイやエディット・ピアフの名をあげる。だが山田わかは、

切実な人生体験に加えて多大の学識と思考力とを必要とする評論家に変身を遂げ、ジャーナリズムの寵児として大いに活躍したばかりでなくその国の女性解放思想史の上に消すことの出来ない足跡を残した売春婦があったかと言えば、その答えは否のひと言のほかにはないだろうのに、彼女は、その至難な上にも至難、稀有な上にも稀有な変身をついに為しとげたのである。すなわち、山田わかの前半生だけが数奇なのではなくして、その評論家への転生を含む全生涯が数奇なのである──と言わなくてはならないのだ」と、

 評論家という仕事は歌手なんかとちがって難しいものだから、山田わかはとてもとても偉大なのだとして、

山田わかが<からゆきさん>ならぬ<あめゆきさん>であったことがアメリカに着いたその日にわたしの耳に入ったのは、決して偶然ではないのだと考えた。
 霊魂などというものを信じない唯物論者なのだけれど、しかしわたしは、これは山田わかの遺志なのだと感ぜずにはいられなかった


 と山崎サンは神の啓示を受けるのである。

 山田さんはあの世から「ちゃうちゃう単なる偶然だ、私の遺志ではない。よけいなことをしなさんな」と言ったように思う。だが眥を決して燃えあがった山崎さんは止まらない。

いや、いっそう精確に言うならば、一望万里の大平洋をこのアメリカへ流れてきて異国の男たちにわが身を鬻ぎ、ついに不遇に朽ち果てた幾多の日本女性たちのこの世に留めた無念の思いを、全身に感取しないではいられなかった
 そして、
そういう無数のあめゆきさんたちの恨みを晴らすためにも、山田わかの生涯を一冊の書物に書きあげなくてはならない──と心に決したのであった

 と鼻息荒くもはやキツネ憑き状態である。笑えるなあ。すごい文章だ。

 ということで山崎さんは山田わかの人生を調べ始めるのである。
 それからのおおまかな流れは前記のURLに書いてある。山田わかが売春をしていたのは陽光溢れるサンフランシスコと思われていたが実は寒さ厳しいシアトルだったとか、彼女を苦界から救いだしたのは後の亭主である山田嘉吉だと思われていたが、そうではなく立石という一緒に娼館から逃げだした(いわゆる足抜けである)新聞記者だったこと、山田との出会いはその後であること、結婚、勉学のことなど。

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 さて私の感想であるが。
 アサヒシンブンで人生相談に応えたりしていた女性評論家の山田わかというひとの、家族を助け仕送りをしたいと十代でアメリカに渡り、だまされて娼婦にならざるを得なかった二十代半ばまでの隠された人生を、使命感に燃えた山崎サンは日本アメリカを駆けまわってほじくりだした。そのことになにか意味はあったのだろうか?
 
 そのことを書くことによって多くのひとに勇気を与えた、意義はあったと假定して。

 山崎サンは、小学校しか出ていず、職業とも呼べない汚らしい職業である売春婦(山崎サンの表現)という過去を持つ女が、エリートしかなれない評論家になったのは偉大だ、そのことを世間に伝えたい、と言うのだが、それは誰かに勇気を与えただろうか。現在売春をしている女が、この本を読み、わたしもその立派な職業である評論家ってえものにがんばってなるぞと明日に希望をもったとか、そんなことはあったのだろうか?

 あったと思う。思いたい。そう思って先へ進む。



 私がこの本を読んで感じたのは、山崎朋子という女ライターの売春婦に対する凄まじい差別意識だった。それが不愉快であり腹立った。
 彼女は職業とも呼べない職業である汚らしい売春婦(山崎サンの表現)という存在を、世間の<良識><常識><差別>すると彼女特有のカッコつきの表現で強調する。これらのカッコは彼女の文からの引用で私が附けているのではない。だけど私には、その世間の良識や常識で差別しているのはあんた自身なんじゃないのと思える。

 売春に関して、好むと好まざるに関わらず一度それに手を染めたなら二度とまともな世界にはもどれない、とし、自分の作品に登場したおサキさんが極貧、その他ふたりの女が狂死、自死していること、森崎というライターの作品に登場するふたりの売春婦も自死や狂死であることをその証明としている。実例はほんの数人。ものすごいこじつけである。なんでこんなに決めつけられるのか。

 そしてその元娼婦という一般社会には絶対浮きあがることなく末路は自死か狂死と決まっている下の下の下の「底辺女性」から、豊富な智識や教養がなければ決してなることの出来ない最高級「上辺職業」である評論家に転身した山田わかがいかに稀で偉大な、数奇な生涯を歩んだことかとしている。(山田わかに対する「数奇(さっき)なる生涯」とは元々は平塚らいてうの表現になる。)

 それは一見山田わか讚歌のようでいて、それ以上にこの作品に溢れているのは(この作品に限らず彼女が〝三部作〟と呼ぶその他のものにも共通だが)山崎朋子の売春婦差別の視点である。



 彼女は自分の取材した三人、森崎というライターの書いたふたり、合計五人から売春婦の末路を結論しているが、いくらなんでもそれは乱暴だろう。
 江戸時代の遊廓に勤めていた女から、昭和33年に施行された売春禁止法までいわゆる青線赤線で働いていた女達、この作品が書かれた当時のトルコ風呂と呼ばれた場所で働いていた女達まで、いやそれこそもっともっと広く、古今東西の世界中の売春経験者達と裾野を広げても、彼女たちの最も多い人生の結末は、ごくふつうの男と結婚しての出産であり、こどもに看取られての死であろう。

 なぜそれをほんの数人の取材対象者から全員狂死か自殺したかのような強引な結論に無理矢理持って行くのか。すなわちそれは山崎朋子という女の良識常識として、売春なんてことをした女はそうあらねばならないと決めつけているからだろう。この世で最も売春経験者を蔑み憎んでいるのは山崎朋子そのひとなのである。



 世の中には、したくない売春ということを貧しいゆえにせねばならなかった女が数多くいる。無理矢理だまされてさせられた女も無数にいる。だがそのほとんどは努力してその逆境から抜けだし、好きな男と一緒になり女としてのしあわせをつかんでいるのだ。

 そりゃあいわゆる良家の子女と売春経験者のその後を「結末幸せ度パーセンテージ」で比較したら、あたたかな家庭に恵まれた比率は落ちるかもしれない。獨身のままの孤獨死、自死も多いことだろう。だがよく「あれだけいた青線赤線の女はどこに消えたのか!?」と言われるように、ほとんどの女は好きな男と一緒になって第二の人生を歩んでいったのである。

 そのあまりに簡単な理窟と現実になぜ山崎朋子は気づかないのか。このひとを盲いていると思うのはこの点だ。その理由を繰り返す。それは山崎朋子が、売春経験者はしあわせになってはならないと決めつけているからだ。



 好むと好まざるに関わらず売春に関わってしまった女たちでも、ほとんどがしあわせな結末を迎えられた。その理由もまたわかりやすい。
 それは「好きな女の過去を許す男の心」である。いや男が女を許すなんて言ったらフェミニストの山崎サンに叱られてしまうだろうから表現を変える。「男は本気で好きになったら女の過去など気にしない」のだ。そしてふたりはしあわせになる。

 そのことに山崎サンは気づかない。なぜか。それは山崎朋子に「過去を許す心のひろさ」がないからだ。「自分なら絶対に許さない→世の中もそのはず」と、自分の狭量を反省することなく、それを規準にしてしまっている。はずかしい。読んでいてこのひとの思う「常識」や「世間」が恥ずかしくなる。その醜悪さはこのひとの心の狭さそのものだ。



 そもそも山崎朋子が「男を信じていない」から、そのことに気づかない。山崎朋子にとって「男」とは、「女を虐げてきた存在」「女を虐げる社会を作った敵」でしかない。その「憎い男に汚された女」は、男以上に憎い汚らしい存在として山崎に嫌悪される。
 なんともひどい。この本から伝わってくるのは山崎朋子の売春婦に対する憎しみばかりだ。

 我が身を考えればいい。革命を志す朝鮮人と結婚(未入籍の事実婚)していて、さらには交際していた男に顔を68針を縫うほど切りきざまれるという自分の過去にこだわらず、結婚を申しこんできた年下の亭主(亭主は初婚)がいる。そんな文字通り傷だらけの女を亭主は好いてくれた。過去もすべて包みこんで結婚を申しこみ、男女同権主義者の山崎とともに家事も育児もみな一緒に、いやノンフィクションライターになりたくて外出ばかりしている山崎にかわって、ほとんどをやってくれたのだ。なぜその男の心のひろさに気づかない。山崎朋子という我が儘で身勝手な女をあたたかくやさしく包んでくれたのは亭主であり、亭主は「男」ではないか。

 ひたすら売春という泥に一度でもまみれた女の末路は自死か狂死と言い募る。とてもこのひとに冷静でなければ書けない「ノンフィクション」を書く資質があるとは思えない。ただの偏向した逆上おばさんである。

 私はこのひとを2009年のデヴィ夫人に関することを書いた雑誌「世界」の連載から知り、その逆上体質を知ったわけだが、デビュウ作のころからそういうひとであったわけだ。なのによくもまあこんなひとが今までそこそこやってこられたと思う。そのことに感嘆する。それはフェミニズムという狭いけれども確実な獨自の世界の需要があったからだろう。



 彼女のいう「世間の良識や常識、それによる差別」がなかったとは言わない。差別は人間の本質だから、どこでもいつの時代でもあった。売春は〝人類最古の職業〟と言われる。なら同時にまた「人類最古の差別される職業」でもあったろう。

 私の生まれ育った茨城の田舎にも、こども時代、東京から引きあげてきたと言われるひとたちがあちこちにいた。東京での仕事をやめ、遠縁をたどって田舎にやってきたのだ。明らかに言葉も所作も垢抜けていて地元の百姓とはちがっていた。雑多な商売を始めたり、親戚に土地を借りて農業をやったりしていた。閉鎖的な田舎に溶けこむために苦労していた。

 母や近所のおばさんが、ある家に対しては「あのひとは浅草で女郎屋を経営していたらしい」、ある家には「あの奥さんは新宿の女郎上がりらしい。亭主はやくざで刺青者らしいよ」と噂していた。私の母は自分の家が旧家であることを自慢し、家柄や学歴にこだわり、よそ者を貶すのが大好きなひとだった。きっと山崎サンとは仲よくなれたろう。私はそういう母を反面教師としてこどものころから嫌っていた。いま山崎サンの視点を批判しているのは、当時からずっと一本線で繋がっている。

 口さがない連中の噂話だが事実だったと思う。人の口に戸は立てられない。
 浅草で女郎屋を経営していたというおばあさんは、しわくちゃだけれど、なぜかこどもから見ても粋で伝法で、煙草を喫う女は田舎にはいなかったが、長煙管で喫っていた。それが様になっていた。時代劇の登場人物みたいだった。
 新宿の女郎上がりの亭主で、刺青があるやくざと噂される亭主は、真夏でも長袖を着て肌を見せず、涼むときはひとのいない山中に行くので有名だった。それを盗み見したこどもが、背中にすごい刺青があったと言い触らし、学校で話題になったものだ。

 あるいはまた山田わかが、自分がむかしアメリカでそんなことをしていたとあっけらかんと平塚らいてうに語ったように、彼らもまた東京時代の職業を自ら語ったのかも知れない。田舎の退屈な暮らしと比べれば、東京でのそれは刺激に満ちた楽しい生活だったろうから。

 時代を考えてみると、売春禁止法によってその種の商売を失った連中が田舎に流れてきたようだ。でもみな平凡な田舎の暮らしに馴染み、家庭を営み、今はその子から孫の時代に入っている。自死も狂死もない。



 彼女の主張にとって「時代」は大切だから現代の例は無意味だとしても、女性の地位が今よりも低かった大正から昭和初期という山田わかの時代の売春経験者(生涯売春婦であることはありえないから、こう表現すべきだろう)の多くも、結末は家庭に収まっているのである。それが「上辺女性」のつもりらしい山崎から見たら破れ鍋に綴じ蓋であったとしても、すくなくともその数は狂死や自死よりも遥かに多いだろう。そんなの人類の歴史の常識である。

 これ以上書いても無意味なのでもうやめるけれど、私がこの本から感じたのは、山崎朋子というひとの売春婦に対する異様なまでの差別意識だった。すこしでも人の心の痛みが分かるなら、望むと望まないに関わらず、いやほとんどの場合は望まないどころかだまされてその道に追いこまれたであろう売春経験者を、ここまで塵芥、ドブの中の汚物のように否定しまくることは出来まいと、このひとの人間性をうたぐった。明らかに視点が異常である。

 それがまた虫も殺さぬ深窓の令嬢がそのような立場の同性を否定するのなら、それはまた世間知らずとして許容できるのだが、そうではない。彼女は充分に酸いも甘いも噛み締めた中年女なのだ。むしろまともなら、そこには「虐げられた女性に対するあたたかで大きな視線」がなければならない。だが、ない。「底辺女性史研究家」を名乗り、「女性を虐げる男性社会」に対する炎のような怒りの視線はあっても、売春をせねばならなかった女性を、石ころを見るような冷たい眼で見ている。この落差は異様である。



 そもそも「底辺女性史研究家」という肩書からして異常であり、まともな人間ならとてもじゃないが名乗れない肩書なのだが、あらためてこのひとのやってきたことは、「上辺」からの見下し評論なのだと気づく。

サンダカン八番娼館」「サンダカンの墓」「あめゆきさんの歌」という彼女の言う「からゆきさん三部作」を読んで感動したひとは、彼女と同じく「上辺」から「底辺」を見て気の毒がったひとたちなのだろう。彼女のいう「底辺女性」は決して彼女の本など読まないし読んでも感動することはない。

 山崎朋子がおサキさんをネタに世に出られたのはおサキさんが文盲だったからだ。おサキさんに山田わかの智性があったなら、山崎はその欺瞞と傲慢をおサキさんにめった切りにされていたろう。
 売春経験者がみな文盲なわけではない。中には山崎程度の素養を持った元売春婦もいよう。彼女等が山崎の本を読んだらどう感じたか。自分達に対する応援歌ととったろうか。コンセプトからはそうでなければならない。だがそうではあるまい。それどころか自分達に対する凄まじいまでの差別意識を感じて、明らかに敵と認識したはずだ。



 学生時代の「無知の涙」に関する話を思い出す。
 永山則夫という四人を殺した連続殺人犯が家が貧乏だから殺人犯になった、自分も経済的に恵まれていてマルクスやレーニンを学べる環境にあったらこんなことにはならなかったと、獄中でマルクスやレーニンの本を読んで書いた手記だ。

 英語の授業で、マルクスやレーニンを学べる環境にあった教授が、一読して涙が止まらなかったと感極まった表情で感想を述べていた。語っている内に目頭を押え、諸君もぜひ読むようにと結んだ。
 家が貧乏で、母子家庭で、生活保護を受けていたら、マルクスやレーニンを学ぶ機会がなかったら、ひとはみな殺人犯になるのか。それは社会の罪であり彼は救われるべきなのか。殺人の罪は許されるべきなのか。同じように育った彼のきょうだいは誰も殺人を犯していない。私は教授の涙になんとも言いようのない勘違いを感じた。

 友人の家で見た「ご対面番組」を思い出す。友人の祖母がテレビを見ながら泣いていた。親の顔を知らない不幸な育ちのこどもが成人し、何十年ぶりかで初めて親と対面する。ハンカチで涙を拭った祖母は言った。「このひとと比べたらわたしはなんてしあわせなんだろうって」。気持ちよく泣いてのしあわせの確認。

 山崎の本を読んでいると、彼らを見たときと同じ不快感を覚える。



 山崎朋子の支持者は、これらの作品に関して「底辺女性に向ける著者のあたたかな視線が」と書く。どこがあたたかいのだろう。それは正当な判断力を持たない、表面的なものしか見えない人の感想だ。山崎がおサキさんの廃屋で数週間を一緒に過ごしたから、埋もれていた事実である「からゆきさん」のことを発掘し世に問うたから、それで彼女が彼女の言う「底辺女性」の味方とはなるまい。そう解釈するのは見えているようでなにも見えていない明き盲である。

 山崎の作品から、「女たちに苦難を与えた男社会への怒り」は伝わってくる。そこに描かれている「虐げられた女たちの苦労」もわかる。だが肝腎要の山崎の言う「底辺女性」に対する同性としての親愛の情がまったく伝わってこない。それどころかむしろ蔑みの「冷たさ」を感じる。

 山崎は自分の敵である「男社会」に対して仁王立ちで演説する。おまえたちのやってきたことがいかにひどいことか、ここにいる女の惨状を見よ、これらの女たちにおまえらがどれほどひどいことをしたか、と。そこには男たちの犠牲になった哀れな女として見るも無惨な売春婦が証人として鎮座している。好奇の眼に晒されている。

 山崎は顔面紅潮し、唾を飛ばして男社会を罵る。だがその例証としてそこに引き立てられ、周囲の視線に晒され、身を小さくしている売春婦の心の痛みには気づかない。気づこうとすらしない。生き証人としての売春婦をそばに置き、「職業とも呼べない職業の売春婦として、生き恥をさらし、世間の良識と常識に責められて地獄の業火の中で苦しんだこの女たちの苦しみを知れ!」と声高に叫ぶのみだ。



 ついでながら、彼女の学歴コンプレックスによる異様な学歴差別も変である。
 山崎が四年制大学に行きたかったのに、母親から差別待遇を受け、二部の短大しか行かしてもらえず、年子の妹は明治大学に行かせてもらったことから、かなり学歴コンプレックスの持ち主であることは著書の隅々から伝わってくる。母の差別の理由は、妹は実子であり山崎はちがうからのようだ。

 かつての朝鮮人であった夫が東大大学院生であったと繰り返すことや、今の亭主や自分に関して、「たいした学歴もないわたし達だが」と何度も書く事からもそれは窺える。

 それは彼女のかってだが、かといってこの種の論評を試みるとき、やたら「小学校しか出ていないのに」「義務教育もろくに受けていないのに」と連発するのには辟易する。
 この作品でも、山田わかが小学校しか出ていないのに、山崎からすると智識教養を必要とする最高の職業である評論家になったのは凄いと力説する。くどいほどそれを言う。

 だが言うまでもないことであるが、ひとの頭のよさは学歴で判断できることではない。家庭の事情で最低限の教育しか受けてなくても頭の良いひとはいくらでもいるし、また金の力で聞いたこともないような学校を出ているだけの大卒のバカも数多い。

 私には、小学校しか出ていなくても真に頭の良かったのであろう山田わかが、亭主の山田嘉吉から語学や一般教養を教えられ、ことごとくそれらを吸収して一気に育っていったのはごくふつうのことに思われる。学歴はないが真に頭のよいこども、生長率にすぐれた少年少女を、私もいくらでも知っている。同じく学歴のあるバカも。

 山崎は無学な山田わかが智識教養を吸収して成長したことを、驚嘆すべき数奇なる生涯と大騒ぎするけれど、それほどのことではない。なにより、他国語を話せ、教養に溢れていた──その分日本語文章が書けなかったらしいが──山田わかの亭主であり師匠である山田嘉吉そのひとが基本は無学のひとではないか。山崎が山田わかのことを讃えれば讃えるほどこのひとの中の歪んだ学歴観が見えてくる。



 平塚らいてうに自らアメリカで売春婦をしていた過去を明かしたように、山田わかは自分の人生のその一時期を恥じてはいない。小学校しか行っていないこと、親を助けたいとアメリカに渡ったが自分の読みの甘さで娼婦にまで身をやつしたこと、そこから脱却し、嘉吉を師匠として智識教養を身に着けたこと、評論家という職業に就けたこと、山田わかにとってはすべて自分の歩んできた人生であり、「その一時期」は、大声で言うことでもないが、隠す必要などなかったのだろう。私は当時の日本の女からするとかなり大柄でどっしりしたタイプであったという山田わかという見知らぬ女評論家に好意を持った。すくなくとも山崎朋子あたりとは人間の大きさが違う。

 隠したがったのは亭主の山田嘉吉の方であるらしい。この気持ちも判る。自分の女房の汚れた過去を他人に知られたくない。それは男のちいささとも言えるが、嘉吉なりにわかを庇いたかったのだろう。わかは嘉吉が思っている以上に肝が据わっていたということだ。

 山田わかの豪放磊落(とは女に対して使う表現ではないが)な大きさに比べると、「小学校しか出ていないのにたくさんの智識教養を必要とする高級職業の評論家になった山田わかはえらいえらい」と騒いでいる山崎朋子の薄っぺらさが際立ってくる。

 山田わかを持ちあげるのに、山崎が、「小学校しか出ていないのに」「元売春婦なのに」と連発すればするほど寒々とした光景が見えてくる。すなわちそれ、山崎の心象風景である。まことに、文章を書くことは自分を書くことなのだ。
 その寒々とした光景の原点が何なのかは、結びの「総論」で書く。

 次ぎに彼女の「随筆集」を読んでみた。


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 ビデオ化されたテレビドラマ


 この後に感想を書く随筆集「生きて生きて」を読んでいたら、この「あめゆきさんの歌」がテレビドラマ化されたという文があった。ネットで検索してみたら、この写真が見つかった。VHSセルヴィデオのパッケージ写真である。

 監督は新藤兼人。主役の山田わかに秋吉久美子。山崎サンの役に三田佳子という布陣でヴィデオにもなったようだ。

 松田優作も出ているのだが、山田わかよりふた回り年上の亭主・山田嘉吉役には年齢的に不似合いだ。とすると一緒に廓から足抜けを計った新聞記者の役だろうか。写真を見るとそんな感じがする。山田わかが老けてからの役、評論家として成功してからは山田五十鈴が演じているようだ。

 それについてはこのあとの「山崎朋子まとめ読み.5」で書いた。
   山崎朋子まとめ読み.4に続く



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