2009──山崎朋子まとめ読み・3
09/5  山崎朋子まとめ読み

「サンダカンの墓」


 図書館から借りてきた本の表紙をスキャンした。昭和47年発刊の古い本であり図書館の倉庫にしまってあったのを、貸し出し申請書を書いて出してきてもらった。表紙の染みが時代を語っている。
 これは文春発刊の単行本。オリジナルで読めるのがうれしい。単行本はいまは絶版で文春から文庫本が出ている。

 感想文を書く場合、以前は本の表紙も音楽CDのジャケットも自分でスキャンしていた。いまはAmazonを始めネットで入手できるので楽だ。
 もっともあちらもそれはされたくないらしくコピーガードしたり、Amazonの画像であるとわかるように不要な矢印を挿れたりしてじゃましてくる。この辺の感覚がわからない。

 著作権は大事だ。文章や写真のような著作権が発生するものは守らねばならない。でも市販されている本の表紙やCDジャケットをAmazonにもらいに来るひとは、皆自分のホームページやブログにその本やCDの書評を書いたりして宣伝してくれるファンなのだから、なにもそこまでする必要はあるまいと思う。

 この本の写真は「No Image」でネットにはないと後で知った。それはまあないだろうなあ、こんなに古いんだから。
 借りているときにスキャンしておいて正解だったことになる。返却してから気づいたらここにこの写真を載せられなかった。それが私の常である。珍しく気が回った。そのうち元本の写真としてここからコピーするひとも出て来るだろう。かなりの珍品のはずだ。



 中身の概要。「サンダカン八番娼館」が大宅賞を受賞しベストセラーになることによって山崎サンのところへは「からゆきさん」関係の情報が寄せられるようになる。
 ある日、「サンダカンの木下クニの墓が見つかった」という電話がある。木下クニはおサキさんのいた「サンダカン八番娼館」の経営者であり、恩情をもって娼婦達の面倒を見た日本人女主人だった。日本に対する屈折した思いがあったらしく死んでも日本にはもどりたくないと言い、生前からサンダカンに墓を建てていた。死後、希望通りそこに眠り、周囲は身よりのないからゆきさんたちの墓所にしたという。

 なお山崎サンは彼女等の墓を総じて奥津城(おくつき)と表している。奥津城とは神道の墓でありいわゆる佛敎の「戒名」がないのが基本だ。木下クニを始めみなあちらで死んだ連中の墓碑には日本の僧侶に金を払ってもらう「戒名」はなかったのだろうから、その意味で奥津城は正解なのか。

 それから半世紀、墓の場所は草に埋もれ不明となった。おサキさんとの縁から一度は墓参りしたいものだと山崎サンはボルネオに行くひとがいると墓の場所を探して欲しいと頼んだりしたがなかなか吉報はなかった。
 それを山崎サンの本を読んで興味を持ったサンダカン在住の某商社員が休日のたびに捜しまわり、ついに見つけてくれたのである。

 電話をもらって一年後、山崎サンはサンダカンまで墓参りに出かける。それに関する感想等が冒頭の章。この「一年後」もビミョーな時間。「サンダカン八番娼館」がベストセラーになり山崎サンは売れっ子になる。発売されて一年後にこの情報が寄せられる。忙しい時間が続き、さらにその一年後の訪問。売れっ子の山崎サンはテレビ出演や講演等が続き、情報が寄せられたからと、すぐに飛んで行けるほど暇ではなかったのである。一息吐き、続篇を書くための調査としてほどよい時期であったろう。



 墓参りをすませ、当時のサンダカン八番娼館のあった地域を訪ねた後、「当時のからゆきさんたちの最大の市場はシンガポール」ということからシンガポールに飛んで調査を試みる「からゆきさん──シンガポール編」、さらに現在のマレーシアの首都における状況を調べた「クアラルンプール編」が書かれる。その三篇で構成された一冊である。




 というところで、ネットで検索していてあらたな情報を得た。「サンダカン八番娼館」の感想文で左の「文春から出ている文庫本」の絵を載せた。
 あれは昨年出たばかりの「新装文庫本」であり、本来の「サンダカン八番娼館」に、この「サンダカンの墓」を合わせたものらしい。つまり「一冊で二冊」になったわけだ。あいまに二年間の時の流れがあるが、「サンダカンの墓」はあきらかに「サンダカン八番娼館」の「続篇」であるから、よいことだ。読者にはうれしい。彼女が「三部作」という「あめゆきさんの歌」は取材地も対象もちがっているが、この二冊は姉妹本である。

 今後も発刊されて行くのはこの二冊が一冊になった文庫本だろうから、そうなると、冒頭の元本スキャン写真はますます貴重なものになる。




 私は「サンダカン八番娼館」を読んだときから、山崎朋子の娼婦に対する高見からの冷たい視線に違和を覚えていた。
 もしも発刊された昭和47年に「サンダカン八番娼館」、昭和49年に「サンダカンの墓」を読んだとしても、私は「このひとは娼婦に対してなんでこんなに冷たいのだろう」と素朴に思ったろう。当時私は二十歳そこそこの学生だけれど、それは自信を持って言える。その種の感覚は時を経ても経験を積んでも変らない。本能的直観的なものだ。このひとには「底辺女性史研究家」を名乗りながら、その底辺女性とやらに対するあたたかな眼差しがかけらもないのだ。私のこのひとに対する根源的な疑問になる。



 当時の私はサヨク的な音楽サークルに属した長髪の学生であり、教科書や書物でさんざん自虐史観を教えられ、愛読していたアサヒシンブンを始めとするマスコミの影響を受けていたから、これらの本の中で山崎サンが書いているように、「日本はアジアにひどいことをした。どんなに償っても償いきれない」と思って生きていた。特に中国人や朝鮮人に対する罪の意識は強く、かの地で自分達の先輩がとんでもない悪逆非道なことをした、まことに申し訳ないと道であったら土下座して謝らねばならないとすら思い込んで日々を生きていた。
 周囲から押しつけられる情報をそのまま信じ、自分の頭で考えることをしていなかった時期である。バカだった。洗脳されていた。そこからの自力での脱却には長い長い時間が必要だった。

 そのときの私は童貞ではなかったけれど娼婦というものに接したことはない。一生接することはないし自分とは無縁の存在だと思っていた。金を払って成立する性行為というものが理解できなかった。不自然なみっともない行為と解釈していた。
 当時は現在のソープランドと名称変更される前のトルコ風呂と呼ばれる施設があり、女に縁のない隣室の学生は、二十歳になって童貞は恥ずかしいと、そういうところに出かけて体験してきていた。私は彼を軽蔑していた。さいわい自分には彼女がいて不自由していなかったけれど、おれならたとえ生涯童貞でもそういう場所には行かないと本気で思っていた。

 当時の私はそういう学生だったから、当時これらの山崎サンの本を読んだなら、これでもかと繰りかえし書かれている「アジア諸国に悪逆非道の限りをし尽くしてきた罪深き日本」に深く同意し、山崎信者になったかも知れない。

 だが、それでも素朴に疑問に思ったろう。山崎朋子の考えに心酔し「山崎先生」と尊敬しつつも、「山崎先生はなんでこんなに娼婦に対して冷たいのだろう」と。
 それは智識とか教養等とは関係がない。人間としての直感だ。バカな学生だった私でも感知できる。自身の文章の主人公として取りあげていながら、山崎朋子の描く娼婦には一片の愛情すら感じない。血が通っていない。むしろ石ころでも見るような乾いた視線を感じる。それは何故なのだろう。「底辺女性史研究家」なのに、なぜこのひとの文章には、彼女の言う「底辺女性」に対する愛情がかけらも感じられないのだろうと疑問に思ったはずだ。



 その理由のひとつは、山崎がノンフィクションライターとして真にやりたいことは「底辺女性」の人生を追うことではなかったからだろう。(「理由のひとつ」と書くのは、より重要なもうひとつの理由があると考えるからだ。それは総論で触れる。)

 山崎朋子は、自ら「底辺女性の研究を志すもの」と名乗っている。「からゆきさん」だったおサキさんの過去を書いた「サンダカン八番娼館」のサブタイトルには「底辺女性史-序章」とつけた。この「序章」に答がある。山崎のやりたいことは「底辺女性を産みだした社会制度批判=男性社会批判」であり、からゆきさんの悲惨な人生は、たまたま係わりあい、たまたま世に出るきっかけとなってしまっただけのものでしかない。

 くだらないたとえをするなら、深刻なものを演じる舞台女優になりたくて藝能界に関わったら、たまたま事務所から勧められて唄った歌がヒットして、派手なミニスカートをまとったアイドルになってしまったようなものである。だからアイドルなのに笑顔がない。歌に対する愛情が感じられない。

 そういうまちがってなってしまったアイドルが、アイドルと呼ばれるストレス(「サンダカン八番娼館」のヒット後、山崎サンは「からゆきさん研究家」として多くのテレビ番組に出、全国で講演をこなし、毎日毎日そのことばかりを問われ、語っていたことだろう)に耐えかね、わたしが本当にやりたいのはこういうことではないんですと突如引退して地味な舞台女優に転身するように、「サンダカン八番娼館」で世に出た山崎朋子は、二冊目のこの「サンダカンの墓」で、今まで隠していた本性を随所に現している。この本の価値はそこにある。山崎朋子の本性が見えたということでは興味深い。多くの山崎朋子作品の中でも、「山崎朋子研究」のためには最重要な一冊である。



サンダカンの墓」から、そういう本性を現した印象的な部分を拾ってみる。
 サンダカンの観光案内人で町を案内してくれる現地の太田さんというひとに対して、山崎は「わたしが見たいのは観光地ではないのだと話しだす。その理由は。

サンダカン八番娼館」の取材のときには研究者という身分を最初から最後まで隠しとおしたのだが、わたしは、一応は知識人らしい太田さんにたいしては、むしろ正直に話して助力を乞うたほうがよいと考えたからである。

 見よ、この傲岸。無学文盲なからゆきさんたちに取材のときには高潔な研究者という自分の立場を、どうせ言ってもそいつらには理解できないだろうから隠しとおしたが、一応は知識人らしい案内人のこの男には、特別に自分の身分を明かしてやってもいいと書いているのだ。なんといやな性格だろう。なにをどうすればこんな思いあがった言いかたが出来るのだ。素朴に不思議でしょうがない。なんちゅう性格だ。

 なんなんだよ「研究者という身分」て。そういうことにかってに興味を持って自分なりに調べているだけの中年女だろ。なんで「最初から最後まで隠しとおした」んだ。ひとをだまして取材する後ろめたさがあったからか。

 
初対面の他者を評して「一応は知識人らしい」ってのはどういう判断だ。あんたは一応じゃない知識人なのか。こういう表現をする自分の非礼、無神経に気づかないのか。いやそりゃ気づかない。気づかないからこんな文を書ける。おそろしいまでの鈍さだ。
 こういう文を読んだら、まともな人間なら誰でも同じ事を思うだろう。
おまえ、何様のつもりだよ!」と。

 本の写真が欲しくて出かけたAmazonで、写真は見つからなかったが、この「サンダカンの墓」のレヴュウを見た。
 前記したように2008年に出た新装文庫本「サンダカン八番娼館」に、続篇であるこの「サンダカンの墓」が収録され一冊になった。その前、1981年からしばらくは「サンダカンの墓」だけの文庫本が出ていたようだ。下記はそれのレヴュウである。

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同じ女性として, 2005/3/17
By みやんじょ

からゆきさんたちの、余りにも辛い生き方には言葉に尽くしがたいものがあります。
現地で懇意になったからゆきさんではなく、日本の上級学校を選んだ男。そして捨てられてしまったあと、獨立を果たした女性のその後。

また、運良く日本に帰ることができたできたからゆきさんのその後の話。
からゆきさんたちと、現地の娼館の女主人の墓跡を捜し歩く筆者のルポルタージュ。

この本を読むことで、からゆきさんたちの生き方だけでなく、彼女たちを言わば「人外人」として扱った世間の娼婦に対する偏見など、さまざまなものが見えてきます。

筆者のフィールドワークの手法については見事につきる、としか言いようがありません。
しかし私だけでしょうか、どことなく「高みから物を言う」観を見受けるのは…

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 このかたは女性であり、本の中身も山崎のライターとしての手腕も評価している。星五つ満点で四点をつけていた。それでもやはり下線部分のようなものを感じたらしい。絶讃するひとでもそう感じるのだと知ったのは心強い。まあ感じるわね、まともな感覚を持っている人間なら。

 なおこれはあまたあるレヴュウから私の気に入ったものを選んだのではなく、レヴュウはこれひとつしかなかったことをお断りしておく。つまり一分の一。多くの中から自分に都合のいいものだけを選んで、あたかもそれが全体であるかのようなことはしない。それをしたら山崎サンと同じになってしまう。



 このかたは「山崎のフィールドワークの手法」を「見事につきるとしか言いようがない」と誉めたたえているが、私はそうは思わない。
 山崎の手法は、眼に入るものから自分の都合のいいものだけを選んでいるだけだ。都合の悪いものは見ない。いやこのひとの性格からして最初から見えないのかも知れない。つまり、「最初に結論ありき」であり、そのあらかじめ決められた結論に向かってそれを肯定する要素だけを追い掛け、積みかさね、文章を構成して行くのである。最初から決められているその「結論」(たとえば「日本は悪いことをした」のような)に納得しているひとにとっては、それこそ悪代官をやっつける『水戸黄門』でも見ているようにすべてがスッキリして気分が良いだろうが、そうでないひとにとっては矛盾と缺落のあらばかりが目立つ。

 一例として、「サンダカン八番娼館」に登場する女女衒である。売春婦の売り買いに関わる女衒の中には、同性であることを利用して娘達を安心させ、だまして売りとばす女女衒がいる。男の女衒の甘い言葉には疑問を持つ少女達も、同性のこの女女衒の勧誘には簡単にだまされてしまう。一見「やさしそうなおばさん」であり、値の張った服を着て「あちらで成功した小金持ち」を装っていたりする。貧しさからの脱却を願う娘たちは、その女に「あちらに行けば簡単な仕事をするだけでわたしのようにいい暮らしが出来る。親兄弟にも送金できるわよ」と騙されて渡航してしまう。この手法は世界中の売春に関して今も昔も共通だ。



 そういう女女衒を文中で何人か登場させているのだから、山崎はこれに対して怒らねばならない。これぞクズの中のクズである。そこがいかに地獄であるかを同性である故に男以上に理解していながら、女を騙す女だ。
 女衒という存在を非難するのだから、同性であることを利用して無垢な娘達をだまし、地獄に突きおとす女女衒は、男女衒以上にその素生を追及し(それがフィールドワークである)批判の矢面に立たせるべきである。それが「底辺女性研究家」山崎の仕事だろう。「男性社会」を批判するのはいい。だったら同時にその手先になっている同性の卑怯さも、同等に、いやそれ以上に批判せねばならない。すべきだ。だが山崎はそれをまったくしない。



「サンダカン八番娼館」の経営者木下クニも同じ。それまでおサキさん達から搾取してきた男経営者と比べたら、彼女等が感謝しているように、木下は娼婦の体調等を気遣った恩情ある女だったかも知れない。しかし彼女もまた売春婦を鵜飼の鵜のようにして利用し、利益を得ている娼館経営者である。山崎が真に「底辺女性研究家」(意味不明の研究家だが)であり、虐げられた「底辺女性」のありかたに怒りを感じるなら、同性でありながら娼館経営をしている木下クニのような存在は、男以上に否定に否定を重ねて叩き潰さねばならない唾棄すべき存在だ。なのにこれまたなにもしない。それどころかその恩情ある経営者としての資質を讃え、彼女の人生を好意的に綴っている始末だ。なんとも片手落ちな缺陥だらけの文章である。

 ネットで感想文を探していたら、同じ事を感じるひとはいるらしく「娼館経営者の木下クニを批判しないのはおかしい」というのをひとつ見つけた。そのかたの感想は全体として山崎本の絶讃であり、この世から売春婦がいなくなることを願っている論調だから、そこを批判しない山崎の論調には引っ掛かったらしい。

 ではなぜ山崎は女女衒や娼館の女経営者を批判しないのか。
 その理由は、彼女等が女だからだ
。それだけなのである。

 山崎にとって憎い敵は「男性社会」なのである。それは山崎の敵への視線として世界に向けられるべきなのだが、そこまでの智識とひろさはない。よって山崎の敵は、あいする朝鮮にひどいことをした「日本」という国、その日本を支配する「男性社会」になる。これが山崎にとっての大義だ。

 山崎の感覚では、唾棄すべき女女衒も、女娼館経営者ですらも、男性社会によって虐げられた被害者になる。
 娼館経営者木下クニは、同性の女の生き血を吸って稼ぐ女として非難されるべきなのに、恩情ある経営者として好意的に扱われる。ここではもう娼婦も娼館経営者も山崎にとってどうでもいいことになっている。山崎にとって娼婦の悲劇などどうでもいいことなのだ。大事の前の小事。娼婦というテーマはたまたま売りだすきっかけになったに過ぎない。女の娼館経営者木下クニは、なぜ好意的に扱われるか!? それは彼女が日本を嫌っていたからである。いかなる経緯で日本を飛びだし、異国での娼館経営者になったのか、木下クニは祖国日本を嫌い、死後も日本にはもどらないと生前からこの地に墓を建てていた。アンチ日本。それだけで木下は娼館経営者でも山崎から非難されることなく、好ましい人物として扱われるのである。

 女はみな男の被害者なのだ。その「男」が支配する国が「日本」なのだ。それが山崎の基本。だからアンチ日本でさえあれば責めない。すべて見方。同朋。その偏向。その歪み。こんな手法を採るライターの「フィールドワーク」とやらがまともなはずがない。



 シンガポールの娼館事情は、明治10年から次第に増えて行き、日露戦争の始まった明治37年(1904年)には、娼館101、日本人娼婦902人と記録されているそうな。
 これはすごい話だ。私の知っている有名な娼婦区画に、オランダアムステルダム(通称「飾り窓」)やドイツハンブルグがあるが、あそこと比べてもとんでもない数になる。しかもみな日本人女だ。シンガポールの歓楽街の一区劃が日本人娼婦と娼館で占められていたのだ。
 この「からゆきさん」から、後にフィリピン娘が日本に出稼ぎに来ることを「じゃぱゆきさん」と呼ぶ造語が生まれる。貧しかった時代とはいえ、この辺の「日本の海外への進出」はすごいものだ。

 かっこつきで「日本の海外への進出」と書いたのは、いよいよこの辺から山崎が本性を現すからである。



 貧しさの犠牲になった気の毒な日本女性である「からゆきさん」に関する本を書き、ベストセラーになり、「からゆきさん評論家」になってしまった(されてしまった)ことは山崎にとって不本意だった。

 なぜならそれでは、「海外まで出稼ぎ売春に出かけるほどかつての日本は貧しかった。そういう苦難を経験したからゆきさんと呼ばれるひとたちがいた」→「いまわたし達は豊かになったが、かつてのこのような時代があったことを忘れてはならない」のように、「かつてはそれほど貧しかったが、みんなでがんばって今は世界二位の経済大国になった。めでたしめでたし」になってしまうからだ。それは山崎の最も嫌悪する展開であり結論だ。

 ネットで感想文を検索してみたら、まさにこの通りの感想がいくつか見つかった。「こんな時代もあった。忘れてはならない。いまは豊かでよかったよかった」である。今でもそう書きこまれるぐらいだから高度経済成長期のあの頃は、「サンダカン八番娼館」の感想はほぼこれ一色だったろう。
 それは、外国に輸出するものが娼婦という肉体資本しかなかったかつての貧しい国日本への哀惜であり、同時にそうではなくなった今の日本に対する讚歌になる。それは山崎の毛嫌いするものだ。

 山崎の言いたいのは、今も昔も日本は悪い国で、アジアの国々(特に朝鮮)にひどいことをしてきたという「日本批判」なのだ。なのに「からゆきさん」のことなど書いて有名になり、全然見当違いの連中(=彼女の考える現在の日本の支配者階級)からまで、「当時の苦しかった実状をよくぞ書いてくれた」と認められる傾向すら出て来た。これはまずい。そんなことをしたかったのではない。言いたいこと、やりたいことは逆なのだ。

 日本がいかに悪いことをして、アジアのひとたちを苦しめてきたか、それは過去のことではなく、今も苦しませ続けているのだ、と書きたい山崎にとって、「からゆきさん」なんて犠牲はじつはどうでもいいことなのである。



 北朝鮮の日本人拉致問題に関して、社民党のツジモトキヨミが「戦前戦中の何万人という朝鮮人強制連行と比べたら、たいしたことじゃない」と発言したことがある。おそろしいまでの事実無視による極言である。
 山崎の考えも同じ。当時から今に至るまで同じ。
 おそらく山崎の北朝鮮による日本人拉致被害者に対する考えはツジモトとまったく同じだろう。

 たまたま貧しい時代の日本の被害者であった「からゆきさん」のことを書いて有名になってしまったが、日本が朝鮮に対していかにひどいことをしたかという「加害者日本」を書きたい山崎にとって、被害者日本人の「からゆきさん」のことなど北朝鮮に拉致された日本人と同じように、些細などうでもいいことなのだ。「からゆきさん」のテーマで世に出てしまったので、それの専門家のように演じてきたが、「サンダカン」ブームも一息つき、もういいだろうと山崎は決断する。いやもう我慢がならなかったのか。もう無名のライターではない、大宅賞を受賞した売れっ子であるという自信もあったろう。

「サンダカンの墓」後半になって山崎がその本性を剥きだしにする。



 サンダカンのからゆきさんの墓に対して、山崎は、
無数のからゆきさんたちのそういう切ない思いによって建てられたものであるだけに、そして日本における女性存在の最底辺に生きて死んだ人びとのこの世にとどめる唯一の遺物であるだけに、その墓地はいつまでも残しておきたい」と書く。
「サンダカン八番娼館」で有名になったライターとして、また日本人として当然の感情だろう

 が、「固くそのように思いながら、わたしの胸底のいま一方には、日本売春婦としてのからゆきさんたちの墓をいつまでも残したいというこの願いは、東南アジア諸国の人びとからすれば日本人の甘い主観にすぎぬとして、痛烈に批判されるのではあるまいか──という反省もあった」となる。

 いよいよここで「からゆきさん」で有名になった今まで「からゆきさん贔屓」だった山崎が、「からゆきさん批判」に転ずる。

 その理由は、「からゆきさんもまた日本のアジア侵略の一員であった」から。
 そのことを山崎は前々から知っていたのだとか。

からゆきさんが、日本のアジア侵略初期における<肉体資本>にほかならなかったということは、理論的には前々から承知していたのですが

 たまたまおサキさんと知りあい、そのことを書いて本にし、ヒットしてしまったので、「被害者としてのからゆきさん」を描いていた。だがシンガポールやボルネオを取材している内に、「からゆきさんは日本のアジア侵略の先遣隊でもあったのだ──ということが、皮膚感覚をもってわかって来たのです」。

 皮膚感覚でわかってしまった山崎さんに私ごときはなにも言えない(笑)。でもこれは山崎サンが、ほんのすこし東南アジアを歩きまわって目覚めた感覚ではない。日本にいるときからずっと思っていたことを、時よ来たれりとばかりに剥きだしで言いだしただけだ。



 貧しい家族を救いたいと、外国で女中をすれば日本の何倍もの金が稼げる、家族に仕送りが出来るとだまされて外国に連れて行かれた日本の少女たち、のちにからゆきさんと呼ばれるかなしい娼婦である彼女たちは、極悪国家日本がアジアを侵略するための兵器だったのだ。山崎サンの解釈によると。風船爆弾のようなものか。
 これが彼女の真に書きたかったテーマである。

 昨今のミャンマーや云南の貧しい農家の娘が、タイに行ってウェイトレスをすれば今の何倍も稼げる、一年で親に家を建ててやれると女衒にだまされ無理矢理売春をさせられている「からゆきさん」とまったく同じ事例も、あれはミャンマーや中国がタイを侵略するための先遣隊なのであろうか。
 フィリピンやタイの娘が同じようにだまされて日本にやってくるのも、それらの国々が日本を侵略するための先遣隊なのだろうか。

 むろん山崎サンはそんな解釈はしない。それは日本がそれらの国々を経済侵略したために生まれたひずみなのである。「からゆきさん」は日本が産みだした兵器。先遣隊。「じゃぱゆきさん」を産みだしたのは悪虐国家日本の罪。あれもこれもすべてみな日本が悪いのである。それが山崎サンの基本。とにかく山崎サンの解釈では、近代の歴史というものをどこからどう切っても金太郎飴のように「日本が悪い」と出て来るのである。いいところはひとつもない。自虐史観の元祖である。それは40年近く経った今もまったく変っていない。その意味ではすごいひとである。時計が止まったままだ。なんの勉強も進歩もしていない。



 この「サンダカンの墓」後半で、読者の船乗りだという青年から届いた手紙を紹介している。
 今まで何度もサンダカン港に寄っていた彼は、「サンダカン八番娼館」を読み、「先生とおサキさんの美しい心に打たれて、どうしようもなくなりました」のだとか。先生とおサキさんの美しい心? そんなものあったか。元売春婦から話を聞きだそうとする無名の女ノンフィクションライターが身分を隠して接近し、誰でもいいから話し相手の欲しい心さびしい老婆から話を聞きだしただけだろう。

先輩からシンガポールやマニラと同じく(サンダカンにも)日本人の女が来ていたんだと聞かされたことがありました。今度はじめてその実際がわかりました」とする青年は、まず今までの自分を反省する。

入港と同時に、酒、女に目の色変えていた己を、今日ほど恥ずかしく思ったことはありません。おサキさんの生涯を読んで、人の生きて行くことの重さを感じました。今日よりは、本書を終生の友として、日々を大事にして行きたいと思っています。

 なんという薄っぺらな反省だろう。板子一枚下は地獄の船乗りが、荒波乗りこえて無事生きて大地に降りたったとき、やわらかであたたかな女の躰ほどいとしく高貴なものはない。生きていることを実感させてくれる至上のものだ。それは有史以来この世の真実である。

 もしも世界が山崎サンの望むような、すべての職業を女がリードする「女社会」になったとしても、金波銀波を乗りこえて航海を終えた「荒くれ女たち」は、港に着いたら真っ先に男を求めるだろう。男を抱くことによって女であること、生きている実感を噛み締めるのだ。それが生きていることの証であり、人であり、男と女の常だ。永遠に変ることのない絶対的真実だ

 なぜその男と女の真実を山崎サンは否定するのだろう。それに対する考察は後述するが、この船乗り青年の「無知の涙」はどうしたらいいのか。この安易な反省になんと言えばいいだろう。
「サンダカン八番娼館」を〝終生の友〟としたというこの青年の今をぜひとも知りたい。その後彼は港に入っても女も酒も無縁だったのかと。



 青年が先輩船乗りから聞いたという話が紹介される。

日本軍は戦時中サンダカンにいるとき、戦闘がないものですから、ゲリラ掃討という名分を作り、村へ出かけて行って女を犯し、そしてそれが露見すると下士官が困るものですから、目撃者の村民を皆殺しにしたと言っていました。

 気が弱くて射殺しないで帰ってくる兵がいると、下士官がビンタを張って命令して、射殺させた
ということでした。

 先生の本を読んで、からゆきさんを可哀そうだと思って悲しくなりましたが、戦時中のサンダカンの現住民(
ママ)も、ひどい取扱いを受けたのだと知りました。村民を皆殺ししたのが、日本人なので、いっそう悲しくなりました。

 からゆきさんは日本人かがひどい目に会った(
ママ)のですが、戦争中の村民皆殺しは私達の先輩がやったんですから、何と言ったらいいかよいか私にはわかりません。


 山崎にとって真に書きたかったのは、「からゆきさん」のように日本人がひどい目に遭った、苦労したという話ではない。そんなことは日本を嫌い恥じる山崎にはどうでもいいことだ。山崎の書きたいのは「いかに日本人は悪い民族であり、他国の人びとにひどいことをしたか」である。

 ここまで呆れはてる内容になってくると、果たしてこの様な間抜けな手紙が本当に届いたのかどうかすら疑わしい。正気で考えればあり得ない。なんとも気違いじみた内容だ。假に本当に届いたとしても、裏を取ることもなく書いてあるとおりに単行本に掲載して行くこの軽薄な姿勢は何なのか。なんともおそろしいノンフィクションライターである。

 戦闘のない日本軍が暇潰しに駐留している地域の村を襲い、女を犯し、それがバレないように住民を皆殺しにした。気弱でそれが出来ないと下士官に殴られて、あらためて殺戮に出かけたなんてバカな話があるものか。世界の軍隊の中でも最も規律の厳しかった日本軍でこんな破廉恥なことが行われていたならそれこそ戦争犯罪としてアウシュビッツに匹敵する糾弾を今も受け続けたいへんなことになっているだろう。なのにここで山崎がこんなことを書いているのにまったく問題になっていない。なんなのだろう、この「船乗り青年の手紙」は。こんな無茶苦茶な話、初めて聴いた。

 それがいま消えていると言うことは、済州島での従軍慰安婦強制連行を書いた元日本兵吉田清治の本が大嘘だったと証明され本人も認めたように、そのご事実無根であることが証明されたのだろう。
 しかしそれらを「船乗りの青年からの手紙」とし、さらには「その青年が先輩船乗りから聞いた話」として書いてしまうこのひとの感覚には呆れる。こんなものがノンフィクションライターの作品として通用していた時代がおそろしい。こんな本を出した文藝春秋社にも罪はある。

 ネットの感想文で山崎朋子のフィールドワークを讃えているひとは、もうすこしこの辺のことを考えてみるべきだ。どこに「フィールドワーク」があるのだ。自分の考えと合致する都合のいいことなら、たかが正体不明の手紙一通をあたかも事実のように扱い、裏を取ることもせず好き放題に書くいいかげんなヒステリックおばさんではないか。



 これをきっかけに山崎は本性を現す。

第二次世界大戦のときに少女にすぎなかったわたしに直接の責任はないというものの、わたしの同朋がこの東南アジアの国ぐにを軍靴をもって踏みにじり、その民衆に幾多の悪逆をはたらいたのだ。

 この「第二次世界大戦のときに少女にすぎなかったわたし」ってのが一番のクセモノだ。反日活動をしている日本人のほとんどぜんぶがこれ。戦中が多感な少年少女だった世代だ。前述したオオエケンザブロー、イノウエヒサシ等。アイカワキンヤなんてのもそうだ。

 戦争中におとなだったひとにこの種の感覚はない。戦後生まれのひとにももちろんない。戦争中に小学生から中学生だった連中が、世界の黒白が変転する衝撃に耐えきれず狂ってしまいヒダリに走った。それはそれで戦争の犠牲であり気の毒ではあるのだが……。

 山崎が書きたかったのはかわいそうな「からゆきさん」のことではない。悪逆を働いた犯罪国家日本なのだ。お粗末な国家観、戦争観、および貧弱な推理力で、山崎は日本の罪を書きまくる。そこにおいては日本はひたすら相手を殺しまくるだけだ。
 このひとは互いに殺しあう戦争というものをどう捉えているのだろう。戦争に一方的悪はない。きっかけがあり、小競り合いがあり、大規模な戦いに発展して行く。その「きっかけ」にも、いくつもの要素が絡み陰謀が蠢いている。味方が味方を見殺しにして国威発揚に利用したなんて例は枚挙に暇がない。

 山崎朋子という女ノンフィクションライターはあまりに無智である。なのに知りもしないことを爪先立ちして発言している。幼稚すぎて言葉が出ない。アサヒシンブンの投書欄で見掛けるヒステリックな女子校生レヴェルである。その姿勢は、これを書いた四十代のときも、喜寿を迎えた今も変らない。今もこの当時とまったく同じ事を言っている。山崎サンからするとそれが真実であり、真実は時が流れようと変らないということなのだろう。



 アジアの国々を軍靴で踏みにじったと悪虐国家日本の罪を山崎は声高らかに詰る。同時にそれを過去の過ぎた悪虐にしてはならないと、今現在の悪虐も追及する。悪虐国家日本は過去の反省や償いをするどころか、今も悪虐の上塗りをしているのだと。それは経済侵略である。

以上に縷述したような国家的、民族的悪虐を、わたしたちの国日本が、敗戦より三十年になんなんとする歳月のあいだに幾分でも償って来たのならば、わたしの心はそんなにまでも深く沈まなくて済んだにちがいない。

 しかしこの三十年という長いあいだに、日本は、東南アジア諸国の民衆にたいし心から詫びて償いをするどころか、実は悪虐の上塗りをしていると言わなくてはならないのである。

 そしてその国家的・民族的悪虐が、かつてのように軍靴と武器とを伴うことなくおこなわれているまさにその故に、東南アジアの人びとは塗炭の苦しみを嘗めているというのに、日本人自身はほとんど気づいていないのだ。


 こんな気の狂ったような文章を書き写すことは憂鬱だが、乗り掛かった船だ。もうすこし我慢して書く。
 このひとは「敗戦国日本」が勝者からいいように金を毟り取られた事実などなにも知らない、調べてもいない。なにも気づいていないのは山崎サンである。



わたしは、最近ようやく一部の人びとの口にのぼりはじめた<日本のアジア経済侵略>のことを言いたいのだ。

 
国際経済の問題には疎いわたしだが、資源を持たぬ日本が1960年頃から国民総生産において世界の上位におかれ、国土こそ小さいが経済的には大国となりおおせた事実だけは、この眼でたしかに看て取ることができる。

 ──が、
完全な共産主義的な経済ならばいざ知らず資本主義的な経済機構に立っているからには、日本資本主義の前代未聞の繁栄の蔭には、搾取された人間がどこかにいるのが理の当然というものであろう。》

 
山崎サンは国際経済に疎いそうだ。本人がそう書いている。
 その山崎サンでも資源を持たぬ日本が経済発展していることは知っているそうな。日本は今や経済大国だ。
 ということは、どこかに搾取されている人間がいるのが理の当然なのだとか。すごい展開である。

 こうなってしまう発想法が判らない(笑)。共産主義と資本主義をどう解釈しているのか。ただのバカと思うのがいちばんわかりやすい。おそらく北朝鮮を夢の国と思っていた一派だろう。
 なぜ気質的に働き者で努力家の日本人が敗戦の焼土からがんばって立ち直ったからだと素直に考えられないのだろう。

 これじゃまるで「人を見たら泥棒と思え」である。
 いわば、「家柄も悪く学歴もない男が金持ちになった→悪いことをして稼いだにちがいない」という思い込みと同じだ。失礼である。しかし日本は家柄もいいし学歴もある。
 資源はないが工夫が出来る。たとえば自動車にあるパワーウインドウを始めとする便利工夫はみな日本発だ。当時から燃費のいい故障をしないクルマを作る努力をしていた。やがてそれが認められ、日本製品の優秀さが浸透して行く。そういう気質が焼土となった敗戦国からの脱出に繋がっていった。だがこのひとはそのことに気づかない。気づけない。認めない。
 こういう発想しかできない自分をかなしいと思ったことはないのだろうか。長年一緒にいる亭主も同じ考えなのだろうか。だろうな、気が合うのだから。



 
《搾取された人びとは誰なのかということになるが、それは、国内的には労働者や農民を中心にひろく小市民を含む民衆であり、国際的には東南アジアを主軸とするアジア諸国だと断定してさしつかえない

 そしてその証拠を、わたしは、農業だけでは生活することができず都会に出稼ぎせざるを得ない日本農民の姿と、1970年代に入って激烈な反日運動を起こし始めた東南アジアの人びとの姿に見るのである。


 国が豊かになったのは、山崎サンの言う「労働者や農民を中心にひろく小市民を含む民衆」が日々頑張ったからである。そこには山崎サンは大嫌いなのであろうが、そのことに尽力した優れた政治家や国際的視野を持った経営者もいた。山崎サンはそれらすべてを無視する。「豊かな国になった→誰かに迷惑を掛けて悪いことをしたからにちがいない」という発想はあまりに貧しい。

 山崎サンの感覚だと、日本が経済大国になったという事実は、東南アジアの国々を経済的に侵略したからになる。
 また「経済的大国になった」としながらも、まるでその恩恵を彼女の言う「民衆」はだれひとり受けていないかのようである。そんなことはない。国が豊かになったのだ。国民もみな給料が上がり生活水準が上がった。産業形態の中心が第一次から第二次に移っていったため、たしかに農閑期に出稼ぎに出ねばならないような歪みも生まれたが、それと山崎サンの主張は無関係だ。

 山崎理論だと、国は経済大国になったが、その恩恵利益はすべて一部の支配者が獨占し、国民は以前となにも変っていず、赤貧の中で喘いでいるかのようである。それは山崎サンの大好きな北朝鮮の話である。獨裁国家じゃないんだから日本ではそういうことはあり得ない。でもこのひとは当時の北朝鮮を夢の国と思っていたな。まちがいない。

 日本が豊かになり、いかに自由な国になったかは、こんな反国家的なまちがいだらけのことを書いた本が出版されていることでも判る。山崎サンは恩恵を受けているひとりだ。それに気づきなさい。日本が東南アジアを経済侵略して豊かになったというのなら、こんな間違いだらけの能転気な本を出版しているあなたも同罪だ。



わたしは、マレイシア・シンガポール・インドネシアと三ヵ国を経巡った今度の旅で見たものを、あらためて思い返さずにはいられない。

 サンダカンやシンガポールの街路をいかに多くの日本製自動車が走っていたか、クアラルンプールやジャカルタの商店にどれほど多種類の日本製品がならんでいたか
、そしてそれらの都市またはその周辺にどんなに巨大な合弁会社の工場が建って、濛々と黒煙や白煙を吐いていたことか。


 他国に日本製品が溢れている。かつては「からゆきさん」のように輸出できるのは泣きの涙で別れた娘という悲しい肉体資本だけだった貧しい国が、がんばってここまで来た。
 欧米の自動車技術から学んで、廉価で故障しない日本製自動車を作れるようになった。獨自の電化製品技術を開発し、安価で優れた家電製品を作るようになった。それらが良い品を目聡く選ぶ東南アジア諸国で高額な欧米の商品よりも受けいれられ大人気だ。どこに行っても日本製品が溢れている。
 日本人なら誰でもうれしくなり誇らしく思うそういうことも、山崎サンにとっては罪でしかないのである。これもまた軍靴のない侵略になってしまう。とてもとてもこんなひととはまともな会話は交わせない。

 娘を外国に売春に出していた貧しい時代も悪い国(なにしろその娘は侵略のための兵器だったのだ)、そこから努力して工業製品を輸出できるようになっても悪い国。日本という国が山崎サンに気に入ってもらうにはどうしたらいいのだろう。北朝鮮になるしかないのか。

 この当時「自虐史観」という造語はまだない。このことばは意味がおかしいという意見もある。私も適切な表現とは思っていない。とりあえず便利なので使っているが。

 それでも山崎サンのこれらの文を読むと、しみじみと「自虐」であるなあと思う。
 こういうひとは何から歓びを得るのだろう。日本は悪いことをした、その日本人である自分は最低の人間だと語りあうことによって快感を得るのだろうか。それはひと好き好きだとしても、その基本がろくに調べ物もしていないただの「思い込み」であってはならない。



巡歴のあいだにあちこちで耳にしたところを総合すると、これらの合弁会社においては、驚くべき<民族的差別>が当然のこととしておこなわれている。

 それらの会社では、役職は全部または過半を日本人が占めており、同じ仕事をしていた場合でも日本人と現地人の人とでは給料に差異があって
、その差異は時に、日本人の給料が現地人の十五倍にのぼるほどひどいこともあった。


 日本企業が現地法人で作った会社で働く中心人物が職業的技術をもった日本人であり、役職にあったり本国と同じ高い給料を取るのは当然であり、まだ技術を持っていない、いわばパートタイマー的なブルーワーカーである現地人が日本人社員より給料が安いのは当たり前である。それは昔も今もどこの世界においても変わらないごくふつうの常識だ。それにケチをつけるなら、じゃあどうすればまともだというのだ。

 給料が15倍も違うことがあったと臆測で書いているが、東南アジアと日本では物価が違う。現地スタッフに日本人と同じ給料を支払ったら、それこそ彼らの感覚をおかしくしてしまう。バランスが崩れる。現地スタッフは日本人社員より遥かに給料は低かったろうが、それでもその他の仕事をするよりはずっと給料が良く、みなこぞって日本企業に応募し、喜んで働いていたはずである。その辺のことを何も書かず、ごく単純に日本人と現地人の給料差をあげて、まるで日本企業が悪であるかのように書くこのひとの心は病んでいる。山崎朋子がどんなに病んでいても構わないが、こんな本が文藝春秋から出ていたのだからおそろしい。



 海外に進出した企業における世界的常識が、このひとにとっては「民族的差別」になってしまう。そら恐ろしくなるほどの無知。よくもまあこんな「トンデモ本」が大宅賞受賞作家の作品として出まわっていたものである。呆れて口が利けない。

 この種のことを書くときはきちんと他国のことも書くのが最低の礼儀である。
 じゃあ東南アジアに進出しているアメリカやヨーロッパの会社は、現地人を役職に就け、自国スタッフと現地人スタッフの給料を同じにしていたのか(笑)。それを調べて、それが事実だったら、初めて日本企業を責めることが可能になる。そんなことがあるはずもない。そもそもそういう地域に進出するのは物価差から人件費も含め安く製造できるからである。現地人に日本人と同じ給料を支払っていたら進出した意味がないではないか(笑)。なにを考えているのだ、このひとは。
 経済的なことや政治的なむつかしいことはわからないと逃げるのはこのひとの常道だが、むつかしい以前の話である。常識以前の話だ。これじゃまるでヒステリックおばさんのたわごとである。

 それを山崎サンは日本がアジア諸国に対して行っている「軍靴のない経済的侵略」と言って非難する。
 しかしこれが最重要なことだが、「人間とはそういうもの」なのである。水が高きから低きに流れるように、有史以来世界各国どこでもそういうふうに流れてきたのだ。近代史で言うならイギリスに産業革命が起きて欧州を席巻すれば、今度はその技術を取りいれた国がイギリスに負けじと伸びて行く。その前の殖民地競争も同じ。ポルトガルが、スペインが、オランダが、イギリスが、他国を侵略した国がその時代の覇者となって行く。「侵略」を語るのなら、せめてその地点から始めねばならない。人間とはそういうものだ。

 経済的後進国は経済的先進国から経済的侵略を受ける。これは人間の歴史その物だ。これを否定したら人類の歴史が語れない。でもこのおばさんは、そのことにすら気づかない。みんな仲よく、みんな一緒に幸せに、みんな差がなく豊かに。人間がそういう生き物でないことぐらい知っているだろうに。いや人間に限らず動物世界だって同じだ。

 経済的侵略を受けた国は、そこから学んで行く。技術を学び、成長し、やがて輸入していた製品を自国で生産できるようになる。日本もそうやって欧米から学び自動車やオートバイを自国で作れるようになった。進出してきた日本企業で働いていた東南アジア諸国も、やがて自分達で家電を生産できるようになった。山崎サンの大好きな朝鮮や中国も、そうして学んで自国でクルマを作れるようになっていったのだ。すべてよくある世界的な順序通りの話ではないか。その全体像を無視して、世界中はみな仲よく良い国ばかりなのに、ひとつ日本だけが、かつても今も侵略ばかりしていると主張するこの歪んだ世界観はどこから生まれてきたのだろう。



 この「山崎朋子論」で、もう何度も書いていることだが、このひとは憎い相手を責めるためなら論理を無視する。都合の良いことだけを並べたてる。

 日本が憎くて非難するのはけっこうだが、それでも最低限の論理は守らねばならない。
 たとえば《驚くべき<民族的差別>が当然のこととしておこなわれている》と書くのなら、欧米の企業は日本企業と異なり、みな現地人を半数役員にして給料も同額を支払っていると例証しなければならない。それを例証し、なのに日本はそれをしていないと書いて初めて批判が成立する。
 そんなことは完全無視(笑)。その他の国々のことにはまったく触れず、日本が悪い日本は最低だとヒステリックに日本の非難ばかりしている。そりゃ簡単なそれを調べればどこの国も同じ事をしているからなにも書けなくなる。だからまともなひとはこんなトンデモ理論は書かない。でもこのひとは書く。そんなことを調べず、すべてに目を瞑って書いてしまう。ビョーキである。

 そもそも東南アジアに関する政治的なことを書くのなら、まずは欧米の植民地政策から始めねばならない。それこそ山崎サンの好きなことば「搾取」をアジアで彼らがどれほどしたことか。山崎サンの言う「蔑視と差別」がどれほどひどかったことか。

 ベトナム、カンボジアのフランス、ビルマのイギリス、フィリピンのスペイン、アメリカ、インドネシアのオランダ。それらの圧政がどれほど人民を苦しめたことか。その辺のことにはまったく触れず、戦前は「日本が軍靴で東南アジアを踏みにじった」、戦後は「軍靴のない経済という侵略」、そればかりである。およそものを書く資格のないひとだ。単なる日本嫌いのヒステリックおばさんである。



合弁会社につとめる日本人社員の家庭では、人件費の安くて済む東南アジアのこととてメイドを雇うのがまず普通だが、その使役にあたって、些少の個人差はあるだろうが蔑視、差別がまずもって日常茶飯事となっているらしいのだ──

 メイドを雇うことがあちらでの雇用促進にも及ぶことは言うまでもない。駐在員等が家を探すと、日本では2DKぐらいの家賃で大きな屋敷が借りられてしまう。というか会社規定の経費なのでそういうところを借りねばならないから前の借り主と同じくそのまま自然にメイドがついてくる。なにも人件費が安いから一度でいいから女中を雇ってみたいと貧乏日本人が見栄で雇うのではない。

 これらもまた「欧米からの引継ぎ」の要素が強い。もともと欧米の企業がやっていたことを新進の日本企業が成長してやれるようになったのだ。だから差別だの蔑視だのと書くのなら、まず最初にそれまでの欧米企業と比べねばならない。
「日本が悪いことをした」と書くのなら、その前に「欧米の真似をして」と書かねばならない。ただしくはそうせざるを得ない状況に「欧米に追いこまれたから」なのだが、そこは無智なおばさんと論争しても始まらないから百歩譲るとしても、世界に日本と東南アジアしかないような書きかたは笑止である。

 山崎サンが今も憤懣やるかたないらしい「朝鮮進出」も、根本は「対ロシア政策」である。それらに触れずに曲論を進めるのには無理がある。

 欧米の連中には現地人メイドに対していっさいの差別も蔑視もなかったのに、日本人だけがそれをしたのなら責められよう。そうではあるまい。なぜこのひとの文章は、そういう都合の悪いことは見ないふりをするのだろう。どうせ批判するのなら、欧米も含めた日本批判をすればいいのに、まるでこの世に欧米は存在しないかのような論を張っている。異常だ。



使役にあたっての蔑視、差別」に関しては、この本よりあと、昭和50年代以降に、東南アジア諸国でメイドを雇うことによって起きるドタバタについて書かれた本が何冊も出ている。
 タイではなぜかメイドのことを「アヤさん」と言う。タイ人と日本人の感覚の差から起きるドタバタを招いた「アヤさん物語」は数多い。それらは決して「蔑視、差別」ではなく、「民族気質の違いから起きる諸問題」である。

 メイドを使うことに慣れている欧米人は、現地人のメイドと上手に付きあえる。一線をきちっと引き問題を起こさない。それは蔑視でも差別でもなく「区別」である。

 ところが異国人のメイドを使うことになれていない日本人はそれが出来ない。これぞ島国根性の典型だろう。よくあるパターンで、メイドに対し「あなたも今日からはわたし達と同じ家族の一員よ」なんてやってしまう。そのことで起きる様々な問題。たとえば家族用のコーヒー等をメイドがかってに飲んでしまう。日本人にはその感覚がわからない。叱っていいのかどうか迷う。しかしあちらからすれば家族同様と言ったのだから当然になる。

 こういうのは「おまえは使用人である。我々は雇用者である」という明確な線引きの出来ない(ほぼ)単一民族の日本人故に起きることである。各種の「アヤさん物語」には、これでもかというぐらいそういう日本人とタイ人の気質の差によって起きる諸問題が書かれている。

 これらの問題は山崎サンの言う「蔑視、差別」とは正反対だ。日本人特有の「差別してはいけない差別してはいけない」という過剰な意識が問題を起こしているのである。
 これまた御主人様と使用人の立場を明確にする欧米人の対処法と比較すれば明確なことだ。なぜこんなことにも無智なままひたすら日本人攻撃をするのか理解に苦しむ。いや無智だからこそ出来るのだろうが。



 日本人のこの種の感覚の最たるものがあの「創氏改名」だった。朝鮮贔屓の意見とは理由の根源がまったく逆になるが「愚策」という判断では意見を同じくする。まことにあれは愚策だった。
 支配した民族にはその民族名を名乗らせ、支配被支配の違いを区別しておくのが正しい。欧米の植民地政策はその点徹底している。ところが日本は殖民地政策ならぬ同一化政策などといえ奇妙なものを唱え、朝鮮人にも「天皇の赤子」を用いた。愚かなことである。異国民に自分達と同種の感覚を強要する無理に気づいていない。これぞ島国根性である。

 これは異国でメイドを使う日本人が、雇用者と使用人のあいだには一線を引いておくべきなのに、「今日からあなたもわたし達の家族の一員よ」とやってしまって問題を起こすのと同じである。アラビアの諺に「らくだにテントに首を挿れるのを許すと、やがて全身を挿れてくる」とあるように、両者の立場は区別しておくことが互いのためなのだ。

 それでいて、自分の方からそんなことをしておきながら相手にそれに見あう気遣いがないと、「使用人のくせに図々しい」と怒ったりする。なんちゅう心の狭さ。身勝手。ほぼ単一民族で異国民との接触がない島国根性の最も悪しき点だろう。自分が相手に気遣えば相手も同じ気遣いもすると思い込んでいる。心を込めた贈答品なのに「つまらないものですが」と遜るのと同じ感覚だ。そんなことをわかってくれるのは同じ島国の人間だけなのだ。
創氏改名」と「アヤさん問題」の原因は同根である。



 たった三週間いくつかの国々を廻っただけで、ろくに知らないことを「らしいのだ」で書いてはならない。恥を掻くのは本人だ。実際この本が出た後いくつもの面で山崎サンは赤っ恥を掻いたであろう。知りもしない事情を日本人を批判したいがために書いてしまうこのひとの感覚は狂っている。

 時代が時代であると当時の情勢を考慮すべきかも知れない。古い本なのだ。まともならそうすべきだ。だがこのひとは、この当時の考え、感覚、そして「文章を書く姿勢、手法」が、いまもまったく変っていない。変っているならこちらも考慮する。だが変っていない。よくもわるくも一貫しているので、こちらとしては批判しやすくて助かる(笑)。



 これらのことから、山崎サンは、サンダカンにおける「からゆきさんの墓」を永久に保存したいと願うけれど、それは言えないことだと結論する。

東南アジア諸国の人びとの眼から見れば、日本は、第二次世界大戦までは軍事侵略を敢行し、その失敗後は矛を資本に変えて侵略をつづけている国であり民族である。

 とすれば、
からゆきさんという存在も、個人的にはその不幸に満腔の同情を寄せたとしても、民族的立場に立ちかつ政治的文脈において見るなら、やはり日本のアジア侵略の一環だったということになるざるを得まい。

 そして、この百年近い歳月を日本の侵略政策に苦しめられ現在もまた痛めつけられている東南アジア諸民俗の胸中を思いやると、彼らに向かって、日本底辺女性史の証言であるからゆきさんの墓地を永久に保存せよ──と言うことは、わたしには口が裂けてもできないのだ!


 口が裂けてもできないのだそうである(笑)。ビックリマークで強調している。假面の「からゆきさんの味方」からやっと本性を現した。

 まるでこの世には東南アジアと日本しかないような書きかたをしている。世界の歴史など完全無視だ。
 東南アジアを長年殖民地にしていた欧米のことには一言一句触れず、ひたすら百年にもわたって日本がアジアを侵略し続けたと言い募る。どこでなにをどう学ぶとこんな考えになるのか。

 後にマレーシアのマハティール首相が指摘したように、自分達を支配している欧米諸国と五分に戦うアジアのちいさな国日本が、殖民地にされていたアジア諸国に勇気を与え、その後の獨立闘争に繋がったというような事実は一切無視し、ひたすら「加害者日本」ばかり見ようとしている。それはこの本を書いてから30年立った今でも変わりない。このひとのスタンスだ。

 出版された時代を考慮しても、こんな基礎教養のない偏向したヒステリーおばさんの文章をよくもまあ文春は本にしたものだ。いや基礎知識が缺落しているのではない、まともな視点から全体を見て書く能力がないのだ。盲いている。なにも見えないのだ。この世で最もノンフィクションライターになってはならないひとである。


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●山崎朋子サンのセックス論に関して


 それらはまた総論にまとめるとして、この本から感じた奇妙なものとして、もうひとつ山崎朋子という女ノンフィクションライターに関する素朴な疑問を呈示する。それはこのひとの「性に対する考えかた」だ。山崎サンは、この本でこう書いている。

《しかしながら、からゆきさんのような酷烈な体験は経なくても、この男性優位の社会においては、かたちと程度の違いこそあれ
すべての女性が、例外なく男性の性奴隷的存在ではあるまいか。》


 わからない。このひとは愛する男と身も心もとろけるような時間を過ごしたことはないのであろうか。あれほど愛した東大大学院生朝鮮人とはどんなセックスをしていたのだろう。彼とのセックスもいつも{男性の性奴隷的}なものだったのか。真に男と女の結びつきを知っていれば、こんなバカな意見は出て来ない。なにをどうすればこんな感覚になるのだろう。

 これがたとえばタジマヨーコのような、ブスのひがみと取られることを怖れて若い頃からわたしはもてたとむきになって吹聴している、おそらく男に大事にしてもらったことのない、とろけるような甘美なセックスとは無縁であったろうマントヒヒみたいな顔の生涯獨身女の言うことならまだわかる。(タジマヨーコは三十代の留学時代、イギリス男と熱々だった時期があるらしく、こんな言いかたはしていない。まあこれも眉唾ものだが、ああいう顔が日本人には理解不可能などほど白人にもてるのも事実である。)

 しかしこのひとは写真モデルを務めるほどの美貌とスタイルで、朝鮮人と熱烈な恋愛、事実婚をし、彼と別れた後も今の年下の亭主と一緒になり娘を生んでいるのである。離婚もしていない。出産も経験している。夫婦円満のようだ。なのにこの《すべての女性が、例外なく男性の性奴隷的存在》とはなんだろう。

「すべての女性」であり「例外なく」であるから、当然本人の山崎朋子サンも、旦那の性奴隷的存在なのだろう。「すべての」と書くのなら、ぜひともこういう場合、「わたしもそうだ」と明言して欲しい。

仕事で疲れ眠りたいのに、夫が無理矢理のし掛かってくる。私にとってセックスに快感はなくただただ苦痛なだけだ。なぜ女はこのような苦痛を一方的に男から強いられるのだろう。すべての女は男の性奴隷的存在に過ぎない。わたしはそれを夫に主張し、以後寝室を別にした。以降一度もセックスはしていない」とか、こんなふうにキチンと書いてくれたら納得するのだが、むろんこれは私の創作。この種の事にはまったく触れられていない。。

 このひとの文には、こういう極端なことを言う場合、自分には触れず一般論として逃げる姿勢がある。よくない。
 しかしまあこんなことを書かれて黙っている亭主って惨めだ。女房が自分のことを亭主の「性奴隷的存在」と書いているのである。亭主の面目丸潰れだ。それでもこの亭主は文句ひとつ言わないのだろう。この亭主がちっとも魅力的でなく、顔のないのっぺらぼうであることが、この一文にも象徴されている。



 まともな性の楽しみを知っている女なら、男の可愛いらしさもわかっている。どんなに猛々しい男も、自分の胸の中で、女という海の中にたゆとう小船のようになってしまうと餘裕を持って言えるだろう。あらゆる意味で女のほうが大きい。どんな男も女から生まれてきた。だから亭主を支配できるのだ。
 暴君のような亭主と健気にそれを支える女房。女にとっていいことなどひとつもないように見える夫婦。なんで別れないのだろう、あんな男のどこがいいのだろうと周囲は思うが、そこにはふたりにしかわからない世界がある。それが男の女の深さだ。昼は暴君でも夜は甘える小犬のようになる男もいる。男の器を見抜けば女はそれを包んでやれる。

 また一方、まともに愛しあっている男女では、性の享楽を覚えた女の性慾の強さに男がたじたじとなるのもよくある話だ。男の性慾だけが一方的に暴力的、身勝手とは言いきれない。セックスはひとりでは出来ない。ふたりでするものだ。それはふつうに愛しあっている男女ならだれもがわかっていることである。



 ところが山崎朋子サンの解釈だと、女はみな男の性奴隷的存在になってしまう。つまり、そこに女側の快楽は一切なく、苦痛だけであり、それを男に求められたときは、いやいやながら耐えてつき合わねばならない屈辱の行為でしかない、らしい。

 なんでこんな考えが生まれるのか。
 耳をほじくる小指と耳の穴でどっちが気持ちいいかと問われるように、性の快感を享受し天国を舞う女を見ると、男は一度でいいからあんな快楽を身にしてみたいとあこがれる。「次は女に生まれてみたい」という男のほとんどはこの辺から妄想している(笑)。

 そしてまた男は、女にそれほどの快感を与えた自分の存在に自信を持つ。女は感じることによって男に明日も闘う元気と自信を与えているのだ。まことによくできた両者の関係である。なのにそれは40を過ぎた既婚者、経産婦なのに山崎朋子サンにとっていまだ知らない世界のようなのだ。山崎サンは自分の胸の中で甘える男のかわいらしさを知らない。山崎サンが快感に身悶えし、そのことによって男に自信を与えることもない。山崎サンもかわいそうな女だが、亭主もまた気の毒な男である。どうしてこんなことが起きるのか。



 ここから導きだされる結論は単純にして明快だ。このひとは冷感症、不感症なのだろう。セックスにおいてまったく快感がなく、ひたすらそれは苦痛なだけなのだ。自分がそうだから世の中の女はすべてそうだと決めて掛かっている。そうでなければ「すべての女は例外なく男の性奴隷的存在」なんて珍妙な言いまわしは出て来ない。なんとも気の毒でならない。

 この場合、夫が不能、あるいは病的な早漏、短小で女に快感を与えられないという解釈も出来るが、それはちがうだろう。女は夫の能力とは別に性に目覚めるからである。山崎サンの側の問題だ。しかし不幸は男にもある。まったく、この亭主はこんな女のどこがいいのだろう。

 その原因は、肉体的な缺陥ではなく、生まれ育ちから来る性に対するタブー感覚が快感を制御してしまったように思える。というか不感症というのは総じてそういう精神的なものであるが。

「サンダカン八番娼館」では、初潮も始まらない13歳から娼婦になったおサキさんが、男女のそれなんてすこしもよくない、自分は気持ちいいと思ったことなど一度もない、男を早く終らせるために演技で感じるふりをしたことはあるが、と語っている。
 おサキさんが言うのならわかる。だがなぜ山崎サンはそうなってしまったのだろう。顔を切りきざまれた後にそうなったならわかるが、その前のいまもいとしい最愛のあの朝鮮人革命家とも、燃えてとろけた夜はなかったのか。ひたすら性奴隷的存在だったのか。

 いったいなにがあってこのひとはこんなことになってしまったのだろう。
 読めば読むほど気の毒になるひとである。

 
   山崎朋子まとめ読み.3.5に続く



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