2006-2007
06/3/5  Rikako嫌い

 以前から村上里佳子という女が嫌いだった。生理的に合わないのである。顔も体も言うことも全部が気に障る。(体は見たことないけどね)。
 だからこの文はいま2006年に書いているがホームページを始めた2001年に書かれていてもおかしくなかった。今まで書かなかったのは至極明快。書く気にならないほど嫌いだったからだ。テレビに出てくると必ずチャンネルを替えていた。

 どういう女なのかいまWikipediaで調べた。私はこの女の名前を漢字でどう書くかなんて知らない。上記のフルネームは下記からのコピーである。

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村上里佳子(むらかみ りかこ、1966年3月30日 - )は、神奈川県横浜市生まれ。昭和後期・平成期(1980年代~)のタレント・女優である。本名は吉川莉加子。東京都立日比谷高等学校(定時制)中退。血液型はA型。元夫は俳優の渡部篤郎。ローマ字のRIKACOとして活動する事もある。かつて、オフィスまとばに所属していたが、現在は獨立して個人事務所ハンズアップに所属。

モデルとして芸能界デビュー後、タレント・女優に転身し1993年に同じ事務所に所属する俳優の渡部篤郎と結婚、その後2人の息子を出産したが2005年12月25日、渡部と離婚した。

出演番組

  • 「伊東家の食卓」(日本テレビ系)

過去に出演していた番組

  • 「湘南女子寮物語」
  • 「GTO」(フジテレビ系)
  • 「板橋マダムス」(フジテレビ系)
  • 「ここがヘンだよ日本人」(TBS系)
  • 「別れさせ屋」(よみうりテレビ・日本テレビ系)
  • 「体育王国」(TBS系)


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 さて、今まで書かなかったほど嫌いなこの女のことを何故にいまこうして書くことにしたかというと、自分の中でますますその度合いが増してきたことを自覚したからである。完全絶縁のためにも書いておこうと思った。
 元々はモデルであり派手な夜遊びの中でマリファナや覚醒剤で話題になる女だった。渡世術はうまいらしく、消えろと願っているのにむしろテレビ業界の中で上手に出世してきた。ドラマやバラエティにまで進出してきた。そうそう、好きだった「ここがヘンだよ、日本人」も、この女がレギュラなのがイヤでたまらなかったものだ。この女がでしゃばってしゃべっているのが不愉快で消したことが何度かあった。

 私はこの女とは関係なく「伊東家の食卓」のような家族揃ってみられるような毒のない番組が嫌いだが、さらにはこの女がレギュラなのだから見るはずもない。とにかくこの女がブラウン管に映ると消してきた。

 そういう形で一線を引いていられると思っていた。だがどうやらそうもうまく行かないと知る。
 つい先日、この女が「踊る! さんま御殿」に出ていた。私はこの番組を第一回からヴィデオに録ってもっている。外国に行っているあいだに何回かは逃しているだろうが、9割方はもっているはずである。その何回かにはこの女も登場している。不愉快になりつつも私は見られたことになる。

 この番組は私にとって「晩酌時の好ましいBGV」なのだ。まずリアルタイムで見ることはない。必ず録画しておく。そうして二、三日遅れの深夜、あるいは明け方、仕事に一息ついたとき、一杯やりながらこれを見る。毒にも薬にもならない気楽さと、さんまの上手なしゃべりが、深夜(あるいは明け方)に、寝る前のひとときを上手にもてなしてくれる。大切な番組であった。

 先日も録画しておいたこれを明け方に見た。晩酌ならぬ朝酌をしつつの大切な時間である。そのために見ないで取ってある。ところがこの女が出ていたものだから、そのしゃべりやはしゃぎぶりが不愉快で、とうとう途中で消してしまったのである。長年「さんま御殿」を見ているが初めての経験だった。
 期待外れだった録画番組でも削除するかどうかはすこしは迷う。たとえば凡試合続きのK1でも、消すのはもったいないかと思ったりする。なのに私はこの長年録画し続けてきている番組を一瞬の躊躇もなく消していた。まず絶対見直さないと確信したからだ。さんまとその他のゲストすべてが作り出す楽しい空間よりも、この女がいることの方がイヤだった。

 これからは録画しておいてあとで楽しみに見るいくつかのヴァラエティ番組(さんま御殿やヘキサゴン等)に、この女の名を見かけたら、最初から録画しないことにしよう。

 いまここを読んでいるあなたがこの女を好きでないことを祈る(笑)。

07/5/1
大竹しのぶ「私一人」


 図書館で見掛け、なんということなく借りた。むかしから大竹しのぶという巧い役者には好感を抱いていた。この本が出たことも記憶していた。

 もう二十数年前、中村晃子からの掠奪愛が話題になったころ、倉本聡脚本で「芸能人がそういう恋愛をするドラマ」が作られたことがあった。タイトルは忘れた。私には「茶色の小瓶」や「ムーンライト・セレナーデ」等、音楽にグレン・ミラーが使われたことが印象的だった。それまでも知っていた名曲だったが、「ああ、こんなふうに使うのか」と感激するほど魅力的な音楽挿入法だった。私がいまHDDにグレン・ミラー楽団の有名曲を入れているのはこのドラマを見た影響が大きい。
 相手役は萩原健一、局はTBSだったか、要するに倉本から大竹への応援歌のようなドラマだった。

 不倫でも掠奪愛でもそれぞれがそれぞれの責任でかってにやればいい、と当時から思っていた。口を出す気はない。中村晃子に魅力を感じたことがなかったから、大竹しのぶは決して美人ではないけれど、ハットリという男が若い大竹に乗り換えたのは当然のように思えた。「前略 おふくろ様」以来尊敬していた倉本がそういうスタンスをとったこともあり、私は大竹支持の感覚を強くした。
 ハットリさんの死後、さんまとの結婚もよかった。記者会見での「若くてきれいな人がいっぱいいるのに、わたしなんかを」という大竹の発言もよかった。
 大ヒットした「男女七人」はリアルタイムでは見ていない。ああいうドラマを毎週楽しみに観る感覚はない。のちにレンタルビデオでまとめて見た。これも大竹の演技が見たかったからだ。
 演技の巧い役者であり私は一貫して大竹びいきだった。でもこの本を読んですこし感覚が変った。

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 あまりに好き放題、やりたい放題の人生である。役者だからそれでいい、と思う。藝人が常識的である必要はない。いや常識的であってはならないのかもしれない。
 そう思って見直せば表紙に「自分のために生きていきたい」としっかり書いてある。まさに自分のためにだけ生きてきた女の半生記である。つまりこの本、大竹しのぶという女がいかに自分のため、を第一義にして好き放題に生きてきたかの軌跡を書いた本である。当然ながらそこには反省も悔いも一切ない。すさまじい割り切りである。私のような欲望を抑えひっそり生きてきた凡人は呆れて口あんぐり、というのが正直な感想になる。じゃあひっそり凡人は、この役者の好き放題の生きかたに接してうらやましいと思ったか、となるとまた違う。うらやましいとは思わない。それどころか「これは、ちょっと違うんじゃないか」と反感を抱いてしまった。

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 最初の夫のハットリさんは離婚経験が二回ある四十男だった。二人の元夫人のあいだに三人の子があった。その当時は歌手の中村晃子(=「虹色の湖」)と長年同棲していた。実質的な結婚状態だった。札付きの遊び人である。その彼に大竹が惚れて迫る。男はすぐに若いのに乗りかえ中村を棄て、大竹との同棲から結婚にいたる。この辺の愛憎劇は当時の女性週刊誌で読んだのでよく憶えている。中村が「あんな男、熨斗をつけてくれてやる」と負け惜しみを言っていた。今じゃ週刊誌なんて一切読まないが当時は女性週刊誌まで缺かさず読んでいた。自分に自信がないので情報でそれを補おうと考えていた時期である。

 このハットリさんは大竹とのあいだにニチカ君を作り、結婚数年で早世する。現在慶應大生のニチカ君は最近キャバクラとかを派手に遊びまわっていると話題になっていた。ってけっこう今でも週刊誌読んでるな(笑)。
 ハットリさんが亡くなり二度目の結婚相手のさんまとのあいだにいまるちゃんが生まれる。籍は入れなかったが実質的三度目の結婚のような長期同棲相手が演出家の野田秀樹。こどもたちはさんまをボスと呼び、野田をウルトラマンと呼んだそうな。さんまがニチカ君に自分をボスと呼ばせたことは知っている。それはパパやおとうさんはハットリさんのものだからという彼なりの遠慮だったのだろう。
 この本の中でさんまと野田は大竹に手厳しく批判されている。死んでしまったものはうつくしい。ハットリさんは称えられる。ニチカ君との会話で、天国にいるお父さんが絶讃される。大竹の愛の破局はみなあまりにすばらしいハットリさんと比較してしまうからだという。ほんまかいな。

 ハットリさんは赤ん坊のニチカくんをかわいがったという。それまでに出来た三人の子には触ることすらしなかったのに、ニチカ君だけはかわいがって抱いたという。こんな気持ちは初めてで不思議だとハットリさんが語ったと大竹は書いている。それじゃ抱かれもしなかったそれまでの三人の子はどうなる。こういうことを平然と書いてしまう大竹の神経がすごい。腹違いの三人の子への思いやりなどみじんもない。半端にあったら気味が悪いが完全にないのもまた異様である。まさに自分のことしか考えていない。
 現実的に考えて、最初の妻とのあいだに二十代で作ったふたりの子供、二人目の妻とのあいだに三十代でつくった三人目の子供にはさして興味がなく、四十を過ぎて出来た三度目の女房との子だけは特別にかわいかった、ということはありえよう。でもまたこういうのって前夫人、前々夫人にインタヴュウしたら、「当時から子煩悩で溺愛してました」となる可能性もある(笑)。この種の男はこういう「おまえだけだよ」と平然と嘘が言える。それにしても、どうにもこの辺の大竹の「自分溺愛主義」の感覚がたまらない。

 ハットリさんは結婚数年で急逝したから高められているが、生きていたら、また大竹からより若くてかわいいのに乗りかえていったろう。私はそう思う。そういうふうに生きてきた男は必ずまたそれを繰りかえす。タカハシゲンイチローを見よ。
 そしてまた世の中には、「これがあの大竹しのぶの亭主か。大竹から奪ってみたい」と思う女がいる。他人のものが欲しくなるタイプだ。若くて綺麗な女が迫る。ハットリさんは拒まないだろう。ハットリさんが生きていたら必ずそんな問題が起きたはずだ。二度の離婚歴、三人の子供、同棲中の中村晃子がいるのに大竹に迫られたらすぐに乗りかえる男である。節操などない。女房が三人目の子を妊娠中にタマルミスズに乗り換えたミサトナントカというジャーナリスト(笑)を思い出す。現在、タマルミスズの経歴からミサトミスズ時代は抹消されている(笑)。

 ミュージシャンの後藤が元シモンズの女房を棄てて当時アイドルだった木之内みどりと愛の逃避行&結婚をしたとき、棄てられた元女房は言った。「あの人(木之内)もやがて必ず同じ目に遭う」と。それは憎悪の言葉ではなく、亭主の性癖を知りつくした女房の苦笑しながらの予言だった。後藤は木之内に倦きると次の若い女に手を出し、その通りになった。木之内が本当の愛をみつけるのはそれからずっとあと、後藤と別れて数年後、竹中直人との出会いだった。

 こういうタイプの男は金と体力がある限り同じ事を繰り返す。一種の病気である。治らない。何度目かの女房でおとなしくなるのはそれがやっとたどりついた至高の愛だからではない。じじいになって勃たなくなったからである。

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 ま、こんなことはどうでもいいや。もしかしたらハットリさんは大竹と添いとげたかも知れないし、ハットリさんの病気のことを相談しているうちにさんまと恋仲になった大竹が、ハットリさんの病気が治ったら、ハットリさんを捨ててさんまと結婚したかも知れないし、いくらでも分岐は拡がってゆく。そんなもしもを推測してもしょうがない。
 たしかなのはこの本がそういうすさまじい「大竹イズム」で書かれていることである。まるで自国に都合のいいようにすべての歴史をねじ曲げて書かれた中共や朝鮮の歴史教科書を読んでいるようだ。

 大竹しのぶという役者が巧いのはまちがいないが、今後彼女の作品を見るとき、私はちょっと引いてしまいそうである。読まなきゃよかった。

 Wikipediaの「大竹しのぶ」の項目にこんな部分があった。

1990年代には、演出家・野田秀樹と同棲生活を送っていることを公表していた。本人は現在でも「野田さんには感謝している」と自書やテレビで述べている。しかし彼女の男性遍歴やワガママな発言などから一部で彼女に対する賛否が分かれている。

 芸能界での評判は知らないが、この本を読んだら賛否は分かれるだろう。


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 記載されていないドラマ──5/20

 図書館で見た「倉本聡脚本全集」に、このドラマがなかった。とはいえ全部そろっていなかったのでまだ可能性はある。でも倉本さんの脚本ではなかったのか、と不安が過ぎった。

 さらに不思議なことにWikipediaの大竹しのぶの履歴にもこのドラマはなかった。
 が、これへの疑問はすぐに解消した。大竹しのぶの公式ホームページにいってみると、Wikiの履歴はそこのコピーなのだった。
 Wikiにはいつも世話になり感謝しているが、こういう雑な部分を知ると鼻白む。誰でも書き込めるWikiの記事なのだから、大竹しのぶの項を書く人は、本人すら忘れていた出演作も網羅するようなマニアであって欲しい。公式ホームページのコピーではなさけない。さして大竹のファンではない私ですら覚えているドラマを知らない人は、大竹についてWikipediaに書く資格があるまい。
 
 自信を持って言い切れるのは、「大竹しのぶ主演」「音楽がグレン・ミラー」「共演が萩原健一」。
 確実だと思うのだがすこし自信がなくなってきたのは「倉本聡脚本」「TBSで夜10時からのドラマ」
「大竹しのぶ 倉本聡」で検索してもヒットしない。勘違い?
 どなたか詳しい人がアドバイスをくれるといいのだが、ちと不安になってきた。

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ありました! 6/1

 PC作業の合間ふと思い出し、また検索してみた。「大竹しのぶ 萩原健一」で。
 するとありました。よかった。

 黒田昭彦さんというかたが書いていた。

http://allabout.co.jp/entertainment/drama/closeup/CU20060326A/index3.htm

タイムリーな企画

大竹しのぶと服部晴治Dの交際が発覚した時、「略奪愛」と呼ばれ芸能ジャーナリズムにたたかれます。
この事件の直後に大竹しのぶ主演ドラマのネタとしたのが倉本聰脚本の『ガラスの知恵の輪』(1982)。


清純派女優・安西ユカ(大竹)がプレイボーイの俳優とホテルで会う約束の電話をピエロのハチ(萩原健一)が聞いてしまう。親友のフリーライターの子どもが入院し金に困っていたため、ハチはそのネタをしゃべってしまう。
しかし、大スキャンダルになったことに後悔し、ハチはユカの助けになろうとするが…


マスコミ批判、『北の国から』の直後なので舞台は北海道(二人の故郷・小樽)にとび、山場でハチの父親が死んでしまうと、倉本聰の得意パターンてんこもりの隠れた傑作です。

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 書き手の黒田さんはプロではなく一般視聴者のドラマ好きとのこと。でも仕事の依頼も受けつけると書いてあるから、セミプロなのか。とにかく助かった。

 私がこの作品について書くとしたら、ぜったいに「グレン・ミラー」抜きには語れない。黒田さんはまったく触れていないから音楽好きではないのかもしれない。ともあれありがとうございました。記憶というのは「しっかりしたもの」か「わすれてしまった」がいい。「わすれてしまったは記憶か?」とツッコミを入れられそうだが、そうです、忘れた、というのは忘れたという記憶です。半端に「たしかこれで正しいはず」というのがいちばんたちが悪い。
 それにしても大竹しのぶはなぜ自分の履歴からこのドラマを消してしまったのだろう。公式ホームページの履歴は以下のようになっている。

'75NHK朝の連続テレビ小説「水色の時」主演
'86TBS男女7人物語シリーズ

 この86年以降は毎年のように出演作を掲示している。なのにこの間の11年はまるでなにもなかったかのようだ。
 これで大竹と倉本が不仲ならわかる。当時のことは思い出したくないとか。
 でもそうではない。最近も一緒に仕事をしている。わからん。

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 知らないことはどこででも何を使ってでも勉強できる。だがこういう不確実な記憶を確認するには方法がない。それこそ新聞や雑誌の相談欄に「こんな内容のドラマなんですけど、どなたか覚えてませんか」とでも尋ねるぐらいしかない。それで返事が来たらもうけものだ。もしもインターネットがなかったら私のこの不安をずっと抱いてゆかねばならなかった。(というか、インターネットがなかったらこんな文章を書くこともないわけだが。)
 それがネット世界では即座に正解が見つかる。なんとも便利な世の中だ。


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