-2004
04/1/13


西川きよし政界引退
 接続を切る前にスポーツ紙を覗いた。豫想外のビッグニュース(?)がこれ。57歳、3期17年、いったいなにをやったのか。なにもやっていないと思うが(なぜなら無所属の参議院議員一人ではなにも出来ないのが現行の日本のシステムだからだ)、もしかしたら隠れた功績があるかも知れないのでそれに関しては触れないようにして、次に進む。
 私は大阪を崇拝し侮蔑するというアンビバレントな感情を持っているが、その象徴例が西川きよしの上昇志向でありそれを支持する大阪人の感覚になる。と、これもまた今回はおいといて、ひとつのことに関してだけ書く。

「ひとりの議員が長くやることはまずいと思っていたのでずっと前からやめることを考えていた」
 これはいい。しかし「後継として長男(35歳)の出馬が噂されている」ってのはなんだ。こういうものは西川が否定しても出てきたりするものだが、否定していない。そこがなんともたまらん。
 朝のワイドショーが「中学しか出ていない人間がどこまで出来るか挑戦したい」と初当選で涙ぐむ過去の映像を流している。彼の結論は出たはずだ。

 西川きよしが、橋本、小渕、森、歴代総理に国会質問した場はすべて見ている。礼儀正しく、決して総理を不快にしないように気を遣った質疑応答だった。その意味では限りなく自民党に近い存在だったのだろう。そのことには不満はない。社民党のツジモトなんぞよりは遙かに好意を抱いた。
 ちょっとあきれたのは、森総理との応答の時に、森がなんといったのだったか、それに対して、「はい、それは今も覚えております。私に自民党に入らないかと最初に声を掛けてくださったのは、当時××をなさっていた森さんでありました。あのときのことは今も感謝しております」と言ったことだった。××は小渕政権時代の幹事長ではなかったから、その前の役職だろう。森は自分におべんちゃらしてくる部下を見るおももちでえへらえへらしている。国会の質疑応答の場で、個人的な関係の感謝を述べているのだから、これはもう噴飯もので、この人が国のことを考える国会議員ではないことを自ら暴露しているようなものだった。無礼にかみつく野党議員にこそやる気があるとは言わないけど、いくらなんでもあれは腰が低すぎたのではないか。

 17年やった西川の結論。
 まず「国会議員はもうからない」。これはもう早々と大仁田も口にしている。桝添も忙しいばかりで儲からず赤字だとこぼしている。そうなのだ。国会議員は儲からない。儲からないからこそ権力(権力はある)でもって右のものを左に動かし、そこから礼金(賄賂と呼ばれる)をもらおうとする。
 次に「なにもできない」。彼が唯一徹底したことで無所属だったことがある。これは褒められることであろうし世間的にはそれが大勢だが、しかし一方でまた「政治のことなどなにも考えていなかった」とも言える。無所属というフリーの身で何かが出来るならそれに超したことはない。だが現行の制度では無所属のひとりぽっちではなにも出来ない。それはタナカマキコがすぐに民主党のグループに所属したことでもわかる。国民から拍手喝采を浴びる国会での質疑、そのことによって動くマスコミ、それらと連動するためには、ひとりぽっちではいられないのだ。彼が17年間いたということはすなわち、政治家としての大志は芽生えなかったということである。きょうも得々と自分がいかに多くの党から声を掛けられ、それでも無所属を通したかと語っていたが、それは藝人との二足のわらじで、そこまでしか政治のことを考えていなかったという証明でもある。
 そして「おなかいっぱい」だ。17年間やってきて金はもうからず、実質的になにも出来ず、名誉という勲章も手にした。元々は藝人だ。残された時間を自由な藝人として思いっきり活動してみたい。そう結論したのだろう。
 こちらからすると彼ほどテレビに出まくっていた国会議員はいない。それはまあ当然で、拉致被害者事件以降、平沢勝栄議員等もワイドショーの常連となったが、それ以前には国会議員がテレビに出る理由すらなかった。場もなかった。あったのは彼のようにお笑い番組に出る藝人議員だけだった。それでも彼のほう、あるいはテレビ局からすると、「昼間に出るのはまずい」のように、かなり自粛、規制していたらしい。
 もしも彼に政治家としての上昇志向、それこそ総理大臣になりたいほどの思いがあったなら、北朝鮮拉致事件もかっこうの活動の場となったろう。なにもしていない。本当になにもしていない政治家だった。つまりそれは彼の「中卒の男がなにを出来るか」の頂点が国会議員になることまでで、それ以上ではなかったのだろう。あくどい上昇志向としてはノックのほうが上か。

 ぼくはもっともっと国会議員には給料をやり、秘書を雇えるようにして、法案製作のために活発に活動できるようにすべきと考えている。身動きできないようにして、金もちょぼちょぼだから、裏金をもらおうとしたり、落ちるのがこわくて地元に道路と橋をもってくるのばかりが受かったりするのだ。考えてみるがいい、現政権でいちばんの財産家が麻生太郎だ。4億5千万。野球やサッカーをやっている若者が一年で稼ぐ金ではないか。いいかげん国会議員が血税を無駄遣いするろくでもない存在のように喧伝するテレ朝的報道からは脱却すべきだ。このままでは国のために働こうという若者が育たない。「将来は総理大臣になって日本と世界のために働きたいと思います」と小学生が作文に書くべきなのだ。
 国会議員にはもっと給料をやれがぼくの持論だが、同時にもっと員数を減らし、選挙制度を改革し、どうでもいい国会議員を淘汰しろ! もまたそれ以上に強烈な主張になる。西川や大仁田はその代表だ。橋本聖子、公明党の芸能人。西川がやめることは望ましい。

 西川きよしは興味のない人なので彼のことはどうでもいいが、しがみついていれば国会議員という名誉をまだまだ保持出来たのに、それを辞めると言ったことは評価する。が、それが息子を二代目にするためだったとなったら、これはとんでもないことだ。また、いくらなんでもそれには「ノー」というものと、大阪人の常識を信じたい。オータフサエの対抗馬はエモトか。どうなる、オーサカ。オーサカ人でなくてよかった。
03/1/18


民主党古賀議員学歴詐称か?

昨年11月の衆院選で初当選した民主党の古賀潤一郎議員(45)(福岡2区)が選挙の際に公表した学歴を詐称していた疑いがあることが17日、分かった。

公選法は当選目的で虚偽の経歴を公表することを禁じている。古賀氏は同日、福岡市南区の事務所で記者会見し、「卒業などの手続きは弁護士に任せていた。週明けに大学に確認したい。卒業を確認できなければ辞職する」と述べた。

古賀氏は衆院選で自民党前副総裁の山崎拓氏(67)らを破った。選挙前、読売新聞などが記入を求めた調査用紙の学歴欄では「米ペパーダイン大卒」としていた。しかし、関係者によると、1978年9月から82年12月まで同大に在籍していたものの、学位は取得していない、という。古賀氏は「弁護士に任せていたが、自分は卒業したと思っている」と話した。 (読売新聞)


 あまりにアホらしいので芸能ネタに分類(笑)。
 「卒業証書はもらったが紛失した」と今まで話していた。だったら確認しなくても卒業しているはずである。これで卒業していない(卒業証書は発行されていない)と確認されたら、紛失した卒業証書とはなにかとなる。みっともない話だ。だいたいが今の時代、さわやかテニスプレイヤまではいいとしても(よくないか)、アメリカの大学卒業なんて売り物にならんて。辞任したらヤマタク繰り上げ当選か。女性票が減ると周囲の反対で参院に出られなくなったらこんな手があった。しかしまあかっこわるい事件だ。「手続きは弁護士に任せていた」は流行るな(笑)。

附記】 こういう場合は繰り上げ当選ではなく再選挙と確認。そうなったらコガもヤマタクも共に出るという。コガが「潔く辞任して補欠選挙に臨みたい」と言っているってことは本人は(あたりまえだけど)学歴詐称がわかっているってことだろう。このわざとらしい「卒業証書はもらったが紛失」の部分は追求してもらいたいものだ。もしもありもしない卒業証書をあったかのようにふるまっていたなら、学歴詐称は確信犯(←ことばの誤用)だったことになる。
 ただしあのノムラサチヨがどう考えても詐称なのに結局わからずじまいだったようにアメリカとのやりとりはわからない。なぜあの福島の小学校しか出ていないカタコトの英語すらしゃべれない女がアメリカの名門大学卒業という大嘘を実証できなかったのだろう。だったら大逆転もありうるのか。
 こんなおもしろい政治の世界を知ったらありきたりのエンターテイメントでは楽しめなくなる。再選挙の時の両者の選挙風景を想像するだけでおかわり三杯だ。
04/1/23
 コガの学歴詐称──おいしいね、コガセンセー(笑)

 まずは今朝の『産經抄』より一部抜粋。

(前略)古賀議員は「自分は卒業したと認識している」といい、「卒業証書は現地の弁護士を通して受けたが、帰国の時わからなくなった。弁護士の名前は忘れた」といっていた。そんなばかげた話があるものか。一つの小さなウソが、次のウソを生んでいったのだろう。(中略)
大学卒などという肩書は何のハクにもならない。福岡の有権者も、米国のナントカ大学というレッテルを候補者選びのモノサシにしたのではないはずだ。古賀さんは最初のボタンの掛け違いの始末を誤ったため、破綻(はたん)を広げたのである。


 まったくその通りである。この人が「かっこいいと思ってついた嘘」が、こちらにはすこしもかっこいいとは思えないからかっこわるい。
 今回初めてこの人の顔を見た。これはぼくの大嫌いな顔に属する。中身のない顔だ。いわゆるホスト顔である。どこの学校にもいるかわいい顔をしているが勉強はぜんぜん出来ない顔である。こんなものを選んでしまう福岡の有権者はなにを考えているのだろう。関係者が指摘しているように、県会議員の時から中身がないこと、不勉強であることはわかっていたではないか。
 この人が当選したのはヤマタクの反動だ。気持ちはわかる。東京もアオシマだから慎太郎さんになった。大阪もノックだからオータになった。ここも女にションベン飲ませるヤマタクの後だからさわやか系とばかり茶髪のテニスプレイヤが選ばれたのだろう。でもこいつ、元々はヤマタクの下で自民党員だ。それから乗り換えて自由党系民主党での出馬になった。最も信用できない功名心ばかりが強くてオツムカラッポの典型になる。またこういうのをかつぐのが小沢は好きなんだ(笑)。ノムラサチヨとかオーニタとか。

 フジのワイドショーでオグラが言っていた。「ぼくはスポーツをやっていた人間として、学歴なんかどうでもいいんだけど、このテニスの経歴詐称は許せない。しらけた」と。西海岸学生テニス選手権優勝の事実なし。出てすらいない。その他の外国でのテニス実績も嘘ばかりとバレた。わざわざアメリカまで確かめに行くというパフォーマンスも恥の上塗りとなった。

 ぼくは物書きとして「劣等感」を最大のテーマにしている。その劣等感のネタとして選んだのが学歴と身長だった。これは宮本輝作品からのサジェスチョンによる。ある日、その両方が揃っているすばらしい分野が自分が関わっている競馬業界だと気づく。そうして始めたのが『亀造競馬劇場』だった。よってそこではやたら学歴と身長の劣等感話が出てくる。そりゃそうだ。それを専門に書く場なのだから。第一回からテーマはそれである。その証拠として「競馬ファイル」にそれを掲載した。第一回から最終回まで一貫して筋が通っている。テーマはそれである。なにしろ副題を「コンプレックス・ワールド」としようとしたぐらいだ。
 それがわかっていない人はぼくを学歴差別論者だという。そうじゃない。もしもそうだったらぼくはそれを表には出さない。変態は自ら見せたらもう変態じゃない。ぼくなんかもうあれもこれもヘンタイなので必死に隠している。ほんとだったらそんなものを表に出して誰がそしりを受けるものか。
 とはいえそれはぼくからの意図的な仕掛けだから、Sのようなのが見事に食いついてくるのは釣り糸を投げたものとしては狙い通りでうれしくもある。

 そういうぼくとしては、コガセンセー、おいしすぎる(笑)。柳川商業高校卒では不満だったんでしょうね。かっこわるいと思ったんでしょうね。商業高校でソロバン習ったことよりアメリカの大学行ったことの方がかっこいいと思ったんですね。でも柳川商業高校も本当に卒業しているんですか。もしかして卒業証書は弁護士預かりですか。紛失してませんか。

 民主党の御用機関であるテレ朝は、最初コガ寄りの報道をしていた。ところがどう考えてももうコガはダメだと判断すると、どこよりも激しくコガを批判し始めた。いやはやサヨクマスコミの冷たさを思い知った。切られたトカゲの尻尾。
 わざわざアメリカまで出かけて猿芝居をやったコガセンセー、学生時代に卒業証書を預けた弁護士の名前も住所もわからないという。いったいどうしたら名前まで忘れられるんだ。帰国しての記者会見は見逃せないな。
04/3/6


アイドルの芸名──かっこよさは世につれて

 佐藤寛子というアイドルだかモデルだか歌手だか知らんが、とにかくそんなのがいるらしい。週刊誌等で何度か名前を見かけた。十代の娘だろう。
 私が「佐藤寛子」という名で思い出すのは佐藤栄作首相の奥さんである。アメリカ風に夫婦で諸国を訪問することを日本の首相夫人として最初にやった人だ。それまで日本人女で海外メディアからファッションセンスを論じられるのは皇太子妃(プリンセス・ミチコ)だけだった。各国でいつも絶賛されていた。それは田舎の子供から見てもセンスの良い衣服で誇らしかったものだ。

 首相と一緒に夫人も外遊することになり、日本のファートスレディも評価の対象となる。首相夫人は当然ながらそのことを意識し、デザイナーズブランドを身につけ衣服にこった。首相の隣に寄り添い、アメリカ大統領夫妻と同じように、着飾った女房が飛行機のタラップから手を振る。女が出しゃばることが大嫌いな私にはいやな時代の到来だった。

 それに、なんのかんのいっても首相夫人であるからして五十代後半から六十代になる日本の女だ。普段は亭主の地元で地盤を固めるために東奔西走してがんばっている日本の母である。それが首相夫人になったから西洋のファーストレディに負けまいといきなりそういうおしゃれをすればするほど浮き上がる。それでもまだ和服を着て三歩下がって亭主の影を踏まずでいるならよかったろうが、いきなり六十女が派手な帽子をかぶりスカーフをそよがせ膝小僧の出るミニスカートでタラップから手を振るのは無謀だった。いや不細工だった。醜悪だった。

 三木首相も三木睦子って女房が居た。これもでしゃばりだ。田中首相は女房が年上でよれよれだから娘を連れて歩いた。それがあの勘違いおばさんを生んでしまった。タナカマキコの悲劇である。

 中曽根首相の奥さんてどうだったのだろう。記憶にない。ロン・ヤスと呼び合うぐらい親しかったレーガンとの会見には夫人も同行したはずだが絵柄が浮かばない。あとで調べてみよう。
 橋本首相も連れて歩いた。賢夫人と評判のいい人だったが橋本は中国の女スパイと情を通じていた。なさけない。なんであれが大問題にならないのだろう。不思議だ。
 もしも小泉首相に奥さんがいて、それが佐藤、三木夫人に通じるタイプの女だったら私の好感度はかなり下がっていた。

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 ということで「佐藤寛子」という名にいい思い出はない。ご本人は後に戦後最長の在任記録をもつ首相の女房として回顧録を出したり評判はわるくなかったようだからなかなかの人物だったのかもしれない。でもそんなことは無視する。私にとって彼女は日本のでしゃばり女第一号になる。
 てなことを覚えているのはいい年のジーサマだけだろうし、なにより日本で一番多い名字に安定を願ういい漢字の名前だからそれこそ佐藤寛子なんてのは日本中に何千人といることだろう。なんでそんな凡庸な名前を芸名に使ったのだろう。

 今時の若い娘には珍しい古風な名前だからそのまま芸名にしたのか。むかしは読みにくい珍名や平凡な名はいかにも芸能人らしい芸名にしたものだったが、今はそれをまた逆手に取ったようなことをする。小池栄子なんて田舎の中学生みたいな名前だ。どう考えても地味で美少女とは思えない。でも今の田舎の中学生の名前は芸能人みたいに凝っていて(笑)こんな平凡な名前はないからかえってインパクトが強いのだろう。実際ぼくは小池栄子という名を初めて知ったときずいぶんどんくさい名前だなと思ったから、巨乳タレントをわざとあか抜けない本名で行ったあちらの思惑はすでにその時点で達成されたことになる。

 記憶に強いのは森口博子の本名が花園博美だと知ったときだ。逆じゃないかと思ったものだった。花園博美は昔のお姫様女優のような名前だが、今の時代あまりにベタすぎてかえってまずいのだろう。それでもかっこいい芸名のタレントがじつは田舎臭い名前というのが常識だった世代にはそれなりに奇妙な気がしたものだった。一例を挙げると松平健の本名は鈴木末七である。むかしはこんなのが多かった。
(後日註・森口博子には出自隠しの意味もあるようだ。たしかに姓から読めるそういう部分はある。)

 あびる優は阿比留って名字なのだろう。さすがに漢字は難しいからひらがなだ。近年連続している沖縄出身の芸能人も本土的には珍しい名をうまく活用している。仲間なんていい苗字だ。私がプロダクションの社長だったとしてもこういうのは本名で行ったろう。

 歌手らしいから芸名ではないのだろうけど大黒マキってののオオグロにもたまげたものだ。まあ大黒様っておめでたいものものもあるけど一般にはさわやか系の苗字ではないだろう。腹黒にも通じるし。ぼくは彼女の歌を一度も聴いたことがないのでオオグロなのかダイコクなのか未だに知らないしどうでもいいんだけど、とにかく印象的だった。(UPの前に一応ネットで調べたらマキは摩季で芸名。本名は摩紀なのだとか。いろいろある。)

 センドウアキホ(どんな字だっけ)の本名は馬場なのだそうな。ババは大阪じゃウンコだから苗字だけ芸名にしたらしい。ヴァラエティ番組で指摘されていた。関東の人間には理解できない。馬場はいい苗字である。

 むかし野球選手に毒島(ぶすじま)っのがいた。ブスと音がわるいのに字も毒だから強烈だ。いまアイドルであれ美人女優であれ本名がこれだったら迷わず本名で押し通してくるだろう。ブスなのに美人だからそのインパクトだけで目立ち何千万円もの宣伝費に匹敵する。

 美穂、由美、美樹、宏美、なんて名前が流行ったとき、今にそんな名前のバーサマばかりの時代がくるんだろうなと思った。そのうち太陽とか大地、翔なんて名前のジーサマばかりの時代もくる。自分の名前をかっこいいと思うミキやダイチは、トメだのウメなんてバーサマの名前を笑うが、時が過ぎれば自分たちの名前もまたババクサイ、ジジクサイと笑われるようになることを知るだろう。そんなことを考えると「佐藤寛子」ってのはいい名前だとあらめたて思えてくる。

04/3/23


笑ったエズミ、それよりおもしろいカン

江角マキコ、保険料未納で国会招致か
 民主党の菅直人代表は23日の記者会見で、国民年金への加入を促す社会保険庁の広告に起用された女優の江角マキコ(37)の保険料未納問題で、衆院厚生労働委員会などで江角の参考人招致を求めることを明らかにした。(ニッカンスポーツより)

 まずはエズミにわらった。ぼくがエズミだったら「わたしは払ってないから、このCMはちょっと……」と躊躇する。信頼している人に相談する。きっとその人も反対する。そして出ない。でもそんな常識をもってちゃゲイノージンなんて出来ないのだろう。堂々と説教口調で年金を払わなきゃダメよと言い放っていた。うしろめたくないのだろうか。それでこのざまだから、久々にくすくす、むふふ笑いの出来るネタだった。
 アサ芸に芸能コラムを書いている町田なんとか(町山博美と確認。男と思われる)いう人が先週だったか、「エズミと青木さやかが重なってきた」と書いていて笑ってしまった。あのCM等でのエズミのでかい態度が気に障るのだがあれを青木さやかの芸だと思うと気にならないとか。この感覚は笑える。

 ぼくはテレビドラマはいっさい見ないのでエズミの出演作などなにも知らない。ただ彼女のようにひとつひとつのパーツを見ると決して美人ではない人(=綜合的な意味でも美人ではない)が、存在そのもののような形で好ましい女としての地位を得ることは今風でおもしろいなと思っていた。庶務課のOLを演じたとか、結婚が桐島洋子の息子、桐島ローランドと短期間のものだったとか、それぐらいは知っている。桐島ローランドはパソコンオタクだからパソコン雑誌でよく目にして近しい。
 それと二十年ほど前、桐島洋子の小説を原作とした映画制作予定があり、ぼくはそれに関わっていた。主演は吉永小百合が候補だった。麹町の喫茶店での出演交渉の場に、プロデューサにくっついていって同席した。間近に彼女と接した唯一の機会になる。ぼくが見た芸能人では文句なしにいちばんきれいな人だった。この映画に彼女は出たいのに仕切っていたマネージャの島田なんとか女子が反対して、そのことで二人は別れたのだった。と、エズミ、桐島からそんな連想がある。
 それにしてもいつも思うのだけど、桐島洋子とかウチダテマキコとか、クリモトカオルなんてのもそうだよな、日本の才女と呼ばれる女はどうしてみなああいう顔なのだろう。みなブスなのだけどその傾向に気持ち悪いぐらい共通点がある。

 エズミのおいおいそれはないだろうとツッコミを入れたくなるミスも笑ったが、それ以上にカンが笑わせてくれた。夕方のニュースでこれを見た。「しめた、これでまた自民党につっこめる」と思ったのだろう、しかつめらしい顔で年金を払っていないその女の国会招致を口にしたが、その名を知らず、「え~と」と口ごもて、後ろのスタッフからエズミの名を聞いてから口にしていた。名前も知らんのに言いたがる。
 深夜、調べたら早速ネットでも笑いのネタになっていた。エズミではなくカンがだ。民主党を応援しているアサヒですら「今回のエズミマキコ招致発言はカン代表の勇み足として党内には冷めた声もある」としているから、どうやらの参考人招致は実現しないか。エズミが国会で参考人として出たら視聴率はあがると思う(笑)。あの女が国会でどんな態度をとるのかそれはそれで楽しみだ。仲間内でも失笑を浴びたというカンが、明日はなんというかこれまた楽しみである。
4/23
 吉田拓郎の娘、結婚

 以前この欄に芸能人のその後に興味のない私が数少ない興味をもっていることを書いた。
「彩と名つけられた吉田拓郎と四角佳子の娘はどうしているのだろう。もうタクローは孫がいるのか」
「ピーナッツとのあいだに出来た一人と名つけられた沢田研二の息子はどうしているのだろう」
 先週の『女性自身』にそれが載っていた。といってさすがに暇人でも今は(かつてはしていた)女性週刊誌までは手が回らない。先日東京からの帰りに電車のなかで隣席に置いてあったものを読んだのである。昨年暮れに彩さん(文章ではA子さん)は結婚したのだとか。三十歳となっていた。タクローはまだおじいちゃんになっていなかったのだ。そこには離婚後一切つきあいがないので知らないと記者の訪問をタクローが拒んだとかあれこれ書いてあったがそれはまあどうでもいい。深夜放送での結婚報告や、もうすぐ生まれるという時に「トラかクマと名つけようと思う」とかの冗談発言を聴いていた身にはことさら印象深い。彩さん、三十歳か。タクローが中津川フォークジャンボリーで「人間なんて」を歌ったときはまだこの世にいなかったんだものねえ。こんな形でぼくが芸能話(彩さん、芸能人じゃないからほんとはよくないんだろうけど)を書くこともめったにない。ともあれ疑問がひとつ解けた。


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