2007
3/3




5/29
 三十年ぶりの「ガントレット」


 テレ東の午後の洋画劇場で「ガントレット」を見た。クリント・イーストウッド監督の駄作と名高い作品である(笑)。
 今回見て驚いたのは、これの制作が1977年、もう三十年も前だったこと。あのバスが何百人もの警官から射撃されて穴ぼこだらけになるシーン(これがタイトルの鞭打ち刑=Guantlet)は、もうすぐ封切りになる話題作予告として頻繁にテレビCMが流れていた。よく覚えている。あれからもう三十年も経ったのか……。

 この時間感覚の狂いは、たぶん封切りで見ていないからだろう。「ダーティ・ハリー」シリーズはロードショーで見ている。「ガントレット」は、あの売り物のシーンにちっとも惹かれなかったから映画館に行かなかった。ただの観光バスだ。タイヤを撃てば走れなくなる。なによりあんなに拳銃やライフルで撃つ必要がない。障害物を置いて通れなくすれば済む。といったら映画が成り立たない。あれをイーストウッドの「美意識」と解釈すべきらしい。
 イーストウッドと言えば「硫黄島」に出演したワタナベケンが彼のことを「クリント」と言っていた。監督でもファーストネームで呼ぶんだな。なるほど。

 この映画はその他にもいっぱい矛盾シーンはあって、たとえば街中にいるときヘリコプターから射撃されたイーストウッドと彼女が、バイクに乗って荒野に走り出すのはどう考えてもおかしい。街中にいたほうがヘリコプターからは狙われない。家屋の中に入れば見えなくなる。なんで人一人いない、建物ひとつない荒野に走り出すのか。撃ってくれといわんばかりだ。さらには荒野の中でトンネルに走り込んだからそこにこもって反撃するのかと思ったらすぐに抜け出す。わからん。追いつめられて絶体絶命というとき電線に接触したヘリコプターが爆発するのはお約束だが。
 とこれもまたケチをつけていったら売り物のひとつであるオートバイとヘリコプターの行き詰まるチェイスがなくなってしまうか。でもなあ、どう考えてもおかしいことが目立つ映画だった。

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 ネットで他者の感想文を探したら、チャーリー・パーカーの伝記映画「バード」を絶賛し、「『ガントレット』と同じ監督とは思えない」と書いてあった。これはこの人だけの感想ではなくアメリカでそう評されたとか。
 「バード」は音源にチャーリー・パーカーの演奏をそのまま使ったという音的には劃期的な作品だったけれど、私はパーカーに扮した主演のフォレスト・ウィテカーが鈍重そうで、それほど夢中にはなれなかった。そりゃあ「許されざる者」のほうがずっといい。それでもジャズファンとして名高く、自身もピアニストであるイーストウッドがいい映画を作ってくれたという感謝の気持ちはある。

 今回「ガントレット」を見て気づいたが、この映画もオープニングからジャズが流れている。エンディングもそうである。最大の発見はこのことだったか。



6/3
邦画がおもしろい

 映画の年間配給額を何十年ぶりかで邦画が洋画を逆転したと報じられたのは去年だったか。一昨年? まあいいや、とにかくそういう時代である。
 私も近年ハリウッドの派手な映画に飽きてしまい、こぢんまりした邦画を好んでいるので世の流れとあっている。個人的に、以前からそっちのほうがかっこいいと思ってきた。ヨーロッパの小粋な作品を好むような。
 しかし現実にはハリウッドのドンパチが好きだったのだからしょうがない。それが無理せずにシフトしてきた。ひじょうに好ましい傾向である。

 私の見る邦画は黒沢作品のような名作を別格にすると、近年の作品では「たそがれ清兵衛」「隠し剣 鬼の爪」のような原作が好きな作品ぐらいだった。「赤目四十八瀧心中未遂」も車谷の原作が好きだったから見た。「ヴァイブレーター」はそこからの繋がり。寺島しのぶが話題になっていた。「壬生義士伝」も浅田作品が原作だからか。いや西田敏行主演の浅田作品は嫌いだから、これも彼が主演していたら見ていなかったろう。
 さかのぼって「雨あがる」のようなのは時代劇だから。時代劇が好きなのにテレビはつまらなくて見られない。その分、映画の時代劇はよく見ている。「どら平太」なんかはこの流れか。これは美術が凝りすぎてバカっぽかったけど。
 時代劇映画は金がかかっている分、衣装がなんとか見られるのが救いだ。それらしいボロにするためには手間暇がかかり衣装代が倍かかるという話はおもしろい。テレビ時代劇の衣装は学芸会だものなあ。

「ピンポン」のようなのはマンガ繋がりの作品。竹中直人監督の「無能の人」も原作のつげ義春のマンガからだからマンガ繋がりになる。近年の「あずみ」は逆に原作を知っているから見なかった。見なくて正解だろう。「Shall we ダンス」とか「うなぎ」は役所広司の流れか。いや周防監督作品は「しこふんじゃった」から見ている。「ファンシィダンス」はそのあとに見た。
 期待した「中国の鳥人」は外れだった。監督は誰だっけ、三池崇史か。あれはシーナさんの原作が面白すぎたし映画化は無理だったのだろう。云南繋がりで期待したのだが。
「ラジオの時間」「有頂天ホテル」は三谷作品だから。たけし作品も一応全作見ている。ダンカンの「生きない」なんかもたけし繋がりになる。
「男はつらいよ」も全作見ている(笑)。70年代はあんなものでも偉大な作品だった。寅さんのなんてことないギャグに映画館がどっと揺れたものだ。その後のヤマダヨウジの共産党全開作品は見ていない。
「スウィングガールズ」は音楽映画だから楽しかった。だから同傾向の「ウォーターボーイズ」は見ていない。でもみんなが心を合わせてひとつのことをなし遂げる点では、これらの作品も「フラガール」もみんな同じだけど。

「僕らはみんな生きている」「熱帯楽園倶楽部」のようなのはタイ関係か。林海象の「アジアンビートシリーズ」もタイ繋がりになる。「アジアンビートシリーズ」の永瀬はうまかった。もう二十年近く前の話か。

「僕らはみんな生きている」で、タイガースのサリーこと岸辺修三(いまは一徳)がいい役者になったと思ったのだった。今回「フラガール」でも活躍している。タイガースファンとしてジュリー以外からこんな形のスターが出るとは思わなかった。「僕らは」はビッグコミックスピリッツ連載が原作だからマンガ繋がりでもある。
「お葬式」から「マルサ」まで伊丹作品もぜんぶ見ている。あの人が自殺したときチェンマイにいて、知りあいの娘に日本人の映画監督が自殺したよと教えてもらったのだった。そういやチェンマイでもずいぶんと映画を見ている。

 と振り返ってゆけばきりがない。必要なものが出たらあとで書き足すことにして。そこそこは見ている。

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 今年になって見た邦画。「胸いっぱいの思い出」「タイヨウの歌」「武士の一分」「下妻物語」「フラガール」「海猿」「男たちの大和」、あとはなにがあったっけ。これらはおもしろかったからすぐに思いだしている。途中で投げたのも多い。「亡国のイージス」はちょっと最後まで見る気になれなかった。
 先日テレビで「化粧(けわい)師」を見た。石の森章太郎の漫画が原作。よく出来ていた。



「下妻物語」のおもしろさは目から鱗だった。あれでいい。なにもカーチェイスも爆発シーンがなくても映画は出来る。原作者の嶽本野ばらは「踊るさんま御殿」でカマっぽいキャラとして見ただけだったが見なおした。今度原作も読んでみよう。
 以下Wikipediaより。

小説の初巻については、深田恭子と、土屋アンナというキャストで映画化され、2004年(平成16年)5月29日より公開された。当初は40館規模の公開予定であったが、評判を呼び156館での公開に拡大された。また、2004年(平成16年)5月にカンヌ国際映画祭に併設されたフィルム・マーケットで、「Kamikaze Girls」(神風ガールズ)と題して上映されると評判になり、7カ国で上映が決定し、公開された。この後、多くの映画祭に招待され、上映された国も増えた可能性がある。 2006年、カンヌ国際映画祭と平行して行われたカンヌJr.フェスティバル(青少年向け映画のコンペ)にて邦画初となるグランプリを獲得。フランスで邦画としては過去最大となる約100館での上映が決定した。なお、主役の2人は多くの映画賞を受賞した。この映画には、ロリータ・ファッションで来館した者には、特別割引になる特典があり、話題になった。

 ひゃあ、フランスで100館の上映ってすごいな。フランスの日本映画好きと話したらきっと話題になる。見ておいてよかった。
 いまDoCoMoのCMでやっている土屋アナコンダは「下妻物語」のキャラだ(笑)。ふつうの人、たとえば関西の人よりも、私は生粋の茨城人なのでこの映画をより楽しめた。下妻は二度しか行ったことはないが、茨城の田舎としては共通である。でも嶽本は京都出身だ。クソ田舎として茨城は撰ばれたのか(笑)。たしかに茨城出身の作家ではこんなふうにあそべないという気もする。

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 日本アカデミー賞授賞式っていつやるんだ。春か? あんなものは見ないのだがなぜか今年は見ている。なぜだろう。見ない理由は明瞭。「日本アカデミー賞」という名は「日本アルプス」「原宿シャンゼリゼ通り」と同じ発想だからである。みっともない。フランスはセザール賞として媚びていない。日本も「日本映画大賞」でいいではないか。なんでアカデミーなんて言葉でシャンゼリゼするんだ。
 なのになぜか見ていた。気ばっている共産党の「武士の一分」が大賞をとるのかなと思っていたら次々と「フラガール」が獨占していった。どちらも見ていないから中味を知らないのにこの流れは痛快だった。しかし考えてみると、「常磐ハワイアンセンター」もまた「日本アカデミー賞」「原宿シャンゼリゼ通り」なのだった(笑)。

 そして遅ればせながら見る。
 賞を獨占したのは当然だった。いい映画である。訛りとしてもがんばっていた。当時の貧乏くささも真摯だ。よく出来ていて感嘆した。この在日朝鮮人三世だという李相日監督はまだ三十代前半。すばらしい才人である。才能がきらめいている。めでたい。
 私は「三丁目の夕日」を見ていない。原作のマンガと違いすぎていることと、ああいう形で昭和三十年代を懐かしむ感覚はないので無視した。むしろああいうものには反感を覚えてしまう。当時のモノクロテレビに群がり力道山に昂奮する作りの映像を見たらまちがいなく私は白ける。そこに吉岡の臭い演技がかぶったらなおさらである。「フラガール」にはそのイヤラシサがなかった。

 蒼井優が助演女優賞をとりまくったのは御同慶のいたりだが岸辺一徳が助演男優賞にノミネートすらされていないのはなぜだろう。

 ところで、まったくよくできていると感歎しつつ見ていた私は、田舎者の常としてロケの無理をひとつ見つけた。こんなことを書いてもしょうがないが(笑)。
 ひとつひとつよく吟味し時代を正確に反映した文句なしの快作である。椰子の木を寒さからまもるためにみんなの石油ストーブを集め、リヤカーで運ぶシーンも、木の橋を渡るようにして当時の雰囲気を出している。その木の橋の向こうにコンクリートの護岸工事をした河辺が見えた。あれは昭和五十年代以降に田んぼの区画整理が始まったときの産物である。昭和三十年代の田舎の川にはない。やはりどんなに気を遣ってロケしても、どうしても今は顔を見せてしまうのだなと思った。
 というぐらいつまらない重箱の隅をつっつきたくなるほどよく出来た映画だった、という感激である。音楽もいいしカット割りもいいしケチのつけようがない。このサントラ盤は欲しい。
 李監督は今後どんな作品を作ってゆくのだろう。出来るならイヅツとかいうバカみたいに反日映画路線に走らないで欲しいとねがう。

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 毎度思うのだがヤマダヨウジは訛をどう解釈しているのだろう。「武士の一分」も半端で不自然な訛で白けた。「あなた」というきれいな発音と、「なんとかでごした」のような訛りが混在している(笑)。いったいどこの訛なんだ。ああいう場合、「あんだ」「あなだ」と濁るのが自然だ。都会人が田舎者の訛を真似しているような不自然さが我慢ならなかった。役者に責任はない。あくまでも演出の問題だ。どうせ訛るなら都会人には外国語に聞こえるぐらい徹底してやればいいし、それが無理なら標準語でやってしまえ。半端訛は気分が悪くなる。
 その点も「フラガール」は満点だった。これもまあ福島だから茨城育ちとしてはわかりやすい。「でれすけ」のニュアンスネイティヴでわかる強味(笑)。同じ福島でも会津になるともうわからないが、海沿いのあの辺は茨城と同じ「だっぺ文化圏」である(笑)。

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 いま持っていてまだ見ていない邦画は「バブルヘGo」「アンフェア」「東京タワー」「ゆれる」。
「バブルヘGO」のようなテーマは大好きなのだが、私にはまだあれがタイムスリップしてまで行くほどのむかしとは思えない。ついこのあいだだ(笑)。ここのところの感覚の差はいかんともしがたい。
 でも私はやっぱり映像はあまり興味がないのだろう。あまり見ない。それと比すと本は寸暇を惜しんで読んでいる。映像派ではなく活字派のようだ。

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 感覚は変る。もう一回転するとまたハリウッドの大作が恋しくなるのか。
 今のところもうそれはないように思う。私は「ロード・オブ・ザ・リング」を二部まで我慢して見たが三部は見ていない。なんだかもうああいう大スペクタクルはどうでもよくなかった。連続物を完結編を見ることなく途中で投げたのは初めてだった。あの大仰な感覚に倦んでしまった。「十戒」で海が割れるシーンに感激した。なのに「ロード」には辟易している。
「スパイダーマン」なんてバカらしくて見ていられない。なんだかああいうものを受けつけない感覚が根付きつつある。かつて私にとって「レンタルビデオ」とはイコール「スパイダーマン」のような作品だったのに。

 そのうちまたこぢんまりした邦画に飽きてまたハリウッドのドンパチが好きになったら、それはそれでまた書こう。たぶんもうないと思うのだけれど。

6/23  二十年ぶりの「マネー・ピット」

 テレ東の午後の洋画劇場で「マネー・ピット」を見た。いくら暇人でも毎日見ているわけではない。週に一回程度が多い。早朝からPCに向かっているとちょうこのころが息抜きの時間になる。週に三回見るときもあれば三週間ぐらい見ないときもある。たまに番組表を見て録画予約する作品もある。それがこれだった。

 主演はトム・ハンクスとシェリー・ロング。1986年制作。私がレンタルビデオで見たのは87年だろう。ちょうど二十年前だ。監督、ではないが制作総指揮にスピルバーグ。
 私がトム・ハンクスの名を覚えたのはこの作品になる。いや勘違い、人魚映画の「スプラッシュ」の方が先か。調べるとこちらは84年制作。トム・ハンクスの名を覚えたのはこっちだろうか。日に何本も見ていた時期なのでうろ覚え。当時の「映画日記」を見ればわかるがそれほどこだわることでもない。
 細身のトム・ハンクスは演技も表情もまだ若い。元々がテレビ出身のコメディアンである。ジム・キャリーのようなタイプ。のちにあんな重い役をこなす大スターになるとは思いもしなかった。

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 シェリー・ロングもこういうタイプのラブコメを得意とするコメディエンヌだった。もっともっと出世すると思ったがそうではなかった。その原因のひとつに精神的なものがあるらしい。いまも入院中だとか、いやもう退院して通院だけだと本人が記者会見したとか報道されていた。そう言われてみると、神経質であぶない面立ちのように思える。考え込んでしまう顔だ。それに気づかず大スターになるのを楽しみにしていた。当時そういう方面のトップスターはゴルディ・ホーンか。シェリーが彼女以上になることを願ったものだったが……。

 毎度の結論だが、「恋人同士が購入した家が見かけだおし。中身はぼろぼろ。そのことから起きるドタバタ劇」程度しか覚えていない。これまた初めて見る映画のように愉しめた。ところどころ、「ああ、こういうシーンがあったな」と思い出すのもまた楽しい。
 私は映画が好きで好きでたまらず熱心に見ていた、というタイプではない。むしろ「見ていないと話題からずれるので、新聞を読むような感じで目を通していた」感覚である。カウチポテト──もう死語らしい。せっかく新語として覚えたのに(笑)──だったのでいいかげんだ。
 封切りから半年後に新作ビデオとして見た数多くの映画が、知人との酒席を盛り上げてくれたとか、ラジオの構成番組台本を書くうえで役立ったとかの記憶もない。(格別の記憶はないが世相を知る上で有効ではあったろう。)
 それでも時が過ぎ、こうして見直すと、当時を思い出してなつかしい。これはこれで時代の日記なのか。

 当時もいまも変らないのは、私はこういう軽いコメディが好きだということだ。もちろんハッピーエンドがいい。まあコメディはハッピーエンドだけれど(笑)。



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