PS2の基盤

   
「週刊アスキー」2/26号。「ニュースの海を旅する」から。
  著者は後藤貴子・後藤弘茂さん。毎週よくできたコラムで感心させられることが多い。着眼点が良い。不思議なのはなぜ連名なのか。ご夫婦が隔週で書いているのだろうか。

 この回のタイトルは「プレステ2のマザーボードを壁に飾ろう」。話のきっかけは後藤さんのどちらかが、SONYのPlayStation2と発売前のMSのXboxのマザーボードを見たことから始まる。どこかに並んで展示されていたらしい。製品じゃなくてマザーボードを展示するというのもすごいはなしだ。ところでこの話、どちらの後藤さんが書いているのだろう。文章は男文章だ。だとするとなぜ貴子さんのほうが先に名を出しているのだろう。ぼくには毎週弘茂さんの書いている文章に思えるのだが。レディファーストなのか。もしかして夫婦じゃなくて母と息子だったりして(笑)。だったら貴子さんが先に来るのもわかるが。

二機種のマザーボードを見た後藤さんの感想は、Xboxに対しては「コンデンサとかの小部品がごちゃごちゃと並び、配線パターンも複雑でとにかくきたない。メモリなんて、配線があるのにチップが実装されていない部分があったりする。本当に完成品なの、みたいな雰囲気だ。たとえるとうちの小学生の息子の部屋みたいに雑然としている」となる。
 対してプレステ2は「ため息が出るほど美しい。整然と部品が配置され、高価な6層基盤を使っているから配線パターンもきれいで……。工藝品と評したエンジニア雑誌もあったけど、本当に壁に飾ってもいいと思う。喩えると、インテリア雑誌のリンビングルームみたいな、抜群のきれいさなのだ」そうである。
 もうひとつ任天堂のゲームキューブは「これはこれでうなってしまう。目を疑うほど部品が少ない。プレステ2が贅沢なリビングだとするなら、シンプルライフを愛する獨身女性の部屋の雰囲気だ」そうだ。

ここには「決定的な思想の差が見える」と後藤さんは言う。
「Xboxの中身はやっぱりパソコンで、ともかく部品を集めてガンガン作ってしまえ的なノリがある」とし、ゲームキューブからは「やっぱり家電だ。とことんコストを切りつめ、製造がしやすいようにという思想を感じる」という。なるほど、松下電器が任天堂と提携して(というか開発から関わっていたのだろうが)DVD再生機能をくっつけた互換高級機を出したのも家電だからか。
 それらと比してプレステ2は「まったくべつな〃なにか〃」なのだという。「ハードウェアエンジニアの夢。パソコンでも家電でもない新しいものを作ろうという意欲みたいなものが、マザーボードからも強烈に感じられる」のだそうな。
 プレステ2のマザーボードが、いちばん作った人の愛情が感じられると結んでいる。壊れたらマザーボードをオブジェとして飾ってもいい、と。


なるほどねえ、ぼくはこのコラムを読んだ後、「へえ~」と嘆息した。ぼく的に、これは最高にかっこいい話になる。マザーボードという見えない部分に関して雑然としている大雑把なアメリカ人の作ったXbox。生産効率を重んじる日本人が作った一切の無駄のない家電のようなゲームキューブ。制作者の誇りと夢が見えてくるようなプレステ2。

 ファミコンから始まったぼくのゲーム機体験はPlayStationで停まっていた。いつもなら発売と共に買うPS2もゲームキューブも買わないままだった。それは刺激的なソフトがなくなったからで、ヴィデオデッキの普及に貢献した最大のものが裏ヴィデオであったように、やりたいと思うソフトがなければハードを買う気にもなれない。「ドラクエ」も「FF」も「ダビスタ」もPSで出来たし、PS2でなければ出来ないゲームは、とりあえずぼくにはなかった。そこに、日本の天下であるゲーム機業界に黒船のようなマイクロソフトの参入である。あいかわらず興味のあるソフトはないが(ぼくはあまりにグラフィックの進化した『FF』はもう興味対象外となっていた)、今度はまったく別路線から参入してきたハードというものに興味を持ち、ひさしぶりに新しい物好きとしてXboxを買ってみようかと思ったのだった。

 ぼくは未だにヴィデオカードのよしあしがわかっていない。よくわかっていない小金持ちオヤジの典型として、自作パソコンに最高級でヴィデオカードを入れたりはするものの、それを必要とする3Dのパソコンゲームなど一切やっていないから、その能力差を体感できていないのだ。XboxはもうCPUからして完全なパソコンである。どういうスペックでここまでのことが出来るのか、自作パソコンの勉強のために知りたいと思った。三万数千円の投資など安いものである。話題の発売日は2/22日。その数日前、秋葉原を歩いていたら、すでにもう事前宣伝がたいへんなものだった。当日はビル・ゲイツも来日するらしい。

ちょうどそのころにぼくはこのコラムを読んだ。新鮮でありがたいものだった。見えないマザーボードの美醜について書くことに、あまりにオタク的と後藤さんは照れたのだろう、冒頭で「マザーボードの美学なんていうとあきれるかもしれないが、ちょっと聞いて欲しい」とことわっている。いやいやあきれるどころか、これはほんとうに勉強になった。すばらしい着眼のコラムだと思う。

 Xboxが発売になった。ぼくは買いに出かけた。店内の大型液晶では派手にデモが繰り広げられている。
かっこいい黒のデザインのXboxをじっと見ているうちに、ぼくはこのコラムのことを思い浮かべた。なんだか化粧を落としたらひどいブスのXboxが見えたような気がした。あるいは、着飾っていて美しいけれど、部屋は足の踏み場もないほど無精な女のような気がした。すこし離れたところに、今回は話題から離れたプレステ2がひっそりと積まれていた。こちらは、化粧を落としたら、もっと清楚な美人のように思えた。




というわけでぼくは、Xboxを買いに行ったのに、プレステ2を買って帰ってきたのだった。
 後藤さんのコラムは、ぼくのようなものに影響を与えただけではなく、多くのプレステ2愛用者に誇りを感じさせただろう。そしてまた数多くのXbox購入予定者をしらけさせたに違いない。こういうコラムには反響が多いらしいから、Xbox信者から抗議があったかも知れない。
 マイクロソフト関係者には、こんなことにまでこだわる日本人は理解できないだろう。彼らにとってマザーボードの整理整頓や美醜なんて「なんでそんなことが関係あるの? 見えない部分だよ。それって性能とは関係ないよ」でしかないはずだ。でもね、そういうことにこだわるのが日本人なのよ、ゲイツさん。
 そういえばこの種の有名な話にクルマの内部がある。豪華な内装のフランス車もボンネットを開けると配線などがごちゃごちゃで、その点ドイツ車は……、という話だ。古い話なので今はどうか知らないが、基本的には変わらないだろう。

このコラムを読んだお蔭でぼくはXbox愛用者になる予定がPS2派になってしまった。今はいい選択をしたと感謝している。いつの日かこのPS2が壊れたら、バラして、ぼくもその藝術品のようなマザーボードを見てみたい。

 假にXboxを買ってしまった後でも、このコラムを読んだらこのコーナーに取り上げたと思う。それぐらいいい視点のコラムだった。
(02/2/24)


 パソコンライターの後藤さんはメモリーを「メモリ」と延ばしていない。極力音引きを廃したいぼくとしてはこれは勉強になった。よし、これからはぼくも「メモリ」と書こう。

 なぜこの話がそんなに印象的だったのかとか考えていたら、昨年から自作パソコンを始めたので、「マザーボードのきたなさ、パソコン内部の雑然さ」というものにうんざりしていたからだと気づいた。
 たとえば「スマートケーブル」というのがある。平たいケーブルを一本の筒状にまとめたものだ。それを使うだけでだいぶパソコン内がスッキリし、ファンで回す風も通りが良くなる。そのぶんフラットタイプの何倍もの値段がする。そういうものに凝ったからぼくの自作一号機は高くついたのだが、いくらそんなものを使っても、しょせんあばら屋の物置がスッキリしたという程度でしかなかった。パソコン内部はきたない。
 部品がごちゃごちゃになったパソコン内部にうんざりしつつ組み立てることは、自作パソコンを志すものの宿命なのだとぼくは悟った。あれをきたないと思う者には、自作パソコンは向いていないのだろうとも。正直なところ、あんなものはもう見たくない。だったらきたない部分をみんな隠し、きれいきれいに覆われた既製品を購入するのが良い。それが今のぼくの結論だ。
 そんなときだったので、よけいにこの話は心にしみたのだろう。マザーボードとかパソコン内部に接していない人にとっては、なんのこっちゃという程度の話かもしれない。


 
inserted by FC2 system