パソコン壊れ事情

1「CPU使用率100パーセント」



 たいした問題ではないと思った。見た目はいつものように動いているのである。あれこれとフリーソフト、シェアウェアでカスタマイズされ、市販ソフトがこれでもかというぐらい入っている満艦飾のぼくのVAIOはいつもと同じように見えた。
 なぜか文章を書こうとすると変換が遅い。「わたしは」と書いてもなかなか表示されず、しばらくしてから「わたしは」と出る。変換して「私は」になるのに、これまたしばらくかかる。三秒から五秒ぐらい。遅い。おかしい。何事が起きたのだろう。

 何度か再起動したりしている内に、CPU使用率がいつも100パーセントになっていることに気づく。「WebBooster Ninja」のCPU使用率でも、タスクマネージャのパフォーマンスでもCPU使用率が常に100パーセントを示している。なにもしていないのにだ。CPU使用率というのはOSを立ち上げるときに5から10、30、50、70と一気に100まで上がり、そのあと落ち着く。OSが立ち上がり常駐ソフトが落ち着いた状態なら使用率は10パーセント以下である。それがなにもしていない状態なのに100になったままなのだ。エディターで文章を書くというCPUに負担をかけない軽い作業なのにまともに進行しない。

 金曜から火曜まで東京にいた。金曜にkiwiさん達と飲み、土曜に学生時代の先輩後輩と飲み、日曜に競馬場に出かけ、馬券をやり酒を飲み麻雀をし、と忙しい毎日(たんに遊びほうけていただけ)を過ごした。酔いつぶれた深夜、部屋にもどって文章を書こうとする。それが出来ない。できることはできるがとんでもなく遅い。いらいらする。そうこうする内に、このVAIOを買ってからちょうど二年であることに気づいた。記念日である。

 1999年2月19日に買った。あれからもう二年、ちょうど丸二年である。その間こまめにモデルチェンジがあり、あっという間にぼくのVAIOは古い型になってしまった。CPUは最初がPentiumMMXの166Mhzだったか。それが200になり266になった。ぼくのはこの266だ。さらにPentiumUの266になり、400になり、PenUは電気を食い過ぎるというので省電力CPUのCrusoeが採用になり、それも500から最新型は600、三月には666が出る。

 ハードディスクは3.2ギガから始まり4.3になり6.4になり12になった。最新型は20Gである。ぼくのは4.3だったが自分で12Gに換装した。OSもwin98から98seになりwin-Meになり、最新型はついにwin2000となるらしい。購入したとき、ぼくのは98だったが昨年2000に替えた。それからはそれまでのトラブル続きが嘘のような至極順調な日々を送っていた。いちばんの売り物である内蔵CCDカメラは27万画素から始まり35万になり今は48万か。ほとんど使っていないのでこの件に関しては詳しくない。

 パソコンはCPUが世代を跨いだら買い換え時期だと言われる。ぼくの場合も、MMXPentiumがPenUを跨いでCrusoeになったのだから、そろそろなのだろう。新しいものが出ると欲しくてたまらなくなる、企業に踊らされる典型的消費者であるぼくは、いつもならCPUのグレードアップと共に買い換えてきたはずだった。この機種がそんなに気に入ったのならPenUモデル、Crusoeモデルといまは三台目になっていなければならない。古いものを改良しつつ使っているというのはぼくには珍しい。それはこの一台に愛着を抱いてしまったからだ。

 今時MMXPentiumの266なんて非力なCPUは、デスクトップで重い作業をしようとしたらとても使い物にならないのだろうけど、MOBILEパソコンで文章書きとインターネットしかやらないのなら、まだまだ現役可能な能力をもっていたことも大きい。日本でも外国でも、どこに行くときも一緒だった。サトシと笠松競馬場に行ったときも、Hatと金沢で雪見酒をやったときも、日高の牧場でも、高円寺にみんなで集まったときも、チェンマイのナティコートでも、雲南省の断崖絶壁を走るバスの中でも、メルボルンやロスの高級ホテルでも、この二年間、世界中二十四時間いつも一緒だった。こうなるともう友達感覚である。愛しくてたまらない。買い換えられないのである。

 12Gのハードディスク容量はまだ十分だった。百科事典、国語辞典、英和和英辞典、現代用語の基礎知識、映画辞典が假想CDーROMでハードディスクに入っている。OSも2000にしてから問題なしだった。テキストエディターもカスタマイズしたWZとQXが絶好調である。せっかく順調に来ていたのにトラブルに見回れた。もう寿命なのか。いよいよ買い換え時なのであろうか。

●2「モバイルおやじ誕生」

←ソニーのサイトから見つけてきた初代PCG-C1の画像。立ち上げるとこの画面になった。すぐにこんなよけいなものは消してシンプルな無地の画面にしたのでオリジナルのこれが妙に懐かしい。










 欲しがり屋だからいつだって最新型が欲しい。それが珍しく今の機器に愛着を覚え買い替えられなかった。買い換え時とは自分が欲しいと思ったときである。金があればすぐに買う。金がなければクレジットで買う。我慢なんてしたことがない。ぼくはいつでも買い換え時だった。そんな男が今のVAIOに満足しているのだから、これは買い換え時ではない。こんな不調はOSを再インストールするだけで治る。CPUが常時100パーセント使用状態になってしまいソフトが使えない(ものすごく遅いことを我慢すれば使える)以外はどこも悪くはないのだ。レジストリーをチェックしたが問題点は発見できない。意外と重傷か。でも田舎の家に帰ってwin2000を再インストールすれば元通り。そう思っていた。

 それにしても、この小さなパソコンにこんなに惚れ込んでしまうなんて考えたこともなかった。思っていることとは違うことが起きるから人間はあまり断言しない方がいい。SONYの商品開発力は好きだけどパソコンに関しては批判的だった。SONYはパソコン事業に一度参画しながら手を引いて、DOS/Vマシンブームで金になりそうだとなってからの再参加である。その間も一所懸命がんばってきた富士通や、かつての愛機、今は落ち目のNECを応援したい。ぼくはそんな発想をする。

 しかもVAIOシリーズってのはやたらかっこいいだけで、なんとなく脆弱な感じがした。イメージだけが先行し、パソコンに詳しくない初心者に受けているという、ぼくの最も嫌うものだった。なのにハマッてしまった。もしもこのVAIOを買わなかったなら、ぼくは世のVAIOマニアに「あれってさあ、かなりよくできた企業戦略だけど、でも商品はどうなのかねえ」なんて冷たい視線を投げかけていたろう。

 二年半ぐらい前、電子メイルに狂っている友人が、朝起きたらまず枕元においたB−5ノート(ぼくと同じDynabookだった)の電源を入れ、布団の中でのメイルチェックから一日が始まると言った時、ぼくはなんちゅう愚かなと笑ってしまった。そういう人間にだけはなりたくないと本気で思ったものだ。彼はB−5ノートしかもっていなかったし、なにしろパソコンの使用目的がそれだったのだから当然でもある。

 その頃ぼくにとってパソコンとは、パソコン用机に置いたデスクトップであり、パソコン用椅子に座ってフルキイボードを叩くものだった。(そういえばパソコン用の机とか椅子とかもずいぶんと買いそろえたなあ……。)
 旅先に持ってゆくノートパソコンも、あくまでも旅先という非常時の非常用道具だった。クルマで喩えるなら、ロングドライブをするワゴンカーがデストクップであり、ノートは、それに積んで行く50ccバイクや自転車でしかなかった。ぼくはそれをパソコンと認めていなかった。一応ノートも最新型最高級モデルを買いそろえていたけど、その能力なんてのはデスクトップと比べたらお粗末なものだったし改造も利かない。すぐに古くなる。チェンマイのアパートにもデスクトップモデルを置いておきたいと真剣に考えていた頃だ。

 パソコンに格つけはしていたが欲しがり屋だから何でも欲しい。クルマでなくても、自転車でもリヤカーでもなんでも欲しかった。なのに東芝のリブレットに代表されるMOBILEパソコンに手を出さなかったのは、あれではタッチタイピングが出来ないからだった。小さいものに対する盲目的なあこがれはない。あくまでも文章を書く道具として機能しないと興味がなかった。

 WIN-CEがあったがあれでは能力的に物足りない。そこにVAIO-PCGC1の登場である。これにハマることになる。それでもまだこれを買うときの感覚は、クルマの中で文章を書くという移動書斎としての道具であり、そこで書かれた文章は、フロッピーを経由してデスクトップに入り、改めて清書され印刷されるはずだった。MOBILEパソコンはぼくの中で、最も格下の外出先での非常用道具であり、まだまだ正規パソコンにはほど遠い存在だったのだ。なのに。

 ふと気づくと、ラッコになっていた。寝転がったまま、胸の上にちっこいVAIOを乗せ、電話線を繋ぎ、電子メイルや掲示板への書き込みなど軽いものはもちろん、いつしか仕事文章までそのままの体勢で書き送信するようになっていた。笑っていた知人を遙かにしのぐものぐさパソコンオヤジになっていた。お恥ずかしい。このことは今後のぼくの生きる姿勢を矯正するためにも恥を承知で告白しておかねばなるまい。正しい姿勢から背筋の伸びた文章が生まれる。寝転がっていては寝転がった文章しか書けない。と、しおらしいことを言いつつ今もラッコ状態で書いている。ほんとに反省しているのか。


●3「溺愛の日々」

←こんなナビソフトを買ってきてインストールし、クルマに積み込んでナビごっこまでしていた。楽しかった。
 でもこれ、高いソフトだった。今は機種によってはこれが附いてくるらしい。


 今回の悲劇も、すべてはこの「ラッコ状態になってしまったものぐさおやじ」から生まれている。ぼくはデスクトップ、A−4ノート、B−5ノート、MOBILEパソコンの四種類を使っていた。重要度はその大きさに比例していた。序列があった。それがちっこいVAIOを購入してからすべてが狂ってしまう。

 原因はいくつも考えられるが、まずは「電源を入れるということ=手軽さ」があったと思う。パソコンを常時オンにしている人もいるだろうが、ぼくはそれをしていない。スタンバイ状態にしてもファンが回っていてうるさいからである。三時間ほど仕事をして一時間ほど休むとする。寝転がって新聞や本を読んだりしても、パソコンのファンの音が気になる。そのたびに電源を落とす。この落とす作業もスイッチポンとは行かず面倒なのはご存じの通りだ。思えば昔の低能力パソコンはよかった。ファンなんてなかった。静かだった。オンオフも簡単だった。ファンが常備になったのは発熱するPentium以降だ。今の1ギガヘルツのパソコンなんて冷却ファンだらけである。うるさいのなんのって。

 ちっこいVAIOを買った。素早く反応して無音のスタンバイ状態になる。復帰も早い。パソコン机の前に行き、椅子に座り、デスクトップの電源を入れ、立ち上がるまで待つよりも(自慢じゃないが常駐ソフトをたっぷり入れてあるぼくのパソコンの立ち上がりは誰にも負けないぐらい遅い!)、なんといっても楽なのである。ベッドに寝転がった状態で、仕事をする、スタンバイ状態にして横に置く、休憩して本を読む、ヴィデオを観る、またパソコンで仕事を再開するという行為が、すべて簡単に出来るようになったのだ。足を骨折して動けない人のやるようなことをぼくは健常者の状態でやっていたことになる。立ち上がるのはトイレに行くときだけだった。それすらも面倒になりつつあった。しびんを用意するようになるのも時間の問題だったろう。ものぐさの極地に向かって一目散に前進していた。



 ちっこいVAIOの魅力は「カメラ付きノート」の便利さで語られることが多い。ぼくにはそれは関係なかった。買った当時でもほとんど使わなかった。旅先の何カ所かで耳目を集める小道具として使った覚えはあっても、まともに写真を撮ったという記憶はない。メイルにそれを添付して送ったなんてこともない。SONYはそれを売り物にし、写真を簡単にコンバートして送れるソフトなど盛りだくさんに付いてきたがぼくは使わなかった。VAIO-PCGC1の使用者としてはかなり異端だろう。そのお蔭で、WIN2000にするとカメラが使えなくなるという最大の問題点もなんら気にすることなくOSの交換が出来ることになる。

 ぼくがこれを気に入ったのは、この小ささで17ミリのキーピッチを保持しタッチタイピングが出来るということだった。この種のものをあれこれチェックし、間違いなくそれが可能であることを確認してから購入した。唯一の不満は、ローマ字入力では使用しないキイボード右側のいくつかのキーを不自然に小さくしていることだった。ひらがな入力では使うキー、たとえば「け」とか「む」とか濁点、半濁点のキーが小さいのである。慣れた今でも濁点と半濁点のキーを押し間違えたりすることがある。この缺点は新機種では改良されている。最新型を買うときの最大の楽しみである。

 問題はOSにあった。あれこれとユーティリティソフトを入れているぼくにも問題があるのだろうが、とにかくもう頻繁にハングアップするのである。一日に三回ぐらいはざらだった。大切な資料や文書を失うということはないにせよ、乗ってきたときに再起動という三分ほどのインターバルを強制されることは苦痛だった。これはOSをWIN2000にすることで一気に解決した。まったく半端OSの95や98とNTがこんなにも違うとわかっていたなら、ぼくはもっともっと早くNTユーザーになっていた。悔やまれる。

 WIN2000の問題点は売り物であるCCDカメラが使えなくなることだった。対応するカメラドライバーをSONYが提供していないらしく、これはあちこちで大きな話題となっていた。アメリカのSONYサイトからドライバーをダウンロードすると使えるとか、愛好者のホームページでは、なんとかしてWIN2000でもカメラを使おうと情報交換が花盛りだった。
 ぼくには関係がない。最大の問題点だったハングアップから解放されて万々歳である。WIN2000をインストールし、ぼくのVAIO偏愛はますます加速していった。

●4「愛の序列を考える」

←機嫌を悪くした本妻のFMV

 デスクトップ、A−4ノート、B−5ノート、モバイルと四台のパソコンを使っていた。主役はデスクトップだ。非力なノートは、気分屋であり怠け者であるぼくにやる気を出させる小道具のようなものだった。17インチのCRTモニターでは書く気の起きない文章も、ノートの液晶画面だったらその気になったりする。椅子のパソコン机でやる気になれない時は、座椅子のパソコン机に座れば気分も変る。部屋でやる気のないときも、MOBILEノートを持ち、クルマで景色のいいところに出かければ捗ったりする。ぼくは四台のパソコンを時と場所で使い分け、なんとかやる気を持続させていた。

 毎日文章を書くということは毎日休まず女を抱くようなものである。同じ女ではその気にならなくても相手が変わればなんとか可能だ。デスクトップという正妻と、ノートというそれぞれタイプの違う三人の愛人、そこを巡回する日々、ぼくは自分のパソコン環境をそう位置づけていた。それはあくまでもローテーションだから、でんと座った正妻の座は、どんなに魅力的な愛人が現れようと揺るがないはずだった。ぼくもそう思っていたし、彼女(?)もそう思っていただろう。だが、ぼくはやがてMOBILEパソコンのVAIOしか触らなくなっていった。自分で作ったルールを破り愛人の一人に耽溺していったことになる。四日にいっぺん訪問する愛人のはずだったのに、べったりとそこに居続け、どこに行くのも一緒という関係になっていった。

 タイ人女性とミヤ(妻)とミヤノイ(愛人)について話したことがある。彼女はカラオケで働いていた二十二歳の女性だった。カレッジを出ている。十八歳の時に四十歳の男性に処女を捧げた。当然相手は女房子持ち。しかも愛人も二人いたという。愛人三号である。結婚が目的ではない。そんな気持ちは毛頭ないという。妻もいる、子もいる、愛人まで二人もいる、なのになんでそれで平気なのか、満足できるのかと問うと、彼女は自信満々に言った。自分がいちばん愛されていると。

 日本人的な感覚で考えると、彼女は四番目の女である。政治的な序列ではだ。だが愛情的な序列では最も愛されている一番目になる。それが誇りなのだ。妻子持ちで愛人も二人いる浮気男と関わってしまったというマイナス発想ではなく、そういう三人も女がいる男が、それでも欲しがったのが自分なのだという女としての誇りが彼女を支えているのである。う〜む、なんてステキなんだタイ人女性。なんてうらやましいんだタイ人男性。日本でもタイでももてる男は妻帯していようともてるというのは同じだが、松方弘樹とかあの辺の役者関係の例でも解るように、結果的には正妻の座の奪い合いである。そうではないところがタイ人女性のすばらしいところだ。

 タイ人女性はそういう発想をするから、愛そのものに関してはシビアでも、その他の状況には無頓着である。愛さえあれば貧乏人の男でも格上の女性を愛人にすることが可能だ。現にぼくは小学校も出ていない美男子でもないトゥクトゥクの運ちゃんが金持ちの娘の美人女子大生を愛人にしていたなんて例をいくつも知っている。女子大生は親からもらった小遣いを貢ぐだけでなく、水商売のバイトをしてまで男に尽くしていた。欲しいのは愛だけである。愛されているという満足感があれば世間的なものなど関係ないのだ。さすがにこういう男はマメであり女性に優しかった。歯の浮くような甘いセリフもためらわずに口にしていた。

 それはまた、愛がなくなればすべて終りということでもある。タイ人女性は簡単に離婚する。愛がないと判断したら別れる。まだ乳飲み子がいて、ここで離婚したら生活が困ると解っていても、自分を愛していない男と一緒に暮らしたりはしない。それこそカタギの主婦が明日から売春婦になることを決意しても別れる。自分を愛していない男と生活のために一緒にいるなんてことは誇りが許さないのだ。子供は自分が引き取る。別れる男なんて二度と見たくないと思う。タイ人男性は好きな女とくっつき、子供を作り、べつの女が好きになったら後腐れなく、養育費なんてものも関係なく次の女とくっつけるわけだ。これまた実にうらやましい。とはいえ、うらやましいというのは日本的な感覚で、それが当然である人たちにとってはなにがどううらやましいのか理解不可能であるに違いない。

●5「愛の序列の続き」

←素直だったメビウス

 妻と愛人一号、二号、三号を考える場合、ぼくに理解できるのは妻と三号の気持ちだけである。正規の妻の座と最新の愛人は理解できる。二号とか三号の心境はどういうものなのだろう。よくわからん。日本の場合なら解る。生活というものがあるからだ。お手当目当てである。タイの場合は愛がすべてだ。最高に愛されているのはもう自分ではないと知った誇り高いタイ人女性は、その辺、自分をどう納得させているのだろう。タイの愛人二号にも、すでに男の心は愛人三号に傾いてしまっていると知りつつも、生活のためにその座に甘んじる人もいるのだろうか。

 でも、男が新しい愛人を作ったから古くなった愛人は苦労するだろうというのは日本人男性であるぼくのかってな考えのようにも思う。タイ人は女性もまた恋愛には積極的である。四十代、五十代の女性でもどんどん新しい男を作ってゆく。それはそういう需要があるということであり、自分の心に正直ということなのだろう。五十をすぎたしなびたマッサージのおばちゃんが、男に見初められ再々婚をしたなんて話を聞いても、ぼくにはピンとこないのだが、六十歳の、若い娘を囲うほどの経済力のない男にとって、五十のおばちゃんでも長年連れ添った古女房よりはずっと新鮮なのだろう。真にうらやむべきは、恋愛にどん欲であるこの姿勢なのかも知れない。

 十八歳で結婚し子供を作る。亭主が新しい女を作ったので二十二歳で別れる。子供を育てるためソープランド嬢になる。容姿の衰えから三十歳で引退。稼いだ金で雑貨屋を始める。こういうよくあるパターンの女性も、三十代後半、四十代でまた男を作ってゆく。そしてまたここがすごいところだが、その頃になると年頃になった娘がかつての母と同じ商売をして仕送りをするようになっているのである。娘にとって、母が体を張って育ててくれたのだから、自分もまた同じ事をして恩返しをするのは当然のことなのだろう。日本の女性が、恋愛に関し、本音はそうでありながら、世間体や年齢、子供のことなどを考え、再婚再々婚に踏み切れないのと違い、タイ人女性は国名と同じように自由である。

 と、複数台のパソコンを使う話を正妻や愛人に喩えていたらタイ人の恋愛観というとんでもない方向に脱線してしまったが、これはそれほど見当外れな話ではない。
 パソコンを長く使った人なら、誰でも「買い換えようとすると、それまでの機械が不調になる」という経験をしているはずである。これはもう有名な話なのだ。アニミズム風にパソコンに女という人格を与えるなら、べつの女に心を奪われそうになっている=捨てられそうだと感じたら、女はそれを察知しすねるのである。ふてくされると言ってもいい。そろそろ新しいパソコンを買おうかなと、今までのパソコンの前で新型のカタログなどを見ていたら、翌日あたりから、それまで順調だったパソコンがあちこち不調になって往生するというのは、長年パソコンを使った人なら誰もが経験していることだ。ただの機械であるパソコンにも心があるようで、ぼくはこの種の話が好きだ。気持ち悪がる人もいるかもしれない。でも事実である。

 ぼくは今までに二十台以上のパソコンを購入しているからさんざんこの経験をしているけど、今回の場合はその中でも特別だった。デスクトップからMOBILEまで揃った理想的な環境というのは、ぼくの場合、それだけの能力をもったパソコンが出そろった二年前にやっと整ったものだった。今までもそういう問題はあったが、それは単に正妻の座が入れ替わるだけだった。デスクトップパソコンの買い換えだけだったのである。今回は大小全部揃っているから、そこで起きた不調問題は、あたかも現実の愛憎問題のようだった。

 ちっこいVAIOを溺愛する。ハードディスクを12ギガにし、假想CDユーティリティを使い必要な辞書類をハードディスクに納める。これでCDーROMプレイヤーの必要がなくなった。それの付いているデスクトップやA−4ノートに触らなくなる。プリンターポートがついていないVAIOは印刷を苦手としていたが、電話線から直接ファクスを送受信し、メイルで原稿の受け渡しが多くなってくると、それも関係なくなってきた。たまにする印刷もUSB接続の機器を買いクリアである。すべての仕事をVAIOでこなすようになった。二十四時間いつでもどこでも腹の上で文章を書くというラッコ状態になり、他のパソコンに触らない日々が続いた。

●6「パソコンの心」


 まずデスクトップがおかしくなった。彼女(?)は、ぼくが愛人一号(A−4ノート)、愛人二号(B−5ノート)を囲っても平然としていた。正妻の座の安泰を確信していたのだろう。愛人三号(ちっこいVAIO)が出来ても気にしなかった。あんな小さいものになにが出来ると自信満々だったに違いない。

 この正妻もかつては目一杯愛していたので、メモリーのフル装備、CPU換装、グラフィックボード補強、ハードディスク増強と、ずいぶんとお金を注ぎ込んでいる。一時はノートに走っても、すぐに飽き、やはり本格的なのはデスクトップだとまた帰ってきて、あれこれと補強したりしていたから、いくら愛人を作っても最後には自分のところにもどってくると彼女はそういう流れに自信を持っていたに違いない。ところがぼくはすっかり火宅の人となり、それこそ何ヶ月も家に帰らない日々が続いたのだ。さすがに今度の浮気はただの浮気ではないと悟ったのだろう。久しぶりに電源を入れたら不調になっていた。使い物にならない。

 今までのぼくなら本宅が尋常でなくなったらあわてて修理に走ったろうが、今回は違っていた。愛人三号にべったりで、不調になった正妻にぜんぜん興味が湧かないのである。そろそろ寿命だろうとか、ずいぶんとお金を注ぎ込んだから、いまさらまた金をかけて直す気にもならないなとか、自作パソコンを作りたいと思っていたから、タイミング的にもちょうどいいやと、病気になった糟糠の妻を見放す状態だった。

←ヨーロッパへよく一緒にでかけたDynabook

 続いてB−5ノートがおかしくなった。彼女(?)は小柄な自分の容姿に自信があったに違いない。キュートでコケティッシュで、小さいけどグラマーで、旦那がクルマでお出かけの時など、いつも自分が指名されていた。それが誇りだった。でも自分よりも小さく、新しい分いろんな機能を持っている小悪魔のようなVAIOが来たら、すっかり出番がなくなってしまった。それで変調を来したのだろう。久しぶりに電源を入れたら、これまたわけのわからないことをぶつぶつ言うふてくされ女になっていた。すぐに電源を切り放り出す。元々B−5ノートは、その小ささが魅力だった。だがモバイルVAIOよりも大きく重く、能力も落ちるのである。今更かわいがる理由がない。不調になったB−5ノートをぼくは冷たく見捨てた。

 VAIOを異常に偏愛したため、デスクトップとB−5ノートがおかしくなった。それでも、なんとかまだA−4ノートは動いていた。これはつい最近、Win-Meを入れたりしていたから、まだ愛されていると思っていたのだろう。VAIOにWin-2000を入れた。すべてにおいて満足した。ハングアップばかりしていた95や98など思い出したくもない。なのにその後継OSであるWin-Meが出ると、どんなものだろうと使ってみたくなる。これがソフトおたくのくだらないところだ。早速買ってきた。かわいいVAIOには入れない。98の後継であるMeなど信じていない。せっかくの安定した環境が崩れたら困る。で、98を使っているA−4ノートに入れてみた。Meというのは生意気なOSで、Pentium150メガヘルツ以下のCPUには入らない。インストールしようとするとCPUをチェックし、アンタの低能力パソコンには入れられないよと言ってくる。まったくもって不愉快なOSだ。

 さいわいにもぼくのA−4ノートはこの能力検定をパスしていた。だったら入れてみようとなる。愛情的に喩えるなら「美しくなるという怪しい健康食品を買ってきたが、万が一のことがあったら困るから最愛の女には飲ませない、まずは問題があってもいい女に飲ませてみる」というようなひどい話なのだが、A−4ノートは世間で話題のMeという新しいドレスを自分のために買ってくれたと喜んだのだろう、Meをインストールされ、なんとか正常に動いていた。

 今回ぼくは、CPU使用率100パーセントという形でVAIOが不調になりハードディスクを発作的にフォーマットしてしまうという大失敗をした。本来ならそれをサポートしてくれるはずの他のパソコンが、それ以前から不調になっていたために復旧に苦労した。その間、まともに動いていたA−4ノートのお蔭でなんとか支障なく日々を過ごせたのである。Win-Meを入れ、ご機嫌を取っておいてよかったと思っている。とにかく毎日仕事をしなければならないから、パソコンが使えなくなったらおしまいである。そのために複数台を使ってきたのだが、デスクトップとB−5ノートを壊れたままにしておいたことは、VAIO偏愛による一種の色呆けのようなものだったろう。反省している。

●7「いちばん悔いたこと」



 CPU使用率が100パーセントになったまま低下せず、文章を書くというCPUに負荷をかけない最も簡単な作業さえ出来ない状態になった。OS再インストールで治ると思い、それをやってみた。が、治らない。これなくしてはいられないというぐらい溺愛しているVAIOが使えない日々が続く。A−4ノートで仕事をする。三年前には40万円した最高級品だったのにVAIO呆けした今ではなんの魅力も感じないしろものだ。ちっこいVAIOよりもあらゆる面で能力は上なのだが、色ボケとはこんなものだろう。欲求不満が二日、三日と続く内、ぼくはとうとう我慢できなくなり、VAIOのハードディスクをフォーマットしてのクリーンインスールという暴挙に出たのだった。

 12ギガのハードディスクには、C,D,Eの三つのパーティションが切ってある。ソフトは長年「パーティション・マジック」を使っていたが昨年から「システム・セレクター」を愛用している。その前に「パーティション・イット」というのも使っていた。ソフトオタクを自称するだけあって、ほんとにまあよく金を捨てている。

 CがWin、DがApl、EがDataである。このEがぼくの心臓部だ。ここはフォーマットしない。それだけに気をつける。今までに何度もやったことであり、これをすればまずたいていの不調はぴたりと治る。ソフトの再インストールやテキストエディターの再設定などの煩わしさを考えると憂鬱になったが、思い切ってやらなければまたVAIOとの熱愛の日々はもどってこない。ぼくは決断し、フォーマットを始めた。

 今思っても不思議なのは、ウインドウズのクリーンインスールなのだからCディスクだけでよかったのに、なぜDまでフォーマットしてしまったのだろうということだ。VAIOが使えなくなり思った以上に錯乱していたのだろう。そのことで自ら面倒を引き起こしている。ぼくはCディスクのプログラムファイルにアプリケーションを入れない。すべてフォルダを替えDに入れている。データはEだ。だからCをフォーマットしても実質的な被害はほとんどないのだ。それは何度も再インストールだのフォーマットだのを経験して学んだ生活の智慧のはずだった。なのに今回はなぜかDまでフォーマットしてしまったのである。

 結果として、VAIOは元の調子を取りもどした。各種ソフトも面倒ではあるが、こまめにやり直してゆけば元にもどる。完全復調までの道は長いが、なんとかなるだろう。
 失ったものは、メイルソフトに入っていた数多くのメイル文章と、メイルアドレス、IEに入っていた「お気に入り」のアドレスである。それもまた時間はかかるが何とかなる。ぼくにとって最も痛かったのは、違うところにあった。



 ぼくはMS-DOS時代から「テグレット技術開発」の製品を愛用していた。当時のテキストエディターというと、なんといってビレッジセンターの「VZエディター」であり、当時からソフトオタクの気があったぼくはもちろんこれを持っていたが、なぜかそれ以上にテグレットの「章子の書斎」というエディターを気に入り愛用していた。これはこれで名高いソフトであり、かゆいところに手の届く実に優れた製品だった。


 機械を使って書いたぼくの文章は、ワープロのシャープ書院時代、MS-DOS時代の「章子の書斎」時代、ウインドウズのWZエディター(VZのウインドウズ版)&QXエディター時代に分けられる。
 初期の5インチフロッピーの頃から使い、現在の最新ヴァージョンまで欠かさず買っている「一太郎」が入っていないが、これはIME(当時はFEPと言った)のATOK欲しさに買っているだけであり、テキストエディターの便利さを知ってからは使っていない。最近の一太郎は多機能になり、もう使いかたさえ解らない。物書きだというとワープロソフトを多用しているように思われるのだが、それは違う。ぼくに限らずみんなそうだ。多機能ワープロソフトの使用法に習熟しているのは、社内でそういう文書を作ったりするOLなどであり、職業物書きはワープロソフトは使わない。「一太郎」や「ワード」を使っている人はほとんどいないというのが現状だ。それはとても簡単な理由で、職業物書きは字さえ書けばいいからである。それを大きな活字にしたり、色をつけたり、レイアウトしたりするのは、他の人の仕事だ。
 というわけでぼくはテキストエディター・ソフトを愛用していたわけである。

●8「続・いちばん悔いたこと」


 と、ソフト論に脱線しているとまた切りがないので急いで本論にもどる。「ハードディスクをフォーマットしてしまいいちばん悔いたこと」の話だ。

 03年6月、たまりにたまったパソコンソフトウェアを消却していたら、なんと「章子の書斎」が出てきた。ここに書いてあるようになんとも愛しいソフトである。とっくのむかしに捨ててしまったと思っていた。発売元のテグレット技術開発のホームページでも、はるかむかしのソフトだから画像はない。まさかこの写真を入れられるとは思わなかった。望外の喜びである。

日本語雑記帳──燃やす

 その愛用していた「章子の書斎」というエディターは、やがてより便利な「知子の情報」というソフトにグレードアップしてゆく。当初は別ソフトとして存在していたのだが、ウインドウズ時代になり、「章子」の機能を「知子」が持つようになり、商品としての「章子」は消滅したのである。この辺、初めて聞いた人は「章子の書斎」とか「知子の情報」とかいうソフト名に違和感を覚えるかも知れないが、テグレットというのはこういう命名が好きな会社で、そのユニークさで有名でもあるのだ。ぼくが関わった最初の頃は有限会社だったが、順調に伸びているようでいつしか株式会社になっていた。練馬区にあるパソコン好き若者数人が始めた会社のようだ。


「知子の情報」というのは、獨自のファイルを用い、ひとつのファイルの中にほぼ無限大ともいえる(64000がリミットだったか)ファイルを収納出来る画期的な製品だった。この便利さは使えば解るとしか言いようがない。いや、知らない人にはぜひとも使って欲しいと言いたい。たとえばワープロやテキストエディターを使い、百人の人に合計千通のメイルを書いたとする。ふつうならそれは千個のファイルである。「知子の情報」では、それがひとつのファイルとなっているのだ。だからその中から「後藤さんに書いたメイルを探し出せ」と命令すれば、たちどころにそれをやって並べ立てる。「『サクラ』という文字の入っている文書を探し出せ」とやれば、一瞬にしてそれをズラリと選び出す。便利この上ない。
 普通のテキストエディターでもGREP機能を使えば出来るが、ひとつのファイルというのは、想像以上に便利で楽なのだ。千通の手紙と一冊の日記帳の差である。ぼくは掲示板への書き込みや、それなりに長いメイルは、全部このソフトで書いていた。仕事の文章はWZやQXで書き、趣味的なもの個人的な手紙などは「知子」で書くというのがぼくの使い分けだった。

 で書く文章、たまにで書いたりする文章、デジカメの写真、ぼくはそれらをすべてEのデータディスクに入れていた。仕事関係のものは、更にフロッピーやZIPに保存したりと二重三重に保存するようにしていた。それぐらい文章の保存には気を遣っていたのだが−−ここでやっといちばん悔いた話になる−−獨自ファイルである「知子の情報」のデータ保存先は、アプリケーションを入れたDディスクのままだったのである。インストールの時、自動的にそこになる。Eに移そうと思いつつしないままでいた。それを忘れてしまうぐらいWin2000になってからは絶好調だったのだ。たいへんなミスをしたと気づいたのはDディスクをフォーマットしてしまった後だった。

 メイルソフトには千通以上ものメイルがあった。送信者のアドレスが消えてしまったことは痛い。でもそれは新たに連絡を取ればいいことだ。連絡の取れない人は、そこまでの縁だったと思えばいい。ぼくはそう割り切っている。ふつう誰もが惜しむのはアドレスなのだろうが、人と人とのやりとりにおいていい加減なことをしたくないぼくにとって、相手の発言や自分の意見の保存の方が重要だった。大切な三百通程度のメイルは、「知子の情報」で下書きしたものだったから、Cディスクのアウトルックエクスプレスを始めとするいくつものメイルソフトが消えてしまっても、この「知子ファイル」さえあれば文章は残っているはずだった。仕事の文章はWZやQXで書いていたのでEディスクに残っていた。

 だがメイルや後藤さんの掲示板への書き込みなど「知子の情報」で書いたものはすべて消えてしまったのである。昨年の夏から始めた自分の掲示板への文章で、それなりにまとまったネタは、QXで書き、Eディスクに保存していたので残すことが出来た。不幸中のさいわいだ。言いかたを替えると、「知子」で書き今回消えてしまった文章は、いい加減な文章なのである。真剣な文章は頭の中に残っているから元文がなくなっても復元できる。でも気分次第で書き込んだりした軽い文章は、書いたことすら忘れてしまっていたりする。だからこそ重要とも言える。

 この「パソコン壊れ事情」というのは、短く分けて掲載しているが、パソコン上ではひとつの長い文章なのでQXエディターで書き、その他の単発のネタは「知子の情報」でと使い分けている。今回のことで懲りたので、知子ファイルの保存場所をEディスクとした。もう二度と同じ過ちはしないつもりだが、なんとも悔やまれることである。

●9「凝り性の懲りない性格」


 ぼくは自他共に認める〃ソフトウェアオタク〃である。ついでにいうと「周辺小物機器オタク」でもある。キイボード、マウス、マウスパッド、アームレスト、その他の小物を店が開けるほど持っている。が、パソコンでたいしたことはやっていない。仕事である文章を書くこと、デジタルカメラで撮った写真の整理や加工、インターネットで調べものをすること、それぐらいである。最初にパソコンを買った理由である音楽作りは今、お休み状態だ。

 自分のホームページも持っていない。でもほとんど全部のホームページ作成ソフトを持っている(笑)。関係ないホームページのソフトでさえ多数持っているのだから、関わっている事柄に関してはどれほどのオタクなのかはご想像願いたい。ワープロやテキストエディターや辞書などの収集は完璧である。写真加工ソフト、閲覧ソフトも一時は全種類集めたりしていたが、昔からあまり写真が好きではなかったこともあり、これは今は落ち着いている。電子メイルを始めてからはメイルソフトに凝った。市販ソフト、シェアウェア、フリーソフト、あれこれと揃えていじくりまわしたものだった。インターネットを始めてからはブラウザーにも凝った。押しつけられたインターネット・エクスプローラーだとかネットスケイプだとかを素直に使うという発想が最初からない。

 いちばん凝ったものが本業である文章を書くソフト、テキストエディターであることは言うまでもない。ちなみにぼくはウインドウズに付属してくる「メモ帳」とか「ワードパッド」を使ったことはない。いや、二、三回開いたことはある。優れたテキストエディターに慣れたら、とてもあんなものは触れない。ぼくのウインドウズカスタマイズは、WZエディターにtxtを始めとする文章を関連づけ、一太郎とATOKを入れ、メモ帳やワードパッド、MS-IMEを削除することから始まる。

 テキストエディターは、書く文章のジャンルや種類によって使い分けていた。近年のソフトウェアというのはかなりユーザーがカスタマイズできるようになっている。ぼくのエディターはツールボックスの表示、キーカスタマイズ、画面設定、マクロと可能な限りいじくり回してある。いくつものエディターが文章のジャンルごとに異なった色合いとデザインでスタンバイしているのである。ぼくはそのエディターを開くことにより、自分が今からどの仕事をするかを確認し、意識を高めてゆく。当然そのパターンが確定するまでにはいくつもの試行錯誤があったわけで、それに費やした時間はかなりのものになるだろう。この辺のことはホームページを作った人はわかってくれるだろう。そのことに意味があるかどうかはともかく。

 と、ホームページという語が出たので、忘れない内に書いておこう。ぼくは実は、ホームページを作ろうと思ったことがある。そう思っていくつかのホームページ作成ソフトを買ってきたのだった。だが、テキストエディターひとつにさえそれほど凝っている男が、他人様に対して発表するホームページという世界を自分の満足するように作ろうとしたらどうなるだろう。

 まずはというトップページのロゴを作ることから始まった。早速ホームページ作成ソフトに付属してくるロゴ作成ソフトでは、自分の満足するだけのロゴが作れないという問題が発生し、ぼくはロゴ作り専用ソフトというのを買い求めることになる。この辺からしてもう尋常ではない。そこにあるパターンをいくつも試す。

 そうしてやっと「金色のゴチック体のMone's Worldという太文字が、暗闇の中で、鈍く光っているロゴ」を完成させた。バックに使う写真は−−市販のもの、他人のものを使う気など毛頭ないから−−ヨーロッパで撮った写真の中からフランスの田舎町の風景を選んだ。

 それをフィルムスキャナーで読み込み(たいして使いもしないのにスキャナーなんぞもずっと前から複数台持っているのである)写真加工ソフトでいじくりまわす。次は各章のロゴである。文字はどうする。競馬はHorseRaceと英語にするのか、それとも漢字の競馬で行くか。プロレスは、猫は、旅は、将棋はと考える。音楽はどうする。Mpegで流すのか。試行錯誤。作る。気に入らず消す。そんなことを繰り返して、やっとぼくのホームページ、「Mone's World」のトップページが出来上がった。
      


●10「因果な性格」


 が、トップペイジを作るだけで、ぼくは一週間そのことにかかりっきりだったのである。その間ほとんど仕事をしていない。そうなった原因には、ぼくがその種のソフトの使用法に慣れていなかったということもあるだろう。解説書を見ながら一歩一歩進んでいったから進行は苛つくほど遅かった。たぶんロゴ作りなんてのも、制作ソフトの使いかたに慣れ、効果の出し方を覚えたなら、様々なパターンをほいほいと簡単に作れるようになるに違いない。

 しかし根本的な問題はぼくのこだわり症だ。この性格が直らない限り、ぼくは自分で作ったホームページに異常な情熱を燃やし、朝から晩までいじくり回しているだろう。子供の頃からのそんな性格がいまさら直るはずがない。となると、ホームページを作るということは、ぼくにとって「生活の破綻」を意味することになる。ホームページを作り始めたなら、まず基本形が出来上がるまでの数ヶ月は一日中かかりっきりになる。やっと基本形が出来上がったとしても、今度はアップする文章の背景やら字体やらをいじくりまわし、修正し、写真がどうのレイアウトがどうのと、毎日そればかりやっているだろう。ゴールはない。これは出口のない迷路地獄である。サラリーマンなら日中は働いている。餘暇の時間をホームページの更新に当てる。健全である。だがぼくは好きなことを好きなだけ出来るフリーランサーなのだ。彼らとは立場が違う。

 ホームページというものを、ぼくのようなタイプが作るとしたら、それは「そのことに専念できる若者時代(=未来への前進)」か「リタイアした老年時代(=過去の回想)」のどちらかであろう。ぼくは今、そのどちらでもない。フリーランスライターとして今を生きている。ホームページに一日の大半を費やすようなことをしてはならない。したら干上がる。死んでしまう。なにしろぼくには、これから書くのではなく、整理したい今までに書いた原稿が山ほどあるのだ。それをテーマ別、年代別に整理していったなら……ああ、楽しいだろうなあ、夢のようだ。年代順に、テーマ毎に、レイアウトに凝り、色合いに凝り、それをホームページに並べ立てる……考えるだけでうっとりする。

 が、それは過去を振り向くことである。今までに書いた原稿の整理なんてのは、新しいものが書けなくなってからでもいいのだ。老後の楽しみに取っておけばいい。そうでなくてもぼくは今、十年以上も一年の半分を海外巡りをしていたためにマスコミから忘れられた存在となり、年収は半減し、カスカスの生活をしているのだ。十年以上たっぷりとネタを仕込んだから、これからはこれを売り物にして新たな出発だと思っているのに、ここでホームページなどという自己満足の出口のない迷路に迷い込んだら、それこそ肉体労働のアルバイトをしながら、自分の旅行体験を書き綴って満足する〃自称プロ作家〃になってしまう。耐えねばならぬ。このホームページ作成という誘惑は断ち切らねばならぬ。そう思い、ぼくはやっと踏みとどまったのである。

「踏みとどまった」という表現でわかるように、それはひじょうに魅力的な誘惑だった。ぼくは自分の書いた文章は、レイアウトやデザインもすべて自分でやりたいと思っている。いつも掲載された雑誌を見るたびに不満を感じる。文章を読みこなしていないデザイナーに、見た目のかっこよさだけで大切な文章を不自然に分断されたりすると憎しみすら感じる。単行本などは表紙から目次まで自分の感覚でまとめたいと思う。編集者に単に有名なだけのイラストレーターの不似合いな表紙を押しつけられたりすると不快で不快でたまらない。でもそこまで自分の意見を通すことは現実には叶わない。編集者にも表紙づくりの楽しみ、デザイナー選びの権利を残しておいてやらねばならないのだ。

 ホームページとは何か!? それは「個人ですべてを作る雑誌」である。物書きからカメラマン、デザイナー、すべて自分でやるのだ。理想郷である。それはしあわせに違いない。最高に満ち足りた時間になるだろう。無収入となって餓死することさえいとわなければ。
 いつかの日かホームページを作りたい。誰かに読んでもらいたいのではない。自分で読むためにだ。自分で書いた文章を自分でレイアウトし、自分で解説も書く。ネットにアップなどしなくていい。読者は自分一人でいい。これぞ究極のオナニーである。楽しいだろうなあ、書いているだけで昂奮してきた。だけどそれは先延ばしせねばならない。いま禁断のそれに関わってはならないのだ。


●11「ヴァージョンアップの不幸」


 急いでこの「パソコン壊れ事情」を完結させねばならない理由が出来た。でもその前にひとつ、なんとしても書いておきたいことがある。「ソフトオタクの悲劇」についてだ。


 ソフトウェアは、「一太郎」が今では「11太郎」になっているように(一太郎ユーザーはこういう呼び方をする)、次々とヴァージョンアップして行く。年に一度ぐらいならまだいいが、中には三ヶ月に一度なんて頻繁なものもある。まともな人間はこういうことには関わらないと思うが、「速さ、200パーセントアップ」なんて惹句にだまされ、その度に買ってしまうのがソフトオタクの悲しい性である。(「かなしいさが」が「悲しい佐賀」と出てきたので笑ってしまった。がんばれよ佐賀県。悲しくないようにな。)

 商品がヴァージョンアップすると、ユーザー登録した者のところには、一般発売よりも先に商品案内が届く。そこには旧ヴァージョンユーザーのためだけの優待価格が書いてある。12000円の製品が6000円だったりする。店頭の割引価格は最高でも8000円ぐらいだから安いことは安い。でもそれ以上にこちらの心をくすぐるのは「ユーザー優待価格」という優越感である。しかもまだ一般には流通していない商品なのだ。新興宗教に狂った信者のように、案内状を手にするやいなや郵便局に直行し振り替え送金をしたものだった。

 今回、そういうソフトオタクが惨めな目にあった一例として「驚速」の事を書く。驚速というのはハードディスクのアクセスを速くするユーティリティソフトである。よく使うソフトを記憶し、立ち上げまでの時間を短縮してくれるというものだ。ぼくはこれを「驚速95」、つまりWin95の時代から愛用している。Win98が出る。「驚速98」にヴァージョンアップする。一万円数千円のところを半額ぐらいで買う。Win2kが出る。「驚速2000」にヴァージョンアップする。これも半額ぐらいで買いインストールする。と、このことだけを書くと、企業のヴァージョンアップに踊らされているという消費者の愚かさを除けば何の問題もないようだ。しかし違う。実態は惨めなのである。

 ヴァージョンアップ版は、旧ヴァージョンが入っていることを要求する。それがないとインストール出来ない。Win95で驚速95を使っている。OSをWin98にする。驚速98をヴァージョンアップで買う。インストールする。驚速95を自動認識する。「驚速95を削除してください。それからインストールします」となる。驚速95を削除し驚速98をインストールする。ここまではいい。だが半端OSのWin98は引っかかってばかりいる。OS再インストールとなる。するとその後に驚速98を入れようとしても「驚速95がないから入れられない」のである。それでまず驚速95をインストールする。それから驚速98のヴァージョンアップを入れる。削除指示が出て入れたばかりの95をすぐ削除して98を入れる。これだけで相当に面倒でくだらないことを解ってもらえると思うが、今回の場合はもっとひどかった。

 ぼくはWin2kをWinMeに上書きインストールして使用していた。そこには驚速98が入っていた。新たに購入したヴァージョンアップ版驚速2000は、驚速98があることをすぐに認識して、簡単にインストールできた。そこまではよかった。そして今回。Win2kをぼくはクリーンインスールした。驚速2000を入れようとする。するとヴァージョンアップ版の驚速2000は驚速98がないと入れられないと言う。驚速98を入れようとする。驚速98は驚速95を確認しないとインストール出来ないという。ため息を吐きつつぼくは驚速95を入れようとした。すると、Win2kは「こんな古いソフトは今更入れられないよ」というのである。そりゃそうだ、なにしろWin95用のソフトなのだ。それをOSとしての系列が違う最新のWin2kが拒むのは当然である。だがこちとらはこれを入れてくれないと驚速2000がインストールできないのである。

 けっきょくぼくは正規の驚速2000を新たにまた買ってきて入れた。今頃正規版を購入するなら最初からそうしておいた方が安かった。うんと楽だった。一例として驚速を挙げたが他のソフトでも同じ苦労をしている。ヴァージョンアップ版10太郎は9太郎を入れろと言い、9太郎は8太郎を確認したいと要求してきた。ぼくは押入の中に山積みされているそれらの箱を引っ張り出してきては、とっかえひっかえ、とんでもない無駄な時間を使わされたのだった。延々とヴァージョンアップ版を購入している客というのは、初期からのいちばんのお得意さんのはずである。なのにこの仕打ちはないんじゃないかなと、最近は怒ることにさえものぐさなぼくも、さすが憤慨したのだった。

●12「道具としてのパソコン」

 ぼくが仕事の道具であるテキストエディターにこだわるのは筋として正しい。優れた職人は道具にこだわる。鋸や鉋を見れば大工の腕が解る。といって自分を優れた職人などとのぼせあがっているわけではない。それを志しているのだからこだわる姿勢は誤っていないという意味だ。ぼくはパソコンにプリインストールされた「ワード」あたりを、そのまま使っている物書きを信じない。そのままでは必ず不満が出てくるし、それを解消する方法を探し始めるはずなのだ。道具に不満を持たないということ、あるいは不満を抱いてもそれを解消する方法を探さないということと、無から何かを作ること−−この場合はものを書くということだが−−は対立する概念だと思うからである。弘法は筆を選んだ。粗末な筆でも圧倒的な書を描いたろうが、自分の芸を高めるために、常に最良の筆探しもしていた。その辺の量販店で売っている見かけだけがよく、すぐに刃がすり減る安物のノコギリでも、名人は上手に木を切るだろうが、こんなものはノコギリじゃない、こんなものは使いたくないという方が本音のはずである。ぼくの知っている何人かの優れた職人は、ジャンルを問わず、皆真剣に道具にこだわっている。

 喩えを替えると酒に対する好みなども同じだろう。今の日本で、粗雑な工法で作られた水増しの不味い酒を平気で飲んでいる人は、酒好きとは言えないと思うのだ。酒が好きならより美味いものを飲みたいと願い、経済的時間的に許される範囲での最高地点を目指すだろう。毎日の飲酒を週に一回に減らしても良いものを飲みたいとこだわるようになるはずだ。なにかを好むということは否応なくその人のこだわりレヴェルを上げてしまうものである。

 ぼくが愛用するテキストエディターをカスタマイズすることは、手になじむ萬年筆探しと同じである。パソコンやテキストエディターを切り替えて使うというのは、萬年筆とボールペンを持ち替えるのと同じだ。そういえばいかにもパソコンの似合わない椎名誠さんが、移動中の新幹線などでも執筆するために数年前からノートパソコンを使い始めたらしい。素直にその速さと便利さに驚嘆していた。今はどこに行くにもノートパソコンと一緒だろう。椎名さんは機械音痴なのに当たり前のワープロソフトの気の利かなさを早くも敏感に感じ取ったらしく、それらしき不満をエッセイに書いていた。「自分はこういうことはしないから、こういう機能はいらない。その分、これらのボタンを削ってもっとシンプルで解りやすくしてほしい」とは、使い始めたら誰もが思うことで、きっと今頃は周囲のパソコンやテキストエディターソフトに詳しい人からアドバイスを得て、自分流にカスタマイズしたパソコン物書き環境を作り上げていることだろう。

 ずいぶんと便利になったと思う。MS-DOS時代に「白紙FEP」というのがあり、ぼくもそれ作りに励んだものだった。変換能力がないのにやたら漢字だけは入っている当時のFEP(今のIME)は、簡単な言葉をまるで暴走族の落書き当て字のように誤変換してしまうのである。たとえば「まるで」を「魔留出」のようにだ。ならいっそ何もない方がましだという発想から生まれたのが「白紙FEP」だった。言葉がひとつも登録されていない真っ白な辞書を作り、そこにひとつずつ自分の使う用語を登録してゆくというものである。白紙とはいえ、これ、有料である。「魔留出」と出るFEPも数万円した。OSを買うとよくできたIMEが無料で付いてくる今とは隔世の感がある。ぼくはマイクロソフトのIMEを悪く言っているが、当時と比べたら神様ぐらいすばらしいFEPだ。なにしろあの頃、パソコンを買ってもOSは入っていなかった。フロッピー二枚組のMS-DOSを二万円ぐらいで買わされたのである。それからワープロソフトを買い、FEPを買いと、ひとつずつ環境を整えていった。パソコンは買っただけでは何も出来ない機械だった。今のすべてが揃っているパソコンを見ると夢のように感じる。ウインドウズ時代になってから、富士通が三十種類もソフトの入っているパソコンなどを売り出し一気にシェアを伸ばした。ソフトを買う出費に悩んでいたぼくは、ソフト欲しさに富士通のマシンを購入したものだった。

 時が流れ、今では十分に満足できるだけのIMEが存在するようになった。不満はまだまだあるが、この件に関しては白辞書を作るぐらい苦労してきたから文句を言う気がない。でも最近のATOKなどが自慢している同音異義語の変換例なんてのは意味ないよね。「記者が貴社に帰社して」なんて正しく変換出来たって何の役にもたたないもの。

●13「ソフトウェアの価値」


 そういうテキストエディターや辞書類は仕事柄必要だからいいとして、ぼくの凝っているその他たくさんのユーティリティソフトは、果たして本当に必要なのだろうか。そう考えてみると首を傾げる結論になった。たとえば前述した「驚速」だが、このソフトの価値は「重いソフトの立ち上げを速くする」ということだ。ワードとかエクセルとかフォトショップとかの重いソフトの立ち上がり時間は、CPUパワーによって違うけど、假に15秒かかるとしたなら、それを5秒ぐらいで立ち上がるようにするソフトなのである。これは驚異的なスピードアップで、実際に体感できるから、かなりすごいことである。客観的に判断して優れたソフトと言える。過日も某パソコン誌のレヴュウで、初めて使った人がその効能を絶賛していた。

 初代からの愛用者として我が事のように嬉しくなったが、よく考えてみると、ぼくはもうそういう重いソフトは一切使っていないのである。不必要な能力を山ほど持っている重いソフトを使うのは愚かであり、自分に適した軽いソフトを使おうというのが持論なのに、使いもしない重いソフトを速くするユーティリティを使っているというのは矛盾である。ではぼくの使っている軽いソフト、たとえばテキストエディターも、驚速などで速くなるのかというと、速くはなる。が、元々軽いソフトは立ち上がりが速いので、これはほんのちょっとだけである。軽いソフトの立ち上がりが5秒だとすると、驚速の効果で1秒になるかというとそういうことはありえない。せいぜい4秒になるぐらいだろう。これは体感できるほどの速さアップではない。軽いということは元々が速いということなのだから当然だ。となるとぼくがその種のソフトを使っていることはまったく意味のないものになってくる。

《急いでこの「パソコン壊れ事情」を完結させねばならない理由が出来た》と書いた。新しいバソコン環境を作り始めたのである。いつまでもパソコンの壊れた話をしていてもしょうがない。さっさと終らせることにする。
 現在この文章を書いているのは、やっと九割方復旧した最愛のMOBILE VAIOだ。

 十二分に速い。驚いたのだが、店頭でいじってみたら、crusoe600Mhzの最新VAIO-PCGC1と私のVAIO-PCGC1Rはほぼ同等の速さだ。これはメモリーが128で同じ事はもちろんだが、よけいなアプリを削除して、軽量化してあるからだろう。問題は内蔵ccdカメラが使えないことだけだ。そんなもの使う気などないから何も問題はない。缺点といえばキイボードが痛んできていることだけだ。これは一万五千円で交換してくれるという話があるので、ソニーの修理センターに相談してみようと思う。一台のパソコンをこんなに使い込んだとはない。まだまだ最愛のVAIOは現役続行となった。

●14「新たなスタート」


 前回の「パソコン壊れ事情」は「11」である。続編の12も13も書いてある。それらをアップすることなく連日パソコンをいじりまわしていたら、現実の「新パソコン環境」の方が文章の「壊れ事情」を追い抜いてしまった。すると急速に「壊れ事情」に対する興味が失せてしまったのである。これには我ながら驚いた。改めて「興味のあるものは、その時に語っておかなければダメだ」と思った次第である。「鉄は熱いうちに打て」と同じであろうか。恋する女に捧げる詩は、恋しているその時に書くべきである。たとえそれが後々読み返して赤面するようなもの、あるいは破り捨てたくなるようなものであったとしても、飽きてしまってから、別れてしまってから、かつて熱かったことを思い出しつつ書いたものとはやはり違う。リアルタイムに書いたものには、そこにしかない息吹がある。

 パソコンとの関係を女に例えてきたが、今回の場合は、若くてきれいな新しい女房をもらったら死んだ古い女房との思い出を語ることに熱意をなくしてしまったとなろうか。冷たいようだがほんとうなのだからしょうがない。それで、急いでこのテーマを終らせることにした。せっかく書いた文章だから、いつの日かホームページを立ち上げた日には、今回スキップした文章も掲載してやろう。今はもうどうでもいい。なにしろ今この文章は、新しいパソコン、新しいキイボードで構成された快適な新環境で書いているのである。過去にこだわることには意味がない。

 ぼくの「パソコン壊れ事情」とは、「ちっこいVAIOを溺愛し、どこに行くのも一緒という生活をしていたため、そのVAIOの調子が悪くなったら身動きがとれなくなってしまった」ということだった。その原因がどこにあるかというと、デスクトップという正妻と疎遠になっていたからである。本来なら、モバイルギアのハードディスクを初期化しようと、不沈空母としてデスクトップがでんと座っていればなんの問題も起きかなったのだ。データはもちろんカスタマイズされたアプリケーションも、そこから移せば済むことだった。しかしその正妻とは長年疎遠になっていた。彼女も気が狂れたような状態になっていたから、にっちもさっちもいかなくなって困窮した。

 思えば最初から彼女とは相性が悪かった。PC98時代からWINDOWS時代になった。AT互換機として多くの機種の中からFMVデスクパワーを正妻に選んだのはぼくだ。責任はぼくにある。うまく行くと思っていた。だが彼女は初めてぼくの家に来たときからおかしかった。うまくやろうとぼくはがんばった。でもどうにもならず、それは「初期不良」という形で実家の石丸電気にもどっていった。この時点でかなり冷めた。あれだけ検討した末に選んだのに、自分にはものを見る目がないとしらけていた。違うものが送られてきて、それなりに動き始めたが、この時からぼくにはもう正妻選びに失敗したという気持ちがあったように思う。NEC時代はよかったという過去への郷愁もあったかもしれない。

 デスクトップという本拠地がしっかりしていなければならない。それが持論だ。メモリー増量、ハードディスク、CPUの換装、キイボードやマウス、マウスパッドのような小物、果てはパソコンデスクや椅子の買い換えと、ぼくは自分が選んだデスクトップパソコンを愛するため精一杯の努力をした。たっぷりと金をかけてパワーアップを試みた。でも思ったほどの効果は上がらなかった。ぼくはデスクトップから遠ざかった。ちょうどノート時代の幕開けでもあった。半年毎に一台ずつノートパソコンを買うようになる。ダイナブック、NEC、IBM、シャープ、やがて出会ったVAIOに夢中になり、そして今回の「壊れ事情」となった。デスクトップがまともだったなら問題は起きなかった。それがすべてだ。ぼくが今すべきなのは、新たな本拠地となるパソコン環境の構築だった。

 ぼくが正妻選びに失敗したのは、FMVの満艦飾のソフトウェアに魅せられたからだった。NECに長年苦汁を飲まされてきた富士通は、時は来たりとばかり一気に攻勢に出た。廉価な本体と豊富なソフトで客を釣るため、台湾製安物部品による徹底的なコストダウンを図った。ぼくは見事にそれにだまされた。目を奪われた豊富なソフトとは上辺のきれいな洋服だ。心を見ようとしなかった。そしてまた豊富なソフトというのも、手にしてしまえばほとんど使うことのないものばかりだった。その轍を踏まないためにはどうするか。それは部品のひとつひとつすらも自分の責任になるよう、パソコンを自分で作ることである。

●15「自作パソコンの完成」


 そういうわけでぼくは「自作パソコン」を「作り」始めた。この日本語は「犯罪を犯す」と同じように用語がダブった誤用のような気もするが、「自作パソコン」というのをひとつの名詞と解釈すれば間違いでもないのだろう。正しくは、「パソコンの自作を始めた」か。

 限定生産シルバーカラーの総アルミ製ケースに、AOPENのマザーボード、DVDプレイヤー、CD/R.RWプレイヤー、64メガのグラフィックスカード、サウンドカードはサウンドブラスターのライブを入れ、メモリーは512メガにした。ハードディスクは、IBMの7200回転、ATA-100対応の30ギガをそれぞれWIN-2K、WIN-Meのリムーバブルとし、40ギガをDATA用のスレーブとして共有するようにした。動画編集はしないからしばらくはこれで十分だろう。このハードディスクをIBMで揃えたというのはぼくなりのこだわりだ。話し出したら切りがないので止めるが、いくつものメーカーでさんざんいやな目に遭ってきた。ぼくはもうハードディスクはIBM製以外は使う気がないというぐらいの気持ちでいる。全国のパソコンショップでハードディスク売り上げ上位をIBM製品が占めているが、それにはしっかりとした根拠があるのだ。

 タワー、A−4ノート、B−5ノート、モバイルVAIOをLANで結んだ。無線LANの予定がその予算を馬券でスってしまい有線になったのはお笑いだが、とりあえずまあこれで、それぞれがファイルを共有するぼくなりのシステムができあがったわけである。これでまた假にVAIOが不調になったとしても今回のような苦労をすることはない。

 デスクトップを正妻としノート類を愛人に喩えた例で言うなら、LANで結ばれたこれは妻妾同居のようなものである。妻妾が協力して亭主が誰かひとりを溺愛しないよう連絡網を作ったようなものか。

 ひとつだけ異常な点がある。豪華贅沢仕様のミドルタワーモデルなのに肝腎のCPUが非力なことだ。グラフィックカードやメモリーからしたら、CPUはオーバー1ギガレヴェルでなければならない。なのにずいぶんと低能力のCPUなのである。予算の都合ではない。他とのバランスである。一気にタワーだけが最新CPU1ギガオーバーとなってしまったら、ノート類との能力に差が出過ぎ、バランスを崩すのではないかと考えたのだ。本拠地として構築したタワーだから、ぼくがそこに居座るのはよいことなのだが、かといって低能力のノートを触るのがいやになってしまっても困る。これから購入する新しいノートの能力が上がりタワーに追いついてきたら、それに併せてタワーもレベルアップすることにした。それまではノートの二歩先ぐらいのレベルにとどめておくのがよい。現在のシステムでもCPUは1.3ギガヘルツまで対応するから、このタワーの寿命は長いように思う。そうでないと高価な高級ケースが泣く。

 ノートといえばぼくはもうA−4ノートは買わないと思う。本来その価値は、デスクトップやタワーに代わる省スペース・オールインワンモデルとしてあった。スペースのあるぼくがA−4ノートを買ったのは、その前に買ったB−5ダイナブックがCDーROM外つけで、外国にもってゆくのに不便だったからだ。多少重くてもオールインワンの方がいいと思って購入した。しかし現在のようにノート用ハードディスクの容量が20ギガにもなり、假想CD-ROMユーティリティで辞書類を入れられる時代になれば、旅先にCDプレイヤーは必要ない。モバイルギアで十分だ。出版社などのオフィスを覗くと、一人一台A−4ノートというシステムが全盛のようだが、ぼくはもうこの機種は卒業である。

 B−5ノートはまだ買うだろう。魅力的な機種が揃っている。今のところVAIO-PCGC1になんの不満もないが、8.9インチ画面にXGAで表示させ、途切れた下部などはポインターをスライドさせて見る状況なので、そのうちもうすこし広い画面が欲しくなるときがあるかもしれない。いずれにせよ今後のぼくのパソコン環境は、重装備の自宅タワーと、どこにでも一緒に出かけてゆくモバイルとの両極端に分かれるような気がする。

 ミドルタワーが完成して、ここ一年ほど中毒していた「ラッコ状態」からやっと抜け出すことができた。新しい高性能パソコンがあれば、そちらをいじりたくなるのが人情だ。最近ではパソコン机に座って朝から晩までタワーと向き合っている。

 天気のいい日には、VAIOをもってクルマで出かけた。それが今、絶好の好天なのに、薄暗い仕事部屋でタワーをいじっていたくて外出しないのだから困る。本屋や食事に出かけても、急いでもどってきてタワーのスイッチを入れる。愛人宅に居続けたオヤジが若い後妻をもらい、家庭にもどってきたのはいいが、一日中居間でごろごろしているようなものであろうか。

●16「それにしても98は……」



 当初と予定の変ったこととして、ひとつのハードディスクの中でダブルブート予定だったWiN-2KとWin-Meが、リムーバブル・ディスクによる獨立したものになったことがある。ぼくは「c:WIN30ギガに2kとMe」を入れ、「d:APL30ギガにアプリケーション」「e:DATA40ギガにデータ」という構成を考えていた。パーティション・ソフトはSystemSelectorである。ところがこれがうまく行かない。問題はMeである。さすが98の跡継ぎだけあり、引っかかってばかりいる。どうしようもないものだと改めて思い知らされた。98の悪夢再びである。2kが順調なのにMe不調に引きずられて何度もCをフォーマットしたり両者を再インストールしたりしている内に、ぼくはリムーバブル・ハードディスクにしようと思いついた。Tさんの影響である。

 チェンマイのTさんが仕切っている(?)インターネットカフェに、リムーバブル・ハードディスクが一台あった。恥ずかしながらそれを見たのはその時が初めてだった。そのケースに、日本語WINDOWS98を入れたハードディスクを入れ、5インチベイに入れて再起動する。するとそれは、まごうことなき日本語環境になるのだった。その便利さはグローバルIMEで日本語が入っているだけの環境とは比べものにならない。立崎さんはぼくにも、日本からリムーバブル・ハードディスク・ケースに愛用のハードディスクを入れてもってくれば、このインターネットカフェでいつもと同じ環境が出来上がるのだよと実に魅力的な誘いをかけてきたのだった。

 ぼくのパソコンは、いろいろといじくりまわしカスタマイズしてあるから、外国のインターネットカフェなどで、ローマ字入力の、コントロールキーが左下にある機種などに出会うと(世界中がその機種だが)ほとんど何もできなくなってしまう。なまじっか普段が「ひらがな入力のブラインドタッチ」で自慢できるほどの速さで打ちまくっているものだから、この差によるストレスは半端じゃない。時速百キロのスポーツカーから泥田の中の匍匐前進になってしまうのだ。

 それが日本から愛用のハードディスクを持参すれば、すべていつもと同じ環境が出来上がるというのだから、これはこれで夢のような話だった。3.5インチハードディスクはどんなモバイルパソコンよりも小さくて軽く、能力は高いのである。ディスプレイが気に入らないとかいくつか問題はあっても(チェンマイのディスプレイ事情はだいぶ日本より遅れている)それは我慢できる範疇である。
 あとひとつ、ひらがな入力のための日本語キイボードが必要になる。が、そこはそれ、オタクである。キイボードなんて新品同様のまま使われてないものを20台以上もっている。ミニ、フル、白いの黒いの透明の、ps2接続、usb接続、メンブレン・スイッチ、メカニカル・スイッチ、アメリカ製うん万円からタイ製1980円までなんでもござれだ。この中から一台を自分用に、もう一台を立崎さんに感謝の気持ちのプレゼントで持ってゆけば、ぼくはチェンマイでも日本と同じバソコン環境の中で仕事ができるのだった。

 それを実践するかどうかはまだ定かでない。メイルのような簡単な文章ならともかく、インターネットカフェという場所で、ソバカスだらけの肌の汚い白人女や、半ズボンからすね毛をむき出しにした入れ墨白人男に囲まれ、繊細なぼく(笑)が仕事用の文章を書けるとは思えないのだ。

 ここ数年、しみじみ思うのだが、チェンマイに来る白人の器量がめちゃくちゃ落ちている。これはまた別項で書こう。以前は振り返りたくなるような美男美女がよくいたものだが、最近は目を背けるようなのばかりだ。特に男女ともひどいデブが増えているのはどうしてなのだろう。これは決してぼくの思いこみではない。事実である。それはともかく。

 ちょうど手元にあるパソコン雑誌がリムーバブル・ハードディスクの便利さを特集していた。気にはなっていた。でも立崎さんとのことがなければ、今回ぼくがこのシステムにすることはなかったろう。
 そういうわけでぼくの「新パソコン環境」は、「c:Win-2k 30ギガ」ともう一台の「c:Win-Me 30ギガ」という差し替え用のリムーバブル・ハードディスク二台と、共有する40ギガのハードディスクを「d:Apl 30ギガ、e:Data 10ギガ」に区切って使用するというシステムになった。近日中に餘っている20ギガのハードディスクを、新たに「f:Data2」としてつけ足す予定でいる。

 そうして相変わらずぼくは「絶好調のWin-2k」と「絶不調のWin-Me」の落差に悩まされている。安定している2kだけを使えば何ひとつ問題はないのだが、前述したように周辺機器のドライバーが2kには対応していないものも多いのでそうも行かないのだ。そしてまたぼくの困った性格として、うまく行かないものにこだわってしまうのである。今日もまた、固まってしまったMeの前で、また再インストールかとため息をついている。

(2001/4/4 「パソコン壊れ事情」完)





 これは友人知人とひっそりとやっていた「掲示板Mone's World」に、2001年2月から4月にかけて連載したものです。ほんの二年前なのに隔世の感がします。十年前の昔話を読むようです。いやはやパソコン話は、なんともはや。

このとき初めて上掲の「自作一号」を作ったぼくは、やがて「二号」を作り(左写真の上に見える小型サイズ)、今は三台目(左写真下のフルタワー)を使っています。しばらくはこれでいいでしょう。結局、自作の一号も二号もたいした活躍はしませんでした。今も壊れてはいませんが、三号がDualCpuで強力なので、家にいるときはこれ、出先ではノート(ThinkPad)と二極分化しました。

「もうA−4ノートは買わない。B−5ノートは買うだろう」という箇所があります。その通りにB−5のThinkPadを買い、VAIOの後継機にしました。しかしまた感覚は代わり、今は「次はもういちどA−4を買おう」と思っています。

 B−5ノートに外附けのCD-ROMプレイヤやACアダプタ、万が一の時を思い外附けFDDとあれこれ付属品をもってゆくぐらいなら、最初からオールインワンのA−4をもっていったほうが、CPUの性能がよくて値段が安く、重さだって結果的に軽かったりします。そのことに気づきました。一種の「急がば回れ」です。こんなふうに感覚はかわるんですね。

 Win-Meを使ってフリーズしているという箇所を読むと他人事のようです。まだ2kに徹していなかった時期なのでしょう。当時はまだ物珍しく対応していないソフトも多かったWIN-2Kは、今ではソフトも出そろい最もありふれたOSとなりました。ローランドの音楽ソフトなどでは推薦OSとして2kの名を挙げたりしています。
 XPが出たので過去のもののようですが、その2Kですら未だに「Service Pack(不具合修正プログラム集)」が、1,2と出て昨年夏には3が出ています。02年の8月にこの「Service Pack3」を出した後、MSはすぐに4の制作に入ったと言われています。それだけOSなんてのは不完全なものなのでしょう。XPもService Pack1が出ました。

 すっかり忘れていましたが、このころから「ホームページを始めたら地獄になるからやっちゃダメだ」と自分に言い聞かせていたんですね(笑)。自分てものがよくわかっています。わかってるけど始めてしまい自滅の道を歩みます。だったらわかってないのか。
 結局この年の6月から作るための準備を始め(その辺は『作業日誌』に書いてあります)、8月にチェンマイで「チェンマイ日記」99を作ったりして、02年11月に開設の運びとなります。
(03/4/15)




inserted by FC2 system