インターネット論考


  ■双方向の一方通行



 競馬物書きの仕事をしていて一度だけいやな思いをしたことがある。一度だけではあるが結局それが原因で競馬マスコミに絶望し、足を洗うことになるのだから十分に大きな出来事ではあった。

 ぼくの書いた文章に若手ライターがケチをつけてきたのだ。それはそれでよくあることである。詳細は省くがぼくが我慢できなかったのは彼に対してではなくこのときの編集部の対応だった。

 小林よしのりが『ゴーマニズム宣言』を連載していた『週刊SPA!』を辞めるいきさつがある。編集長が小林と敵対するタクハチローの連載を始めた。それどころかもっと過激なことを書け、もっと小林を攻撃しろと煽った。ひとつのメディアにそういうやり合いがあることこそ開かれたマスメディアだと自画自賛した。
 小林はそれは違うのではないかと言った。自分はその週刊誌の人気連載であり貢献している。それを否定し中傷するタクの連載を同じ週刊誌がやることは不見識なのではないかと。
 是は小林にある。編集長のやったことは開かれたマスメディアでもなんでもない。小林の連載で売り上げを伸ばし、そこにそれを否定する過激なタクの文章も載せれば、さらに話題になると計算しただけだ。定見のない騒動屋でしかない。
 小林が辞めると言ったものだから編集長は前言を翻す。人気連載に去られたら自分のマイナスポイントになる。醜悪だった。小林は『SPA!』を辞め、『週刊ポスト』でワンクッションおいてから、現在の『SAPIO』に移る。『SPA!』というのは扶桑社とは思えないいいかげんな雑誌だ。

 ぼくはもちろん断然小林を支持する。編集長のやったことは、闘犬にかみ合いをさせ、それを高見で見ていようと思ったようなものだ。どっちが勝っても自分は傷つかない。支持者の数から小林が勝つだろうが、タクも噛ませ犬となって自分の雑誌を盛り上げてくれればそれでいい。万が一タクが勝ったなら、タクをメインに据えればいいだけだ。彼の感覚はそうだったろう。
 それに対して小林は、「おれはあんたに操られる犬にはならん」と反発したのだ。ここにあるのは編集者の思い上がり、勘違いと、マンガ家のクリエイターとしての誇りである。小林に反撃されてからのこの編集長のおたおたぶりは醜かった。



 ぼくの場合はこれのミニ版だった。激昂することで有名なその若手ライターが編集部に顔を真っ赤にして乗り込んできたのだそうな。ぼくの書いた競馬エッセイで自分を批判している部分がある。絶対に許せない、反論を書かせろと。
 こんなのは編集長、編集者が毅然とした態度で臨んで処理すべき問題である。原稿を掲載した以上、そのライターも原稿も、編集部が責任を持って護らねばならない。それが基本だ。それでもあちらが引っ込まないなら、ぼくが出て行く。その若手ライターとは面識があったし、ことは簡単に解決しただろう。なにしろたいしたことは書いてないのだ。そもそもが自意識過剰の彼の誤解から生じている。この辺のことは現物が今も存在するのだからいくらでも説明できる。

 週刊誌に政治家や芸能人のスキャンダルが載ったりする。編集部記事の場合もあればライターの署名記事の場合もある。記事にされた当人が名誉毀損で訴訟を起こすと息巻く。編集部は言う。「十分な取材を行い事実と確信して記事にしました。訴訟を受けて立ちます」と。勝ち負けは色々だが、これが記事にした側の取るべき態度だろう。

 ところがそのマイナー雑誌の編集者はこれさいわいとほくそ笑み、彼の抗議文掲載を素直に受け入れたのである。誌上でぼくとその若手ライターのバトルを演出すれば受けると計算したのだ。『SPA!』の編集長と同じ考えだ。ましてそんな抗議文には原稿料は出せないといえば、そんなものはいらないからタダでも書かせろと相手は気色ばんでいる。経費がかからず話題作りになるならこんないい話はない。どれぐらい書くのかと問えば、ぼくが4ページの連載を持っているから自分にも4ページ書かせろと言う。暴挙である。その雑誌で4ページの連載を持っているのはぼくだけだった。八年続いている連載だ。小林のように背負ってたっているとまでは行かないが、名物連載であったのはたしかだ。受け入れるとしても数行の抗議文掲載で済むのに、編集者はそれを許可したのである。それで盛り上がればよしと。
 ぼくにはコトの次第はまったく知らされなかった。が、後に当事者から「これでおもしろくなると思いました」とは聞いている。ぼくの目の前で白々しくも言うのだから常識に欠けている。

 次号で、ぼくの4ページの後に、ぼくが個人的な知己として頼んで書いてもらっていたイラストレーターも同じように起用した、まったく同じ形式の彼の4ページが出現した。まったくもって異様な事態の出現だった。普通これを読んだら、やらせだと思うだろう。そんなことなどあり得るはずがないのだ。同じイラストレーターを起用し、まったく同じ構成の4ページである。ぼくとしてはこれほどの屈辱はない。いったい編集者はどっちの味方なんだ。八年の連載実績はなんなんだと思った。ぼくは激しく腹立ったが、それは言いたい放題をしているその若手ライターに対してではなかった。そんなことを許可する編集部に対してだった。若手ライターにどう思ったかというと、これは今も昔も「こまったもんだ」と苦笑するのみである。世の中にはそういう自意識過剰の人がいるのだろう。それはそれでいい。触らぬ神に祟り無しだ。問題は編集者である。

 4ページもあれば書くこともなくならから、彼は過去に書いたぼくの競馬小説を引っ張り出し、そこに登場する人物が自分をモデルにしているとこれまた見当違いのいちゃもんをつけてきた。ぼくはあきれてしまって一切の反論をしなかった。その次号でも彼のいちゃもんは無視していつもの競馬小説を連載した。なにより、バトルを勃発させて業界の話題にしようという下衆な編集者の計算に乗るのだけはいやだった。



 若手ライターのほうはどんな泥仕合になろうと徹底的にやったろやないけと鼻息を荒くしていたら、何事もなかったかのように無視されたものだから、ますます収まりがつかなくなったようだった。
 しかしこちらとしてはどうしようもないのである。ぼくが書いた小説の主人公は「一浪して入った三流大学を二留して卒業し、四流のエロ出版社に勤める小柄で非力な三十代の雑誌編集者」である。一、二、三、四と揃えるのに苦労した。さんまの家族の名と同じだ。競馬はタカモト式というくだらない暗号馬券に凝っているという設定だった。
 その彼と敵対させるために対称的な存在を創った。すべてを彼と反対にすればいい。「東大卒で、乗馬なんて高貴な趣味をやっていて、極真空手有段者の強い大男で、競馬のほうも血統に詳しく、普段は一流企業に勤めるエリートサラリーマン。年齢は四十代」とした。

 これに二十代半ばのその若手競馬ライターがケチをつけてきたのである。彼はその主人公のライバルのエリートサラリーマン四十男を、「これっておれじゃん、ていうかおれそのものじゃん」と書いてきた。理由は「この業界で東大卒は自分だけだし、自分は馬術部で主将をやっていた」ということらしい。

 そうしてその後に、「自分はいちども東大卒だと自分から名乗ったことはないし、むしろ隠してきた。それを編集者がかってに学歴を書いてしまうのだ」と、誰も尋いていないことを延々と書きつづっていた。東大出身者には過剰な自意識と、逆学歴コンプレックスがあると言われるが、なるほどこういうものなのかと痛感した。なんともみっともない文章だった。はっきりいって、声を上げて笑っちゃいました。

 東大は主人公と相対する一流の学歴の象徴である。乗馬は平凡なサラリーマン家庭の出身である主人公に対するハイソサエティの、極真空手はひ弱さに対する強さの、一流企業はエロ出版社に対する選良の、血統に詳しいのは暗号馬券に対する、それぞれ対比の上に成立したものだった。(競馬を知らない人のために説明しておくと、人間が馬の血をいじくりまわして作った競馬馬の世界では、血統から競馬を論じることは上品上流とされているのである)。その比喩とティピカルな設定が彼にはわからない。競馬業界のライターで東大卒はおれだけだ。よってこの小説はおれをおとしめるために書かれたものだと逆上するのみである。ずいぶんと自意識の強い人だなとあきれた。

 簡単なリクツだ。もしもぼくが彼を意識していたなら、東大を京大に替えたり、あるいはそれでも文句をつけてくるヤツがいるかもしれないと、ハーバードやオックスフォード、マサチューセッツ工科大学にしたりする。極真の有段者が競馬業界にいるかもしれないと思ったら、真空空手のように架空の名前をつける。それをしていないのは、彼のことなど毛頭念頭になかったからだ。
 このイチャモンにうんざりしたぼくが最初に思ったのは、「おまえが思うほど誰もおまえに興味なんかもってないよ」ということだった。このSというのは自分のことを「お笑い競馬ライター」と名乗っていたのだが、ぼくは彼の文章を読んで笑ったことなどなかった。なんの興味もない存在だった。そんなヤツをモデルにするわけがないし、するならもっと隠すか、もっとあからさまにするかのどっちかだろう。こんな半端なものにはしない。半端もなにも単に脇役の学歴を東大卒としただけだなのだ。あとはもうルックスから年齢から職業からすべて違う。よくぞこんなことに見当違いのいちゃもんをつけてくるものである。正気の沙汰とは思えなかった。
 なにより、彼がイチャモンをつけてきた小説もあれば、彼のいちゃもんの文章も全部とってあるのである。それこそ裁判にでもして、すべてを状況審査していったら、ぼくが勝つのは目に見えている。勝つとわかっている戦いをする気にはなれなかった。だから無視した。



 ぼくは彼を一切無視した。せざるを得ない。ケンカになりようがない。救いは、親しくしている業界の人たちが、一様にSに対してあきれかえっていたことだった。競馬業界にも、まともな人もいる。

 以上は長い前振り。ここからやっとインターネットの話。
 以下はその当時の出来事である。



 その事件から半年ほど過ぎたころ、親しくしている若手競馬ライターのK君と飲んだ。K君はパソコン使いの競馬ライターである。競馬サイバーライターと言うらしい。中学の時に獨学でプログラミングを覚えた本格派だ。自作ソフトで集計した獨自の競馬統計記事のような原稿を書いていた。パソコン通信も黎明期からやっているし、自分のホームページももっていた。
 ぼくと敵対した若手競馬ライターのSというのも、そのころホームページを開設したらしい。そんな記事を競馬雑誌で読んだ覚えがある。

 酒席。K君が笑いながら言った。
「あのころSのホームページ掲示板は、ユキさんの話題でたいへんだったんですよ」
 なんのことかわからない。彼の説明によると、Sという若手競馬ライターは、ぼくがエッセイの中でパソコン大好きだと書いていたことを覚えていたらしい。人は誰も自分を基準にものごとを考える。彼は、パソコン初心者の自分がすぐにインターネットを始めたのだから、そのずっと前からパソコン大好きのぼくは、当然のごとくすでにインターネットをやっていて、さらには、ああいう誌上でのバトルがあったのだから(実際は彼がひとりで逆上していただけだが)自分のホームページも毎日チェックしているに違いないと考えたらしい。よくもまあこんなに都合良く自分勝手な論理展開が出来るものだ。さすがに自意識過剰の人は発想が違う。

 彼は自分の掲示板で、「カメゾーさんよ、あんたがここを読んでいることはわかっている。××の件だが、そもそもあんたは××で」と書き込んだらしい。すごいなあ、なにをどうすればここまで自意識過剰自信過剰になれるのだろう。病気としか思えない。なにしろ始まりからして勘違いなのだから。

 当時競馬ライターでホームページを持っている人はまだすくなかったろうし、あらゆる競馬メディアに進出しているSには若者のシンパも多かったらしい。
 ホームページ主催者が問題になっているテーマに関して自ら掲示板に書き込んだのである。すぐにS支持の競馬ファンから「Sさんは正しいと思います」、Sと同じように、「カメゾーよ、ここを読んでいるのはわかっているんだ。なにか反論してみろ」などと続いたらしい。中には「たしかにカメゾーさんには非がありますが、しかしながら」なんて一見ぽくを擁護するような、でもやっぱり非難するような(笑)書き込みなんてのもあったらしい。ぼくから一向にアクセスがないことに業を煮やして、次第にそれは「出てこい、カメゾー!」とか、「出てこないと自分の非を認めたことになりますよ」となり、それでも出ないものだから「出たくたって出られないよな。グーの音も出まい」「もうこの件はいいんじゃないですか」と、一方的逆上と、一方的終結宣言がなされていったらしいのである。「らしい」ばかりが続くが知らないんだからしょうがない(笑)。

 K君がそれをわらいながら言ったのは、彼はぼくが大の電話線嫌いで、パソ通はもちろん、いまだにインターネットをやっていないことを知っていたからである。プロバイダーとは何か、インターネットというものをやるためには何が必要なのか、なにひとつ知らず、なにひとつ知ろうともしないぼくを知っているK君からしたら、「ここを読んでいるのは知っているんだ」「きょうも無視を決め込むんですか、カメゾーさん(笑)」「出てこい!」とかやっている彼らがおかしくてしょうがなかったらしい。なにしろそういうことがそのSの掲示板であってから半年後にK君と話しているぼくは、そのときでもいまだにインターネットを始めていなかったのである。



 この話を聞いたとき、ぼくはなんともいいがたい複雑な気分になった。それは滑稽であったが、ものがなしくもあった。ひとり相撲である。しかも当人たちはそうではないと確信して、透明人間とくんずほぐれずの闘いをやっているつもりなのである。なんちゅう愚かなやつらであろう。でも嗤うことも出来なかった。痛々しく感じた。インターネットなんてものに関わったら明日は我が身なのかもしれないとその恐怖のほうが先だった。パソコンに電話線を繋がなかった自分の方針の正しさを確認した。そしたまあらためて、Sの異様な自意識過剰を気持ち悪く感じた。

 さらにそれから半年後、やっとぼくはインターネットを始め、Sのホームページに出かけてみた。まだ検索の方法すら知らない。雑誌に載っていた彼のアドレスを一文字ずつ打ち込んでやっとたどりついた。
 掲示板というもののところに行き、一所懸命過去に遡った。でもああいうものは100件ぐらいが限度らしく、読むのを楽しみにしていたその記事はもうなかった。あたりまえである。一年以上も前のそれがあるはずもない。いったいどういうものだったのだろう。ぼくの知らないところでぼくがいることを前提に盛り上がっていた現場というものを見てみたい気がした(笑)。


 もうひとつ、これはつい先日友人に教えてもらった。
 2ちゃんねるのどっかで「油来亀造」がテーマにされていたというのである。いつだろう、去年の春か、一昨年の冬らしい。いずれにせよぼくは外国に行っていて知らなかった。日本にいたとしても気づかなかったろう。2ちゃんねるで見るのは政治版とパソコン版だけになっている。以前は将棋版やプロレス版もみたのだが、なにせ若い人が主流だからすこしもおもしろくない。その点、政治版は若い人中心でも勉強になることが載っているからたいしたもんだと思う。どう考えても政治版とパソコン版にぼくのスレッドが立つはずがない(笑)。やはり「危ない海外」だろうか。

 ぼくの知らない間に生まれ、やがて消えていったそのスレッドでも、やはり誰かの書き込みに対して、「これはカメゾー本人と思われ」「カメゾー、必死だな(ワラ」のような応答があったらしい(笑)。残念ながらこれも読んでいない。しかし笑えるなあ、正体のない幽霊に対して、「今のパンチは効いたろう、むふふ」とやっているようなものである。気違い沙汰だ。



 自分に関するこの二つの出来事から、ぼくはひとり相撲を取っていた彼らをコバカにする気はない。そうしたい気持ちはある。「バーカ」と「みっともねえ〜」と軽んじたい。でもそれ以前に、もっと根本的なことを考えてしまう。それは「そういう場を提供するインターネットというもの」に対してだ。インターネットがなければ、インターネットでなければ、これらのことはありえないことだった。

 ネット上にはヴァーチャル・アイドルとか、そんなものまでいるそうだが、ぼくに関するこの二つの出来事も、ぼくに対する「ヴァーチャル憎しみ」から始まり、ぼくが「読んでいるのに登場しない」という思いこみによる「ヴァーチャル反感」で盛り上がっていったのだろう。

 たとえひとり芝居であれ、ぼくを憎んでいたSはまだいい。勘違いではあれ憎しみという実態がある。でも中にはぼくのことなどなにも知らないのに、みんながカメゾーというのを叩いて盛り上がっているから、なんだかわからないけど自分も参加しなきゃ、という連中もいたはずである。それは「『T-thai(定退)』騒動」を見ればわかる。どうにもそこにある虚ろさに、嗤う以前にしみじみと底冷えしてしまうのである。

 そんなものとは無縁でいたいと強く思う。なんともお粗末な話である。
(03/4/30)



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