周り巡って元の木阿弥
DualCpuマシンのCPUクーラー話


旧の木阿弥(モクアミ)
戦国時代、筒井順昭が病死したとき、嗣子順慶がまだ幼かったので、遺言により、声が順昭に似ていた南都の盲人木阿弥をほのぐらい寝所に置いて順昭が病気で寝ているようにみせかけ、順慶が長ずるに及んで初めて順昭の死を世間に知らせ、木阿弥はもとの市人となったという故事から)いったん良くなったものが、再びもとのつまらないさまにかえること。苦心や努力も水泡に帰して、もとの状態にもどってしまうこと。(『広辞苑』より)




 最近、DualCpuマシンを使い始めて一時間もすると、ピーコピーコと警告音が鳴り始めるようになった。「PC-Alart」で温度を見てみるとCPU2が69度になっている。70度でシャットダウン設定だからぎりぎりだ。Athlonは80度までは壊れないと言われているが。

 急いでファンコントローラーで制御しいてる12センチファンの回転数を最速にする。同時起動していた『ホームページビルダー』、『デジカメの達人』、Media Jukeboxで流していたMp3音楽の内、音楽を止め、『デジカメ』を終了する。69度が65度に下がり、ビープ音が止んだ。とりあえず目の前の危機は回避できた。

 しかしこれから暑くなるともう避けようがない。フルタワーケースの側板を外し、扇風機で風を送り込んでいる状態でそうなのだ。ファンは、吸気に8センチがひとつ、排気に8センチがふたつ、12センチがひとつ駆動している。これ以上の対処はない。
 三つのソフトウェア起動は私の作業としては必至の情勢で、五つも六つも同時起動のことが多い。最小でもこれぐらいは必要だ。音楽を聴きつつ、ホームページ作成ソフトと写真ソフトで作業するのは基本だから、これが出来ないならパソコンの役目をしないことになる。

 悔しいが、ネットで読み、自分流にチャレンジした「CPUクーラー二個のファンを外し、12センチファン一個で代用させる」という試みは失敗したことになる。もう負けを認めねばならない。いやとっくにそんなのは認めている。事態はもっと切羽詰まっていた。四月末のこの陽気で警告音では、真夏なら間違いなくシャットダウンである。しかも私のほうは益々馬鹿力DualCpuマシンに使い慣れてきて、非力なシングルCPUの二号機やノートを使う気がしなくなりつつある。いまここでこれが使えなくなったらパソコンに向かう気がしない。急いでまた改造せねばならない。というかそれは、元の状態にもどすだけなのだが……。

 CPUクーラー『FireBird7』に附いていた小型ファンを外して起きた事態だ。着ければ問題ない。ヒートシンクの着け外しはたいへんだが、ファンだけだから簡単に出来る。下の写真のような構造だ。ヒートシンクにパチンと嵌めるようになっている。それだけで解決する。

 ここ一ヶ月、いつも気にかけているのに、どうしても解決しない問題が生じていた。
 上の写真のようなCPUクーラーから黒いプラスチックのファンを外したのである。これは爪を引っかけるようになっていて簡単に外れる。装着も簡単だ。使いやすい便利な構造である。ベゼルで取りつけてある大型の12センチファンを外し、これをまた以前のようにヒートシンクにくっつければいいだけだ。そうすれば二つのCPU温度は45度前後で安定する。小型ファン二個のキーンという回転音がすこし気になるが、期待した12センチファン一個も意外に音が大きく、たいして効果はなかった。要するにさんざん苦労したが、あまり益のない改造だったことになる。そういう自分に苦笑しつつ元にもどせばいい。それだけのことだ。

 が、しかし、そのファンが見つからないのである。上の写真の真ん中が赤くなっている黒いファンだ。これを二個、取り外した。去年の五月か。そうして仕舞った。たしかに仕舞った。その記憶がある。それは、「マザーボードの箱」とか、そんなところだった。しばらく後に、「おお、こんなところに置いたのか」と感心した記憶がある。それはマザーボードの箱ではなく、工具箱だったかもしれない。いや、ソフトウェアの箱か。とにかくその種のもののなかに二個並んで鎮座しており、「おお、こんなところにあるのか」と思ったのである。

 探す。まずは熱心に一時間ほど記憶にあるマザーボードやソフトウェアの箱、工具箱等を探し回った。これで確実に見つかると思っていた。ない。なんども探す。丁寧に探す。ない。あると思ったところにないと急速に焦りが増す。
 数日、間をおいて、ソフトウェア・パッケージを山のように積んである押入を探す。時間的にWin95や98のソフトウェアに入れるはずはない。昨年の二月頃に組み立て、あれこれいじくり回していたのが四月五月の辺りだから、そのころに買ったソフトウェアを中心に探す。ない。

 六畳二間ではあるが、倉庫のように置いてある荷物は多い。とはいえ、記憶にあるめぼしいところは探した。絶対にこの二間の中にあるのだ。それは間違いない。こんなときパソコンのグレップ機能があったらと思う。あれはパソコンの中の文書にこんなことばがあったはずと検索を命じれば、パソコン内を駆け回り一気に探し出してきてくれる。「この二間の中のどこかにあるCPUクーラーのファンを探し出せ」と命令できるグレップ機能はないのか。ないよな。

 明け方、ふと思ってカメラ部品を置いてある棚の掃除を始める。もしかしたらこんなところにと期待して。ない。
 夜更け、何度もすでに探したパソコン机ふたつの引き出しを、もういちど丁寧に、丁寧に探してみる。パソコン机の引き出しにあったというような記憶もある。
 だいたいにおいて失せものは最初に探したところにあったりするのだ。ともういちどマザーボードの箱を探してみたりする。ない。どうしてもみつからない。
 絶対にあるはずはないと思いつつも、音楽CDの本棚を調べたりもする。思ったように、やはり、ない。

 二時間に一度のビープ音は四月に入ると起動後一時間で鳴るようにまでなってきた。もう猶予はない。ここまで探して見つからないのなら新たに買うしかない。なにを買うのだ。あんなちいさなファンのためだけにまた『FireBird7』を二個買うのか。二つで一万円だ。さんざんそんな無駄遣いをしてきたが、いくらなんでもファンのためだけにというのはくやしい。あんなものまともなら300円ぐらいのものだ。かといって特製だからそうもいかない。それだけを買うことは不可能だし、どうしたらいいだろう。

 あたらしいCPUクーラーを買うか。あたらしいもの好きだし小物好きだから、最新型のそれを欲しいという気持ちはある。だがなあ、部屋の中のどこかに必ずある小さなファンが二つ出てくれば、それだけで解決することなのである。それが出てきたら、ほんの数分の作業、パチンとファンを嵌め込んで、電源を繋ぐ。それだけですべては解決するのだ。新しく買うのはどうも気が乗らない。
 それは、さんざんそういう小物を買い集めてきて、実はたいした差はないと気づいたからでもある。デザインの良さ、冷え具合、静音性、ほんのすこしのそれらにオタク的に凝ることが楽しいのだ。現実的な効果はたいしたことはない。新たに5000円のCPUクーラーをふたつ買ってきたところで、今までのものと変りないことはわかっている。なによりいま附いている『FireBird7』は一年前最高能力のものだった。これ以上のものもそうはあるまい。それに、つけ替えるときの事故がある。それが気を重くする。

 CPUクーラーはある。リテールの二個もそのままあるし、その他にもいくつもあまっている。みなAthlon対応の高性能機だ。能力的に問題はない。それにつけ替えるか。
 またビープ音が鳴った。もう実用に耐えられない。シャットダウンする。これはやるしかない。それにしても、なんでこんなことになったのか……。
 ちょうどそれは一年前のことになる。



 自作機を一号、二号と作り、どうしてもやってみたくてたまらない「DualCpuパソコン」に挑む。OSにWin2000を使っていたことも幸いした。当時はWin系ではこれしかそれをサポートしていなかった。Linuxしかなかったらあきらめたかもしれない。Cerelon 800Mhzを使っていた一号機のケースを使うことにした。一号機そのものは非力ゆえにもうあきていたが、この限定版ケースにはまだ愛着があった。一号機は三号機を作ると決意した時点でお払い箱になったことになる。

 マザーボードは発売になったばかりのMSIのDualCpu用を買ってきた。これ、三ヶ月後にマイナーチェンジがあり、今は赤の箱である。この青箱は珍しくなってしまった。改良点はUSB2のフォローだったか。

 そうして無事組み立て終り、起動画面に「2 CPU」と出たときの感動は忘れられない。なにしろなかなか出なくて、CPUを購入したT-zoneに相談したり苦労したのだ。文句なく動いているのだが、表示が2 CPUではないのである。
 それは単なる表示ミスだと思った。ところが相談した店員によると、二個CPUを着けて、一個の接続が悪く認識されなくても、一個のまま動いてしまうという。それでは能力はシングルCPUである。なんのための苦労かわからない。うんともすんともいわないのなら素直に組み立て直したのだが、無事動いていてCPU表示だけがシングルだから困ったのだった。せっかくのDualCpuなのに一個しか稼働していないらしい。

 彼に言われた手順で慎重にCPUを着け直す。動いているということはCPU1が順調で2が接着が悪いとのことだった。さすがに1が不調だと2が正しくても起動しないらしい。それからもまたコア欠けやいくつも問題はあったのだが、ともあれ起動画面で下のように表示されるようになったのだった。あれはうれしかった。

 内部は下のようになる。この青いCPUクーラーがリテール製品である。CPUを買えば附いてくる。金具が堅く着けづらいと言われていたが、うまく着けられたし、無事に回転を始めた。
 02年5月8日の『作業日誌』を読むと、CPUの温度はそれぞれ41度と43度、文句なし、ベストの状態である。これでよかった。このまま使っていれば今までなんの問題も起きていない。だが、そうじゃないところがバカなのだ。今なら「安定しているパソコンによけないことをするな」とわかっている。だけどこのころは、いじりたくていじりたくてたまらない。

 毎月十冊以上も買っているパソコン雑誌には必ずいくつか自作に関する特集があった。ちょうど自作ブームだったのだろう。そういうのを読んでいると、どうにもリテールのCPUクーラーを使っているのではダサイような気がしてくる。よく冷えるもの、音が小さいもの、デザインがいい物、ずらりと魅力的なCPUクーラー並んでいる。ほしくなってしまう。なにひとつ問題なく41度と43度で安定して動いているのである。でも2ちゃんねるの「自作パソコン版」で38度なんてのを読むと、自分も30台にしたいと思ってしまう。「リテールはうるさくてダメ。××に替えて大正解でした」なんてのを読むと替えたくて替えたくてたまらなくなる。替えるべき素材はいくつももっている。秋葉原巡りの小物買い自体が楽しかった。

 それと、DualCpuという素人工作では究極のマシンを当時最速のCPUで作ってしまったら、あとはこういう小物に凝るしかすることがなかった。最高のパソコンを組み立てたのだからこういう小物も最高のもので揃えたいと思った。リテールのCPUクーラーじゃ自作ファン失格だ。と思った……。




 これは獨特の形状で話題になっていた韓国製Zalmanの製品。こういう形のヒートシンクと、ケースの縁に取りつける下のようなファンから冷気を吹きつけるセットだった。一号機用に買った。冷えると評判だ。『週刊アスキー』のCPUクーラーチェックでもよく冷えると評価は1位になっていた。へんな格好の製品だ。こういうのが好きだからすぐに買ってきた。まだ活躍の場を与えられていない。断然使いたくなった。




 そうして出来たのがこの写真。
 Zalmanはファンの問題で二つは使えない。だから、どうも温度が高めになりがちなCPU2のほうに使った。これで文句なし。あとはなにもやる必要がない。なのに……。

 片方を替えたのに、もう片方がリテールのままというのもなんだなと、下のCPUクーラーを見つけて買ってくる。リテールの青いCPUクーラーは、取りつけるのが難しく、また一度取りつけたら外すのがよりまた難しいと評判がよくなかった。これの着け外しでCPUをコア欠けしてしまったという、コアむき出しのAMDを非難する実話もパソコン掲示板には多く寄せられていた。冷や汗をかきつつクリアする。

 下のCPUクーラーの売りは、上からのネジ止め式。これは実にすぐれた形式だった。フックをとめるときにコア欠けしてしまうような事故を防いでいた。今もお気に入りである。
 だがいいことばかりではない。やはりAthlonのMP2000はすこし荷が重いようで、60度になってしまうのである。のちに考えればそれでもまだ十分だし気にする必要はないのだが、40度台のものを30度台にしようとお金を払って他製品を買ってきて、20度も上がったでは納得できない。それでまた改造が進むことになる。よせばいいのに……。



 すこし値段は高めだが、いちばんよく冷えて、安定しているすぐれものはこの『FireBird7』だろうと言われていた。世話になったT-zoneの店員も、これで揃えるのがいいでしょうと推薦していた。

 FireBirdとは下のように横から見たヒートシンクの形が鳥に見えるところからのネーミングだ。オタク系は「火の鳥」と呼んでいた。なにしろ発売元がグラフィックボードのカノープスである。そんな小物は一切出していない。それが獨自の技術で開発したと自信満々で弱小メーカーの分野であるCPUクーラーに出張ってきたのである。熱伝導の問題からどこもが「銅製」を謳っているとき、アルミ製で銅製より冷えると挑発していた。

 これをふたつ買ってきて着ける。温度は40度前後。ほぼリテールクーラーと同じだが、音が小さくなったから効果はあったことになる。納得した。これでいい。問題なしだ。なのにまた改造の虫がむくむくと……。


 ネットで読んだファン外しがしたくなってくる。FireBird7のファンを外し、12センチファンひとつにすると音が静かでいいのだそうな。同じくDualCpuマシンをこれに改造した人がいる。改造したパソコンの写真まで載せている。がぜんやりたくなってしまった。安定しているのだ。もういいじゃないか、これで。よせばいいのに……。

 ヒートシンクは着けたままにして、ファンをふたつとも取り外してしまう。そうして下の写真のように、ベゼルでPCIスロットの金具に12センチファンをひとつ取りつける。これでもってふたつ並んだヒートシンクを冷やそうというのである。
 小型のファンがふたつ回るキーンという音が消えて、12センチファンひとつだけのボワーっというのんびりした音になった。たいした効果はない。だがこんなことに凝って喜ぶのがこの道の常だ。

 この後もあれこれと細かな改造は続いたが、とりあえずCPUクーラーに関する改造はここで一息つき、温度は、CPU1が40度、CPU2が55度ぐらいで安定していた。結果として温度は上がってしまい、だったらなんの改造ぞとなるのだが、自分だけのオリジナル工夫があることで、それなりに満足したのだった。

 上は新たに買ったフルタワーケースで完成したその構造。この12センチファンひとつでウンヌンはこのケースを買ったから出来たこと。2ちゃんねるのパソコン版「やっぱりフルタワーが最高!」なんてスレッドをうんうんと頷きつつ読んでいたものだ。

 そうして一年が過ぎた。寒い冬場は順調だった。これは発熱に脅えるAthlon愛好者共通の感覚で、「いまは順調だが夏がこわい」の書き込みは毎度だ。といっても私の場合は、昨秋、今冬とほとんど日本にいなかった。

 いまもって不思議でならないのは、去年の夏をこのシステムで乗り切れたのに、なぜ今年は春の時点からもうCPU温度が限界まであがるようになってしまったかである。
 どんな理由か知らないが、とにかくもうあまりにしばしばビープ音が鳴るようになり、仕事を出来ない状況になりつつあった。やるしかない。もしかしたらまた敏感なAthlonのコアを欠いてしまい、二度と立ち上がれなくなるかもしれない。それを覚悟で、だいじなものはコピーを取り、いざとなったら自作二号、ThinkPadで作業する覚悟をして、CPUクーラー交換を決断した。やりたくないのにやらねばならないというのも気が重いものだ。

 やはりメーカー保証の同じ製品にするのが無難だろうと、リテールCPUクーラーを取り出す。これは着けづらい製品だから細心の注意を払ってやらねばならない。ファンの音が大きくて気に入らないが常に43度程度に保ってくれる。問題なく夏を越せる。

 しみじみと「バカだなあ〜」と思う。つまりこれは去年の二月にDualCpuマシンを組み立てたときのシステムなのである。これをまず作り上げ、それから金をかけていじくり回し、CPUを壊すかもしれないとドキドキしつつ、結局またこれにもどす冒険を今からしようとしているのだ。
 しかしまたそれは、やってみたから気づいたことでもある。やらなければ、改造すればもっともっと快適な環境が築けるのにという憧憬を抱いたままだった。外国旅行で学ぶものと同じか。行くことにはとりあえず価値がある。やったことにはそれなりに意味がある。と思うことにしよう。
 そういう性格なのだからこうなったのは自然の摂理なのだが、納得しつつも我が身を愚かだと嘆く気持ちは消えない。改造バカってのはみんなこういうものだろうけど。

 ひさしぶりにマザーボードとむきあった。さすがにどんなバカでもあれだけ同じ失敗を繰り返せば懲りて、最近はもう「つつがなく動いてくださいね」と祈りつつ、よけいなことは一切していない、触らぬ神にたたりなし状態だった。今回は、たたりを覚悟してさわらねばならない。夏が越せない。いや夏以前にいま困っている。

 電源からUSB、スピーカー、プリンター、マウス、キイボードとコードを抜き、でっかいフルタワーをひっくり返す。12センチファンを取り外す。『FireBird7』のヒートシンクが出てきた。ここにあのファンをパチンと嵌め込めばなんの問題もないのだがと未練たらしく考える。あれだけ探してないということは、あのファンが入っていたソフトウェアのカラ箱をそのまま捨ててしまったのだろう。そうとしかもう考えられない。

 『FireBird7』のヒートシンクをCPUから外し、リテールCPUクーラーに取り替えようとして蒼ざめる。外れないのだ。
 思い出す。『FireBird7』は獨自の器具を使った獨自の装着をするのだった。その方法によってコア欠けしやすいAthlonにも悪影響を与えず安心に着け外しが出来るというのが売りだった。その獨特の器具は、コンビーフの缶詰を開けるようなチンケな道具だったが、それだけを千円で売っていたぐらいだから必須のものなのだろう。たしかに今、細めのドライバーを突っ込んで外そうとしてもまったく動かない。あれがなければだめだ。

 附属してきたあのコンビーフの缶詰を開けるような器具はどうしたろう。『FireBird7』の入ってきた箱に入れたままだ。その箱はいくらさがしても見あたらないから捨ててしまったのだろう。きっとファンもふたつ、その中に入っていたのだ。もうそうとしか考えられない。
 ということは、このヒートシンクは外せないのである。完全にバラバラにして、ケースからマザーを取り外し、慎重にやればなんとかなるかもしれないが、コア欠けの危険をはらんだ大仕事になる。とてもじゃないが今からそれをやる元気はない。どうしよう。ついさっきまでは別のCPUクーラーに替えればいいと考えていた。そうじゃない。外せない。替えられないのだ。どうしたらいい。一時間ごとにパソコンを休ませつつ、だましだまし使うか。でも夏場になったら起動してすぐビープ音になるのではないか。東京まで、コンビーフの缶を開けるような金具を千円で買いに行くのか……。なにやってんだ、おれ。
 部屋の中でひとり、がっくりとうなだれる。なにもかもやる気がなくなった。「だめだこりゃ」の心境である。
 そのあと、どうしてそんな行動を取ったのか今もわからない。ついさっきのことなのに。
 そうしてしばらくうなだれていた私は、突如何を思ったのか廊下に出たのである。この部屋にはベランダ側と階段側の両方に廊下がある。階段側にはコンテナに詰め込まれた本が山とある。それらもどこかに間違って入っていないかと丁寧に調べたものだった。
 ベランダに出る廊下は洋服置き場となっていて身動きできないほどだ。ここにはパソコン関係のものはない。古いFMVのモニターが段ボール箱に入っておいてあるだけだ。一度も使っていない。今後も使わないだろう。もったいない話である。
 なぜか思いついてその洋服のあるハンガーの中に私は突っ込んでいった。そうしてそこにあったゴミの入っているような紙袋を引っ張り出したのである。中を覗くと、パソコンケースの5インチベイ目隠しのような小物が乱雑につっこまてれいた。もしかしたらと思うまもなく、その底から探し求めていた『FireBird7』のファンが二つ出てきたのだった。



 それさえあれば、ファンをパチンとヒートシンクに填め込み、ケーブルを電源に繋ぎ、本体にぜんぶ接続して起動するだけである。あっさりと以前と同じ環境が出来上がった。

 思うにあれは、一種の火事場の馬鹿力のようなものだったのだろう。弱った体が子孫を残したいと妊娠しやすいのと同じか。とんでもなくたいへんなことをしなければならないと悟った時点で、どこか脳みその奥から「あそこにあるぞ」と隠れていた記憶を呼び出したのだ。いまもって私の記憶にあるのは、「マザーボードの箱の中」か「ソフトウェアの箱の中」にきちんとふたつ並んでいる姿で、どう考えてもくしゃくしゃの紙袋の奥に突っ込んである映像はない。でも実際にそこにあり、なぜか神懸かり的に突然そこにたどりついたのだった。あの「ああ、もうどうしようもない」という絶望感がなかったなら、このあといくら探しても、衣紋かけの下に埋まっている紙袋を探すことはなかったろう。不思議なものである。


 これは現在の状況。CPUの温度が41度、53度というのは、特に53度は褒められたものではない。ケース温度の32度もかなり高めだろう。12センチファンひとつでやりくりしていたときの起動した時がこんな感じだった。そうしてどんどん温度が上がり、一時間後にはビープ音になっていた。
 同じようだが実はぜんぜん違う。これは密封状態なのである。ケースの側板を外して外気に晒し、扇風機の風を入れたなら一気に下がるだろう。さっきまではそれをやっても69度のビープ音だったのだ。さらにこれは、四時間連続使用してのものである。まず間違いなくこれで夏を乗り切れる。
 あまりに愚かな改造と、ひとまわりしてまた元通りの結末だったが、これはこれでよかったのだと思うことにしよう。思わないとやっていられない。
(03/5/2)


フルタワーケースの価値

 私自身は気に入っており、次に作るのもDualCpuだろうからまたフルタワーケースを使おうと思っている。写真にあるように奇蹟的なのか規格的に当然なのかしらないけれど、愛用の机とぴったり高さが同じなのである。一分のズレもない。上にほとんど使ってないが補助的に自作二号が乗っている。椅子に座ったまま操作できるし、場所さえあるなら、ミドルケースよりははるかに使いやすい。

 どんどん世の中が小さくて便利なものになりつつあるときに前時代の異物であるようなバカでかいフルタワーを使ったのは、大きくて広いことにより、あまり熱くならないのではないかと期待したからだった。実際使用者の報告でもそれはかなりの売りになっていた。

 しかしどうなのだろう。そのことに関しては私は否定的だ。こんなことを考えてみる。

 発熱するCPU二つは、部屋の中においた火鉢二つのようなものである。ミドルケースは四畳半、フルタワーケースは十畳間となろうか。部屋は涼しく保ちたい。私はより広い十畳間のほうが暑くなりにくいと考えた。ここでクーラーがなかったら正しかったように思う。「暑くはなりにくい」。でもそれは「涼しくも鳴りにくい」のではないか。六畳用の小さなエアコンを稼働させてすこしでも部屋を冷やそうと考えたとき、広い十畳よりもむしろ密閉された四畳半のほうが、より早く、よく冷えるのではないか。
 もしもケースに吸気や排気のファンがなかったなら、すこしでも空間の広い大きなケースのほうがいくらかは低温に保てるだろう。だが強制的な吸気、排気を行って排熱するのだから、むしろミドルタワーぐらいの大きさのほうが適切なのかもしれない。ミドル、ミニ、フルと作ってみて、そんな気がしている。

 今後もフルタワーケースを使いたいと思うのだが、素人工作用としては絶滅寸前なので、もしかしたらこのノッポタイプはこれが最後になるのかもしれない。サーバー用の高くなく横幅のあるものはまだまだ発売されているようだが。


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