満足したら不満足

 ここ二ヶ月、自作パソコンにかかりっきりだった。といって、いつもいつもいじっていたわけではない。暮らしの中で、あるいは金銭出納の面で、自作パソコンに対する関心が常に中心だったという意味である。

 たとえば田舎で仕事中、ちょいと時間が出来る。なにをするかというと、クルマで一時間ほども離れたパソコンショップにパソコンパーツを買いに出かけるわけである。いそいそとだ。なにしろこの「時間が出来る」ということからして嘘なのであって、本当は時間などない。行きたくてしょうがないから、これで仕事が一段落したとか、あまり根を詰めると体によくないなどとそれらしい理由をつけて、無理矢理時間を作って出かけるのである。

 そうして見て回るパソコンショップのなんと楽しかったことか。元々週に二度ぐらいの秋葉原巡りを楽しみにしている。これといって目当ての品物がなくても楽しい。いや、楽しくないこともある。それは全然お金がないのに春の新製品、秋の話題品などが展示されている頃だ。買えないと解っているのに何十万円もする高性能新製品を見るだけというのはあまり楽しいことではない。ところが今は自作パソコンをグレードアップするという明確な目的があるわけである。そしてグレードアップだから、三千円程度の小物から二万円のハードディスク、三万円程度のビデオカードなどが欲しい対象であり、これぐらいはその気になれば買えるわけである。実際にすぐ買うかどうかはともかく、買えるという餘裕があって見て回るのは楽しいことだ。目的と懐具合が釣り合っている。

 田舎にも、大型家電店系列のパソコン専門店が出店するようになり、パーツ買いが楽になった。それでも日本一(世界一?)の秋葉原を知っている身には田舎はしょせん田舎でしかない。だから先日など、めちゃくちゃ忙しかったのに、上記のような気分転換という理由を無理矢理作って秋葉原まで日帰りで出かけてしまった。ただそれだけのためにである。
 石丸からラオックス、TーZONEからツクモパーツショップと渡り歩いていると時の過ぎるのを忘れる。片道三時間、往復六時間かけて出かけ、秋葉原にいられる時間は二時間のみ。なのに楽しくてしょうがない。その分、電車の中では資料を膝に抱え、蛍光ペンをもって、まるで受験生のように(今の受験生がそんなことをするかどうか知らないけど)重要ポイントに色をつけつつ熱心に仕事をした。隣に座った何人もの人が、分厚い本を何冊も膝の上に乗せ、一冊にチェックを入れたかと思うと、別の本を慌ただしく開き、また元の本にもどってという作業を一心不乱にしている私を、物珍しそうにのぞき込んできた。

 日本ダービーのこれまでの全回を調べて文にする。こういう仕事では資料を比較することが大切である。たとえば五十年前のダービー、片方の資料ではレース中は大雨と書いてあるのに、もう片方ではレース前に雨が上がったと書いてあったりする。可能な限り比較して、きっちりと正しい結論を書いておかねばならない。競馬会の機関誌に書く文章だから、これからは私の書くこれが資料として重用される。どれを正しい結論とするかは私に判断なのだが……。
 電車の中で出来る仕事はそういう矛盾点のチェックになる。私は昭和初期の色あせた旧い本(競馬会図書室から借りだした貴重品である)を何冊もばさばさと開いたり閉じたりしながら調べていた。この秋葉原日帰り往復が締め切りの迫ったその時期に無茶であることは解っていたから、それだけ熱心になっていたのである。普段は缶コーヒーを飲みつつスポーツ紙かプロレス週刊誌を読んでいる。熱心に仕事をしたとはいえ、周囲の人の好奇の目に気づいていたのだからあまり一心不乱ではなかったことになるが。

 とまあかように、この二ヶ月、良くも悪くも私の心を占めていたのは、自作パソコンに関してなのだった。


 たとえば、すべてをWindows2000でまとめようとしているのに、気に入っているフィルムスキャナーが2K対応のドライバーを出していない、今後も出さないと解る。ひどい話だ。
 それでOSの複数ブートにしようと思う。98やMeも使うことにする。せっかく買ったMeを使ってみたい気持ちもある。それらを管理するパーティション・ソフトは持っているのだが、どうもうまく行かない。

 リムーバブル・ディスクを思いつく。ここからはリムーバブル・ディスクの勉強になるわけである。あれこれとメイカを探したり、気に入った型番を選んだりが楽しい。これらの製品も、プラスティック製のへなへなな安物から、アルミ製でがっちりしている高価なものまでいろいろなのだ。

 リムーバブル・ディスクの勉強と購入がひといきつく。それによるマルチブートを実現し、フィルムスキャナーとタワー型パソコンをつなごうとする。今までのSCSIカードの調子が悪いので、USBケーブル接続にしようとする。ここでまた製品探しと勉強が始まるわけである。そしてまた、このケーブルが98と2kには対応しているのになぜかMeには対応していないなんてヘンな事情も発覚したりして問題が起きたりする。ホームページに接続してドライバー事情を調べたりするのも楽しい。

 そうしてあれこれやり、あらためて98やMeがハングアップばかりするろくでもないOSだと確認し、もうこれとは関わりたくないと決意する。2k一本で行くと決める。となると、さんざん苦労して購入した複数OS用のリムーバブル・ディスクは、まったく無意味になる(笑)。いつか役立つ日も来るだろうとあきらめる。

 今まで使っていたスキャナーはどこも壊れていないし、デザインも性能もお気に入りである。だけどWin2kではでは使えない。対応する予定もないとメイカは断言している。その姿勢が気に入らない。98なんか使うんだったらもう2K対応の新しいスキャナーを買ってしまおうと思う。よけいな出費になろうと、とにかくもう98だけは使いたくない。

 ということで今度は、最新スキャナー事情に関心が向くわけである。これがまた楽しい。カタログ集めから始まるわけだ。
 そうしてCANONのあたらしいスキャナーを購入し、楽しい遊び方はないかと、その種の本を漁ったりする。てなところでサウンドカードの調子が悪くなり、どうせならスピーカーから買い直すかとまたまたパソコンショップに出かけたりする。

 二歩前進一歩後退の連続だから、無駄な出費が続き、あまる部品が出てくる。これはまあこういうものに凝ったら仕方のないことだ。だいたい自作パソコンを作ったら、必ずもう一台作れるぐらいの部品があまってしまい、もったいないからとそれでもう一台組み立て、益々ハマッテゆくというのは、このことに手を染めただれもがたどるパターンなのだ。

 私の場合も30ギガのハードディスクが二台もあまってしまったので、それを外つけのデータディスクとして利用しようと思った。たしかそういうもの(=3.5インチハードディスクをケースに納め、USB接続で外つけハードディスクとして使えるようにする機器)があったなとまたまた秋葉原に探しに出かける。

 この辺の製品探しになるともう田舎ではだめで秋葉原に行かねばならない。それを手に入れる。これだって何種類もあるし値段も違うから、どっちにしようとあれこれ悩んだ末の決断である。楽しいねえ。買ったのがうれしくてすぐに接続してデータを入れてみたりする。でも、文書と写真ぐらいしかない私の場合、パソコン内にあるメインの30ギガとデータ用の30ギガで十分すぎるほどであり、外つけの30ギガに落とすほどのデータなんてなかったりする(笑)。だって文章というのは、分厚い単行本用のデータだってフロッピーディスク一枚に入ってしまう程度なんだから。

 私は、150キロ以上のスピードを出してこそ真価を発揮するポルシェを、日本の渋滞道路でとろとろと走らせている人を哀れんでいるのだが(正確に言うと、能力を発揮できないポルシェがかわいそうだという感情ですね)パソコンに関して私のやっていることもたいして変らない。


 とまあ、ここ二ヶ月私のやってきたことを文章にしてしまうと短いが、これらのことが常に頭の中にあり、それらひとつひとつを仕事の合間に田舎のショップや秋葉原に出かけて解決していくことには、かなりの時間とお金がかかっているわけである。だってMeや2Kのインストール、再インストールに取られた時間だってかなりのものだ。

 さんざん98やMeでいやな思いをした後、同じ会社の似たような製品とは思えないほどしっかりしている2Kと出会い、すべて万々歳となっているのに、「もしかしたら98にだっていいとこがあるのかもしれない」と、また使おうとするところが、実人生における私のだらしなさとよく似ている。私はさんざんいやな思いをして愛想を尽かし絶縁したヤツにまたすり寄られ、おれの方にも悪いとこはあったかも知れないしなんて佛心を出してつき合い、やっぱりいやな目にあってまた絶縁するなんてことを何度も繰り返してきた。男の人生は、もっときっちりと決めつけて生きたいものである。(だったらまず馬券をやめろってか)。

 それでもそれは、今思えば楽しい時間だった。性悪女になけなしの金を貢いでいるような、周囲から見たら愚かであわれな時間だったかもしれないが、本人には充実したひとときだったのである。いま、やることが無くなってしまい、しみじみとその愚かだけれど充実していた時間を実感している。



 とうとう完成してしまったのである。私なりに思うところの理想の自作パソコンが……。苦労の末に、実に安定して動き始めたのである。後は毎日このパソコンで仕事をするだけで、べつもうあれこれといじる必要はなくなってしまったのだ。
 で、なんとこれが空しいのである(笑)。だいたいが「完成してしまったのである」という言いかたからしておかしい。これは「完成したのだ!」と誇らしげに言わねばならない。なんだか完成して困っているような感じである。あんなに完成を願っていたのだから。


 マザーボードから始まり、サウンドボード、グラフィックカード、メモリー、ハードディスクといじって行き、周辺機器のスキャナーや小物のマウス、キイボード、マウスパッドにエアダスターまで行き、最初から静音設計の高級アルミケースなのに、内部に貼って雑音を抑えるシートなんてのを見つけて来ては、びっしりと貼り詰め、さらには振動を吸収する新素材のなんたらかんたらなんて名前のやたら高いシールを買ってきて、ハードディスクやフロッピーディスクドライバーに貼ってみたりと、できることはもうぜ〜んぶやってしまったのである。

 あとやることと言えば、CPUを高機能なものに変換すること、512メガのメモリーを1ギガにすることだけである。それ以外は全部いじくり回してしまった。
 だがCPUを最高能力にしなかったのは他のノートとの能力差を考えて意図的にやったことだった。今の時点でももうかなりノートとの力の差は出てしまっていて、かわいくてしょうがなかったバイオでさえ、最近はおそいなあと感じている。これだからまったくバソコンてのはしょうがない。あれだけ気に入り満足していたバイオですら、より早いのに触れてしまうと、現実的には文章を書くということにおいてなんの問題もないのに、不満を感じたりするようになるのである。このCPUの交換だけは思いとどまらねばならない。これ以上バランスを崩すわけには行かないからだ。

 一方、メモリーの増量には意味がない。せっかく1ギガ装着できるマザーなのだからやってみたいとは思う。でも大きなサイズの画像でも扱わない限り、どう考えても無意味だ。文章書きの私には256メガでも十分であり、512メガの今でもありすぎるほどなのだから。
 そんなわけで、私は今、自作パソコンに対してやることがないのである。あれだけ憧れていた満足できる環境がやっと出来上がったというのに、することがなくなって物足りないというのだから、なんとも奇妙な心境である。


 ツクモex館を一階から五階まで歩きまわる。マザーボード、ハードディスク、バソコンケース、メモリー、キイボード、マウス、CPUクーラー、その他パソコン内部外部の各種接続機器に至るまで、すべて満足できる最高級品最新製品で揃えてしまったので、私には今、購入して自作パソコンを飾り立ててやろうとするものが、なにもない。最高級最新製品にたどりつくまで、いくつものものを買ったので、買うべきものがない。

 チェンマイのTさんは、日本からやってくる友人たちに、使わなくなったパソコン部品を持ってきてもらい、ほとんど廢品で作り上げたようなパソコンを使っている。たしかCPUも友人があまったK6ーUをくれるのでそれを使うとか言っていた。元々がそういうことが好きな人だが、今は緊縮経済だから特にそうせねばならないと言う。チェンマイでも見事にネジ類を売っている専門の小さな店を探し出し、「三個で2バーツ。日本より安いね」なんて言っていた。Tさんのパソコンは、私から見たら時代遅れの旧式パーツばかりで組み立てられたオンボロだが、部品を交換してグレードアップして行くということでは、無限大の楽しみが詰まっていることになる。その点ではうらやましい。

 私の自作パソコンも、CPUをPENー4にしたり、マザーを買い換えてDual CPUのマシンにしたり、そういう上昇は可能だが、それは意味のないオタク的な改造でしかない。実用品という意味では限界までチューンナップしてしまった。これからは、いつの日か使うであろうホームページ用の凝った素材づくりとか、このパソコンの能力を利用したそっち方面に進まねばならない。いや、進まねばならないじゃなくて、本来そのために作ったものなんだって。なんか言ってることがおかしいな。

 社会人として活動するために、学校で学び知識を身につける。なのにいつの間にか学ぶこと自体が目的となってしまい、その居心地の良さに安住し、卒業したくなくなってしまうという症候がある。モラトリアムと言われる傾向だ。どうやら今の私は、パソコンに関しそんな心境にあるようだ。
(01/5/2)




 なにかに夢中になれば手薄になるものも出てくる。自作パソコンを作ったおかげでずいぶんとそっち方面に詳しくなった。それはそれで進歩だが、そのぶん振り返ってみるとこの二ヶ月、一本も映画を観ていないことに気づいた。いかにも何かに夢中になると他が見えなくなる私らしい。

 この十年、そんなことは一度もなかったから、どうやらこの自作パソコンという趣味は久しぶりに巡り会った大型趣味であるらしい。この分だと、今年もまた目標にしている一年に百本の映画鑑賞は達成できそうにない。ここで、しばらくはパソコンを忘れて映画をまとめて観ようとでも書くとうまくまとまるのだが、今のところ気持ちは、あした行く秋葉原に向いていて、映画のえの字も出てこない。もうグレードアップする部分はないのに、ハードディスク・クーラーや、後部にあるUSBコネクターを前面にもってくるパーツ、雑誌で読んだすばらしく冷えるCPUクーラーに触れるのを楽しみにしている。小学生の頃、プラモデルに凝っているときこんな気分だった。禁断の趣味に手を染めてしまったような後悔もすこしばかりあるが、今はまだ反省まで行っていない。

 自分という人間の性格からして、これは筋の通った話である。世間には、世の流れを意識し社交的に生きる人と、自分だけの世界にひたすらこもってゆく人がいる。端的に言うなら町に住み話題作の映画や演劇を欠かさず観て、流行の音楽にも詳しく、というタイプと、山にこもってひたすら炭を焼いているタイプである。私は典型的な炭焼きタイプだ。世間で何が起ころうと、どういうものが流行ろうとまったく関係なく、自分の満足する炭焼きに邁進する。世間のことは知らないが、良い炭を焼くための木材、炭焼きの温度などには精通している。

 若いときからずっと音楽をやっていたと言うと、流行り歌(洋の東西を問わず)に詳しいように思われてしまい、一般的知識のなさで話し相手を失望させることが多い。「自分の歌を作る」ということに徹底していたから、他の歌を知らないのである。これを私は「プレイヤー気質」と言っているわけで、流行り歌全般に詳しいのは評論家なのだ。プレイヤー気質と評論家気質は激しく相反する。
 これは私だけの問題ではないらしく、後輩のhatなども、見合い結婚した今の奥さんとデートしていた頃、そのことで失望されたらしい。都会でずっと音楽をやっていたというから、かなり音楽に詳しいのだろうと期待していたら、むしろ自分よりも流行り歌を知らないとがっかりされたわけだ。詳しいんですけどね。音楽に関してしゃべれることは山ほどあるんだけど、何年に流行った誰それの歌と言われても、知らないんです。その時自分がどんな心境にいて、どんな歌を作っていたかはいくらでも語れますけど。

「映画を年に百本観る」と決めたのはいつだったろう。十五年ほど前から感想文は記してあるが……。なにしろそういう発想も、映画が好きで好きでたまらないのではなく、「いくら山奥の炭焼きでも映画ぐらい知らんと、他人様にばかにされるべえ」と始めたことだから、出発からして間違っている。まあそれをいったら海外旅行もまったく同じなのだが。

 したくもない勉強みたいなものだから、いつもいつもはしゃいで映画を観ていたわけではない。目をつぶって飲み込む苦い薬みたいな感覚もあった。その点、自作パソコンに凝るというのは、本来の私の資質であるから苦労がない。すべてが楽しい。

 と、ここまで書いてやっと反省点にたどり着いた。楽しいことばかりをしてはいけない。映画を観ることは私にとって勉強である。対して自作パソコンは遊びであると解った。明日からすこし勉強をすることにする。遊んでばかりじゃいられない。(01/5/10)
(「掲示板Mone's World」に連載したものの再録)






 今回二年前の文章をアップしてみると、わずか二年の時の流れのおおきさにおどろく。

>メモリーの増量には意味がない。せっかく1ギガ装着できるマザーなのだからやってみたいとは思う。でも大きなサイズの画像でも扱わない限り、どう考えても無意味だ。文章書きの私には256メガでも十分であり、512メガの今でもありすぎるほどなのだから。

 しっかりやりましたなあ、メモリ1ギガ。どんなにすごい効果なのかわくわくしながらやったのに、なんも体感できなかった。

>マザーを買い換えてDUALのマシンにするとか、そういう上昇は可能だが、それは意味のないオタク的な改造でしかない。私用の実用品という意味では限界までチューンナップしてしまった。

 「意味のないオタク的改造」をしっかりやって、いまDualCpuマシンを使って書いてます。ほんにしょうもない。

 でもこうして過去の文を引き合いに出して、そのとき言っていたことと今が違ってしまったことを、私は反省するもんね。朝日新聞も、スターリンを礼賛し、北朝鮮を夢の国と書いていた当時を正面からみつめてもらいたいものだ。しないだろうけど。(03/4/22)




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