ネット狂の友人が、どこから探してきたのか、ぼくのホームページがリンクされていると教えてくれた。
と、たった一行書いただけでいきなり脱線というのも気が引けるが、と言いつついつものように脱線するのだが、最近この「狂」という字に対するマスコミの自主規制はたいへんなものになっている。ぼくは先日、競馬コラムに、「ちょいとくるえば万馬券になる」と書いた。最初は「狂えば」と書いた。でも編集部から抗議が来るかなと考え(なぜならそれまでにも何度かあった問題だったので)「くるえば」とひらがなにした。それでもやはり連絡が来て、「出来るなら〃くるう〃という言いかたはやめて欲しい」と言われ、「すこし間違えば」と直すことで妥協した。
というわけでマスコミ世界はそんな状態なのである。だから冒頭の表現も、「ネットサーフィン好きな友人が」でも「ネットマニアのともだちが」でもいいわけだけれど、「××狂」というのが普段禁止されていて使えないから、それが可能なメディアでは使いたくなってしまい、わざと「ネット狂」としてみた。
マスコミおける言葉の規制は、弱者を傷つけないように、という美しい理由以前に、そういうことに対する抗議を生き甲斐にしているような連中(まあ、それこそキチガイだね)と関わらないようにしようということである。実際世の中には、雑誌新聞などにそういう表現がないかと、一日中それを探し抗議することを仕事としているような人もいる。ぼくの場合も、小さな競馬コラムとはいえ、狂うという字を使ったなら、間違いなく五本ぐらいの抗議電話が来るわけで、それに応対して謝る煩雑さを考えたら、編集者もその前に直してくれと言ったほうが楽なのである。それはまあわかるけど。
でもねえ、たとえば競馬世界では、「あいつは子供の時からキチガイ馬で」なんて生産者は言うわけだ。癇性が激しく異常に闘争心が強い馬のことで、名馬はみなこれだったりする。それが活字になったら、「あいつはねえ、子供の時からクレイジーホースで」ってなっていたりする。そんとこだけいきなり英語にする田中康夫みたいな生産者なんていないって。笑っちゃうよなあ。英語ならいいんだから。いや、英語でもこのごろ、プラインドタッチをタッチタイピングと統一する方向に動いているね。ぼくだってべつに体の不自由な人を差別したいわけじゃないし、心の病にしても問題のある表現は使わないに越したことはないんだけど、ちょっとこの「狂」に対するあまりに神経質な態度は困ったものだと思う。でも世の中でいちばん怖いのは気違いだから、それは当然でもある。阿刀田高さんが直木賞をとった「ナポレオン狂」なんかも今だったら違うタイトルになっていたのだろうか。
とあれこれ書いているが、実のところ武闘派と呼ばれるぼくも(笑)、気違いだけは怖くて使えない。だってほんとに理屈の通じない気違い沙汰になるから。せいぜい自分のホームページで「ネット狂」なんて書いて、こそこそしているだけだ。
そんな愚かな人がいるとも思わないが、みなさんも気違いにだけは関わらないほうがいい。あれはこちらの理解の範疇を超えている。そういえば、ノイローゼという言葉(かつてはちょっとオシャレな流行り言葉でもあった)も今は使えないし、ノイローゼの代わりに頻繁に使われていた自律神経失調症も、つい最近新しい呼び名が出来たと話題になっていた。だいたいこういう「失調症」のような、なにかが欠けている、足りない、という表現はぜんぶ撤廢されるのだろう。覚える気もないので読み過ごしたが、そのうち頻繁に目にするようになり、ああこれが自律神経失調症の新しい呼び方かと知ることになるだろう。
「五体不満足」という本のタイトルも、乙武君が書いたから許されたのであって、まともならブーだろうなあ。
最初から脱線してしまった。あらためてまた本線。
友人が言うには、それは「メーサイ日本人会」というホームページなのだそうだ。う〜む、メーサイ日本人会ね、ぼくもメーサイに関してはそれなりに知っている。そうか、むむむ、なんとも返事に困る。よって、自分だけの理屈でしゃべろう。
まず、なぜそこにぼくのホームページがリンクされたかである。そこから探ってみよう。
ぼくは誰ともどこともリンクという繋がりを持とうとは思っていないから、ネット世界ではトップペイジに入れるのが常識であるらしい、「リンクフリー」「リンクされるかたは事前に連絡をください」なんてことも書いていない。最初からそんなことに興味がないし、もともと知り合いの30人ぐらいにメイル連絡して始めた自己満足ホームページだから、あまり広がりには興味がない。今はアサ芸のコラムのプロフィール欄にアドレスを入れているから秘密でやっているとは言えないが。いや、秘密でやっているなんて意識はもとよりない。ただ、積極的に宣伝してひとりでも多くの人に読んでもらおうという気がないということだ。その理由は以前も書いたけど、ぼくは今からホームページを基点として世に出てゆくヒトではないからだ。むしろ純然たる趣味、余技、より正直に言うなら欲求不満の解消とか、そんな感じでやっているので、ここから大きな広がりを……のような気持ちは毛頭ない。もちろんそれは拒むということではないので、ここをきっかけとして親しい友人が出来たら、それはそれで喜びになる。ともかく、あちこちに出かけて喧伝するつもりは今後もない。
多くの人に読んでもらう喜びより、喧伝することのマイナス効果として、荒らしに来られるほうがずっとイヤだ。ぼくの知っている限り、やはり荒らしが来るのには、それを呼び込むような問題をこちらが起こしている場合が多い。
後藤さんの「チェンマイのさくらと宇宙堂」に寄稿しているとき、熱烈な『T-thai(定退)』支持者に絡まれてイヤな思いをしたが、あれも「あやうさの魅力-『T-thai(定退)』感想文」の内容に共鳴した後藤さんが、あちこちに出かけてぜひ読んでみてくれと宣伝したことが仇となったのだった。そのときに後藤さんは、はっきりと『T-thai(定退)』感想文の内容に触れ、タイのことに詳しくなった人の読む文と言っている。これはまあ、ある種かなり挑発的な物言いであろう。自分が侮辱されたと勘違いしたヘンなのが数人やってきて、削除せよと騒ぎ立てることになったのは当然だった。
といって、それをしなかったらそんなのはやって来ず、ぼくは今でも平穏無事に後藤さんのところで連載していて、すべては丸く収まり、めでたしめでたしだったのかというと、そうも思わない。あれはあれで、ネット世界におけるハシカのように、誰もが一度は罹ってそれでもって抵抗力を身につけてゆく必然だったのだ。ネット初心者のぼくは、いいタイミングで、いい経験をさせてもらったと思っている。同時にぼくは、ああいうことが起きるに違いないと、パソコン歴は長いのに、決してパソコン通信に近寄らなかった自分の判断力に満足したのだった。
そういうわけで、自己満足型ホームページ(=作っているだけでアップしなくても満足というとんでもない畸型ホームページ)を始めても、どこともリンクなんてものをする気はなかった。事実していない。それが今回、知らないうちにそうなってしまったらしい。どんな形であれ初体験は印象深い。
↑あのゲートの向こうはミャンマー
推理・そのいち
さて、あらためてもういちど、なぜぼくのホームページがリンクされたかを考えてみる。
メーサイに関するホームページを作った人が、関連したリンクを張ろうとしたら、最初にやるのは、検索で引っかかるメーサイに関するホームページだろう。ぼくのホームページは、「メーサイ」と入力して検索したら出てくるのだろうか。
その前に、自分のホームページで、メーサイが出てくるファイルを思い出してみる。
すぐに思いつくのは、自分のメーサイへの想いと思い出を書こうと決意してタイトルだけを書き込んだ
「チェンマイ日記01夏 メーサイへ」だ。そのために写真を二千枚も撮ってきた。が、これはまだ書いていない。チェンマイからメーサイへ向かうドライヴ旅行の詳細を書き、合間に過去のメーサイに関する思い出を挿入するという、できあがったらかなりの自信作になる予定だった。これを書きあげ、アップした後の出来事だったなら、今回の件も、リンクされて当然ぐらいの気持ちになれたのだが。
その他、自分のファイルに「メーサイ」が、どれぐらい登場するのかGrep検索で探してみた。便利だよねえ、「亀造建説」の全ファイルのどこにメーサイという文字があるのか一気に調べてくれるんだから。手作業でやっていたらたいへんである。
それによると
、「チェンマイ日記99夏」の第八部「チェンライに走る」に四回登場する。これはメーサイはチェンライ県にあるのだし、チェンマイで知り合った友人の北村さんともよくメーサイには一緒に出かけた。2ちゃんねるにもコピーされた名セリフ(自分で言うか)「チェンマイよりチェンライ、チェンライよりメーサイと、北へ向かうほど奇人変人度は高くなる」は、ここに書いたものだ。
第七部の
「ゴルゴ13のマエサイ」。これはメーサイがマエサイと読まれることの話だから出てきて当然だ。今読み返してみたら、いやあおもしろい(自分で言うか)。この話があるだけで、ぼくのホームページがメーサイをテーマにしたサイトにリンクされる資格があるような気がしてきた。
「チェンマイ雑記帳」の「競馬酒日記」にも登場するというのだが、これはどこだっけ。覚えていない。今からちょっと開いて確かめてみる。自分の書いた文章はすべて記憶している。この文章のどこにメーサイがあるか覚えていないというのは、いくら老人力全開の昨今でもちょっと屈辱だ。
《タイの北部の外れ、ビルマとの国境、メーサイという町で知り合ったYさんから電話。新宿で会う。神奈川県の自動車工場からの〃出所〃らしい。》
なるほど、そういうことか、納得。実はこれ嘘なのである。Yさんと知り合ったのはメーサイではない。パヤオなのだ。だけどパヤオという地名はあまりにマイナーだからと、競馬雑誌に書く競馬エッセイの中の一部だったので、異国情緒を出そうと(?)こんな嘘をついたらしい。そんな思いつきの嘘だったので記憶もおぼろだったのだ。トクロンチャ。
後は
去年八月の「作業日誌」か。これはメーサイのことを書こうと、そのためにメーサイに出かけ、デジカメ写真を撮りまった時のことだから、これまた出てきて当然だ。
どうやらそれぐらいしかないらしい。メーサイのサイトにリンクしてもらうには、すこしばかり貧弱のような気がする。
というところでインターネット検索の結果が出る。
メーサイで検索してもぼくのホームページは表示されない。予想通りだ。だって正面からメーサイを謳ったファイルはないものな。
これで、「メーサイ日本人会」というホームページを作った人が、メーサイで検索し、そこで引っかかったからぼくのホームページをリンクしたという可能性は消えた。いやじつは、最初からそれは考えていなかった。だって、全然宣伝せず、ひっそりとやっているぼくのホームページを、偶然に検索で見つけて、全部の中身を読み、ほんのすこしだけ出てくるメーサイに関する記述から、同類項と位置づけてリンクするというのは、いくらなんでもちょっとあり得ない話だろう。
↑ピストルはダメよ
推理・そのに
このホームページを作った人は、後藤さんのところに書いていた頃からぼくのことを知っていたのだろう。その後ぼくは表舞台(?)から消えたが、2ちゃんねるあたりに書き込まれたぼくのホームページのアドレスを知り、たどりついてリンクのひとつに入れた。と、これが正解だろうと今は思っている。
なぜなら「インターネット・リンク・エージェント」というすばらしい統合検索ソフトで調べると、メーサイに関する記述をしたホームページは百以上もあるのだ。そこに登場せず、まして表だって「メーサイ」と銘打ったファイルがひとつもないぼくのホームページが、偶然にリンクされるというのは、やはりどう考えても不自然だからである。制作者は後藤さんのところに書いていた頃からぼくのことを知っていた人なのだろう。面識はないにせよ、ぼくも名前ぐらいは知っている人かもしれない。なにしろ狭い世界だ。それならそれでまたお会いするときが楽しみである。
今回、検索にかかったいくつかを読んで、すこしばかりぼくも自信を持った。
メーサイについて書いているそれらの文章のほとんどが初心者のものなのである。「初めてメーサイに行った。橋の向こうはミャンマーである。島国の日本人には国境というのは特別の想いがある。感激だ」、「メーサイからタチレクへの一日入国の仕方」などが主で、それはそれで誰もがメーサイで感じる素直な感想なのだけれど、それでは「メーサイ日本人会」にはリンクしてもらえまい。なにしろ「メーサイ日本人会」と名乗るぐらいだから、半分は冗談にしても、それなりにメーサイに詳しいと自負している人たちが作ったはずだ。タチレクに渡るなんてのは日常茶飯事だろう。だったらそういう初心者の舞い上がった文章はリンクしまい。ぼくもそれらの文章を読んで、ぼくの文章にメーサイ自体はほんのすこししか登場しないが、すくなくとも彼らから、こいつはけっこう詳しいなと認められるだけのものがあったのだろうと思うことにした。まあ、「ゴルゴ13のマエサイ」なんてのは、直接メーサイの話ではないけれど、それなりに奥のある(?)話ではある。
そういうわけで、せっかくかってにリンクしてくれたのだから、そのうちメーサイに関する一章を書くことにしようと思った。後藤さんのところでも自分のところでも、メーサイでの思い出話は書いていない。これを機に、ひとつ書き下ろすかと決意して、とりあえず「見知らぬホームページに、知らない間にリンクされたという事件」は、そのホームページを覗くこともなく、子供っぽい自己満足をして、一区切りが附いたのだった。
↑メーサイにはためくミャンマー国旗
サイトを見ての感想
そうして数日。相変わらず精力的にホームページを作っては更新し自己満足し、それでいて全然ネットには繋がないので、実質的には四月初旬から停滞したままという、絶倫なのかインポなのかわからないような生活を送っていると、掲示板に書き込みがあった。ハンドルは「洋介」となっている。ぼくの掲示板は、ほんの数人の友人がたま〜に書き込む以外は、ほとんどぼくが更新をお知らせするだけの場所と化しているので、純粋に外部から来た人としては初めての書き込みである。普段なら気持ち悪いから無視するところだが、タイトル欄に「産經ファン」と書いてある。う〜む、こちらの感じるところを知っているのね。そこを攻められるとシアオなのよ。さすがメーサイファンだ。こちらのツボを攻めてくる。
彼はその「メーサイ日本人会」のサイトから、ぼくのところに来たという。メーサイ日本人会のアドレスが書いてある。友人も教えてくれていたが、ネット嫌いのぼくは行かなかった。ことここに至ってはそうもゆくまい。ということで、ぼくは「メーサイ日本人会」というサイトに、初めて出かけたのだった。
そこを見て、思ったことは二つ。
ひとつは、なにもないホームページだということ。あるのは、2ちゃんねるや旅行人などへのリンクだけ。「メーサイ日本人会」オリジナルとしては、ほんの数枚、写真があるだけだ。将来的にはともかく、今の時点ではホームページと呼べるほどのものではない。
洋介さんの書き込みには、「あちらも濃いですけど、こちらも濃いですね」とあったので、期待して出かけたから甚だしく落胆した。ぼくのホームページは、分厚い単行本ほどの文章量がある。それとあのようなリンクを並べただけのものを同じように「濃い」と表現するのはいかがなものか。辻元センセー、辻元センセー、同じ国会議員として、嘘つきとかヤバいとかは撤回していただきたい。あのホームページのどこが濃いのか。タイ関係のリンクを並べただけの、家で言ったらまだ柱と土台が出来ただけである。「濃い」というのは、完全にできあがった家の中に、虎の剥製があったり、こってこてのシャンデリアがぶら下がっていたり、壁から鹿の首が出ていたり、ペルシャ製の絨毯が敷いてあったり、そういうことを指して言うことだろう。趣味のよしあしはともかく、ぼくのホームページは、そう言われるだけのものがある。あちらにはなにもない。土台と柱だけの家らしきものに対して「濃い」はないだろう。まだホームページ以前、なにもないなというのが第一感。
もうひとつは、なのにかなりの勢いでアクセスが伸びているらしいということ。それだけメーサイに興味がある特定個人がいるのだろう。そして、「メーサイ」に限定したネーミングのうまさである。これはもう後藤さんが証明していた。「チェンマイのさくらと宇宙堂」である。いきなり場所をチェンマイに絞り、さらに『サクラ』と『宇宙堂』に限定した。限定はしたが、その他のこともしゃべっていい。これはネット上で注目を浴び、より多くのアクセスを得たいと思うなら、上手な戦略であろう。「メーサイ日本人会」も同じ線上にある。
もちろんぼくの場合は、亀造建説などという、なにをやっているのかわからない意味不明な名称に敢えてしているわけだから、べつにうらやましいわけではないけれど、現象として、このアクセスの多さには感心した。なるほどね。
といっても、このままただリンクを並べているだけでは、そのうちみな飽きてしまうだろう。これからどういうふうに仕上げてゆくのかお手並み拝見である。メーサイに関しては、書くことはいくらでもできるだろうが、小さな町だから、どこまで踏み込むかが難しい。あっ、「会員制メイルマガジン」をやっているようだ。なるほど、そっち方面で行くか。そうだね、それがいちばんいいと思う。申し込もうかな(笑)。
(↑タチレク)
同じカウンター?
実はいちばんおどろいたことは別にあった。アクセスカウンターがぼくの使っているものと同じなのである。単なる偶然だが、これは確率的にはかなり珍しい。
ぼくの場合は、無料レンタルカウンターを検索し、ズラリと並んだ二百ぐらいある中から、どこだっけ、たしか福島県の名前を聞いたこともない(失礼)私立大学がやっているところからお借りした。そこを選んだ理由は、宣伝が入ってないからである。カウンターの横でチカチカと宣伝が点滅しているのはイヤだ。それが気に入って貸してもらったのだが、あまたある無料レンタルカウンターの中でもかなりマイナーなところだろう。いつ打ち切りになるかとびくびくしている。
実際、検索で見つけて行くこういう「カウンター無料貸し出し」なんてサイトは、出かけてみるともう消滅しているところが多い。無料で貸し出すことによって広告主の宣伝を入れたり、ぼくの借りているところのように、大学が実験的にやっていたりするわけだから、儲けにならないと判断したり、大学がもう実験は終りとなったら、すぐに打ち切りになるサーヴィスである。まあそうなったらCGIで作ればいいし、そこまでの勉強ももうしているのだが、アクセス数とは無縁のサイトだから、とりあえずこの大学のをお借りしてくっつけておいた。同じものを見たのは初めてだったから、ほんとにこれには驚いたのである。
掲示板に書き込んできた洋介さんは、ぼくがこの「メーサイ日本人会」というサイトを作っているのかと問うているが、そう思ったのもこのカウンターが原因なのではないか。色もデザインもまったく同じものなのである。そう思って当然だろう。ぼくは今まで自分と同じカウンターを見たことがなかった。とはいってもネット上を全然歩き回ったりしないのだから、あまり説得力はないが。
ぼくがこのホームページに関わっているはずもないのだけれど、洋介さんに問われたので、ぼくの考えというのを書いておこう。
まずぼくは他人様のホームページを作れるほどWeb技術に秀でていないので、そんなことはしていない。それと、技術を身につけたとしても、それをより自分のところに活かすことに夢中になるタイプなので、他人のホームページ制作を手伝うなんてことは今後もあり得ない。要するに、そういう人と人の輪を広げるというようなことには全く興味のない人間なのである。山奥にこもって、自分の満足する焼き物を作り上げることに血道を上げている芸術家を想像していただけるとわかりやすい。そんなヤツが他人のホームページ作りを手伝うなんてことをするはずがない。
もうひとつ基本的なぼくの性格がある。それは、「ぼくは自分が関わったなら、ハッキリとそれを明記するタイプであること」。これが第一。ぼくはこそこそしません。堂々と表に出ます。どこにもぼくの名前はないですね。ぼくは手伝っていません。第二は、「こっそり関わったなら、自分のホームページをリンクしたりはしないということ」である。こそこそするなら徹底的に隠れます。自分のホームページをリンクしたりしません。リンクされてますね。最後のほうに。よって二重の意味でぼくとこことは無関係であることがわかる。
ところで、どなたが作ったのか知らないが、水色を基調としたこのホームページのデザインはなかなかにオシャレである。色遣いもいい。これはテンプレイトなのだろうか、オリジナルなのだろうか。作成ソフトはなにを使ったのだろう。センスのいいデザインだ。宣伝が入るのはいやだけど。
今後の充実には心から期待している。
でも難しいだろうなあ。メーサイだけでホームページを作るのは。いや、十二分に作れるんだけど、ちいさな町でしょう、そこがね……。
たとえばぼくも、『サクラ』と『宇宙堂』が分かれてしまい、さらには『サクラ』も大きな店になり、有山パパも引退同然と(昨年から復帰)、いわばひとつの季節が確実に終ったから、後藤さんのところにああいう文章を書けたわけで、昔と同じ十人も入ればいっぱいになってしまう店が今も現存していたら書けなかった。だってホームページを見た人が、「カメゾーさんてどの人ですか」と来たら、すぐに出会ってしまうわけで、それじゃつまらない。アブナイとも言える。そういう状況じゃなくなったから書き始めたのだった。今のメーサイはまだまだ小さな世界のままだから(これからもね)、インターネットという公の場で、いろんな発言をするのは状況的にちょっときついだろう。
せっかくのご縁だから、あそこに行った人がぼくのところに来て、満足できるような、メーサイに関する一章を書こうと思っている。
ぼくがメーサイに初めて行ったのが十四年前、回数は今までに二十回ぐらい。タイに二ヶ月いて行かないときもあれば、昨年の夏のように一ヶ月の内に二回も出かけるときもある。ただ横田アパートなどに長逗留したことはない。だいたいホテル暮らしで、三日ぐらいでチェンマイにもどってしまう。レンタカーであのあたりを走り回るときもベースキャンプとしていた。ホテルは、初めての時がトップノースだった。以後はずっとワントンになっている。要するに、バンコクはうるさくてイヤだし、メーサイは田舎すぎるし、というチェンマイ大好き人間だから、あまりメーサイ向けではないのだろう。それでもそれなりの期間関わっているから、おもしろい話はいくつも知っている。
実はメーサイに関する紅涙振り絞るような体験話があるのだが、それはまだ書けない。いや、永遠に書かないと思う。墓場まで持ってゆく。え〜と、紅涙ってのは女性の涙だったな、これ誤用かな。
さて、メーサイに関する一章、何を書こうか。
ともあれ、見知らぬ人のホームページに、知らないうちにリンクされたという初めての体験なので、忘れられない一件となった。
(02/5/1)