心から感謝を込めて
(愛用フリーソフトへの御礼)



テキストエディターQX


   
    ↑『QXエディター』使用の縦書き画面

なるべくお世話になった順番に従って感謝のことばを述べるなら、急いで『QXエディター』のことを書かねばならない。なんといってもお世話になってからの日々が長い。利用して書いた文章量も圧倒的だ。このホームページにある文章も、ほとんど全部そうである。最近は直接『ホームページビルダー』で書いてしまうことも多くなったが、以前後藤さんのところに載せていたものはもちろん、最新のチェンマイや雲南の日記等もすべて現地で『QXエディター』で書かれている。

 今までにもこのすぐれたテキストエディターに対する敬意と感謝は、雑記的には何度も書いてきた。すぐに思いつくものとして以下のものがある。

『お言葉ですが…』論考-「縦書き横書き」

 しかしそれ以前に『作業日誌』あたりでも書いた記憶がある。どこにあるのかと検索をかけてみることにした。40メガのホームページの、どこに何カ所あるか、いつ書かれたものかを一気に調べてくれるのだから、こんなときコンピュータの便利さにうっとりする。

 と、便利さにはうっとりしたが、五、六カ所見つかったものの、残念ながらぼくの望んだ文章は出てこなかった。どうやらそれらは「掲示板Mone's World」時代のものであり、当時のものはあまりきちんと保管していないようだ。そんな中、以下のような下書きが見つかった。
●テキストエディターに落ち着くまで
(前略)
 数年後購入するワープロも縦書き表示が出来るものを選んだ。当時のことを思い出してみると、縦書き表示というのはよほどパソコン類にとって苦手なものらしく、ディスプレイ表示が見づらく、文章も書きづらかったので、横書きで書いては縦書きに切り替え、こまめに読み直しつつ仕事を進めた記憶がある。

 やがてパソコンで書くようになる。この場合も、縦書きが可能なワープロソフトにこだわった。そうして、テキストエディターで書くようになって今に至る。愛用しているいくつかのソフトウェアもみな縦書き表示可能なものである。縦書きに関してすぐれた製品だけを愛用していると言うべきか。

 MSーDOS時代の『VZエディター』、『章子の書斎』からWINDOWS時代になり、『WZエディター』、『QXエディター』、と使い続けてきて、今のお気に入りは『O’sEditer』になる。これは原稿用紙に書く感覚で書ける実にすぐれたソフトウェアだ。こういうものがたった1000円のシェアウェアとしてネット上から手に入るのだからありがたい時代である。二十年前だったなら、これは56000円とか48000円する高級ソフトウェアだったろう。七、八年前なら、12800円か9800円したはずである。なんでこんな具体的な数字が出てくるかというと、実際にこういう値段設定であり、今となってはお粗末な性能のそれらを、現実に私は買い続けてきたからである。MSーDOS時代に一時代を築いた『VZエディター』は、後継ソフトとしていまも『WZエディター』を9800円前後で店頭販売しているが、テキストエディターソフトウェアを、店頭販売、この種の値段で発売する時代は終ったと言えるだろう。

 日本語入力ソフト、当時のFEP、いまでいうIMEも、当時は1万円以上の値段で買わねばならなかった。なによりパソコンを買ってもOSがついてこなかった。今でこそパソコンは買ったその日からインターネットまで出来るようになったが、あの頃はパソコンを買っただけでは起動もしなかったのである。ひどい時代だった。市場が成熟するに従い、OSがインストール済みとなりソフトウェアまでついてくるようになる。これは間違いなく今が正しい。あの頃のパソコンをクルマにたとえるなら、新車を買ってもタイヤが着いてなく、別途に購入せねばならなかったようなものである。まことに腹立たしい。

 ただし先日、『O’sEditer』で文章を消失するという事故があり、この原稿は『QXエディター』で書いている。もちろん縦書きである。
 文章書きの道具をワープロからパソコンに切り替えたのは字数制限があったからだった。(後略)


 あらら、『QXエディター』を賛美するものとして引いたのに、内容は『O’sEditer』だった。三年前ぐらいの文章だろうか。それでも最後のほうに『O’sEditer』で事故があり『QXエディター』で書いていると載っていて、『QXエディター』の安定性のアピールにはなっている。
 『O’sEditer』に凝っていた時期は短い。下がその画面。デザインも色合いもかっこいいソフトウェアである。でも相性というのか、何度か引っかかること(フリーズしたり、文章がとんだり)があり、使わなくなってしまった。

   

 もうひとつ『O’sEditer』のぼくにとっての最も大きな缺点は、CTRLキーを押さえながら使うキー操作設定の自由度が低かいことだった。これは「いいぷん日記-迷走キイボード」や、「心からの感謝-Alt Me」でも書いているが、使いやすいキー配置はぼくにとって最も肝要なことになる。譲れない。
 といってとんでもないカスタマイズをするのではない。ほんの10個ぐらいのキーカスタマイズなのだが、『O’sEditer』は作者の好みでいくつかが決まっており、作者に質問してみたけど、それを替えることは出来ないようだった。これが決め手だったように思う。それが自由に出来る『QXエディター』があり、それを捨ててまで移るだけの価値は『O’sEditer』にはなかったことになる。



 縦書きということでは、まずは「一太郎」だった。それが下の写真。
 しかしあまりに高機能になりすぎ、あれこれがむずかしくなってしまった。使い慣れている人にとっては簡単至極で最高に優れたソフトなのかもしれない。文章を書くことだけに特化したぼくには無用の長物となっていった。

    

 シャープの「書院」で原稿を書いていた頃なら、レイアウトまで出来、色までつけられる「一太郎」は夢のソフトだった。自分でするそういうことがだいすきだった。でも雑文書きが忙しくなると、それは編集者の仕事と割り切り、ライターはひたすらテキスト文章を提出することに専念する。
 かといってそういうなんでも自分でやる「夢」に興味をなくしたわけではなかった。デザインやレイアウト、写真まで自分でやる喜びは今、こうして『ホームページビルダー』で叶えられている。

 ともあれ、ライターの仕事バリバリ全開にると、重厚長大なワープロソフトは無用の長物となり、ぼくはテキストエディター専用使用者になっていった。Windows以前である。MS-dosの時代にもう『VZエディター』から『章子の書斎』になっていた。あのころはまだテグレット技術開発も有限会社だった。MS-dosはVersion3ぐらいだったか。
   

 Windowsの時代になり、愛用テキストエディターは『VZエディター』のWindows用後継ソフトである『WZエディター』になる。これ、名前も似ているし同じビレッジセンターの製品だけど、開発者ウンヌンはまったく無関係らしい。あのころのWindowsはMS-dosモードでも起動でき、そこで使い慣れた『章子の書斎』を使うという手もあったが、新しいもの好きなので、早速『WZエディター』を買ってきて、すぐにこれに親しんでいった。

 フリーソフトのすぐれたエディターがいくつもある今の時代では、9800円の『WZエディター』(実際は値引きして6800円ぐらいか)でさえ高いと感じるが、当時はろくでもないワープロソフトが何万円もする中、なんて良心的な商売をしてくれるんだと、この値段設定に感激したものだった。

 下がその『WZエディター』の画面。ずいぶんとこれで文章を書いた。いくつものVersionを買った。わすれられないソフトウェアである。

   

 というところで、どうにもやはりこれらのことを書いた記憶があるので探したら、過去の「掲示板Mone's World」の「パソコン壊れ事情」にそれなりのことが書いてあるとわかった。よってそれをファイル化して、ここではそのへんの事情説明を省く。

「パソコン壊れ事情」


 その他、旅行日記等にあった『QXエディター』に関する文章の抜粋。

 その1
 好き勝手に書き綴って来た「タイ遊覧97-2」も、いよいよ最後になった。枚数を『QXエディター』で調べてみる。『WZエディター』一辺倒になり、もう他のエディターはいらないかと思ったときに『QXエディター』と出会った。これが最高のテキストエディターで、これでもう『WZエディター』を使わなくなるかと思ったとき、『WZエディター』にも見出しの色を変えたり、見出し一覧の「アウトライン」という優れた機能があることにやっと気づいた。今回の使用率は、見出しが一望出来るだけに『WZエディター』の方が多いぐらいだった。

 さて原稿用紙換算枚数は「165枚」と出た。いつのまにか「タイ遊覧第一章」を越えていたことになる。まだタイのことを知らず間違いだらけでも、だからこそあちらの方が愛しい部分もあるのだが、今回の価値はメビウスのお蔭で同時進行だったということだろう。ダイナブックを買ったときも嬉しかった。はしゃいだ。だが肝腎の文章で満足できるだけの喜びを与えてくれたかとなると、それはまた違う。サブノートは小さすぎた。ダイナブックは悪くない。私の方にそれだけの知識がなかったということだ。メビウスに入れた『WZエディター』『QXエディター』、『AI将棋2』、『シネマガイド全洋画2』と共に本当に楽しい旅だった。(97/10/12/ 午前四時二十分記録)
「タイ遊覧」というのは「チェンマイ日記」の前身になります。91年から書いてあります。いつか読んでもらうこともあるでしょう。最後に時間が漢字で入っているのは、まだ『QXエディター』の日附挿入の便利さに気づいていないようです。

 その2
 『WZエディター』を操作していたら、いきなり文章とスペシャルランチが消えた。これは前にも一回やったことがある。文章に乗ってきて、コントロールキーとキーをダブル操作で素早くいじっていると、特殊なキー設定を間違って押してしまうらしく、ヘンな状況になってしまうのだ。そこから元の状態に復帰が出来ない。新たに『WZエディター』を起こそうとしてもダメだし、スペシャルランチをもう一度起動しようとすると、影も形も見えないのだが既に起動していると言う。結局再起動せねばならなかった。運良くこまめに記録しているのでほとんど文章は飛んでいなかったが、この問題は解決しないと。そのためにはキー操作の一覧があり、それを消しまくることでしか出来ない。以前のヴァージョンや『QXエディター』にはあるのだが、今のはどうしたらいいのか。(99/8/17)
 このころはランチャーソフトとしてスペシャルランチを使っていたようだ。忘れていたので新鮮だった。ここにあるスペシャルランチに感じたような不満を、今のDesktop-Spiceではいっさい感じたことがない。それで長年愛用していることになる。やはり長年使用しているものはすぐれているのだなと再確認した。
 ここにあるように、素早くブラインドタッチをしていると、時々とんでもないことになったりする。テキストエディターが標準としして設定してあるCTRL+キーを間違って押してしまうらしいのだ。よって新たな『QXエディター』では、それらの設定を削除する作業からまず始まる。ここで書いているのは、『WZエディター』ではそれができないという嘆きだ。今思うと、たぶん出来るんじゃないのか。ぼくが出来なかっただけで。それだけ『QXエディター』が使いやすかったことになる。

 
心からの感謝-Desktop-Spice

 その3
 久しぶりに『QXエディター』を使ったら、あれこれと便利な機能があり感心した。これでシェアウェアでたしか3000円もしなかったから相当のすぐれものである。『WZエディター』もいいけど、これもどんどん使ってみようと改めて思った。家にある、あの本に着いてきた奴のマクロを実行しないとちょっと不便なところがある。縦横の瞬時切り替えとか。
(00/5/17 16:10 記入)
 これは「雲南日記」から。2000年だから使い始めてもう3年以上経つのに未だに「改めて感心した」なんてやっている(笑)。それだけ『QXエディター』が奥の深いソフトであり、私がそれをわかっていないことの証明だ。だって未だにマクロがわかっていない(笑)。

 その4
 ところでこの文章を書いているK2エディターだが、とてもフリーソフトとは思えない素晴らしさで、こういう場合、無料で使わせてもらっているのだから、やはり礼状を出すべきだろう。帰ったらやろう。フリーなのに『WZエディター』や『QXエディター』と比較しても一歩も劣らない。すばらしいことだ。文章でエディターを使い分けるという贅沢なことをさせてもらって感謝している。それと、これを教えてくれたオンラインソフトのサイトにも感謝しないと。そういえばインターネットに関わっていなかった昔は、『QXエディター』付き本に代表されるように、CDに収録されたソフト集などを買って探していたものだった。(00/10/18 粮圓賓館 PM8:30)
 おお、これはK2エディターに関しての文。今では使わなくなってしまった。なつかしい。
 この当時は気分次第で使用していた。書く文章の分野や、その日の気分で使用するテキストエディターを切り替えるなんてことも、時が経てば落ち着いてくる。
 これも「雲南日記」から。この賓館には覚えがない。どこだろう。あれか、「チェンマイ日記-2K秋外伝」に出てくるムンハイの旅社か。


チェンマイ日記-2K秋外伝「深夜の訪問者」

 その5
 そのあと眠り、目が覚めて午前一時。それからホームページに「北陸反省記」やら「景洪インターネット事情」の「附記」やらを書いていたら、今は午前五時過ぎ。それらの文章は「知子の情報」で書いたが、それでも重くて動かなくなるのには呆れた。いったい『ホームページビルダー』とはなんなのだろう、なんであんなにパソコンを重くしてしまうのだろう。いまそれを終了して『QXエディター』で書いているが、この軽快さは抜群である。とにかくなにをするにも『ホームページビルダー』は起動してはおけない。あれがあると他のソフトまでおかしくなる。なんであんなに重いのか、不思議だ。(2002/10/17)
 これは昨年秋の「チェンマイ日記」。『QXエディター』の話というより『ホームページビルダー』への愚痴。2000年ぐらいまではあれこれとテキストエディターを使い分けたりしていたが、このころはもう『QXエディター』だけになっている。旅先での使用でただの一度も問題を起こさなかったという抜群の信頼からであろう。



 「パソコン壊れ事情」に、こんな文章があった。
《機械を使って書いたぼくの文章は、ワープロのシャープ書院時代、MS-DOS時代の「章子の書斎」時代、Windows時代の『WZエディター』『QXエディター』時代に分けられる。》
 厳密に言うと、二十七でライターになってから、ぼくの筆記用具は、

▼手書き時代
▼ワープロ(書院)時代
▼一太郎時代(MS-dos時代)
▼VZ&『章子の書斎』時代(MS-dos時代)
▼WZ&QX&「知子の情報」(Windows時代)になる。

 手書き時代は二年ぐらいだった。筆圧が異常に強く、たいした仕事もしていないのにいつも指を腫れ上がらせていた。ワープロが登場してくれなかったら物書きを断念していたかもしれない。ワープロ以前は当然のごとく小物マニアとして筆記具に凝っていた。鉛筆やシャープペン、消しゴムである。文房具はもともと大好きであったが。指に負担をかけないことで鉛筆に落ち着く。最後の頃は三菱UNIの4Bで書いていた。

「書院時代」は、今思うとなんとも低性能なワープロだったけれど、長年憧れていた夢の機械を手に入れて、うれしくてたまらない時代だった。へたくそなぼくの字が、きれいな活字になって印刷されてくるのだ。しかも指が痛くならない。あのときの感激は今も覚えている。

 「一太郎」はほとんど使っていない。その後もずっと購入しているがすべてATOK目当てだ。

 これらの筆記具ソフトウェアで、仕事上の相棒として、いちばんお金を稼がせてくれたのはどれだろう。「彰子」か「WZ」か「QX」なのだけれど収入的にはわからない。たとえばWZでは遊び文章は書いていない。いつも仕事用文章だった。かなり稼がせてもらった。一方「知子の情報」ではお金になる文章はひとつも書いていない。私的なことばかりだ。間違いなくこれは稼ぎ高ゼロである。「彰子」のころは景気がよかった。ぼくの人生でいちばん景気がよかった時代になる。だからこんがらがる。どれがそうかわからない。

 ただし、ハッキリ言えることがある。それは「いちばん文字を多く書いたのは『QXエディター』である」ということだ。
 旅先での日記や、このホームページを始めとするお金とは無関係の文章を、われながらすごい量、『QXエディター』で書いてきた。一度の旅行で400字詰め原稿用紙換算、最低でも千枚以上の日記を書く。出来不出来、その価値はともかく、とにかく量だけは(笑)いっぱい書いてきた。『QXエディター』が、ぼくにとって最もいとしい筆記具であることは間違いない。そして『QXエディター』は、いつでもどこでも軽快に動き、ぼくを不快にさせることがなかった。感謝感激雨霰である。(つまりそれは、『WZエディター』や『O’sEditer』では、そういう問題が生じたことがあるという意味になる。)



 本来ならこの文章は、「Alt Me」と並んで最も感謝するソフトウェアである『QXエディター』に、いかにして出会い、シェアウェアである『QXエディター』にどのように接したか、ちゃんとお金は払ったか、を書かねばならない。それは書く。それが筋道だ。

 でもそれはかつて書いたことなのである。覚えている。どこかにそれは今もあるはずなのだ。CD附き本を買ったのが始まりだった。それは書いた。それこそ今は使われることなく眠っているVAIOあたりのデータにあるはずという疑念を払拭できない。もう一度書いてもそれはまったく同じ文章になる。それでは書きたくない。探すだけ探してから結論を出したい。なかったら書く。それが『QXエディター』の作者である新井さんへの礼儀だ。

 テキストエディターは、ここに書いた以外にもずいぶんと使ってみた。インターネットでダウンロードできるフリーソフトのテキストエディターは一通りぜんぶ使用しているはずである。
 巨大掲示板2ちゃんねるの「パソコン版-ソフトウェア」の項目には、今でもいつでも「好きなテキストエディターはなに?」なんてスレッドがたっている。それだけ誰にも身近で不可欠のソフトなのだろう。それぞれが好みのテキストエディターを推薦して論争したりしている。

 縦書きの出来るあらたなテキストエディターが出たら、またダウンロードしてみるかもしれない。それでもまた『QXエディター』にもどるだろう。すっかりもう古女房であり、これなくして文章が書けなくなってしまった。
(03/4/17)



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