心から感謝を込めて
(愛用フリーソフトへの御礼)



 世の中にはすばらしくすぐれた便利なソフトウェアを開発し、それを無料で提供してくださっている神様のようなかたが大勢いらっしゃる。
 それはきっとMs-dos時代にもパソコン通信を利用したらいくつかは使用可能だったのだろう。私はパソコンに電話線を繋いだのはつい近年なのでオンラインソフトの至便さを知らないままで来てしまった。CD附き本を買ってその種のユーティリティを利用し始めたのはそれなりに古いが。

 それらのフリーソフトを提供してくださった方々には、今後もお会いすることはないだろうが、お会いすることがないからこそ、毎日これなくしてはすごせないというほどお世話になっている感謝を、自分なりのことばで示すべきとホームページを立ち上げたときから思っていた。

 遅まきながら今回やっと手をつけることが出来た。気に入るだけの内容に仕上がったら、作者のかたにメイルを書いて私の感謝の気持ちを読んで頂こうと思っている。



 それにしてもフリーソフトウェアを提供してくださる方々は、私のような矮小な俗物からすると佛様のような慈愛に満ちた人たちである。苦労してソフトウェアを開発し、それを無償で提供してくださり、しかも利用させていただくと、そこには「ダウンロードしていただきありがとうございました」なんて書いてあるのだ。思わず居住まいを正し、「こらちこそすいません、利用させていただきます」とパソコンの前で頭を下げたことが何度あるだろう。
 日本語として最近乱発されている「させていただきます」の使用法には不満がある。間違っている。それはまさにこんな時こそ使うべきことばであろう。「利用させていただきます。ありがとうございます」と。

 私だったら、シェアウェアにして一攫千金を狙ってしまう。実際そうして長者になった人もいるようだ。金を集めるのは裾野を広くするに限る。たとえひとり500円であれ、何万人ものユーザーを想定すれば多額になる。そうしようとするのが普通だろう。だからこそそれをしなかった人たちの心は美しい。感謝し敬愛している。
 すぐれたオンライン・フリーソフトは、パソコン文化、インターネット文化が生んだ最も芳醇な果実である。開発者の皆様の人生に幸多かれと心から願う。



 お世話になっているシェアウェアもいくつかある。わずかな金額などその便利さを堪能している身には安いものだ。また正規に購入した高価なソフトウェアで、これまた手放せないと感謝しているものもある。それらもここで取り上げるべきかどうかはまだ迷っている。
 まずは「無償の愛」である愛用フリーソフトに感謝の心を伝えてから考えよう。かなりの数なので完成するまではだいぶかかりそうだ。
(03/4/18)



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