北陸ドライヴ旅行2002夏
接続反省記

(←こういう予定だったんだけどねえ)

なんといって反省せねばならないのは旅先から日々のアップが出来なかったことである。そのために必要なグレーの公衆電話(通称グレ電と言うそうな)が出先に思ったほどなかったという言いわけはある。だけども今までのインターネット接続に関する携帯電話の個人的事情を考えると、なんともなさけないものも感じる。以前のような環境にいればグレ電などに頼らずにも済んだのだ。
 以下、個人的事情を並べ立てた弁明わけである。



ケイタイを買った頃


大嫌いな携帯電話を必要に迫られて買って何年になるのか。八、九年になるのだろうか、いやもっと前か、覚えていない、1991年ぐらいから使っている。その便利さには感謝しているが一貫して好きではない。今後も好きになることはないだろう。(後日註・私が携帯電話を購入したのは東京デジタルフォンからだから、これの設立が1995年、それ以降になる。1991年に使ってはいない。ひどい勘違いもあるものだ。赤面、反省。)

 その理由を考えてみると、「ケイタイを使っている状況が美しくないから」だと思う。どうにもケイタイで話している風景というものを、当初からずっとかっこいいとは思えないのである。道で、喫茶店で、電車の中で、クルマの中で、いつどこで見ても、ケイタイを使ってる風景というのは、美しいものではない。だからいつもこそこそと恥ずかしそうに使ってきた。それが基本になる。

 どこでもいつでも「これみよがし」という人はいる。見るほどにイヤになる。どうやら私は、タバコ呑みのマナーの悪さを見てタバコを止めたように、ケイタイ使いのみっともなさを見て、ケイタイ嫌いになってしまったようだ。

 タバコ呑み時代の私は、けっして褒められたマナーではなかった。歩行喫煙をしたこともあるし、とにかくあれはだって、薬物中毒だからね。麻薬中毒に行儀のいい悪いなんてあるはずもない。
 でもケイタイ使いの私は、とてもマナーがいいはずである。なぜならタバコを喫っている頃はタバコ呑みの醜さを知らずに喫っていたが、ケイタイ使用者としてはケイタイ使いのみっともなさを知っていて、あえて使用者となったからである。

 不況の中でもとどまることなく伸びる数少ない商品であるこれをもっと伸ばそうと、メイカーは「ケイタイのある風景、劇的な瞬間」というようなのを売れっ子若手役者を起用したりして懸命にアピールしている。あんなことをしなくてもケイタイを使うことをかっこいいと思う人はそのままだろうし、私のように反発を感じるものは今後も変らないだろう。

 そんな時代なのだからしかたないけれど、ケイタイを使用する状況というのが、古来の日本人的美意識から外れるのは確かである。そう「古来の日本人的美意識」からは間違いなく外れている。肝腎なのはそこだ。だから私は、中国人が、これみよがしにケイタイを体の目立つ部分に附け、人のいるところで大声で話す「おれは金持ちだ、ケイタイもってんぞお」感覚はとてもよく理解できるのである。なぜならそれは「中国人的美意識」だからである。日本人に関しても、ヤクザや成金がそれをやるのは理解できる。それが彼らのアイデンティティだからだ。だけど、たとえば素人の若い娘は、そんなことをしちゃいかんのだ。それがやってしまっている。ああ、こんな時代になったのか、やだやだやだ、というのが私のケイタイ嫌いの理屈になる。

 理屈を述べつつテメーがそれをやっていたら矛盾だが、私は電車に乗るときはもちろん電源を切り、ひたすらおとなしくマナーを守っている。ことケイタイのマナーに関する限り自慢できる。ただこういう自慢できるマナーというのは、好きでしょうがない人が克己心でそうしていると自慢できるのだろう。私の場合は心底嫌いだからね、自慢にはならないのか。

 しかしまあ今日も、前を走っているクルマで、運転しながら話している女を見かけた。反応がいちいち鈍い。あれはもっときっちり法律で禁止しないとだめだな。あぶなくてたまらない。

ケイタイに関して覚えているのは、もう何年前になるのか、今回と同じように自分のクルマで北海道を走ったとき、それが何の役にも立たなかったということだ。私の愛機は当時も今もJ-Phoneである。その頃のJ-Phoneは札幌ですら接続があやうかった。苫小牧でフェリーを降りたときからもう電波の届かない地域になっていて、あってなきがごとしの状態だった。毎日緑電話から東京の留守電をチェックしたことを覚えている。まあそれは覚悟していたことだからそれほどの問題ではなかった。そう、使えると思っていると失望も激しいが、当時は通じる地域が全国地図に色塗りで示されていて、北海道はもうほとんどダメとわかっていたからそれほど気にもならなかった。

 なにしろ買うときですら東京から百キロ圏内にあるのに私の田舎はちょうど接続可能な地域と地域の真ん中であるグレーゾーンに入っていた。今じゃ信じがたいが当時はそんなものだったのである。その頃から大嫌いだったケイタイを買うと決断したのは、東京の住まいの留守番電話にその番号を吹き込み、仕事関係の人にそちらに掛け直してもらうという、アジア巡りが病膏肓に入ることにより激減しつつあった仕事をこれ以上落ち込ませたくないという切実な必要に迫られてのものだった。いつ掛けても留守番電話で、メッセージを吹き込んでおいても、外国に行ったまま一ヶ月以上掛かってこないということから、仕事の注文は全盛時の十分の一になっていた。私は昔も今も武士は食わねど高楊枝の典型だから、十来た仕事のひとつしか受けなかった。その代わり、人生意気に感ずなので気に入った仕事なら金はどうでも良かった。百来た仕事から十を選んでしていた。十分に売れっ子だった。頻繁にタイに行っている間に仕事が激減した。十しか来ない内からひとつしか受けなかったらひとつしか仕事はない。月収百万が十万になる。あらら、いつのまにかむかしとおなじビンボ。こうして考えてみると、間違いなく私もタイにはまって人生を狂わした一人のようである。んなこたともかく。

 そういう理由でのケイタイ購入だったから、あまり受信地域の広くないJ-Phoneを買うことはそれだけでもう冒険だった。秋葉原で買うとき、私の田舎でも受信できるだろうかという質問に、店員が困ったような笑みを浮かべたことを覚えている。一歩間違えば使えない携帯電話を購入するところだった。運良く受信でき、やがて日進月歩の勢いで受信地域が増えていったから無用の心配となったが。

 そんな切実な状況でなぜ安全なNTTではなくJ-Phoneを選んだかといえば、生来のナンバーワン嫌いが理由で、私は私なりにこの新しい会社を横暴を極めるNTTよりも応援したいと思っていたのだ。愚かである。もしも通じなかったらどうなっていただろう。値段は五万円ぐらいだったか。がこの一番嫌いの二番手応援は、今までの人生で一貫している。私なりの美学と言えなくもない。言えないか(笑)。

 そんなわけで、自分のクルマで日本のどこかを十日以上走り回るという経験は、たしか三度目なのだが、身近にケイタイがあったということでは今回が実質的に初めてになる。

2021年註・私が初めて携帯電話を買ったのはJ-Phoneである。NTTが嫌いなので民間会社から発売されるのを待ちかねていた。これの発売が1997年2月だというから「買って八、九年になるのだろうか」はまちがい。この文章は2002年のものだからまだ5年でしかない。「1991年ぐらいから使っている」はとんでもない勘違い。バカというか呆けというか信じがたい。それと「必要に迫られて買って」も明らかなウソ。必要などなかった。ただあたらしいオモチャが欲しくて買っただけ。こんなことを書いていた自分が信じられない。



PC接続カードってのを

インターネットというものを始めたのはいつからなのだろう。これもよく覚えていない。最初は当然電子メイルだった。その当時でもう初めてパソコンを買ってから二十年を経過していたのに頑なに電話線を拒んでいた。

 毎度言うことだが私のパソコン歴はパソコン通信から始めた人とはまったく違っている。歴史が違えばそこにまつわる内容も自然に異なる。私はネットに関しては初心者だが機械としてのパソコンいじりに関してはそれなりの知識を持っている。これはまた逆にネットに関しては詳しいのに初歩的な機械的知識のないパソ通から来たパソコンヴェテランもいるということである。いわばパソ通から始まった人は文系であり私などは理系に属する。自民党と共産党とも言え(この比喩の場合、どっちがどっちでもかまわない)同じようでいてかなり違っている。そのことをネット関係で知り合う人が増えれば増えるほどに痛感する。

 きっかけはチェンマイでの知り合いになるHだった。電子メイルを始めた彼がしつこく私に勧めるのだ。私はけっこう激しく拒んでいた。というのは、Hというのはチェンマイに来る旅行者の女のナンパを生き甲斐としていた人で、日本人外人やりまくりだった。その手法としてあったのが電子メイルで、生真面目な私(?)には、それがとても汚れたものに見えたのである。
 この頃同じく『サクラ』で知り合ったのが現在チェンマイ在住の立崎さんで、私たち三人は同じ機種の東芝Dynabookを使っていた。ダイナブック仲間だった。Hにしつこく進められながらも、私は頑なに電子メイルの使用を拒んでいたことを覚えている。自分の聖なるバソコンに俗的な電話線を繋ぐというのは、私にとって三十代半ばで初めて経験した買春と同じぐらい度胸のいる行為だった。今じゃ笑い話だが(どっちが?)。

 電子メイルというものを知り、始めたなら、その楽しさにエスカレートして行く。これは誰でもそうであろう。新しいコミュニケーションの世界を知ったのだ。ここでまた関わりの差が出る。私が文系と言った普通の人、大多数の人々にとって、メイルに凝るということは、より多くのメイルフレンドを作ろうとすることだろう。ところが私の場合は、「より接続方法に凝る」という方向に走るのである。

 私は数えるほどのメイル友達しかいず、仕事関係ではまったくまだ作用していなかった電子メイルなのに、早くもPCカードでケイタイに接続する機器を買ってきた。二万円弱だったか。クルマにノートパソコンを積み込み、海岸まで出かけて接続してみたり、東京に向かう電車の中で接続してみたりした。PCカードに接続したケイタイからメイルがチェックできる状況というのは未来的サイバーちっくな状況だったが、届くメイルの数すらほとんどなく二日にいっぺんもチェックすればいい当時の状況で、これが何の役にも立たなかったことは言うまでもない。努力の方向がすこしズレているのである。これもまた生来のものだ。
 思えばこの当時は今接続している隣町の接続箇所などあるはずもなく、遠くの市まで毎晩掛けていたのだった。電話代もけっこうかかっていた。今でもまだ自分の町ではなく隣町なのだが、これは十円区域である。

 それから後藤さんのホームページに連載したりするようになる。頻繁に掲示板に書き込んだり、やがて自分の掲示板で連載を始めたりするようになる。さすがにこれぐらいは覚えている。後藤さんのところが98年の暮れぐらいから、自分の掲示板が2000年の夏からか。メイル友達も順調に増えていった。

 ところがそうしてやっとPCカードで接続するケイタイ電話にも正規の活躍場所が出来たような状態で、私はケイタイで接続する無意味を悟り、放り投げてしまうのである。なんかやっていることがチグハグだが状況に学び成長したとも言える。目新しいものに飛びつき、その効果を知って、「これを自分は必要としていない」と判断したのである。そう、毎日複数回メイルチェックせねばならないほど忙しい人もそうはいないのだ。メイル送稿が極めて便利で手軽であるということを除けば、まだまだ電子メイルなどなくても生活できるのである。当たり前だ。そんなものに関係なくつつがなく暮らしている人はいっぱいいる。

 私は電車の中でケイタイ電話によるメイルをせっせと送り続けている若者を見ると苦笑してしまう。彼らにあんなに頻繁に連絡を取り合う必要などあるはずもない。あれは工作で糸電話を作った子供がうれしくてはしゃいでいるのと同じだ。それはかつて電車の中でPCカードにケイタイを接続し、用もない友人に「いま電車の中で書いています」なんてメイルを打って満足していた自分に重なる。
 ということでせっかく買ったケイタイ接続用PCカードは、山と積まれた使わないソフトウェアと一緒に押入の中にしまわれていったのだった。

 今回、能登半島のどこにいても東京からの電話や雲南からの電話を明瞭にキャッチしケイタイの感度の良さに隔世の感を味わったのだが、今頃になって、「あのケイタイ電話とPCカード接続をいまここでやれば、毎日確実にアップできたんだな」と、コンビニの前にある緑電話(端子がなく接続は出来ない)を見ながら思った。なんかズレている。毎度のことだが。

 あのPCカードはどこにいったのだろう。たぶんドライバーがWin98用だろうがそれを更新すれば今も使えるはずである。探してみようか。しかし、今回のようにそれを必要とする旅行などしばらくないことも確かなのだ。やはりズレている。後の祭りばかり。

PHSのH'"というのを
早すぎたケイタイ接続用PCカード購入の失敗から学び、その後は今に至るのかというとそうでもない。タイミングのズレた愚行は終らない。

 それからしばらくして今度はPHS用のカードを買った。これはたしかH"(エッジ)というような名前ではなかったか。最新のノートパソコンにはこれが最初から附いている機種がある。私がこれを見たのはキャンペーン中の(つまり出てきたばかりの)時だった。そうそう場所も覚えている、秋葉原のT-zone本店だった。たいして役に立たなかったケイタイ接続用PCカードから足を洗ったばかりなのに、いかにも便利ですとのアピールを聞くとまたも新しい物好きの気持ちが動く。

 それまで私はPHSというのを使ったことがなかった。本来都会専用のものであり、すでに外国巡りと田舎暮らしの交互生活だったし、より受信範囲の広いケイタイがあったのだからなくて当然だった。それでもPHSの接続範囲が広がったと聞くと欲しくなる。もうひとつ惹かれた理由として、これには電話機がないのだった。カード自体が電話機なのである。パソコンにいつでも電話機が附いている状態なのだ。ケイタイのように接続しなくても、いきなりパソコンから電話が出来る。いまのモバイル機じゃ常識だが、ほんの数年前、これは画期的なことだった。

 どうせまた宝の持ち腐れになるから止めておけと囁く内心の常識人を、いや今度こそきちんと使用するからと説得して購入した。値段は12800円ぐらいだった。使用料のほうは正確に覚えている。キャンペーン割引特別価格で月2980円である。この中に毎月一時間の使用料が含まれている。毎月一時間以内の使用にすればそれ以上の金はかからない。いいではないかと自分に言い聞かせた。本来は月3800円ぐらいなのだが、その場で一年間の契約をするとその値段になる。もちろんした。

 新しいモノを手にすると鼻歌気分だ。セットして即座に愕然とする。私の田舎では受信できなかった。それでも三十分も走り(笑)、鹿島神宮の辺りまで行くと受信できる。毎日走った。これを使ってみるために。
 そんな不自然がいつまでも続くはずがない。だって家にはまともなインターネット接続があるのだ。無理をしてそんなことをする意味がない。よって最初の一ヶ月は一時間ちょい使ったが、二ヶ月目から一時間弱、三ヶ月目からまったく使わなくなって、それでも当然のごとく2980円を払い続けた。

 問題はここにおける私の半端な姿勢である。どうすればよかったか。
 まず、一年間の契約をしてしまい、毎月2980円を取られるのだから、そういう通信に慣れるために「意地でも一年間、無料の一時間通信をやり続ける」という方法がある。セコいが理に適ってはいる。田舎の家からやろうしたら、通じる範囲まで走らねばならなくて面倒だが、常磐線の中ではいつでも通じたし、東京にいるときはもちろん問題ない。以前よりメイルの重要性も増していたから使い道はいくらでもあった。しかし私はもうこの機器に飽きてしまっていた。それと、メイルチェックなんてのは何も急いでしなくても、家に帰ったとき、深夜にやれば十分とも悟っていた。真に急用なら電話がかかってくる。電車の中は以前と同じようにスポーツ紙と週刊誌の時間となった。使うこともなく毎月引き落とされる契約だけが続いて行く。

 次に、「だったらすぐやめる」という選択がある。この月々の金額は一年間の契約でのものだったから、二、三ヶ月で契約解除したら罰金(?)が取られた。それにしたって数千円だ。今後使いもしないものに毎月2980円ずつ払い続けるなら止めればよかったのである。でも優柔不断だから、そのうちまた役に立つときが来るかも、などと考え、使いもしないままだらだらと契約を続行した。バカである。

 そしてもうひとつの選択が、「契約し続ける」である。今回の北陸旅行のように、いつか役立つときが来る。そのときのために、「どうせここまで来たなら」と契約し続けるのだ。もしも今回これの契約を続行していたら、私はその便利さを実感しただろう。が、が、が、間の悪い最悪男は、一年と数ヶ月経った頃──つまり十ヶ月以上全く使わず金を払い続けた後──不経済だなあなどと考え、この契約を切ったのだった。どうしようもない間の悪さだ。馬券で言うと、堅いときに大穴を狙い、大荒れの時に本命を買うちぐはぐさに似ている。いつも本命馬券なら、いつも大穴馬券なら、半分は当たっているのに、外れるよう外れるように動いているのだ。それがこんなことの契約にも出ている。どうしようもない性格だ。書いていて落ち込んでくる。でもまあしょうがない。そういう性格なのである。自分に愛想を尽かすわけには行かない。叱咤激励しつつつきあってゆくしかない。
 というわけで、使いもしないのに一年以上も金を払い続け、今回のようにやっと役立つときが来たとき、私にはケイタイ接続も、エッジも、なにもないのだった。

後日註・写真を入れるのにインターネットで検索していたら、私の買ったH"というのがDDIポケットの製品であることがわかった。そうだった、たしかにDDIの製品だった。だから込み込みの値段でどうのこうのだったのである。ということからすると、上記のPHSウンヌンは最初から話が間違っているのかもしれない。いや、DDIでもPHSでいいんですか? 通話地域がケイタイより狭くて苦労したのも間違いない。まあそれぐらい電話関係は疎い。それでも使えもしない製品を買っては失敗していたという粗筋に違いはないので見逃してください。)

一時首都圏ではかなり急速に普及した通信の出来るグレ電だが、地方都市ではまず見かけることがなかった。それは理解できる。現在、公衆電話は急速に減りつつある。このごろ緑電話を撤去してしまうコンビニも増えてきた。一方インターネットは普及を続けている。なのにグレ電は見かけないというのは、実用使用がないということなのだろう。たしかに私は今までに何度もグレ電にノートを繋いで掛けたことがあるのだが、同じ事をしている人をまだ見たことがない。街角の公衆電話にパソコンを繋ぐというのはかなり奇異な行為なのだろう。

 そしてそれを通り越して、一気に「電話機附きパソコン」の時代だ。新発売のノートにはエッジが附いているものも多いようだから、これからはパソコンから発信する時代なのだろう。FMVの小型ノートははそれを売りにしていた。私はFMVは絶対に買いませんが(笑)。

 グレ電は消えて行く運命にあるのかもしれない。いやこれからの公衆電話の主役はタバコ呑みにも焼けこげを附けられにくい鉄製部品の多いグレ電であるのは間違いないのだが(成田空港なんてグレ電ばかりです)せっかくの通信機能はあまり役立てられることはないのだろう。それでも東京ではいたるところにあるので、地方都市にもそれを期待したのが無理だったようだ。

 私が「毎日アップする」と言っておきながら有限不実行になったのはグレ電がなかったことが大きな理由だが、それ以上に、ここに書いたように、「以前のあれをもっていれば簡単だったのに」という、自分の愚かさに対する幻滅が大きかったからである。落胆してやる気がなくなってしまったのだ。

 昨日、大型家電店で改めて「ケイタイとの接続機器」を見てきた。一段と安くなり、さらにはUSB接続が主流となって5000円以下の製品もいくつもあった。抜き差し自由のUSB接続であるからPCカードよりも益々便利になったことになる。しかも値段が安い。凄い時代である。

 さすがに旅行から帰ってきたばかりであり、すぐに使う用途もないので買いはしなかったが、また今回のような機会があったら、必ずこれを持参して、今度こそ約束通り毎日アップをしたいと思う。

ナビ反省記

今回、「あぁ、カーナビがあったらなあ……」と何度も思った。土浦での迷いも松本市での迷走も、カーナビさえあったら無縁のものだったのである。

 カーナビはあった。パソコン用ソフトなのだが。
 だが使えない状態にあった。あれを使えるようにして行くべきだったのではないか……。旅行から帰ってきて今、しみじみ後悔している。バッテリーを買い、VAIOを使うべきだったと。

 新しい物好きである。よってカーナビなんてのは市販される前、夢の機械と言われた時代から興味を持っていた。しかし私の根本はPragmatistである。シンガポールでは四人乗り以上の大型乗用車にひとりで乗っていると罰金になる。不評きわまりないが私にはその感覚がわかる。環境に合わせて無駄は省くべきだ。カーナビとは、基本として高級車のものであるし、假に普及車に取りつけるとしても、日常的にそれを必要とする人が使うべきものである。東京と田舎の二重生活の必需品として、家とJRの駅を往復するために購入した軽自動車にカーナビを搭載することには意味がない。二重に意味がない。どう考えても理屈が合わない。そんな身分違いを「かっこわるい」と私は感じ、そう感じたことをする気にはなれないのである。といってツッパリアンチャンたちが必死になって排気量のでかいクルマを使用する感覚はわかる。ヤクザや芸能人がベンツに乗るのもわかる。それはそれで必要であり彼らのアイデンティテイだからである。私だってなにもかも実用主義一点張りというわけではない。私のDualCpuパソコンなど近所のたばこ屋にキャデラックで出かけるようなナンセンスの産物である。プラグマティストではあるが、意味あるツッパリはわかるのである。自分の用途と背丈にあった軽を愛用する私に、カーナビを装着することはどう考えても無意味でありかっこわるいことなのだった。

 それでもやってみたい。買っちまおうか。目をつぶっても走れる決まり切った田舎道を走るだけの軽自動車に十数万のカーナビをくっつけちまおうかという欲求が我慢できないほど高じていた頃、タイミング良く登場したのが「パソコン使用のカーナビ」だった。迷わず購入した。五万円ぐらいだったか。SONYの製品だった。あのちっこいVAIOをカーナビとしても活用するために開発されたアイディア商品なのだ。VAIOがなければ始まらない。パッケージは、カーナビ用ソフトウェアと、CDに入っている全国地図、それにクルマの屋根に置くGPSアンテナだった。このGPSアンテナの磁石がものすごく強力で、フロッピーなど近くに置いたら一発で記録が飛んでしまうからかなり気を遣ったものだった。というわけで山と積まれている使わないソフトウェアの押入からパッケージを探してきた。

 いま、裏の値段を見てみると59800円となっている。買ったのはいつだったろう、さだかではないのだが、確かなことがある。それは「OSがWin98だった」ということだ。このソフトに関する思い出も使わなくなった理由も、今回のナビ反省記もすべてこのWin98に由来する。ということはこれを買ったときはまだWin2kが発売になっていなかったということか。いや発売になったばかりだったが私がまだ購入していなかったということか。

 ともあれ浮き浮き気分でインストールし、早速町に出た。クルマのフロント部分左手にマジックテープでVAIOを取りつけた。小さな小さなノートパソコンのVAIOだが、カーナビの表示画面としてはとしては大型になる。かっこいい。

 40分ほど走っていつも行く本屋に目的地を設定してみる。目をつぶっても行ける場所だが、なにはともあれ初めてのカーナビ体験である。百メートル先を右折だの左折だの女声で教えてもらえるのは、なんともうれしかったものだ。意味もなく目的地を設定してけっこう走ったりした。なにしろ知っているところばかりなので、せっかく買ったこのカーナビなのに、見知らぬ場所を案内してもらうという本来の活用はまったくなかったのだった。もちろんそんなことはどうでもいい。私は宇宙にある衛星三個から現在位置を割り出し、道案内してくれるという、私が子供の頃だったら間違いなく想像上の夢の機械であるこれを、実際に使用して大感激していた。

 意味もなく東京までクルマで行ったりした。カーナビを使用するために、電車で行けばいいのにあえてクルマで行ったのだ。便利だった。都内を走るとき、カーナビは、その存在価値を発揮した。まさしく夢の機会だった。

 一度だけ北海道取材に持っていったことがある。やっと本来のカーナビとして活躍してくれるかとわくわくしていた。まあ北海道とはいえかつて知ったる道だから迷うというほどのことはない。それでも知りすぎているいつもの田舎道とは違う。やっと活躍の場が与えられるかとカーナビも張り切っているようだった。VAIOを持参し、活躍させるぞと意気込んでいた。が、が、が、千歳空港でレンタカーを借りると、それにはもうカーナビが附いているのだった。カローラである。レンタカーのカローラにさえカーナビが附く時代になりつつあった。カメラマンがカーナビを利用しつつ運転する横で、私はVAIOのカーナビを見ているという、豪華なカーナビ競演が実現したのだった(笑)。一台のクルマにカーナビはひとつで十分のようだった。

 そして、思い出すのも忌まわしいWin98の不具合である。ここのところ他人様のパソコンを見る機会がけっこうあったのだが、まだまだ世間は98らしい。業務的にメイルを打ったり、エクセルを使ったりする場合、あれで十分なのだろう。私はもう見るのもイヤなぐらい嫌っているのだが、あまり悪口は言わないほうがいいようだ。とはいえも2kの快適さを知ってしまったら、あの98系の「リソースが足りなくなりました」はやっていられない。2kを購入してから、デスクトップもノートもすべてOSはWin2kに統一した。同じパソコンとは思えないぐらい快適になった。なにしろ一日三回ぐらいフリーズしていたのが一ヶ月に一度もしなくなったのだ。ものがちがう。

 そのとき唯一迷ったのがこれだった。このカーナビソフトは2kに対応していなかったのだ。今でこそ多くのソフトウェアが2k対応であり、対応していないのを探すのが難しいぐらいだが、当時あくまでも専門家向けOSであるNT系の2kには対応していないソフトウェアが多かった。それは覚悟していたし、テキストエディターのようなシンプルなソフトは無関係だったから、すべてすっきり割り切っていた。唯一このカーナビだけには後ろ髪を引かれる思いだった。Win98と2kの同居も考えたのだが、カーナビに対する愛情よりも98を嫌う気持ちのほうが強かった。最愛の2kと巡り会ったのに、顔も見たくない98をカーナビのためだけにインストールしておくという不自然さに我慢がならなかった。もしもカーナビが毎日活躍していたなら話はまた違ったろう。走り慣れた道ばかりなので活躍の場はほとんどない。いわば趣味のものである。実用ではない。それで、決断した。VAIOに2kを入れることにより、カーナビは不要となったソフトが山積みされている押し入れ行きとなった。

さてここからやっとカーナビに関する反省記である。
 その後だいぶ経ってから、2k用のアップデートキットが売り出された。6000円ぐらいだった。これを使うと2k対応になるらしい。買うべきだったと思う。たった6000円でゴミとなっている59800円のソフトウェアがよみがえるのだから。これが反省の一。

 なんとなく面倒でしなかった。それはやはりカーナビを使用する環境にいなかったからだろう。これを買えばまたカーナビが使えるようになるなと思った。が、いったいどこで使うんだとなる。目をつぶっても行ける土浦や水戸にカーナビを設定して出かけてもしょうがあるまい。実用ではなく、おもちゃとして楽しむカーナビに飽きていたとも言える。
 そうしてノートの主役がVAIOからThinkPadに移る。これはもうクルマのフロントにマジックテープで留めるほど小型のパソコンではないから、カーナビ・ソフトウェアは、遠い記憶となっていったのだった。

 今回北陸ドライブ旅行に出かけるに当たりカーナビの復活を考えた。是非とも旅の相棒に欲しかった。しかしこれには別の大きな障害が生じてしまっていた。今年の春ぐらいにVAIOのバッテリーがいかれてしまったのだ。リチウムイオンバッテリーはだいたい二年でダメになる。ただしそれは私のように附けっぱなしにしているからで、普段は外すようにしているとぐんと寿命は延びるらしい。とにかくVAIOのそれはダメになってしまった。購入したときの附属品と、もうひとつ大型のを購入して交互に使っていたからだいぶ持ったほうだろうが、両方同時に使えなくなってしまった。純正品だから25000円する。いちどラオックスまで行き、買う直前まで行った。春先の、自作パソコン作りに凝っている頃だ。かなり迷った末、今後ほとんど使うことのないVAIOに投資するより、これからメインマシンとなって活躍してくれるDualCpuのほうに金を使うべきと判断して断念した。これが反省の二になる。あれは絶対に25000円投資して買うべきだった。

 このことによって、それまでサブのノートとしてそれなりに活躍していたVAIOは、滅多に触ることのない過去の遺物となってしまった。タイ、中国、オーストラリア、ヨーロッパ、ずいぶんと一緒に世界を駆け回った忘れられない相棒だったが……。

 見知らぬ群馬、長野、岐阜、富山、石川を走るのだから、カーナビが欲しかった。だがそのためには、VAIOのバッテリーと2k用のアップデートキットを買わねばならない。ぎりぎりでどっちが必要かといわれたらアップデートキットになる。バッテリーがないから、クルマからの電源で起動したVAIOは、エンジンをとめるとシャットダウンしてしまう。でも最低でも二時間は走り続けるのだから、たいした問題ではない。もしも二つの反省から最悪を選ぶとしたら、6000円を惜しんでアップデートキットを買っておかなかったことになる。

 今も思う。松本市で迷ったとき、あるいは夜、小諸や上田の辺りを、ひとりで走っているとき、カーナビーのあの「ピンポーン」というチャイムの後、「あと二百メートル先の信号を左折です」という声があったなら、どれほど心強かったことだろう。なんとも悔やまれる。

 これから冬になる。おんぼろ軽じゃ近々遠出することもあるまいが(北海道まで行く予定があるのだが自分の軽で行くのは自重しよう)、次の機会のためにVAIOとカーナビは復活させるつもりでいる。一緒に世界を走り回ったVAIOが、カーナビ専用機としてでも身近にいてくれることは、アニミズム感覚でパソコンを愛している私には、けっこううれしいことになる。



音楽反省記

 今回の旅行、一切の音楽なしだった。そういう状況になってしまったから、おもしろいからやってみようとなったのだが、これは我ながらすごいことだった。というのは、ぼくにとって旅とは「見知らぬ景色の中で好きな音楽を聴くことだったから」である。いわば旅と音楽は不可分の関係だった。音楽無しの旅は初体験だった。




きっかけというのもヘンだが、しばらく前からカーステレオの調子が悪くなっていた。たぶんヘッドが汚れているのだろう。再生は出来るが音質がおかしい。クリーニングテープを回してみたが治らない。ほっておいた。変れば変るものである。ずっと前、同じようにカーステレオが壊れて、直しに行く時間も金もなかったとき、ぼくはラジカセを積んで音楽を聴いた。音楽を聴けないクルマはクルマではないと思っていた。それが今じゃ修理にも行かない。もうすぐクルマを買い換えるが、その時はCDだかMDだかが附いてくるだろう。そうなったらなったで楽しみにMDを持ち込んで聴くなんてことをするのは間違いないのだが、ないならないでいいやというのが最近の姿勢になる。この反省記でも書いているが、軽自動車に豪華な音楽システムを積むというようなことは元々好きではない。分相応が好みだ。

 すっかり田舎暮らしが身につき、花鳥風月がいちばんの趣味になってしまった。積極的に音楽を聴くことはない。それなりに気が向いたときは今でも聴くし、本棚に整理されたCDや段ボール箱にぶっこまれているカセットテープの山、あるいはハードディスクに収納された假想CD-ROMとしてのアルバム数は、ジャンル的にも数的にも普通の人よりは遙かに多いだろうが、生活の中に音楽があるという意味では田舎の高校生ほども聞かなくなっている。音楽がないといられないと言うわけでもない。

ぼくはこの「ないといられない」ということにかなりこだわっている。タバコを止めたのも、「タバコがないといられない」自分が不愉快だったからだ。完全な中毒状態でタバコに依存していた。ぼくがタバコを喫ってやっているのである。主役はぼくだ。タバコがないといられない、生きられない、タバコに隷属しているなんて不愉快だった。だから止めてやった。縁を切ってやった。ざまあみろって感じだ。競馬の仕事をしていたとき、「競馬がないと生きてられないよ」と言った奴をバッカじゃないのと思った。好きであることとないと生きてられないなんて感覚は別物である。あんなものあろうとなかろうとどうでもいい。もちろんそいつだって競馬がなくなってもしっかり生きて行くのは間違いないが、生きる美学としてそんな言いかたはしたくない。

 同様の意味で「音楽がないと運転できない」という自分のあり方に不満があった。それがここのところのカーステレオの不調で音楽を聴かない日々が続いていたから、こりゃなくても大丈夫なのではないかと、思い切って「音楽のない旅」に挑むことにしたのである。挑むってのも大げさだが、ぼくのクルマは、後部座席に約一千本のカセットテープが積まれていて、どんなジャンルの音楽でも語学学習でもすぐに出来るようになっている。まるでカセットテープの販売員のような様相を呈している。
 その姿勢をずっと保ってきたから、出発前、それを降ろすときは、果たしてこれなしでやって行けるのだろうかと不安を感じたのである。まあやって行けるも行けないも再生する機械の調子が悪いのだから、使えないソフトを積んでいてもしょうがない。そういうわけでぼくは、初めて音楽のないドライブ旅行に旅立ったのだった。



結果として大失敗だった。そりゃそうに決まっている。いくら最近の日常で音楽無しの運転をしているとはいえ、ぼくが田舎でクルマを運転するとき、片道一時間以上の行程はない。行く先は市街のパソコンショップであり、CD屋を兼ねた本屋だから、着いたらそこにはもう音楽が溢れている。部屋に帰ったら、音楽を流しながらパソコンで作業したり、好きな映画を観たりしていた。クルマでは音楽は聴かなくなっていたが音の溢れている世界に生きていたのである。聴かない時間は一時間程度だったのだ。それが丸一日中運転するのに、いきなり音のない世界に行ったのだからどうなるかは明白だ。

 初日、昼前に家を出たぼくは、群馬にさしかかる辺りで早速に音が欲しくなった。しかしラジオしかない。しかも山岳部で入りが悪い。なんとか受信できたが普段ラジオのおしゃべりというのを聞き慣れていないから耳障りだ。すぐに消してしまった。でもまあこれなんかはまだよかった。明るい景色の中で、生活の雑音がBGMになっていたからだ。
 長野あたりに入るともうチューニングが違ってくる。自動でキャッチするような最新型ではないからラジオを聴くのすら手間がかかるようになった。よって聴かないことにする。それでもまあこれは出発初日でありたいした問題ではなかった。

長野県の夜の道を走るとき、「ジプシーキングが欲しいな」と思った。深夜の駐車場で假眠するとき、クルマの窓から星を見ながら「ジャンゴ・ラインハルトが聴きたい」と思った。能登半島の哀しい色の日本海に沿って走るとき(だいたいがこの日本海を哀しい色と思う発想は太平洋側の人間の思い上がりだと思うのだが、なんどみてもそう感じてしまうのだから仕方がない)、「最強のイーグルスはこの風景すらも膝下にするのか」と試してみたくなった。季節の終った海水浴場にいるとき、いきなりザ・ピーナッツが聴きたくなった。

 全般的に、昼は問題なかったように思う。夜のあまりの寂しさに、人の声が恋しくなったのだ。松本を走っているとき、ビリー・ホリディが聴きたくなったのは鮮烈だった。
 帰り道、群馬にさしかかったとき、ラジオのスイッチを入れた。それまでもふと思いつき同じ事をしていたが、波長が合っていなかったから入らない。それが入った。「ああ、関東に帰ってきたんだな」と思った。くだらないFM放送のおしゃべりが妙に愛しいものに思えた。
 音楽を聴けない状態で行ったことは当初の目論見とは違ってしまったが、それを経験したことは正解だったと、負け惜しみでなく思っている。

さて、ここまで書いてきて予定が変ってきた。これは「反省記」である。ぼくは旅に音楽を持って行かなかったこと、持って行くための精一杯の努力をしなかったことを反省しようと思って書き始めた。でもここまで書いてきたら、どう考えても今回の旅行は、音楽がないことによって学べたことのほうが大きいのではないかと思えてきた。音楽の聴けない状態でドライブ旅行したことは正解だった。では何を反省するかとなるのだが……。

 金沢にいるとき、Kのクルマに「CDウォークマンとカーステレオのカセット差し込み口を結ぶアダプター」を見た。ぼくも昔使っていた。KのクルマはEstimaである。高級車だ。それでも買ったときまだCDプレイヤーはオプションだったらしい。カーナビ等は附けたが、ファミリーカーとして買ったKは、音楽を聴く必要を感じず(実際早朝から深夜までの激務だったから聴いている暇もなかったろう)CDプレイヤーを附けなかったようだ。昨年から仕事が変わり、車中で音楽を聴く餘裕も出来てきたので、アダプターを附けたらしい。
 これを利用しようかとは、出発前、ぼくも一瞬考えた。でも、カセットステレオの音質が悪いのだから(ラジオは問題ない)、これをやっても無駄であろうとしなかった。しかしいま考えてみると、あのアダプターはカセットのヘッドは通さないのだから無関係のような気もする。やってみる価値はあった。


旅行が終り、家にもどってから大型家電店に行き買ってきたのが写真の電波アダプターである。これはCDプレイヤーやMDプレイヤーのイヤフォンジャックに差し込み、FMラジオで受信するというモノだった。やってみるとたちまちにしてCDもMDも聴けるようになった。値段はたった2700円である。Kのやっていたカセット式のアダプターも、ぼくが初めて買った十年前は8000円ぐらいしたのに、今では1700円で売っていた。あまりの安さにあきれ、感動した。

 ぼくにもうすこし考える気があったら、たった2700円の投資で、今回のドライブ旅行にも音楽が同行できた、高級車に乗っているKでさえアダプターを使ったりしている、もっともっと音楽を聴くために、事前に努力すべきだったのではないか、ということをぼくは反省として書こうとこの文章を始めた。
 でも書いている内に気が変ってしまった。どう考えても今回の旅行は、音楽がなくて正解だったのだ。「もしもあったら」と考えると、それは旅先の風景が、ずっと叙情豊かなものになっただろうけど、音楽のある旅は今までにもたくさん経験している。北陸まで走り、一切の音楽がなかったという今回の経験は、どんな音楽に溢れた旅よりも貴重な体験になったのではないか。今後も、日本であれ外国であれ、ぼくが音楽のまったくない旅をすることはありえないからだ。
 ということで、反省記ではあるが、ケイタイに関する素直な反省などとは違って、音楽を持って行かなかったことは、これでよかったのだという結論にした。
(日本の自宅で02/9/26に仕上げる予定が10/17日に中国景洪で書き上げる。)



「究極のウォークマン」
 
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