毒字感想文





 私は「トンデモ本」と呼ばれる一連のものが好きである。トンデモ本とは左の本の著者である「と学会」の会長・山本弘氏の命名であるらしい。いわゆる「UFO」「宇宙人」を始めとして、「ユダヤの陰謀」「古代史」「ノストラダムス関連」等をテーマにした本の類である。
 私はそれが好きなのだ。だって宇宙の生命体が地球だけと考えるよりは異星人の存在を考えたほうが楽しいし、キリストが殺されることなく日本にやってきて青森で生涯を終えた、よって青森には今もへぶらい村という地名がある、難を逃れた源義経がモンゴルに渡ってチンギスハンになったと、そう考えるのも楽しいではないか。

 一方でまた私は、それらを一笑にふして否定する一連の本もまた好きなのだ。「と学会」による著書はその否定する方である。
 写真は95年5月に出た「トンデモ本の世界-MONDO TONDEMO」が第一弾。これはいま廢刊となった雑誌「宝島30」の連載に補稿したもののようだ。ネットで調べたが写真がないので本をスキャンして作った。下のネットから集めてきたきれいな二冊の写真と比してそれほど遜色はないようなので安心した。
 以前この本は購入したが大整理のときに捨ててしまった。今回ついていたのはこの図書館の本が帯を切り取って奥表紙に貼ってあったこと。(つまりそれは図書館員がこの本の支持者であるということになるのだが……。)その帯に曰く。

《ハルマゲドンを笑い飛ばして、ベストセラー!
 トンデモ本とはなにか?
 UFO、超科学、超古代史、大予言、ユダヤの陰謀……。
 著者は衝撃の真実のつもりだが、はたから見れば大笑いのトンデモない本、
 のことである。》


 私は一連のこの「と学会」の本を読んできて、どこかに引っかかりを感じていたのだが、今回のこの第一冊目を田舎の図書館で見つけて読み返し、喉に引っかかっていたそれが何かを理解した。まことにもって「原点に返れ」は何事においても有効である。

 ついで写真の「トンデモ ノストラダムス本の世界」が出た。「宇宙人=UFO」と並んで「トンデモ本」の横綱であるノストラダムス関連の本を切り捨てたものになる。この二冊はもう絶版となり、今は宝島文庫に入っている。

 今年になって下の写真「トンデモ本の世界S」と「T」が二冊同時に出た。三年前の「トンデモ本の世界R」の続篇である。
 正規のシリーズとしては以上の五冊であり、私が読んだのもこの五冊になる。その他にも「トンデモ怪本録──僕はこんな奇妙な本を読んできた=唐沢俊一著」のような関連本が何冊かあるようだ。唐沢氏は「と学会」の会員。「トリビアの泉」は氏の博識をもとに小粋な深夜番組として始まり、今やゴールデンタイムでも高視聴率番組の常連となった。今も氏がアドバイザーとして番組にネタを提供しているのは有名である。

 私のこの種の物に対する基本的な考えは「Mr.マリック」に関して書いたことがすべてである。繰り返しになるが。

 超魔術と称してマリックがブームになり、日テレの特番が高視聴率を連発したころ、出る杭は打たれるのたとえ通り、マリック叩きの本が連続した。それは彼のやっているのは超能力でもなんでもなくただの手品であるとするネタバラシだった。喜んで購入した。バラされた一例として今も新鮮に覚えているのに「パンストをほぐした見えない糸」がある。マリックが「来てます、来てます」と言いつつゲストの女タレントに手を近づける。タレントは電気のようなものを感じて悲鳴をあげる。場内は盛り上がる。あれはバラすと見えないほど細いパンストの糸を親指と人差し指のあいだに張っておき、それで産毛を撫でているのだという。超魔術でもなんでもない、と著者は憤る。なるほどねえ、と感心した。
 そのことによってマリックはニセモノになってしまったのだろうか。彼の特番は打ち切りとなり、マリックはテレビに登場しない数年間を送る。
 私はそれが不思議だった。元々彼は指先が器用なことで有名な手品師だった。クメヒロシの「ぴったしカンカン」の手品コーナーにも本名で出ていた。その人がマジックとトリックの名を合成したものをあたらしい藝名にして藝を一新したのだ。それが爆発的なブームとなった。超魔術を謳い文句にしたが彼はユリ・ゲラーのように超能力だと吹いたわけでもない。ユリ・ゲラーですら好きな私は、なんでそんなことでマリックがテレビから閉め出されなければならないのか理解できなかった。エンタテイメントはおもしろいのが基本であり、マリックの魅力そのものはすこしも薄れていなかったからである。

 たとえばそれは政治家・山崎拓のベッド上での変態行為とも繋がる。政治家は政治家として糾弾、弾劾を受けるべきであり、閨房での行為などどうでもいいではないか。政治家が小者になったとよく言われるが、無味無臭の小者でないと生きられないつまらない世界にしているのはマスコミ(とそれを支持する大衆)である。伊藤博文は性的にはもう色情狂に近かったと言われている。そんなことはどうでもいいのである。国を救うかも知れない英雄が女を囲った程度のスキャンダルでつぶされていくのは残念である。山崎拓が国を救う英雄とは思わないが彼を破って当選したコガジュンイチローよりは政治家として力はあるだろう。と、これはまたベツにして。

 マリックの超魔術はインチキとする本が連発し、それが功を奏したのかどうか、彼はテレビから消えた。
 彼の手品のネタを知った人は、裏切られた、と思ったのだろうか。どうにもこの辺の感覚がわからない。私からすると、マリックの超魔術を楽しむ、ネタを知って、また楽しむ、と二重に楽しめるのだからそれでいいのではないかとなる。
 時は過ぎ、そういう時代になった。マリックは復活し、今では手品とともにネタバラしもまた楽しむようになっている。それでいいのではないか、と思う。

 私の「トンデモ本」と、それを否定する「と学会」の本の楽しみかたも、このマリックの手品とそれのネタをバラす本の楽しみかた、と同じである。
 さすがの私も「金星には美人の金星人が住んでいて高度の文明を築いている」あたりは信じがたい。







 「トンデモ本今昔物語──愚行は繰り返される」(藤倉珊)というのを読んでいて理解した。彼はここで大正や昭和初期に出た日本礼賛の本をテーマにしている。
 昭和八年に出た「日本人の偉さの研究」からの文を引き、「この本、石原慎太郎や渡部昇一が書いたのだとしても、まったく見分けがつかない」

「従軍慰安婦」「南京大虐殺」

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