東京の住まいを引き払った。ずいぶんといろいろなものを捨てた。それ以上に、いったいこれほどのものがどこに収納されていたのかと、思い出せばそれなりに苦労して、最高に能率よく収納してはあったのだが、いやはやあきれるほど次から次へと物が出てきた。捨てるすてるステル。捨てるけどあいしてる。捨てるけど忘れない。ステルインラプ。引っ越し準備の一週間はひたすら毎日モノを捨てる日々だった。
本も大量に捨てた。詳しくは「引っ越し話」に書くとして、迷ったのは「絶対に捨てない本」と「捨てる本」のあいだにあった「どうしよう本」である。ビミョー。西村寿行の作品集はそれにあたる。
すべてハードカヴァーの美麗な初版本だから、古本屋にもっていってもそれなりの値になったろう。早めに古本屋に連絡してまとめてもっていってもらえばよかった。たとえ無料でも捨てるよりはいい。誰かに読まれたほうが本もしあわせだ。
と思いついたときはもう遅く、燃えるゴミとして捨てるのか田舎の家まで運ぶのか選択を迫られる状態になっていた。
田舎の家まで運ぶ本というのは、高額な輸送料金を払って雲南に建てる家まで送る本である。よってそれは辞書辞典的な意味合いのものが多かった。だいぶ前に買いホコリをかぶっていた「人生読本シリーズ」ノヨウナモノもその中に入る。「誰もしらない雑学知識」なんて感じのいいかげんな本もそうだ。要するに娯楽本というより資料的な、役に立つ場面の想定される本である。
傾向は違うが高島さんの本のような、こちらをインスパアイしてくれる本も貴重品だ。高島さんの場合は田舎で買った物だから東京にはないけれど、たとえとしてのノヨウナモノ、である。
迷わず捨てたオオエの本などとはまた違って、「中国まではもってゆかないけれどとりあえず捨てない本」というのもあった。高橋和己全集等がそれにあたる。
さて困ったのが西村寿行的娯楽作家の本である。
同じ娯楽小説で、これより私の中でランクの高いところに筒井康隆がいる。これは迷わずコンテナ(農作業用強化プラスティック製の60センチ四方ぐらいのやつね)に詰めてすでに運んでいた。筒井の本を雲南で読み返すわけではない。日本で寄附してゆくかもしれない。ただ学生時代におおきな影響を受けたモノとして愛しさが格別だった。これは迷わず運んでいた。
一方、迷わず捨てた野坂、五木、イノウエヒサシのような娯楽本もある。
そういう意味でもジュコーさんの存在は半端だった。
二十代後半から三十代にかけてむさぼるように読んだ。単行本の出るのが待ち遠しかった。とんでもなく量産していたから毎月のように発刊されたが、それでも待ちきれず、過去のものにさかのぼり、まず全作を読んだと言い切れる。当時、である。最近の作品はまったく知らない。書いてないよね? しらないけど。
なんといっても「復讐譚」が好きだった。平和な家庭がある日崩潰する。妻と息子が殺されたりする。男は、その強大な相手にひとりで立ち向かってゆく。ひとり、ひとり、確実に葬ってゆく。その快感に酔いしれた。話の展開上、ひとりではむずかしい場面も多く、「相棒小説」が多くなる。これもこれでよかった。ヤクザ組織、闇の組織、宗教組織、復讐の成就が爽快だった。それはすなわち、私の中にそういうものを必要とする気持ちがあったのだろう。ラジオの構成台本と運送屋の頭脳肉体二本立て仕事で生きていた。
やがて、体内の毒素をすべて吐き出したかのように、次第に彼の作品は穏やかになって行く。最も端的な例が「鯱シリーズ」だろう。超能力者を主人公にハラハラドキドキでシビアに始まったこのシリーズは、最後のほうはまるでユーモア小説になってしまった。つれるように、私も彼の作品から卒業していった。ふと気づくと文章だけで食えるようになっていた。
結局、真新しいハードカヴァーを大量に捨てるには忍びず、とりあえずひもでくくり、持ってきた。写真のように十数冊を無造作にまるめたのが四つあったから五十冊ぐらいか。文庫本も入れると百冊近くなるだろう。
雲南までもってゆくほどのものではない。何度も読み返すようなものでもない。それでもれいによって中身はすっかり忘れているはずだから、もういっかい読み直してから田舎の図書館に寄附するかと思った。まだ物置に放り投げたままだ。寄附する前の最後の読書だから真剣に読もう。
今頃思ってももう遅いけど、チェンマイに足繁く通っていた頃、毎回何冊かもって行き、帰りにどこかに寄附してくればよかったと思う。飛行機の中で読むには単純明快で最適の小説だった。十数年ぶりに読み返すのだから中身も忘れているし、そのときもきっと楽しめたことだろう。なぜかあのころはそれに気づかず、毎回空港でつまらない文庫本を買っていったりした。
「今はもうすっかり興味をなくしてしまったが、当時は夜も昼も夢想し、思い出すのも恥ずかしいほど夢中になっていたアイドルタレント。それが先日テレビで見たらひどいおばさんで、なんだかむかしがほろ苦い」なんて経験が私にはない。あえてたとえるなら西村寿行の作品はそんな感じになる。
手元にある今、ゴミ集荷所に捨てなくてよかったと思っている。(03/6/5)
2007年8月23日、永眠。
御冥福を心からお祈りいたします。