チェンライへ走る 3
     

■メーコック
 メーコック・ヴィラ・ゲストハウスに着いた。
 フロントのおばさんに北村さんの所在を問うと、市場に買い物に出掛けていると言う。
 「きょう、チェンマイから友達が来ると言ってたけど、あんたかい。チェンマイからバイクじゃたいへんだったろう。お疲れだね」
 そう言っておばさんは、人のいい笑みを見せた。

 フロントに可愛いダックスフントの子犬が何匹もいる。タイで今、一番人気のある犬だ。飼っているようではない。なんだろう、こりゃ。あんまり客が来ないから、副業でペット犬の飼育でも始めたりして(嘘みたいな話だけど、後に正解と判明する)。

 ここで待っているのも退屈だし、市場まで迎えに行ってみようかとバイクの向きを変えると、ちょうど道路の向こうから、自転車に乗った北村さんが、買い物袋を手に帰ってくるのが見えた。半ズボンにサンダル履き、野球帽と、すっかりタイ在住者の定番ファッションである。やあやあ久しぶりと挨拶を交わし、北村さんの部屋へ行く。

 北村さんが借りているのは、一泊120バーツの部屋だった。ベッド、洋式トイレ、シャワー、扇風機がある。いつもは奥の棟の二階なのに、今回は右手の平屋である。気分によって替えるらしい。北村さんも、ちょっと遅めの約四十日の夏休みだ。ずっとここにいる。でもメーコックには連泊の割引はない。その辺にサーヴィスの悪さを感じるのだが、北村さんほどのヴェテランで金銭にシビアな人が離れないのだから、ここにはそれ以上の利点があるのだろう。

 タイ・リピーター二十年以上のヴェテランらしく、部屋の中には生活用の小物が揃っている。小型液晶カラーテレビは、秋葉原の免税店で買ってきたタイのPAL方式対応品である。ラジカセもある。クーラーボックスがある。毎朝市場で五バーツほど氷を買ってきて入れておけば、数日間は冷藏庫として十分に機能するのだと、北村さんは市場で買ってきたばかりのヨーグルトやジュースをしまいながら言う。蚊取り線香やらなんやら生活必需品があれこれと揃っている。これらの品々と愛車(自転車)は、帰るときにフロントに預かってもらう。なにしろこの自転車でさえ四台目だというのだから、いかに長くチェンライと関わっているかが、これだけでも解る。

 おれは今までナティコートに荷物を預かってもらったことはない。アパートに預かってもらうと、もう居場所を替えることが出来なくなってしまう気がするからだ。変圧器など数点を友人に預かってもらう以外は、ラジカセなども親しくなったタイ人にあげて帰る。さすがにこのごろもったいないなと思い始めてきた。それよりももう恋愛を放棄しているから、そうそうあげたくなる人がいない。今まで住居をあれこれと替えてきたが、今度からおれもアパートに荷物を預かってもらい、ナティ一本に絞ってもいいかなと、北村さんのやりかたを見ながら思った。

■渡り鳥


 メーコック・ヴィラ・ゲストハウスは閑散としていた。北村さんのいる棟も、もう一人、若い日本人女性がいるだけだという。なかなかいい女だというので会うのを楽しみにする。でもこちらには挨拶もしない礼儀知らずだと言う。どういう女なのだろう。かえって興味をそそられる。

 八月は、日本とタイを往復する渡り鳥生活者にとってオフの季節である。彼らの行動は、五月から十月までを日本で働き、十一月から四月までをタイで暮らすというパターンが多い。それは雨期の明けたタイの一番いい季節にやって来て、日本の寒い時期を常夏のタイで過ごすということである。渡り鳥生活を始めた頃は各個人の思惑やら仕事やらでいくつものパターンがあるが、結局は皆この一番快適な季節の過ごし方に落ち着くようだ。

 夏休みの時期なのだからもっと日本の学生がいてもいいはずなのにと思う。ヘヴィー・ユーザーの多いここには、一見(いちげん)の客は来ないのだろうか。『地球の歩き方』で紹介されている割には、あまり日本人客を見かけない。とっつきにくいゲストハウスであるのは確かだ。かなり獨自の雰囲気をもっている。とにかく敷地が広いから、ひとりでいたいという人には最適だ。こういうオフ・シーズンだと、他に客のいない棟を借りれば、タイの片隅で、静寂の中の孤獨を十分に味わえる。

 メーコックを定宿としているのは、最低でも十年以上前からタイに通っているヴェテランばかりである。互いに顔見知りだが、既にもう行動形態が確定している人ばかりだから、むやみに連(つる)むことなくそれぞれがかってに行動する。たまには集まって酒盛りをし、情報交換をしたりもする。当然ながらその時、初心者には冷たい視線が注がれる。入りづらい。そういう流れが固まってしまっているから、ここに新人が参入するのは難しいだろう。

 日本人ヴェテラン旅人の定宿として定着しているメーコックだが、そのヴェテランの存在が新規客を阻んでいるという一面もある。

 だからメーコックは、旅人同士の触れあいを求めたり、旅の情報を収集したいという人には向いていない。日本人の大久保さんが経営しているゲストハウス、ツーリスト・インが、そういう初心者や旅人達に人気があるのは、メーコックとは逆に、こぢんまりとしていて親密的だからだろう。


■偶然
 旅は道連れとばかり、知り合うやいなやタッグを組みたがる人がいる。一方でまた、異様なほど日本人を避ける人もいる。どちらかといえば、おれはあまり人と連みたいとは思わない方だ。なるべく日本人のいない場所を好む。食事もその土地のものを食べるようにしている。それで平気だ。イギリス以外は。あの国はどうしようもない。自分から行こうとしないので、おれは各国にある日本人のたまり場というものを知らない。唯一知っているのはブリュッセル(ベルギー)ぐらいだ。

 実は『サクラ』や『宇宙堂』と関わったのも、同じ飛行機に乗り合わせた強引な若者に無理矢理連れてゆかれたからだった。片時も『地球の歩き方』を手放さない、うんざりするような俗物だったが、そいつと知り合わなかったら、パパやナベちゃんとの出会いもなかった。おれが自分から日本人のたまり場であるという『サクラ』に行くことは絶対になかったからだ。覚醒剤中毒で、とんでもなくアブナイそいつとはとうの昔に縁を切ったけど、このことだけは今も感謝している。あいつと知り合わなかったら、『サクラ』も『宇宙堂』も知らなかった。今こうして書いている自分もない。

 北村さんと知り合ったのも、『サクラ』で出会い一緒にメーホンソンに行った藤山さん(假名)が、メーホンソンの空港で積極的に北村さんに話しかけたからだった。

 初めて会ったとき、北村さんは全身から「オレに話しかけないでくれ」という光線を発していた。おれにはそれが解った。だから話しかけなかった。藤山さんが「(メーホンソンの情報を)あの人にちょっと訊いてくる」と言ったときも、「やめなよ、あの人いやがってるよ」と止めたぐらいだ。

 後に親しくなってから、北村さんはおれの推測を肯定した。いかにも初心者っぽいあの日本人二人組が、どうか話しかけてきませんようにと願っていたという。ある意味で鈍い藤山さんが、そんなことに関係なくずんずんと話しかけ、それなりに会話を交わす状況を作り上げてしまったので、北村さんもしぶしぶこちらと付き合い始めたのだった。これまた藤山さんがいなかったら、おれは北村さんとも知り合っていなかったことになる。メーホンソンの空港ですれ違ったという、それだけの関係で終っただろう。

 北村さんとは日本でも親しくしている。神奈川の実家に泊めてもらったこともある。おれの家にも来てくれと言っているのだが、日本ではかなり勤勉な彼は、ほとんど休みを取らず働くので、まだ実現していない。

 人と人の巡り会いには、いくつもの偶然が重なっているのだと改めて思い至る。飛行機の中で偶然隣り合わせた奴のお蔭で『サクラ』を知り、『サクラ』で藤山さんと知り合い、藤山さんのお蔭で北村さんと知り合った。シャン族の娘との失恋を経験した後、藤山さんはもうタイに来なくなってしまったから、北村さんとこうしていると、餘計にそう感じたりする。

中国口論-びんぼうゆすり


■タイスキ

 昼になった。どこで食べようかと北村さんが言う。「カオマンカイ」どちらからともなくそう言って笑う。おれの大好きなタイ料理であるカオマンカイも、北村さんに教えてもらったのだった。チェンライの町中には美味いので有名なカオマンカイ屋があった。それは数年前、何キロも離れたところに移転してしまったのだが、チェンライでの飯と聞いて最初に浮かぶのはあの店である。
 「ビッグCの中にMKが出来てね」と北村さんが言う。



 チェンライの町中から数キロのところに郊外型大型店舗のビッグCが建築され、その中にテナントとして、タイスキのチェーン店であるMKが開店したのだそうだ。カオマンカイは明日の朝食として、きょうはタイスキにしようかとなる。

 町中から数キロの道は、バイクのおれには近いが、自転車の北村さんにはいい運動になったようだ。なにしろ暑いからエネルギーの消耗が激しいのである。しかしまあ、ファッションといい、自転車といい、北村さんはすっかりチェンライに溶け込んでいる。


 日本のスキヤキから影響を受けて作られたとされるタイ風スキヤキ、タイスキは、スキヤキとは全然共通点のない、ぶっこみ鍋である。コカ、テキサス、MKなどの有名チェーン店がある。六本木にコカが出来て、『恨ミシュラン』で取り上げられたこともあった。すぐに潰れたようだ。日本に定着する料理とも思えない。
 この中で、比較的新しく、それでいてちょっとした高級感でもって人気のあるのがMKだ。


 先日、ロータリー屋台で話していたとき、ある大阪人が「MKっていいですね。最高に味もいいし。ボクの知り合いのコなんか、コカだったら行かないけど、MKなら行くって言いますもん」と、さも事情通のように言った。
 異議あり、である。おれはコカの方が好きだ。美味いと思う。そういうと「でもそいつら、水商売の娘ですよ、みんな煙草喫うのに、それでも禁煙のMKがいいって言うんですよ」とつけ足す。「水商売の女だから、よけいに(かっこつけてる)MKが好きなんじゃないの」とおれも珍しく譲らなかった。

 チェンマイの二店舗の場合だが。
 躍進中であるMKというのは、デパートやコンプレックス・ビルの地下などに開店する。ガラス張り。おしゃれな店内。冷房完備だ。禁煙となる。鍋は電気鍋である。電熱量には強・中・弱の他に保温もあり、恋人同士や家族連れでゆっくりと楽しむのに適している。

 老舗のコカは、オープンスペースで開店している。冷房はない。暑い。蚊がいる。鍋の火力はプロパンガスだ。煮えた後、炎を小さくしようとして消してしまうことがよくある。店員を呼んで、もう一度マッチで点火してもらわねばならない。意外にこれが煩わしい。

 当然ながら値段は、MKの方が何割方か高くなっている。おれは両方とももう数え切れないほど行っているが、断然コカ派である。だが彼の言うように、その辺で知り合ったオネーサンが、飯を奢ってくれとなると、よくMKの名前が出てくるのは確かだ。小金持ちの日本人に、普段は食いに行けない飯を奢らせようと考えるとき、すぐに浮かぶ店、MKとはそういうランクの店なのだろう。

 おれは複数の女に両方の店で奢ってやり、見た目は悪いがコカの方が美味いという言葉を何人もから引きだしている。べつにコカの回し者でもないのに、「MKよりこっちの方が美味しい」と女が言うと、自分の味覚の正しさが確認されたようで、なんとなく勝ち誇ったような気分になったりする。



 そういえば初心者の頃、クイーンビー(旅行代理店。第二話に登場)のオネーサンとMKで食事の約束をし、なんとなく都合のいい展開を夢見ていたら、四人連れでどかどかと来られ、散々飲み食いされてひどい目に遭ったことがある。恥ずかしいワタシの過去。この店のこのオネーサンには他にも同様の被害者複数あり。

 その大阪人の言う、水商売の女にMKが人気があるというのは、味ではなく洒落た雰囲気なのではないかと思う。この大阪人は、その内また再登場するだろう。これまた良くも悪くも強烈な人である。

 おれはタイ人と話すとき、「日本には三種類の民族がいます。日本人(コン・イープン)と大阪人(コン・オーサカー)と名古屋人(コン・ナゴヤー)です」とよく言う。「日本人はひどい、こんな奴がいる」と彼彼女らがとんでもないドケチを見たなどと話すとき、そのほとんどというか、全部と言っていいぐらいそれは大阪人のことなのである。おれは急いで言う。「ちょっと待って、それは大阪人でしょ。彼らは日本人じゃないんです。大阪人なんです」と。

 タイで強烈な個性をもった旅人十人と知り合うとすると、七人が大阪人、二人が名古屋人、もうひとりでやっとその他の地域である。バックパッカーや放浪オヤジというテーマに、大阪人の体質はよく合うのだろう。

 もしも今、大阪の方が読んではったらすんませんな。わての日記には大阪からこうとる文章がこれからもぎょうさん出てくるけど、おこらんといてな。
 名古屋人も強烈だぎゃ。近々登場の予定。




■友の条件

 新築のビルであるビッグCは、チェンライの若者達で溢れていた。田舎町に初めてデパートが出来たときのことを思い出す。若者達は都会的なスポットが出来たことが嬉しくて、精一杯のおしゃれをして集っているという感じだ。

 MKでタイスキを食いながら、北村さんと話す。
 まずはビアシンで乾杯だ。肉を、牛肉、鶏肉、豚肉と三種類。イカ、エビ、サライ(海苔巻き)、ツミレ、トーフー(豆腐)、春雨、シイタケ、野菜は全種類。そして卵を二個とライスを二人前。これは最後のおじや用だ。
 おれも北村さんも煙草を喫わないので、冷房が効いていて禁煙のMKは好適である。

 チェンマイで異常に思うことに、日本人の喫煙率の高さがある。『サクラ』や『宇宙堂』に集う人々は、ほとんど全員煙草を喫う。昔はおれもチェインスモーカーだった。止めて十数年になる。今のおれの周囲で煙草を喫う人はほとんどいない。友人でも仕事関係でもだ。そんなおれからすると、チェンマイで出会う日本人の喫煙率は不可解なほど高い。

 『サクラ』の常連で喫わない人に誰がいるだろう。パパは知り合った頃は喫っていたが、何年か前に止めた。Hさんも今は止めている。Hさんは元々喫わなかったな。後は……。思いつかない。顔と名前の思い浮かぶ人が全員喫煙者だ。煙草という体に害のあるものを嗜まないというのは、ストイックな発想に繋がるから、自堕落で快楽的に生きようとチェンマイを目指す人が喫煙者であるのは、異常でも不可解でもなく当然なのだろうか。とにかくよくみんな煙草を喫う。

 おれが旅先のタイで連んで行動したという人は、今までに北村さんと藤山さんの二人しかいない。二人ともタイで知り合った人には珍しい非喫煙者だった。これは偶然だったのか必然だったのか。

 非喫煙者が煙草の煙を最も嫌う場に、食卓がある。
 以前、『サクラ』の丸テーブルで飯を食っているとき、おれがヤキソバの皿を持って奥の席に移り、ひとりで食べ始めたので、どうしたんだよとみんなが不思議がったことがある。六人がけのテーブルで五人に煙草を喫われたら、そりゃあもう燻り出される狸のようで、煙くて煙くてとても飯どころではなかった。扇風機の風で灰も飛んでくる。

 これが愛煙家のもっとも無神経なところで、彼らはこの世に煙草の煙が嫌いな人間がいることに気づいていない。自分にとって気持ちいい物は他人もそうだと思っている。おれが突然席を移ったので、誰かの言葉がおれの癇に触ったのではないか、傷つけたのではないかと気遣ってくれるぐらいいい人達なのに、煙草の煙が原因だとは気づかないのである。

 だけど思いっきり怠惰に放埒に過ごしたいと思ってタイにやって来たのであろう人たちに、そういう西洋的マナーを強要も出来ない。そう思い、その無神経さを注意したことはない。ここはタイだもんな、みんな羽を伸ばしたくて来てるんだもんなと、こちらから彼らを気遣っている。

 そのことを鑑みれば、何日も一緒に行動したり、おれの借りたクルマでドライヴ旅行したりした北村さんと藤山さんが非喫煙者だというのは、おれ達が親しくあり続けた大きな要素なのかも知れない。

 去年の夏、大阪外語大の女子学生二人をチェンマイからチェンライまで乗せてやったことがあった。喫煙者の彼女らは、冷房が効いた車内で煙草を喫えないことが、とても辛そうだった。でもおれとしても、車内では喫われたくなかったので、それは我慢してもらった。休憩の時、車外に飛び出し、真っ先に煙草に火を点ける彼女らを見ていると、愛煙家と嫌煙家が付き合う難しさを感じたものだった。

 自分勝手で無神経でみんなに嫌われているSというのがいる。ゴルフ狂なのだが、仲間がいずいつもひとりでラウンドしている。もう一人、やはりそういうタイプのOというのがいる。その二人が今年の夏、『サクラ』で会い、初対面なのに一気に意気投合してしまい、それからは毎日のように連んで行動している。やはり人は、似たもの同士が親しくなるのだろう。
■必然


 MKのウェイトレスは胸に顔写真入りの名札をつけている。給仕をしてくれる娘が良く気がつくので、名札のタイ文字の名前を読み、クン・××・タムガン・リアップロイ・ナ(××さん、あなたは仕事をきちんとしますね)と話しかける。学生アルバイトだった。チェンライ美人だね、かわいいねと誉めたら、恥ずかしそうにありがとうと言った。
 北村さんが苦笑している。タイスキ屋でナンパしないでよ。ちがうよ、彼女の仕事ぶりが真面目だから誉めただけ。どうもそれだけとは見えないもんで。ほんとだって。

 ビールがすすむ。美味い。北村さんはあまり飲まない方だ。コップ二、三杯でもう赦い顔をしている。

 七月に仕事で北海道へ出掛けたとき、藤山さんが千歳市の人であることをふいに思いだし、深夜に電話をした。そのことを北村さんに報告する。札幌のホテルからだった。

 最近ものぐさになって手帳の電話名簿を毎年書き換えたりしない。新しいものは欄外に書き足したりして、もうぐちゃぐちゃである。もしもきちんと書き移していたなら、過去の人である藤山さんの番号は消してしまっただろう。電話をしたくなっても番号が解らなかった。何年も使っているよれよれの電話帳だったことが幸いした。

 夜の十一時ぐらいだったか。藤山さんは突然のおれからの電話に驚き、すぐに懐かしがって、思い出話が弾んだ。いろいろあったよな、ほんと、藤山さんとも。九時ぐらいに電話をくれれば会えたのにと残念がっていた。おれも翌朝、六時発で日高の牧場に向かう予定だったから、さすがに今から会いましょうとは言えなかった。今年からまた牧場取材のような仕事を再開したので、北海道へはこまめに行く。そのうち札幌で藤山さんと会うことになるだろう。

 最初の頃、おれ達三人の連みは、ヴェテランの北村さんに初心者のおれと藤山さんが従うというパターンが多かった。それは仕方がない。知識が違いすぎる。現地の情報も会話能力も桁違いだった。おれも藤山さんも北村さんに追いつこうと必死だった。

 なにしろ北村さんは『サクラ』を知らないほどのヴェテランなのである。北村さんのチェンマイ時代にはまだ『サクラ』はなく、チェンライ時代になってから開店したのだった。『サクラ』は、開店してから、えーと、十二年目だろうか。それぐらいにはなる。おれと藤山さんとの絡みで北村さんは何回か『サクラ』に来店しているが、丸テーブル常連との接点はない。

 おれは順調に北村さんに追いついて行き、その語学力の上達ぶりは師匠からも誉めてもらえるほどだった。可笑しかったのは藤山さんで、知らないタイ語を機会がある度に手帳にメモする熱心さは素晴らしいのだが、メモする割には、次回に来たとき全然覚えていないのだった。英語の講師だったので、かえってその語学力が足を引っ張っていたのだろうか。メモするだけで安心してしまったような気もする。とにかくまあ努力と上達が比例しない人で、同じ初心者だったはずなのに、ふと気づけば、まるで大先輩のように、おれが通訳代わりになっていた。藤山さんの恋の橋渡しもいろいろとしたのである。これは小説ネタですね。大切な。

 親しくなる人間にはそれなりの共通項がある。まず基本として、おれ達は齢が似通っていた。おれが真ん中で、藤山さんが一歳上、北村さんが一歳下になる。経歴は、北村さんと藤山さんは全く同じだった。二人とも国立大学の教育学部出身で教員免状を持っていた。教壇の経験はないらしい。職業は共に進学塾の教師だった。おれは私大出の物書き稼業だが、親から親戚まで教師一族の異端児である。タイで知り合うには珍しい非喫煙者同士といい、おれ達が親しくなる条件は揃っていたのだろう。


■指摘

 親しいことの印に「相手の間違いを正せる」というのがある。例えば四文字熟語や故事来歴を、勘違いしたまま覚えているというのは誰にでもあることだ。北村さんや藤山さんが間違ったことを言ったとき、おれはすぐにそれを指摘し、「なにいってんだよ、もう。塾のセンセーが。恥ずかしい」とつけ加えたものだ。向こうもまたおれが間違えたとき、「物書きのくせに、よくもまあそんな間違いを」と言ってきた。気楽である。気の置けない仲という奴だ。それが出来たのは、齢の近さと似たような学歴だったからだろう。

 『サクラ』丸テーブルには一言居士が集まる。楽しい。物知りが多い。でも一芸に秀でて、圧巻の人生を送ってきた人でも、よくそういう間違いをするのである。貴重ないい話をしているのだが、何度も何度も間違った用語の使いかたが出てきたりする。気になる。でもこういうとき揚げ足取りは出来ない。相手が明らかに漢字の読み間違いをしていると解っていても、それを指摘することは、恥を掻かせることになるからタイミングが難しい。

 これを唯一出来たのが〃『サクラ』の裁判官〃と呼ばれたナベちゃんで、ナベちゃんは持ち前のキャラクターを活かし、年輩者でも学生でも、気軽に「それ、違うよ」と指摘した。「あんた、間違ってるよ」と。
 自信のない場合は、「それって違うんじゃなかったっけ」とこちらに話を振ってくる。振られればこちらも「ええ、○○じゃなくて、正しくは××ですね」と言えるし、ワンクッションおいているから、間違いを指摘された人も傷つかない。素直に「ああ、そうだったんだ」となる。ナベちゃん裁判官が丸テーブルで果たした役割は大きい。

 北村さんや藤山さんと一緒にいて気楽だったのは、この間違いを互いに指摘できる仲ということも大きかった。


■新・定宿

 メーコックに帰る。
 MKは760バーツだった。「ここはぼくの地元だから」と北村さんが言い、「なにをおっしゃいます、大先輩が」とおれが言い、伝票の奪い合いをする。よくあるオヤジの「ここはわたしが」「いやいやわたしが」である。今回はおれが払わしてもらった。

 どこに泊まるかと北村さんが訊く。北村さんとしてはメーコックに泊まってほしいらしい。暑くもないし蚊もいないし、もしいたとしても蚊取り線香があるしと推奨してくれる。おれはメーコックに泊まる気はなかった。バイクで走ってきたから、今夜はゆっくりとバスタブで湯に浸かりたかった。

 チェンライでは、昔はワンカムホテルに泊まっていた。近年はセンプーホテルが多い。これを値段的に言うと、昔は千バーツ以上の一番いいホテルに泊まっていたが、慣れてきてからは半額の五百バーツのホテルで十分になったということになる。クーラーとバスタブがあれば、それほど高望みはしないから、これぐらいでちょうどいい。

 その五百バーツクラスのホテルで、ここ数年の定宿だったセンプーホテルというのが、「タイ語の心がけ」の最後にチラっと出てくる、失礼な応対をした中級ホテルなのである。ああいう応対をするホテルには、意地でももう泊まりたくなかった。

タイ語の心がけ



 メーコックに泊まる気もなく、いつものセンプーにも不満があるらしいと知った北村さんは、最近気づいた良さそうなホテルがあるからちょっと行ってみようかと誘う。さすがに自転車はもう疲れたらしく、バイクの二人乗りで出掛けた。

 それは一泊350バーツのホテルだった。町中からすこし離れている。バイクがあるから問題はないが、歩いて行くのにはつらいだろうか。いやいやよく考えれば一キロもないだろう。東京でだったら数キロぐらいなんてことなく歩いてしまうのに、どうもタイに来るとものぐさになる。

 フロントに、一目見てそうと解るチェンマイ美人がいた。タイの民族衣装を着て、にこやかに受けつけをしている。綺麗な人だなあと思う。

 そう思ってから、なんでチェンライ(という田舎町)の中級ホテルに、チェンマイ(という、より大きな街の)美人がいるんだ、いるはずがない、逆ならあり得るだろうけどと思い直す。どうやらおれの「かなりの確率でチェンマイ美人とチェンライ美人を見分けられる」というのも怪しいもんだ。

 が、話してみたら彼女はやはり、チェンマイから来ていたのである。チェンマイ美人の産地で名高いサンカンペーンの出身だった。審美眼に自信を持つ。「やっぱりチェンマイですか!」と、おれの声は思わず大きくなった。どうしてそんなに驚くんですかと彼女に問われたので、あなたの顔はチェンライではなく、典型的なチェンマイ美人の顔だからですと言う。こういう、採りようによっては歯の浮くようなセリフも、タイだと素直に言えてしまう。どうもありがとうと彼女は言い、大きな黒い瞳で、こちらを見つめて微笑んだ。たまらんなあ。いかんいかん。こんな美人と接していたら、またタイ熱がぶりかえしそうだ。タイ熱は苦しい。あんな苦しい思いは二度ともうご免だ。おれはチェンマイ美人から目をそらし、女になんて興味はないよという顔でエレヴェイターに向かう。

 彼女は容姿が美しいだけでなく、言葉遣いも丁寧だった。センプーホテルとは大違いだ。これからのチェンライでの定宿決定である。彼女がいる限り。

 部屋は、不景気らしく、あまり客がいないのか、かび臭い感じがした。廊下の電気が消えている。節電だろうか。内装も設備もセンプーより落ちるが、まあクーラーとバスタブさえあれば文句はない。お湯の出もいいようだ。綺麗な部屋で不愉快な応対をされるより、たとえすこしぐらい汚い部屋でも、気持ちのいい応対をされた方が、おれはうれしい。

 夜の部の出撃まで一休みしますかとなる。北村さんをメーコックまで送る。
 すこし休もう。ベッドに横になる。

 さて今夜、チェンライの夜を、どうして過ごそうか。

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