チェンライへ走る 2
         

■出発
 四時に目が覚めた。
 そういえば昨夜は、いい気持ちで『北門』から帰り、八時にはもう寝てしまったのだった。睡眠十分である。本を読んだりして五時半。全然眠くない。二度寝はしそうにない。スッキリと目は冴えている。(出発しようか)と思う。このまま朝一で出発すれば十時にはチェンライに着くだろう。あまりに早い到着に、北村さんの驚く顔が目に浮かぶ。それもそれで楽しい。

 六時。バッグをバイクの後部座席に縛りつけ、走り出す。
 街はまだ暗い。風が涼しい。気分のいい朝だ。

 チェンマイは二十四時間体制の町である。飲食の出来る屋台も、朝四時に開店して昼までの店、昼開店して夜八時ぐらいまでの店、夜八時に開店して朝四時ぐらいまでの店とフルタイム三交代制のシフトが自然に出来上がっている。だから夜中の三時まで遊んだときの仕上げのバーミー(タイ風ラーメン)も、早起きした五時の朝飯クイッテオ(タイ風うどん)も思いのままだ。おれの好きなビールでいえば、昼日中や夜はもちろんだが、朝五時のような時間でも美味しいつまみと一緒に楽しむことが可能なのである。この便利さもチェンマイの魅力だ。

 タイのあちこちを歩いた。陽気なタイの町は、どこでもこういう体制を取っているものの、客がいなければしょうがない。寝静まってしまう町もある。バンコクは不夜城でも猥雑すぎる。結果として、観光都市チェンマイほど快適で便利な町はどこにもなかった。

 チェンマイ門の市場を通り抜ける。朝早くから活気に溢れ、人々が往来している。

■幻影



 何年か前、こういう朝の時間にここに来ると、必ず高橋さんが、これまた二十四時間体制で酒を飲んでいたものだった。

 恋女房を亡くし、タイに死にに来たのだという高橋さんは、つまみを口にせず酒だけを飲んだ。よく誘われて付き合った。チェンマイ門市場は、高橋さんの朝の酒場だった。日本のお猪口よりもちょっと大きいぐらいの盃に、ラオ・ヤードン(薬酒)が一杯十バーツだ。この酒は美味いが、かなり利く。酒代はぼくが出すけん、なんか食べるんやったら自分でこうてね、ぼくは食べへんさかいと、高橋さんは酔眼で笑みながら盃を呷った。

 繰り返される思い出話に、いつしかおれは高橋さんと亡くなった奥さんのことについて自然と詳しくなっていった。

 高橋さんの哀しみは、気持ちよく空を舞っていた鳥が、降りる場所を喪くしてしまったかのようだった。日本にいる頃、高橋さんは女房一筋ではなかった。酒場の娘達といかに遊び歩いていたかをよく話す。ナンパした女性と自慢の大型乗用車の前で撮った写真は、なかなか恰幅がよく男前だった。奥さんが亡くなっても、もしもその気なら、再婚相手にも遊び相手にも困らなかったろう。財産もあった。だが奥さんが亡くなったら、自分を支えているすべてが崩れ、あまりのショックでなにもする気がなくなってしまったのだ。自分は女房というお釈迦様の手のひらの上で遊んでいただけなのだと気づいた。文字通りの腑抜け状態である。親から引き継いだ家屋敷田地田畑を、年に二百万円の送金をしてくれることと引き替えに妹夫婦に譲り、高橋さんはあてのない旅に出た。背中に観音様の入れ墨と奥さんの名前、命日を彫って。そうして流れ着いたのがチェンマイだった。

 働き者のタイ人が動き始める明け方に、朝っぱらから酒を飲むというのは、頽廢的であり、ある意味彼らに失礼だと気も引けるのだが、それは妙にはらわたに染み込んでくる美味い酒だった。飯を食わずに酒ばかり飲んでいて、生きる希望をなくしている高橋さんは、尖った顔をしてガリガリに痩せていた。奥さんを亡くしてからの数年で、一気に二十歳は老けたろう。恰幅のいい中年は、しなびた白髪の老人になっていた。泥酔し、強制送還の原因となった揉め事も、この市場で起きた。今もここを通るたび、お堀端のいつもの椅子に、無意識のうちに高橋さんを捜してしまう。

 チェンマイ門市場を走り抜ける。
 人混みの向こうに、高橋さんの痩せた肩を見た気がした。
■黎明

 街中を抜け、橋を渡り、チェンライへと続く118号線に出る。後は約二百キロを一気に走るだけだ。
 夜の底が白んでいる。朝の冷たい風が心地いい。



 開いているスタンドが有ったのでガソリンを入れる。
 バーツ下落によってタイが不況になったとき、おれのような者から見て一番目立ったのが、ガソリンスタンドの営業縮小と閉店だった。二十四時間営業の店が多く、ガスを入れるのに不自由しないチェンマイだったが、日中だけの営業になる店が増えた。いつものスタンドに行くと閉店していたりした。一般の店でもシャッターが降りたままの店を多く見かけるようになり、不況というものを実感したものだ。その傷はまだ癒えていない。

 街から山の麓までの道を走る。快適だ。広々とした道がまっすぐに延びている。クルマはほとんど走っていない。

 薄明るくなってきた。時折ダンプカーが追い抜いてゆく。風が巻き起こる。
 ノーヘルのまま時速60キロほどで走ってきた。

 風が煩わしくなってきたのでヘルメットを被る。風を遮ったら80キロで走っても平気になった。オートクラッチ四段ギア、100ccのホンダドリームではこれぐらいが限界だろう。郊外の道で100キロ以上出したこともある。巧い人は120キロまで引っ張るというが、おれにはこれでもう十分だ。

 三時間でチェンライまで行った、メーサイまで四時間かからなかったと自慢げに言う人もいる。今回のおれに急いで走る気はなかった。休み休み、のんびりと走ろうと思っていた。気に入った場所があったら、途中のメースアイ辺りで一泊してもいい。とはいえクルマで何十回も走った道だから、そうそう泊まりたくなるような新しい発見もないだろうが。

←彼方にドイ・サケット(寺院)を望む

 涼しい。Tシャツ一枚では涼しすぎる。
 右手彼方の山の頂上にドイ・サケットが見えてくる頃、おれは路肩にバイクを停め、昨日買った長袖シャツをバッグから取り出した。

 荷台に何人もの人夫を積んだピックアップトラックが通り過ぎる。肉体労働はもう出勤の時間なのだろう。土方のアルバイトばかりしていた頃を思い出す。ああいうふうにしてトラックで現場まで輸送されたものだった。人夫達が、路肩でシャツを着るおれを珍しそうに見ていた。皆ほっかむりをして縮こまっている。彼らも寒いのだろう。

 おれが子供の頃、農村地帯に最初に入ってきた自動車もまた、やはりピックアップトラックだった。教員の子でトラックに縁のなかったおれは、農家に遊びに行き、さつまいもを積んだトラックの後部荷台に乗せてもらうことが殊更楽しく嬉しかった。

 タイの田舎に来て、荷物を満載したトラックの荷台で、坊主頭の少年が目を輝かせ、風を切っているのを見たとき、おれは一瞬あの頃にタイムスリップしたかのような感慨にとらわれたものだった。そこにいるのは、あの時のおれだった。タイはいい。田舎がいい。
■冷気



 山岳部に入る。山越えだ。道は羊腸の連続となる。
 バイク好きの若者なら「峠を攻める」なんて粋がるシチュエーションだが、今のおれにそんな元気はない。
 肌を焼く暑さから身を守ろうと購入した長袖シャツを、まさか寒さ凌ぎのために着るとは思わなかった。うっそうとした樹林の中の道路に入ると、一段とまた空気の冷えたのが解る。涼しいではなく寒い。霧も出ている。もやっている。

 視界は明るくはなったが陽はまだ射していない。山の向こうの一部が黄金色に輝いている。あれが朝日なのだろう。もう七時に近い。ずいぶんと遅い夜明けだ。陽光が待ち遠しい。

 寒くて走れない。おれはカッパを着ることを思いついた。ビニール製で風を通さないから効果があるはずだ。
 バイクを停め、バッグを開ける。カッパを取り出す。
 またピックアップが通り過ぎる。運転手が、雨も降っていないのにオレンジ色のビニールカッパを着込むおれを怪訝な顔で見ていた。
 走り出す。いくらか楽になった。

 チェンマイで寒くて走れないというのは一度だけ経験している。
 二年前の正月、中国人のガールフレンドが、エレファント・ファームに行きたいと言った。あそこでのアトラクション開始は早い。象の曲芸を見るには、八時には着いていないとならない。

 朝七時に、バイク二人乗りで出発した。メーリムまでが二十キロぐらいだから、そのちょい先を左折して、さらにまた走るエレファント・ファームまでは、街中から三十キロ以上あるだろうか。
 これは寒かった。一月はチェンマイの一番涼しい時期だ。それでも日中は半袖一枚で過ごしている。おれは朝の冷え込みを軽く見ていた。正月のバザー(サナーム・キーラー=運動場特設会場でやる)で買ったコットンの長袖コートを着こみ、彼女におれのジャンパーを着せた。それでもう過剰装備ぐらいのつもりだったが、メーリムへ向かう途中、競馬場からゴルフ場を抜ける辺りで、寒風に突かれて涙がポロポロとこぼれ、手がかじかんでスロットルを握れなくなった。バイクを停める。休まないと走れなかった。彼女も後部座席で震えていた。

 その日が特別に寒かったとも言える。深夜まで遊んでいても寒いと思ったことはない。朝方が一番冷え込むようだ。それと、街中と郊外では温度が違う。
 チェンマイで震え上がるのは、これで二度目になる。

■休憩
 七時半に一山を超え、チェンマイとチェンライの県境にあるホット・スパ(温泉)に着いた。やっと朝日が射してきた。かじかんだ手をこすりあわせる。
 ソンテオ(乗り合いトラック)に鈴なりになって、小学生達が通学して行く。
 朝靄の中で、人々は開店の準備を始めたところだった。

 初めてここに立ち寄ったとき、温泉のある観光地だというその看板から、日本的なものを期待して、あまりの違いに落胆したものだった。山国日本は世界有数の温泉大国である。タイは平地が多い。湯浴みの習慣もない。期待したこちらが悪いと思う。そこにあったのは、幅一メートルほどの池にぷくぷくと沸く湯と、そこで茹でたゆで卵だけだった。
 予定通りここで一休みする。

←開いていたクイッテオ屋

 開いたばかりの店でクイッテオを食べる。
 チェンライに向かって道路の左側に一軒だけある店だ。わらぶき屋根の掘っ建て小屋である。道路右側の店はコンクリート製の長屋作りの中にいくつもの店が並んでいる。その向こう側を川が流れていて、名物の〃温泉〃がある。今までいつも飲み食いはそこでしていた。たまには気分を変えてと、左側の店に入ってみる。
 熱い食べ物をこんなに恋しく、ありがたいと思いつつ食べるなんていつ以来だろう。店主が丁寧な言葉遣いをする人で、20バーツのクイッテオを食べただけなのに、心の中まで暖まった。

 タイ人の仕事ぶりに関して、おれはかなりキツい言いかたをしているが、それは例題がデパートや旅行代理店のような〃中流〃だったからである。タイというのは、上と下はしっかりしている。真ん中が悪い。高級店がしっかりしているのは当然だが、一番下になる小さな屋台や、軒先に商品を並べて売っているような庶民的な店も、みな愛想も良く商売熱心だ。働く人は美しい。そこにおれの好きなタイがある。

 「日記・1−2」で書いたように、高校や専門学校を出た半端学歴の男女が勤める、デパートや郊外の量販店、旅行代理店、銀行、空港ロビーのような、それなりにかっこいい職場の、固定給の店員(頑張っても頑張らなくても給料は同じ)が最悪なのである。

 タイに慣れてくると、そういう不愉快な目に遭いそうな場所には近寄らないようになる。仕事を引きずって来ているおれは、嫌な目に遭うと書く気がなくなってしまうから、そのことにはとりわけ気を遣う。まったくデパートなんて、百回ぐらい行っているだろうが、行くたびに不愉快になる。

 それでもそういう場所は行かなければそれで済むからいいが、毎日行かねばならないガソリンスタンドがこの最悪の場所であることには困っている。
 誰でも出来るこの職業の給料は安く、売ろうが売るまいが安給料は同じだから、おそろしくやる気のない店員がたむろしている。こちらが給油機の前まで行っても、でろんとした目の店員は座ったまま動こうともしない。あるいは、同僚としゃべったりふざけたりしている。ガソリンタンクの蓋を開け、それでも動かない彼らに、思わず「おい!」と声を荒げてしまう。それでやっと仕方なく動き出すのだが、その時もまた声を荒げたこちらを不愉快そうに見る。気分が悪いのはこっちだ。なにしろ日本のサービス過剰なガソリンスタンド(あんなものは世界中どこにもない)から来ているから、この差は大きい。

 おれは給油機の前に停まっても動こうとしない店員に腹立ち、給油せず出てきてしまったことが何度もある。意地でもサーヴィスのいい店に行こうといくつもの店を走り回った。だが行けども行けども全部同じような店ばかりで、ガス欠になるわけにはいかないと、結局は妥協して怠け者の店員から給油してもらうしかなかった。

 たまにサーヴィスのいいスタンド(とはいっても給油機の前にクルマが着いたらすぐに動き始めるという程度)に行くと、貴重なものに出会ったようで晴れ晴れとした気分になる。幸せを感じるのは簡単なことだ。不幸を日常にすればいい。

 そういう彼らでも自分の屋台のような働けば働くほど金になる状況を得れば、誠心誠意を尽くして頑張るようになる。これは人間の精神構造として理にかなっているから、むしろファーストフード店やガソリンスタンドのアルバイトでも、一所懸命に頑張る日本人の方が希少価値ということなのだろう。

 骨の髄まで日本人であり、日雇いの土方仕事でさえ創意工夫をこらし効率アップの努力をしてしまうようなおれには、やる気のない仕事をする人と相対するのは精神衛生上とてもよくない。所詮異国のこと、他人事と割り切らねばならないのに、「もっと真面目に仕事をしろよ、給料もらってるんだろ」と苛立ってしまうのである。

 きょうはラッキーだ。礼儀正しいクイッテオ屋のおじさんと出会い、おれの心は平安である。

■陽光



 もしも当初の予定通りチェンマイを九時に出発したなら、この休憩地には十時過ぎに着き、ほんの十分程度しか休まなかったろう。

 寒さにかじかむおれは、結局ここに一時間も居た。リポー(リポビタンD)を飲んだりしつつ、ぽつねんとバイクに跨っていた。どうにも走り出す気になれなかった。チェンライに行くには、もう一山越えねばならないのである。

 チェンマイとチェンライは同じチェン(城塞都市)が着く似たような名前の町であり、今ではクルマで三時間ほどの距離だから、日本のガイドブックなどでは、北部タイの隣町として同じくくり方をされている。だが古(いにしえ)の文化を比較するとだいぶ違うと言う説があり、おれはそちらの方を支持したい。
 今でこそ舗装された道路(それでも羊腸の連続だが)が通り、簡便な交通手段が確立したが、それはこの十年間、高度経済成長を背景に常に道路拡張の工事をし続けてやっと完成したものである。毎回走るたびに工事をしていた。山中でブルドーザーが年がら年中動いていた。

 道路が整って日は浅い。ほんの三十年ほど前には、獣道に毛が生えた程度の道路しかなかったろう。自動車の普及する以前、チェンマイとチェンライは、二つの峻険な山で隔てられた交流のない地域だったはずである。そこで育った文化は当然違って来る。

 山に遮られて日常的な交流がないということは、結婚のような血の交わりもすくなかったということになる。今でもおれは、かなりの確率でチェンマイ美人とチェンライ美人を見分けられる。顔立ちに明らかな違いがある。おれが可愛いと思う娘は何故かみなチェンライ出身だった。まあそんなおれの好みはともかく、チェンマイとチェンライは親しい兄弟ということになっているが、同じ名字の他人のようなものではないかとおれは思っている。同じ名字なのだから元は一族なのだろうけど、近親に血のつながりはないという解釈だ。


         

 走り出す。しばらく走り、時計を見ると十時。やっと期待していたような状況になってきた。

 山道に陽光が溢れている。
 でもまだ風は冷たく、なのに陽光は暖かいので、下が冷たく上が熱い掻き回していない風呂に入っているような奇妙な感覚だ。

 カッパを脱ぎ、長袖シャツで走る。身軽になった。
 こんなに寒くて震え上がるなら、なにも陽射しよけの白の長袖シャツをわざわざワロンロットまで出掛けて買い込む必要はなかったと思う。中国に行くのに、薄地のジャンパーは日本から持ってきていたのだ。あれを着込んでくれば、寒さに震えることもなく、暑くなれば脱げばいいだけで、ノープロブレムのマイペンライだったのである。どうもせっかくの慎重な性格による準備が裏目に出ているようである。こういうのを俗に間抜けというのだが。

 マイペンライと言えば、タイに一番熱くなっている頃、連載を頼まれた雑誌に「競馬マイペンライ劇場」というタイトルの文章を書いていたことがある。二年ぐらい続いたろうか。
 タイトルの片隅に「マイペンライとはタイ語でどうのこうの」と注釈を入れておいたが、それでも意味が解らないという読者からよく問い合わせを受けたものだ。そりゃあねえ、マイペンライがなんなのか、ワタシも未だに判らない。あの言葉はタイを理解するキーワードだ。一般にはノープロブレム、ドントウォーリー、エヴリシングオーケーのような意味に解釈されているが、そんな生やさしいものではないだろう。クルマで人を撥ねた奴が、死にそうな被害者に向かってマイペンラーイって言ってたもんなあ。謎だ、タイ。

 なつかしい。ふいにそんなことを思い出した。ははは、「競馬マイペンライ劇場」だって。笑っちゃう。読者は戸惑ったろうな。

 「ダービースタリオン」という有名な競馬ゲームソフトがあるのだが、その頃おれはそこでも馬の名前をタイ語でつけていた。「プート・スパープ(丁寧に話せ)」「ヘンケー・トゥア・シ(かってにやれ)」「ピット・ポカティ(尋常じゃない)」とつけて喜んでいた。黒い牝馬にサーオ・イサーン(イサーン娘)なんてもつけた。そしたら後にバンコクの競馬場を取材したとき、馬名表にその名前を見つけて驚いた。本当にいたのである。馬好きの命名センスなんて、タイも日本も似たようなものなのだろう。

■飽食

 メースアイの町に着く。二度目のガソリンを入れる。
 こういう田舎町のひなびたガソリンスタンドだと、バイクに荷物を積んだ異国人に対して、どこから来た、何人だ、どこに行くんだと興味を持って接してくれ、話が弾む。経営者のおじさんと、すこしばかり世間話をした。どうにもこうにも不況らしい。

 ここから左に折れて走ると友人の家がある。
 タイ人女性と結婚した彼は、日本で期間工として頑張り、憧れの総木造の家を建てた。いま木材が不足しているタイでは木造の家を建てるのはたいへんなのだ。最近の建て売り住宅などはみなコンクリート製である。彼の場合も、建築に掛かるまで、何年にもわたって材料の木材をプールしたのだという。女房の兄弟の協力でなんとかなったらしい。木の香りのする自慢の家には何度か泊めてもらっている。立ち寄って見たいが、この季節だと、彼はいま日本だろう。

 好きになったタイ人女性と結婚し、家も建てた、子供も出来た、じゃあ日本で頑張って働き、仕事が空けたら一日千秋の思いで即刻タイまで飛んでくるかというと、そういうものでもないらしい。

 彼が今夢中になっているのはパチンコだ。チェンライの妻子の元に来るよりも、日本でするパチンコの方が楽しいらしい。時には仕送りすべき金まで使い込んでしまい一悶着あったりする。まこと人生とは難しいものである。

 理想の家を建てるんだと燃えていた彼や、子供が欲しいのになかなか出来ず、やっと妊娠したと喜んでいた当時の彼を思い出す。息子が乳飲み子の頃は、日本で仕事をしていても、子供の顔を思い出し、愛しくて愛しくて夢にまで見ると言っていた。タイに行きたくてたまらなくなると話していた。それが今、パチンコである。今の彼にとって、総木造の家も、十五歳の時からかわいがってきた妻も、幼稚園に行くようになった一人息子も、銀玉ほどの輝きはない。
 最も充実した時間とは、目標に向かって走っている時なのだろう。

■旧道

 メースアイからチェンライへは旧道を通ることにした。以前から通りたかった道だ。



 このまま直進するとバンコクからチェンライへ伸びている国道一号線にぶつかる。日本の高速道路が、高速だの有料だのと言うのが恥ずかしくてなって俯いてしまうぐらい、広くまっすぐに伸びた素晴らしい道路だ。クルマで行くときはいつもこのまま直進し、その一号線を通っていた。今回はバイクだから、細く曲がりくねっているだろうが、その分情緒があるはずの旧道を走ってみようと思ったのだ。

 たぶんここだと思われる分岐点があった。他に曲がり角はないし、標識を一目見ただけで九割方間違いないと思ったが、念のためバイクを停め、地図を出し、確認する。チェンライの町中まであと四十キロぐらいだろうか。

 おれが道路標識を見上げ、地図を見ている二十メートルほど手前に、道端で果物を売っているおばさんがいた。ベニヤ板の上に果物を並べ、椅子に座っている。

     

 果物が豊富なタイでは、旬の季節になると、生産地の道端に果物を売るおばさん達がずらりと並ぶ。果樹園の産物を、正規出荷とはべつに売るのだろう。日本でも、西瓜やメロン、リンゴなどの直販を見かけることがある。

 同じような気候のタイとはいえ、地域ごとに名産品は微妙に違う。ドライヴ旅行をしながら、各地で折々の名産の果物に触れ、果実に舌鼓を打つのは楽しい。あれはタイの麗しい風物詩だ。

 売り子はおばさんばかりではない。中には少女もいる。路肩で焼きトウモロコシを売っている雛には稀な美少女と話していて、それこそ〃微笑みの国〃の極上の微笑みに接したりすると、いっそこのまま時が止まってしまえばいいと思うことがある。

 今回の状況はなんだか可笑しい。先ほどからクルマは一台も通っていない。チェンライの山道。あのおばさんは、こんなたいしてクルマも通らない道で、いったい何を売っているのだろう。気になる。じりじりと陽射しは強くなってきた。おばさんの方も標識を見上げては地図と見比べているおれを、なにをやっているのだろうと気にしている。バイクのエンジンを切ったら無音になった。シーンとした山の中で二人だけ。奇妙な静寂。おばさんの目を意識しつつ、おれはこそこそと藪に向かって立ち小便をする。行く先確認。間違いなし。出発。

■到着



 楽しい四十キロだった。旧道らしく曲がりくねっていたが、そこには人家があった。人々の生活があった。洗濯物が風に揺れ、駄菓子屋の店先で遊ぶ子供がいた。

 新道というのは、山や畑を切り開いて作る。まっすぐだ。広いし便利で近いが、それは輸送のための道路=自動車のための道路で、味気なくもある。のんびり走るなら旧道がいい。

 ヘルメットを脱ぎ、風に吹かれながら、とことこと走った。
 陽射しは肌を焦がすほど暑くなっている。やっと白の長袖シャツが本来の役に立ってくれた。朝のあの震え上がった寒さが嘘のようだ。

 この季節は寒暖の差が激しいのだと知る。山道の冷え込みも知った。これもクルマで走っていたら気づかないことだった。気負い込んで朝六時に出発したことによるマイナスだったが、そうしなければ解らないことでもあった。だから、これはこれでよしとしよう。

 チェンライの町中に入る。賑やかだ。それでもやっぱりチェンマイと比べると、小さくておとなしい町だと感じる。北村さんはその辺が気に入ったのだろう。

 チェンマイでは滅多に見かけなくなったサムロー(人力三輪タクシー)が、ここではまだけっこう走っている。

 おじさんの一人にメーコックへの行きかたを尋ねる。方向音痴のおれは、何十回も来ていながら未だによく解っていない。それでも今回の、あそこを右に折れ、次ぎの十字路を左に折れ、突き当たりをもういちど左というのは、珍しくすぐに理解できた。

 礼を言って走り出す。おじさんがいい笑顔をくれた。バンコクよりもチェンマイ、チェンマイよりもチェンライの方が、人々の笑顔が素朴だ。

 目の前に見慣れたメーコック・ヴィラ・ゲストハウスが見えてきた。
 時刻は午前十一時。五時間掛かった。やっと到着である。

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