チェンマイ日記1999夏
番外篇


         タイ語学習の思い出

      

       

 


●はじめに
 99年に後藤茂さんのホームページに連載した「チェンマイ日記1999夏」を再度アップするために、手直しやら部分的削除やらいろいろやっていた。前章の「美しいことば」の合間にタイ語教科書の写真を何枚か入れていたのだが、写真とそれを買ったときの思い出などを数行書いているうちに、次第に点数が増えてきて、文章の流れを寸断してしまうので、これは別項にすべきと判断し、新たにこの一章を附け足すことにした。
 今もうタイ語の勉強を全然していないので、なくしてしまった教材も数多い。捨ててはいないので、資料箱として廊下に積み上げてある農作物用コンテナの中に、「タイ関係」とでも題して放り込んであるのだろう。ここで取り上げたのは手近の本棚にあったものである。手近にあったということは、私のタイ語学習に役立ったものという愛しい存在のはずで、もっともっとコンテナをひっくり返せば何冊も出てくるにせよ、それらはたいして役立たなかったものということになる。だから以下のものが私のタイ語学習の教科書と言い切っていいように思う。いずれにも思い出があり、きょうはなんだかタイの音楽でも聴きたい気分である。


●初めてのタイ語教科書
 初めて買ったタイ語教科書はどこかに行ってしまった。たぶんこれが現存している最古のもののように思う。もちろんテープ附き教材である。まったく見知らぬ言葉を習うのに音がないのでは始まらない。
 私が買った初期の教科書の特徴は、下記のアップ写真にあるように、タイ文字がないことだ。この頃はこのアルファペット表記がわかりやすく、すばらしい方法だと思っていた。
 今は、最初からタイ文字で始めるべきで、アルファベットやカタカナはないほうがいいと思っている。しかしまあそれは、読み書きまで出来るようになった今だからこそ言えることだ。









 上記の、普通とはちょっと違うローマ字表記から、これは発音に関する特別な決め事があるのだと想像できるだろう。アルファペットの上にくっついている見慣れぬ声調記号はともかく、それ以前に、「ク=khu」なのである。なぜ真ん中にhが入っているのか。それは私たちの発音する普通の「ク=ku」とは違うことを示している。これはタイ語のk音には、有声音、無声音があるので、その違いを表したアルファペット表記なのだが、こんな決まり事を記憶し、即座に判断しつつ学ぶのは難しい。これは西洋人のための法則であろう。
 ましてワープロやパソコンでもローマ字入力が嫌いなほどアルファペット嫌いである私に、これは合わなかった。逆に言うと、ローマ字好きにはとっつきやすいとなるが、それでも薦めない。なぜなら、後々役立たないからである。ここにあるアルファペット表示は、あくまでもここで学ぶときだけのものだ。これで覚えて、あらためてまたタイ文字と発音を習うことになるなら、最初からタイ文字に取り組んだほうが、最初は難しくても、後に役立つ。ということで、こういうタイ文字表記のない本は薦めない。

 それでもこの本から学んだことは多く、巻末にある状況別の会話例など、空で言えるほどになった。「ミー・フェーン・ルー・ヤン?=恋人はいるの?」というタイでは挨拶代わりの言葉に対する、「カムラン・ラップ・サマック・ユー、クン・チャ・サマック・マイカップ?=いま募集中です。あなたはどうですか?」などは、バンコクでもチェンマイでも、昼でも夜でも、大活躍してくれた(?)ものである。この「あなたはどうですか?」の部分は、直訳すると、「(私の恋人に)あなたも応募しますか」という意味だ。
 でもこれらはすべてウォークマンやクルマの中で聞いたテープから丸暗記したもので、このアルファペット表記による本には、ほとんどお世話になることはなかった。
 タイ文字表記がないということ以外は、よく出来た本だと思う。 ナツメ社。3000円。




●そこそこに役だってくれた本たち


 これはタイ好きに限らず、海外旅行に出かける時、正露丸のように、まずは誰もが手にしてゆく一品。成田空港の本屋でも売っている。
 欧米が先だった私の場合、右のオレンジ色のほうを先に購入している。失くしてしまったり忘れてきたりして、かなりの冊数を買っているが、この本にお世話になったという覚えはまったくない。それどころか、フランスで、知りたい単語(簡単な日常用語)があり、懸命に探すのだが見つからず、その列記の順番にひじょうな不満を持ったことを今も覚えている。
 それでも、不特定多数のヨーロッパ諸国を訪れるときは、小さくて六カ国語も載っているこれが便利だろうと、ついついまた転ばぬ先の杖としてまた購入してしまうのだった。このペイジにあるように、勉強熱心な私の本は、蛍光ペンで塗られたり赤線が引かれたりしているが、この「六カ国語会話」にはいっさいない。ほんとに役立たずだった。



 その六カ国語のタイ語の部分のみを拡大したのが左の写真。タイ文字があり、カタカナが振られている。このカタカナを日本語読みしても通じまいが、字を見せればいい。冒頭に挙げたナツメ社の本のようなものは、カタカナを呼んでも通じないし、かといって、あのアルファペットを見せても通じないのである。それよりは有効な方法と言える。

 この本が役立たずだと書いたが、それはあくまでも私の場合であって、おそらくこの本に世界各国で助けられ、感謝した人は多いだろう。実際、世界各国で、この本を手にした外国人(タイ人、中国人、欧州ではフランス人、ポルトガル人など)に、「日本にはなんて便利な本があるんだ」と羨ましがられている。今の時代には欧米にはきっと同じようなものがあるだろうけど、当時はいかにも日本的な画期的なものだったのだろう。

 私のような性格は、よりよいものを探して次から次へと購入してゆくので、ひとつのものを使い倒すということがない。そういう私にとっては役立たずであったが、これ一冊を上手に活用し世界中を旅した人もいるはずである。だからこの本への辛口の評価はあくまでも私個人のものと思っていただきたい。JTB。初版は1960年という古強者である。値段は、時代と共に変るのでカバー表記となっているのが、いかにも古くからのベストセラーを感じさせる。










 この本のタイトルは「トラベル タイ語会話 手帳」である。表紙はどこかにいってしまったが、カラフルなイラストの入った、なんというか、子供っぽいというか、軽薄っなものであった。ましてタイトルからもかなりイージーなものが想像できる。つまり、タイ語など全然出来ないOLなどが(←これ、ちょっと差別っぽい表現だな)いかにも、「ねえねえ、これ一冊買ってこうよ、役立つかもしれないし〜」と、購入しそうな本なのである。ところがこれ、中身はかなりの硬派本だ。とっつきにくい。前記のそういうOLなどはきっと、使いにくい、役立たないと腹立ったかもしれない。著者はクリエンクライ・ラワンクルという東京生まれのタイ国籍という人。よくわからん。

 中身が硬派なのは、出版社が語研だからだろう。語研とは語学研究社の略だろうか。ここの会社の語学本はよいものが多い。ただしこの本に関しては、軽い見かけと硬派の中身という一挙両得をねらったのであろうが、軽薄派にはチョー便利と思ったら小難しいし、硬派は見かけで敬遠して近寄ってこないし、でむしろ一挙両損をしているのではないかと心配する。
 ちょっとおもしろいので一部分をピックアップする。



 いくらタイ語に句読点がないからといって、同じくこの句読点のないだらだらと長いカタカナ羅列をこなせる人はいるのだろうか(笑)。いったいどこで切ったらいいのか気が狂いそうになるだろう。自分なりに句読点をつけたり、抑揚をつけたりして努力しようと、このカタカナを何百回読んでも通じないのは間違いない。

 私がこの本を手にしたのは、さいわいにも文字を習ってからだったので、こうして解説していても、文末に〃(笑)〃なんてのを入れるぐらい餘裕だが、もしも初心者の時に期待してこれを買っていったなら(いやほんと、いかにも初心向けの装丁なのだ)、このどこで切ったらいいかわからないカタカナタイ語を読んでも全然通じないし、声調の(ほとんど)ない日本語からしたら、このカタカナ文は意味不明なお経のようになってしまう。おそらく旅の途中で「この役立たず!」と罵って破り捨て、それでも気が済まず火をつけて燃やしてきたように思う。

 私が著者なら、こういうどっちつかずの作り方はぜったいにしない。この本は、読者想定という商品開発における基礎発想が出来ていない。それどころか、まるでタイ語を嫌いにさせるための本のようだ。すべからくすべての本は読者のためにあるべしなのだ。ということから著者のクリエンクライ・ラワンクルという人を考察すると、私は一瞬日本人がふざけてつけた名前(山本七平のイザヤ・ベンダサンのように)かとも思ったのだが、このいい加減さはきっとタイ人であろうと結論した。
 ということで次の本も同じ著者。

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 同じ語研の本、同じ著者の本なので並べてしまったが、この「タイ語会話 決まり文句600」はいい本だった。私の書き込みを見ても、おっちゃん(私ね)がまるで受験生のようによく勉強しているのが解る。おそらく、ラワンクルさんが「タイ語手帳」の半端さを反省して、本気で作ったのがこれなのだろう。初版は94年と遅いから、かなり内容も練り込まれている。おすすめの一冊である。ただしこれも「決まり文句600」というタイトルは一見初心者向けだが、内容はかなり難しい。硬派である。
 値段は本とカセットテープ二本で5820円だからけっこう高い。でもそれだけの内容はある。

 これ、私にとってはタイ語学習熱がかなり冷めてから購入した本だった。だからとてもこの本をマスターしたとは言えない。これを完璧マスターしていれば私のタイ語はもっともっと流暢なはずである。
 またなんらかの変化があり、タイ語を勉強しようと思った際には、ぜひとも教科書にしたい一冊だ。

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 ラワンクルさんからメイル
 2005年10月29日、上記2冊の著者ラワンクルさんからメイルをいただいた。
《著者はクリエンクライ・ラワンクルという東京生まれのタイ国籍という人。よくわからん。》の部分を「あんたのことをこんなふうに書いているヤツがいるよ!」と御注進に及んだ人がいるらしい。お疲れ様です。

 ラワンクルさんは、

 著書をご紹介いただきましてありがとうございます。
 父が外交官として日本に赴任になったときに私が日本で生まれたため、父親が外交官ではない民間人の場合は、私は日本国籍となりますが、父親は外交官であるため、外国(タイ国からみて)であっても、当時日本で生まれた私はタイ国籍となります。ちなみにパスポートはタイ国発行のものですが、出生地は東京となっています。


 と、おとなの対応。失礼な記述もある私に対して怒ることもなく、タイ人の懐の深さを見せてくれた。ありがとうございました。

 ラワンクルさんの新刊「対面式指先旅行会話タイ語」小学館




●記憶に残る一冊

 タイで買ったタイ語の教科書は、バンコクの伊勢丹で買ったカタカナタイ語のものが最初だったように思う。手帳サイズのちいさなものだ。役だったのか役立たずだったのか、なにしろ「アーユッタオライ(齢はいくつですか)」が通じただけで舞い上がっていた頃だから記憶もおぼろだ。ポケットに入る小さなものを二種類買い、肌身離さずいつも持って歩いて活用していた。
 いま振り返ってもわからないのは、旅先で知り合った人の中には、私が二冊持っていると「おっ、それいいね。一冊貸してよ」と持ってゆこうとする人がいたことで、こういう人は自分で購入して勉強する気はないが、ただで便利なものがあるなら使わせてもらおうという発想のようだった。彼らが何十回タイに通おうとタイ語が上達しなかったのは言うまでもない。

 この赤い本、チェンマイで購入した60ペイジほどの薄っぺらな本「すぐにつかえる 日-タイ単語辞典」は、今では伝説的な(?)一冊である。
 初めて『サクラ』に行った頃、91年の秋に買った。写真でもそれとなくわかるが、もうくしゃくしゃである。これが資料用のコンテナにその他大勢としてぶっこまれず、手元の本棚にあったということは、それなりに印象的な本だったのだろう。私自身この本の世話になった覚えはあまりないのだが、チェンマイを舞台にしたおじさんたちのタイ語学習に関するおもしろおかしい話をするときには、欠かせない一冊といえる。よくぞ捨てないで取っておいたと自分をほめてやりたい。この「タイ語学習の思い出」というペイジも、この赤本があるとないとでは(単なる私のこだわりではあるが)充実度が全然違う。



 著者は左の通り。小此木さんである。
 初版は1987年。値段は100バーツ。この時代にこういう本を作ることは、今と違って大変な苦労が要っただろう。
 今じゃパソコンを使って素人でも作れる。日本語の看板も、タイ人の業者がほいほいと上手に作ってくれる。ロゴもフォントもあるからだ。だがこのころは何もなかった。英語はあった。だから英語の看板は、その辺のオープンバーでもオシャレできれいだった。日本語はなにもない。『サクラ』の看板はパパがペンキとマジックを駆使して手作りで作っていた。今はきれいなものがある。

 『サクラ』の近くに「あり」というバーがあった。電飾ネオンに「あり」と書いてあり、みんなが「あり」と思いこんでいた。でも私はそれが「あい=愛」であり、ひらがなを知らないタイ人が、手本としたひらがなを見よう見まねで書いた「い」の右側が極端にぶら下がってしまい、「り」になったのだと理解できた。そのことをみんなに言うと、「さすが作家、すごいな」と褒められたが(笑)、まあそんな時代だった。この本を作るのに小此木さんがどれほど苦労なさったか偲ばれる。



 しばらくして小此木さんはチェンマイ大学日本語講師の座を追われる。
 そのとき『サクラ』のみんなは、「あの『もう濡れている』がまずかったんじゃないの」と噂したものだった。

 「ぬ」の項、「ヌード写真」「服を脱ぎなさい」「もう濡れている」と、小此木さん、チェンマイを訪ねるおじさんたち、この本を購入する読者の気持ちになり、必要とするであろうタイ語を、ここまで考えて作ってくださっている。正に辞書編纂者の鑑である。辞書という商品を作る人は、全人こうでなくてはならない。

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 ところで、餘談ながら。
 この項を読んだかたの中には、なんちゅう本だと笑い、いかにも手製のマイナーな本だと思われるかもしれない。この本が下記の新版になると、上記のような例題はすべて削除されたと知ったなら、さもありなんと思うだろう。つまり、古き良き(悪しき)時代の話だと。
 だが世の中は、もっと違う方向にゆがんでいっている。タイに行く買春おやじが必要とする本からは上記のような例は消えたかもしれない。しかしもっと違う方向で、すごいことになっているのだ。

 ほんの数年前、私はフランスに行くのに、とりあえずの軽い気持ちでフランス語会話集を買った。メジャーな会社の出している旅行会話集だった。たいして役立つこともなく、それどころか肝腎の場面では、必要とする単語が出てこなくていらだつことの多い駄本だった。そうして、肝腎の単語が見つからずいらだつ私の前に、こんな会話例が載っていたのである。日本人女性の必須会話例であるらしい。「コンドームをつけてください」「私はピルを飲んでいません。妊娠すると困るのです」。フランスの田舎で、そのペイジを読んだとき、私はがっくしと肩を落とした。なんかその本が汚らしく思え、捨ててしまった。

 かつてチェンマイで、日本人おじさんたちのために100バーツで売られていた本に載っていた「服を脱ぎなさい」と、今、大書店で売られているメジャー出版社の本にある「コンドームをつけてください。わたしはピルを飲んでいないのです」……。これが時代というものなのだろう。
(せっかく書いたのだからと、本屋に出かけて調べてみた。するとこの本の発行元はダイヤモンド社。『地球の歩き方』の語学本だった。上記の表現は、正しく再現すると、「わたしピルを飲んでないの」「避妊してくれなくちゃイヤ」だった。最も実用的な作り方をしている『地球の歩き方』であるから、ここの読者にはこういう表現が必須なのでしょう。)

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 さて、同じ小此木さんが編纂した新版がこれ。
すぐに使える日タイ辞典」値段は350バーツだったか。上記赤本の増補新版なのだが、「ぬ」の項は全面的に変っていて名残はない。

 この本には、内容をそのまま録音した四本のカセットテープがあった。それは今も手元にある。この本は、その四本のテープ附きで350バーツだったのだろうか。それとも、上の赤本の三倍ぐらいの厚さだから、本だけが350バーツで、テープは別売だったのか。本だけで350バーツは高すぎるようにも思うし、テープ附きだと安すぎるようにも思う。どっちだ。
 記憶力に関してはいいほうなのに、あやふやになってしまっているのは、この本もテープも、私はぜんぜん活用しなかったからである。それは、この本には〃致命的な缺陥〃があったからだ。それに関しては、すり切れるほど活用した下記の本の時に触れたい。






●最愛の一冊


 この本が、私が最も活用したタイ語教科書である。
タイ語基本単語2000
 出版社は語研。別売のカセットテープ二本がある。私はセットで買った。5000円前後だったか。
 状況や分野別に単語を羅列してある。もちろんテープがなければ始まらない。クルマの中で、すり切れるほど聞いて暗記したものだった。元テープがダメにならないよう、何本かダビングして複製を作って使ったことは言うまでもない。
 また巻末に、「よく使われる前置詞」のような一覧があり、その前置詞を使った代表的な例文がある構成も便利だった。

 章と章の合間に、子音の名前、文法用語の言いかたなどが一覧になっているのも役だった。たとえば「タイ語の心がけ」に書いているが、「この記号の附いた文字は発音しない」という記号がある。それを「無音記号」「無発音記号」と日本語で言うのはたやすいが、タイ語ではなんていうのだという疑問は残る。それが「カラーン」だと、かなり初期の時点で学べたのも、この本のお蔭だった。

 しかし、良くできている本という以上に、私にはこの本に大きな魅力があった。
 それは、この本の内容をテープに吹き込んでいる水野ワーサナーさんの声が美しかったのである。これはもう最高に大事なことなのではないかと私は思っている。
 タイ語の響きは優しい。やわらかく、心にとけ込んでくる。意味などわからなくても、ゆっくりと流れる切ないメロディのルークトゥン(タイの演歌)を聞いていると泣きたくなってくるほどだ。だからまた「タイ語をしゃべるゴルゴ13」を想像して笑ってしまったりもする(笑)。

 ゴルゴ13のマエサイ

 この「声の魅力」というのは大きい。私の歌手の好き嫌いは、うまいへた以前にこれがある。身近な例で言うと、松田聖子がデビューしたとき、若いのにずいぶんと艶のある声の娘だなと思ったものだ。スターになるだろうと。どうにも美空ひばりを好きになれないのはあの声のせい。ポール・マッカートニーやスティービー・ワンダーは声からして好きなのだが、かといって大好きなビリー・ホリディやサッチモ、ボブ・ディランなんかは悪声になるのだろうし、声の魅力をひとことで美声でくくるわけにはいかないだけれど、とにかく、語学教科書における吹き込み者は、魅力的な声の人であって欲しい。これは譲れない。

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 これの最悪の例が前記、小此木さんの作った水色の本とペアになっている四本のカセットテープだった。ちょっと私には、今でも信じがたい。なんか、だみ声の、とんでもない悪声の女性が吹き込んでいる。たしかチェンマイ大学の女子大生だったと書かれていたように思う。吹き込み役の女子大生などよりどりみどりだった小此木さんが、なぜこんなだみ声の女性を選んだのか私には理解できない。たぶん、きっと、この女性は美しい容姿の人なのだろう。小此木さんのお気に入りの。

 でもねえ、テープの場合は見えない容姿なんかどうでもいいから、〃声美人〃をお願いしたい。日本人であり、チェンマイ在住の小此木さんが作った本は、一面においてとても良くできていた。だけど、このだみ声で勉強する気にはなれず、私はテープを全然聞かなかった。吹き込み者の声がきれいだったら、いちばんのお気に入りとしてここに並べたかもしれない。

 この後、小此木さんは「チェンマイ語」の本とテープも出す。パーサー・ランナー(チェンマイ語)に興味があり、一度は手にしたけど、「またあのだみ声なのかなあ」と思うと買う気にはなれなかった。この件に関して小此木さんの犯したミスは大きいと思う。もしかしてそれが、最愛の恋人だったのか奥さんだったのか、どんな事情だったにせよ。

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 ということでまた「タイ語基本単語2000」に話はもどる。
 下線を引き、蛍光ペンで色を塗り、大学受験の時の単語帳のように熱心に勉強したものだった。
 タイ文字表示もされていたので、この本で一気に読み書きも覚えてしまおうと思ったのだが、うまくゆかない。

 それは当然だった。だって文法を知らなければ、機械的にアルファペットを覚えただけではタイ語は書けるようにはならないのだ。獨自の法則がある。次第にそのことに気づいた。タイ文字の書きかたは、日本語と違いかなり変則的だ。
 私は日本語が、ひらがなを覚えれば、知っている単語を書けるように、英語がアルファペットを覚えれば単語が綴れるように、タイ語もそうだと思っていた。だけどタイ語は違っていた。この本で、そのことに気づいたことから、私は猛烈にタイ語の読み書きが出来るようになりたいと思うようになったのだった。そうしてチェンマイのYMCAで学ぶことになる。
 最初からすべて獨学でものにしてやれと思い、そのことに自信があったから、読み書きに関して学校に頼ったのは、私にとっては小さな挫折だった。

 水野潔さんと水野ワーサナーさんは、日本人とタイ人のご夫婦である。何年か前、離婚したという話を聞いた。お会いしたことはないが、この教科書とテープから仲のいい夫婦を想像していただけに、残念に思ったものだった。


●『宇宙堂』スペシャル!?


 これは1993年当時、『宇宙堂』で売っていた語学本。まだ『宇宙堂』が『サクラ』の隣にあった時代である。
 中身は、上記「タイ語基本単語2000」をコピーして製本したもの。値段は150バーツ。ナベちゃんによると、タイはコピー代が高いのでぜんぜん儲けが出なかったとのこと。たしかに、当時街のコピー屋で、1バーツ二枚だったから、うまくナンシー(ナベちゃんのおくさん)が交渉して安くしたとはいえ、150バーツではあまり儲けは出なかったろう。綴じるのにも手間暇がかかったはずだ。

 私は上の写真にあるように、元本に色を塗ったり書き込んでしまったりしていたので、二冊目を150バーツで手に入れることが出来て助かった。
 『サクラ』、『宇宙堂』、浦野さんが経営していたゲストハウス「ジェイムハウス」と並び、ジェイムハウスの一室で連夜徹マンをしていた懐かしい時代の遺物である。捨てずにとっておいたのは(私はけっして物持ちはよくないので)、そのころの懐かしさがあったからだろう。


 いま本棚を見たら、「中国語基本単語2000」「フランス語基本単語2000」「スペイン語基本単語2000」と並んでいる。この「タイ語基本単語2000」の出来が良かったので気に入り、その後の語学勉強でもこのシリーズを愛用したのだろう。(←と、完全に他人事風な表現から、最近は全然勉強していないので明白である。)





●この本に触れずには通れない

 タイで発行されている日本語のタイ語教科書を語るとき、この小林豊さんの作った本は欠かせない。左の本はA4版の大型サイズで300バーツ。携帯に便利なB5版もあった。
「日タイ・タイ日初級辞典」

 小林さんのプロフィールのところに、95年の4月18日にチェンマイのタンタラパンデパート(今は買収されてロビンソンデパート)にある東京堂書店で買ったと記されているが、それはこれが二冊目だったからで、一冊目のB5版は初版が出た93年に買っている。

 95年の4月もソンクランをやっていたんだな、私は。どこでだれと遊んでいたのか、手帳を見ないと思い出せない。あ、なにを寝ぼけているんだ。95年といえば阪神大震災があり、オウム地下鉄サリン事件があった年だ。チェンマイでも大きな話題となりたいへんな年だった。以前から覚えていたペンディンワイ(地震)というタイ語を頻繁に聞いた。タイ人もまた、タイ語を知らない日本人に説明するために、アースクエイクという英語を覚えた年だったろう。


 この本はタイで300バーツ(千円)だったが、日本の八重洲ブックセンターで見たら4800円だった。実際それぐらいの価値はあるだろう。こういう本も、タイで買うに限る。同じく、プノンペンで2ドルで買ったカンボジア語の教科書が、やはり八重洲ブックセンターで5000円で売られていたことを覚えている。現地で買うに限る。
 ところで、こういう高い値段に対し私が批判的であるとは思わないで欲しい。まったく逆である。この小林さんの黄色い本や、カンボジア語の本を失くしてしまい、もういちど欲しくなったときすぐに手に入る環境が最高だと私は考える。そのとき5000円なんて金額はちいさなものである。それよりも「どうしてももういちど手に入れたいのだがタイ(カンボジア)まで行かなければ無理か……」と思い悩むことのほうが遙かに精神的に悪い。私はこれらの本を置いている八重洲ブックセンターに心から敬白している。



 左がこの本に載っている小林さんの経歴。神奈川大学を出て役所に勤めているとき、タイと出会い、魅せられ、仕事を辞めてタイに行ってしまう人生が、経歴の中に凝縮されている。奥さんはもちろんタイ人で、かわいい娘さんと一緒の写真も、他の本で公表していた。
 
 小林さんとは、この本を買った95年頃、『サクラ』でお会いしている。初対面の時から私は彼を「先生」と呼び、日本人のタイ語学習に先生の果たした役割がいかに多大なものであるかと賛美しつつ、丸テーブルで先生にビールを注いだ。先生は、うんうんとうなづき、次第にわははわははと躁状態になって行き、しまいには「私はめったにチェンマイなんか来ないのに、偶然にして私に会えるなんてキミはチョークディ(幸運)だよ」とおっしゃって、気持ちよく帰っていった。

 後で『サクラ』のみんなに、何であんな人を先生とあがめ奉るのか、ほんにあんたは調子のいいヤツやと責められた。いいんじゃない、それでみんな仲良くなれば。実際小林さんの本は、タイ語を全然知らないおっさんが、カタカナタイ語から学び始めることに関しては、最もすぐれたものだと私は思っている。多大な功績だ。それはやはり、小林さんご自身が、同じような苦労をなさってきたからだろう。

 小林さんの本の特徴は下の写真にあるように、オヤジギャグが連発されていることで、しかもそのオヤジギャグの意味がよくわからないという、笑ったらいいのか腹立ったらいいのか迷うところにある。
 海のことをタイ語ではタレーという。その説明として「ラーメンのタレと覚える」とある。ラーメンにタレはあるのか。あれはスープではないのか。でも假にそれをそれをタレだとしても、海とラーメンになんの関連もないのだから、タイ語の海を日本語のラーメンのタレで覚えることになんの意味があるのだとなる。逆にある日、「ラーメンのタレ」という言葉を思い出し、「ラーメンのタレってなんだっけ。そうだ、タレってのがタイ語なんだよ。タイ語のタレってなんだっけ、え〜と、ラーメン、ラーメン、ラーメンに関係のあるタイ語……」と、かえってこんがらがらせることになるのではないか。と本気で考えてもしょうがないが。
 このオヤジギャグらしきものは誰にとっても印象深かったようで、小林さんの本の話をすると、必ず誰かから「ラーメンのタレでタレーを覚えろって言われてもなあ」という話が出てくる。みんなにそれだけ強烈な思い出を残しているのだ。罪なヤツだぜユタカッチ。











●こんなこともやりました

 これは幼稚園児たちの初等教育用教科書だ。私はタイ文字の勉強を始めたとき、こういうのが本屋にあるはずとひらめき、出かけていって探した。読みが当たり、欲しいと思っていたこれらを手に入れたときはうれしかったものだ。
 こんなもので学ぶことに、恥ずかしさはなかった。だって、現実にこのレヴェルなのだから、照れていてもしょうがない。薄っぺらなこの子供用のドリルを、何冊も買い込んできて、早速勉強を始めた。

 この茶色の部分は、私の書いた文字である。タイ語のアルファペットを点線をなぞって書く。まるっきり文盲の初等教育である。こんな初歩的な勉強も楽しかったものだ。

 学問に対する才能は、一を聞いて十を知るで判断される。一を聞いていくつを知ることが出来るかが能力値になる。が、私はまず、その人に一を聞こうとする気持ちがあるかどうかが大切なのだと思う。私には一を聞いて十を知るほどの能力はないが、一を聞きたいという気持ちはとても強い。一を聞くためにどうしたらいいかと考えるのも好きだ。

 自分がそうだから、そういう友達とばかりつきあってきた。あまり好きではない海外旅行というものを頻繁にするようになって、それまでとは違ったタイプの人たちと知り合う機会が増えた。それで思ったのは、世の中には、一を聞くためにはどうしたらいいかわからない、という人がいっぱいいるのだということだった。

 タイ語を覚えたいと思っている。そのためにはどうしたらいい。学校へ行くか。今更この齢で学校なんかゆけるかよ、みっともないよ、恥ずかしいよ。本を買って覚えたらどうだ。おれ、本嫌いだからなあ。読んでると眠くなっちゃってよ。ああ、タイ語が話せたらいいだろうなあ。どうしたら話せるようになるんだろう。
 世の中にはそんな考えの人がいっぱいいると知った。学校へ行けばいい。本を買って勉強をすればいい。答えがわかっていても、学校なんてみっともなくてゆけない、本を読んだら眠くなると理由をつけて始めない。その理由として「おれってプライドが高すぎるんだ」なんて言う。ちがうよね。プライドがないんだよ。プライドがあれば、私のように幼稚園児のドリルだって、ためらうことなく取り組めるんだ。そうして言葉が話せず、読み書きも出来ないまま、半端な書類などを作り、結果として何百万だ何千万だという財産を失うことになっている。不思議でならない。
 自分や友人と違う発想をする人たちがいることを学んだのが、私が旅で学んだいちばん大きな収穫だった。





●二番目の愛読書


 これもよく売れている有名なシリーズもの。「SS式すぐに話せる! タイ語」。
 前記の「基本単語2000」が受験勉強的に単語丸暗記路線なら、こちらは「会話優先主義」。どっちに偏ってもダメだろう。私はこの二冊を同時に学ぶことで、ちょうどいい形で進行できた。これっていくらだっけ。カセットテープ二本とセットで4800円だったか。この本とテープを熱心に勉強したのも、男性女性共に声が気に入ったからだった。とにかくテープ教材における声の価値は、非常に重要である。
 この教科書は、「とにかく基本会話パターンを覚えてしまえ!」という教育法で、ひとつのオケイジョンをかなりしつこく覚えさせる。とりあえず日常会話的な基礎構文を覚えてコミュニケーションを取りたいという人には、最適の本だろう。私の本棚に「SS式ベトナム語」「SS式中国語」「SS式スペイン語」などが並んでいるのは言うまでもない(笑)。





●正統派教科書


 「日・タイ実用単語」。出版社は泰日経済技術振興協会。
 この協会の出しているものは、日本のタイ語学校の教科書にも採用され評判がいい。私もチェンマイで購入したが、それほど夢中にはならなかった。たぶんにそれは、教科書的な冷たさがあったからだと思う。
 資料用コンテナの中には、もっと本格的な教科書が入っている。これだけ手元にあったのは、これが単語集だからと思われる。



 下のものは、白山にある泰日学院でも教科書として使用している白水社のもの。エクスプレスシリーズの一冊。とてもよくできているが、私はこの学校に通わなかったし、大学時代のフランス語の教科書が白水社だったことから、どうにも白水社という名前は、なんとなく劣等生時代を思い出してしまって敷居が高かった。
 久しぶりに開いてみたら、この二冊には、他の本にあるような書き込みや下線などがまったくない。あまり熱心ではなかったようだ。








●富田先生の辞書


 タイ語辞書で日本一なのは、タイ語の権威、大阪外語大学名誉教授・富田竹二郎先生の辞書である。タイ語を志したものなら誰もが欲しくなるこの辞書は25000円する。私も、欲しいなと思い、買おうと思いつつも、果たして自分はほんとにそこまでタイ語をやる気があるのかと、さんざん迷っていた。

 そんなところに発売されたのがこれ。左の水色が日タイ、右の紺色がタイ日である。両方ともA4版の大型辞書で、内容も二万語を収録してある。左が500バーツ、右が300バーツ。本物の25000円と比べたらとんでもなく安いが、その秘密は、これがタイで発行された「日本語を学ぶタイ人学生用」のものだからである。それは辞書の前書きで富田先生がそう書かれている。内容に手抜きのある簡素版ではないから、とてもお買い得の一冊だ。とはいえ、大のおとなが一日土方をやって150バーツというお国事情から考えると、タイの学生にとってそれ相応の値段の辞書であることが解る。

 小林さんの本がタイで300バーツ、八重洲ブックセンターで4800円と書いたが、この本も日本ではかなりの値段になるだろう。やはり一冊5000円はくだらないはずである。こういうのは見つけたときに迷わず買っておくのがいい。私にも大切な宝物となった。





●お薦めの一冊、いつか再挑戦

 これは、分厚い教科書とカセットテープ三本で9200円と、それなりの値段がするが、実にすぐれたよい教科書である。語学学習に欠かせない置き換え練習なども吹き込まれているので、これさえマスターすればタイ語会話にはまず困らないだろう。
プリヤーのタイ語会話

 と、大絶賛の一冊なのだが、実は私自身はこれを半分ぐらいしかマスターしていない。それは、やはりこれもタイ語熱が冷めてきた頃に出たものだからである。それでも、三本のテープをまず複製を作り、ドライヴがてら繰り返し繰り返し聞いていたものだった。完全マスターの前に中国に行くようになり、前記「タイ語基本単語2000」や「SS式タイ語会話」の姉妹本である「中国語基本単語2000」「SS式中国語会話」を学び始めたので、いつしかお蔵入りとなっていった。この本も、もしももう一度タイ語にチャレンジすることがあったら、熱心に学びたい一冊である。


●文字を覚えよう!

 文字に関する本で私のお薦めはこれである。
やさしいタイ語 文字の読み書き
 タイ文字の読み書きに関する教科書は、02年の今、どれぐらい出ているのだろう。私がこれを購入したときは二種類しかなかった。二種類とも買い、もう一冊はどこかに行ってしまったが、それはたいした本ではないから気にならない。これがいちばん優れている。
 心残りは、チェンマイのYMCAで使った教科書を失くしたことだ。といってもそれもまた資料的な意味合いでの話であり、私がタイ文字を学ぶのにいちばん役だった本、皆さんにお勧めしたいのは、間違いなくこの一冊なので、そういう意味での悔いはない。大学書林発行。1900円。よくできたすばらしい本である。この本でタイ文字の文法を習い、その知識が身につくと、タイでの生活がまた違って見えてくる。タイ語に興味のある人には、ぜひともこの本でタイ文字の読み書きを覚えてもらいたいものだと思う。
 

 こんな感じで、わかりやすく、理路整然と進行してゆく。すると、それまでなにがなんだかわからなかったタイ文字が、こちらの心にも、理路整然としたものとして素直にとけ込んでくる。この喜びはなにものにも代え難い。学問とはすばらしい、ありがたいものだと感じる一瞬である。ヘレン・ケラーがウォーラーと叫ぶときの気持ちに似ている(笑)。


 「タイ語抄」に書いた「センターンの秘密」「サワスディ、サワトディ」なども、この本のおかげである。
 言葉とは、人と人の心を通い合わせる道具であり、文字とは、それからずっと後に誕生したものである。タイ語を話せるようになれたときはうれしかった。だけど、それとはまた別の意味で、タイ文字が読めるようになったときの喜びもまた格別だった。
 タイが大好きで、これからもタイに関わってゆきたいと思う人は、ぜひとも言葉と同時に、タイ文字の読み書きも覚えて欲しいと願う。タイにいるときの充実感がまったく違ってくるからだ。

 餘談ながら。
 先日、中国雲南省にいるとき、妻の近所の家に、タイに出稼ぎに行っている娘からの手紙が届いた。宛先も中身も漢文だが、タイの住所は当然タイ語だった。知り合いのタイ人に書いてもらったのだろう。だまされて連れ出された娘が、タイ人男性と結婚して(内縁だろうが)しあわせに暮らしているようだ。だけどそれはどこなのだうと、その家族から問われて、妻は私がタイ文字を読めることを思い出し、相談してきた。私はその住所を読解してやった。チェンライ県の田舎だった。持っていたタイの地図でだいたいの場所を教えてやる。妻はその家に行き、そのことを伝えた。行方不明のようになっていた娘だったから、私はその一家に感謝され、妻からはタイ文字が読めると尊敬を(?)勝ち得て、いい気分だった。実際問題としてその家族に地図が読みこなせたのか、娘の居場所をどの程度理解できたのかは疑わしい。それでも、一筋の安心感となったのはたしかだろう。
 学問は偉大だ。このことをきっかけとして、もっともっと異国の文字を読めるように努力してゆくと私もエラいんだけど、ここのところ外国語の勉強は止まったままになっている。


●不要な一冊
 どこかに行ってしまったが、けっこう有名な「タイ語 おとなの会話集」シリーズというのがある。「タイ語おとなの会話集」他それなりの数が出ている。ここには日本人男からの「私には妻がいるけど君を好きになってしまったんだ」、外国人女からの「子供が出来たらしいの」「仕送りして欲しいんだけど」のような会話文が収められていて、そういうことに悩んでいる人には、かなり役立つものと思われる。出てきたのが数年前だから、企画としても、あたりまえの本が行き渡った後に、新たなニーズとして開発されたのだろう。「タイ語教科書の今昔」という観点からは、新しい時代に入った象徴と言えるかもしれない。(いま調べてみたら、冒頭にあげた教科書のナツメ社の製品である。)

 私がこの本を買わなかったのは(かなり熱心に立ち読みしたが)、「美しいタイ語」に書いたように、「よけいな表現はおぼえたくないから」である。
 日本で、たとえば秋葉原などで、ものすごく乱暴な日本語を話す白人に出会うことがある。最初にそういう形で覚え、おもしろがられるからそのまま直すことなく来てしまったのだろう。よくないなと思う。前章「美しいことば」の項に、「"ざけんじゃねえ"より、"ふざけないでください"と覚えるべき」と書いたが、その外人は、日本語がすべて「ざけんじゃねえ路線」なのである。本人も、話すとみんなが驚くから、ちょっと得意なようであった。でも私には、なんとも聞き苦しく、とても会話する気にはなれなかった。
 彼は日本語のいちばん難しく、だからこそいちばんおもしろい、尊敬丁寧謙譲などを知らないままに来てしまったらしい。夜の生活で日本語を覚えたタイ人、フィリピン人等の言葉が、下品であるのも同じだ。てにをはが抜けたままだ。それでも意味は通じるが、いわゆるお里が知れる状態だ。人のふり見て我がふり直せである。ああいうふうになってはいけない。

 特に、すでに書いたけれど、何度でも書くが、卑猥な言葉や侮蔑語というのは、その国の人にとってはとんでもない言葉でも、外国人にとってはまったく平気なものなのである。軽い気持ちで言ってしまったりする。そのことによる非礼な場面を作り出さないためには、そんなよけいなスラングなど最初から覚えないほうがいいのだ。私はそれを心がけてきた。
 タイの夜の街に出撃するためにタイ語を覚えようとする人は、そういう目的だからこそ、かえって正当なタイ語学習をしたほうがいいと言える。もっとも、そういう目的の人がそこまで本気で異国語を学ぼうとする意欲を持っているかどうかは極めて疑問だが。


●愛しい教科書を振り返って……

 前章「美しいことば」の末尾に、附記として「書かなかった返事」という話を書いた。
 この「タイ語学習の思い出」という章を読んだら、私が実質一行の失礼なメイルに、返事を書かなかったことを理解してもらえると思う。

 そのメイルが来たとき、私はホームページ「チェンマイのさくらと宇宙堂」を運営していた後藤茂さんに相談のメイルを出した。当時私の文章は後藤さんのところにゲストライターとして掲載されていたものだった。メイルアドレスもそこに掲載していた。
 こんな質問のメイルが来たのだがどうしたらいいだろうと。

 パソコン通信時代からの猛者である後藤さんは「そういう失礼なものはネット社会では日常茶飯事で自分のところにもうんざりするほどやってくる。いい加減なヤツにはいい加減な対応をするしかないでしょう」と言う。適当に二三冊の名前を書いて返事をすればいいのではと。

 結果として私はそれが出来ず、出さないままだった。この章がその答になる。
 私は獨学でこれだけのことをやってきた。これですらまだ一部なのである。自分のタイ語能力には、自ら3歳時並みと言うだけあってまったく自信はないが、これだけの努力をしてきたというプロセスには大きな自負がある。水商売のネーチャンと同棲して覚えたピロートークのタイ語ではないのだという。

 自分のほうの状況を何も伝えず、五十代の大人だというのに、基本的なあいさつさえせず、いきなり「なにがいいですか」と書いてきた失礼なメイルに返事を書かなかった理由は、自分はこれだけのことをやってきたのだという誇り、それをたったひとことで済ませるわけにはゆかないというこだわりだったのだと思う。「なにがいいですか」という単純な質問に「これがいいです」とこれまた単純に応えたら、私の歩んできたタイ語学習という山あり谷あり舗装路あり未舗装路ありの、曲がりくねった、だけどだからこそおもしろかった長い道が、舗装されたまっすぐで短い道路になってしまう。そのことに耐えられなかったのだといま気づいた。

 言うまでもなくここに書いたのは、私のタイ語学習における「個人的な思い出話」である。方法論の明示でもなければ、もちろん押しつけでもない。私の場合はこうだったという結果紹介である。
 過日、ある人のホームページを読んだら、その人は初めてタイに行ったとき手にした前記小林さんの編んだ小さなタイ語本(ここで紹介したものとは別。もっともっと初心者用の簡単なもの)で必要なことを覚え、後は経験で何とかなっていったので、もうタイに関わって十年以上だが、タイ語に関する本はそれ一冊だけだと書いていた。今後タイの田舎に永住予定のようだ。こんな人もいる。それもそれでいいだろう。人それぞれだ。私のように数多く買い込めば、それでうまくなるというものでもない。

 ただし、章のタイトル「タイ語の心がけ」に書いたように、私たちが水商売のタイ女性、フィリピン女性の日本語からそれを学んだ背景を見てしまうように、あちらがこちらを見るときにも、同じ事が言えるということである。
 私としては、これからも、ヘタでもいいから、下品なタイ語だけは話すまいと、それだけを心がけてゆきたい。そして、そういうそれなりのタイ語を覚えるのには、ちいさなポケットブックと、日常的なタイ人庶民階級とのふれあいだけでは無理だというのが、私の結論である。(02/4/26〜30)







 CDを整理していたら左記のものが出てきたので附け足すことにした。
 これは、数年前バンコクで買ったCD教材。最高にすばらしくてため息が出る。本が字、カセットテイプやCDが音なら、これはそれに映像までも附いている。ネイティブスピーカーのタイ語があり、タイ文字があり、絵があり、今発音したのはどれでしょうと、初心者を幼稚園児のように親切に導いてくれる。点数を競ったりもする。もう教室で学ぶのと同じである。マイクを使って発声し、自分の発音を矯正したりも出来る。なんともすばらしい充実ぶりだ。

 と、ここまで書くと、誰でも「それって日本語対応なの?」と思うだろう。実は私も当初、「英語・タイ語」だと思って買った。外見からしてそうである。白人用タイ語学習VCDだ。そういうVCD語学教本はいくつももっている。これはこれで英語の勉強にもなっていいのである。中には、タイ語では知っているが英語ではなんと言うか忘れた単語なんてのもあったりして楽しい(?)。英語のタイ語教本と思って買った。
 ところがすんなり「日本語・タイ語」になり、いきなり「サワディ、こんにちは」で始まったから驚いた。でももっと驚いたのはこの後。なんとこれ、マルチ言語対応なのである。しかもすべてワンクリックで切り替えられるのだ。つまり、「イタリア語・タイ語」なんてのでも勉強できるのだ。便利な時代である。


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