チェンマイ日記

1999夏

              ゴルゴ13のマエサイ
       

      

 パパのアパートまで本を借りに行く。
 有山パパは部屋の外で、クーラーの室外機に腰を掛け、コーラを飲みつつ『バンコク週報』を読んでいた。

 部屋に入れてもらう。
「ごめんねえ、せっかく来てくれたのに、いろいろもう片づけちゃってさあ」と言いながら、本をまとめた荷物を紐解いてくれる。

 秋にチェンマイを去ろうかと悩んでいるパパは既に荷造りを始めていた。たくさん持っている本も分野別に分けて梱包してある。分野別というより入手法別にと言った方が正しいだろうか。パパの藏書は、日本で買ったタイ語の教科書などを除けば、『サクラ』で出会った旅人達から仕入れたものだ。仕入れるなんて言いかたは適切ではないか。旅人達が読み終った本をパパが買い上げてやったのである。旅人は身軽になりたいから読み終った本を何十バーツかで買ってもらって助かっただろう。パパもまた見知らぬ本を読むことは勉強になるからと喜んで買い上げた。両方得である。

 それらが十年の間に溜まり、かなりの量になっている。買った年度などで本を分けてあるようだ。パパには一目瞭然なのだろうが、こちらからみると玉石混淆のようにも見える。
 おかまいなくと言っているのに、ビールを飲むか、いやビールは切らしていたんだ、コーラでいい? ジュースにするかとパパは気遣ってくれる。本を借りに来た身のこちらは、そのうえ手ぶらで来た身としては、恐縮する一方である。パパには古い日本人の美徳がある。それが多くの旅人に『サクラ』を支持させてきた根幹だろう。パパといると、子供の頃、大好きな親戚のおじさんの家に遊びに行ったときのような安堵感がある。

 新書版、文庫本、ハードカバーと色々借りる。
「これ、ぜんぜんおもしろくないね。こういう本て、売れてるの?」
 箱の中から出てくる様々な本を改めて分類しつつ、パパに質問される。
「熱心なファンがいましてね、何十万部も売れるんですよ。ぼくは読まないですけど」と応える。
「だっておもしろくないよ、こんなの。でしょ?」とパパは同意を求める。返事に困る。夢枕某、菊池某とかの怪奇伝奇ロマンと呼ばれるその種の作品だ。こういうことに対する意見は難しい。1万部も出ない作家である私がこんなベストセラー作家に何かを言ったら流行作家に対する嫉妬になってしまう。



 ちょっといい話。

 『サクラ』には『静かなるドン』(新田たつおのマンガ)が二十数巻まで揃っている。店内の本棚にずらっと並べられたその姿は壮観だ。私は新田たつおの作品を読まないのでまだ未読だが、この豪華な揃いぶりは前から不思議に思っていた。
「最初は数巻しかなかったの。それがお客さんがね、おれ今度次ぎ買ってくるよ、じゃあその次はボクが買ってこようなんて言ってくれて、来るたびに増えていって、いつの間にかあんなに揃っちゃったんだよ、ほんと、ありがたいよ」なのだそうだ。
 いい話である。『サクラ』に出入りするみんなの力で『静かなるドン』は揃っていったのだ。

 そういう心遣いはどこから来るのだろう。私は育ちだと思う。
 たまに『サクラ』に来ては長々と居座り、長時間これらのマンガを読みふけり、混んできたからとパパから相席を頼まれても、平然と断るチェンマイ在住の青年がいる。さすがにパパもその無神経さには腹立っていた。この青年が帰国したときに『サクラ』に何かを買ってきたなんて話は聞いたことがない。世話になっている、持ちつ持たれつの感覚がないのだ。彼は自分の祖父は東大を出ていて自分も大学進学するはずだったがある事情があって進学はしていない、だけど自分は良家の育ちであって、と訊いてもいないことを自慢げに話す。彼の行動を見ているとどうにもそうは思えない。典型的な、海外によくいる、どこかの壊れた青年である。もっとも日本人的心遣いが出来るかどうかと祖父の学歴は関係ない。外国に来て祖父の学歴を自慢するというそのこだわりからしてもう壊れているが。



 で、今度はあまりよくない話。
 他の常連客と同じように、私も『サクラ』に何冊かの本を寄贈している。その一冊に『地球の歩き方』のバンコク編というのがあった。タイ編から獨立して出版されたばかりのものだった。買いはしたものの、バンコクのナイトライフがどうのこうのということに興味のない私には無用の一冊だった。
 帰国するときにパパにあげた。パパは出たばかりの新品をありがたいねと喜んでくれた。お店に置いておくと皆さんに役立つでしょう、喜びますよと。でも二ヶ月後に訪れるともうなかった。パパの話によると、三人組の学生のようなのが来て、ここがそうだ、あれは載っているかと熱心に読んでいたのだが、彼らが帰るとなくなっていたのだそうだ。パパはせっかく寄附してくれたものを盗まれてしまって申し訳ないと私に謝るけど、言うまでもなくパパの責任ではない。しかしこういうのはがっかりする。



 『サクラ』で世話になったと、次回訪れる時に日本から何か−−それは前記のような本であったり、『サクラ』で切らしていたダシの素だったりする−−をもってきたりする義理人情に厚い常連は、一様に四十代、五十代のおじさん達である。金がないと言い、ただで飯を食わせてもらいながら、その後なんの連絡もないなんてのは若者達である。誰とも口を利かず黙々と飯を食い、帰った後に本がなくなっているという現場を何度か見ていると、そんな若者が来るとまた泥棒かと気になったりする。そういう自分がイヤだ。そういう自分にしたそいつらが嫌いだ。

 無口なそいつらも、同じような薄汚い格好の同好の士が来ると、これみよがしに、インドがどうのネパールがどうのとしゃべり出す。そんなとき私は、外国に行くよりもまず日本で人間としての礼儀を学んでこいと言いたくなる。こんなのが外国に行っても日本人の面汚しにしかなるまい。
 そしてまた、そういうのがわかったふうなことを言いつつ、『サクラ』の悪口をネットに書き込んでいたりする。




 パパの藏書の中に、なぜか『ゴルゴ13』があった。第一巻から五巻までである。裏表紙の裏側に鉛筆書きで値段が書いてあるから、これは古本屋から流れてきたものだろう。ハードカバーの初版本だから貴重品だ。なぜこの本がパパの手元にあるのか、私はその存在に昂奮していて訊きそびれてしまった。

 ゴルゴは私も全部もっている。新装版という奴でこのハードカバーよりはだいぶ貴重度が落ちる。小説と同じようにやはり読み返したりはしない。第一巻というと、私がまだ十代の頃の作品だ。もう二十年以上も読んでいないので内容などとうに忘れている。ぜひ貸して欲しいとお願いして借りた。

 その他の小説もあれこれと、段ボール箱いっぱいほども借り、バイクに積んでアパートに向かう。これから何日も読書三昧が出来ると思うと嬉しくて、思わず「オー、マイヘブン、セブンイレブン!」なんて呟きつつセブンイレブンに寄り、ビアシンやエビセンなどをたっぷりと買い込んでしまう。ゴルゴを読みつつする一人宴会の準備だ。

 アメリカで「オーマイヘブン、セブンイレブン」の韻を踏んだCMが話題になっている頃、日本でもセブンイレブンの開店が始まった。どんなCMになるのかと思っていたら「セブンイレブン、いい気分」だった。そんなことを思い出す。パソコンCPUのインテルは、アメリカの「INTEL INSIDE」に対して日本では「インテル、入ってる」だった。英語の頭韻は日本語だと脚韻になるのだろうか。なんてことを考えつつバイクを走らせる。

 八月の暑いチェンマイで、クーラーの効いた部屋に寝転がり、BGMにスタン・ゲッツのボサノバを流し、ビールを飲みつつゴルゴ13を読むのである。うれしいなあ、天国だあ。叫び出したいほど浮き浮きする。



 準備万端揃った。二十数年ぶりのゴルゴ再読、スタート。
 ゴルゴが若い。まだ軽薄だ。チンピラっぽい。やたら煙草を喫う。現場に証拠を残してはならない狙撃者が、そんなに煙草を喫っちゃまずいだろうに。あの頃は男がカッコつけるときには煙草を喫ったものだった。渋い男の象徴だった。最近のゴルゴはだいぶ喫煙量が減っている。
 一度だけ、ふっと笑うシーンがあった。数年前に出た『ゴルゴ13の秘密』という本(『磯野家の秘密』の二番煎じ)でも指摘されていた、「ゴルゴが唯一笑った瞬間」である。

 「日本人 東研作」があった。懐かしい。ゴルゴの出生の謎に迫る「ルーツ編」と呼ばれるものの第一作である。この作品が出たとき私は大学生だった。前編が出たとき、東研作がゴルゴであるかどうか真剣に友人と語らったものだ。当時、読者はみなついにゴルゴの出生の秘密が明かされると信じたのである。そして後編で違うと判る。この作品が話題になり、ルーツ編はシリーズ物としての地位を確立した。それからいくつものルーツ編が出る。今じゃどんなものが出ようと、どうせ今回も最後には違うとなるんだろうと予測して読む。ゴルゴ出生の謎は永遠に明かされない。それはもう解っている。

 デビューしたとき三十代前半という設定だったゴルゴは、作品の中で齢を取れば、いま六十歳を過ぎていることになる。スナイパーとしての三十年の歴史は、ちょうど落合さん(日本人世界放浪者の元祖)の放浪の時期と重なる。ゴルゴは年齢も活躍年数も落合さんと同じなのである。とすると、ずいぶんと若作りだな、ゴルゴ。落合さんなんてハゲちゃって歯もないぞ、もう。髪を染めているだろう、ゴルゴ。入れ歯か?

 やがて好調なビッグコミックは弟分の「ビッグコミック オリジナル」を創刊する。私は大学四年だった。時が流れビッグコミックは「スピリッツ」「スペリオール」と更に分派してゆく。思えば一連のビッグコミック類は創刊号から読んでいるのだった。
 「少年サンデー」と「少年マガジン」の創刊は私が小学校に入ったばかりの頃だった。それに対抗する後のナンバーワンマンガ週刊誌「少年ジャンプ」が創刊されるのは高校一年の時である。新人の本宮ひろしに描かせた「男一匹ガキ大将」を先頭に、ジャンプはのし上がってゆく。王者のマガジンは「巨人の星」と「明日のジョー」を擁して迎撃する。私はなぜかジャンプというのが肌に合わなかった。先日、今話題の「サラリーマン金太郎」を読んだが、「男一匹ガキ大将」と全く同じである。ああいう本宮節というのが日本人には受けるのだろうか。
 そのころ、大学生の漫画ファンは、ビッグコミック派と漫画アクション派に分かれていた。両誌の誌面づくりそのままに、読者もまた、ビッグ派の方が穏健でアクション派の方がラジカルだった。ビッグの手塚治虫を始めとする大御所の起用に、アクションは新人を発掘することで対抗したものだ。

 その頃アクションですこしばかり話題になったものに、はらたいらの政治風刺漫画があった。私はつまらないと思っていた。内容以前にセンスがなかった。政治を風刺するにももっと新しい何かがあるのではと感じていた。後に彼は「クイズダービー」に出演して全国的知名度を得たりする。あまりに高解答度に大橋巨泉が〃宇宙人〃なんて呼んで持ち上げる。ただし事前に答を入手していたことを、後にこの番組の構成作家だった景山民夫さんがバラしてしまった。あの男があんなに博学なはずがない。私の田舎に講演(講演料百万!)に来たこともあるらしい。時代が変わり、彼の漫画のつまらなさは、呉智英さんのような有識者から指摘されることになる。若い頃、私はそれを口に出来なかった。反体制であることがかっこよかった時代だ。ひたすら政府と政治家を皮相的に皮肉るだけの、しかもセンスが悪くすこしも面白くないはらたいらのマンガを、当時おもしろくないと公言できなかったことは、私の悔いのひとつである。

(後に私は競馬物書きになってから、競馬ファン必読の書とされ、バイブルともされるイギリスの推理作家、ディック・フランシスの作品をおもしろくないと公言する。推理小説としては優れているのかも知れないが、イギリスと日本では競馬の土壌が違うので、日本の競馬ファンの楽しめる作品ではない、と。そんなことを言った競馬ライターは初めてだった。天に唾するようなものだ。それなりに勇気の要る一言だった。当然ながら非難囂々となったが、一部の人から「そうですよね、ぼくもそう思ってたんですけど、言う勇気が無くて」とも言われた。よくぞ言ってくれたということなのだが、私は誰のために言ったのでもない。言えない自分を消すために言ったのだった。)



●ゴルゴ13のマエサイ



 パパから借りたゴルゴを読み、昔を懐かしみ、ほどよくビアシンの酔いがまわる頃、先日、水戸の喫茶店で読んだゴルゴの事を思い出した。それは路地裏の小さなジャズ喫茶だった。棚にはゴルゴ13が全巻並んでいた。マスターがゴルゴマニアなのだろう。そこで何気なく手にした一冊の中に「マエサイ」が出てきたのである。今回パパから借りた五巻の中にはなかったが、だいぶ古い作品だから、そのすぐ後の巻ぐらいだろう。

 偶然その巻を手にした。読んだ記憶のある一編だった。外国のことなど何も知らない時代、それでも「ゴールデン・トライアングル」という言葉だけは知っていた。「日本人 東研作」を語り合った仲間と、この作品も論じた記憶がある。ゴールデン・トライアングル−−黄金の三角地帯という呼称の響きは、なんとも男の冒険心をそそるものだった。

 初めてタイに来たとき、早速ジープを借りてゴールデン・トライアングルに向かった。それは長年の憧れの場所のひとつだった。タイ、ビルマ、ラオスの三国が交わるところ、屈強な傭兵達が闊歩する危険地帯、異境の町、酒場、娼婦、麻薬売人、妄想が先行した。(無事では帰れないかも……)とも覚悟した。そして……。

 何もないのほほんとした川面に立ち、ゴールデン・トライアングルと書かれた土産のTシャツを買って、なんじゃらほいと気抜けした。イメイジとは全然違っていた。どうにも「黄金の三角地帯」という言葉の響きから幻想ばかりが膨らんでしまうが、ゴールデンも黄金も、その辺り一面で芥子の栽培をしているという麻薬関係者にとって金の成る木という意味でのものであり、関係ない人間には、そこはただの寂れた国境でしかなかったのだった。

 そのゴールデン・トライアングルに住む麻薬組織のボスを、ゴルゴが狙撃に向かうといういつものストーリィなのだが、そこで依頼者(CIAだったかな)と話を受けるゴルゴの間で「マエサイ」という地名が出てくるのである。地図の絵もあった。MAESAI、マエサイ、言うまでもなくメーサイのことだ。喫茶店の中で私は、(ああ、そう)などとひとりごちる。(この時、メーサイって登場していたんだ、ああ、そうなの)ひとりで頷き、ひとりで昂奮する。アート・ペッパーの歌声を聞きつつ、胸にじんわりと熱い波が沸き立ってくる。三十年近く前に読んだ作品と、タイの外れ、ミャンマーとの国境の町・メーサイを訪れたときの実体験、そして今が、ひとつに溶け合ってゆく。あの頃、タイに行くなんて考えたこともなかった。地名にも興味がなかった。覚えていたのはゴールデン・トライアングルという言葉だけだ。だけどこのころ既に私は、マエサイと出会っていたのだった。二つの離れた時間が縮まり、ひとつに結ばれる。そんな気がする。
 熱い胸のさざ波が治まると、今度はまたちょいとしたしったかぶりが顔を出す。マエサイはないだろう、マエサイは。

 メーサイをCIA要員もゴルゴもマエサイと発音していたのは、資料となった地図にMAESAIと表記されていたからだろう。タイ語のメーサイが英語表記だとマエサイになってしまう理由は、「タイ語の心がけ」に書いた、タイ文字のアルファベット表記による問題である。
 タイ語には母音が九つある。「エ」には普通のエと「エ゛」とでも書くべき二つがある。Eがひとつしかないアルファベットでは、普通のエをE、もう一つの方を「AE」と表記する。だからMAESAIは、分解すると、M・AE=E・SA・Iであり、MESAI、メーサイが正しい。タイ文字の勉強をすればすぐにわかる初歩的な知識だ。がそれは、勉強しなきゃ解るはずがないということでもある。どうやら世界18カ国語に通じる語学堪能なゴルゴ13もタイ語の勉強だけはしていなかったようである。デューク東郷、敗れたり。





 前掲、TOPSECRETと書かれたゴルゴのファイルから語学の部分をピックアップすると18カ国語に精通とある。だがこのマエサイという発言からしてその中にタイ語が入っていないのは明白だ。おそらくこの世で最もタイ語の似合わない男、ゴルゴ13。タイ人から依頼があり、それを受けた場合、彼は「カオチャイ・カップ」というのか、習性である娼婦を買うとき、「タオライ」と訊くのか。わはははは、タイ語を話すゴルゴを想像するだけで笑ってしまう。


 この作品が世に出たとき−−1970年代後半−−ビッグコミックを読みながら、「マエサイじゃないよ、メーサイだよ」と指摘できた人は、日本中に何人ぐらいいたのだろう。大学のタイ語の先生ならすぐに解ったろうが、そういう人がまた若者向けコミックの『ゴルゴ13』をリアルタイムで読んでいたとも考えにくい。それに、いくら大学のタイ語の先生でも、チェンライ県の外れの何もない国境の町・メーサイには詳しくなかったろう。これらの条件から絞ってゆくと、当てはまる人はほとんどいなくなってしまうのではないかと思える。

 下川裕治さんは、このころ初めてのタイ、初めてのチェンライを経験しているらしい。著書にそう書いてあった。数少ない該当者として、かなり有力だ。チェンライに行くと言うと、あんな危ないところに行ってはダメだとバンコクの連中に止められたという。まだチェンライは秘境だったのだろう。テレビラジオが普及していないから、当時は相当に訛っていたはずである。

 そのころ彼がメーサイに行っているなら、地図を読み、英語読みでマエサイと発音しただろう。そして現地の人はメーサイと発音している。もしも彼がビッグコミックを欠かさず読んでいたなら、「マエサイじゃなくてメーサイだよ」と指摘できる数少ない人に当てはまることになる。でも彼がタイ語学校に通ってタイ語に通じるのはずっと後のことだから、そういう体験をしていたとしても、マエサイのことを現地の人は訛ってメーサイと発音するぐらいにしか思わなかっただろうか。

 自分の体験談をすり切れるほど書きまくっている今の彼だから、ここに書いたような体験があったなら既に本になっているはずとも思う。彼の本は第一作から最新作まで、ちょいと傾向の違う「戦無派のカンボジア」も読んでいるが、どこにもそんな話はなかった。当時、メーサイに行ったことがあり、ゴルゴ13をリアルタイムで読んでいて、しかもタイ文字に関する知識もあった人、となると、果たしているのだろうか。

 来てみたかったなあ、あの頃のタイ。だけどもしもそんなことを経験していたら、私の人生は全く変ってしまっていただろう。今のままで良かったのだという思いも強い。今のままの人生でいいんだけど、あの頃のチェンマイ、チェンライ、メーサイだけを架空体験は出来ないものだろうか。私にとって、タイムマシンで行く第一候補は三十年前のチェンマイだ。

 スタン・ゲッツのMDが終った。ほどよい酔い。眠くなってきた。昼寝しよう。きょうはどんな夢を見よう。ゴルゴ13になりゴールデン・トライアングルに乗り込むか。いやそんなんじゃなくて、気怠いメーサイの午後を舞台に、シャン族の美しい娘と恋を語らうのがいい。そっちにしよう。能天気な午後。
(記99/12 制作02/3)





 そのうち、ゴルゴが「マエサイ」と発言しているペイジをスキャンして貼りつけたいと思っております。農作物を運搬するゴツいコンテナを大量に買い込んできて、ラベルをくっつけて本を整理しました。本棚ではもう無理なので。ゴルゴは2コンテナにいっぱいつまっています。この中からその章を探しだすのが面倒なので先送りしています。

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