チェンマイ日記1999夏

タイ語の心がけ

@始まりの頃


●こだわり


 タイに関わり、多くの旅行記などを読み、それなりの知識がたまってくると、今度はその種の本における間違いが気になってきたりする。初歩的な間違いの有無が、その本が読むに値するか否かの基準になってくるのだ。

 なんといっても代表的なのが「メナム川」だろう。「この川はなんという名前ですか?」「メナム・チォオプラヤです」という会話を「メナム川です」と訳してなったのか、あるいは、バンコク人がチャオプラヤ川を単にメナムというところから来たのか。いずれにしろメナム川という川はない。メー・ナーム、メーが母、ナームが水、水のお母さんで「川」の意味である。メナム・チャオプラヤは「川・チャオプラヤ」で、チャオプラヤ川になる。そういうラテン語みたいなタイ語の語順を知らないと、メナム川と「川 川」になってしまう。まるで小学校の教科書に載っていたキャプテン・クックとカンガルーにまつわる話みたいだ。


 パタヤの沖合にラン島がある。タイ語では「コ・ラン」だ。「メナム・チャオプラヤ」が「川・チャオプラヤ」であるように、コが島の意で「島・ラン」になる。だから、日本語でラン島と呼ぶか、タイ語でそのままコ・ランと呼ぶかだろう。ところがタイ人が「コ・ラン」と呼んでいるので、コランという島なのだろうと思いこみ、それだけでは心許ないのか日本語の「島」をくっつけ、「コラン島」と呼ぶ日本人が出てくる。「島ラン島」と言っていることになる。同様にサムイ島を「コサムイ島」と言う人がいる。情報がこんがらがり中にはサムイ島とコサムイ島は別の島だと思っている人もいる。
 
 こんな細かいことはどうでもいいことかも知れない。そう言われたこともある。チェンマイ在住二十年、タイ人女性と結婚し、子供も産まれ、一生遊んで暮らす財産もあり、その代わり毎日なにもすることがなく、退屈だ退屈だ何かいい暇つぶしはないかと口癖のように言っている人にだった。『サクラ』の丸テーブルで友人とこの話をしていた時、いきなり横合いから「どーでもいいよ、そんなこと」と言われたのだ。たしかに南国の暑い太陽の下で思考というものを放棄し、川面を流れる木の葉のような生活に徹している彼からすると、私達はどうでもいいことにせこせことこだわっているつまらない奴らに思えたのだろう。たしかにメナム川だろうがコラン島だろうがどうでもいいことではある。言葉なんてのは通じればいい。時代と共に変って行く。誰に迷惑を掛けているわけでもない。こだわることなんて無意味だ。

 でもタイに魅せられ、タイ語の勉強を始めた頃は、やたらこういうことが気になるのである。買ってきた本の中に「メナム川」や「コラン島」が出てきただけで白けてしまったりする。(あ、ダメだこの人は。ぜんぜんタイのことを知らないや)と。そしてまた、元バンコク大使館員の夫人、女優、ロック歌手等が書いたタイに関する本には、この種の誤った表記が連発されているのだった。「誰も知らなかったタイ」なんて大仰なタイトルの本にこんな初歩的な間違いが出てくると、「誰も知らないんじゃなくて、あんたが、何も知らないんでしょ」と言いたくなったものだ。

 元クレージー・キャッツのメンバーで、脱退してからは料理評論家となった石橋エータロー氏は、晩年(というほどの齢でもないが)をパタヤで過ごし、パタヤで死んだ。新宿の紀伊国屋で彼のパタヤに関する本を見つけたときは、なにしろクレージーキャッツで育った世代だから、意外な心強い味方を見つけた気分ですぐに購入したものだった。(こんなとこにもタイ好きがいたんだ)と、やたら嬉しかったことを覚えている。なのに文中に「コラン島」が出てくるのだ。石橋氏はパタヤを愛し、タイの料理に詳しく、和泰折衷の料理を作り出したかも知れない。でも「コラン島」という表記から、タイ語が全然出来なかったことが読みとれる。そういうことにこだわらなかった人なのだと。するとその本に書かれていることすらも、急速に輝きを失ってしまうのだった。
 くだらないことかもしれない。どうでもいいことかもしれない。でも何かに凝ったことのある人なら、こういうこだわりの気持ちは解ってくれるだろう。



●タイ語の表記に関して
 タイ語をカタカナで表すのは難しい。九つある母音を五つしかない日本語で表すのには無理があるし、タイ語のポイントは声調なのに、日本の文字ではそれを伝えられない(表音文字であるタイ文字では声調が解る)。英語の方がより正しく表記出来るという人がいるが、私はそれも疑問だ。たしかに英語表記は、英語にない母音を二つのアルファベットで表記したり、有気音の子音と無気音の子音を分けて表記したりの区別はされているが、その獨自の表現になれないと餘計にこんがらがることになる。

 チェンマイ県の北部にファン郡がある。英語ではこれをFANGと表記するため、「ファング」と発音する日本人がいる。グはいらない。口の中だけで発音する。ファンである。これをファングと発音するなら、ランパーンはランパーングに、メーサリアンはメーサリアングにと、末尾をグと発音せねばならない地名が無数に出てくる。これなども文字を習い、ゴーグー(ヘビのG)の使いかたを知っていれば起きないことである。でも英語でGがあると、日本人はグと発音したくなってしまうのだろう。これなども英語のFANGよりカタカナで「ファン(グ)」と書いた方がよほど解りやすいと私は思っている。ファンに関しては、タイに詳しい人でもファングと発音する人が多いことが不思議でならない。

 カタカナ表記に凝り始めたら切りがない。身近なタイ風うどんのクイッテオであるが、あれは発音も書くのも難しい単語である。



 なにしろタイ語全体の中でも数少ない文法記号の+(マイ・チャッタワー)が付いているぐらいだから発音はむずかしい。興味のある方はクイッテオ屋の屋台を見てほしい。クイッテオが見るからにめんどくさそうな単語であることが解るはずだ。より本物に近い発音をカタカナでするのなら、クィッティアオとでもなるのだろうか。このごろはそう書く人も増えてきたようだ。(上記、タイ語辞書辞書編纂者の小林さんはクィティョウとしている。これだけでもカタカナ表記するための複雑さがわかる。)
 しかしそこまでのこだわりを始めたらもう底なし沼だと思うのである。意味が通じるのなら、簡単な表記でいいのではないかと、私は思っている。
 
 チェンライをチェンラーイと語尾を伸ばすようにして書く表現も見かけるようになってきた。定着するかも知れない。チェンマイのマイはサラ・アイ(母音のアイ)であり、チェンライのラはロー・ルーア(船のR)にサラ・アー(母音のアー)である。両者のマイとライの発音は違う。それをすこしでも伝えようと、チェンマイをチェンマイ、チェンライをチェンラーイと伸ばしてカタカナ表記することは、正しく親切な方針であると思う。でも私はチェンライにする。伸ばさない。理由は、そこまでこだわり始めると切りがないし、面倒だからである。クイッテオなんてタイ語はないが、でもそんなことを言い出したらクィッティァオだってないのである。より原語に近いだけだ。カリフォルニアをより正しくと、キャリフォーニャと言ってもよけいに混乱するだけなのと同じである。

 メナム川なんて川はない。チャオプラヤ川だ。コラン島なんて島はない。ラン島が正しい。と、そういうことにはこだわるが、タイ語のカタカナ表記に関しては、クイッテオ、チェンライのいい加減さで行こうと思う。そういう部分にエナジーを突っ込むより、もっと違う方面にこだわってみたいことがあるからだ。



●タイ文字学習の勧め



 私がよく泊まるアパートはナティコートという。
 このアパートの存在を初めて知ったのは八年前(1991年)、『サクラ』で知り合ったKさんという人からだった。ホテルに泊まるという方法しか知らなかった私に、Kさんは、チェンマイに一ヶ月以上いるならアパートを借りた方がいい、おれの住んでいるアパートを見に来るかいと言ってくれたのだった。正直その頃は、街中の『サクラ』からバイクで十五分ぐらい走る寂しい場所にあるこのアパートに、とてもこんなところには住めないやと思ったものだった。チェンマイは異常に一方通行が多く、直線距離では近いところでも、やたらぐるぐると走り回るから実際以上に遠く感じるのである。
 
 さてこのナティコートという名前だが、当時ここを知っている日本人はみな「ナディコート」と呼んでいた。濁音である。Kさんがそう言っていたので私もナディコートと覚えた。でもアパートの管理人やメーバーン(メイド)の話しているのを聞くとナティコーと言っているように聞こえるのだ。ナディと濁っていない。といってタイ人の発音というのも当てにならないのである。タイ人特有の発音で、ファクスをフェーック、ヴィデオをウィッテオーと言ったりする。いわばタイ訛り英語だ。ナディコートというアパート名がどういう意味なのかは知らないが(コートは英語のコートだろうが)、假に英語だとするなら、ナティコーというタイ人の発音はあまり参考にならないとなる。

 一方でまた、タイ語が巧いといわれる日本人青年のBさんは、ナヂコートと言うのである。日本でも、ビルディングをビルヂングと表記したりすることがある。となるとこの場合、ナディコートのナディはやはり「NADI」であり、Bさんのナヂコートが正しい発音なのであろうか。
 それがタイ文字の読み書きが出来ない私の、当時の結論だった。
 ナティなのかナディなのかナヂなのか。私はこの問題の正解を知るまでに何年もの月日を要したのである。


 それから何年か後、私は試行錯誤の獨学とYMCAでの学習が実り、タイ語文盲から脱出した。町を歩いたりバイクで走っている時、それまでは奇妙な記号としか思えなかったタイ文字が、それぞれの意味を持って心に飛び込んできたときの感動は、今もくっきりと心に刻まれている。学ぶことは素晴らしいと、改めて思ったものだった。
 文字の読み書きが出来るようになったら、長年の疑問は一発で氷解した。アパートの屋上には、タイ文字のでっかい看板が立っている。そこには、ノー・ヌー(ねずみのN)、サラ・アー(母音のA)、トー・タハーン(兵隊のT)、サラ・イー(母音のI)が書かれてあった。NATI、ナティが正解だった。その後に続くタイ文字を読んで、ナティコーのコーというのは、英語の邸宅であるCOURTであると知った。COURTのTに当たる部分のタイ文字にカランが付いている。カランとは「書くが発音しない」というタイ文字の文法記号だ。だからタイ人が読むとコートではなくコーになる。八年前から悩んでいたナディコートの正式名称は、「NATI COURT」であることがやっとはっきりしたのだった。後にナティとはアパートの近くを流れる川の名前だと知る。日本風に言うなら「ナティ川荘」だったのである。

 より正確に言うと、NATIではなくNATHIになる。タイ文字には、アルファベットにはひとつしかないTに匹敵する文字が八つもある。それは大まかに有気音と無気音に別れる。よって無気音のTをTで表し、有気音のTをTHで表すようにした。そういう分類をした白人の学者がいて、タイ政府でもその方法を受け入れたということである。Thailandという英語を、私達は日本での学習によりタイランドと読めるが、タイ航空の飛行機などに書いてあるThaiは、TheやThatという英語の学習をしてきたからこそ、ザイと発音したくなってしまう。この場合、「Tha」の三文字でザなのではなく、Th二文字が「アルファベットにはないT」を表しているのである。普通のTを使った「Tai」だと南の意味になる。

 しかしそれは、その獨自の表記というものを理解している人だけに解ることである。この「獨自のアルファベット表記による混乱」というのは、日本で英語を習った日本人がタイに関わったとき、必ず直面する問題だ。バンコクやチェンマイの英語表記地名を、そのルールを知らずに英語風に発音してもタイ人に通じないことの原因はここにある。

 タイ文字の読み書きが出来るようになって、ずいぶんとタイでの視界が明るくなった。タイ人との交流も増えた。なにしろ知り合った人にすぐに名前や住所を書いて貰えるし、それが読めるし、辞書を片手のたどたどしいものであるとはいえ、タイ語で手紙のやりとりが出来るのだ。タイが大好きな人には、ぜひともタイ文字の学習をお勧めする次第である。
 なんて書くとまるで私がタイ語の名人みたいだが、今じゃもうお恥ずかしくて話にならないほどお粗末なレヴェルなのである。その顛末はパート2の「タイ語の心がけ」に書く。
 
 個人的に悔しいと思うのは、タイ語の読み書きが出来るようになった頃にはもう、私はタイにもタイ人女性にも興味を失くしていたということである。そのタイミングのずれが悔しくてならない。日本で仕事に疲れると『サクラ』に行きたくなり、チェンマイ美人を嫁さんにしたいと夢見ていたあの頃、タイ語の読み書きが出来たならどんなに素晴らしかったことだろう。もてたろうなあ、交際が広がったろうなあ。あの頃の下手なタイ語でも充分にもてて、電車の中や地方などで、結果的に若い女性をナンパなんてことになったりもしたものだ。でも読み書きが出来ないことでチャンスを逃がしたこともいっぱいあった。涙ながらに別れるとき、彼女が手帳に書いてくれたタイ語の住所と名前を見ても、読めないし、手紙を書くことも出来なかった。悔しい。このタイミングのずれは悔しい。あの頃もしもタイ語の読み書きが出来たら……。

 今でも飲み屋で女の娘の名前を聞きタイ文字で書くと、それだけでむこうは驚き大喜びしてくれる(落ちたりとはいえそれぐらいはまだ出来る)。住所を教えてもらい、彼女の読み上げる住所をたどたどしく書いてゆくと、タイ文字もタイ語文法を忘れかけているのでよく間違う。訂正される。その間違いもまた大いに会話を盛り上げてくれる。もしもあの頃これが出来たら、と未練たらしく思う。うまくゆかんものである。

 いまタイが大好きで、タイ人女性と本格的に交流したい、老後をタイで過ごしたいと思っている人は、タイ語を習うと同時にタイ文字の読み書きも覚えてしまった方がいい。タイ文字を読めば声調も解るから、発音も正確になる。文字を習うとしゃべりも格段に上達するのだ。カタカナタイ語が通じず苦しむぐらいなら、思い切ってタイ文字をマスターする方向に走った方が、結果としてすべてが良い方向に転がるだろう。先々、結婚したり土地を買うことになったりしたとき、役所に行って書類を作っても、自力で契約書類が読めるし、タイ人にだまされる機会も減るだろう。一たす一が三にも四にもなるから、タイと長く関わりたいと思っている人に、タイ文字学習は必須といえる。
 そして、どうせ学ぶなら、私のようにタイミングをずらさないことだ。「タイは若い内に行け」風に言うなら、べつに若くなくてもいいから、「タイ語は(タイに)熱い内に学べ」である。これだけは断言できる。
(文99/11。制作02/4/)


 01年の夏にナティコートの写真を撮ってきたので、それで説明します。
 え〜これがナティコートの看板です。アルファベットに置き換えると、左から、N TI CO R T になります。
 「左から」とつけくわえたのは、つい先日バンコクに行ってきた友人に、「タイ語って右から読むの、左から読むの?」と真剣に質問されたからです。たしかに、何も知らないときにはそんな素朴な疑問もあるのでしょう。左からですね。

 最初の文字がNで、子音のAはありません。後に続く文字によってナかノの発音になります。これはいくつもの言葉で共通です。この場合はナです。
 次の文字はTです。上にくっついているのが子音のIです。よってティ。この、上に子音がくっつくというのは英語にはありませんが、けっこう世界の言葉ではよくあります。
 三番目の文字がCと四番目が子音のO、ここは英語と同じ。これをコと発音するのは容易です。
 その次がRですが、これも上になんかくっついています。これはカランという、「綴りはするが発音はしない」という記号です。
 最後もTで、タイ語の末尾のTやS、Xなどは発音されないので、当然これも無音です。
 この後半の部分は、英語のCOURTをタイ文字に置き換えただけです。発音は「コー」と伸ばし気味に発音するだけで、RもTも無音になります。で、これをタイ風に発音すると「ナティコー」となります。
 というわけでナティコートの説明補記でした。(02/4/22)




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