チェンマイ日記1999夏

           
      

     
           ↑チェンマイ・コンピュータ・センタ

●コンピュータ・プラザ一階

 チェンマイのコンピュータ・プラザと言えば聞こえがいいが、二階建ての建物の中に、間口一間ぐらいの小さな店が何十と集合しているだけの寄せ集めビルである。なんとまあ大げさな名前だと思う。それでもこれが出来た時は嬉しかった。とにかくバンコクが肌に合わないので、「第一話・やっと夏休み」に書いたチケットの払いもどしのような事件でもない限りいつも素通りする。パソコン関係の小物を見るのは大好きだからバンコクの秋葉原と言われるバンティップ・プラザにも寄ってみたいのだが、結局は毎回チェンマイ直行だった。香港でも台湾でもそういう場所に行っていない。違法CD、海賊版CDと呼ばれるものの購入はチェンマイが初体験だった。

 一階は部品屋が並んでいる。やたらCANONやEPSONのプリンターショップが多い。今こちらでは話題の製品なのだろうか。そういえばおれも数年前、この値段でここまできれいに出来るようになったのかと感激して、あれもこれもと手を出し、複数台購入したものだった。それ以前もそれ以後もプリンターに凝ったという覚えはないから、あれはあれでひとつの大きな節目だったのだろう。そう思えばチェンマイのこのプリンターブームにも頷ける。おれのプリンターは、チェンマイにも携帯するCANON BJ80と、家で写真を印刷する時に使うEPSONに落ち着いた。バブルジェット方式のプリンターと消耗品に関しては、このコンピュータ・プラザで全部揃うと言い切れるようだ。インクの補充品などはたっぷり用意してくるのであまり世話になることもないだろうが、CANONの純正品がチェンマイで買えると解っているのは心強いことである。

 ここの店の並び方にもタイ人気質が出ている。タイ人というのは、誰かがどこかの広場にクイッテオの屋台を出して流行ると、すぐその隣に同じクイッテオ屋を出し、更にまたその隣に同じ店を、というようなことをする人たちである。素直で単純な発想なのだが、その傾向はパソコンという最新の商品を扱っても同じらしく、狭い雑居ビルなのに、同じプリンターと消耗品を扱う店がいくつもいくつも連続して並んでいる。いくらこれが今タイで話題の売れ筋商品なのだとしても、日本人の発想としては苦笑せざるを得ない。これではまるでプリンター・プラザである。タイ人には、他の店が扱わない商品を並べて特異性を持たせようとする、いわゆる進取の気性はないのであろうか。不思議でならない。

 今までの体験から想像すると、タイ人というのは、見知らぬ新しい商品を取り扱うという冒険や、そんなものを探し回って真っ先に見つけて来るという努力よりも、誰かが売り出し、今確実に売れているものを、二番煎じでも三番煎じでもいいから並べて売るという方法を採るようだ。すこしでも確実に売れればいい。それが売れなくなったら、また売れていると話題の次の商品を、四番煎じでも五番煎じでもいいから並べて売ると、そんな発想をするように思える。クイッテオ屋もパソコンショップも同じやりかたであることは間違いない。タイ人が新型の殺戮兵器や効率的な細菌兵器を開発するというようなことは決してないだろう。そう思えば、非能率的なこの売場の商品構成も、いかにもタイ人らしい、ゆるやかでのんびりしたおめでたい風景なのだと思えてくる。

 これはタイの魅力のひとつであろう。これに染まると、すこしでも人に先んじ、他人に出し抜けを食わせ、勝利という名のゴールに真っ先に飛び込もうとする競争社会での生き方がいやになってくる。それはいいことかもしれない。だが現役をリタイアし、老後をのんびりとタイで過ごしたいという人や、タイで遊んで暮らせるだけの資産のある人ならいいが、現役の競争社会で生きている人にとっては、それは闘いのための牙を抜かれるということに通じる。半端に染まることは危ない。その意味で、自分の現実とは違う別社会を覗くということは、薬にも毒にもなる両面性をもっている。東南アジアののんびりした社会を見て「今の自分がいやになった。ここには本当の人間の生活がある」と飛び込むのはいい。だが一方通行だ。根っからの日本人がこちらのいい加減な世界になじめず、またもどろうとしてももう元の世界の門は閉ざされているのだ。

 おれはまだリタイア出来ない。遊んで暮らす資産もない。せこいちっちゃい筆という牙で、日本社会の中をくぐり抜け生きてゆかねばならない。だからおれはタイのこのようなのんびりとした姿勢を、賛美するのではなく否定する。「なんで同じ商品ばかり並べているんだ。もうすこし頭を使えよ」と。そうしないと今の自分がなくなってしまう。老後をタイで過ごしたいという憧れを語る以前に、そうなった時、おれは日本で頑張って生きてきたのだと自分に納得できるだけの今を生きておかねばならない。
 おれが『サクラ』のパパに代表される日本で生き抜いてきた年輩の人たちを尊敬し、「安いよ、たった千円だよ、信じられないよ」とアルバイトで稼いだ金でやってきて買春に精を出す若者を認めないのはこの理由による。「アリとキリギリス」でいうならおれの生き方は間違いなくキリギリスなのだが、キリギリスでさえ怒ってしまうような現実もここにはある。


         
          ↑コンピュータ・センタ隣にある「アイコン」センタ

●デスクトップ願望
 コンピュータ・プラザはたいしたことないですねとパソコンプロのTさん(「日記・1−1」参照)に言ったら、「なんでも一流品を揃えたがる日本人には、タイは無理ですよ」と笑われてしまった。ディスプレイにまだフラットタイプがなく、かなり昔の湾曲した15インチが主流だと不満を述べていたときだ。
 パソコンはなんといってもデスクトップが良い。部品を交換できるし補強が可能だ。マザーボードが共通ならCPUの交換も簡単に出来る。文字を打つにもフルキイボードの使い勝手が最高だ。だけどデスクトップは持ち歩けない。

 おれはデスクトップパソコンを買ってチェンマイに置いておきたくてしょうがない。もう何年も前からそのことばかりを考えている。そうしたら日本から手ぶらで来れる。CD-ROMや何枚かのフロッピーだけを持ち、ふいに一週間ほどやって来て気ままに仕事をし、またふらりと帰ったり出来る。いいなあ。チェンマイにパソコン一式を揃えた隠れ家を持つというのが、いまのところささやかなおれの目標なのである。
 そのためにはコンドを買うか、最低でも通年でアパートを借りることが必要となってくる。以前、通年で借りていたことがあったのだが、やはり年に合計して三ヶ月ぐらいしか滞在出来ないのに、残り九ヶ月を遊ばせておくのはもったいなくて一年で解約してしまった。その時もデスクトップを買うことを考えていた。毎日のように見て歩き、買う直前までいった。もしあのとき思い切って買っていたら、パソコンを置いておくためにアパートの解約もしなかったろうし、アパートを借りていたら、その内もったいないからと、借金して安物のコンドを買う(三百万円も出せばおれには充分のものが買える)ということになったろう。するとその借金を返すためにしゃかりきになって働き、と、いろんなことが動き出したように思う。ではなぜぎりぎりまで悩んだ末に買わなかったかというと、製品にもう一歩食指が動かなかったからだった。(これだったら秋葉原であれを買った方がずっといいなあ)と考えてしまう。タイのパソコンは台湾のACERの部品を組み立てたノンブランド品が主流だ。どうにもおれの好みには合わなかった。もしも気に入った製品に出会っていたらどうなっていたことやら。

 Tさんの意見だと「タイのパソコンは全然安くない。日本の方がずっといいから、そういうことをしたいなら、日本から持ってきた方がいいよ。性能もいいし安いし」とのことだった。確かにあんな旧型のディスプレイとメーカー不明のタワーマシンを買うのなら、日本から最新の液晶デスクトップでも背負ってきた方が総ゆる意味で満足できるだろう。

 おれがチェンマイに秘密事務所を構える日は来るのだろうか。そのためには日本で好き嫌いをいわずにどんな仕事でも受け、毎日頑張って働かねばならない。しかしそうなるとチェンマイに行っている暇がなくなる。金があってもチェンマイに行けないのはイヤだ。今すぐ事務所を構えてしまいチェンマイに滞在することは可能だ。だがそうすると日本での仕事が減り日干しになる。チェンマイにいられても金がないのはイヤだ。どっちつかず。金と時間の釣り合いがうまくいっていない。理想は今ぐらいの暇があり、収入だけ五倍になることなのだが、いくらなんでもそれは無理ですわ。おれもまた老後を目指して頑張るみんなのように、貯金に励むしかないのだろうか。いや貯金の前に借金を返さんと。秘密事務所までの道は遠い。






●コンピュータ・プラザ二階
 コンピュータ・プラザの二階はソフト・ショップである。これまた同じ商品を扱う店ばかりが並んでいる。手前の店、私が買おうと思った違法CDは一枚180バーツだった。日本人なら、ここでは一枚180バーツなのだろうと思う。値段は統一されているのだろうと。秋葉原のプライスリーダーであるラオックスと石丸電気なんて、毎日電話連絡でも取り合ってるんじゃないかというぐらい値段が揃っている。假に違っていた場合、「ラオックスでは××円でしたよ」と言えば、石丸はすぐにその値段にしてくれる。そこまで合わせることがいいかわるいかは別にして、同じ商品なら、他店の値段を気にするのは商人の基本であろう。でもここでは仕切り板一枚隣の店では同じものを150バーツで売っている。その向こうでは200バーツだ。ライバル店の値段を調べて一緒にするなんて気遣いとは無縁なのである。ほんの十メートルの間口に三件の店があり、同じ商品の値段がそれぞれ違うのである。更にその隣には、郵送オンリーの店があったりする。値段はCD三枚で510バーツ、他に郵送費が30バーツかかるという。明日取りに来るからと言っても、受け取りは郵送オンリーだからといってきかない。なんだかわからん。いい加減だなあタイ人気質。こういういい加減さはおもしろくて笑えるけど。

 違法コピーソフトの中にはAdobeやMSの製品を一枚のCDに詰め込んだ、正規の値段を合計したら百万円を越すだろうというものがある。日本で正価で購入しているおれからすると、こんなところでタダのような値段でばらまかれているから、おれみたいなのが五万円も六万円も出して買わなきゃならないんだなと思い、少し悔しくなる。ソフト会社は、製品を売り出すとき、開発費を回収し黒字にするため、この種の違法コピーの流通まで計算に入れた上で値段設定をする。今回持参したVAIOに入れて来ているソフトの合計は何十万円、持参している何十枚かのCD-ROMの値段は合計すると百万円を超えるだろうが、ここだとたった150バーツの価値しかないんだなと考えたら、複雑な心境になった。もっとも海賊版マニアの友人に聞くと、総ゆるゲームを詰め込んだ、正規の値段を合計したら500万円、700万円なんてのまであるらしい。

 ソフトショップの目玉商品はエロCDらしい。裏ヴィデオならぬ裏VCDだ。アメリカやヨーロッパのポルノ映画のコピー、日本のAVの流出物などが店の奥の一角に置かれている。おれは毎日のようにコンピュータ・プラザに出掛け、飽きることなく違法ソフトを見たり、店のアンチャンにあれこれと質問したりしていたのだが、やはり売れ筋ナンバーワンはエロCDのようだった。違法ビジネスソフトはたまに白人のカップルが来て一枚だけ買ったりする程度である。その点エロCDは、背広を着た中国系タイ人のビジネスマンみたいなのが、ぽんと十枚ぐらいまとめて注文していったりする。客が次々と来る。「日記・1−1」に書いたような音楽CD-ROMを買うのもおれぐらいしかいなかった。あそこで「アルバム選択のセンスが悪い」と書いたが、たいして売れない商品だからいい加減に作ったのだろうか。いや、違うなあ。これは日本人の発想だ。いっぱい売れそうな商品だから一所懸命に作る、あまり売れそうにない商品だからいい加減に作るというのは日本人的理詰めの考えかただ。タイ人は総ゆるものをいい加減に作るのである。売れたり売れなかったりは単なる結果でしかない。あのアルバムの選択も決していい加減ではなかったろう。真剣でもないだろうが。まあタイ人というのは、良くも悪くも「ゆったりとした美しいメロディ」だけを愛する人たちである。どこにいってもJazzといったらケニー・Gが流れているような国だから、あまりそっち方面のセンスには高望みをしない方がいいのかもしれない。

 警察の手入れで捕まらないよう違法ビジネスソフトもエロCDも店に現物は置いてない。現物がない限り假に手入れを受けても逮捕はされないようだ。注文を受けてから家でCDを焼いてくる。翌日受け取りになるのだが、これがまたいい加減なのである。「日記・1−1」に書いたような商品を五枚注文して、翌日受け取れるのはよくて三枚だ。目の前ではきちんとCDのナンバーを書き込み、五枚分のレシートを書いているのだが、どこですれ違いが生じるのか、翌日になると「すみません、これまだ作ってなくて、明日でいいですか」となるのである。翌日行くとまた明日になったりする。文句を言うと「金を返す。なら文句はないだろう」と言い出す。何をやってもタイ人はタイ人だ。日本人のおれは苛ついてしまう。ところがこれを何回も繰り返していると、「おお、きょうは五枚注文したのに四枚も出来ている。うれしい」と思うようになってしまうのである。慣れるのだ。これはこれで現地になじんだ=タイ化したと言えるのだが、へんになじむと日本に復帰してから問題になる。ラーメンを注文されたのにタンメンを出し、文句を言う客に「ちいさいことにこだわる心の狭いヤツだ」と思ったりするようになってしまうのである。「四角い畳を丸く掃く」という表現がある。仕事が雑になるのだ。

 それでもおれがこの店に通ったのは、店員が「すみません」も「かしこまりました」も「ありがとうございました」も言えるからだった。タイ人にしては珍しい。何十件もある同じような店の中からここを贔屓にしたのはそれが理由だった。


●エロCDを買わない個人的理由について
 チェンマイでおれはエロCDを買ったことがない。その理由は持ってきているパソコンが一台だけだからである。
 おれは仕事をする机とご飯を食べるテーブルが一緒というのはイヤだ。おれ達の時代、「リンゴ箱の勉強机」という言いかたがあった。金のない家の子供はリンゴ箱を勉強机にするという貧しさの比喩なのだが、おれはリンゴ箱でいいのである。その代わり勉強用のリンゴ箱と食事用のリンゴ箱二箱が欲しい。分けたい。一緒はいやだ。北欧製白木の豪華なテーブルで食事と勉強を兼ねるより、二種類のリンゴ箱の方がいい。それがおれの考えかたの基本になる。

 おれはいま日本で、四種類のパソコンを使っている。「あの原稿を書くのはこのパソコンのこのワープロ、この原稿を書くのは、あのパソコンのあのエディター」と使い分けている。おれは貧乏人の浪費家だ。いやきっと貧乏人だから浪費家なのだと思うが、ワープロやエディターソフトなど、ない物はないというぐらい揃えてある。それを仕事で使い分ける。そのことをやる気に繋げる。

 おれの愛猫は、週単位で眠る場所を変える。この間までこだわった場所に、翌週からは一切近寄らなくなったりする。おれもその感覚でパソコンの間を動き回っている。その意味では間違いなく猫型だ。もっともどんなに寝場所を替えようと、おれの猫の一番好きな場所はおれの腹の上である。ところが最近おれの腹の上には見慣れぬ箱が乗っていることが多い。最近すっかりものぐさになったおれは、寝転がった腹の上にVAIOを乗せてMailを書くというラッコ状態が気に入っている。猫はおれの隣に来て、その箱をどけろと抗議する。ここはオレ専用の場所のはずだと。きっと今あいつは、VAIO PCG-C1Rにライバル心を抱いているはずである。いや猫のことを書いているんじゃなかった。おれはとにかくなんでも分けないとダメだという話である。

 以前、チェンマイのおれのアパートには、『サクラ』で知り合った友人が何人かで遊びに来て、よく一緒に飲み食いをしたものだった。その時おれを悩ませたのは、仕事用の机(といってもアパート備えつけの物だが)が、酒の置き場所になってしまうということだった。翌日、おれはテーブルを拭く。洗剤をつけたタオルでごしごしと拭く。でも染み込んだ酒の臭いはなかなかとれなかった。酒の臭いのするテーブルでラップトップに向かい、お洒落な音楽小話や、若い娘の失恋話などを創作するという仕事を始める気にはなれなかった。部屋で飲み食いをしなくなったのはその理由による。

 アパートはワンルームである。生活空間のすべてを兼ねている。分けねば居られないおれは、部屋の使用目的を何かひとつに絞らねばならなかった。日本で仕事に区切りをつけ純粋に息抜きに来ていれば、部屋は遊び部屋だった。みんなはそうしている。そのために来ている。でもおれは仕事を引きずったまま来ていた。引きずったまま来てはいけないのだが、それでも来たくて来てしまっている。仕事をしなければならない。仕事をこなさなければここにいることすらも叶わない。おれは部屋を仕事部屋と限定した。するとおれの考えの基本として、仕事部屋で宴会をすることはないから、ここに人が集うことはない、ここで酒を飲むこともない、となる。仕事部屋に女を連れ込むことはないから、この部屋に女が来ることはない、泊まることもない、となる。生活はだいぶ無味乾燥になったが、チェンマイでも原稿を書かねば生きて行けない物書きの選択としては必然だった。

 チェンマイのおれには一台のラップトップパソコンしかない。それは仕事用だ。仕事用の机で、仕事用のノートパソコンで、エロCDは観ない。こぼれたビールの臭いがするテーブルでは原稿を書く気がしないように、一台しかないノートパソコンでエロCDを観てしまったら、それはエロCD用のパソコンになってしまう。そのパソコンで仕事をする気がなくなってしまうからだ。だからおれはチェンマイのコンピュータ・プラザでエロCDを買わなかった。アメリカでもオランダでもフランスでも買ったことがある。その時は仕事がそこになかった。チェンマイでは仕事を引きずっている。そういう差がある。

 おれの日本の仕事場を見たら笑う人は多いだろう。六畳二間の仕事場の、右側の部屋の隅にデスクトップが置いてある。パソコンラックはスチール製のディスプレイ埋め込み型だ。左側の部屋の隅には、木製のパソコンデスクとパソコン用椅子が置かれ、その上にA−4ノートが乗っている。二つの部屋の真ん中には、座卓型のパソコンラックとパソコン用回転座椅子が置かれ、B−5ノートが置いてある。この三つの間を、おれは行ったり来たりしつつ仕事をしている。起動しているワープロやエディター、辞書ソフトなども違っている。違っているから飽きることなく仕事が出来る。デスクトップで海外取材の原稿を書き、A−4ノートで競馬原稿を書き、B−5ノートで音楽原稿を書いたりする。なんというか、本人は三人のタイプの違う女の間を飛び回っている色男のつもりなのである。その色男だという勘違いがおれを支えている。それで何とか仕事をこなしている。それでも飽きてくると、VAIOを持ってクルマで出掛ける。海の見える丘に行き、携帯電話でE-Mailをチェックしたりする。それがおれのパソコン環境だ。

 と、こう書くと優雅でお洒落な都会派ライターみたいである。書いていて思わず自分でも、もしかしておれってかっこいいのかと勘違いしそうになった。言わずもがなの実態を書いておくと、仕事場である木造の家は汚くて古い。襖は破れ障子には穴が空いている。面倒なので修理していない。クルマは年代物の軽自動車である。走ればいいので文句はないがカセットだけでCDを聴けないのがちと辛い。着ているものはいつも同じよれよれのジャージーだ。分不相応にパソコンやソフトに金を掛けているから、生活のあちこちにひずみが生じている。ひどいものである。でもこれは昔の文士風にいうなら、雨の漏るようなあばら屋に住み、すり切れた衣類を着ていても、文机はぴかぴかに磨き上げた桜の一枚板、ペンはモンブラン、原稿用紙は満寿屋の名入り特製と、そういうこだわりを持っていることと同じだろう。パソコンはおれにとって遊びやコミュニケーションの道具である以前に、大事で可愛い文房具なのである。
 日本でこういうことをやっている者が、VAIO一台しかない異国で仕事をこなそうとしたら、何かを犠牲にして環境を保持しなければならない。おれはチェンマイでの一台しかないラップトップを仕事用に限定した。それがチェンマイではエロCDを買わない、観ないことの理由になる。



●決して救いがないわけではなく
 ここまで読まれた方の中には、いくら毎日せこせこと文章を書かねば食って行けないかわいそうな物書きであり、仕事と遊びを明確に分別しないと何も出来ない奇矯な性格の持ち主であるとはいえ、旅先のひとつしかない部屋を仕事部屋と決めつけ、パソコンを仕事用と限定し、パソコンでエロCDを見ることもなく、部屋で友人と酒を飲むこともなく、部屋に女を連れ込むこともなくという清廉潔白謹厳実直な日々だけをおくっているのは、すこしばかり気の毒だと思われた方もいるかもしれない。いったいそんな生活のどこが楽しいのだと。まして場所はこの世の桃源郷とも言われるチェンマイではないかと。ごもっともな意見である。

 しかし八方ふさがりのようなおれの生活だが、実は大きな抜け道があるのだ。物価の高い東京を基準に考えているとその抜け道は見えてこないが、舞台はチェンマイなのだということを考慮すると、実にもうあっけらかんとした解決策が見えてくるのである。おれを縛りつけているいくつかの要因は、すべて「ひとつしか部屋がない。一台しかパソコンがない」ということから来ている。つまり、もう一部屋借りて、もう一台パソコンがあれば、なーんてことない、決して開くことのないと思われていた開かずの扉が、ぱったんぱったんと自動的にすべて開いてしまうのだ。

 それを実行したことがある。同じアパートの中にもう一部屋を借りたのだ。こんなことも東京なら十万円はするだろう部屋が二万円で借りられるチェンマイだからこそ出来ることである。二部屋借りても四万円だ。ひとつの部屋を飯を食ったり酒を飲んだりする部屋にした。生活空間だからズボラでもかまわない。酒臭くても乱雑でも平気だ。そこでシャワーを浴び、ピシっとした気分で、パソコンと資料、BGM用ラジカセだけが置いてある部屋に出勤する。

 快適だった。精神面で割り切れている。矛盾がない。この生活が永遠に続けばいいと思った。
 が、問題が起きる。仕事部屋に行きたくなくなるのである。ぐだぐだと生活部屋でいぎたなく眠り、昼間から酒を飲んでいたくなるのだ。事実、寝ていた。飲んでいた。すると仕事が進まない。仕事をしておかないと後々金が入らないことになる。解ってはいる。焦ってもいる。それでもチェンマイに居るときはクレジットカードのキャッシングで暮らしているから浦島太郎気分で現実を忘れている。忘れようとしている。帰国すると現実が待っている。金を払えといくつものカード会社から請求書が来る。チェンマイで仕事をしていないから払うべき金が入って来ない。困窮する。借金する。生活がぐちゃぐちゃになる。チェンマイで遊び呆けた金を払うためだけに生きているような、快楽のつけに追い回される生活になる。これはつらかった。反省した。それでもこの快楽の魅力は強烈で、何度も同じ失敗を繰り返した。
 そんな時期もあった。



 ここ数年、私にとってチェンマイは、中国に行くための通過基地のようになっている。チェンマイで観るエロCDというのはどうなんだろう。この次ぎ行くときはラップトップを二台持ってゆくことにしようか。部屋で酒を飲みどんちゃん騒ぎもしてみたい。久しぶりに部屋を二部屋借りてみるか。いやそんなことより、日本で頑張って働き、チェンマイに仕事を持ってゆかなければ、一部屋に一台でも楽しめるのだ。それが基本だな。まったくもって手間暇の掛かる性格なのだが、その気になればまだおれにも楽しみへの道は開けているのだった。



inserted by FC2 system