チェンマイ日記1999夏


チェンマイでパスポートを作るの記


残存期間がない!



(チェンマイ空港)

残存期間がない!
 バタバタと駆け回ってやっと漕ぎ着けたチェンマイの夏休みだったから、出発前にいくつもの不備が見つかった。そのひとつがパスポートの残存期間だ。五年物パスポートの残りが四ヶ月しかなくなっていた。
 チェンマイにいる間に、中国雲南省昆明市で開かれている「花の博覧会」を取材する仕事がひとつ入っていた。こういうのも「日記・1−1」で書いたように、ほとんどお金になる仕事ではない。でも雲南省にいる恋人に飛行機代ホテル代を雑誌社持ちで会いに行けるのだと考えれば、これほどありがたいことはないともいえる。
 チェンマイでビザを取り昆明に飛ぼうと考えていた。今までにも何度もそうしている。だがビザ申請は、たしかパスポートの残存期間が半年以上なければ出来ないのではなかったか。調べる。やはりそうだ。半年以上必要だ。今のパスポートでは中国へのビザは取れない。となると、チェンマイで新しいパスポートを作り、それからビザを申請することになる。チェンマイの日本領事館でパスポートを作れることは、『サクラ』で知り合った何人もの人に現物を見せてもらって知っていた。パスポートはチェンマイで作れる。必要なのはたしか写真と戸籍謄本だった。写真はある。戸籍謄本は明日にでも市役所へ取りに行こう。
 残った問題は、新しいパスポートを作り、中国へのビザを取得して、週に二便しかない昆明行きに乗る日程が、日本から直接昆明へ来るカメラマン(今年四月、関空からJASの昆明行き直行便が就航した)の日程と合うかだった。計算するとギリギリになる。間に合いそうではある。この場合不便なのは「週二便」だからで、これが毎日運行なら何の問題もないのだが。



●中国査証取得の薦め


↑チェンマイ中国領事館

 中国に行きたい人はぜひチェンマイでビザを取るといい。これはお奨めだ。日本でだと麻布の中国大使館まで行かねばならない。何年か前までは旅行代理店を通さないと個人では取れなかったものだ。いつ行っても混んでいるし取得費用も高い。時間もかかる。それがチェンマイだと、五日後発行で八百バーツ、翌日発行で千四百バーツである。いつも空いていて手続きも簡単だ。(後日、緊急用の当日発行で二千バーツというのもあると知る。)

 持参するのはビザ用の写真一枚とパスポートだけだ。写真はチェンマイで撮ればいい。後は事務所にある書類に記入して、パスポートと一緒に提出するだけである。領事館の場所もお堀沿いで解りやすい。近くて便利だ。『サクラ』や『宇宙堂』の常連に訊けば誰でも知っている。
 だいたいにおいて大使館や領事館のような場所にいる人間は無愛想で不親切と決まっている。ところがあまりに暇だからか、ここの連中は中国人とは思えないぐらい気さくだ。ビザ申請用紙は中国語(漢字)と英語のどちらかで書くようになっている。いつもは英語なのだが前回は漢字で書いてみた。すると「おまえは中国人でもないのに何故中国文字が書けるのか?」と不思議がり、職業欄に「著述業」と書くと、「Are you writer?」なんて訊いてきたりする。

 以前、仕事でしばらく中国に滞在し、あのどうしようもない漢民族とのやりあいで気が狂いそうになった後、オーストラリアへ飛んだことがあった。極端から極端への移動である。密集した市街地で吠えまくる野犬の群れの中から草原でのんびりと草を食(は)む羊の隣に移ったようなものだ。あまりの違いにしばらくは呆然としていた。そこで思ったのは、適度な広さ、適度な数ということだった。

 中国は、960万平方キロに十二億人以上が住んでいる。単純に頭割りすると一人当たり0.008になる。オーストラリアは760万平方キロに二千万人だ。これも頭割りすると0.38になる。その差、47.5倍である。それだけオーストラリアの方が土地的に餘裕があることになる。漢民族のうるさくてうるさくてしょうがない我の強さとオーストラリア人ののんびりした性格の差の原点は、ここにあるのではとおれは推測したのだ。それは身近な人間を例にとっても、六畳一間に家族六人で住んでましたという人と、白亜の洋館に家族三人で住んでましたという人では、いろんな意味で違う。立食パーティのようなものに出掛けると、六畳一間で育った人は、美味そうなものを人に取られる前に食べ、何よりもまず自分が満腹するということに熱心だったりする。幼い頃から生存競争を体験しているからだろう、他人を押しのけ生き抜く姿勢が出来ているのだ。日本語ではこれを卑しいという。育ちは隠せない。

 人間には、それなりの空間が必要なのだ。最低限のそれが確保されることによって生まれてくる餘裕というものがある。漢民族のあの強烈な個性はこんなことだけで論じられるほど生やさしいものではないと知りつつも、オーストラリアでおれはそんな考えに浸っていたのだった。
 その假説はチェンマイの中国領事館で立証される。領事館本館と離れた場所にあるビザ申請室という小さな建物の一室は、係員の二人の女性しかいない。申請に来る旅行者も滅多にいない。クーラーのよく利いたその部屋は、中国ではあり得ない静けさの中にあるゆとりの空間だ。すると、人は押しのけるもの、列は割り込むもの、他人は突き飛ばすもの、ぜったいに謝らない、自分の非は認めないという漢民族でも、さすがに心に餘裕が生まれてくるのか、前述したように気さくに話しかけてきたりするのである。中国各地で、すぐそこにある品物、店員の目の前にある品物をくれと言っているのに「没有(メイヨー)=ない」を連発され憤慨したことのある人には、信じがたい光景に映ることだろう。豚は本来きれい好きだという説がある。何事も環境なのだ。



○チケットがない
 チェンマイで新しいパスポートを作り、それから中国へのビザを申請すれば取材には間に合うだろうと思ったものの、今度は「帰りのチケットを持っていない」という不安が首をもたげてきた。
 タイ初心者とヴェテランの違いは、あるいはタイへの純粋な旅行者とタイはまり組との差は、チケットをどこで買うかで判るだろう。日本で買ったチケットでタイと日本を往復していたおれも、いつしかタイで知り合った先輩連中に触発され、チェンマイでチケットを買うようになっていた。タイから日本への往復チケットである。タイに行くのではなく、日本に出かけ、タイに帰るということになる。こうなるともう立派なはまり組であろう。

 この場合、日本からの出発(タイへの帰国)がタイへの片道切符となるので、日本に帰国するための別種航空券をあらかじめ持っていることが必要となってくる。成田でチェック・インするときに、カウンターで帰りのチケットを見せろと言われる。持っていないと応えると、「バンコクの入管で入国を拒否されタイに入国できず追い返されても文句は言いません」という一筆を書かされる。何度もこの不愉快な目に遭ったという(タイに関しての)大先輩は、いつも予備のチケットとして、エア・インディアの一年オープンを二枚ぐらい持っていた。

 おれもこの先輩に倣い、タイでチケットを買うようになってからは、エア・インディアやパキスタン航空の安い一年オープンチケットを、いわば「見せチケット」としていつも用意していた。多いときには三枚ぐらい持っていた。ところが今回に限り、この間まで持っていたパキスタン航空のチケットを、会社が潰れたというので、乗れないチケットを持っていてもしょうがないと払いもどしたりしていた。パスポートの残存期間が四ヶ月しかない上に、帰りのチケットまで持っていない。なぜかこの時期に一気に歪み(ひずみ)が押し寄せてきた。



○タイに入れない
 チェンマイでパスポートが作れることは、実際に作った人と出会い、出来上がったパスポートを見せてもらったこともあるのだから間違いない。おれはさらに完璧を期すためにタイ大使館に電話をして、取得費用と必需品を確認しようと思った。電話をすると本日の業務は終了したという留守電になっている。時計を見ると五時ちょい過ぎだった。それでおれはバンコクの日本大使館に電話をすることにした。日本は五時過ぎでもバンコクはまだ三時だ。金曜日だった。出発は月曜日だ。焦っていた。きょうしかない。

 慎重すぎると笑われるかも知れないが、チェンマイでパスポートが作れず、昆明へ行けませんでしたとなると、今後その出版社からおれには一切仕事が来なくなる。昆明での仕事自体は小さくても長い目でみたら大きい。いやそれよりもなによりも、おれから雑誌社に指名してお願いした友人のカメラマンを、初めての中国で途方に暮れさすわけにはいかなかった。屋上屋を架すような愚かな行為かも知れないが、おれはとにかく百パーセントの安心が欲しかった。

 バンコクの日本大使館に繋がる。タイ語で応対する女性に「私は日本人です。今、日本から掛けています。タイ国内でのパスポート更新に関してお尋ねしたいことがあるのですが」とタイ語でしゃべる。しゃべってから気づく。相手は日本大使館なのだ。日本語で「パスポートのことに関して訊きたいんですけど」と言えばいい。日本語の解らない職員はいないだろうし假にいたとしてもすぐに話せる人間に替わるだろう。なにも下手なタイ語を話す必要はなかった。

 担当部署の女性が出た。流暢な日本語だが何かが違うような気がする。きっとタイ人だろう。眠たげな、おっとりとした話し方だ。パスポートはバンコクでもチェンマイでも作れる。費用も聞いた。必要なのは写真と戸籍謄本。ひとつずつ確認していく。これでもう安心だと思った刹那、ふと彼女が口ごもり、その後、とんでもないことを言ったのである。
「あの、パスポートの残りが半年以上ないと、タイへも入れないんじゃなかったですか。たしかそう思いましたけど(ガソゴソと何か関係する書類を探しているような音)」
 驚いた。虚をつかれたという感じだ。中国のビザにばかり気が急いていて肝腎のタイのことを忘れていた。そういえば十年ぐらい前、ヨーロッパのどこかの国でそんな経験をしたことを思い出す。「入国にはパスポートの残存期間が半年以上必要」それが条件だった。今でもそういう国はいくつもある。そうだ、中国のビザ以前に、残りが四ヶ月ではタイに入れないのだ。おれは焦り、ちょっとしたパニックに陥った。どうするどうする。タイに入れなければ何も始まらない。中国どころの騒ぎではない。こちらの焦りとは関係なく、彼女は「えーと、今確認できないんですけど、たしかそうだったと思うんです」とのんびりと話している。礼を言って電話を切る。確認できない人とこれ以上話していてもしょうがない。

 こうなったら昆明の取材から何から、すべてを白紙にもどさねばならない。たいへんなことになった。いったい何人の人に謝らねばならないだろう。チェンマイでの夏休みどころではなくなってきた。
 おれはまずJALの予約センターに電話した。その時なぜ真っ先に予約センターなんかに電話をしたのか今思えば不思議だ。火事になったとき大事そうに枕を抱えて逃げ出すのと同じ心理なのか。航空券の予約のキャンセルなんて一番最後でいいのに、なぜかおれは真っ先に予約センターに電話を掛けたのだった。意外にもこれが光明となった。先日バンコク行きを予約した者だが、これこれこういうわけでキャンセルしたいと事情を説明する。(「日記・1−1」で今回のチケットがANAになっていますがJALの間違いです。ANAは四月、七月はJALでした。)
 この時のJAL予約センターのお姉さんの、礼儀正しい態度、好ましい言葉遣い、素早い処理の様子を、おれは今もうっとりと思い出す。その前の予約の時のお姉さんも素敵だった。いいなあJAL。エア・インディアとは大違いだ。いや、あの、日比谷のエア・インディアのオフィスにいるおばちゃんも親切で好きですけどね。だいぶ世話になりました。チケットをゴミ箱に捨てちゃって、なんとかしてくれと相談したり、おれってそそっかしいから、色々苦労を掛けました。しばらく会うことはないでしょう。

 彼女はすぐに資料をチェックし、確認を取り、「わたくし共の資料では、パスポートに帰国日までの残存期間が有れば、タイへの入国は可能となっております。ですからお客様の場合も、四ヶ月あるのでしたら心配はないと思います」と言ってくれたのだ。
 バンコクの日本大使館のオネーサンとJAL予約センターのお姉さんのどちらを信頼するかだ。おれは迷うことなくJALを選んでいた。予約センターという最前線にいる彼女が資料を見て断言してくれたのだ。バンコクで眠たげに自信なさそうにしゃべっていた大使館員とは違う。大丈夫だと確信した。

 くだんのタイに関する大先輩に現在の状況を説明すると、「帰りのチケットを持ってなくて一筆書かされたことはある。パスポートの残存期間が残り少なく、期間内に確実に帰国しますねとしつこく確認されたこともある。しかし帰りのチケットもなく、残存期間もすくないという二重苦の経験はない」とのことだった。タイ訪問歴二十年のヴェテランも経験していない事態なのである。不安だ。
 結果として何の問題もなかった。チケットがJALだったからか、帰りのチケットを見せろとも言われなかったし(エア・インディアの時は毎回言われた)、残り四ヶ月のパスポートですんなりと入国できた。もうすこし館員教育をしっかりしろよ、バンコク大使館。大使館の人間が誤った情報で日本人を不安にしてどうするんだ。おれはJALのお姉さんに教えて貰えなかったら、チケットをキャンセルするところだった。

 それにしても、日本人のきれいなお姉さんに、礼儀正しい言葉遣いでチェック・インの手続きをしてもらい、「お気をつけていってらっしゃいませ」なんて微笑まれると、胸の奥からほのぼのとしたものが沸き上がってくる。思わず「あなたの人生がしあわせでありますように」とワイしたくなる。コー・ハイ・ミー・クワームスック・マクマーク・ナ・カーップだ。おれがパラオの大統領だったら彼女の笑顔に島のひとつやふたつあげるのだが。
 白人系の航空会社の対応というのも明るくて良い。おれはエア・フランスが好きだ。にっこり笑って「ハーイ、元気でね」なんて感じだが、それでもやっぱり日本人のきれいなお姉さんに、微笑みながら頭を下げられるのが最高だなあ。世界を歩けば歩くほど日本人が良くなってくる。

 この素敵な日本人係員のサーヴィスは、成田ではJALがサービス代行をしているわけだからエア・インディアでも受けられるし、JALを利用したってバンコクでは無愛想なタイ人が応対するわけで、日系の航空会社を利用する者だけの特権でもなければ、日系を利用すればいつでも彼女らのサーヴィスに出会えるというものでもない。でもエア・インディアのときよりJALのチケットの時の方が、彼女らの笑顔を親身なように感じたのは単なる気のせいなのか。
 というわけでチェンマイまでは来た。これからがパスポート取り本番である。






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