※ この写真に関する思い出話。 《素材餘話──もとをたどってコンピュータ》
この「2k秋外伝」は、文章が他の「チェンマイ日記」とすこし違っています。それは「私と親しい限られた人(=チェンマイについて詳しい)に向けて書かれた文章」ということです。 元々この「チェンマイ日記」というのは後藤茂さんの主催する「チェンマイのさくらと宇宙堂」というホームページのために書き始めたものでした。 その最初の作品が「1999夏」です。結果としてそれが最初で最後になりました。「なんやたったひとつかいな」と突っ込まれそうですが、八部構成で、全体は四百字原稿用紙換算で500枚以上ありますから、インターネットで見かけるこの種のものの中でも長大な方でしょう。まあ量としてはかなりのものです。 その後「チェンマイ雑記帳」というのも掲載しました。これも合計するとかなりの量になります。そのいくつかは当ホームページの「チェンマイ雑記帳」に再録してあります。勃発したインターネット的事件を経て、後藤さんのホームページにおける私の文章は会員制読者にしてもらいました。 それと平行して私はその会員のみなさんと限定メンバーだけのホームページらしきものを始め、そこにいくつかの文章を連載します。サイトは掲示板形式の、私だけが書き込む一方通行のものでした。 それからまたちょいとした事件があり(その経緯はこの「2k秋外伝」に書いてあります)、私は後藤さんのところから一切の原稿を引き上げることになります。それは私と後藤さんが不仲になったということではありません。今も親しくおつきあいをしています。つい先日も二人だけで会い、長時間あれこれと話し込みました。 原稿を引き上げた理由は、いくつかの事件を通じ、私がインターネットというものにうんざりしたからであり、後藤さんやそこを通じて親しくなったみなさんとのおつきあいには関係ありません。 この「2k秋外伝」というのは、私が限定メンバー相手に好き勝手なことを書いていた掲示板形式のホームページに、「なぜ後藤さんのところから原稿を引き上げたか」を説明するために、今年(01)の一月から連載形式で書いたものでした。 気心知れた人を対象として書いたものですから、他の文章よりも初めての方には解りづらい箇所が多々あると思います。 他のタイに関する文章も、本来がそういうホームページ用として、「タイに何度も行っていて、チェンマイにある日本食堂の『サクラ』も知っている人。ある程度タイ語も解る人」向けに書いたものですから、全般的に行ったことのない人にはとっつきにくい文章だと思います。その中でもこの章は特にそうだということです。 といって注釈を附けたり書き直したりすると、わずらわしくなるし文章のリズムも崩れますから掲載当時のままにしました。 もっともタイやチェンマイに興味があってこの文章を読んでくれる人なら、そういうわかりにくい部分も楽しんでくれることでしょう。そういうものですけどね。だって新人の頃、私がそうでしたから。よくわからない部分さえも楽しかったものです。 とりあえず、初めての方がとまどわれないよう、「註」のつもりで書いてみました。 (01/10/18) |