チェンマイ日記2k秋








 鉄道駅へ向かう。
 チェンマイで四日を過ごした。着いてすぐ『サクラ』でパパと会う。やはりアベさんとなんぷ~さんは同一人物だった。ふみさんにトム、九時過ぎには残業を終えたあいさんも駆けつけてくれて、その日は深夜まで遊びほうけた。パパとカラオケに行ったのは初めてだ。


 そうしてその後も、快楽だけを追う垂れ流しのようなだらしない生活を送り、やがてそんな自分に腹を立てるようになっていた。
 昨夜だってそうだ。朝からインターネットカフェに出かけ、タイマッサージに行き、昼からビールを飲み、夜にかけて散々遊びまくり、もう帰って寝ようと思いつつ、それでもまだ意地汚くロイコー通りでバイクを停めた。女の娘に引っ張られるままオープンバーに入る。三人の娘に囲まれて飲み物を奢る。ペイバーしてくれと言われる。三人が競争するようにわたしをわたしをと言うから、だったらまとめてしてやると三人分払う。そしたら今度は、4Pかと彼女らが怯えた顔をして後ずさりを始めた(笑)。もう出涸らしでそんな元気はないから安心しろと、三人まとめてトゥクトゥクに乗せ「オリビア」へ向かう。すこしばかり高級である日本人向けカラオケで好き放題に歌えるなんてことはそんなにないのだろう、彼女たちは喜んでいた。


 で、チップをあげて解散。帰り際にセブンイレブンでジョニ黒を買い、部屋でまたチョコレートを舐めつつ飲んだ。こんなことばかりしているから、へろへろと毎日六千バーツずつ溶けて行く。そんな遊びをするほど働いてもいないだろう。毎日の勉強はどうした。持参したヘミングウェイすら読み終っていない。



 四日目の朝、素面になったら急に自分自身に腹が立った。半端なダイエットをすると、その後、揺りもどしというか大食いをして、以前よりも太ってしまうことがあるらしい。短期間禁煙をすると再び喫い始めたとき本数が増えていたとかもよく聞く。ぼくの場合、大嫌いな中国がそれに当たる。つまらない中国からもどってくるとまるで快楽主義者のように必死で遊びまくる。残り少ない歯磨きを搾り出すような遊び方をして、その後そういう自分に落ち込んだりする。今回もそうなった。しみじみと自分を軽蔑する。

 自分を律しようと思った。チェンマイを出よう。この街はすべての遊び方に精通しすぎていて快適すぎる。どこか余所の土地に行って苦労しよう。そう決めたらすぐにでもチェンマイを出たくなった。

 まずはバンコクに行く。それから考える。自分に対する戒めの第一弾として、ぼくは列車移動を選んだ。初心にもどる。飛行機を禁じた。予約センターに行くと寝台車が満席だった。今夜の列車は三等の椅子席しかない。すこしびびる。椅子席では眠れない。六年ぐらい前に一回だけ乗り、ひどい目にあった。が、こういうのもだらしない自分に対する罰なのだと、椅子席320バーツというのを予約した。






 午後十時半。列車は定刻通りに出発した。揺れる。連結部分のあそびが大きいのか、走り出す度に、車輌の数だけ、ガツンガツンガツンというショックが連続してあり、とても眠るどころではない。タイ国鉄は大赤字で車輌の入れ替えなど叶わないらしい。古い車輌だ。金属同士がぶつかる、かなり大きなカシーンという鋭角的な音もたまにあり、なんだか車輌がまっぷたつに割れるような気がして落ち着けない。

 かつてタイに恋し、あばたもエクボの時代、寝静まった寝台車の窓から、メコンウイスキーをちびちびやりながら、遠い町の灯りを飽きることなく見ていた。

 時は流れ、あばたはあばたに見えるようになった。メコンを飲んでいる奴には、そんな粗雑な酒を飲んでいるとめくらになるぞと注意する。メコンが目に悪い酒であるのは定説だ。

 そういう、かつてのあばたもエクボの時代ですら、タイの列車はうるさいなあと感じていた。メコンに酔い気持ちよく眠る。なのに、連結器が引っ張られるガツーンという音とショックで、駅に着くたびに目が覚めてしまうのだ。とてもとても安眠できる列車ではなかった。

 それでもその頃は、タイに夢中だったからやり過ごせた。しかし今は違う。あばたはあばたと正しく判断している。一応リクライニングの着いた柔らかな椅子席だったが、眠ることも出来ず、隙間から吹き込んでくる風が寒く、震えながら時の過ぎるのを待っていた。飛行機にすればよかったと悔いが走る。こんな想いをするのも、快楽に流れた自分への罰なのだと、だらしない我が性格を恨む。

 フアランポーン駅に着いたらヤワラーに行こう。台北旅社に泊まろうと思っていた。これも八年ぶりになる。原点回帰。夜が明けた。列車はもうすぐバンコクに着こうとしていた。






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