チェンマイ日記2k秋







「アイコム」に、ぼくが競馬コラムを書いている週刊誌が何冊かおいてあった。中国に行っている間に発売された読んでない号まである。ランプーンの工業団地の常連さんが持ってきてくれたのだという。ぼくは大レースでの自分の競馬予想が当たったことを編集部との国際電話で確認していたから、わくわくしながらその中の一冊を手にした。なんてったって予想が的中した原稿を読み返すのは気分がいい。



 「アイコム」には真露があった。韓国焼酎である。
 緑のビンの日本でもお馴染みの真露は、日本用に作られた、よくいえば洗練された、悪く言えば没個性のつまらない酒である。本物とは味が違っている。
 元々の真露は、もっと〃とろん〃とした味がする。世界の安酒に共通した、セメダインのような、なんかアブナイ匂いを放っている。

 韓国に長逗留した時これを気に入ったぼくは、一時新宿の職安通りにある韓国人用韓国料理の店に、この本物真露を飲むためだけに通い詰めたりした。
 日本では入手が難しいこれが、なぜチェンマイの「アイコム」にあるかというと、北部タイにおける真露の卸売り権を長谷川さんが持っているのだそうだ。焼肉『北門』などにも卸しているという。もちろんこの場合は、日本人用緑のビンの方だ。長谷川さんも、ぼくが本物真露のファンだというと、「おっ、なかなかわかっているな」と認めてくれた。



 その本物真露を本場と同じようにストレートでちびちびやりながら、気分良く自分の文章を読んでいたら、2ちゃんねるにあった或る書き込みを思い出した。後藤さんとの関連から2ちゃんねるネタになっていた当時のことだ。誰が始めたかもわかっているけど(笑)。
 それは《「一休」でカメゾーの文章が載っている週刊誌を発見。きっと自分でもってきて置いてったんだろうな(藁》というものだった。

 なぜそんなものを覚えているかというと、それはぼくにとって新鮮な衝撃だったからである。しばらくはパソコンの前で、「へえ~、なるほどなあ。そうかあ、こんな考えもあるんだぁ」と苦笑しつつ唸っていた。



 ものを書くというのは「自分を語ること」である。何がテーマであろうと、書くという行為は、自分を鏡に映して発する行為だから、自分自身と無縁ではあり得ない。それは大部の小説から、こういう掲示板での書き込みまで共通する真実である。この書き込みをした人は、こういう推測をすることによって、ぼくを傷つけようとしたのだろう。傷つけたつもりだ。だがそのことによって浮き彫りになるのは、この人のメディアに対する考えなのである。

 出版関係者に聞くと、今でも世の中にはかなりの数の隠れライター志望者がいるらしい。かつてその種のエネルギーは、まずは自分だけを読者として書くことであり、それから同人誌に参加するというように、順を追って世界を拡げていった。
 ところがインターネットの出現により、誰もがライターになることが可能になった。プロバイダーに加入さえすれば、ホームページという名の、自分が主役の雑誌を簡単に発表出来るようになったのである。

 この書き込みをした人もマスコミやライターに興味があるのだろう。この人は日本食レストラン『一休』(ぼくはまだ行ったことがない)にあった週刊誌を、自分の文が載っていることをみんなに自慢したいぼくが、わざわざ日本から持って来て置いていったのではないかと書いている。ぼくがそういうセコい自己宣伝をしたのではないかと揶揄することによって、笑いものにしようとしているわけだ。それはこの人の深層心理である。

 この人は、ぼくを揶揄するつもりでいながら、実は「自分がもしもライターになることが出来て、週刊誌に原稿が載ったりしたら、みんなに自慢したいから、日本から持参して知り合いの店においてくるのだ」と自分自身を語っているのである。そうでないとこんな発想は出来ない。

 このことは「インターネットという場」と題した小論をまとめようとしていたぼくに、解決のための大きなヒントをくれた。



 ぼくは以前からホームページを開設している人達が、なんとかというパソコン雑誌の何月号で自分のホームページが紹介されたと自慢げに書いていることが不思議でならなかった。それは、インターネットというものを──この場合のインターネットとは個人が開設しているホームページという程度の意味だが──ぼくは既存のメディアとは違った新しい感覚のものと認識していたからだった。

 そうではなかった。個人のホームページとは「最も安易なひとり同人誌」だったのだ。単行本や雑誌に代表される旧メディアとは異なった感覚どころか、旧メディアに憧れる連中の代償行為として存在するものがほとんどだった。一見きれいでカラフルに整っているから、今までのメディアとは無縁の新しい形態のように思ってしまったが、実態は大昔の「ガリ版刷り趣味の会報」となんら変わりはなかったのである。しかも個人誌だ。会報より低い。



 そのことに気づかなかったのは、ぼくが既に長年職業物書きだったからだ。そしてまた、なりたくてなりたくて苦労してなったわけでもないことも原因の一つだろう。
 週刊誌に顔写真が載ることがイヤで編集部ともめ、妥協案として、二十年以上も前のトンボメガネをかけた〃怪奇バッタ男〃みたいな今とはぜんぜん似ていない写真を出してかんべんしてもらったほど前に出るのが嫌いなぼくには、「自分の文章の載っている週刊誌を宣伝のために知り合いの店に持っていく」という積極的な自己宣伝の発想が思い浮かばなかった。

 彼の言っていることは正しい。物書きなんて浮き草稼業はそんなふうに積極的な自己宣伝をすべきなのかも知れない。いや、すべきなのだ。そのことによってチェンマイでもなにか仕事が始まる可能性がうまれる。あるいは顔写真の載った週刊誌を持ち歩いて自慢すれば地元のネーチャンにもてるかもしれない。
 ぼくの書いているようなコラムでも、「もっと大きな写真を載せてくれ」と主張する人は多い。芸能人が書く場合は特にそうだ。露出が命である。それで食っている。顔を隠そうとするぼくが珍しいタイプなのである。珍しいじゃない、ぼくが間違っている。こういう商売を選んだ以上、積極的に露出することが正しいのだ。

 なるほど、素人とはこんなことを考えるのかと感心した。発想命のはずなのに、いつの間にかそんなことすら思いつかなくなっていた自分を反省した。勉強になった。



 マスコミを〃女体〃に喩えて言うなら、この人は〃童貞クン〃である。自分が女体を知らないから、「カメゾーなんか毎晩女房の体を嘗め回しているんだろうな(藁」と書いているわけだ。それは「おれは彼女が出来たら毎晩彼女を嘗め回し、毎晩やりまくるぞ」と、女体を知らず、飢え、憧れている童貞クン宣言をしているのと同じである。

 気持ちは解る。ぼくは二十代の時、自分の書いた原稿が初めてラジオから流れるとき、朝からそわそわしつつラジカセの前に座っていた。楽しみに待っていた。すでに録音現場に立ち会い、原稿の合間にどんな曲が流れるかという構成も内容もすべて把握しているのに、自分の書いた文章が初めてラジオから流れてくる瞬間を体感したかったのだ。2ちゃんねるの文章を読んで、あの時のラジオの前で待っている自分を思い出した。

 だけど今、ぼくはマスコミという女と結婚してもう二十年以上経っていた。古女房の体を毎晩嘗め回す人はいない。いつしか熱烈に愛し合った日々を忘れ、あって当然の空気のような友達感覚になって行く。なっていた。
 誰もが初心を忘れてゆく。ただそれは、初心とはまた違ったべつの強い絆が生まれるということでもある。とはいえどんなジャンルの職業であれ、初心を忘れてはならないは金言である。いつしか忘れていた初心を思い出し、ぼくはほろ苦い気持ちでその文章を読んだ。



 「アイコム」の片隅で本物真露をちびちびとやりながら、ぼくは「2ちゃんねるも勉強になるなあ」と思ったあの夜のことを思い出していた。




inserted by FC2 system