チェンマイ日記2k秋





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 帰りの雲南航空の便は、初めての海外旅行らしい中国人の団体客が、空港内で既に躁状態になって大騒ぎをしていた。猿山の賑わいである。おそろしくうるさい機内になるのではないかと憂鬱になっていた。

 ヨーロッパへの往復などでも中国人のうるささというのは格別で、酒を飲む、トランプ博奕を始める、嬌声を挙げると、傍若無人な彼彼女らに囲まれたなら、機内は最悪の旅程となる。テメーら静かにしろと大声で怒鳴り、金属バッドでも振り回したいと腹だったことは一度や二度ではない。
 かつて我が同胞の農協や団体旅行者も彼らに負けず劣らずひどかったらしい。今もそうなのか? 現実にぼくは出会っていないが、田舎育ちなので、百姓連中が酒を飲むといかに礼儀知らずになるかはよく知っている。(尚、この場合、百姓という伝統ある言葉は差別用語ではなく、本来の美しい意味の言葉として使っております。)


 機内は半分ぐらいの乗客だった。前半分にぎっしりと連中が座る。個人客はぼくだけなのか、後部にはぼく一人しかいない。前半分満員、後ろ半分ガラガラである。

  最初はおとなしく自席にいた彼らだが、飛び始めると、窓から外を見たくてしょうがないのだろう、通路側の席にいた一人が、おどおどと自分の席を離れ後部空席にやってきた。窓際の席に座り食い入るように下界を見る。彼を見守っていた他の連中も、どうやらそれをしても叱られないらしいと解ると、次から次へと移動を始めた。なんだかその様子は、警戒心の強い猿が、おどおどしながらも、餌をもらいたいという誘惑に負けて、人間に近寄ってくる時みたいで微笑ましかった。

  ぼくの前の席に移って来たおばさんが、声高に話しつつ、むちゃくちゃ臭い香水をつけ始めた。ぼくは逃げるように席を移る。そんな多少の問題はあったが、思ったほど不快になることもなくあっさりとバンコクに着いた。ほっとする。最愛の彼女と別れた寂しさよりも、中国から離れてほっとする気分の方が強いのだから困ったものだ。






 午後一時。バンコク、ドンムアン空港。国内線乗り場まで連絡通路を歩く。今のところ帰国予定は七日後になっている。中国へたっぷりと送金してもらい、たいして使わずに来たから金はある。さすがにカードがないのでオランダに行くのは中止せざるを得ないが、假予約してある帰国便の11月8日を、当初の予定通り20日まで延ばしても金銭的な不自由はしないだろう。

 出発前、有山パパに頼んだ一万バーツの借金はする必要がなくなっていた。チェンマイに行かず、数日間バンコクのホテルで息抜きし、それからどこに行くか考えてもいい。

  マレーシアに列車で下ってみようか。久しぶりのプーケットもいい。その決定を「チェンマイ行きの便があるかどうか」で占うことにした。満席だったら南に下る。便はあった。

  次に「有山さんがいるかどうか」で決めようと思う。パパが留守なら南に下る。パパはいた。「おお、帰ってきたの。早くおいでよ。もうお金は用意してあるから」と、パパの元気のいい声が聞こえてきた。ありがたいことだ。これで決定である。チェンマイに行くことにした。チケットを買う。

 そういえばパパは、「ぼくの十年来の友人であるアベさんがね、きょうやはり来るんですよ。彼と三時に『サクラ』で会う約束をしているんでね、その後もずっと店にいますから来てください」と言っていた。ぼくの着くのは午後七時ぐらいになる。ふとアベさんと聞き、後藤さんのホームページの常連であるなんぷ~さんの本名もアベさんだったなと思う。

 fさんに電話をする。話し中だった。fさんの恋人(今はもう籍を入れたから旦那さんか)が、何度か「ユキさん、また来るよね?」と尋ねたという。四月の時、彼と一緒に酒を飲み、あちこち遊びに行ったけど、なんとなく半端なまま別れていた。彼もそう思ってくれているのなら都合がいい。ぼくもぜひ彼に会いたかった。

  iさんの電話番号がいま解らないが、それはfさん経由の連絡でいいだろう。三時間ほどの待ち時間があった。空港内のダイナースメンバー用の部屋に行ってVAIOで日記をまとめようと思う。あそこは飲み物もフリーだし快適な部屋だ。行こうとして、そのカードを落としたから苦労してるんじゃないかと気づく。ぼけている。カードがなければ入れない。

 競馬のGⅠシーズンには日本を留守にしないようにしてきた。なのに今回は急用があったとはいえ、もろに秋のGⅠシリーズを缺席した。そのことに対する背徳心めいたものがある。
 一方で、あれこれと難のある中国から、三週間に渡って無事原稿を送り続けることが出来たという満足感もあった。

  タイにもどればもう安心できる。『サクラ』が終ったこともあり、最近ちょっと燃えないチェンマイだったが、いざ行くとなれば、あそこに行きたい、あれも食べたい、あの娘は元気だろうかと、消えかかっていた炎が燃え上がってくる。
 搭乗時間になった。





 今回のチェンマイでは、長谷川さんが経営しているインターネットカフェ「アイコム」の世話になった。
「アイコム」やターペー門の近くにあるインターネットカフェは、1分1バーツである。1時間だと60バーツになる。それをチェンマイ大学近辺の1時間10バーツ程度の店と比較し、ヤフー掲示板などで「ぼったくりの店」などと書いているチェンマイ在住の人がいる。ぼくはそうは思わない。


 物の価値は総合的に判断すべきだろう。「アイコム」のことで言うなら、まず場所がいい。ロイコー通りのソイ2という街の真ん真ん中にあるから、街外れのチェンマイ大学の方まで行くより遙かに便利である。
「アイコム」のマシンはWINとMacの二台だが、ほとんどの客がWINを使うので、日中はけっこう混んでいる。そんな時も『サクラ』に食事に行ってもどってきたり、他の用事を先に済ませたり、至便な場所にあるので簡単に出来る。「アイコム」にも日本食があるし、日本語の雑誌もおいてあるから待つことに苦痛はない。

  次に、日本語キイボードを使用しているので使いやすい。これはぼくのようにひらがな入力をする者には重要なことだ。
 さらに、セキュリティがしっかりしている。ぼくが長谷川さんに終りましたと伝え電源を切ってもらおうとしたら、飯を食っていたおじさんが、「ああ、おれがすぐやるからそのままでいいよ」と言ったことがあった。すると長谷川さんは「いや、よくないんですよ」と言い、ぼくの繋いでいた履歴やキャッシュをクリアし、再起動をかけてから彼に引き継いだ。プライバシーを護るためだ。チェンマイ大学近辺のインターネットカフェがここまで気を遣ってくれるはずもない。それと、一回線で20台繋いでいるような店よりは圧倒的に速い。


 お薦めは「アイコム」のアイスコーヒーだ。美味い。本物だ。インスタントコーヒーで作り、砂糖とミルクをたっぷりいれたコーヒー牛乳のようなタイ風アイスコーヒーもいいけれど(中国にいるとこれが恋しくなる)、やはり日本の喫茶店のようなアイスコーヒーがいちばん美味い。アイスコーヒーって日本の発明品だからね。

「アイコム」のは、珈琲豆の香りがする本格的なものだ。ガムシロップとミルクもべつになっていて好みの味を加減できる。なぜ本格的なものがあるかというと、長谷川さんが珈琲豆の卸商をしているからである。このアイスコーヒーを飲みながら自分の好きなサイトを覗いていると--ぼくの場合スポーツ紙のサイトで調べものをするだけだが--楽しい時間があっという間に過ぎて行く。

 終った後、冷やし中華を食べたりして、200バーツ程度の出費だが、これはずいぶんと内容のあるお金である。チェンマイ大学近辺の店まで行き、缶コーヒーでも持ち込めば、全部で30バーツもかかるまい。だがぼくは迷わず「アイコム」を選ぶ。精神的充実感が全然違う。

 ここで逆に激安インターネットカフェ向きの人を考えてみる。「時間がたっぷりあり遠くまで出かけてもいい人」「通信スピードが遅くても平気な人」「タイ語キイボードでも気にならない人」、そしてなんといっても「1バーツでも安いことを至上とする人」となるだろうか。

 あまり適切な言葉ではないが、これは美意識の問題であろう。チェンマイ大学近辺を一押しする人は、貧乏旅行が好きで、節約すること、ケチケチ生活に美を見いだすタイプなのだ。実際それらの店を絶賛する人は、日本の会社を早期退職してチェンマイに居着き、安ゲストハウスに住み、一日100バーツも使わないことを自慢げに書いたりしている。お金がないわけではない。節約が美なのだ。人生の味とはこだわりである。なににこだわるかが楽しい。彼らにはもうそれぐらいしか見いだすこだわりがないのだろう。


 この激安インターネットカフェの存在を後藤さんから教えてもらい、四月の時はぼくも通ってみたりした。しかし、日本語が使えるというマシンが使えず、店に苦情を言っても、むこうも首をひねったりしている。やっとまともに使えるマシンに巡り会ったら、Hot mailのサイトを呼び出すだけで10分もかかったりと、うんざりすることばかりだった。

  こういうトラブルを楽しめる人、毎度お馴染みのぼくの造語「旅人気質」を持っている人なら、激安インターネットカフェも楽しい場所なのだろう。だがぼくのように、さっさと用事を済ませたい、快適な環境のためなら金にはこだわらないというタイプには、そこはストレスが溜まるだけの価値のない場所となるのだ。

 反論のある人もいるだろうが、まあ、これを書いているのは、自分のパソコンでないと使いづらいと、国際電話でインターネットしたような男なので意見の違いはご容赦願いたい。






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